デニムスカイ第十二話
「点と点 -Middle Boss Rush-」
昼下がりのタワー頂上から見渡す空は秋晴れに乾き、まだ五人が遠く見えないことを隠さず伝えてくる。
点検項目、オールグリーン。周囲に他の機体無し。一つ息をついて踏み出し塔を離れた。
地平線と天頂、地表にも偏りなく注意を向けながら高度を稼ぐ。
散漫にも偏狭にもならずにいられることで、ネオンは自らの調子の万全を知った。肩の力が程よく抜けているのは、昨日の鬼塚がくれた言葉のおかげか。
進むにつれ地上の施設が減り、植えられた樹木もまばらになる。
そして、見下ろす限り一面の草原。未だ先鋒カスケイドの姿はない。
真下をカフェが通り過ぎる頃、
地平線の上、前方やや左。
芥子粒ほどの影が浮いた。
まだ遠ざかろうとしている。
少しだけ頭を下げ、加速。
追いつくに充分な速度。
二又の翼端が分かる。
相手は奥に逃げ続け、
右に跳ねる頃には、
すでに射程圏。
楽に一勝目。
殆ど動かない的でしかなかった。
いくら何でもここまで心得がないはずはない。飛行場の中心から相当離れていたことといい、何か狙いがあるのではないか。ネオンの胸中に疑いが芽吹いた。
ただ、今はそれを育てている暇はない。
後方右寄り下から迫る、ヒルフラッシャー。
牛角のように肩から突き出る模擬銃。
無尽蔵に仮想弾をばら撒いてくる。
風防の端が軌跡の表示で埋まる。
だが、一発もかすりもしない。
機体を揺すり軽くかわせる。
凶々しく肥大した模擬銃、
さすがに過積載らしい。
推力を抑え、
クイックロール。
相手は早く回れない。
突込む相手をやり過ごす。
背後に飛び込んで、一刺し。
この二人は明らかに勝ちを取ろうとしていない。かといってあんな大きな模擬銃を用意するあたり、手を抜いたとも思えない。何か企てている。
立て続けにタランテラ、左後方。
間合い直前を見計らって、
左に横転、ブレーク。
背面で降下、加速。
駒鳥ほど遅くないが、
決して速いわけでもない。
自分の有利な距離まで離れる。
ループ気味に転回、正立しながらネオンは気付いた。
この試合は単に一対一を五回行うだけではない。
相手の狙いは、つまり今の自分と同じだ。
タランテラが向かってくる。
腹を狙い撃ち、
すぐ急旋回。
予想通り。
柿色の機影が膨らむ。
直線の速度が武器のスピアゲイル。
三人は立花が突進する距離を稼いでいたのだ。
頬が緩み、鼻から息が漏れる。
正面から迎え撃つ。
使える時間は短いが、
これで速度は関係ない。
だがネオンは以前似た状況を見ている。
ワタルは真正面から迫る相手を罠にかけたのだ。
立花にもあんな奥の手があるだろうか。
だとしたら厄介だが、なぜか嬉しい。
一発に気を取られてはいけない。
際どい集中力のバランス。
射撃、
同時に、
スナップロール、
背筋を撫でる敵弾。
ブザーは両方鳴らない。
お互いの背中が向き合う。
相手に秘策も諦めもなかった。
だが間合いはすでにこちらのもの。
ターン、
脇腹を捕らえ、
四回目のブザー。
直後半横転。
上空には、
薄い影。
清水はやはり急降下を仕掛けてきた。
相手に背中を向けて緩く旋回。
わざと突っ込ませながら、
距離を測り続け、
内側に跳ぶ。
弾と相手を飛び越す。
今回は正しいタイミングだ。
相手はネオンから目を離さない。
ネオンも視線を外すことはできない。
以前とは違う。楽しませてくれている。
清水も同じ気持ちでいてくれるだろうか。
横転を続け相手に頭を向ける。
相手も向き変わってくる。
二機が横並びに近づく。
撃てる瞬間はなく、
そのまま交差。
距離を測り、
反転。
清水は遅れる。
ネオンには充分な時間。
幕引きの淡い寂しさを胸に、
薄青の背中を撃つ。
降着装置の先端が短い草に埋まり推進系が停止してみると、脚が自分と機体の重量を支えてくれず、胴体の後端を地面にぶつけてしまった。
「大丈夫か?」
「すみません……」
ワタルの手を借りて起き上がり、体重をかけながら機体を畳む。長丁場で思った以上に消耗していたらしい。
そのまま機体を杖代わりにして立つネオン達の前には、神妙な顔付きで左右に並ぶ五人の姿があった。
一歩前に出たネオンは、すっかり穏やかな気分だった。五人はネオンを倒そうと真剣に取り組み、ネオンも五人を全力で討ち取ったのだから。
「ありがとうございましたっ」
腰から素早く頭を下げると、立花と清水、続いて他の三人も、おずおずと礼を返した。
「で、お前ら」
ワタルが口を開く。
怯えたように肩を振るわせた者もいるが、ワタルに尖った雰囲気はないのがネオンには分かった。
「アクロチーム作りたいとか言ってたな?」
「いや、あれはその」
「まあいいから」
ワタルは清水を抑えるように右手を動かす。
「別に俺はお前らがチーム作りたいとか、なるべくのんびりやりたいとか、そういうのが駄目とは言わねえよ。それはお前らの楽しみ方だからよ。レイヴン貸すってなったら別だけどな。だからさ」
伏し目がちな五人に向かって話すワタルに高圧的なところはなく、むしろ殊勝な態度さえ感じられた。
「俺やネオンが真剣にやりたいってときには、面倒くせえかもしんないけど、付き合ってくれよ」
ワタルが頼み込むように言い終わり、沈黙がしばらく続いた。
清水が顔を上げて何か言いかけると、
「ん、俺よりほら」
ワタルの顎がネオンに向いた。
清水は向き直るが、視線はやや泳いだままで、いかにも決まり悪そうに口を開いた。
「あー、その……」
ネオンは首を横に振る。
清水はもう自分を疎む者ではなく、すがすがしい一時をくれた相手だ。
「また試合していただければ、いいです。前みたいにじゃなくて、今日みたいに」
そう言って手を差し出すと、
「あ、まあ、しょっちゅうは、無理だけど」
清水もネオンの手を取った。
五人が調布のタワーに向かって飛ぶ空は、すでに藍と橙が滲み合っていた。日が大分短くなってきている。
自分も帰ろうとシルフィードに手をかけたとき。
ワタルがネオンの耳元に、顔を寄せた。
「晩飯、付き合ってもらっていいか?話があるからさ」
胸が軽く縮むような気がした。
目を見開いて振り向くと、ワタルは何でもなさそうな顔をしている。
ネオンは何も言わず、ただゆっくりと頷いた。
少し離れて手際良くレイヴンを広げるワタルについていこうと手を動かすが、あまり上手く進まない。
指を滑らせて機体を倒しそうになったりしているうちに、ワタルは飛び立ってしまった。
慌てて主翼を広げ踏み出す。
火照った頬を、気流が冷ます。
透ける肌のせいでひどく紅潮しやすい顔が夕焼けに紛れて気付かれなかったことを祈りながら、黒いレイヴンの後を追った。