デニムスカイ特別編 第二話
「Artificial Intelligence Bomb -NPC-」
 練習試合は一週間も経たないうちに素早く行われることになった。
 調布のタワーの上から、ワタルは羊雲の群れを見下ろして相手の飛来を待つ。
 結局先方のお言葉に甘えて場所は調布に決まった。相手に譲ろうとしたところで空中都市ジラソーラに最寄りの飛行場どころか、調布とジラソーラの中間の位置にある飛行場さえ定まらないのだ。
 先約が入った調布飛行場に近付くのは見物人だけで、無関係な挑戦者が来ることはない。
 管制は凪いでいた。
 確かに、凪いでいたはずなのだ。
 だからワタルでさえ、アクイーラを背負ったまま、飛行場の中心にいるネオンと日下氏とユカリに自分の感覚を確認してみなくてはならなかった。
「来たんじゃないか?」
「何だって、しかし」
「いえ、その……、私も、来たかも、と」
 普段は管制もワタルとネオンの察知能力を支えている。
 二人にとって大気から得たものと管制情報が噛み合わないのは、見えないのに手に取れて匂いもする菓子のようなものだ。
 口にすることはできるのか。
「そろそろ、そちらに着くようです。準備をお願いします」
 映像で話していた男の声で通話が入った。
 差し出した本人からは、どうぞと声がかかったわけだ。
「だ、そうだが」
「じゃあ、始める」
 ワタルはアクイーラの翼を広げ、タワーを蹴った。
 どの道試合が始まれば相手の管制情報は制限されるのだ。
 実際、高機動許可空域に入ってすぐに試合が始まった。相手も近くにいて準備が出来ている証拠だ。
 ワタルは素直に中心に進まず、飛行場の縁に重なる円を左向きに描きながら上昇した。
 管制に現れないことと記録が残っていないことは、おそらく同じ一つの原因によるだろう。
 普通なら試合開始前に相手が見えていなくても、管制情報で方角や動作、意図を読み取れる。
 無論、試合に入って相手の情報が消えれば、その後の展開はいくつも考えられる。最初に相手がいた方角に気を取られてわずかなヒントを逃すわけにはいかない。
 今回は、いくつもどころか無数の危険性が潜んでいる。
 ワタルはなるべく雲に接近し、また自分の視界は確保できる軌道を保った。
 見当ならワタルには付いていた。
 かすかな風切り音、雲の乱れ。
 相手は真左、旋回の内側だ。
 上手いのではないかという気がした。
 まだ気配に留まり、はっきりしたことは何も分からない。だがその気配の位置取りや澱みのなさはかなり良いものだった。
 深く内側にバンク、
 機影が瞼の縁から出てきた。
 芥子粒ほどの相手は向かって左に回り込みつつある。
 まだ視認されてはいない。とはいえ相手の動作は的確だ。タワーからワタルがどう進むか、上手く予測している。
 おかげで狙撃は使えない。今無理に撃っても相手には回避は容易い。
 ワタルはさらに踏み込む。
 芥子粒が胡麻粒まで膨らむ。
 朧気な輪郭は、見たこともないほどシンプル。
 相手が視野の中央に向かってずれ込み、
 すぐに止まった。
 気付いて旋回を合わせてきた。
 ほとんど垂直に傾く。最大旋回率。
 相手は留まったまま大きくなる。
 技術に目立つ差はないことが分かった。それに、性能にも。移動用の機体と見紛うような姿にそぐわない。
 何の飾り気もないテーパー翼、陽気な黄色の彩色、かえって冒涜的でさえある。
 背中を向け合って二機は旋回を続ける。
 何か、この相手は違う。
 存在感が今までと異なる。
 飛び方の細部から感情まで読み取れるつもりでいたが、この相手は何かちぐはぐな感じでそれができない。外国人のパイロットだからだろうか。
 ワタルのほうは楽しんでいるが。
 相手が雲に飛び込む。
 回り続けるか落ちるか。二択を外せば食われる。
 雲の端がわずかに渦巻いている。
 加速して翼端から残ったのだ。
 落下、雲の下へ。
 同じ向きの相手が真横に現れる。
 もっと早く気付けば脇腹に迫れたはずだ。やはり動きに表情が乏しいせいか。
 ワタルは歯噛みしながら口角を上げた。
 相手の背中が迫る。
 今度は即時に返した。
 軌道が交差し、どちらもせり出されない。
 止まらず反転。相手も同時に。
 そのままバレルロール、軌跡は噛み合ったまま。
 間近で見るとますますこの相手の異常さが分かる。
 いくらワタルが身を揺さぶっても全く同時に合わせてくる。
 ワタルも同じように合わせてやろうと、昂ぶるものを感じる。
 反転、横転、
 また横転、
 反転。
 応酬は続く。
 二機は絡まりながらうねり続け、無駄弾さえ撃てずににらみ合う。
 相手がミスをするまでミスせずにいられるか、
 違う。
 先に間違うのは自分だ。
 あるいは、すでに間違った道を進んでいる。
 相手の冷静さは底が知れない。意図を読もうとしてもそんなものはないかのように。
 初めて撃ってきた。
 横転して回避、
 そこが、行き止まりだった。
 二撃目が命中。

 勝利した上に客だというのに相手は着陸の順序をワタルに譲った。
 降下してくるワタルの姿からネオンが読み取ったのは、必ずしも敗北の痛みだけではなかった。確かに悔しそうではある上で、せかせかと着地を急ぐワタルは嬉しそうにも見えた。
 その訳はネオンにもよく分かった。得体の知れない相手を目前にしてネオンの胸も高鳴っている。あのワタルを打ち取った恨めしい仇敵は何者だ。早く知りたい。が、ログを見るのはワタルと相手が降りてきてからにしよう。
 だから、着地したワタルが顔を上げてその凶暴な笑みを見せたとき、一緒に目に入った相手の姿がひどく粗暴に突き刺さってきたのだ。
 上気してアクイーラを肩から降ろすワタルはまずネオンの眉間の皺を不思議そうに見た。自分が負けたからといってそこまで単純に悲しむネオンでもあるまいと分かっているようだ。
 ネオンには、ワタルにそれを伝えることができない。しかしワタルはネオンの視線の先に振り返ってしまった。
 黄色い真っ直ぐな翼が、空戦中と何も変わらない正確さでワタルの背後に着地していた。
 それは上体を起こして直立し、そのまま機体を外さなかった。外すのは不可能だっただろう。
 風防の下にある卵型の物体には受光部分らしき黒い円が二つ並んでいた。表情を作る機構はない。役割を終えてもう何も見ていないらしい。
 パイロットを模したロボットと一体化した、無人フリヴァーだった。
 ワタルの顔面から瞬時に色が失われ、畳まれたアクイーラを持つ手に体重がかかった。倒れるのではと思ってネオンは背中に手を沿えた。
 不意に二人の後ろから甲高い声が響いた。
「やったあ!ほら、心配することなかったじゃん」
 立体映像に映っているのは、挑戦状の中で不機嫌そうにしていた白人の少女だった。中央で話していた男性も後ろに見える。
 二人はその少女の満面の笑みに向き合った。
 左右で縦に巻いた金髪といい服や靴下といい、派手さは変わらなかった。背負っているピンク色の小さなリュックサックから兎の耳が立っている。
 今度はブレザーの色は赤だった。
 そう思ったが、彼女が落ち着くのにつられるようにブレザーの色が緑に変わっていった。とても自然な変化で、非常に精巧にできていることがうかがえた。
 水色の瞳は無邪気な上、髪や服装以上に主張が強そうな印象を与える目つきだった。
「えーっと、ヒムカイ選手とカブラギ選手。日下さんと、ナドウモビリティのアメジ選手、かな?挨拶が遅れてごめんなさい、この前のでこいつがリーダーだって勘違いさせちゃったでしょ。こいつは助手のダニール」
 そう言いながらすらりと長い指で後ろを指す。砕けた口調は明らかに翻訳アプリケーションを通していなかった。
「で、私はミルドレッド・トムキンス。私がジラソーラのフリヴァー開発チームのリーダーだよ」
「なっ」
 声を漏らしたのは日下氏とユカリだけで、ワタルとネオンは映像を睨み続けている。
「私が作ったのはねー、操縦システムの部分だよ。「スケアクロウ」っていうの」
「スケア……?」
 ようやく口を開いたワタルに日下氏が答えた。
「案山子だね。昔、鳥を脅して追い払うために農場に立てた等身大の簡素な人形のことさ」
「テストパイロットにとっては縁起でもない名前ね。それがあればジラソーラでもテスト飛行ができるもの。パイロットがいなくても」
 ユカリが口を挟む。追い払われる鳥とは、つまりテストパイロットのことではないか。
 ミルドレッドは自信たっぷりに肯定する。
「うん、だから人口が限られてる私達には絶対必要だったの。そこを私が任されたの。本番で勝ったらね、ジラソーラ以外の世界中のメーカーの人にも使ってもらえるようにするんだ」
「なるほど、より高度な試験飛行をより安全に行う手段というわけだ」
 日下氏の補足にミルドレッドは頷いた。
「なぜそこまで深くフリヴァーのことに関わろうと思ったのかしら。あなたはパイロットじゃないし、ジラソーラは成層圏に留まってて、人間が周りを飛ぶ余地なんてないんじゃない」
 ユカリの質問にミルドレッドが答える前に、助手のダニールが前に出て割り込んだ。
「これまではそうでした。しかしジラソーラが自立して活動できることの確認が完了しつつある今、同じ空にあるものとしてフリヴァーパイロットの皆様と共に協力しべっ」
 ダニールの口に渦巻きキャンディが突っ込まれた。ミルドレッドがリュックから取り出したものだ。
「それはみんなの理由でしょ?アメジ選手が聞いてるのは私の理由なんじゃないの」
 そう言っている間はブレザーが橙に見えた。前回の映像での色に近い。
「こいつが言ったのは、何ていうか、私にとっては建前かな。私は技術者として当然の挑戦だと思ってこれをやってるの。昔、ボードゲームの名人に計算機が勝ったみたいにね」
 ごく自然な調子でそう語った後、ミルドレッドの視線はネオンに向いた。
「カブラギ選手、一目で分かった」
 ネオンの白い髪や肌、赤い瞳のことである。ミルドレッドは誉めているつもりのようだ。
「あなたもヒムカイ選手と並んで一位だったよね。あなたの整理してるフライトログ、すごく参考にさせてもらってるよ」
「質問しても、いいですか」
「ん?いいよ」
 ネオンは相手について知りたいと思うことを忘れていなかった。
「どうやってヒムカイさんに勝ったのか……、つまり、そのスケアクロウがどうやって戦ってるのか、ですけど」
「あっ、それちゃんと話すの忘れてた!うん、簡単なことだよ。公開されてるログのデータベースに接続して、その中から検索したり組み合わせたりして、その場で一番いい手を割り出してるの」
 それを聞いてネオンはワタルの背中から手を離し、アクイーラを掴んだ。そうしないと自分がワタルに支えてもらうことになってしまうからだ。
 参考にしているとはそういうことなのか。
 ミルドレッドはネオンの様子にかまわずワタルと日下氏に話を続けた。
「じゃあ一週間待つから、本番にも出てくれるか決めといてよ。注文とかあったらそのときまとめて聞くね」
 じゃあまた、と言って笑顔のまミルドレッドは一方的に通話を終了した。
 ほどなくしてスケアクロウも動き出し、いずこかへと飛び立っていった。
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