デニムスカイ第三十九話
「Close To The Edge(i)The Solid Time Of Change -Curse-」
 一週間半。
 鱗雲の群れが静岡に向かうワタルの正面から押し寄せていた。夏も終わりに近い。
 気流は穏やかではないが、アクイーラは大気を貫いて直進し続ける。垂直尾翼がないとは思えないほど落ち着いていた。
 もちろん安定性だけではない。
 準備運動のつもりで左横転、すぐ背面になり止まる。
 何度となく確認はしているが、とても忠実だ。
 そのまま落ちながらゆっくり横転、正立してまた跳ね上がる。
 イメージしたままの鋭い反応は、もはやアクイーラを自分の身体そのものとしか思わせない。
 制限を受けた両肩の模擬銃だけがノイズだ。
 日下氏からの通話。
「試射を兼ねてドローンディスクが三枚出迎える手筈だよ。撃ってくるから、うっかり門前払い、ということにならないようにね」
「まさか」
 ワタルはそう答えるが、警戒を怠ってはいない。練習用のディスク相手にも気を抜かないという意味だ。
 雲は早瀬のように眼下を流れ、目的地までの距離はみるみる縮まっていく。巡航速度もレイヴンより一段速く、テレポーター並だ。
 そろそろ飛行場が見えてくるかという頃。
「ところで、試合が始まる前にちょっと」
 再び通話を始めた日下氏が発したのは、ワタルの全く思ってもみない一言だった。
「君の目の色の原因について、小耳に挟んでね。まあつまらないことなんだが」
「何っ?」
 普通に返事したつもりだったがつい力がこもった。
「おや、目の色を変えて食いついた、なんてね。見えないけれど」
「そういうのはいいから!」
「まあまあ」
 日下氏はゆったりした口調を崩さず続ける。
「母親の胎内で医療用の血中ナノマシンが悪戯を起こした結果にすぎないらしいよ。つい最近までそういう現象が知られていなかったそうでね」
 その内容をワタルが受け止めるのに、一瞬かかった。
「本当に、」
「それだけのこと、だそうだ」
 淡々とそう言う。
 濃紺の瞳が他人どころか両親との間にさえも壁を作り、ワタルはその色を悟られないために全身に黒だけをまとうことになり、自分の過剰な能力の源ではないかと疑ってもいた。
 その原因を、いかにも気軽な豆知識のようにあっけなく。
 もし本当にそのとおりならワタル自身は何ら特異な存在ではなく、能力も後天的な鍛練の成果に過ぎない可能性が高くなる。
 そうだとしたらやはりネオンもいずれ……、
 それ以上掘り下げている暇はなかった。
 歓迎が始まりつつある。地平線に小さく、三枚全て見える。編隊を組んでいるが単純に向かってきた。
 普段なら撃てるところまで接近。届きはしないだろうが、きちんと狙って撃つ。
 風防の中、弾道の表示は四分の三の距離を残して途切れた。
 なるほど、これなら古尾氏と対等かもしれない。ワタルは納得するが、こんなものは二度と使いたくないとも同時に思った。ネオン相手に自分から加減するのと、窮屈なハンデを強制されるのでは話が別だ。
 一息に距離を詰める。
 射撃、右クイックロール。
 中央に命中、敵弾をかわす。
 残り二枚は左右に散開。
 ワタルは確認してバレルロール、連射を二回混ぜる。
 左右とも一度に撃墜、雑魚は片付いた。
 最小限の動作を素早くこなしてくれる、アクイーラは非常に鋭利な翼だ。制限された射程もすでに掴んでいた。
 飛行場の中央に向き直ると、他のディスクがちらりと見えた。
 大きく上昇し、すぐ下降に転じて見えなくなった。古尾氏の迎えだろうか。

 同時刻。
 毎週と変わらず北西に向かって飛び立ちながら、ネオンはやはり内心不満を抱えていた。
 新型機公開イベントはあくまで関係者や報道に向けたもので、一般の見学は認められていない。
 「見えない大会」のためにログを管理しているネオンでも見学の許可は得られず、同様に締め出されたユカリといつもどおり練習することになったのだ。
 祭のときに別の場所にいるというのは、何ともやり切れない気持ちになる。今ここにいていいのかと絶えず惜しんでいなければならない。雲の隙間から見える草の色はもう盛夏の勢いを失っていて、余計に寂寥を煽ってきた。
 おまけに、明らかに不自然なものが管制情報に映っていた。
 ネオンの遥か後方、視界の外から三機ついて来る。
 機種を見ればレイヴンの後ろにタランテラDとテレポーターという不揃いな編隊だった。
 仲良く連れ立ち出かける三羽、という風にはとても見えない。
 何か行動を起こそうと進む最中に違いない。しかもその向きはネオンと同じ所沢の方角だ。関わり合いにならずには済まないだろう。
 半分の道のりを進んだ頃、先頭のレイヴンを現す光点が輝きを強めた。
「久しぶりだね」
 管制の通話。
 その少年じみた声音は、一年近く前に聞いたきりのものだ。
「鬼塚……、さん」
「後ろの二人のことも覚えてるだろ?」
 残りの光点が強く光る。
「お久しぶり」
「よお、カブラギい」
 丹羽青児と、機体を変えた出黒沢銀。
 ネオンはわずかに頭を下げて加速、所沢へ急ごうとした。
「あっ、そんな慌てなくていいよ!僕らはただ君達と試合したいだけなんだから」
「嘘」
「やっぱ俺ら信用ねえなあ、ウチのバカ連中みてえに煙幕ブチ撒けたりしねえって」
「あの時のことは本当にすまなかったと思っているよ。だからどうか、安心して手合せしてもらうわけにいかないかな」
 丹羽の口から彼らのファンの行いについて初めて聞けた。
 そのことがネオンの疑いを鈍らせた。ただ速度は落とさない。
「本当ですか?」
「ああ」
「三人っていうことは、アメジさん達にも相手してほしいってことですよね」
「うん。残り一人は刈安さんか小松田さんかな?飛行場にももうつないであるから、聞いてみよっか」
 鬼塚がそうするまでもなく、ユカリが割り込んだ。
「ネオンちゃん、大丈夫!?」
「えっ?あ、はい、でもそんな別に」
 ユカリは有無を言わさず遮る。
「捕まらないように急いで調布に戻って!絶対何か企んでるんだから!」
「えっ、でも」
「話ぐらい最初から聞かされてたわよ!」
 普段のユカリからは想像もつかない上ずった声を上げる。警戒すべきなのは分かるが、ユカリがそこまで慌てる理由が見えてこない。
「落ち着いてください、何もそこまで」
「そうだよ」
 鬼塚が割り返す。
「ひどいじゃない、弟が久しぶりに会いにきたっていうのにさ」
 唐突に入り込んだ一言。
 ネオンの認識と全く噛み合わない。誰が誰の弟だと言っているのか。
 すぐには理解できなかった。
「えっ……、弟って、その」
「あれっ、カブラギさんは知らなかったの?」
 鬼塚はさも当然のように言う。
「え、だって、苗字が」
「姉さんが勝手に母方の苗字を名乗ってるんだよ。今どき珍しくないだろ」
「そんな、」
 全く、急には信じられない。しかしユカリが黙ってしまったことが鬼塚の言葉を補強していて、否定する材料をいくら探してももう見つからない。
「ところで、姉さん」
 鬼塚はなおも続ける。
「どうして横浜にいた頃のログをみんな非公開にしてるの?」
「だっ、黙りなさい、アロウ!聞いちゃ駄目よネオンちゃん!すぐ帰って!」
 ユカリは鬼塚を下の名前で呼んだ。
 横浜にいた頃、という一言がネオンにある人を思い起こさせ、
「やっぱり、毎朝ワタルと一緒に部屋から出てたくさん試合してたのがばれちゃうから?」
 すぐに、その名を出された。
 そしてその言葉こそ、ネオンには受け入れることのできないものだった。
「今、今……、何て」
 滑らかな飛行なのに唇が勝手に震える。
 降着装置に包まれているはずの指先が妙に冷える。
「おいっ、どういうことだ、そりゃあ!」
「っ、馬鹿!」
 小松田が叫び、ユカリが怒鳴りつける。
 鬼塚は声の調子を変えず小松田に答えた。
「だから、姉さんとワタルが前一緒に住んでたってことだよ。ワタルをあんなに強くしちゃったのも、姉さんだよ」
 所沢飛行場に到着。
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