Lv100第二十八話
「カーバンクル -芽衣と三葉虫まつり-」
登場古生物解説(別窓)
 朝早く、小さなイベントホールまで父が車を出し、「三葉虫まつり」に出展するための荷物を運んでくれた。
 ホールの搬入口には私と同じ出展者の人達が、荷物を携えて集まっていた。しかし中学生で出展するのは私だけのようだ。
 出展者の中に、私が小学生のとき科学館の発表会で知り合った人の姿があった。
 自分から声をかけていく。
「おはようございます!」
「あっ、おはようございまーす。ファコプス出すんだ」
「はい!」
 ファコプスの飼育について発表したのを覚えていてくれたのだ。
 三葉虫、特にファコプスは、上から鑑賞するのが基本だ。だから水槽ではなく水盆を用意した。
 それにポンプ、人工海水、予備の餌、等々。
 そしてもちろん、私の手で何代もかけ合わされ、今日お客さんに見てもらうための輪に加わる、大事なファコプス。
 五センチ以上はある大きなダンゴムシのようだが、目が大きい。でも光が苦手なのはダンゴムシに似ているかもしれない。丸くころころとしていて可愛いところも。
 出展の準備を始める時間になり、ホールのシャッターが開いた。
 皆慌ただしく入場して、自分の出展場所に荷物を置く。
 ホールの壁際には生きた三葉虫や標本、グッズなどを売る物販のブースが揃う。
 そして中央には二つの長方形に沿って机が並べてある。ここがメインの品評会を行う会場だ。
 大きなのぼりが二つ掲げられて、何の三葉虫の品評会か示されている。
 一方はファコプスの部。もう一方は、角や棘に覆われ、紫やオレンジの模様まである豪華なディクラヌルスの部だ。
 のぼりに大きくプリントされた写真のファコプスは、赤や白、浅葱色、黒の模様でくっきりと鮮やかに彩られている。目は「翡翠目」と呼ばれる薄い緑色のタイプだ。
 品評会を代表する写真になるだけあって、頭の真ん中にある膨らみ――頭鞍という――はもちろん、全身がふっくらとして量感があり、朱、つまり明るい赤を引き立てる模様のバランスが目を見張るようだ。
 このくらい見事なファコプスが今からずらりと並ぶのか。
 二十年以上前に飼育され始めたときファコプスは暗い赤一色の「素紅」しかいなくて、とてもディクラヌルスと肩を並べるような存在ではなかったのだという。
 条件が整えば繁殖しやすいため、水族館では最初からたくさん飼われていた。その中から、白や黒の模様が入ったもの、赤色がもっと明るく鮮やかなものが見つかるようになった。
 次第に華やかな模様のファコプスが生まれ、増やされていった。
 そして水族館から一般に普及していき、とうとう今回のイベントが開かれるに至った。
 しかし私のファコプスは、全身白と黒の二色のみ。
 「翡翠目」に対して目の黒い「黒目」と呼ばれるタイプな上、目の周りまで黒い。頭鞍は白く、後半身も白と黒のツートンだ。
 私も華やかな赤色が嫌いなわけでは決してない。
 しかしこれは狙ってこの模様を作り上げたのだ。
 小学生時代のうち四年間をかけた自由研究で生み出した、真っ白と真っ黒のファコプス。それらをさらにかけ合わせて生まれたものなのだ。
 私ももらった番号の位置に水盆を置き、人工海水を注いでポンプをセットした。
 白黒のファコプスをその中に放すと、特に変わったこともなくちょこちょこと歩き出した。
 まずは一安心。
 他の出展者さんも続々と準備を終えたようだ。一般のお客さんが入場する前に見ておこう。
 ファコプスの部には十二組が出展する。
 ほとんどのファコプスは赤と白の「更紗」か、それに黒や浅葱色が加わった「キャリコ」である。目は翡翠目が多い。
 やっぱりどれも、のぼりの写真に負けないくらい見事な模様のものばかりだ。
 節ごとに縁取りが付いているものが多い。それから、歌舞伎の隈取りを思わせるもの。何色もの細かい模様がタイルのように散らばったもの。頭鞍のいぼに水玉が乗ったもの。尾だけ真っ赤なもの。
 プロの仕事なだけに、餌に気を遣って朱や紅の発色が良いのは当たり前。続けて見ていると目に染みそうなくらいだ。
 栄養のバランスを偏らせれば変わった色味になるが、脱皮不全を起こしやすくする邪道とされているし、今回もそうしたものは見当たらない。
 なかでも目を引いたのは、本格的な養魚場で育ったという、十センチはありそうな一際大きなものだった。
 たっぷりと膨れ上がった頭鞍の紅は燃えるようで、体の白や目の翡翠から浮き上がるように見える。同じファコプスとは思えないほど圧倒的な貫禄だ。
 出展者さんは五十代くらいの白髪の混じったおじさんで、他の出展者さんが自分のファコプスに見とれているので満足そうに笑っている。
「よければ脱皮殻をあげるよ」
「あっ、じゃあお願いします」
 おじさんは紙箱を差し出した。受け取って開けると、実物と同じ大きな殻がキッチンペーパーにくるまっていた。
 前後二つに分かれて、生きているときより透明感があるが、こんなすごいファコプスがいたという記憶をとどめてくれる。
 私もお返しにと、自分の荷物から白黒のファコプスの脱皮殻を取り出しておじさんに渡した。
 おじさんは箱を開けるなり、
「ふうん、女の子なのに渋いねえ」
 と一言。
 でもこの白黒が私の生み出したかった柄なんです、と説明できないうちに、一般入場の時間を知らせる放送が流れてきた。
 私も机の内側にいないと。
 机の上にはファコプスのいる水盆と、貯金箱のようなものが置かれている。
 これは投票箱だ。お客さんは自分の一番気に入ったファコプスのところにある箱に、入場のとき配られたコインを入れるのだ。
 開場前から列ができていたそうで、入場口からぞろぞろとお客さんが入ってきた。
 壁際の物販から順に見ていく人もいれば、品評会場を真っ先に目指してくる人もいる。
 ファコプスを見る人とディクラヌルスを見る人に分かれ、品評会場の机はすっかりお客さんに取り囲まれた。
「これ可愛い」
「面白い模様ー」
「餌はどんなペースで?」
「ここまで育つのにどのくらい?」
 特に見事な三葉虫が集まっているだけあって、驚き感心する声や、育て上げた本人への質問が絶えず飛び交う。
 少し周りを見回してみれば、一番人気があるのはやはりあの特別大きなファコプスのようだった。
 私のファコプスはといえば。
 皆ちらりと水盆を覗き込んでは隣の水盆へと移っていき、長く足を止めて眺めてくれる人はほとんどいない。
「中学生?」
「あ、はい」
「ファコプスはいつから飼い始めたの?」
「小三のときです」
 そんなやり取りは何度かあったが、ファコプスそのものについては何も言ってもらえない。
 小学校三年生のとき、父がくれたファコプスからいろんな模様の子供が生まれ、それを仕分けたのがファコプスの自由研究の始まりだったこと。
 それから六年生までかけて完全に真っ白と真っ黒のファコプスを生み出し、そのことを発表して賞をもらったこと。
 さらに代を重ねて、今ここにいるファコプスが完成したこと。
 話したいことが人の足取りと一緒に流れていくみたいだった。
 どれが一番かもう決めてしまったお客さんが投票を始めた。
 私のファコプスは見られていようといまいとおかまいなしで、水盆の底をゆっくりと歩き続けている。
 科学館では賞をもらえたけど、ここには私と私のファコプスは場違いだったのかもしれない。
 こんなところに連れ出して悪かった。そう思い始めたとき。
 目の前に懐かしい人が立っていた。
 柔らかく、でも凛々しい雰囲気の女性。小学校時代に勉強を見てくれた、家庭教師の景山先生だった。
「メールありがとう」
「はっ、はい」
 今日出展することを知らせていたのだった。先生は勉強だけでなく研究の仕方まで教えてくれた、ファコプスに関しても恩のある人だったから。
「すごい人だね。三葉虫ってこんなに盛り上がるものなんだ」
「私もびっくりしました」
 先生は研究のことについては教えてくれたが、三葉虫のことは私を担当するまでほとんど知らなかったのだ。
 やっぱり私のファコプスは地味だと思われるだろうか。
 先生は髪をかき上げて水盆を覗き込み、私のファコプスを見つめながら声を上げた。
「これは……、パンダだ!」
 隣にいた人も先生の声に振り向くほどだった。
 パンダ。そうか、そう呼べば良かったのか。
 私はとにかく白と黒だけのを、と思ってかけ合わせていたのだが、先生の言うとおりこれはパンダ柄だった。
 そして振り向いた人も私のファコプスを見て頷いた。
「本当だ!これはくっきりしたパンダ柄ですね」
「やっぱりあの頃の研究でできたの?」
 先生はわざと周りに聞こえるように大きな声を出しているみたいだった。
「はい!全身白のファコプスに黒目のファコプスをかけ合わせて、それから模様もはっきりして赤が出ないようにしていきました」
 ちょっと緊張したけれど、私もできるだけ声を張った。
 周りの人が次々と振り向いて、私のファコプスを取り囲む。
「そう、じゃあ狙ってパンダ柄のが生まれたんだ!」
 ほう、という嘆息が周りから聞こえた。
「面白いなあ、ファコプスの飼育はこんなのが生まれるところまできたんだ」
 誰かがそう言った。
 そして人の輪の中から、コインを持った手が私の投票箱に伸び、投入口に最初のコインが消えていった。
「なかなかこれ!って一つに決まらなかったから丁度良かった」
 投票してくれたおばさんが微笑んだ。
 他にも何人か続いてコインを入れてくれた。
「ありがとうございます!」
 すると先生がこちらを真っ直ぐ見て、声を潜めて言った。
「他も見てみるから、呼び込み続けてみてね」
 そうして先生はコインを投票箱に入れ、ディクラヌルスの会場の方に向かっていった。
 先生以外にも投票を済ませた人が離れて人垣が薄くなってきている。
「パンダ柄のファコプスです!どうぞ見ていってください!」
 私は一人でもなんとか声を上げてみた。
 私のファコプスに足りないのは華やかな赤い色ではなく、見てもらえるきっかけだったようだ。
 それ以降も投票してくれる人が続いて、私は十二組中五位に入賞することができた。
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