デニムスカイ特別編 第六話
「FAR OUT -Not A Bug-」
「うん、いいよ」
 円卓の対面に着いた立体映像のミルドレッドは、ネオンとワタルの提案を快諾した。
 無論、大きな円卓を囲む面々のうち、そんなきっぱりとした反応を即座に返せたのはミルドレッドただ一人であった。
 各メーカーの代表を含めた協会の役員、えとりや古尾氏らテストパイロット、そしてダニールを始めジラソーラの住人達、大半が立体映像でだが、試合の取り決めのため協会本部の一室に集まっていた。
 そして皆、視線を二人とミルドレッドの間でうろうろと往復させるばかりだ。
 ワタルが勝ったらスケアクロウが地上に流通しないはずだったのが、逆に無償で手に入るようになる。さらに、二対三という地上側に不利に見える条件。日下氏とユカリさえ、ネオンが付け加えた新たな提案には戸惑っていた。
 ネオン自身も一度の説明ですんなり飲み込まれるなどと思ってはいない。ミルドレッドが良いと言ったところで喜ぶのは早かった。
「ミリィ、何を勝手に」
 やはり助手のダニールの非難。ネオン達には翻訳アプリケーションを通して聞こえていたが、ミルドレッドのニックネームやダニールの慌てた様子はそのまま伝わった。
 ミルドレッドはネオン達に直接届くよう、日本語で答えた。今度はダニール達に向けて翻訳されている。
「だってどうせそんなんで負けるようだったら作り直しだもん。別にあげちゃってもいいよ。みんなの目的のためにはその方がいいんじゃない?」
 みんなの目的、とは、フリヴァーを通した地上とジラソーラとの交流のことである。ダニールは納得させられたらしく口をつぐんだ。
「負けるわけないけどね」
 余裕に満ちた笑顔でこう付け加え、チョコレートを一粒つまむことをミルドレッドは忘れなかったが。
 ワタルのかすかな歯ぎしりを聞き取り、ネオンはそっとワタルの腕に手を当てた。
「だから余計なことを……、ええっと、みんなからは何か」
 ダニールがジラソーラ側に意見を促したが、皆ダニールと同じく反論らしい反論もないようだった。まあ試合は不利ではないし負けたら地上に出せなくなるよりは交流を促進しそうだからと、概ね肯定する声しか出なかった。
 ダニールは地上側に顔を向け、リーダーであるはずのミルドレッドに代わってジラソーラ側の意見をまとめた。
「えー、細かい取り決めは必要でしょうけど、こちらは基本的にお二人のご意見に同意いたします。しかし気になるのは、全体的にそちらに不利な条件ではないかということですが」
 役員やテストパイロット達の中にはダニールの疑問に頷く者が多かった。
 まず手を挙げたのは、スピアゲイル製作委員会に出向しているテストパイロットであった。
「試合の条件はログを見る限り公平だと思います。しかし、二人が勝っても負けても僕らの立場が脅かされることに変わりないのでは?」
 テストパイロット達の懸念は、最初にユカリが示したのと同じく自分達がスケアクロウに取って代わられるのではないかということであった。
 他のパイロット達のほとんどが首肯したが、五栗工業の古尾氏だけは何も反応しなかった。
 今度は五栗の社長でもある役員が発言した。
「私は別の意見ですね。どちらにしても無人でテストフライトができるようになること自体は歓迎します。しますけど、中身に手を付けられないブラックボックスになりかねないんでしょう。なのに一度負けた相手にわざわざハンデを付けるのはね」
 これには日下氏を除く役員達が同意した。
 スケアクロウに対する反応の相違はユカリと日下氏の場合を繰り返しているに過ぎなかった。さらに実際に競技を行っていない役員達の不見識も加わり、パイロット達との食い違いはますます深まっていた。
 ずっと協力してきた皆と比べ意見を理解してもらうのが難しいのは予感していたが、こうなるとネオンはもちろんワタルにも、パイロットである分難しかった。
 なんとか説明を続けようとネオンは再びログを指し示そうとした。
 が、その前にユカリが右に目配せするのが見えた。その先にいた古尾氏が、顎に当てていた手を挙げた。
「日下さんにお聞きしますが、もしその条件でお二人が勝ってスケアクロウが自由になったら、開発のときにそれをいじるのは技術者の方だと思いますか?」
 この場で協会側にいる技術者は、個人工房の代表である日下氏のみだった。
「おそらく操縦に関する判断は大部分テストパイロットの方にお頼み申し上げることになりますな。我々技師は従来どおりに機体を世話するのみでしょう」
「ああ、やっぱり。じゃあスケアクロウが僕らのライバルになるか道具になるか、けっこう重大な違いじゃないですか」
 これでまずテストパイロット達の表情が少し和らぎ、
「僕も試合については五分五分くらいだと思いますけど、そのくらいのハンデでもなかったらジラソーラの皆さんが条件を呑んでくれないかもですね。さっきミルドレッドさんも「それで負けるようなら」っておっしゃいましたし」
 メーカーの代表達もやり込められた。特に五栗の社長は、自分が雇ったパイロットの見立てを否定できない。
 ユカリのほうから小さく三回拍手が聞こえたが、ネオンが振り返るとすでに手を降ろして誤魔化すようににやついていた。古尾氏も気付いたようで照れ笑いを浮かべた。

 結局その後は細かい部分の打ち合わせに終始し、二人の要求はそのまま通って試合の段取りが決定した。
 会議終了と同時に立体映像で参加していた者はほとんど退席し、円卓の周りには直接来ていたワタルとネオン、日下氏とユカリとえとり、それに立体映像の古尾氏だけが残っていた。
「すみません、ありがとうございました」
 ネオンは手助けしてくれた皆にぺこりと頭を下げた。古尾氏には事前にユカリが根回ししてくれていたに違いなかった。
「いやあ、日下さんに散々脅されちゃいましたからね。今スケアクロウを拒否してもその場しのぎにしかならないぞって」
「おや、僕はカブラギさんの案の良さを少し熱心に伝えただけさ」
「そうそう、ネオンちゃんの考えが名案だからみんな賛成してるのよ。二対三って言い出したときはちょっとびっくりしたけど」
 ユカリが優しく微笑んで言った。
 と思ったがその直後にユカリは笑顔を怪しげに崩した。
「それで、ちょっとお話があるんだけどね」
 ユカリは外野から遠ざけるようにネオンの肩に手を回し、背を丸めた。
「日下さんにワタル君の住所もらったじゃない?」
「え、はい」
「それで、直接ワタル君のうちに行ったのよね」
 妙に嬉しそうに聞いてきた。
 ワタルのほうに振り返ってみたが特にユカリの様子を怪しんでいるようではなかった。
「行ったのは行きましたけど」
「さっきネオンちゃん達がみんなの前で意見を言ってるとき、ワタル君と息がぴったり合っててとっても頼もしく見えるなって思ったの」
「はあ」
「もしかしてネオンちゃん、大人になっちゃった?」
 一層声を潜めた、一層期待がこもった問いであった。
 再度ワタルに振り返ると、日下氏と古尾氏、えとりに囲まれて話していた。完全に真面目なことしか考えていないようだった。
「大人にされちゃった?」
「えーっと」
 返すには深呼吸して考える時間が必要だった。
「私は学校を卒業してログマスターのお仕事をさせてもらって、もし一人暮らししても困らないくらいのお給料を協会からいただいてますから」
「え」
「社会的にはもう大人だという自負とそれに見合うだけの働きをしないといけないという自覚は、春からずっと持ってるつもりです」
「あ、大人の対応」

 会議の十日ほど後、二人は編隊を組み北西に向かって進んだ。ユカリが小松田とえとりを引き連れて隊列を組み、所沢で待ち受ける手筈になっていた。
 雲はごく遠く視界を遮らない。射撃で先制を奪うには隠れるものがなく心許ないところだった。わざとそのような天気の日に合わせたわけだが。
 すでにお互い試合の準備はできていて、管制にユカリ達の姿はない。しかしほぼ正面にいるのは分かっていた。
 まずワタルが、その直後にネオンが、相手を発見した。
 こちらに気付く気配はない。それにはあと四十秒はかかる。
 だがその八割が過ぎるのをネオンは待った。
 姿勢を合わせる。
 先頭のユカリを狙い発射。
 ユカリが仮想弾を視認、飛び跳ねる。

 十二月二十二日。
 東に航路を取ったワタルとネオンの行く手を、冷たい初冬の雲が幾重にも折り重なって出迎えた。頭上の青は一段と深い。
 それら自体は、見慣れた、季節を読み取ることのできる、親しみ深いものに過ぎない。
 しかし飛び立って雲の上まで抜けた直後からすでに、馴染みある東京の空に違和感の塊が陣取っているのが見えていた。
 季節外れの向日葵が一輪。
 雲と変わらない白い色に見えるが滑らかな曲面を保っている。
 ジラソーラの巨大なエンベロープが、新宿より向こうの雲の上に横たわっていた。
 扁平な形をしているものと思っていたが、やや下寄りから接近すると厚さ百メートルの躯体や長さ二十メートルの小翼は圧迫感がある。
 例えば雲だったら、種類によっては内部に乱気流や高電圧が潜んでおり無闇に飛び込むべきではない。積乱雲などその最たるもので近付くと管制が警告を放つ。ジラソーラも空中に浮かんだ巨大な障害物という意味では似ていた。
 しかし表面は硬質ではっきりとしていて、影は雨雲より濃い。緩やかさはまるで無く、飛び込むどころかかすっただけでも致命傷を負うと示していた。
 管制とジラソーラの協調が鈍いのか、機体のセンサーが管制より先に反応した。やはり異質な存在なのだ。
 新宿のタワーから流線型をした普通の飛行船が飛び立ち、こちらに近付いてきていた。来賓の送迎に用意されたものである。
 挟み撃ちにされるのを避けるように二人は上面に向かって昇った。互いに断らなくても細かな動作から意図を察し、組んだまま動くことができる。
 エンベロープの周囲を取り巻く小翼のそばを過ぎる。その先端が、番兵の突き付けるサーベルさながらに感じられた。
 回り込むと透明な上面が顔を出し、縁を取り巻く居住区や、エンベロープの底面に広がる緑色をした光合成プラントまで見下ろせた。
 雲の上だというのに眼下には直径一キロ以上、深さ百メートルに達する大皿が広がっている。全く異様な光景と言わねばなるまい。
 二人はジラソーラを中心に右旋回を始めた。あまり深くバンクすると見えづらくなるので、ひとまずゆっくりと。
 空戦を行う範囲はジラソーラと比べかなり広いのだが、その中心にジラソーラが居座っていることは意識せざるを得ない。
 かつてネオンは古尾氏との試合のために小牧に訪れた時、前日に充分下調べを行った。初めて戦場とする地形で不慣れであることの不利を少しでも減らす必要がある。
 さもなくば常にジラソーラの存在を気にかけて動きが鈍るか、知らぬ間に皿の上に追い込まれるだろう。
 花びらのような小翼の一枚が黄色に光っているのが見えた。そこに降りろ、ということのようだ。
 ワタルもそれに気付き、今は無視している。
 旋回半径を変え、方向や速度も時折変えて、何周も回る。四方八方から真っ直ぐに通り過ぎる。真上でターンしてみる。
 約束の時刻ぎりぎりまでジラソーラ自体がどう見えるか、ジラソーラの上から地上はどう見えるか、ためつすがめつ見つめ続けた。
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