デニムスカイ特別編 第七話
「スカイフィッシュをつかまえた -White Users-」
 そろそろ刻限が迫り、偵察飛行も切り上げねばならなかった。
 ジラソーラの外縁から放射状に伸びる小翼のうち一枚が薄い黄色に光っていた。その根元が幅広く口を開いていて、発着口であることが分かった。
 降り立とうと準備して、ネオンは不味いことに気が付いた。同時にワタルからも声がかかった。
「厄介だな」
「はい」
 管制はジラソーラへの着陸許可を出しているが、それっきり誘導も何もない。
 もしタワーの各階にある発着場に降りるなら、管制は直接機体に向かって至れり尽くせりの誘導をしてくれる。そうでなければワタルですら狭い発着場に降りることは難しい。
 一方、飛行場のような平地に降りるときはそこまでの補助は無い代わりに、広々とした空間が使える。これなら機体の自動操縦機能だけで難なく降りられる。
 つまり今から着地するのは、その悪い所取りの地点というわけである。
 気が利かねえな、と悪態をついてからワタルが前に出た。
「俺が呼ぶまで来るなよ」
 開口部に向き合い、接近していく。その動作に特別なところはなく、ただいつもどおり落ち着いて降りている。それだけが正解であるとネオンにも深く理解できる。
 アクイーラの黒い翼は開口部に沈み込み、音もなく奥へと消えた。管制は無言。この分ならワタルが機体を外し次第すぐにでも呼ばれるだろうとネオンは考えた。
 しかし、それからジラソーラの周囲を大きく二周旋回しても、ワタルからの通話がない。
 さらに五周まで待っても静かなままだった。
 内部で何か不慣れなことがあって手間取っているだけだと信じたいが、万が一に管制の把握していない事故、ということも考えなくてはならない。
「ヒムカイさん?大丈夫ですか?」
 先にこちらから通話してみると、まず気配だけがあり、次いでため息が聞こえてきた。
「ああ、大丈夫だ。でも気をつけろよ。変なクッションっていうか、網みたいのがあって、主翼が引っかけられる」
 やはりここ独自の設備に煩わされただけらしい。
 一度ジラソーラから離れるように旋回し、充分余裕を取って開口部に正対した。
 内部の奥行きは居住区の幅全て、二十メートルはあるように見えた。スパンデュールの制御系は地形を把握するのに一瞬手こずったが、すぐに準備は完了した。内側目指して接近していく。
 向かい風なのは救いだったが、丸く膨らんだエンベロープ越しに吹いてくる気流は下向きに曲がりながらゆったりとわずかに波打つ。ナドウモビリティが作り上げユカリが確かめた制御系が、奇妙な風に対抗してネオンを守っていた。
 腕ごと降着装置を前に伸ばし上体を起こす。大きく広がった主翼が湾曲を増した。以前映像で内部の様子を知ったのと同様、床が石畳なのが見えた。
 風防の先端が開口部に飛び込み、主翼からの吹き下ろしが床を叩くかと思ったとき。
 突然、背中が引っ張られる感覚に襲われた。
 ワタルの言っていた、主翼が網に引っ掛けられるということか。
 立て直そうと操縦を続けるが、機体の働きと無関係な力が姿勢を勝手に乱してくる。もはや主翼は用を成さず天を向く。
 足が地面に着いた。胴体後端も。
 結局は機体が降着装置と胴体後端の三点で床につき、ネオン自身はその下でへたり込む姿勢になった。
 主翼の周りから髪の束のような無数の細い糸が離れていく。どうやらスケアクロウ用の緩衝装置がそのまま使われたらしい。
 ワタルが手助けしようと駆け寄ってきた。その後ろに、ダニール達住民が背中を縮こまらせて立っているのが見えた。
 辺りに散らばる七色のテープや紙吹雪が何か痛々しかった。住人の手から放たれたそれらがワタルを暖かく迎え入れる役を成さなかったことは想像に難くない。
「大丈夫か?」
「ちょっとびっくりしました」
「お前が降りる前にあの糸だけでも止めさせようとしたんだけど、すぐには無理だとか言うからな」
 ワタルはネオンを助け起こし、スパンデュールに異常がないことを確認すると再びダニールに詰め寄った。
「明後日の本番前に明日の午後、普通に離発着できるかテストする。あの糸を止めて管制に連絡するだけだから、それまでには改修できるだろ」
「分かりました。申し訳ありません」
「地上とここをフリヴァーで行き来できるようにしたけりゃ絶対に必要なことだからな」
「肝に銘じます」
 近寄っていったネオンには、参ったな、といったような意味の英語のつぶやきをダニールが漏らすのが聞こえた。
 ネオンに気付いたダニールはますます慌てた様子で向き直った。
「申し訳ありませんでした。あれは間に合わせの設備のままで、有人機に使ったときパイロットの方がどう感じるか把握できていなかったのです。お怪我などありませんか」
「私も機体も無事です。彼が少しきつい言い方をしたんじゃないかと思いますけど」
「いえ、仕方のないことです」
「私からも改修よろしくお願いしますね」
「必ず」
 ネオンが念を押すと、ダニールは振り返ってすぐに他のメンバーと作業の確認を始めた。
 しかし、リーダーであるはずのミルドレッドの姿はその輪の中になかった。
 ミルドレッドはネオンのすぐ隣に立っていた。
 立体映像で二回も見てはいても、間近で見ると少し雰囲気が違った。かかとの厚い靴の分もあるのだがネオンより少し背が高い。
 縞模様のニーソックスや薄い黄色のブレザーに包まれた肢体は、逆に筋肉がなく細い。渦を巻いて左右に下がる金髪の房が肩から脇まで隠すほど大きく、不釣り合いに重そうに見えた。
「あげる」
 差し出してきた手の上にはピンクの包みにくるまった飴玉が乗っていた。
「あ、ありがとうございます」
 口に入れてみると、濃いのに爽やかな甘酸っぱさで飴としては驚くほど美味い。ネオンが目を見開く様子にミルドレッドも相貌を崩した。
「明日も飛ぶの?」
 相変わらず翻訳を通していないのに流暢な日本語である。
「はい、本番前に安全に離発着できるか確認しておきたいので。えっと、トムキンスさんは」
「ミリィって呼んでよ。ニックネームは気に入ってるけど本名はあんまり可愛くないからさ。特にファミリーネームは」
「おいトムキンス」
 ワタルがしかめっ面のまま割り込んだ。あまりにもあまりな態度にミルドレッドも何も言わず口を尖らせてみせて返事とした。上着がわずかに橙がかる。
「リーダーが作業に加わらなくていいのか」
「あれダニーが作ったんだもん。それより明日の話しようよ。あっちはその後手伝うよ」
 そう言いつつもミルドレッドはワタルにはあまり話がしやすくないと見たようで、ネオンの顔を覗き込んだ。
「さっき飛んでたの、すごく綺麗だったよ。ありがとう!」
「え、ど、どういたしまして」
 そう返事したがなぜ礼を言われるのか分からない。二人が周りを飛ぶ様子をミルドレッドが見て、サービスとしてパフォーマンスフライトを行ってくれたと勘違いしているのだと気付くのに時間がかかった。
「それでさ。明日も飛ぶんだったら、せっかくだからもっとすごいアクロバットしてみてよ。きっとみんな喜ぶよ」
「はあ……、私はいいですけど」
 ネオンが視線を向けると、ワタルは意外にも快活に答えた。
「ああ、やってみる」
「やったあ!みんなスケアクロウのテストフライトしか見たことないから、思いっきり派手なやつお願い!」
 ミルドレッドとワタルはお互いの態度をころっと一変させていた。
「分かった、きちんと演目を考えておくよ。スモーク装置があるといいな。原料液を模擬銃と同じくらい使うんだが」
「それならうちの研究所の分から出せるよ」
「ああ、よかった。そっちも必ず間に合うように作業を頼むよ」
「うん!」
 ミルドレッドは両腕を振り上げ、上着を鮮やかな黄色に輝かせてダニール達の方へ向かった。
「俺達がこの上で飛ぶのに慣れたら不味いって、分かってないみたいだな」
 ワタルは声をひそめた。
「余裕があるだけかもしれないですよ」
 曲技飛行ができるとなれば二人にとって先程の偵察以上に効果が上がるまたとないチャンスだった。ミルドレッドはそれに気付かないのか、甘受する気なのか。
 入れ代わりにすまなそうな顔をしたダニールがやってきた。
「彼女が無理を言ってすみません、ありがとうございます」
 やはりフリヴァーに対して勘が働かないだけのように見えた。

 案内役を任された日本人の女性に連れられ、二人は来賓宿泊施設まで歩いた。
 タワーより外径が大きい分街路の曲がりが緩やかだが、外周に沿って家々が立ち並び、幅広い歩道が石畳で覆われている様子は調布でもどこかの階で見られそうなものだった。
 ただし、少し目先を変えただけで全く見慣れないものばかりになる。
 道から外側を真っ直ぐ見ても建物同士に隙間はなく、タワーのような地表の眺望はない。
 代わりに頭上は上階で塞がってなどおらず、一面の青である。ごく薄い刷毛雲が見えたが、普段のジラソーラはそれすら越えて成層圏下部を飛ぶという。
 何より常に内側に見えるエンベロープである。
 居住区とエンベロープを隔てる壁は透明で、広々とした中に日光が降り注ぎ、底面の緑色をした光合成プラントが照らされるのが見える。一見明るい野原のようでもあり、これにより閉塞感は解消される。
 だがこの内部は全て真空なのだ。
 対岸がやけに鮮明に見えるのも空気がないせいに違いない。自分が今いる空間よりはるかに巨大なこの空洞が、人間の存在を拒絶している。深海や宇宙と同じものが目前にある。
 案内の女性に気付かれないよう、ネオンはそっとワタルの手を掴んだ。

 宿泊施設も外周に沿って連結した部屋の一つに過ぎず、ただ住民の部屋より少し幅が広いだけであった。一人一部屋与えられたが、ネオンは曲技や試合の相談のためにワタルの借りた部屋に来ていた。
 外側を向いた壁が全面窓になっているものの、すぐ下から生えた小翼が被さって地表はあまり見えない。
 二人はジラソーラを含めた地形の立体画像を表示し、その上に今日のフライトの軌跡や、明日の曲技の演目を描いていった。ジラソーラからよく見え、こちらからジラソーラがよく見えるように。
 青一色の壁面は次第に光を失っていった。やがて短い初冬の夕方が素早く終わり、敷き詰められた星々がようやく窓に表情をもたらしたとき。
 ネオンのもとに何か知らせが届いた。手の甲に映すと、ネオンの借りた部屋に来客があったという。
 すでにその本人は、今いるワタルの借りた部屋の前に来ていた。
「二人ともこっちの部屋にいるの?」
 ミルドレッドであった。
「こっそりだけど、歓迎会を用意したよ」
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