デニムスカイ特別編 第八話
「Melancholies of Goddesses -Cooperative-」
 ジラソーラの夜はタワー内と違い、家々から漏れる光以外灯りらしい灯りがない。
 二人の宿舎からほんの数十秒歩いただけでミルドレッドは振り返り、「ここだよ!」と声を上げた。
 指差した先にはたくさんの花で囲まれ華やかな扉があった。一瞬、応接用の特別な施設なのかとネオンは思った。
 しかしよく見てみれば園芸品以外は全く普通の、外側を囲む民家の一つに過ぎなかった。
「あの、このおうちですか?」
「こっそりだから。敬語じゃなくていいよ」
 そう言ってミルドレッドは先に扉の中に入ってしまった。先程から彼女は「こっそり」と言っているもののそれ以上の説明はなく、なぜこっそりなのかが分からなかった。
 エネルギーを節約しているらしく、誰もいない部屋は薄暗かった。
 誘われるままに奥の階段を上がり、二階も通り過ぎて、屋上へ。
 暖色の光がまず目に飛び込んだ。
 ミルドレッドの上着に似た黄色の花々が盛り上がるように咲き誇って周囲を取り囲み、やや控えめな灯りを受け止めている。
 その中心から女性が嬌声を上げながら歩み寄ってきた。
「まあ、ようこそ!いらっしゃい!噂どおりとっても綺麗なお嬢さんとハンサムなお兄さんね!」
 もちろん翻訳アプリケーションを使っているが、英語の地声が大きくてそっちのほうが雄弁に感じられた。
「こ、こんばんは」
 ネオンの後ろでワタルが何も言わず頭だけ下げる気配があった。
 浅黒い肌をしたその女性はかまわずネオンとワタル両方の手を順に握って上下に振り回した。
「ごめんなさい、予算がなくて明後日のクリスマスパーティー以外のお祝い事が開けないの。それでこんなにささやかなパーティーになってしまって。でもお客さんを呼んでおいて歓迎会も開かないなんておかしいじゃない?」
 翻訳より大きな声のままでまくしたてる女性の後ろで、ミルドレッドがくすくす笑っていた。
「アニーがお上品な日本語使ってる」
「仕方ないじゃない、あなたみたいにあっという間にすらすら話せるようになんてなれないもの」
 確かに地声ではもっと砕けた口調であろうことはなんとなく感じ取れた。
「自己紹介がまだ済んでないよ、アニー。お二人も驚いてる」
 そう指摘したダニールも含めて、ここに集まったのは全員だった。
「あら、そうだったわね。失礼。私はここの住人のアニタよ。アニーって呼んでね」
「カブラギ・ネオンです。あの、アニーさんはフリヴァー開発チームでは」
 その質問はミルドレッドの爆笑に遮られてしまった。
「アニーさん、って!敬語だし!」
 笑っているのはミルドレッドだけだったが、ネオンも自分がつい口にした二人称の滑稽さに気付いて耳が真っ赤になった。
「どうしたのミリィ、彼女が何か言ったの?翻訳じゃ分からなかったわよ?」
「だから、「ミス・アニー」って」
 アニタも加わって笑い声が二つになった。
「そんな可笑しいのか?」
 後ろから耳打ちするワタルに説明するのは難しかったが、
「アメジさんを「ユカリちゃん様」って呼んじゃったみたいな感じです」
 伝わったようでワタルも吹き出した。

 ジラソーラは限られた空間であり、来賓全員が揃ったクリスマスパーティーに生産性を向けている今公式に歓迎会を開く余裕はないとのことであった。
「でも本番ではここで作られた合成食品が出るから、食材から作ったお料理が食べられるのは今日だけよ。あんまりたくさん用意できなかったけど」
 しかしアニタがそう言う料理はローストビーフを筆頭に小さめのテーブルをきっちり埋め尽くしていた。
「ありがとうございます。途中でお腹いっぱいになったらすみません。体調管理しないといけないので」
「あら、そう?流石アスリートね。残ったら包んであげるからまた明日食べるといいわ」
 アスリートという言葉に、ネオンは何かこそばゆい感じがした。パイロットのことを選手と言うことはあっても、自らの肉体を研ぎ澄まして武器とするイメージが加わることは今までなかった。地上とは、と言うより、フリヴァーの盛んな日本とは感覚が違うようだ。
 アニタ自慢の手料理はどこ風の味付けかよく分からない個性的な味わいだったが、香辛料の絶妙なバランスが舌に心地良かった。
 ワタルは黙ってフォークを進めている。しかしこの味が気に入ったかと喜ぶアニタにも適当に頷くばかりなので、ここの住人、特にミルドレッドに対してあまり心を開いていないのがネオンにだけ読み取れた。
 ここは自分が率先して話を進めようと、ネオンはジラソーラに対して気になったことを尋ねていくことにした。
「ここでの、空中での生活って、どんな感じですか?」
「敬語じゃなくていいってば」
 ミルドレッドが肉を飲み込みながら少しじれったそうに言った。
「えっとね、ここはアニーみたいに色んな友達がいっぱいいて楽しいしね。町はあんまり広くないけど窮屈じゃないし、気に入ってるよ。あと、私がここで普段設計してたのは合成のお菓子とかお弁当とかだから、どうしても必要っていうのじゃないけど、みんなすごく喜んでくれたよ」
「元々は食べ物が専門なん……、なの?」
「学生の頃は違ったけど。だから今はね、前と違っててちょっとドキドキする。ジラソーラに必要なことだし、誰もやったことないから」
 答えている間ずっとミルドレッドは笑顔だった。しかしネオンにとって最も気がかりな部分はその答えに出てきていなかった。
 常に真っ青な成層圏の空に囲まれて暮らせるなど高さ一キロ近いタワーに住んでいても羨ましく思えるほどなのに、ミルドレッドはジラソーラの内側のものにばかり触れた。
 地上で暮らすネオンは空が好きだ。成層圏で暮らすミルドレッドは、そうではないのだろうか。
「ジラソーラでフリヴァーの免許も取れるようになって、いつでも飛べたらどうする?」
「どうって?」
「ミリィは、自分でも飛ぶのかなって思って」
「飛ぶだけなら飛ぶかも。でも、自分で試合はしないかな。そっちはスケアクロウに任せる」
「そう」
 わずかな落胆を覚えるネオンにミルドレッドが聞き返した。
「自分で飛ぶのって楽しい?」
「え、うん。もちろん」
「どんな風に?」
「うん……、普通に飛んでるだけでも気持ちいい。あの雲は近付いたらどうなってるのかなとか、あっちの方はどのくらい紅葉したかなとか、すぐ行って確かめられるの。普段はそういうことはあんまりしないけど、そういう気ままなことができるのも、試合とか曲技が楽しいって思うのも、空中だと自分の操縦で自分のことを全部決めるからだと思う。飛ぶ前にも飛んでる間にも上手くいくように自分で考えて、それがいいのか駄目なのかすぐに分かるから」
 一気に語り終えて、食卓は一拍静まった。
 ネオンはこんなにまくしたててミルドレッドが呆れているのではないかと思ったが、ミルドレッドの水色の瞳はネオンを静かに捉えていた。
「そっか、全然考えたことなかった」
 ミルドレッドの上着は薄い紫色になっていた。どうしても聞いてほしいことが伝わっただろうか。
「スケアクロウを飛ばすときは、ちょっと不安だったから。ジラソーラはおっきくて安全なのに、スケアクロウはそこから飛び出していってどんどん小さくなっちゃうから。飛ぶのは怖いことかもしれないと思ってた」
 常に溢れんばかりだった自信が、今はミルドレッドから感じ取れない。
 そのことに最も驚いたのはダニールだったようだ。
「そうなのかい」
「ダニーこそ何とも思わないわけ?」
「別に誰かが乗ってるわけでもないし、安全策は充分じゃないか」
「そうだけど……、私が作ったものが飛んでっちゃうんだからさ」
「自信はあるんだろう」
 その一言でミルドレッドの上着は鮮やかな青に変わった。
「当たり前だよ、私が作ったんだもん。絶対上手くいくって信じてるよ。次はあんなことには……」
 先程言ったことと矛盾しているかもしれなかったが、ミルドレッドは力を込め、しかし途中で止めてしまった。
 最後、何について言おうとしたのかネオンには分からなかった。スケアクロウに関して何か失敗があったのか、もしくは別のことか。ミルドレッドとダニールの間には通じているようだった。
「明日の曲技」
 ワタルが口を開き、視線を集めた。
「ちゃんと準備してあるからな」
 ミルドレッドは何も言わず頷いた。

 翌日、二人が機体を身に付けて発着場に立つと、管制からタワーのときと変わらないサポートが届いた。改修はつつがなく完了したようだ。
 開口部をくぐり抜けて曲がった気流に突っ込んでも、何も気を張ることはなかった。
 ネオンがワタルの後ろに付き、まずはジラソーラを見下ろしながら周囲を一周。素早く入れ替わってもう一周。空戦時と同じ速度で見ると案外小さい。
 隊列を崩さず真上でループ、最下点で反転して逆ループに入り、下に潜り込む。ジラソーラからの距離を測って、大きく回る。
 一旦ワタルと別れてターン。
 安定のためにジラソーラは小翼から絶えず気流を発生させている。ネオンは小翼の様子を見てその気流が読み取れるようになりつつあった。
 横転、小翼の先端に背を向けて通過する。わずかに浮き上がりバンクを深めると、軌道は乱れることなく続いた。
 反対側の、同じように乱流を回避して離れていくワタルとぴったり対称。
 すっかり通り過ぎてから振り返る。ワタルだけ大きく回り込み、ネオンに対して直角の位置へ。
 スモークを曳いてエンベロープの中心へ。ほんの少し低くワタルも突っ込んできた。
 加速してどんどん近付く。
 次第にスモークを減らしていく。
 ワタルが潜り込んでくる瞬間、スモークを噴射。
 観客からは衝突し破裂したように見えたことだろう。
 高速でジラソーラの周囲を飛び回ることで、距離感覚は完璧になっていた。
 一旦離れて配置を組み直してから技を放つ動作を、さらに何度も繰り返す。これによってジラソーラに接近した状態と間を置いた状態との間の移り変わりも覚えていった。
 最後に、技全体がジラソーラからよく見える位置へ。
 ワタルはネオンの正面で上昇率を最大にして離れていく。
 ネオンは頭を上げると同時にスモークオン。やや縦長のループを描いていく。
 頂点の手前で三百六十度横転、スモークの楕円が凹む。
 ハートを描ききったところで、ワタルがこちらを向いて頭を下げた。
 フルダイブ、スモークを連続で操作。
 黒いアクイーラは矢となってハートを射抜いた。

 離陸と同様着陸もタワーと全く同じにできるよう改修されて、スケアクロウ用の緩衝ひもにからめ取られることももちろんなかった。
 発着場はジラソーラの住民だけでなく来賓にも取り囲まれ、拍手と歓声に包まれていた。ダニール達フリヴァー開発チームは無事に離着陸が済んでほっと胸をなで下ろす。
 その中でミルドレッドが目立ったのは、服装が派手だからというよりむしろその逆だった。
 上着が夕べ見た青い色になっていた。
 ネオンが機体を畳んで近付いていってもミルドレッドは何も言わず、両手を胸の前に引きつけてただ立っていた。
「どうしたの?」
「あっ、私、やることができたから、ごめん」
 上ずった声でそう言うなり、ミルドレッドは人ごみをかき分けて足早に去っていってしまった。
「ネオン、俺達もすぐ試合の準備にかかったほうが良さそうだぞ」
 ワタルが肩に手を置いて声をかけてきた。
「あの様子だとスケアクロウを強化しに行くつもりかもしれない」

 さらに翌日、クリスマスイブ当日の朝十時半。
 二人は隊列を組んで一度ジラソーラから離れ、その後でスケアクロウ三機が同じ発着場から飛び立った。相変わらず管制には映っていない。
 「防衛者」の役割を演じるスケアクロウ三機はそのままジラソーラの上に留まり、見えなくなるまで離れた二人が挑みかかることになっている。
 上昇しながら西南西へ。地表は一面の雲海に覆われ、視界は青と白に分かれている。ときたまタワーが頭を出している。
 目印に定めた八王子のタワーに近付いたところで準備ができたと見なされ、試合が開始した。
 タワーを見下ろしてUターン。
 南東に回り込みながら進むとすぐにジラソーラが見えた。
 スケアクロウはその真上、こちらと同じ高度まで達して左回りの円陣を組んでいた。
 全方位に目を光らせている。編隊を崩せなければ数で劣るこちらが不利だ。
 こちらに尻を向けつつある一機をネオンが狙う。癖のない正確な旋回は予測もたやすい。
 しかし、二人が遠距離狙撃を行ったログもスケアクロウは見ている。当然警戒して回避してくるだろう。
 承知の上で、ネオンは撃った。
 相手は内側に跳ねる。
 ネオンの弾を間一髪でかわし、
 頭に、ワタルの弾が突き刺さった。
 ほとんどの場合はそもそも一発狙撃したら避けさせない。そして回避された後に続けて団体戦を行ったこともない。
 空中での認識が一つに溶け合うまでになった二人による、時間差狙撃。これは全く真新しい戦法だ。
 スケアクロウがどちらに避けるかワタルは読み切った。それをスケアクロウは読み返せなかったのだ。
 残った二機が組み変わる。
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