デニムスカイ第四十話
「Close To The Edge(ii)Total Mass Retain -Violent Mode-」
 鬼塚の後には誰も一言も発さないまま、ネオンは所沢飛行場の中心にある博物館に近付いていく。
 エントランス前に、菫色の飛行服を着たユカリが立っているのがごく小さく見えた。傍には黄緑の小松田しかいない。えとりは博物館の中だろう。
 ネオンは一度息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
 そうやって、今自分のすべきことを整理してから、地表の二人に向けて呼びかけた。
「早く始めましょう。時間がもったいないです」
 声の調子が全く穏やかなことに自分でも静かに驚いていた。それは表層的なものではなく、頭の中は不思議に平静そのものだった。試合を始める前に相手が近付きすぎてしまわないかのほうが気になる。
 博物館を過ぎて姿が見えなくなったユカリが、息だけの笑いを漏らした。
「やっぱりまだ子供ね、アロウ」
 急に先程までの取り乱した声ではなくなり、普段の泰然とした雰囲気に近い。しかし、どこか作られたような傲岸さがあった。
「どういう意味?」
「女の子の気持ちが全然分かってない、ってことよ」
 ネオンは左旋回で博物館を周回する。
 ユカリは続けて、ネオンにも聞こえるように小松田に言った。
「行きましょ、小松田君。えとりちゃんにかっこいいところ見せるチャンスよ?」
「は!?……あ、いや、そりゃやりますけどね」
 このやり取りはいつもと大差なく聞こえる。
「カブラギ、お前は大丈夫なのかよ」
「いいからやりましょう。断って帰すのはよくないです」
 小松田の気遣いが今はじれったい。

 レイヴンとシルフィードが最大上昇率で昇ってくる間、鬼塚達は右折して距離を保ち待機した。
 ネオンと二人が合流、ユカリは右、小松田は左についてくる。
 自動的に試合が開始、管制が鬼塚達を示す光点が風防から消えた。
 その直前の動作を、ネオンは見逃さなかった。
 編隊を整えるのにことさら注力しなくても、二人が上手く合わせてくれる。そうネオンは感じていたが小松田は「いいな、合わせやすいぜ」と言う。
 むしろユカリのほうが位置を定めるのに時間がかかっていた。小松田がチームでの曲技に慣れているからだろうか。
 ともかく、三人で初めて編隊を組むにも手こずらずに済んだ。
 南西に向けてターン、形が崩れない。ネオンは安心して加速できた。
「そっちでいいのね?」
「はい」
「マジかよ、あいつらが進んでたのと反対だぞ」
「消える前に一瞬だけ、テレポーターが他の二機から離れました。不意討ちを狙った準備動作です」
 そう言った直後、
 ネオンは左急横転。
 真上を仮想弾が抜ける。同時に二人に知らせる。
「十一時方向、二機!」
 横殴りに襲いかかってきた出黒沢とネオンが向き合う。
 ユカリは右にターン、小松田も続く。
 かなり遠くに鬼塚と丹羽が見える。
 四機はネオンから離れていった。
 出黒沢は急降下、くぐり抜けて逃げる気だ。
 初撃も正確だった上がむしゃらに次を放っては来ない。ログは以前から全て見ているが、射撃が上達しているのがよく分かる。
 深く右横転、頭上げで追いすがる。
 反転した出黒沢が膨らむ。
 見下ろしながら交差。
 出黒沢は再び小さくなっていく。
 ネオンは距離を当たり前に把握している。
 反転、
 相手も。
 再び交差、撃つにはまだ厳しい。
 出黒沢の機動、呼吸、手の平の感覚までも、空間を越えて読み取れる。
 もしもう一度来たら撃てる。
 相手はまた右横転、
 直後頭下げ。
 急加速で逃げる。
 自然なフェイントに続けてテレポーターの速力なら、充分逃げられるはずだった。今のネオンが相手でなかったら。
 ネオンの赤い眼の中、
 出黒沢が近付く。
 速力の差を操縦で覆している。
 出黒沢の身を凍らす恐怖が分かる。
 横合いから一撃、左ターン。
 ブザーとともに離れる。
 ネオンの空中感覚は今までのどの試合よりも研ぎ澄まされ、操縦が完全に最適化されている。
 この調子でとにかく早く終わらせてしまいたい。
 ネオンは四人の元へ急いだ。

 ユカリのすぐ後ろを保って逃げながら、小松田は疑念を抱えていた。
 真後ろには丹羽の藤色のタランテラ。
 さらに一段高く鬼塚がついてくる。
 丹羽が連射、
 二人は右に回避。
 もう一連射、今度は左上に。
 まだ簡単に当たるほど詰められてはいない。
 しかしユカリの動きには余裕がなく精彩を欠いていると、小松田には感じられた。
 丹羽は決して離されず、流石に曲技飛行家としては格上と言わざるを得ない。それにもし丹羽を強引に振り切っても、鬼塚が即突っ込んでくる。相手はそれでこちらを縛っている。
 それでも普段のユカリなら、両方とも上手く捌いて逃げ切ることはできたはずだ。
 自分を引き連れているせいで思った動きができないのか。
 もし地上にいるときと同じ精神状態なら、小松田はたまらない罪悪感にさいなまれただろう。
 三年前この所沢にやって来て以来、ユカリは多くの助言によって小松田のチームの実力を確かなものにしてくれた。昨年の大会で準優勝できたのもユカリのおかげだと小松田は思っていた。
 そのユカリに、所沢で恥をかかせてはならない。
 小松田は空中で意識をかき乱されたりはしなかった。重大なミスの回避にチームリーダーらしく努めるだけだ。
 そう決意した瞬間、小松田は見抜くことができた。
 丹羽の操縦は曲技のように整っている。小松田がこの編隊を楽に組み替えられるほどに。
 ユカリと丹羽の位置を総合的に捉え直す。
 双方をつなぐ線をつかみ、そっと乗る。
 これで丹羽にユカリは狙えない。
 丹羽は右に跳ねる。
 小松田は振りほどかれない。
 さらに減速して丹羽を圧迫する。
 丹羽がユカリに向かって突っ込んでも小松田が後ろに回り込むだろう。
 今度は左、また小松田が退がる。
 丹羽の機首が小松田に向く。
 跳ね上がり弾を回避、
 ユカリも楽にかわした。
 次にユカリは右降下、
 丹羽を引き離す。
 小松田も回避が楽になった。
 ユカリは先程までよりずっと伸びやかに動けている。
 これだけ丹羽に対して余裕が出来ても、鬼塚がまだ本格的に動かないことが救いだ。
「アメジさん、小松田さん、そっちに向かいます!」
 音声が届くと同時に、小松田は左後方にネオンを察知した。同時に丹羽も発見したらしく左に離脱する。
 小松田は右に急ターン、代わって迫る鬼塚に向き合う。
 鬼塚達はあくまでも、かつてワタルとネオンに敗北した二人にネオンを撃たせたいらしい。
 そのお膳立てさえできれば小松田とユカリの両方を相手にすることになっても問題ないというわけだ。
 どれだけ小松田を軽く見ているか、ということである。
 怒りを覚える前に、
 鬼塚が急接近。
 お互いに射線上。
 トリガーを押して、
 右バレルロール。
 直後にブザーが聞こえた。
 風防に管制の表示が戻った。小松田は弾を回避できなかった。
 それでも小松田は、達成感を抱きながら背面のまま状況を見下ろしていた。
 ユカリが鬼塚の背後に回り込んでいる。小松田が真正面で気を引いていたおかげだ。
inserted by FC2 system