デニムスカイ第十三話
「Light In Darkness -Program-」
 狭い室内には長椅子とロッカー、鏡と洗面台、大きめの分子プリンターしか置かれていない。
 商業フロアの中でも高級な店が並ぶ階の、発着場更衣室。
 ネオンは白くほっそりとした肢体を露にしたまま、プリンターの上に並んだ服のカタログ映像を前に逡巡を続けていた。
 脱いだ飛行服をプリンターの回収口には入れたが、普段の地味な白いワンピースよりは洒落たものに着替えようとしたところで詰まってしまった。
 自分の意思でファッションを決めようとしたことがないものだから、服の流行りも分からない。ワタルを待たせられないと思うと余計に気が急き、とにかく失敗でなさそうなものを選ぶ。
 プリンターから出てきたのは、浅葱色のカーディガンと、ごく薄い緑色のワンピース。袖と裾が短いのはネオンにとっては冒険だが、普段とさして変わらない格好になってしまった。
 せめてと思い、きらめく細い鎖のネックレスと揃いのブレスレットも着ける。
「すみません、お待たせしました!」
 急いで更衣室を出たネオンが発着場出入口で見たのは、
「おー」
 黒い飛行服のまま、壁に寄りかかるワタルだった。
 平滑面でつまずきかけるほど気が抜けたが、いつも通りの姿はどこか安心でもあった。
「行くか」
「……はい」

 青銅に似せられた古めかしい街灯が、飴色の明かりを薄暗い石畳に投げかける。
 ワタルについて歩く道の両脇には、タワーで守られていることと無関係に重厚そうな造りをした店が並ぶ。
 免許を取る前まで、母に連れられてここを歩いたのとは違っていた。街の美しさが感じ取れる。
 ワタルは見覚えのある大きな店を過ぎ、どんどん細い道へと角を曲がっていく。整理されているはずの町並みが、次第に迷路のようになっていく。
 終いには道はすれ違う幅もない隙間に過ぎなくなり、その奥に目指す店はあった。
 他の店に埋もれるほど小さな、木造の小屋を精密に模した建物。
 本物の赤銅で出来た風見鶏の下の小さな看板には、「巣篭亭(すごもりてい)」の文字。
 ワタルが手動で扉を開けると、黒いエプロンドレスを着た小柄な店員が深々と頭を下げて出迎えた。
「いらっしゃいませ、ヒムカイ様。お待ちしておりました」
 店員の凛とした微笑を見てネオンは意表を突かれた。
 よくある接客ロボットではない、人間の従業員だ。
「奥のお部屋をご用意しております」
「ども」
 ロボットに負けない完璧な所作に、ワタルは慣れた調子で返す。
 外と同じく凝った造りの薄暗い廊下を歩いていき、ひっそりとした小部屋に案内される。調度品も全て本物の木製。
「俺はいつもの。こいつのは決まるまで待ってね」
「かしこまりました。それではご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
 店員が去っていくのを見てから、ネオンは小声で尋ねた。
「あの、こういうお店って、下手に目立つような所よりずっと高いんじゃあ……」
「大したことないって。奢ってやるから気にすんな」
 ワタルは背もたれに寄りかかり、自分の家のように気を抜いている。
 メニューは立体画像ではなく紙のもので、意外と家庭的な料理の名前も並ぶものの価格は見当たらない。
 料理を選ぼうにも、文字の上を目が滑る。店員とのやり取りといいこのくつろぎようといい、ワタルはかなり慣れているらしいが、こんな店に普段一体誰と来るのだろうか。
 気になることばかりで、メニューからちらりとワタルに目を移す。
「決まったか?」
「あっ、は、はい」
「どれ?」
 咄嗟にメニューを置いて指差すとワタルは呆れたように笑った。指の先には、オムライスの文字。
「なんだよ、飛行場の昼飯じゃないんだから。遠慮すんなよ」
「い、いえ、ちょうど食べたかったんです」
「そうか?飲み物は紅茶?」
 ネオンはうなずく。実際オムライスに決めかけてはいた。
 テーブルの隅にある小さな銀のベルをワタルがつまんで鳴らすと、店員はすぐに現れた。
 注文を告げてくれるワタルを見ながら、こういった席での振る舞いが、自分はここまで下手だっただろうかと思う。
 店員が去り、ワタルが向き直る。
「今日は、っつーかこの一週間、お疲れさん」
「いえ、楽しかったですから」
「そうだな、試合中もお前楽しそうだったし」
 試合中は意識していなかったが、思い返してみれば笑っていた気さえする。楽しそうな飛び方というのが見て分かるのだろうか。
「鬼塚さん達のおかげです。清水さん達も、前と違いましたし」
「ああ、真剣にやってくれてよかったよ」
「皆さん、これからは練習も真面目にしてくれますかね?」
「いや、その必要はないかな」
 ネオンは首をかしげる。
「あ、俺らが真面目にやるのに水を差さなくなるだけでいいって意味な。あとはあいつらなりに楽しくやればそれでいい」
「でも負けたら悔しいですよね」
「だから、それからちゃんと練習しようと思えればそれはいいことだし、そうでなくても楽しめるんならそれはそれでいいんだよ」
「そう、ですか」
「ああ、人の楽しみ方を邪魔することはないよ。ただ、俺らが真剣なのも認めてほしかったし、せっかく飛行場にいるんなら飛ぶのを楽しんでもらわないと」
 ネオンはどちらにしろ、自分の取り組みを彼らが認めてくれるならそれでよかった。
 店員が大きなお盆を手に再び現れた。この店のウェイトレスは一人だけらしい。
 ネオンの前に置かれたオムライスは、変わったところは何もない。ただ、卵の焼き加減はどうやら完璧で、合成食とは比べようもなく美味そうに見えた。ワタルには、香草をたっぷり使って焼いた鶏肉の料理と、白飯にスープ。
「さ、食うか」
「いただきます」
 一口入れて、期待以上の味にネオンは夢中でスプーンを進めていった。
「そんなに美味いか?」
 ワタルが軽く笑う。
「はい、最近ずっと自分の下手な料理ばっかりだったせいで余計に……」
「そうか、味わって食えよ」
「はいっ」
 ワタルはしばらく食べるのに夢中なネオンを眺めながらゆっくり食べていたが、そのうち口の中を片付け話し始めた。
「食いながらでいいから聞いてくれよ」
「は、はい」
 律儀にスプーンを伏せるネオンを見て、ワタルも箸を置いた。
「今回のことな、」
 ワタルは苦笑いに言葉を区切る。
「日下さんと俺と立花の、仕込みだ」
 一瞬、その意味が飲み込めなかった。
「え?」
「うん、あいつらを本気にさせてからお前が叩きのめせば、あいつらも認めてくれるだろうし少しは真面目にもなるかなって……。日下さんがレイヴンをどこかのチームに貸したがってるらしいとか言って、立花が清水を誘導したんだよ」
「あ、じゃあ、それからヒムカイさんが清水さんを怒らせて」
「お前と勝負する気にさせる、計画。最初から」
 ネオンはまだ少し頭の整理がつかないが、一つ尋ねる。
「立花さんは、どうして」
「ああ、あいつは前からもっとちゃんとやりたがってたから。ただ清水とかが、な」
 そう言うとワタルはやや目を伏せ、口を両手で覆った。
「悪かった、勝手なことばっかりで」
「いえ……、私は、そうしてくれて助かったと思います」
「そうか」
(それに、ヒムカイさんのこと、信じてますから)
 照れ臭くて、飲み込んだ。
「お料理、冷めちゃいますよ」
「ん」
 食べながらワタルはベルを鳴らし店員を呼ぶ。
「モスコミュールと何かツマミ。お前は……飲めないか。だけで」
「かしこまりました」

 食べ終えてから試合を大雑把に振り返って話していると、店員がまたお盆を持って来た。
 ワタルの前に酒のグラスとナッツの皿を置き、ネオンのカップには紅茶のお代わりを注ぐ。
 さらに、ネオンの前に小さな皿を置いた。
 その上には一切れのチーズケーキ。
 注文した覚えもなく、ネオンは目をしばたかせる。
「えっと、これって」
「今日の礼。いや、詫びかな。嫌いだったか?」
「いえっ、ありがとうございます!いただきます!」
 いつの間に頼んでくれたのだろう。専門店に劣らない美味さ、何よりワタルのさりげないいたわりが、たまらなく胸に染み入った。
 ワタルは微笑んでグラスを傾ける。

 機体を曳いてエレベーターの駅に向かう道すがら、先を行くワタルが話しかける。
「日下さんがさ、お前にテストパイロットになったらどうかって」
「えっ?日下さんの工房で働くってことですか?」
「いや、そうとは限らないだろうけど。あんだけ分かりやすくログをまとめられるんなら、テストパイロットになっても機体の飛ばし具合とか上手く技師に伝えられるって意味でさ」
「はあ……」
 フリヴァーを仕事にするのはネオンにとっても魅力的だったが、今はあまりに遠い話に感じられた。
「さすがに気が早いよなあ」
 ワタルも笑ったが、すぐ言葉を続ける。
「あ、でもあれならやれるか。ログまとめのバイト」
「そんなお仕事もあるんですか」
「協会が公式で配ったり集めたりしてるのをまとめるんだけど、お前のほうがよっぽど上手いからな。勉強になるし、楽にできると思うよ」
 それなら少しは自信があるが、やはりすぐ飛びつくわけにもいかない。
「じゃあ、色々調べておきますね」
「ああ」

 翌日も好天。
 寝坊して昼前に起きたネオンは、発着場で管制の情報に急かされた。
 清水と他所から来た誰かが試合している。
 近付くと黄緑色の斑鳩の姿。
 追われて激しく蛇行する。
 色合いに見覚えがある。
 ワタルが初めてレイヴンで試合した相手だ。
 曲技チームのリーダー、小松田。
 左下に突っ込み急旋回、
 引き離そうとするが、
 清水はひねり上げ、
 綺麗に背を奪う。
 一拍あって、
 両方落ち着く。
 清水は降りるが、
 小松田は降ろしてもらえない。
 前下方から迫る、
 ヒルフラッシャー。
 小松田は急転回でかわす。
 奥の遠方には立花が待っている。
 着地した清水にそっと近付くと、
「ああ……、プロっつっても大したことねえわ」
 目は合わせてくれないが、その返事にネオンの頬がほころんだ。
「じゃあ、チーム作りますか?」
「嫌に決まってんだろ……」
 言葉面は荒っぽくても、以前のぎくしゃくした雰囲気はもうない。
 小松田と皆のじゃれ合うような戦いは正午過ぎまで続いた。
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