デニムスカイ特別編 第三話
「UNTITLED -Emulator-」
 明けて土曜日。
 冷たい雲が朝から調布周辺に垂れ込めていた。その中には、全部で十四機のフリヴァーが潜り込んでいる。
 飛行場の八方をばらばらに取り囲み、目指す標的は同じであった。
 中心に向かって真っ直ぐ突っ込む者から、雲から出ないようジグザグに忍び寄ろうとする者、旋回半径を変えず様子を見る者まで、統率は取っていない。
 その全てを、ワタルは雲の上面すれすれで待ち受ける。風防には挑戦者達の光点が映り、示されたとおりの位置で雲がかすかに揺らいでいる。
 まとめて試合に入り、光点が一斉に消える。
 輪を描きながら不規則に連射。
 時計回りに光が戻った。
 多少雲があったくらいではワタルからは隠れられない。無敗が崩れた今ならもしや、という期待さえワタルには伝わってしまうのだから。
 それがスケアクロウに対しては、あのような結果に終わった。
 確かに管制には映っていなかった。しかし、射撃ができなかったとはいえそれはワタルにとって決定打ではなかった。
 間近で見ていたのに違和感に捕らわれて目測が遅れ、スケアクロウの間合いに入ってしまった。
 最初に思ったとおり、相手が冷静なために動きが読みづらいのだったらまだ良かった。スケアクロウはいくら格闘を続けても根本的に集中を切らすことがない。
 これでは空しい独り相撲を取らされたようなものだ。
 今度は一機で、また迫ってきた。
 再び落ち着いて処理する。
 ワタルの実力が衰えたわけではない。それをワタルが敗北したとの報せから読み取れない者は、手応えも与えられずひねられるばかりだ。

 カフェの内側にいたネオンはその様子を直接見ず、かといって机の上のログも開くだけ開いて読み解こうとしていなかった。
 軒下にいた日下氏がワタルを出迎えている。ネオンは慌ててログを閉じて椅子から立ち上がり、二人に歩み寄った。
「協会に報告はしたかね」
「ああ、俺が試合する分には問題ないらしい。ジラソーラ自体の話は協会も把握してたしな」
 スケアクロウの件は本来ワタルにとって顧客である日下航空工房ではなく、ワタルの所属する日本フリヴァー協会を通すべきものである。
「ふむ。ではやはり本番も」
「受けるよ」
 ワタルは力を込めずに答えると、軒先に出たネオンに振り返った。
「ネオン。あのログのまとめ、ありがとな。頭痛はもういいのか?」
「あ、はい」
「頭痛?どうかしたのかい」
 聞かれたのはワタルだったが答えるのに一瞬ためらって、ネオンが先に説明を始めた。
「協会に報告するのに使うログのまとめを手伝ったんですけど、やっぱり普通のパイロットと何か違ってて」
「試合してる間も違和感がひどかったけど、ログを見てるだけでも調子が悪くなるくらいだったんだ。ネオンくらいログの読み取りが上手けりゃ、な」
 ワタルの声色は重い。
 昨日もワタルは頭痛を起こしたネオンに何度も謝った。先程まで再びスケアクロウとの試合のログを開いていたとは、ワタルに言えなかった。
「ふうむ、「烏を脅かす者」か」
「何だそれ」
「スケアクロウ(scare-crow)を字義どおりに訳すとそうなるのさ」
 すると、何と狙いすました命名だろうか。確かに「月追い烏」であるワタルはスケアクロウの存在に脅かされているようだ。
 しかしネオンは言い放った。
「ヒムカイさんはクロウじゃないです。レイヴンです」
 それが単なる揚げ足取りでないことは充分汲み取ってもらえた。
「そうさ。賢い鴉ならあんなものに追い払われはしない。次こそそれを示してくれるだろう?」
「ああ、もちろん」
 ワタルはそう答えたものの、やはり声に力が戻ることはなかった。
 日下氏はテーブルの茶を飲み干して立ち上がった。
「追い払われないと信じている上で言うのだけれどね、もしスケアクロウのようなものが手に入るなら迷わず使わせてもらうよ」
「それは当然だな」
 本当に当然のようにそう言うので、ネオンは視線で説明を求めた
「ああ、その方が試験飛行の数が増やせるからな」
「それでも、ヒムカイさんの役目ってちゃんとありますよね」
 ワタルはまた答えを詰まらせ、日下氏が代わった。
「もちろん。空戦を嗜むパイロット達の金字塔であるヒムカイ君が研ぎ澄ました翼だからこそ、レイヴンやアクイーラの好評があるのさ」
「じゃあ、次の結果次第では……」
 日下氏は首を横に振りながら口を歪めると、最後にネオンに一言耳打ちした。
「今夜八時に相談しよう」
 ワタルには聞き取れなかったらしい。
 その内容を問い正してくる間もなく、次の挑戦者が来ていた。

 夕飯も済んで約束の時間。
 ベッドと分子プリンターしかないネオンの部屋は、ログや順位のツリーだけでなく多人数で通話するときの相手の映像を映すのにも都合が良かった。
 向かって左に日下氏、右にはユカリが椅子に座った姿勢で現れた。
 日下氏は普段と変わらず微笑で感情を隠しているように見えたが、ユカリは不安を露わにしていた。
「お二人とも、ご協力感謝するよ。本当なら我々があれやこれやと心配してやることもないのかもしれないんだけれどね」
「いえ、ワタル君もですけど私はネオンちゃんのことのほうが心配で」
「私?」
 頭痛のことも特に知らせていないので、ネオンには心当たりがなかった。
「せっかくネオンちゃんが頑張ってまとめたログが変な風に使われちゃって」
「ああ、そのことなら……、公開してあるものですし。改竄とか悪意のある書き込みさえしなければ使い方は自由ですから」
「そう?ホントに大丈夫?」
 実のところそう考えることで納得しようとしているのであり、自分達の成果物がパイロットの立場を揺るがすのに使われることについて完全に整理がついているとは言えなかった。
 だから、こう返して気持ちをそこから逸らすことになる。
「アメジさんと刈安さんのほうが大変じゃないですか」
「そうなのよね。ワタル君が負けちゃうくらいだから私達なんか全然よね。仕事取られちゃってもおかしくないわ」
 ユカリはため息をつく。
「古尾さんからも色々聞かれたし、どこのメーカーのパイロットにとっても寝耳に水って感じよ」
「では、テストパイロット諸君はああいった物が現れないよう祈るしかなかったのかな」
 日下氏の言葉は責めるようにも聞こえ、ユカリは言葉を詰まらせてしまった。
 スケアクロウの登場はテストパイロットにとっては脅威だが、メーカーにとってはむしろ優れた道具が手に入るかもしれないという朗報でもあるだろう。
 実際、ネオンは日下氏がそのように言ったのを聞いた。ユカリを雇っているナドウモビリティもまた同じように考えかねない。
「需要は確かにある。それにあのミルドレッド・トムキンス嬢が当たり前の挑戦と言ったとおり、技術的にはそれほど突飛でもない。今までだって無人機はあったからね」
「遅かれ早かれ、誰かが作ってしまいますよね」
「僕はそう思う」
 メーカーはスケアクロウを欲しがり、テストパイロットはスケアクロウを恐れる。
 この間に隠された道を見つけなければ、例えワタルがスケアクロウを打ち破っても解決ではない。
 そもそもジラソーラの人々にとってはスケアクロウは全くの無害だ。ならば、
「スケアクロウが存在すること自体が悪いわけじゃ、ないんじゃないでしょうか」
 二人の視線は同時にネオンを向いた。
「つまり、その……、ジラソーラの人達のものを押し付けられるだけだったら良くないですけど」
 ネオンは一旦言葉を選んだ。
「変な言い方ですけど……、スケアクロウを、奪っちゃえば」
「なるほど、君が一番冷静にスケアクロウを見ているようだ」
 日下氏が両手を打つが、ユカリにはまだ分からない。
「つまり、スケアクロウの登場がフリヴァー開発の上ではプラスになるのは僕も認めるところだが、ただ向こうの思いどおりの使い方をしているだけではテストパイロットの地位を脅かすものになり、我々の作った文化を壊してしまう。そうではなく、こちらで自由に使えるようにして、我々の中に飲み込んで取り入れてしまおうと。そういうことだね」
 自分ではまとまらなかったその考えにネオンは首肯した。ユカリも納得している様子。
「奪うっていうのは、こっちの自由に使わせてもらえるようにしようっていうことね」
「オープンリソース化させれば良さそうだね。我々の判断で手を加えてしまえるように。何か注文があったらどうぞと言ってきているんだ、試しに甘えさせていただいてみようか」
 ユカリも小刻みに頷いている。先程まで断裂があったように見えた日下氏とユカリが合意に向かっている。
「で、だ。この話も来週の打ち合わせで正式に議題とするわけだから、細かい部分は今我々だけで決めることはできない。それはそれとして本題に戻ろうか」
「ワタル君が勝たないと、今の話も結局駄目なんですよね」
「ああ、我々は所詮外野さ」
 再びユカリ、そしてネオンも俯いた。ワタルがすっかり意気を削がれ、次の試合に積極的に向き合える状態にないのは誰の目にも明らかだった。
「実はヒムカイ君を焚き付ける方法はもう考えてあるんだ」
 日下氏は人差し指を立て、ネオンの方に振った。指先から黄色い金平糖のような立体画像が飛び、ネオンの額に当たって消えた。何かのメモが入ったデータだった。
 手の上で開くと、調布のタワー内のある位置が記されていた。一人暮らしの小さな家が多い区画だ。
「幸い、この秋の長雨で明日は部屋にこもっている可能性が非常に高い」
「え、これ、って」
 察したユカリが頬を弛め切っている。
「君一人で押しかけられたら逆らえまいよ」

 それから時刻は九時間後、日も出ない早朝。ネオンはまだ布団の中にいる。
 太平洋の対岸ではまだ前日の昼過ぎとなる。南米大陸の西、赤道の南側にあるのが独特な生物群で知られるガラパゴス諸島だ。
 その近海にごく薄い影が落ちた。雲ではない。
 どの島からでも見上げたら円盤状の輪郭が分かったはずだ。周囲が花びらに似た小翼に囲まれていることや、縁の居住区以外はわずかに透明なこともなんとか視認できただろう。人工的すぎてこの島の観光客にとっては気分を損なうかもしれない。
 二十キロメートル上空を、空中都市ジラソーラが音も無く横切りつつあった。

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