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第一話
[ケラトサウルス・ナシコルニス Ceratosaurus nasicornis]
学名の意味:鼻に角のある爬虫類
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5千万年前)の北米
成体の全長:5〜7m
分類:竜盤目 獣脚類 ケラトサウリア ケラトサウルス科
四本指の前肢を持つ原始的な獣脚類(肉食恐竜)。吻部先端と眼窩の前にあるトサカ状の角、鋲のような鱗の並ぶ背筋(棘突起)の盛り上がった背中が特徴。
角は単なる三角の板で強度や殺傷力はなかった。外敵やライバルに対する威嚇、異性や仲間に対するアピール、個体識別に用いたとされる。
歯は肉食恐竜の中でも特に長く、厚みがなくて縁が鋭い。自身の体格の割に大きな獲物にも深い裂傷を負わせることができた反面、硬い骨を噛み砕くことはできなかったと考えられる。
同時代・同地域のアロサウルスと比べ小型で珍しいことから、森林で単独生活を送っていたと言われる。
第二話
[オパビニア・レガリス Opabinia regalis]
いわゆるカンブリアンモンスターの一つ。全長5cm前後。5つの複眼と1本の柔軟な触手を持った頭部が特徴。胴体両脇に並ぶ鰭と鰓や3対の尾鰭などからアノマロカリス類に分類されるものの、そのアノマロカリス類自体、他の生物との類縁関係が不明である。化石のレプリカは2000円程度。
[ピカイア・グラキレンス Pikaia gracilens]
同じくカンブリアンモンスター。全長4cm前後。柳の葉に似たごく原始的な脊索動物(脊椎動物全体に加えホヤなどを含む)。脊索(脊椎の原型)や魚類的な鰓列、筋肉が認められる。現代にもナメクジウオというよく似たものが生き残っている。化石のレプリカは2000円程度。
[ドウビレイセラス・マミラートゥム Douvilleiceras mammillatum]
白亜紀の、主にヨーロッパ近海に生息したアンモナイト。殻の直径は10cm前後。殻の表面に放射状のうねと、その上に並ぶいぼ状の出っ張りを持ち、かなり装飾的。化石は多く出回っており、1000円から。
[スカフィテス・フンガルディアヌス Scaphites hungardianus]
白亜紀前期のヨーロッパ近海に生息した「異常巻きアンモナイト」。長さ数cm。異常巻きというのはあくまで特殊な適応の結果であり、病的、あるいは過剰なものではない。スカフィテスの場合は途中まで普通に巻いた殻が一旦直線になり、またフック状に曲がるというパターンだった。異常巻きの中では化石の価格は手ごろで、2000円から。
[フレキシカリメネ・タザリネンシス Flexicalymene tazarinensis]
オルドビス紀のモロッコ近海に生息した三葉虫。全長10cmあまり。比較的細長い体形をしていた。カリメネの仲間は非常に繁栄したようで、化石の数や種類が多い。価格は保存状態にもよるが、3000円程度。
[エルラシア・キンギ Elrathia kingi]
カンブリア紀の主に北米近海に生息した三葉虫。全長3cm程度と小型で、偏平な体形。化石は非常に普及しており、300円から手に入る。
[ワリセロプス・トリフルカトゥス Walliserops trifurcatus]
デボン紀の三葉虫。角を除いた全長5cm程度。三又に分かれた長い角が頭部先端から生え、頭部両脇や胴部・尾部側端からも体節ごとに棘が生えていた。化石は10万円は下らない。
[プシコピゲ・エレガンス Psychopyge elegans]
デボン紀の三葉虫。角を除いた全長10cm程度。こちらも体側から長い棘が伸びていた。頭部先端のへら状の角、頭部両脇から後方に真っ直ぐ伸びる棘が目立つ。やはり化石は10万円以上はする。
[ディクラヌルス・モンストロースス Dicranurus monstrosus]
デボン紀のモロッコ近海に生息した、最も装飾の発達した三葉虫の一つ。棘を除く全長は5cm程。体の縁から伸びる棘に加え、頭部中央から二又の角が後方に向かってカールしながら伸び、その先端は前方を向いていた。三葉虫の角や棘にはこのように単なる防御のため以上の複雑な形態を示すものがあり、使途はカブトムシ同様の闘争、餌を砂から掘り返すなどが考えられるが、詳しくは不明。化石は小型三葉虫の中では特に高価で、数十万円。
[ユーリプテルス・レミペス Eurypterus remipes]
オルドビス紀からデボン紀の欧州・北米近海に生息した、最も繁栄したウミサソリの一種。全長は最大で30cm。鋏や毒針といった武器がないため、捕食性は低かった。化石の価格は数万円以上。
[ディプログラプトゥス・プリスティス Diplograptus pristis]
オルドビス紀に生息した、筆石(ふでいし)と呼ばれる生き物の一種(半索動物)。円盤形の胴体の周りに球形の生殖胞があり、その下から群体のメンバーである個虫を収納した腕が伸びていた。個虫は羽毛状の触手を伸ばして水中のプランクトンを捕らえる。化石は断片的なものが3000円から。
第三話
[ガリミムス・ブラトゥス Gallimimus bullatus]
学名の意味:膨らんだ鶏もどき
時代と地域:白亜紀後期(約7千万年前)のモンゴル
成体の全長:6m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトル形類 オルニトミムス科
歯のないクチバシや長い脚からダチョウ恐竜と呼ばれるオルニトミムス類の中で、体形が大きく異なるデイノケイルスや亜成体しか見つかっていないベイシャンロングを除き最大。各成長段階も含め詳しく知られている。
長く強靭に発達した後肢により、ウマと同等の快速を発揮したと考えられる。また恐竜の中では特に脳の発達したものの一つでもある。
大きさ以外にはクチバシが特徴的で、やや幅広くて上顎の縁が低い。また内側には棚状の構造が見られ、これにより湖水からプランクトンを漉しとって食べることができたとされる。しかし一般的には、オルニトミムス類は木の葉や果実を主食としたと考えられている。
また、オルニトミムス類としては腕や手指が短い。巨体または食性のために木の枝を引き寄せる必要性が低かったのかもしれない。
[プロトケラトプス・アンドレウシ Protoceratops andrewsi]
学名の意味:アンドリュース氏の原始的な角竜(ケラトプス=角のある顔)
時代と地域:白亜紀後期(約8千万年前)のモンゴル
成体の全長:2m
分類:鳥盤目 周頭飾類 角竜類 ケラトプシア プロトケラトプス科
角のない原始的な小型角竜。しかし後頭部のフリルは発達していた。
樽状の胴体や鋭く強力なクチバシを持ち、生態は今の草食獣に似ていたとも思われるが、おそらく雑食性が強かった。また尾は縦に平たく泳ぎに適しているようにも見える。
[オヴィラプトル・フィロケラトプス Oviraptor philoceratops]
学名の意味:角竜の卵を好んで強奪する者
時代と地域:白亜紀後期(約8千万年前)のモンゴル
成体の全長:2m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ オヴィラプトル科
かなり鳥に近い羽毛恐竜。高さのあるクチバシや短めの尾骨などは鳥に似ていたが、これらは鳥のものと独立に進化したものである。骨の通ったトサカが印象的。
プロトケラトプスのものと思われた卵とともに発掘されてこのように名付けられたが、後にオヴィラプトル自身の卵を守っていたのだと判明した。
第四話
[メガネウラ・モニイ Meganeura monyi]
学名の意味:巨大な脈
時代と地域:石炭紀末(約3億年前)のヨーロッパ
成虫の翅開長:70cm
分類:節足動物門 汎甲殻類 六脚亜門 外顎綱 有翅亜綱 旧翅下綱 原蜻蛉目 メガネウラ科
史上最大級の昆虫。細長い体と翅を持った姿は現在のトンボとほぼ同様。
複眼が小さい、翅が上に畳めない、肢が長い、腹が幅広いなど、トンボと比べ原始的な特徴がある。腹の末端の形状から雌雄が見分けられる。
その大きさや翅の構造から現在のトンボと異なり、羽ばたきは緩やかで空中停止などはできなかったと考えられる。
昆虫は呼吸器官が簡素なため、現在の大気の酸素濃度では巨大化することはできない。酸素が充分だったことに加え脊椎動物の陸上進出が進んでいなかった当時、シダ類の森林が広がる陸上は巨大な昆虫やヤスデ、サソリ等に支配されていた。
メガネウラは現在の猛禽が小動物をさらうように、当時の大きな昆虫を上から襲ったと考えられる。
幼虫については知られていないが、現在のトンボ同様捕食性のヤゴであったと思われる。
第五話
[ステゴケラス・ヴァリドゥム Stegoceras varidum]
学名の意味:角で覆われた強い屋根
時代と地域:白亜紀後期(約8千万年前)の北米
成体の全長:2〜3m
分類:鳥盤目 周飾頭類 堅頭竜類 パキケファロサウルス科
パキケファロサウルスと並んで代表的な堅頭竜類(石頭恐竜)。パキケファロサウルスと比べると小柄だった。吻部は短く、ドームと合わせて丸みを帯びた顔付きだった。前肢はとても短い。尾は骨化した腱で固められていた。
堅頭竜類は頑丈な頭骨を特徴とし、種類によっては非常に分厚く盛り上がった骨のドームとなっていた。これをぶつけ合って、地位や異性等を巡る同種間での闘争を行ったと考えられてきた。実際、ステゴケラスのドームの構造は、シロハラダイカーなど現生の頭突きによる闘争を行う哺乳類の頭骨によく似ている。しかし衝撃やドーム同士がずれたときの力に首が耐えられないのではないか、またドームに傷がないのは頭突きによる闘争を行わなかったからではないかとも言われる。
従来の考えと違い勢いをつけず頭を突き合わせてから押し合ったか、あるいは相手の脇腹を押したのかもしれない。またドームや角は力比べをしなくとも視覚的なアピールに有効であったと考えられる。
切り刻むのに的した歯やクチバシで硬い植物の葉を食べたと考えられるが、おそらくは動物の死体や昆虫を食べることもあった。
第六話
[アノマロカリス・カナデンシス Anomalocaris canadensis]
カンブリアンモンスターを代表する生き物。最大全長60cm。同属には2mに達す種もいた。頭部先端に生えた一対の太い触手と左右に飛び出した眼、輪切りのパイナップルに似た丸い口、胴体両脇に並んだ鰭と鰓、三対の尾鰭が特徴。
鰭を胴体から独立して動かせたという証拠はない。鰭の根本に肢があったことが分かり、節足動物や有爪動物に近縁とされるが確定していない。
[パラドキシデス・ダヴィディス Paradoxides davidis]
カンブリア紀に生息した、1mに達する個体もある最大の三葉虫。頭部両脇から後方に長い棘が伸び、脇腹からも各体節から一対ずつ短い棘が生えていた。尾部は小さい。
[ウィワクシア・コルガタ Wiwaxia corrugata]
カンブリア紀の環形動物。全長数cm。楕円形の体を毛が変化した鱗が覆い、そのうち7〜8対程が長く垂直に伸びていた。鱗の表面の溝が光を干渉させ虹色(構造色)を発したと言われる。下面はナメクジのように滑らかに這うための形になっていた。
[エルドニア・ルドウィギ Eldonia ludwigi]
カンブリア紀の棘皮動物。直径5cm程度。円盤状の胴体と触手があった。クラゲのように浮遊したという説とイソギンチャクのように固着したという説があるがナマコに近縁で、クラゲやイソギンチャクより複雑な内臓が輪になって円盤部分に入っていた。
[ハイコウイクチス・エルカイクネンシス Haikouichthys ercaicunensis]
カンブリア紀のごく原始的な魚類。全長数cm。明確な骨格は持たずごく単純な形態をしていたが、脊椎動物(魚)の特徴である鰓や筋肉の列を持っていた。さらに、化石には眼の痕跡がはっきり残っている。開いたままの口でプランクトンを吸い込んで食べていた。
[アユシェアイア・ペドゥンクラタ Aysheaia pedunculata]
カンブリア紀の有爪動物。全長数cm。芋虫状の胴体をしていたが肢は胴体の太さより長く、先端に爪を持つ。また顎はなく、丸く開いた口の周りに短い触手があった。化石の産出状況から、海綿の上に住みそれを食べたとされる。
[ハルキゲニア・スパルサ Hallucigenia sparsa]
カンブリア紀の有爪動物。全長数cm。細長い胴体に、同様に細長い肢7対と棘が並んでいた。かつては上下逆に復元され固い肢と柔らかい触手を持つと思われていた。体の前後も不明だったが、端が膨らんでいる方が前らしい。死んで沈んだ生き物の肉を食べたとされる。
[デンドロキストイデス・スコティクス Dendrocystoides scoticus]
オルドビス紀の欧州・アフリカ近海の棘皮動物。全長10cm程度。偏った三角形の胴体から左右で形の違う触手と長い尾を伸ばした非対称な形状。この他にも当時は左右非対称の棘皮動物が生息していた。有機物の微粒子を吸い込み胴体内で濾し取って食べていたとされる。
[カメロセラス・アルテルナトゥム Cameroceras alternatum]
オルドビス紀の北米近海に生息した頭足類。殻長最大11mと、非常に大きく真っ直ぐな円錐形の殻を持つ。広義のオウムガイ類に属し、軟体部は現生のオウムガイに似るとされる。現在のイカと同様捕食性だった。
[トリアルツルス・ベッキ Triarthrus becki]
オルドビス紀の三葉虫。全長3cm程度。殻の形態は標準的な三葉虫そのものだが、肢や大きな鰓が黄鉄鉱に置換されてはっきりと保存された化石が見つかっており、三葉虫の生前の姿について多くの情報をもたらした。
[ネオアサフス・コワレウスキイ Neoasaphus kowalewskii]
オルドビス紀のロシア近海に生息した三葉虫。全長10cm程度。カニやカタツムリのように、複眼が長い柄の先端に付いていた。砂地に潜って眼だけを外に出していたと考えられる。
[アランダスピス・プリオノトレピス Arandaspis prionotolepis]
オルドビス紀のオーストラリア近海に生息した、無顎類に分類される甲冑魚。全長15cm程度。顎を持たず口は前方に開いたまま。背鰭以外の体を安定させる鰭はなく、泳ぎは不器用だったらしい。オタマジャクシに似た体の胴体部分が装甲されていた。泥の中の微生物を食べていた。
[メガログラプトゥス・ウェルキ Megalograptus welchi]
オルドビス紀の北米近海に生息したウミサソリ。全長1m程度。鋏ではなく長い棘の生えた捕獲脚を持っていた。尾の先には先割れスプーンのような鰭があり、中心は棘になっていた。
[プテリゴトゥス・アングリクス Pterygotus anglicus]
シルル紀の北半球に生息したウミサソリ。全長2mに達しウミサソリの中で最大級。発達した鋏を持っていたが、物をしっかり捕まえる棘が生えていたとはいえ挟む力の大きさに異論もある。複眼も大きかった。尾の先は菱形の鰭。
[プテラスピス・ステンシオエイ Pteraspis stensioei]
デボン紀の淡水域(現在のイギリスとベルギー)に生息した甲冑魚(無顎類)。全長20cm程度。前に真っ直ぐ伸びた角の下に口が開いていた。背鰭の代わりのような棘があり、安定して泳げたとされる。最も早く淡水に進出した魚である。
[ケファラスピス・リエリ Cephalaspis lyelli]
デボン紀の欧州の淡水域に生息した甲冑魚(無顎類)。全長30cm程度。流線型の体だが下面は真っ平らで、口も下向きだった。装甲のざらついた部分にあった感覚器官で電位の変化を知り、周囲を探る能力を持っていた。これにより泥中でも餌や外敵の居場所が分かったとされる。
[ボスリオレピス・パンデリ Bothriolepis panderi ]
デボン紀の世界中の淡水に分布を広げた甲冑魚。全長30cm前後。甲冑の一部が顎として可動した板皮類に属する。胸鰭も甲冑に覆われ、節足動物の肢のようだった。こちらも下面が平らで底生魚とされる。眼は甲冑の頂上に空いた穴に並んでいた。
[アカントステガ・グンナリ Acanthostega gunnari]
デボン紀の北米・欧州・グリーンランドに生息した、非常に原始的な両生類。全長1m程度。偏平な頭部の後ろには魚と同じように鰓蓋に入った鰓があった。四肢には八本もの指があったが陸上で体を支えることには向かず、もっぱら水中で暮らしていた。しかし水の浅いところで捕食活動を行うことも可能だった。
[クリメニア・ラエヴィガタ Clymenia laevigata]
デボン紀のユーラシアおよびアフリカ北部近海に生息した原始的なアンモナイト。直径10cm程度。偏平で巻きのきつい殻の内部にある隔壁は、後のアンモナイトと違いまだ単純な形状だった。アンモナイトなどオウムガイとイカ・タコの中間に位置する頭足類は、触手に吸盤ではなくフックを持っていたとされる。
[クラドセラケ・クラルキイ Cladoselache clarkii]
デボン紀の北米近海に生息したサメ。全長は最大で2m程。すでに現在のサメとよく似た姿をしていたが、頭部には感覚器官のプラットフォームである尖った鼻先がなかった。また二枚の背鰭それぞれの前に棘が生えていた。当時の捕食者の中で最も速く泳いだ。
[ティタニクティス・アガッシジ Titanichthys agassizi]
デボン紀の甲冑魚。板皮類では最大級で、硬骨のない後半身の復元によるが5〜8mに達した。口は大きく開くことができたが近縁種と違って鋭い牙状の突起がなく、海底の砂や泥を掬って有機物や小さな生き物を食べたとされる。
第七話
[バリオニクス・ワルケリ Baryonyx walkeri]
学名の意味:ウォーカー氏の重い爪
時代と地域:白亜紀前期(約1億3千5百万年前)のヨーロッパ(イギリス、スペイン)
成体の全長:9m
分類:竜盤目 獣脚類 テタヌラ スピノサウルス科
魚食恐竜として知られるスピノサウルス類のうち、初めて全身の骨格が発見されたもの。この発見によりスピノサウルス類の研究が大幅に進んだ。
基本的なフォルムはいわゆる肉食恐竜のものを踏襲しているが、独特な特徴を多く備える。
吻部はかなり細長く、上下の顎ともに先端近くにくびれがある。側面形状はワニ、特に魚食性のインドガビアルに例えられる。歯は他の肉食恐竜のような薄い断面ではなく円錐に近く、縦に筋があり縁の鋸歯はごく小さい。首はやや細長くカーブが浅い。
名前の由来となったのは前肢第一指(親指)の爪で、非常に大きく、また深く曲がっている。前肢自体も大型獣脚類としては特に発達している。胴体はやや長く、後肢はそれに対して若干短い。近縁のスピノサウルスやスコミムスのような背鰭はなかった。
腹部からレピドテスの鱗と植物食恐竜イグアノドンの骨が発見されており、しかも胃酸により消化しかかった痕跡があった。
よって少なくともレピドテスのような淡水魚を食べる場合があったことは確実視されている。以前はクマのように前肢の爪で魚を引っかけて捕らえたとされたが、現在ではサギのようにリーチの長い口で直接くわえ取ったと言われることが多い。前肢は河原に伏せて魚を待ち伏せたり川の中を歩く際の滑り止めだったとも言われるが、不確かである。
[レピドテス・マンテリ Lepidotes mantelli]
学名の意味:マンテル氏の鱗の石
時代と地域:ジュラ紀〜白亜紀前期のヨーロッパ
成体の全長:数10cm程度
分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 セミオノトゥス目 セミオノトゥス科
ジュラ紀〜白亜紀の非常に広い地域の淡水〜汽水で繁栄した魚類レピドテスの一種で、「ガノイン鱗」という屋根瓦のような硬く分厚い鱗を持つ。現在ガノイン鱗を持つのはアリゲーターガーやアミアなどごく一部の原始的な魚に限られる。
コイやフナに似た体型をしており、また採餌もコイのように口を突き出して食物を吸い込んで行った。しかしコイのような喉の奥に生えた咽頭歯ではなく、顎に生えた丸い歯で食物をすり潰した。
[ディクラヌルス・モンストロースス]
第二話参照。
[オヴィラプトル・フィロケラトプス]
第三話参照。
第八話
[エンボロテリウム・アンドレウシ Embolotherium andrewsi]
学名の意味:アンドリュース氏の破城槌の獣
時代と地域:始新世後期(約4000万年前)のモンゴル
成体の肩高:推定2.5m
分類:奇蹄目 馬形亜目 ブロントテリウム科 エンボロテリウム亜科
始新世に繁栄した大型植物食哺乳類であるブロントテリウム類のうち、アジアに生息したグループの最大のもの。アフリカゾウに匹敵する体格になる。
ブロントテリウム類はウマに近縁だが、鼻先に角の生えた大きな頭、それを支える太い首や高い肩、真っ直ぐな四肢に支えられたどっしりとした胴体など一見サイに似る。
エンボロテリウム自身はほとんど頭骨しか見つかっていないが、サイとの違いが頭に多く見られる。
サイの角は毛と同じケラチンでできていて骨の芯がないのに対して、ブロントテリウム類の角は骨でできた先の丸いものであった。また表面はおそらく皮膚で覆われていた。
エンボロテリウムの場合、前上方に伸びた幅広い角は鼻骨から成り、前面には鼻孔から続く大きな空洞があった。また雌雄差はなかった。
見た目ほど厚みがないため力任せに叩きつける武器としては用いられず、仲間の識別や食物を集めるための道具、鳴き声を拡大する共鳴洞として使われたと考えられる。
臼歯はサイやゾウの石臼のようなものよりシカなどの尖ったものに似ていた。
また顎を動かす筋肉の付着スペースはやや狭く、歯列は顎関節に対してほぼ同じ高さにあった。これは噛む力が弱く、顎の動きも単調だったことを意味する。
さらに、今のいわゆる馬面の植物食獣と違って眼窩はかなり前方、角のすぐ後ろにあった。歯に加わる力が強くないため、眼窩のすぐ下に臼歯があるという原始的な形態でも目に負担はかからなかったと思われる。
よってあまり硬い植物は食べず、森林の若葉や水辺の植物など柔らかいものを荒く噛み切って飲み込み、時間をかけて消化したと考えられる。
これは、硬いイネ科の草が広がる草原がなく湿潤な森林が広がっていた当時の環境とも対応する。
脳はサイの1/3程度しかなく、視覚は弱かった。
顔面に血管や神経を通すための孔(眼窩下孔)が大きく、これはサイと似ていた。食物を集めるためのよく動く唇があっただろう。
第九話
[リストロサウルス・クルヴァトゥス Lystrosaurus curvatus]
学名の意味:曲線的なシャベルのトカゲ
時代と地域:ペルム紀末〜三畳紀初頭(約2億5千万年前)の南アフリカ、南極、中国
成体の全長:1m前後
分類:単弓綱 獣弓目 異歯類 ディキノドン類 リストロサウルス科
以前「哺乳類型爬虫類」と呼ばれていた単弓類(現在は爬虫類に含められない)で最も有名なものの一つ。
箱のような頭は前端が垂直なクチバシになっていて、さらに上顎に一対の太い牙があり、それ以外歯はなかった。眼窩はカバのように頭の上寄りに盛り上がっていた。胴体はずんぐりとした樽状で、四肢と尾は短かった。上腕は太く発達していた。深い螺旋状の巣穴に収まった化石が知られている。
特徴的な頭の形は半水性生活への適応とされていたが、現在では土を掘るための適応と考えられている。牙があるが植物食性であった。
ペルム紀と三畳紀の間には生物史上最大の大量絶滅が起こったが、リストロサウルス属はその前後両方の地層から発見されている。またリストロサウルス属の他の種も南極やアフリカ、ユーラシアで発見されており、当時地球上の全ての大陸が一体化し「超大陸パンゲア」を形成していた証拠とされる。
[トリナクソドン・リオリヌス Thrinaxodon liorhinus]
学名の意味:三つ叉槍の歯と滑らかな鼻
時代と地域:三畳紀前期(約2億4500万年前)の南アフリカと南極
成体の全長:50cm
分類:単弓綱 獣弓目 獣歯類 キノドン類 トリナクソドン科
単弓類の中でもかなり哺乳類に近い動物。
腹部に肋骨がないため丸めることのできる胴体、洞毛(ヒゲ)の痕跡とされる顔面の孔、尖った牙などイヌやネコのような哺乳類に近い特徴を持っていた。しかし四肢は這いつくばった姿勢だった。
鼻道と口腔を分ける「骨性二次口蓋」が発達していて、口内に食物が入っていても呼吸が妨げられなかった。これは食物を丸呑みする爬虫類と異なり、哺乳類のように食物を頬張り時間をかけて咀嚼することができたことを意味する。
[ドレパノサウルス・ウングイカウダトゥス Drepanosaurus unguicaudatus]
学名の意味:尾に爪のある鎌のトカゲ
時代と地域:三畳紀後期(約2億500万年前)のイタリア
成体の全長:40cm
分類:主竜類 プロラケルタ形類 メガランコサウルス科
樹上性で昆虫食と考えられる、カメレオンやコアリクイに似た奇妙な姿の爬虫類。
前肢は太く、人差し指の爪はさらに不釣り合いなほど太くて先が尖っていた。また肩は大きく盛り上がっていた。後肢も力強く、足指が大きく広がるようになっていた。尾は太くて長く、先端に鉤爪のようなものがあった。頭部は見つかっていないが、近縁種のように先端が尖っていたと考えられている。
四肢や尾を巧みに使って木に登り、爪で樹皮の下の昆虫を探して食べていたと思われる。
[エウディモルフォドン・ランズィイ Eudimorphodon ranzii]
学名の意味:ランツィ氏のはっきり二つの形に分かれた歯
時代と地域:三畳紀後期(約2億500万年前)のイタリア
成体の翼開帳:1m
分類:主竜類 翼竜目 ランフォリンクス亜目 エウディモルフォドン科
発見されている中では最古の翼竜の一つ。知られている最古の飛翔性脊椎動物ということでもある。長く伸びた薬指に支えられた皮膜の翼、コンパクトな胴体など、すでに飛行に完全に適応した形態で、このことが翼竜の祖先を推定するのを難しくしている。
尖った顎の先端には円錐形の牙があり、顎を閉じるとお互いにかみ合った。他の歯は小さく、ギザギザした形をしていた。尾はランフォリンクスなどのジュラ紀の翼竜と同様、長くて先端にひし形の鰭があった。
腹部から魚の鱗が見つかっていて、少なくとも成体は魚食性と考えられている。
[エオラプトル・ルネンシス Eoraptor lunensis]
学名の意味:月から来て夜明けを奪う者
時代と地域:三畳紀後期(約2億3千万年前)のアルゼンチン
成体の全長:1.2m
分類:竜盤目 竜脚形類 エオラプトル科
発見されている中では特に古い恐竜の一つ。当初は獣脚類(いわゆる肉食恐竜)に近いヘレラサウルス類と考えられ、獣脚類に多く使われる「ラプトル」の名が付けられた。その後別種との比較により、首の長い植物食恐竜のグループである竜脚形類のごく初期のメンバーであるとされるようになった
二足歩行に適した長い後肢や尾、短い前肢、やや長い首や小さめの頭など、恐竜全体の祖先もこうであっただろうと思われる特徴を備えていた。しかし前の方の歯はナイフ形ではなく木の葉形で、鼻孔が発達していた。これらは後の竜脚形類にも見られる特徴である。最初の恐竜は肉食性だったと考えられているが、エオラプトルは植物も食べただろうとされる。
翼竜から体毛が見つかり、鳥に近くない種類の恐竜からも原羽毛らしき剛毛が発見されていることから、エオラプトルのような竜脚形類にも原羽毛があったかもしれない。
エオラプトルが発見された「月の谷」を始めとした発掘地の化石産出状況から、恐竜が現れだした頃は他の主竜類やディキノドン類など三畳紀初頭からいた動物が引き続き繁栄しており、恐竜は目立たない存在であったことが分かっている。竜脚形類はその後2000万年程度で10mに及ぶほど大型化した。
第十話
[メタプラセンチセラス・サブチリストリアートゥム Metaplacenticeran subtilistriatum]
扁平で巻きがきつく、比較的平滑な殻を持つアンモナイト。へそと呼ばれる中心のくぼみの周囲に小さな突起があり、縁が角ばっていた。直径は10cm程度。中川、遠別地域のカンパニアン期の地層から産出する。
[ドウビレイセラス・マミラートゥム Douvilleiceras mammillatum]
第二話も参照。白亜紀前期の終わりまでの北海道やマダガスカルなどの地層で広く発掘される。
[リヌパルス・ジャポニクス Linuparus japonicus]
[リヌパルス・トリゴヌス(ハコエビ) Linuparus trigonus]
ハコエビはイセエビに近縁な大型のエビで、40cmほどにもなる。太長い触角や角張った胴体を特徴とし、千葉県以西の比較的暖かい海底に住む。ハコエビにごく近縁なリヌパルス・ジャポニクスが北海道から発掘されることは、後に北海道になる当時の北東アジア沖の海底が今より暖かかったことを示す。
[アナゴードリセラス属 genus Anagaudryceras]
標準的な姿のアンモナイトで、成長に従って肋と呼ばれる殻口に平行な凹凸が増した。北海道ではアルビアン期以降の地層から様々な種類のアナゴードリセラスが産出する。直径20cm程度。
[プラビトセラス・シグモイダレ Pravitoceras sigmoidale]
北海道からは1つしか発見されておらず、和歌山の和泉層群で多く発掘される異常巻きアンモナイト。成長途中までは他の正常巻きのアンモナイトと大差ないが、成熟が近付いた途端ねじれながら巻く向きを反転させる。正常巻き部分の直径は20cm程度。
[ガビオセラス・エゾエンセ Gabbioceras yezoense]
数cmにしかならないごく小型のアンモナイト。殻の厚みは直径と同じくらいあり、巻きはきつい。アルビアン期には同じガビオセラス属の別種がより南方に生息していたが、セノマニアン期にはガビオセラスは北海道にしかいなくなった。
[マリエラ・パシフィカ、マリエラ・オーレルティ、マリエラ・レウェシエンシス Mariella pacifica、M.oehlerti、M.lewesiensis]
マリエラなど、巻貝に似た細長い円錐形に巻くものを塔状巻きという。セノマニアン期の地層から、大きさなどの異なる各種のマリエラ属が産出するが、いずれも小さな突起が4列並んでいる。
[ツリリテス・コスタトゥス Turrilites costatus]
これとハイポツリリテスもセノマニアン期の塔状巻きアンモナイトである。ツリリテスにも幼いうちは4列の突起があるが、成長につれて突起同士が連結し一つの縦長の隆起になる。
[ハイポツリリテス・コモタイ Hypoturrilites komotai]
マリエラやツリリテスと違い表面が滑らかで、大きな突起が1列だけ並んでいる。
[ユーボストリコセラス・ジャポニクム Eubostrychoceras japonicum]
縦に円筒螺旋を描き、個体によっては最後に上に曲がる異常巻きアンモナイト。これやリュウエラ、ムラモトセラス、スカラリテス等ノストセラス科の異常巻きアンモナイトは北海道のチューロニアン期以降の地層から多く産出する。
[リュウエラ・リュウ Ryuella ryu]
後述のニッポニテス同様、蛇行しながら緩く巻くことで複雑な形状になるアンモナイト。マダガスカリテスという属に含める意見もある。
[ムラモトセラス・エゾエンセ Muramotoceras yezoense]
一旦真っ直ぐ伸びてから反転して非常に低く緩い円錐形を描くアンモナイト。成長すると鍔状の肋が発達する。
[スカラリテス・スカラリス Scalarites scalaris]
ほどけたゼンマイのような緩く不揃いな巻きになるアンモナイト。同じスカラリテス属には鉤針状やゼムクリップ状など異なる形状の種も含まれる。
[ユウバリセラス・ユウバレンセ Yubariceras yubarense]
殻口が四角く肋が発達し、11列に並んだ突起もある武骨なアンモナイト。名前どおり北海道の、チューロニアン期の地層に固有。
[エゾイテス・テシオエンシス Yezoites tesioensis]
数cm程度の小型の異常巻きアンモナイト。途中まで通常の平面巻きで、成熟が近くなった一時期だけ直線的に成長し、再び巻くことで9の字型となる。スカフィテス(
第二話参照)と比べやや細い。エゾイテスとスカフィテスはセノマニアン期からコニアシアン期の地層で産出し、そのうちの何種類かは雌雄のペアかもしれない。
[コンボストレア・コンボ Konbostrea konbo]
コンボウガキと呼ばれる、非常に長い殻を持つカキの一種。軟体部は先端のごく一部を占めるだけで、他の部分は海底の泥に埋まらないようにするための土台の役割を果たしていた。海底に密集し、「カキ礁」を形成した。岩手県から発掘されるが、北海道でも三笠や中川から報告されている。
[メヌイテス・ジャポニクス Menuites japonicus]
肋が発達し、サザエのように長い棘が生えた装飾的な姿のアンモナイト。棘は低い突起にキャップが被さったような構造をしているため、内部は空洞である。
直径10cm以下。サントニアン期の地層から産出する。同属には棘がなくもっと大柄な種もある。
[ポリプチコセラス・プセウドガウルティヌム Polyptychoceras pseudogaultinum]
半周巻いては直線的に伸びることを繰り返す、細長いクリップのような形状の異常巻きアンモナイト。
[アイノセラス・カムイ Ainoceras kamuy]
成長の途中まで巻貝に似た円錐形に巻き、さらにその円錐の周囲を大きく取り囲むように大きなカーブを描く異常巻きアンモナイト。これやノストセラスはノストセラス科の中でも後の時代になってから現れたものである。
[バキュリテス・タナカエ Baculites tanakae]
ごく幼い時期だけ巻き、あとはほぼ直線的に伸びていく異常巻きアンモナイト。殻の一部しか残っていない化石でも他と見分けやすい。バキュリテスはチューロニアン期からカンパニアン期の地層で産出する。
[ディディモセラスの一種 Didymoceras sp.]
円錐形に巻いてから下に曲がり、さらにUターンして上を向く複雑なアンモナイト。和歌山に多く、北海道ではかなり珍しい。
[ノストセラス・ヘトナイエンセ Nostoceras hetonaiense]
ディディモセラスとよく似るが円錐部分よりUターン部分のほうが大きい。プラビトセラス、ディディモセラス、ノストセラスは互いに近縁とされ、中間的な形態の化石も発見されている。
[ネオヒボリテス・クボタイ Neohibolites kubotai]
ベレムナイトは三畳紀後期に現れ始めた頭足類である。一見イカに似るが体内には円錐形の殻があり、アンモナイトの殻やコウイカの甲と同様浮き袋の役割を果たした。殻の先端にある鞘という中の詰まった部分の化石がよく発見される。ベレムナイトの軟体部全体の印象化石が発見されており、腕には吸盤ではなく爪の列があった。アンモナイトの腕に爪があったとする復元もこれによる。
ネオヒボリテスは北太平洋において最も遅く、アルビアン期の終わりまで生き延びたベレムナイトであった。この頃大陸移動によって海流が変化し、北太平洋が寒冷化してベレムナイトや現在のイカの祖先に大きな影響を与えたと考えられている。
[プラセンチセラスの一種 Placenticeras sp.]
メタプラセンチセラスに近縁だが直径20cm以上になり、またへその周りに突起はなく平滑。北海道での産出例は少なく、研究が進んでおらず詳細な分類は不明。
[ハウエリセラス・アングストゥム Hauericeras angustum]
縁の尖った非常に扁平な殻を持つアンモナイト。直径10cmほどで殻口に3つの出っ張りがあるものと、出っ張りがなく25cm程度になるものがある。前者がオスではないかとされる。コニアシアン期からカンパニアン期、特に羽幌町のカンパニアン期の地層から多く産出する。
[ハイパープゾシア・タモン Hyperpuzosia tamon]
肋がとても発達したアルビアン期のアンモナイト。成長するほど肋は大きく隆起する。直径70cmほどにもなる。
[メソダーモケリス・ウンデュラトゥス Mesodermocherys undulatus]
ウミガメの仲間はウミガメ科、オサガメ科、絶滅したプロトステガ科に分かれるが、メソダーモケリスはオサガメ科に属する。現生のオサガメは甲羅が特に軽量化され、深海に潜りクラゲを食べる。メソダーモケリスはそこまで特殊化しておらず、浅い海で魚や頭足類を食べたと考えられる。最大で甲長2mに達した。北海道の穂別、中川の他、香川県や淡路島でも発見されている。
[パキデスモセラス・パキディスコイデ Pachydesmoceras pachydiscoide]
北海道で発掘されるもののうち最大級のアンモナイトで、直径1mを超えるものもみられる(世界最大のアンモナイトは直径2m近い)。殻口は楕円形でやや扁平、肋の発達は弱い。アルビアン期からチューロニアン期の地層で産出する。
[ニッポニテス・ミラビリス Nipponites mirabilis]
最も逸脱した形状をしているとされるアンモナイト。一見太いロープを巻かずに無造作に丸めただけのような形に見えるが、他のアンモナイトにも通じる一定の法則に従った、固有の曲線を描いている。「驚異的な日本の石」を意味する学名のとおり、主に北海道のチューロニアン期からコニアシアン期の地層に産出する。ユーボストリコセラスが祖先であると考えられている。
異常巻きアンモナイトはなぜそのような形状に進化したのかについて様々な考察がなされ、それぞれの殻の形状に合わせた行動を取る各種の異常巻きアンモナイトの復元画が描かれている。しかし通常のアンモナイトですら軟体部の化石が発見されておらず復元の大部分を推定に頼らざるを得ない以上、異常巻きアンモナイトについても憶測の域を出ない。
第十一話
[ハオプテルス・グラキリス Haopterus gracilis]
学名の意味:ハオ(赤偏におおざと)氏の繊細な翼
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の中国
成体の翼開帳:1.25m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 オルニトケイルス上科 オルニトケイルス科
中国・遼寧省の熱河層群で発掘された翼竜。白亜紀になってから多様化した尾の短い翼竜の仲間であるプテロダクティルス類に属する。その中でも歯のある翼竜としては最も大型化したオルニトケイルス科に含まれるが、翼開帳4m以上になるブラジルのアンハングエラやメキシコのコロボリンクスと違って小型だった。
小さな胴体に不釣り合いなほど長い翼(特に第4指のみで支えられた部分)や大きなクチバシ、外側を向く尖った歯などは他の大型の仲間とよく似ている。クチバシにアンハングエラなどのような骨のトサカはなかった。
翼の最も根本側の部分である上腕骨は太短く、三角筋・胸筋が付着する部分は単純な形状だが大きく張り出していた。体格の割に羽ばたく力は強かったと思われる。骨盤や後肢はひ弱だった。
大型のオルニトケイルス類は海の上を飛びながら魚を捕えたと考えられる。小型のハオプテルスも、熱河層群を堆積させた湖の上を長い間飛び続け、水中に向かってクチバシを突き出して魚を捕えて食べたらしい。
[ゲゲプテルス・チャンギ Gegepterus changi]
学名の意味:張氏の格格(満州語で姫)の翼
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の中国
成体の翼開帳:推定1m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 クテノカスマ上科 クテノカスマ科
ハオプテルス同様、熱河層群で発見された翼竜で、非常に細長いクチバシには細長い歯がびっしりと150本も生え揃っていた。
コンパクトな体形のハオプテルスと比べ、首や上腕骨、前腕骨、後肢が長かった。翼竜の多くは翼になった前肢の途中にある第1〜3指も地面について四足歩行をしたとされるので、地上での姿勢はゲゲプテルスのほうが高く、また水平に近かったことになる。
クテノカスマ科の翼竜は浅い水辺を歩きながら長いクチバシとたくさんの歯でプランクトンや小魚、小さな甲殻類をすくい上げて食べたと考えられる。ゲゲプテルスも例外ではなく、湖の浅いところを四足で歩きながら歯で餌を濾し取り、餌場から餌場へと飛んで渡っただろう。
特に化石証拠があるわけではないが、クテノカスマ科のような濾過食性の翼竜は、現在のフラミンゴやショウジョウトキなどの水鳥のように、食物から得たカロテン色素を体表に蓄積させて真っ赤になった姿に描かれることがある。
[シノヴェナトル・チャンギイ Sinovenator changii]
学名の意味: 張氏の中国の狩人
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の中国
成体の全長:1m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ エウマニラプトラ トロオドン科
熱河層群から多数発掘される小型獣脚類の一つで、鳥類にかなり近縁な恐竜。
小さな頭と胴体以外全体的にほっそりとしていて、水鳥に似た体形だった。なかでも後肢、特に膝より下の部分(脛骨と中足骨)は非常に細長く発達していた。
しかし他のトロオドン類のように3本の中足骨がくさび状に組み合わさった形状にはなっていなかった。また歯の形状も他のトロオドン類と違って縁の鋸歯が小さかった。これらのことから、シノヴェナトルはトロオドン類の中でも原始的であると考えられている。
後肢第2指はドロマエオサウルス類と同様可動性が高かったが、鉤爪はやや小さかった。小動物を追いかけて捕えたと考えられる。
前肢は鳥の翼のような関節の構造をしており、近縁種で見つかっているような羽毛もあったと考えられているが、あまり長くはなく、空を飛ぶことはできなかった。もし翼状になっていたとしても走行の補助か、休息時の保温、異性へのアピールなどに用いられたと思われる。
2006年の恐竜博において、全く関係のない小型植物食恐竜の化石がシノヴェナトルとして展示されていたことがある。
[リコプテラ・ダヴィディ Lycoptera davidi]
学名の意味:アルマン・ダヴィド氏の狼の鰭
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の中国
成体の全長:10cm以下
分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 アロワナ目 リコプテラ科
熱河層群を代表する魚の一つ。一見ごくありふれた現在の淡水魚によく似ているが、硬骨魚類としては原始的なアロワナ目に含まれる。なかでも現生のナイフフィッシュに近縁とされる。尾椎の一部が尾鰭の上半分を通っている点は特に原始的である。
小さいが尖った円錐形の歯を持っていた。これでプランクトンを捕えて食べたとされる。
非常に大量の化石が発見されており、当時淡水で餌を探す動物にとって重要な食料であったと考えられている。
[アルカエフルクトゥス・シネンシス Archaefructus sinensis]
学名の意味:中国産の祖先の果実
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の中国
成体の高さ:数十cm程度
分類:被子植物門 双子葉植物綱 古双子葉亜綱
知られている最古の被子植物(種子が完全に心皮に包まれた植物)の一つ。
ニンジンのように細かく枝分かれした葉をしていた。また、豆ざやに似た果実や花びらのないおしべが茎の先の方にあったことが分かっている。花びらがないとはいえ、これが今知られている最も古い花であるといえる。
湖の浅瀬に根付き、体の大部分を水上に出していたと考えられている。
当時同じ地域にはシダ植物や裸子植物が繁茂していたが、白亜紀を通じて被子植物は多様化していき、後期にはモクレンなどが登場するに至った。被子植物は昆虫や恐竜、哺乳類の進化にも大きな影響を与えたと考えられている。
第十二話
[フタバサウルス・スズキイ(フタバスズキリュウ) Futabasaurus suzukii]
学名の意味:鈴木氏が双葉層群で発見したトカゲ
時代と地域:白亜紀後期(約8500万年前)のアジア(日本)東岸
成体の全長:推定7m
分類:双弓亜綱 鱗竜類 鰭竜類 首長竜目 プレシオサウルス類 エラスモサウルス科
首長竜類は中生代を通じて海で繁栄した爬虫類である。胴体は丸みを帯びた流線形で、前肢、後肢は細長い鰭となっていた。首長竜という名前に反して、首の長さは種類により様々だった。しかしその中でもフタバスズキリュウが属するエラスモサウルス類は、白亜紀に現れた特に首の長いグループだった。
エラスモサウルス類一般の特徴として、首は全長の半分以上、ときに2/3を占め、頸椎は60個以上あった(フタバスズキリュウ自身の化石には首は一部しか残っていなかった)。首は根元近くより先のほうがよく曲がるようになっていた。頭は小さく、平たい楕円形をしていた。顎には細長く尖った歯が上下で噛み合うように生え揃っていた。尾は鰭と同じくらいの長さで、安定のための尾鰭として復元することも多い。
フタバスズキリュウはエラスモサウルス類の中では小柄なほうで、日本国内で初めて発見された首長竜として知られている。
1960年代、当時10代の鈴木直氏(現・いわき市アンモナイトセンター主任研究員)は福島県いわき市の双葉層群で化石の採集を行うのを趣味としていた。見つかるのは主に二枚貝やサメの歯であったが、1968年、かねてから確信していたとおり大型爬虫類の化石を発見することができた。そして当時国立科学博物館の研究員であった長谷川善和氏(現・群馬県立自然史博物館名誉館長)らが連絡を受け、発掘を進めた。
ほぼ全身が残った化石で、とても良好な保存状態であった。またそれ以外にも同種と見られる化石が同じ地層から発掘されている。しかし、独自の特徴が整理され学名が付けられたのは2006年のことだった。
タラソメドンのような他のエラスモサウルス類と比べると鼻孔がやや前方の低い位置にあった。また前肢は後肢より長く、鎖骨及び間鎖骨が独特な形状をしていた。胸部から食物をすりつぶすため、または錘として潜水のために使われたと思われる石が発見された。
他のエラスモサウルス類で推定されているのと同じく、鰭を上下に羽ばたかせてゆっくりと泳ぎ、小さな魚や頭足類、海底の生き物を食べたとされる。長い首は海底や狭い場所から餌をつまみ取ったり、魚の群れにそっと近付くのに使われたと考えられる。
国内では他にも、北海道からモレノサウルスの近縁種、鹿児島からサツマウツノミヤリュウなどいくつかエラスモサウルス類が発掘されている。
[イノセラムス・ウワジメンシス、イノセラムス・アマクセンシス Inoceramus uwajimensis、I.amakusensis]
学名の意味:宇和島産の繊維質の貝/天草産の繊維質の貝
時代と地域:白亜紀後期(約8900万年/8500万年前)のアジア(日本)東岸
成体の全長:10cm以下/60cm
分類:軟体動物門 斧足綱 翼形亜綱 ウグイスガイ目(?) イノセラムス科
ムール貝(ムラサキイガイ)に似た形をした二枚貝。肋という同心円弧状の凹凸が目立つ。名前どおり殻を形成する微細な結晶が繊維状になっているのが特徴。
イノセラムス類は中生代に特有の二枚貝である。蝶番の構造の解釈により、ウグイスガイ類(真珠貝の仲間)に近縁だという説とウグイスガイ類とは無関係だという説に分かれている。短い期間で様々な種類が移り変わったため示準化石として優秀である。
フタバスズキリュウの発掘された玉山層も、イノセラムス・アマクセンシスにより年代が決定されることから、イノセラムス・アマクセンシス帯という。フタバスズキリュウの化石のすぐそばからも見つかっている。玉山層より下の足沢層ではウワジメンシスが見つかる。中間の笠松層ではイノセラムスは見つからない。
他の二枚貝のように水中の細かい餌を濾過したと考えられるが、詳しい生態は判明していない。プランクトンとして生活する幼生の時期が他の二枚貝と比べ長く、分布の広い種類が多かった。流木などに付着する種があったとも言われるが、アマクセンシスのような中型〜大型の種は底性だったと思われる。
[メソプゾシア・ユウバレンシス Mesopuzosia yubarensis]
学名の意味:夕張産の中間的なプゾシア(※「プゾシア」はメソプゾシアに近縁なアンモナイト。由来は不明)
時代と地域:白亜紀後期(約8900万年前)のアジア(日本)東岸
成体の直径:1.2m
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 デスモセラス科
かなり大型のアンモナイト。殻口はやや幅が狭く、肋は成長に従って緩やかになる。
足沢層から発掘される代表的なアンモナイトであり、アンモナイトセンターでは地層ごと数十個も展示されている。足沢層を堆積させた浅い海は、メソプゾシアの生息や産卵に適していたか、メソプゾシアの死後軟体部が脱落して浮上した殻が流れ着きやすかったと考えられる。
足沢層からは他にも、異常巻きアンモナイトを含む小型のアンモナイトも発掘されている。
[トリナクロメルム・ベントニアヌム Trinacromerum bentonianum]
学名の意味:フォート・ベントンで発見された三つに分岐した大腿骨
時代と地域:白亜紀後期(約9000万年前)の北米大陸西岸
成体の全長:3m
分類:双弓亜綱 鱗竜類 鰭竜類 首長竜目 プレシオサウルス類 ポリコチルス科
首長竜の中でもポリコチルス類は頭が長くて首が比較的短く、頭と首を合わせると胴体と同じくらいの長さだった。同じような体型のプリオサウルス類に近縁であるという説と、エラスモサウルス類に近縁であるという説がある。
ポリコチルス類やプリオサウルス類はエラスモサウルス類と違って、急な潜行・浮上を含む活発な動作で獲物を追いかけたと考えられる。また、あるポリコチルス類の化石で胎児が見つかったことから、ポリコチルス類だけでなく陸に上がれない他の首長竜も海中で子供を出産したと考えられている。
トリナクロメルムはポリコチルス類の中ではやや小型で、顎には尖った小さな歯が多数並んでいた。小さめの魚やアンモナイトを主食としていたと考えられる。北海道でポリコチルス類の腹部からアンモナイトの顎器が発見されている。
双葉層群でもトリナクロメルムに近縁と思われるポリコチルス類の烏口骨の化石が発見され、「イワキリュウ」と呼ばれている。
[パキコンディラ・キネンシス(オオハリアリ) Pachycondyla chinensis]
学名の意味:中国産の分厚い顆
時代と地域:現世の東アジア、ニュージーランド
ワーカーの体長:4mm
分類:膜翅目 アリ科 ハリアリ亜科
主に朽ち木に営巣する現生のアリ。祖先のハチに由来する針を持ち刺すことができる。
ハリアリ亜科およびカタアリ亜科に分類される2つのアリを含む琥珀が玉山層から発掘されている。アリ類の進化史上重要な発見とされるが、この琥珀は個人所有のため研究が進められていない。
[クレトラムナ・アッペンディクラータ Cretolamna appendiculata]
学名の意味:小さな付属物のある白亜紀のネズミザメ
時代と地域:白亜紀後期(約9000万年前)から始新世(約5000万年前)のアジア・北米・モロッコ沿岸
成体の全長:推定2〜3m
分類:軟骨魚綱 板鰓亜綱 ネズミザメ目 ネズミザメ科(またはクレトキシリナ科)
現在のネズミザメ類(ホオジロザメなど)の祖先と考えられるサメ。体型や大きさもネズミザメ類に似ており、おそらく、大きめの獲物を襲って食べるという性質も近かった。
歯の形状は大まかにはネズミザメ類と変わらない三角形の刃状だったが、両脇に副咬頭という小さな歯が付いて三つ叉になっていた。
フタバスズキリュウの化石の四肢にはクレトラムナの歯が刺さったり、傷が付いたりしていた。クレトラムナが生きたフタバスズキリュウを襲ったのか、死んだフタバスズキリュウを漁ったのかは分かっていない。
双葉層群からは他にも何種類かサメやノコギリエイの歯の化石が発見されている。
第十三話
[エウロパサウルス・ホルゲリ Europasaurus holgeri]
学名の意味:ホルガー・リュトケ氏がヨーロッパで発見したトカゲ
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5500万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の全長:6.2m
分類:竜盤目 竜脚形類 真竜脚類 マクロナリア カマラサウルス上科 ブラキオサウルス科
竜脚類は長い首と尾を持つ四足歩行の植物食恐竜のグループである。全長10mを大幅に超えるものが多く、一部の種が全長30mを超えたことは確実とされる。
しかしエウロパサウルスは竜脚類としては例外的に小型だった。フクイティタンなど10mあっても竜脚類の中では小さいが、エウロパサウルスはさらに6m程度まで小型化していた。
全長の半分以上は首と尾に占められ、胴体だけだと大型のウマとさして変わらない。
化石は大小11体分以上が発見されていて、そのうち一番大きな個体が7年程度でほぼ成長を止めてから3年程生きた成体であったことが、骨の断面に見られる年輪状の模様の観察から示されている。
エウロパサウルスがこのように小型化したのは、狭い島に生息していたためだと考えられる。
一般に、元々大型だった動物が離島に生息するようになると、限られた食料や生活圏を活用できる小さな体を持った種が進化していく。エウロパサウルスは当時のヨーロッパを形成する島に適応して小型化した竜脚類だったようだ。
額から大きくせり出した鼻孔などは27mにもなる巨大竜脚類ブラキオサウルスに似ており、ブラキオサウルスのミニチュアのような姿だったと考えられている。つまり、前肢は後肢より少し長く、その分背中や首が傾斜した姿に復元されている。
餌を取るときも大型の竜脚類と同様、首を左右の広い範囲に動かして、木の葉を櫛状の歯でくわえ取っては飲み込んで長い消化器官でゆっくり消化したと考えられる。
第十四話
[プテリゴトゥス・アングリクス Pterygotus anglicus]
学名の意味:鰭のあるイギリスの生き物
時代と地域:シルル紀(約4億4300万年前)からデボン紀前期(3億9300万年前)の北米、ヨーロッパ沿岸付近
成虫の全長:2.3m
分類:節足動物門 鋏角類 節口綱 剣尾類 広翼目 ユーリプテルス類 プテリゴトゥス科
第六話も参照。
ウミサソリ類(広翼類)は現在のカブトガニに近縁だが、サソリに似た長い胴体を持つ水性の節足動物であった。オルドビス紀に現れ始め、シルル紀からデボン紀にかけて最も繁栄し、ペルム紀前期に絶滅した。
ウミサソリという名前が付いているが汽水から淡水に生息していたものも多く、プテリゴトゥスもその一つである。
プテリゴトゥスはワタリガニのような遊泳用の幅広い肢を一対持つユーリプテルス類に含まれる。その中でも、鋏脚という長いハサミのあるグループの一種であった。
この仲間はユーリプテルス類の中では特に大型化し、近縁種のアクティラムスやジェケロプテルスとともに節足動物全体でも最大級の全長に達した。
遊泳脚は体格の割に小さめだったが、尾の先端が菱形をした尾鰭になっていて、主に尾鰭の力で泳いでいたと思われる。また、全身の殻に丸い鱗のような小さな出っ張りが並んでいて、ゴルフボールのディンプルのように水の抵抗を減らしたと考えられる。
頭部の左右先端には大きな楕円形の複眼があった。
ウミサソリの含まれる鋏角類は口元にハサミ状の付属肢を持つが、プテリゴトゥスの仲間の鋏脚はそのハサミが大きく発達したものである。
ハサミの内側には多数の棘が生えていて、トラバサミのように上下で噛み合い、鋏んだものを離さず、切り裂くこともできるようになっていた。
プテリゴトゥスはこの大きなハサミで獲物を捕らえる捕食者だったと考えられてきたが、ハサミは細長く、筋肉の収まる部分もあまり膨らんでいなかったため、強度や筋力はそれほどなかった。カニやロブスターなどと違い丸いでっぱりではなく尖った棘が生えていたため、同じウミサソリの外骨格のような硬いものを割ることはできなかった。
アクティラムスに関する分析によると、ハサミが耐えられる力は5ニュートン(約500g)で、現生のカブトガニの殻を割るのにも足りなかったという。
また鋏脚全体の動きも遅かったという説がある。
よって、このハサミは小さく柔らかい獲物や、植物を含む食物を拾って口元に運ぶのに用いられたと考えられる。
[メガログラプトゥス・ウェルキ Megalograptus welchi]
学名の意味:L.B.ウェルチ博士が発見した巨大な筆石
時代と地域:オルドビス紀(約4億5千万年前)の北米、グリーンランド沿岸
成虫の全長:1.2m
分類:節足動物門 鋏角類 節口綱 剣尾類 広翼目 ユーリプテルス類 メガログラプトゥス科
第六話も参照。
プテリゴトゥスのようにハサミを持つウミサソリはごく一部であったが、メガログラプトゥスやミクソプテルスの仲間はハサミ状ではなく長い棘が生えた大きな捕獲脚を持っていた。
メガログラプトゥスの捕獲脚は一対で、左右にいっぱいに伸ばすと全長に近い幅に達した。主に砂の中から小さな生き物を探し出すのに用いられたと考えられる。
「巨大な筆石」という名前は、この捕獲脚を筆石という生き物(第二話参照)と誤認して付けられた。
遊泳脚はやや大きかった。尾の先端は棘状だったが、その前から強く後ろ向きにカーブした尾鰭が生えて棘を左右から囲んでいた。尾鰭を持たないミクソプテルスと比べ遊泳傾向が強かったと思われる。
第十五話
[ファヤンゴサウルス・タイバイイ Huayangosaurus taibaii]
学名の意味:金星(太白)のかかる四川地方(古名で華陽)にいたトカゲ
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6500万年前)の東アジア(中国)
成体の全長:4.5m
分類:鳥盤目 装盾類 剣竜類 ファヤンゴサウルス科
ステゴサウルスで知られる剣竜類の中で、最も原始的かつ最も小型の恐竜。特に原始的なことから分類はステゴサウルス科ではなくファヤンゴサウルス科と表記される。
剣竜類は背中に尖った骨の板、尾の先に2対の棘を持つ、4足歩行の植物食恐竜だった。骨板や棘はワニの装甲と同じ、脊椎動物の皮膚に存在する「皮骨板」が発達したものである。生前は角質の層か皮膚に覆われていたと考えられる。骨板は薄く血管の跡があることから、防御よりも視覚的アピールや体温調節に、また尾や肩の棘は武器として用いられたと考えられている。
また剣竜類の頭は小さく、口の先端には尖っていない短いクチバシがあった。歯や顎は弱く、植物の柔らかい葉を、種類を選びながら食べたと考えられる。
ファヤンゴサウルスの体型には独特なところがあり、他の剣竜の胴体が縦に平たいのに対して、ファヤンゴサウルスの胴体は少し幅広くて、背中は高くなかった。
また、他の剣竜の後肢が前肢のほぼ倍ほどもあり胴体が傾斜していたのに対して、ファヤンゴサウルスの後肢は前肢と比べてそこまで長くはなく、胴体は低く水平に保たれていた
骨板はより進化した剣竜と比べて小さかった。首から尾にかけて2列になって並んでいたと考えられるが、部位により形が違い、前半身のものは楕円形で、腰のものは長く尖っていた。
骨板は小さい分アピールや体温調節の機能も弱かったと思われる。また尾の棘も板状になっていたため強度が低くて、武器としてはあまり有効でなかったかもしれない。
それとは別に、肩には横向きに生えて後ろに向かって曲がった大きな棘があった。これはステゴサウルスにはなかったが、ケントロサウルスやトゥオジャンゴサウルスなど多くの剣竜類にあったものである。
頭骨は他の剣竜類と比べて幅と高さが大きく、クチバシの部分にも歯があった。眼窩の上には出っ張りがあった。
[ギンゴ・イマエンシス Ginkgo yimaensis]
学名の意味:義馬層産の銀杏
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億7000万年前)の東アジア(中国)
成体の高さ:推定10m以上
分類:裸子植物門 イチョウ綱 イチョウ目 イチョウ科
イチョウの仲間は1種しか現存していないが、ペルム紀に登場してジュラ紀から白亜紀にかけては特に繁栄していた。ジュラ紀にはすでに現生のイチョウと同じギンゴ属のイチョウ類が多く存在した(現生のイチョウはギンゴ・ビロバ
G. biloba)。
現生種がそうであるようにイチョウ類は平行脈を持つ扇形の葉が特徴で、種によって葉の幅や切れ込みの入り方は様々であった。ギンゴ・イマエンシスの葉は1枚が4つに分かれ、一つひとつの部分が細長い楕円形をしていた。
イチョウにはギンゴール酸などの動物にとって有害な物質が含まれ、現生の動物はあまりイチョウの葉を食べない。中生代においても恐竜がイチョウ類の葉を食べたとはあまり考えられていない。恐竜がイチョウ類の実を食べ、糞と一緒に未消化の種子を排泄することでイチョウ類の分布を広げたのではないかとも言われるが、イチョウ類の種子が恐竜の腹部や糞化石から見つかったことはないようだ。
[コニオプテリス属 genus Coniopteris]
学名の意味:円錐の羽
時代と地域:ペルム紀から白亜紀のほぼ全世界
成体の高さ:1〜3m
分類:シダ植物門 シダ綱 シダ目 タカワラビ科
シダ植物の中には木生シダといって、垂直に立ち上がる太い幹を持つものがある。ヘゴやタカワラビに似た木生シダは中生代にはよく見られ、森林の低木として当時の植物相の中で重要な位置を占めていた。
木生シダの幹は裸子植物や被子植物の幹と違い、根が集まってできたものである。幹の頂上から羽状に葉の付いた枝が放射状に伸び、その中央から新しい枝がワラビのように巻いた状態で生えてくる。
コニオプテリスは特にジュラ紀に広く繁栄していた。現在のタカワラビによく似た、胞子嚢が並んだ葉の化石が知られている。
[オトザミテス・ネイリダニエンシス Otozamites neiridaniensis]
学名の意味:寝入谷産の耳のような突起のある石になったメキシコソテツ
時代と地域:ジュラ紀前期(約1億8000万年前)の東アジア(日本)
成体の高さ:1〜3m
分類:裸子植物門 ソテツ綱 ベネチテス目 キカデオイデア科
ソテツに近い裸子植物であるベネチテス類は三畳紀から白亜紀にかけて栄えていた。木生シダと同様、ジュラ紀の森林を形成する重要な樹木であった。
全体の姿はソテツによく似ていたと考えられるが、ソテツとは気孔などに違いがある。オトザミテスは葉の小羽片の根元に1対の出っ張り(耳)があるという細かい特徴で見分けられる。
[ニルソニオクラドゥス・ニッポネンシス Nilssoniocladus nipponensis]
学名の意味:日本産のスヴェン・ニルソン氏の枝
時代と地域:ジュラ紀後期から白亜紀前期(約1億4000万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:不明
分類:裸子植物門 ソテツ綱 ベネチテス目 キカデオイデア科
羽状の葉などは他のベネチテス類とよく似ていたが、幹がとても細長いことが分かっている。他の植物の幹にからみつくつる植物だったと考えられている。
[エクイセティテス属 genus Equisetites]
学名の意味:石になったトクサ
時代と地域:石炭紀から白亜紀のほぼ全世界
成体の高さ:数十cm
分類:シダ植物門 トクサ綱 トクサ目 トクサ科
デボン紀に現れたトクサの仲間は、現在ではスギナ(ツクシ)など普通に見られるとはいえごくわずかな種類しか生き残っていないが、ジュラ紀には地表の代表的な草本植物であった。
エクイセティテスは現在のトクサによく似て、細かく分岐した細い枝葉が、太い茎の節から放射状に伸びていた。
現生のトクサやスギナはイネ科の草のように体全体にプラントオパールという珪酸の粒子を含むため、じゃりじゃりと硬い。エクイセティテスもプラントオパールを含んだ可能性があり、歯が発達していない剣竜類がエクイセティテスを食べるには、比較的柔らかいところだけをクチバシでつまみ取って飲み込むしかなかったかもしれない。
[ガソサウルス・コンストルクトゥス Gasosaurus constructus]
学名の意味:建設中の天然ガス採掘場で発見されたトカゲ
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6500万年前)の東アジア(中国)
成体の全長:4m
分類:竜盤目 テタヌラ メガロサウルス科(?)
ファヤンゴサウルスと同じ地層から発見された比較的小型の肉食恐竜。従来からやや原始的なメガロサウルス類に分類されることが多いが、アロサウルス類やコエルロサウルス類のような、より派生的なグループの初期のものかもしれないという意見も出されている。
頭骨を始め多くの部分が見付かっていないが、大型のメガロサウルス類に似た、大きな頭部を持つがっしりとした姿に復元されている。
第十六話
[ゲラストス・グラヌロスス Gerastos granulosus]
学名の意味:粒に覆われた栄誉あるもの
時代と地域:デボン紀(約3億9000万年前)の北アフリカ(モロッコ)沿岸等
成体の全長:3cm以下
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 プロエトゥス目 プロエトゥス科
三葉虫は古生代を代表する節足動物だが、最盛期を迎えたのは古生代の前半〜中頃に当たるオルドビス紀のことであり、シルル紀以降はむしろ多様性を減じていき、石炭紀にはプロエトゥス目のみとなっていた。
プロエトゥス目の三葉虫はいずれも小型で、体形にもそれほど変わった特徴はなかった。ゲラストス(プロエトゥス属に含める意見もある)も3cmに達しない程度の、丸みを帯びたごく一般的な姿の三葉虫だった。頭はやや大きく、両脇に後ろ向きの短い棘があるものもいた。ゲラストスやプロエトゥスの化石は一般にも流通しており、保存状態やクリーニングの精度にこだわらなければ2000円以下でも手に入る。
[ヒポディクラノトゥス・ストリアトゥルス Hypodicranotus striatulus]
学名の意味:小さな帯があり、二つの付属物が頭から長く伸びているもの
時代と地域:オルドビス紀(約4億5000万年前)の北米(カナダ)沿岸
成体の全長:3cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 アサフス目 レモプレウリデス科
三葉虫は普通海底を歩いて暮らしていたが、付属肢が根元で二又に分かれ片方が幅の広い鰓になっていたことから、一部はこの鰓を動かして泳ぐことができたとされる。この付属肢を二肢型という。
さらにヒポディクラノトゥスのように身軽で複眼が発達したものは、現生のオキアミのように遊泳生活を送っていたと考えられている。
ヒポディクラノトゥスは頭が平たく膨らんでいて、胴体は後ろに向かってすぼまり、体節の段差は小さかった。流体力学的な検証でも判明しているように理想的な流線型をしていた。また体の後方には左右に平たく広がった部分があり、頭部両脇の棘は脇腹に沿うように後方に伸びていた。
この体形により水の抵抗は小さく、また泳ぐときの安定性もあった。複眼は前後に発達して水平方向に広い視野を確保していた。
マウスガード様器官と呼ばれるU字型の平たい出っ張りが、顔面から尾部まで伸び、腹面を覆っていた。これは鰓を通り抜ける流れと、逆流して口に向かう流れを整える働きがあった。鰓で推進力を得ながら呼吸することや、流れてくる微細な有機物粒子を食べることに役立ったと考えられている。
[キクロピゲ・レディヴィヴァ Cyclopyge rediviva]
学名の意味:蘇った丸い尾
時代と地域:オルドビス紀(約4億5000万年前)の北アフリカ(モロッコ)沿岸
成体の全長:2cm以下
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 アサフス目 キクロピゲ科
キクロピゲもヒポディクラノトゥス同様複眼の発達した遊泳性三葉虫であったと考えられるが、体形は異なっていた。
大きく丸い頭部の左右には非常に発達した複眼があった。前後左右だけでなく上下まで広く見渡すことが可能だった。
胴体は頭部に比べてかなり小さく、平たい尾部が目立った。ヒポディクラノトゥスと違って丸まって防御姿勢を取ることができた。
[マルレラ・スプレンデンス Marrella splendens]
学名の意味:華やかなジョン・マー氏のもの
時代と地域:カンブリア紀(約5億4000万年前)の北米(カナダ)沿岸
成体の全長:2cm
分類:節足動物門 三葉虫形類? マルレラ類
いわゆるカンブリアンモンスターと呼ばれる動物群の化石を産出するカナダ・ブリティッシュコロンビア州のバージェス頁岩で、この地層の研究に大きく貢献したウォルコットが初めて発見した生き物の一つ。バージェス頁岩で最も多く見つかる生き物でもある。
ホウネンエビのように発達した鰓と肢のある細長い胴体をもつが、ホウネンエビはもちろん他の節足動物との関係も良く分かっていない。しかしマルレラに近縁と見られる生き物は後の時代の地層からもいくつか見つかっている。
最も目立つ特徴は頭部から2対のとても長い角が後ろに曲がって伸びていたことで、さらにそのうち前方の角には微細な溝構造があったことが分かった。この構造により光が回折し、生きているときはCDのように虹色に輝いたと考えられる。
海底の砂をかき回しながら歩いたり、鰓をはためかせて遊泳することで微細な有機物を集めて食べていたと思われる。
[ミメタスター・ヘキサゴナリス Mimetaster hexagonalis]
学名の意味:六芒星もどき
時代と地域:デボン紀(約4億年前)のヨーロッパ(ドイツ)沿岸
成体の全長:2cm
分類:節足動物門 三葉虫形類? マルレラ類
ミメタスターはマルレラと近縁ではないかと考えられ、胴体や鰓の様子はよく似ている。しかし角は3対となり、頭部から放射状に長く伸び、アンテナのように細かい枝が生えていた。
さらに前方の2対の肢が、角の作る六角形から大きくはみ出すほど長く伸びていた。テナガエビに雪の結晶をかたどった帽子をかぶせたようなシルエットだった。
前方の長い肢で体を起こして歩いたと考えられている。その場合一番後ろの角を海底に引きずることになるが、一番後ろの角は他の角と比べ特に丈夫になっていない。水面に浮かんで暮らしていたという説は特に出されていない。
[ディバステリウム・ドゥルガエ Dibasterium durgae]
学名の意味:多腕の女神ドゥルガーのように2つに分かれた肢の謎
時代と地域:シルル紀後期(約4億2500万年前)のヨーロッパ(イギリス)沿岸
成体の全長:2cm
分類:節足動物門 鋏角類 節口綱 剣尾目 共剣尾類
剣尾類、つまりカブトガニの仲間の体は頭である前体、胴体である後体、そして尾剣からなる。シルル紀には後体の体節が分離した共剣尾類と体節が癒合した狭義のカブトガニ類がすでに登場していた。
微細な火山灰からなる岩石を、中の化石ごと薄くスライスして切り出し、断面をコンピュータ上で重ね合せることで、ディバステリウムの体の細かい構造まで明らかになった。
ディバステリウムは共剣尾類に含まれ、現生のカブトガニと似た体形をしていたが、腹部は長かった。
付属肢は三葉虫やマルレラ類のように二肢型だったが、それらと違って分岐した肢の片方が鰓になっていたのではなく、両方とも歩脚だった。肢の先端はすでに今のカブトガニと同じくハサミとなっていた。二肢型の様々な節足動物と一肢型の剣尾類の中間の特徴を持っていた原始的な剣尾類だとされる。
[イベロネパ・ロメラリ Iberonepa romerali]
学名の意味:アルマンド・ディアス・ロメラル氏のイベリア半島のサソリ
時代と地域:白亜紀前期(約1億2700万年前)のヨーロッパ(スペイン)
成虫の全長:1.5cm
分類:節足動物門 汎甲殻類 六脚類 外顎綱 有翅類 旧翅類 半翅目 異翅類 タイコウチ類 コオイムシ科
昆虫は現在非常に繁栄しているにもかかわらず、化石記録には残りづらく、詳しく分かっている種類は少ない。半翅類(カメムシとセミの仲間)は石炭紀末には現れ、三畳紀の中頃にはすでにタガメやコオイムシに近縁な水生のものもいた。
イベロネパは保存状態の良い化石が発見されている。タガメやコオイムシの仲間だが、マツモムシに似た小さくやや細長い体、泳ぐのに役立つ長く平たい後肢を持った水生昆虫だったことが分かっている。生態はどちらかというとマツモムシに近かっただろう。
[アグノストゥス・ピシフォルミス Agnostus pisiformis ]
学名の意味:豆のような形の知られていないもの
時代と地域:カンブリア紀(約5億年前)のヨーロッパ(スウェーデン)沿岸
成虫の全長:1cm
分類:節足動物門 三葉虫形類? アグノストゥス綱 アグノストゥス目 アグノストゥス科
アグノストゥス類は非常に小型で原始的な三葉虫であるという説と、付属肢の構造の違いから三葉虫には含まれないという説がある。
ほとんど同じ形をした丸い頭部と尾部が、数節の短い胴体で繋がれていた。体を二つ折りにしてがま口財布のような姿勢で身を守ることができた。
[カンブロパキコーペ・クラークソニ Cambropachycope clarksoni]
学名の意味:ユアン・N・K・クラークソン博士のカンブリア紀の分厚い複眼
時代と地域:カンブリア紀(約5億年前)のヨーロッパ(スウェーデン)沿岸
成虫の全長:1.7mm
分類:節足動物門 汎甲殻類
全長が数mmしかないようなプランクトンでも化石に残ることがあるし、さらに小さくμm単位の化石さえある(微化石という)。
ボン大学のミュラー博士は、スウェーデンのオルステンという土地にあるカンブリア紀の地層からノジュール(地層中で丸く固まった石灰岩)を発掘し、砕いて薬品で溶かして小さな化石を取り出した。ノジュールの中にはカンブロパキコーペや後述のゴチカリス、また前述のアグノストゥスなど、非常に小さな節足動物や線形動物等の化石が、とても良好な状態で立体的に保存されていた。
カンブロパキコーペは一見、足鰭を付けたアリのような節足動物だった。ただし頭に見える部分は本当の頭からバイクのヘッドライトのように突き出た複眼の土台(眼柄)で、前面を大きな単一の複眼が覆っていた。
1対の触角、それにブラシ状の短い付属肢が3対と、大小2対のパドル状の付属肢があった。これだけ小さいとブラシ状の付属肢でも泳ぐのに使えるが、もっぱらパドル状の付属肢を動かして泳いだと考えられている。
[ゴチカリス・ロンギスピノサ Goticaris longispinosa]
学名の意味:長い棘のあるゴート族のエビ
時代と地域:カンブリア紀(約5億年前)のヨーロッパ(スウェーデン)沿岸
成虫の全長:2.5mm
分類:節足動物門 汎甲殻類
カンブロパキコーペとよく似た体の造りをしていて、より大型で細長い体型だった。
パドル状の付属肢は小さく、4対並んでいた。
カンブロパキコーペと同じく眼柄の正面に大きな複眼があり、さらに左右には丸く小さな付属物があった。光の強さを感じる単眼だったと思われる。尾端は長い針状になっていた。
第十七話
[パラサウロロフス・ワルケリ Parasaurolophus walkeri]
学名の意味:バイロン・エドモンド・ウォーカー氏の副サウロロフス(サウロロフスは他のハドロサウルス類の恐竜。意味は「トサカのあるトカゲ」)
時代と地域:白亜紀後期(約7600万年前)の北米(カナダのアルバータ州)
成体の全長:8〜10m
分類:鳥盤目 角脚類 鳥脚類 イグアノドンティア ハドロサウルス類 ハドロサウルス科 ランベオサウルス亜科 パラサウロロフス族
頭部に1mにもなる長いトサカがあったことで有名な、白亜紀の後のほうに現れた大型の植物食恐竜である。植物食恐竜の中でも竜脚類の次に大型化したグループであるハドロサウルス類に属する。2足で早く歩いたり走ったりすることも、4足で立ち止まったりゆっくり歩いたりすることもあった。
トサカは隆起した鼻筋がそのまま後上方に向かって伸びたもので、内部に鼻道が通っていた。鼻道は鼻孔からトサカの前側を通って先端でUターンし、後ろ側を通って喉に続いた。
ハドロサウルス類のうちランベオサウルス類にはこのような鼻道の通ったトサカがあったが、ランベオサウルスやコリトサウルスなど大半は頭頂部にくっついた板状のトサカを持っていた。
ランベオサウルス類が生前トサカをどのように用いていたか様々な説が出されている。なかでも現在特に有力な説は3つある。
音声を内部の空洞に響かせて大きくしたという説。
種類別や個体差、性成熟の度合いをお互いに判断する目印にしたという説。
そして、鼻道の面積を増やすことで嗅覚を増したという説である。これらの役割を併せ持っていた可能性が高い。
実際にパラサウロロフスの鼻道と同じ長さ・太さの管に音を響かせると、とても低く太い音になるという。しかし近縁種の脳の構造から推測すると、最も発達した感覚は嗅覚であった。
拡声器説と視覚アピール説ではトサカは他の個体に対する信号の源となるので、群れを成す習性と関係があるとされる。
パラサウロロフスの化石は他の北米のハドロサウルス類と比べてとても珍しいが、エドモントサウルスやコリトサウルスなどでは1種類だけで密集したボーンベッドが見つかっていることから、これら同様パラサウロロフスも1種類で大群を作って暮らしていたと考えるのが普通になっている。
全長2m、推定年齢1歳未満の子供のパラサウロロフスの化石が見つかっており、「ジョー」という愛称が付けられた。ジョーのトサカはまだ出っ張り程度であったが、コリトサウルスなどが全長4mくらいになってからトサカができ始めるのと比べるとトサカの成長が早い。
パラサウロロフスの場合幼いうちからトサカが伸び始めることで、長いトサカが形成されたのだと考えられる。またトサカには性的なアピールの機能があったという説から、パラサウロロフスの性的成熟は肉体の完全な成熟に先んじて起こったのだとも考えられる。
頭部の特徴としては他にも、平たいクチバシと、発達した歯や顎があった。
口の先端はクチバシであり、一度にたくさんの植物を口に入れることにも、種類を選びながら食べることにも役立ったと考えられる。エドモントサウルスのようなもっとクチバシの大きいものと比べると、選んで食べる傾向が強かったようだ。クチバシの内側には滑り止めとなる溝の列があった。
口の後半に数百本の歯が屋根瓦のようにぎっしりと密集して生え、大きな塊になっていた。これをデンタルバッテリーという。植物食動物は硬い植物を食べるうちに歯が擦り減ってしまうが、ハドロサウルス類の場合はデンタルバッテリーの上の方から擦り減った歯が抜け、下の方から新しい歯が生えて送り出されていくようになっていた。歯の一つひとつは6層もの硬さの違う組織からできていたため、少し擦り減ると硬い出っ張りができて植物をすり潰す機能が増した。
咬筋は比較的発達していた上、顎関節は単純に開閉するだけでなく複雑な動きができるようになっていた。さらに顎関節だけでなく、上の歯の生えている部分が下の歯に押されて横に動くようになっていた(プレウロキネシス)。これらの構造によって、パラサウロフスをを始めとするハドロサウルス類は、枝や樹皮のような硬いものでも噛み切ってすり潰すことができた。
歯列は顔面から落ちくぼんでいたため、このくぼんだ部分をふさぐような頬があって植物を溜めながら噛んだのだという復元が多い。
S字の首と湾曲した前半身の脊椎により、頭部は下を向くように保たれていた。2足と4足どちらの姿勢も取れるため、細く短い前肢を地面につくと地表の植物を楽に食べることができたし、起き上がってもっと高いところの植物を食べることもできた。
エドモントサウルスやコリトサウルスのミイラ化石により、前肢の第2指から第4指は生きていた時はミトンのようにひとまとまりになっていたことが分かっている。手の平は真後ろではなくやや内側を向いていた。
胴体の脊椎は腰を頂点とするカーブを描き、長い肋骨とともに幅が狭く高い胴体を形作っていた。植物を消化するための長い消化管が収まっていたと考えられる。
後肢には体重を支えるのに適した特徴と速く走るのに適した特徴の両方が見られる。大腿骨や脛骨・腓骨は長く真っ直ぐで、中足骨は短かった。爪は平たい蹄だった。
膝の裏に当たる部分には、下肢部を動かすための腱が収まる溝があった。鳥脚類の場合この溝は恐竜の中でも特に深いもので、後肢を速く動かしても腱の往復運動がぶれることはなかった。
尾は2足歩行するときにバランスを取るため、長くまた上下に幅広く発達していた。胴体の中ほどから尾の先まで棘突起(背筋の骨)が長く発達していて、さらに骨化した腱で網状に覆われていた。このため胴体や尾をあまり曲げることができなかったが、体を支えるために体重を分配するのには適していた。
トサカの外見や音声で同種を確認しながら群れを成し、主に地表の様々な植物を食べて暮らしていたと考えられている。
目立つ武器はないため、嗅覚と視覚を用いた群れのメンバー全員の警戒、危険に気付いた時に音声で仲間に知らせること、発達した後肢の脚力などで捕食者から身を守ったようだ。しかしかなり大型になったので、成体ならある程度の相手は武器がなくても追い払えた可能性が高い。
巣と幼体の化石が見つかったマイアサウラからの推測により、何らかの形で子育てをしたとされる。土を皿状に盛り上げ、その中に数十個の卵を生んで植物を積み上げ、発酵熱で温めたと考えられている。子供に餌を直接与えたかどうかは意見が分かれている。
第十八話
[金生山のウミユリ(学名なし) class Crinoidea]
分類群の名前の意味:ユリのようなものの仲間
時代と地域:ペルム紀前期(約2億7000万年前)の東アジア(日本)
成体の高さ:断片的なため不明(茎の直径は最大10cm程度)
分類:棘皮動物門 有柄類 ウミユリ綱
ウミユリは一見ユリのような長い茎の先に花の咲く植物に似ているが、実際はウニやヒトデ、ナマコと同じ棘皮動物に含まれる。他の棘皮動物のように自由に動き回るのではなく、ほぼ特定の場所にとどまって過ごす、棘皮動物の中でも初期の性質を残している。
ウミユリの体はヒトデをひっくり返して茎の上に乗せたような構造をしている。萼と呼ばれる本体を茎で海底から持ち上げ、腕(いわゆる触手のような部分)を花のように広げて裏側に水流を受け止め、流れてくる有機物を捕まえて中心にある口に運ぶ。腕は枝分かれしているものが多く、また羽枝という糸状の器官が多数並んでいて、細かい餌を捕まえやすくなっている。
棘皮動物は五放射相称といって、同じ部品が5つミカンの房のように集まった形状を基本としている。ウミユリも腕の本数が5の倍数である。また茎の断面も円や五角形、星形と五放射相称になっている。
リン酸カルシウムの骨片を皮にあたる組織でつないだ構造も棘皮動物の特徴だが、ウミユリも全身に骨片を持つ。茎は茎板という板状の骨片をたくさん重ねた構造になっている。
ウミユリは根のような器官で海底に固着しているが、途中で自切して横たわり、腕を使って餌のありかを求め動き回ることができる種類もいる。化石種は現生種ほどよく動いたわけではないようだ。
自切しても根の方が死なず萼を再生させるという観察例がある。また腕を捕食者などに切られたあと再生したと思われるものも多く見つかっていて、現生種の再生能力は高いが、化石種はそれほどではなかったようだ。
オルドビス紀からペルム紀にかけて浅い海で繁栄し、ジュラ紀頃の化石も多く見つかっているが、今も茎のある種類は深海に、また茎のない種類(ウミシダ)は浅い海にも生息している。
現生種の標本の観察結果により、浅い海からウミユリがいなくなったのは、浅い海で繁栄し始めた硬骨魚類に捕食され、当時のウミユリの再生能力が追い付かなくなったためだと考えられている。
岐阜県の金生山は全体が石灰岩からなるペルム紀の地層で出来ている。ウミユリの化石は下部層の石灰岩を形成する重要な要素である。
通常ウミユリの茎の直径は3cmもないが、金生山では太さ10cmほどもある大変大きなウミユリの茎の化石が見つかることもある。これは太さでは史上最大のウミユリである。
ペルム紀に赤道直下にあった地殻が大陸移動により現在の金生山の位置に運ばれてきたのだが、金生山の地層が堆積した海は栄養分が非常に豊富に得られる潮流などがあったらしく、生息していた動物の大型化が促されていたようだ。茎が非常に太いことから、海底から体を高く持ち上げていたと考えられる。
ウミユリの体は骨片の関節でばらばらになりやすいため、化石のほとんどは断片的なものである。ウミユリの分類には萼や腕の形態が重要なのだが、金生山では萼の部分はほとんど見つかっていない。そのため、茎だけは非常に多く見つかっているにもかかわらず金生山のウミユリの分類は進んでいない。
しかし茎の特徴だけでも非常に太く茎板が薄いもの、茎板が樽型に膨らんでいるもの、茎板と茎板の間がくびれているものなど8種類が見分けられている。
[スカチネラ・ギガンテア Scacchinella gigantea]
学名の意味:アルカンジェロ・スカッチ氏の大きなもの
時代と地域:ペルム紀後期(約2億7000万年前)の東アジア(日本)
成体の高さ:約10cm
分類:腕足動物門 ストロフォメナ綱 プロダクトゥス目 スカチネラ科
腕足動物は一見二枚貝に似た殻を持っているものが多いが、内部の構造は大きく異なる。二枚貝の殻の中は太い筋肉(貝柱)や大きな鰓、肉厚の足などが詰まっているのに対して、腕足動物の殻の中はほとんど空洞で、触手冠というばね状またはブラシ状の器官が空洞の中に収まっている。
水の中から餌になるものを濾し取って摂取するのは二枚貝も腕足動物も同じだが、二枚貝が筋肉の力で能動的に水を吸い込むことができるのに対して、腕足動物は自分から水流を起こす能力に乏しい。触手冠に生えた繊毛で水流を起こすことができるとされるが、もっぱら外部の水流を誘導して受動的に内部の水を入れ替えていると考えられる。触手冠の形態と殻の形態は、殻の内部に起こる水流により密接に関係しているようだ。
体を固定するのにも二枚貝と違って筋肉の力を利用せず、肉茎という結合組織でできた器官で海底にへばりつく。
現生種には涙滴型の殻を持つシャミセンガイの仲間、平たい円錐形の殻を持つカサシャミセンの仲間、分厚い楕円形の殻を持つチョウチンガイの仲間がいる。しかしペルム紀末まではさらにずっと多くの種類がいて、スカチネラが属するプロダクトゥス類はペルム紀に特に大繁栄して殻の形態も非常に多様化していた。
スカチネラ自身は片方の殻が長い円錐形、もう片方の殻が蓋状になっていて、単純ではあるが腕足動物らしくはなかった。金生山の下部層から、それほど大きくないタイプのウミユリと一緒に密集して発掘される。金生山からは他にもレプトドゥスなどの腕足動物が発掘される。
[パラフズリナ・ジャポニカ Parafusurina japonica]
学名の意味:日本の副フズリナ(フズリナはフズリナ類の代表的な属。意味は「紡錘のような小さな生き物」)
時代と地域:ペルム紀前期(約2億7000万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:約1cm
分類:リザリア界 有孔虫門 有孔虫綱 紡錘虫目 フズリナ類 ネオシュワゲリナ科
有孔虫とは「星の砂」として知られるホシズナなど、石灰質の殻を持つ単細胞生物である。殻の表面には孔が開いていて、仮足と呼ばれる細長い器官をそこから出して食物を取り込んだり老廃物を排出したり、移動することもできる。
2mmほどあるホシズナなど単細胞生物としては大型だが、古生代に繁栄したフズリナ類(紡錘虫)はさらに1cmかそれ以上まで大型化していた。
フズリナ類の紡錘形をした殻の中は多くの層と部屋に分かれていて、その空間は全て軟体部で埋められていた。断面には部屋が渦巻き状に規則正しく並んでいるのが見える。成長とともにこの部屋は増えていった。
現在の有孔虫と同じように、海藻の根元に取り付いて生活し、死んだあとに残った殻は砂浜を形成する石灰質の一部となったと考えられる。
フズリナ類は短期間で種が入れ替わり殻が化石に残りやすいため、示準化石として優秀である。金生山の地層は最も古いパラフズリナから最も新しいヤベイナまで層によって異なるフズリナ類の化石が密集して産出する。パラフズリナはやや細長い形をした大型のフズリナ類だった。
パラフズリナ・ジャポニカは日本で初めて学術的に認識された化石である。1875年、ドイツの古生物学者ギュンベルは金生山のフズリナ化石を論文に記載し、そのうちの一つをシュードフズリナ・ジャポニカと命名した。シュードフズリナ・ジャポニカは後にパラフズリナ・ジャポニカと再分類された。
[ベレロフォン・ジョネシアヌス Bellerophon jonesianus]
学名の意味:ジョーンズ氏の天馬を駆る英雄
時代と地域:ペルム紀後期(約2億5000万年前)の東アジア(日本)
成体の直径:約15cm
分類:軟体動物門 腹足綱または単板綱 ベレロフォン目 ベレロフォン科
巻貝のように見えるほぼ球形の殻を持つ軟体動物。見た目どおり原始的な巻貝であるという説と、筋肉痕の特徴から、単板類という元々巻いていない貝の中から独自に巻くようになったものだという説がある。円錐形の螺旋ではなく平板状に巻き、殻口にはスリットがあった。
どちらに分類されるにしても殻口から出した軟体部で接地して這い回っていたようだ。
他の産地で産出するベレロフォンは数cm程度だが金生山で発掘されるものは特別大きかった。金生山ではこのように、他の産地と違って大きな貝化石も産出する。
[ジンバクリヌス・ボストーキ Jimbacrinus bostocki]
学名の意味:ボストック氏のジンバ地方のユリ
時代と地域:ペルム紀前期(約2億8000万年前)の西オーストラリア
成体の高さ:25cm
分類:棘皮動物門 有柄類 ウミユリ綱 アンペロクリヌス目 カルケオリスポンギア科
ジンバクリヌスは金生山のウミユリと比べるとだいぶ小さな、標準的かむしろやや小型のウミユリであった。
枝分かれしていない太い腕が5本あった。萼はごつごつと大きな骨片が集まった形で、骨片から1つずつ太い棘が生えているのが特徴だった。
[エウクラドクリヌス・ケンタッキエンシス Eucladocrinus kentuckiensis]
学名の意味:ケンタッキー州産のよく枝分かれしたユリ
時代と地域:石炭紀前期(約3億4500万年前)の北米(ケンタッキー州)
成体の高さ:数十cm
エウクラドクリヌスは分厚い円盤状の萼から根元で二つに分かれた腕が生えているのも個性的だが、最大の特徴は茎がねじれていることであった。茎の断面は他のウミユリと違って平たい楕円形をしていたため、ねじれている様子が分かりやすい。
[マクロクリヌス・ムンドゥルス Macrocrinus mundulus]
学名の意味:小奇麗で大きなユリ
時代と地域:石炭紀前期(約3億4500万年前)の北米(インディアナ州)
成体の高さ:10cm以上
分類:棘皮動物門 有柄類 ウミユリ綱 円頂類 モノバトリダ目 バトクリヌス科
小型のウミユリで萼は小さく、腕は萼の段階ですでに枝分かれして細かった。
マクロクリヌスの最大の特徴は萼の中心から腕より長く伸びた肛門腺で、これによりミズバショウの花かパラボラアンテナのような見た目をしていた。
[スキタロクリヌス・デカダクティルス Scytalocrinus decadactylus]
学名の意味:10本の指がある円柱状のユリ
時代と地域:石炭紀前期(約3億4500万年前)の北米(インディアナ州)
成体の高さ:数十cm
分類:棘皮動物門 有柄類 ウミユリ綱 デンドロクリヌス目 スキタロクリヌス科
腕が根元で2つに枝分かれしていて、やや太く先端だけすぼまって、ペンのような独特の形をしていた。
[アガリコクリヌス・アメリカヌス Agaricocrinus americanus]
学名の意味:アメリカのマッシュルームのようなユリ
時代と地域:石炭紀前期(約3億4500万年前)の北米(インディアナ州)
成体の高さ:数十cm
分類:棘皮動物門 有柄類 ウミユリ綱 円頂類 モノバトリダ目 アガリコクリヌス科
五角形をした萼から根元で2つに分かれた腕がほぼ横向きに生えていた。ウミユリの化石は腕がすぼまっていることが多いが、アガリコクリヌスの化石は腕が根元で膨らんでいるように見える。
[ケストクリヌス・シグナトゥス Cestocrinus signatus]
学名の意味:署名の入ったグローブのユリ
時代と地域:石炭紀前期(約3億4500万年前)の北米(インディアナ州)
成体の高さ:数十cm
分類:棘皮動物門 有柄類 ウミユリ綱 円頂類 クラディーダ ボトリオクリヌス科
腕が何段階にも枝分かれして、先端に近づくにつれてかなり細長くなって密集していた。
インディアナ州のクローフォーズヴィルは60種以上に及ぶウミユリの化石が多数産出する、世界有数のウミユリ化石産地である。
[スキフォクリニテス・エレガンス Scyphocrinites elegans]
学名の意味:石になった優雅な杯のユリ
時代と地域:シルル紀後期からデボン紀前期(約4億2000万年前)の北米、ヨーロッパ、北アフリカ
成体の高さ:数十cm以上
分類:棘皮動物門 有柄類 ウミユリ綱 円頂類 モノバトリダ目 スキフォクリニテス科
スキフォクリニテスやマロウマクリヌスの茎の根元は根状の器官ではなく、ロボリスという丸い中空の器官になっていた。生きていた時にはロボリスの中に気体が詰まっていて、海面に浮かんだロボリスからぶら下がるようにして生活していたと考えられている。
萼は六角形の骨片がたくさん集まった杯状の形になっていて、腕は根元から先端まで満遍なく枝分かれしていた。
第十九話
[カスモサウルス・ベッリ Chasmosaurus belli]
学名の意味:ウォルター・ベル氏の裂け目のあるトカゲ
時代と地域:白亜紀後期(約7600万年前)の北米(アルバータ州)
成体の全長:4〜5m
分類:鳥盤目 周頭飾類 角竜類 ケラトプシア ケラトプス科 カスモサウルス亜科
頭部にフリルと角、尖ったクチバシのある四足歩行の植物食恐竜である角竜の一種。北米大陸の西側からはケラトプス科に属する派生的な角竜類が多数発掘されていて、8000万年前から白亜紀の終わる6600万年前にかけて時代・地域により様々な種が入れ替わっていたことが分かっている。
カスモサウルスは北部のカスモサウルス類としては原始的な種類だった。ベッリ種とルッセリ種はフリルの細部や角の長さに違いがあるが、実際は同じ種の雌雄かもしれない。
最も有名な角竜であるトリケラトプスによく似た体型だったが、トリケラトプスと比べると小柄で、フリルや角の形態は異なっていた。
カスモサウルスの仲間はトリケラトプスを含めて目の上の2本の角が長く鼻の上の1本の角が短いものが多かったが、カスモサウルスは目の上の角も短く、個体によってはほとんどなかった。
目の上の角が長いトリケラトプスや鼻の上の角が長いセントロサウルスの場合は角の使い方について詳しい研究が行われている。これらの場合角を左右に振り回して外敵やライバルを威嚇または撃退することができ、さらにトリケラトプスのように長い角が2本あるものは、同種同士で角を組み合わせて闘争することもあったと言われる。しかしカスモサウルスのような短い角の使い方はよく分かっておらず、物理的な機能より同種同士の視覚的アピールに用いられたのかもしれない。短い角よりクチバシのほうが武器として使われたと言われることもある。
小柄で角も短い反面、カスモサウルスのフリルは非常に発達していた。全体が縦長の扁平な逆台形をしていて、高さは1mにもなった。上の両端にホーンレットと呼ばれる小さな棘があった。角竜の中には複雑な形状のフリルやホーンレットを持つものもいたが、カスモサウルスのフリルはシンプルだった。
フリルは中央の大きな逆三角形の部分(頭頂骨)と、その両脇の、後ろ向きに曲がった小さな三角形の部分(鱗状骨)に分かれる。頭頂骨には左右一対の大きな穴が開いていて、フリルの大部分がほとんど骨組みしかない構造をしていた。
トリケラトプス以外の角竜は皆フリルに穴が開いていたが、カスモサウルスのフリルに開いた穴は特に大きかった。生前は穴が軟組織で埋められていたとされる。頑丈な構造ではないため、トリケラトプス以外の角竜のフリルが外敵からの防御に役立ったとはあまり考えられていない。
幼体ではフリルも角も体に対してごく小さかった。
フリルには表面に血流を巡らせることで放熱したという物理的な機能の他に、外敵やライバルに対する威嚇、性的に成熟しているという目印といった視覚的な機能があったと考えられる。
口の先端にある尖ったクチバシと、非常に発達した奥歯や顎も角竜の特徴である。
奥歯は数百本が集まり、鳥脚類と同じくデンタルバッテリーという塊を形成していた。塊の下から新しい歯が生え、上の方の歯が食べ物を噛むのに使われ、擦り減るごとに下から生え変わった。鳥脚類とは違って、広い面で食物をすり潰すより尖った縁で裁断機のように固いものを切り刻むのに適していた。
顎は丈夫で咬筋が発達していた。フリルの根本近くは咬筋の土台にもなっていた。カスモサウルスは角竜の中では吻部が細長いほうで、固い植物をある程度選びながら食べていたようだ。
頭部を支える首は太くて短く、頸椎のうち前方の一部は癒合して頑丈になっていた。またフリルの裏側の一部は頭を支える筋肉を付着させる役割もあった。
深く曲がった肋骨、湾曲した脊椎、幅広い骨盤が樽状の胴体を形成していた。植物を消化するための長い消化管を収めるスペースが確保されていた。腸骨と仙椎は一体化して板状になり、背中の後半全体を覆っていた。尾は恐竜としては細く短かった。
四肢は頑丈だったが、走行にもある程度適していた。
前肢は後肢と比べて短く、頭部を低く保っていた。保存状態のいいトリケラトプスの化石から、派生的な角竜は手の平を後ろではなく内側に向け、第一〜第三指だけを前に向けて歩いたことが分かっている。第四指、第五指は小さくて爪もなかった。
まとまって化石が見つかる場合があることから、規模の小さい群れを作って生活していたと考えられている。もっと大規模な集団の化石が見つかる角竜もいる。群れのメンバー同士の関係を形成するために角やフリルによるアピールが行われただろう。
第二十話
[アロデスムス・ケロッギ Allodesmus kelloggi]
学名の意味:レミントン・ケロッグ氏の異なった類縁
時代と地域:中新世中期(約1500万年〜1000万年前)の北太平洋沿岸(日本、北米)
成体の全長:2〜3m
分類:食肉目 鰭脚亜目 デスマトフォカ科
アシカ、アザラシ、セイウチの仲間はまとめて鰭脚類と呼ばれ、イヌ、ネコ、クマなどと同じ食肉類に含まれる。このグループには上記の3つ以外にもう一つデスマトフォカ科という、アザラシに近縁で絶滅したグループがある。アロデスムスは代表的なデスマトフォカ類の一つであり、トドと同等の大きさになる大型の鰭脚類だった。
同じ鰭脚類でもアシカとアザラシでは泳ぎ方が異なり、アシカはペンギンのように翼状の前肢を羽ばたかせて進むのに対して、アザラシは魚のように尾鰭状の後肢を交互に振って進む。しかしアロデスムスはアシカに似た前肢とアザラシに似た後肢を兼ね備えていて、おそらく二つの泳ぎ方を使い分けていた。
頭部は平たかった。また臼歯は比較的大きく、どれもやや後ろにカーブした単純な円錐形をしていた。どちらかというと大きめの魚やイカを食べるのに適した形状だが、現在の多くの鰭脚類がそうであるように、状況によって最も手に入りやすいものを中心に食べていたと思われる。眼窩は大きく、深く潜っても視覚で餌を探すことができたと考えられる。
オスがメスより大柄であるという、はっきりとした性的二型が確認されている。例えば恐竜などの場合化石から性別を判断するのは難しいとされるのとは対照的である。アシカ類やゾウアザラシのように、繁殖期には多数のメスが群れをなし、一頭のオスが自分のテリトリー内のメス全員を繁殖相手とするハレムを形成したのではないかと言われる。また、その場合は繁殖期でないときには長距離の回遊を行って栄養の摂取に専念しただろう。
鼻孔が吻部の上面に大きく開いていることも性的二型と関連付けられて、オスはゾウアザラシのように大きく柔軟な鼻を持っていたとする復元が多い。
デスマトフォカ類が生息していた中新世中期にはまだいわゆる「氷河期」は訪れておらず、温暖な気候だった。それ以降に寒冷化が起こったことにより、デスマトフォカ類は餌生物や上陸可能な陸地の確保、体温調節に大きな影響を受けて絶滅したようだ。現在もキタオットセイなどは海水温や流氷の広がる範囲などの年ごとの変化に大きな影響を受けながら生活している。
第二十一話
[ラフス・ククラトゥス(モーリシャスドードー) Raphus cucullatus]
学名の意味:カッコウに似ていて縫い目のあるもの
時代と地域:17世紀までのモーリシャス島
成体の全高:1m
分類:ハト目 ハト科 ドードー亜科
一部の鳥類を除く恐竜が絶滅して以来、二次的に飛行能力を捨てた鳥が様々なグループの鳥類から現れてきた。モーリシャスドードーとロドリゲスドードーは、オオハシバトに近縁な飛ばなくなったハトの一種である。
飛行能力は鳥類の特に目立つ特徴だが、体の構造に多くの制約を設ける原因にもなる。そのため、特に飛ぶ必要のない場合、飛行能力を捨てる鳥類も多い。ドードーも捕食者のいないマスカリン諸島に生息することで、陸上で大型化するという進化を遂げた。マスカリン諸島には他にも様々な飛ばない鳥が生息していた。
特に断りなくドードーと言った場合モーリシャスドードーを指すことが多い。大きなクチバシと頭、がっしりとした胴体や後肢を持つ大型の鳥であった。
灰色の羽毛に被われた、俯いたシチメンチョウのような姿で有名であり、体重20kgにも達する異様に太った鳥であったとされてきた。しかし今では、これは捕獲された後運動不足、栄養過多となった個体の姿であると考えられている。
化石として残された骨格の検証により、健康なドードーは体重10kgを超える程度で、首を上げ体を起こした、他の鳥と変わらない姿勢を保っていたことが分かった。
翼である前肢はすっかり退化していた。ダチョウと違って飛ぶ以外のことにも使わなかったようだが、生息時に残された絵画から翼は胴体の羽毛に埋もれることなくはっきりと見分けられたことが分かる。胸骨はそれほど小さくはなかった。
丸い頭は顔面だけ羽毛がなく、フードを被っているように見えた。
クチバシはとても大きかった。途中まで太く真っ直ぐで、先端近くが丸く膨らんで鉤状に曲がっていた。角質の層はこの膨らんだ部分だけを覆っていた。
何を食べていたのか明確な記録はないが、近縁であるオオハシバトの食性から、地上に落ちた果実や種子を中心に食べていたと考えられる。かなり固いものでも食べられたかもしれない。
モーリシャス島に生えているタンバラコク(カリヴァリア)という樹木の種子は一旦ドードーに食べられて分厚い皮をある程度消化されないと発芽しないと言われてきたが、近年では否定されている。
16世紀にヒトがモーリシャス島に移住するようになると、ヒトを恐れず威嚇するドードーは害鳥として駆除され、またイヌやネコ、ブタなどの家畜、物流に紛れ込んだネズミによりドードーの卵や雛が捕食され、ドードーは絶滅に追いやられた。
その間に残されたドードーの自然史的な記録は少なく、ただ一体の全身の剥製さえ保存状態の悪さから廃棄された。生息当時に保存された標本としては肉の残った頭部と足があるが、当時のものよりも2005年から2006年にかけてサトウキビ畑で発掘された骨のほうが充実しているようだ。
[シノルニトサウルス・ミレニイ Sinornithosaurus millenii]
学名の意味:千年紀の節目に中国で見つかった鳥のようなトカゲ
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の中国
成体の全長:1m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ エウマニラプトラ ドロマエオサウルス科
ドロマエオサウルス類は最も鳥に近いとされている肉食恐竜のグループである。シノルニトサウルスはその中でも比較的小型で、全身に羽毛があったことが化石に残った痕跡から確認されている。
細長い四肢とコンパクトな胴体を持ち、肩関節は真横を向いていて鳥のように羽ばたくことができた。生前は風切羽の生えた翼になっていたようだ。滑空や飛行ができるほど大きな翼ではなかったが、同種へのディスプレイや立体的な移動の補助などに使われたとされる。羽毛に残ったメラノソーム(メラニン色素の粒)の顕微鏡観察から、茶色や黒の模様があったと考えられている。
吻部も比較的細長かった。歯は大きく、上顎の最も大きい数本の歯には側面に溝があった。またそのすぐ上の骨にくぼみが見られたことから、くぼみには毒腺が収まっていて、噛み付いた獲物に歯の溝を通じて毒液を注ぎ込んだのだという説が唱えられた。現在はヤマカガシなど一部の毒ヘビがこうした毒牙を持つ。
しかし現在では毒腺の収まるくぼみがあるという説は疑問視されている。また歯の大きさも、歯が歯槽からはみ出して実際より大きく見えている可能性がある。
どちらにしろ小動物や昆虫を主に捕らえて食べたようだ。
[フォルスラコス・ロンギッシムス Phorusrhacos longissimus]
学名の意味:ぼろ布をまとったとても長いもの
時代と地域:中新世中期(約1500万年前)の南米(アルゼンチン)
成体の全高:2.5m
分類:ノガンモドキ目 フォルスラコス科
飛ばない鳥はドードーのように離島に現れたものばかりではなく、例えば現在のダチョウやエミューのように、大陸の環境にも非常に大型の飛ばない鳥がたびたび現れていた。その中でもフォルスラコスの仲間やガストルニス(ディアトリマ)の仲間など、狭義にはフォルスラコス類だけを「恐鳥類(テラーバード)」と呼ぶ。
フォルスラコスはこうした飛ばない大型鳥類の中でも特に背が高く、しかし身軽な体形をしていた肉食の鳥類だった。
2.5mに達する高さの大半は細長い首と後肢で占められていた。後肢の筋肉は発達していて走行に適していた。また足には鉤爪があった。翼である前肢はごく小さく、胸骨の竜骨突起はなくなっていた。
頭部は胴体とあまり変わらない大きさで、クチバシは上下に幅広く先端が鉤状に曲がっていた。近縁のアンダルガロルニスの解析によると、上下・前後方向の力に対する強度はあったものの、幅が狭く、また関節の柔軟性を欠くため、横方向の強度はなかった。
つまり獲物の肉を切り裂く力はあったが、暴れる獲物を噛みしめて押さえつけたり振り回したりすると自分が怪我をする危険があった。
よって大きな動物との格闘は避け、自分よりずっと小さな獲物に駆け寄って後肢で押さえつけ、上のクチバシを振り下ろすことで仕留めたと考えられている。
フォルスラコス類は約40万年前にティタニスが絶滅するまで生存していた。
第二十二話
[ワイテイア・ウォドワルディ Whiteia woodwardi]
現生の大部分の魚類が含まれる硬骨魚類は、さらにその中の大部分が含まれる条鰭類と、シーラカンスや肺魚が含まれる肉鰭類に分かれる。条鰭類は扇のような鰭が胴体から直接生えているが、肉鰭類の胸鰭や腹鰭には筋肉の付いた柄がある。これは四肢動物の四肢の起源となったと考えられている。
シーラカンス類(もしくは総鰭類)は肉鰭類の中でも、以下のような特徴を持つ。
骨化した脊椎を持たず弾力のある脊柱しかないこと。
頭蓋骨が前後に分かれ可動する関節で繋がっていること。
そして、大部分は背鰭が3つ、尻鰭が2つあり、それぞれ一番後ろの1つが尾部に寄って尾鰭のようになっていて、本当の尾鰭はごく小さいことである。
肉鰭類や、条鰭類の中でも原始的なものは、鰾(うきぶくろ)を肺として使い空気呼吸ができるものが多い。硬骨魚類は元々浅く水位の変化が激しい環境に適応するに当たって肺を獲得し、その環境から離れた条鰭類が肺を鰾に変化させたと考えられている。
シーラカンス類も化石種は肺を持っていたが、表面が石灰化した固いシリンダーになっていたため化石に残っている。
ワイテイアは三畳紀のマダガスカル近海に生息した、15cm程度の小型のシーラカンスだった。吻部はやや細長く、胴体は背が高かった。
[ミグアシャイア・ブレアウイ Miguashaia bureaui]
デボン紀の三角州で堆積したカナダの地層から発掘された、40cmほどのごく原始的なシーラカンスである。シーラカンスの中にはこのように淡水に生息するものもいた。
多くのシーラカンスと異なり尾部の鰭が上下非対称で、下側である尻鰭が大きく、尾が上向きに曲がっていた。頭部は丸く、前方の部分が短かった。
[ホロプテリギウス・ヌドゥス Holopterygius nudus]
デボン紀の北米の礁に生息していた10cm程度のシーラカンスである。
こちらも後の多くのシーラカンス類と尾部の形態が違って、ウナギのような長い尾を持っていた。発見されてから長らくシーラカンス類と気付かれなかった。
[アレニプテルス・モンタヌス Allenypterus montanus]
ハドロネクトル、カリドスクトルとともに、モンタナ州のベア・ガルチ石灰岩層という、石炭紀中期の河口または湾で堆積した細かい泥の層から発見された。
全長は20cmほどで、胴体の前半は丸く盛り上がり、後半は傾斜して先細りになっていた。尾部の鰭は低く後半身全体に沿っていた。
[ハドロネクトル・ドンバイルディ Hadronector donbairdi]
15cmほどのシーラカンス。胴体は縦に幅広く、胸鰭と腹鰭はやや小さかった。
[カリドスクトル・ポプロスム Caridosuctor populosum]
20cmほどのシーラカンス。現在の渓流魚のような、やや細長い流線形の体型をしていた。尾部の鰭は大きかった。
[エウステノプテロン・フォールディ Eusthenopteron foordi]
シーラカンスが淡水、海水のいずれにも放散していく一方、肺魚に近縁な肉鰭類の中から両生類に進化していくものが現れた。
エウステノプテロンは20cmほどから1m以上になる、デボン紀の北米およびヨーロッパに生息した魚類である。胴体は円筒形をしていて胸鰭以外の鰭が後半身に寄っていた。
平たい頭部、しっかりした四肢のような胸鰭と腹鰭、シーラカンスと違って骨化した丈夫な脊椎は両生類に似ていた。
[コエラカントゥス・グラヌラトゥス Coelacanthus granulatus]
ペルム紀のヨーロッパの浅い海に生息していた90cmほどのシーラカンスで、細長い体型をしていた。
世界で初めて発見されたシーラカンス類である。コエラカントゥスを英語読みするとシーラカンススとなる。
[レベラトリクス・ディヴァリケルカ Rebellatrix divaricerca]
三畳紀のカナダ近海に生息していた推定90cmのシーラカンス。
尾部の鰭が現生の回遊魚のように三日月形になっていた。また鰭の生えている尾はシーラカンスとしては細く締まっていた。これは高速で遊泳する魚の特徴だが、脊柱が骨化していなかったはずのレベラトリクスがどれだけ速く泳げたか、またレベラトリクスに限らず様々な鰭の形をしたシーラカンス類がそれぞれどのように泳いだか明らかにはなっていない。
[ウンディナ・ペニンキラタ Undina penicillata]
ジュラ紀のドイツの浅い海に生息したシーラカンス。体全体が楕円形で額だけ直線的だった。現生のシーラカンスであるラティメリアに特に近いものの一つである。
[アクセルロディクティス・アラリペンシス Axelrodicthys araripensis]
ジュラ紀後期から白亜紀前期になるとラティメリアに近いものの中から河川に生息するマウソニア類が現れた。
アクセルロディクティスもその一つで、白亜紀前期のブラジルの河川に生息した、40cmから1.5mになる大型のシーラカンスである。吻部が細い以外は現生のシーラカンスであるラティメリアによく似ている。化石には肺が特にはっきりと残っていることが多い。
[マウソニア・ラヴォカティ Mawsonia lavocati]
白亜紀前期のアフリカの川に生息した、おそらくは史上最大のシーラカンスである。1mを超える頭骨の化石しか発見されていないが、全長は3.8mになると推定されている。
同属のマウソニア・ブラジリエンシスは全身の化石が発見されているが、アクセルロディクティスに似ていたようだ。
[ラティメリア・メナドエンシス Latimeria menadoensis]
現生のシーラカンスの一つで、インドネシア沖の深海に生息している。アフリカ東沖に生息するラティメリア・カルムナエのほうが先に発見された。2種の間に遺伝子だけでなく形態にも差があるか研究が進められている。
逆立ちのような姿勢を取ることが多く、尾部の鰭は動かさない。肺は脂の詰まった鰾に変化している。
第二十三話
[ガストニア・ブルゲイ Gastonia burgei]
学名の意味:ロバート・ガストン氏とドン・バージ氏のもの
時代と地域:白亜紀前期(約1億3000万年前)の北米(ユタ州)
成体の全長:4〜6m
分類:鳥盤目 装盾亜目 曲竜下目 ノドサウルス科ポラカントゥス亜科またはポラカントゥス科
鎧竜と呼ばれる、胴体を鎧で覆われた4足歩行の植物食恐竜の一種である。
鎧竜は尾にハンマーのような骨の塊があるアンキロサウルス類と骨の塊がないノドサウルス類の2つ、またはノドサウルス類からポラカントゥス類を分けて3つに分けられる。
ガストニアはポラカントゥス類の中でも骨格の形態が詳しく分かっている。
胴体は幅広く、背中と尾には骨でできた棘や楕円の板(皮骨板)がいくつも並んでいた。腰には骨片が集まってできた一枚の大きな骨の板が、骨盤に重なるように乗っていた。
棘は背中に2列と、首から両脇腹にかけて1列ずつ並んでいた。いずれも三角形の板状で、背中の棘は多少厚みがあったが脇腹の棘はとても薄かった。鎧竜の皮骨板は敵からの防御のために発達したとされているが、脇腹の薄い棘は物理的な防御というより視覚的な威嚇のためのものだったのかもしれない。
四肢は短く、あまり走行に適していなかった。
頭部は穴が小さく丈夫になっていたが、同じ鎧竜のエウオプロケファルスなどと違って皮骨板と一体化してはいなかった。眼窩の下と後上方にも小さい棘があった。また関節の向きから、頭部を少し下向きに保っていたようだ。
口の前方はクチバシで、先端がやや幅広く、中央がへこんでいた。地表の植物をあまり選ばずに食べたと考えられる。
口の奥の方には小さな木の葉形の歯が生えていた。鎧竜は歯が少し磨耗していて、顎の関節が食物を咀嚼するのに多少適していたことから、クチバシで刈り取った植物を丸呑みではなく多少咀嚼して飲み込んだようだ。
発掘された地層の様子から、氾濫原(洪水で水没することのある、河川近辺の平地)に生息していたと思われる。鎧竜は半水性だったと言われることもある。同じ地層から小型肉食恐竜のデイノニクスと、中型肉食恐竜のユタラプトル、最大級の肉食恐竜であるアクロカントサウルスも見付かっている。
第二十四話
[コティロリンクス・ロメリ Cotylorhynchus romeri]
学名の意味:アルフレッド・ローマー氏の壺状の口先
時代と地域:ペルム紀前期(約2億9千万年前)の北米
成体の全長:3.5m以上
分類:単弓綱 盤竜目 カセアサウルス亜目 カセア科
単弓類は哺乳類型爬虫類とも呼ばれていた、両生類と哺乳類の中間に当たるグループである。ペルム紀に特に繁栄していた。
そのうち特に哺乳類に近い獣弓類を除くものをかつては盤竜類としてひとまとめにしていた。カセア科も盤竜類に含まれていた。
コティロリンクスはカセア科の中でも詳しく分かっていて、カセア科の特徴をよく備えていた。また、ペルム紀の陸上動物の中で最大のものの一つである。
胴体は大きく、太い円柱状だった。長い肋骨で大きな容積が確保されていた。
対照的に平たい三角形の頭部は20cmほどと、全長の数十分の一しかなかった。細かい歯が生えていて、特に上顎の歯が多かった。顎はしっかりとしていた。また吻部の先端には大きな鼻孔が突き出していた。
四肢は太く短かった。前肢と肩帯は頑丈に発達していて、手は大きく広がっていた。尾は細長く、全長の半分を占めていた。
巨体によって捕食者を退けながらごくゆっくりと歩き、植物を噛み砕いて腹部の長い消化管で消化したと考えられる。前肢や鼻は、地中の餌を匂いで察知して穴を掘って得るのに用いたのかもしれない。
[ディプロカウルス・マグニコルニス Diplocaulus magnicornis]
学名の意味:大きな角状の2つの覆いがあるもの
時代と地域:ペルム紀前期(約2億9千万年前)の北米
成体の全長:1m
分類:両生綱 空椎亜綱 ネクトリド目 ケラテルペトン科
ペルム紀には現在のオオサンショウウオと同等以上の大型両生類も繁栄していた。ディプロカウルスもその一つである。
ブーメランのような形状をした、左右後方に突き出た扁平な頭部でよく知られている。大部分は角のようなもので、頭部の中央に目や下顎が集まっていた。
幼体から成体までの化石により、頭部から突き出した部分が成長とともに発達していったことが分かっている。視覚的なアピール、泳ぐときの舵取り、聴覚の増強などの役割が考えられるが、何に使われていたのかは不明である。
四肢は小さくて弱々しく、陸上を歩くことはなくほとんど水中で過ごしたと考えられている。
[エダフォサウルス・ボアネルゲス Edaphosaurus boanerges]
学名の意味:大声で宣教する舗道のトカゲ
時代と地域:ペルム紀前期(約2億7千万年前)の北米
成体の全長:2.5m
分類:単弓綱 盤竜目 真盤竜亜目 エダフォサウルス科
いくつかの単弓類は棘突起(背筋の骨)が長く伸びていた。棘突起の間は皮膚で埋まり、背鰭のような帆になっていたようだ。
エダフォサウルスは背中に帆を持った、四足歩行で植物食の単弓類だった。棘突起は長く伸びているだけでなく、真横向きのごく短い枝がいくつも生えていた。
帆は日光や風を受けて体温を調節するのに使われたという説が最も有力である。他にも視覚的アピールもしくは外敵への威嚇などの説がある。
四肢は短く、歩くのは遅かったようだ。頭部は小さかったが顎は丈夫だった。尾は太く発達していた。
[ディメトロドン・テウトニス Dimetrodon teutonis]
学名の意味:テウトネス族の2種類の長さがある歯
時代と地域:ペルム紀前期(約2億8千万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の全長:約70cm
分類:単弓綱 盤竜目 真盤竜亜目 スフェナコドン科
ディメトロドンも帆のある単弓類で、エダフォサウルスと違い肉食性だった。帆には横枝はなく、エダフォサウルスの帆と比べて縦長だった。
ディメトロドン属には多くの種が含まれ、大きさや帆の形に違いがあった。リンバトゥス種のように全長2m近いものが有名だが、テウトニス種は全長数十cm程度と推定される、最も小さなディメトロドンだった。テウトニス種は唯一北米以外から発見されたディメトロドンでもある。
テウトニス種自体は脊椎や棘突起しか見つかっていないが、ディメトロドン属の他の種は詳しく分かっている。
頭部は大きく発達していた。横から見ると頭部はほぼ楕円形で、上顎の凹みに下顎の出っ張りが噛み合うようになっていた。
歯は鋭く、また上顎に1対特に長い牙があった。歯の縁にはステーキナイフのような鋸歯があり、効率的に肉を切ることができた。
四肢はエダフォサウルスと比べると長く、若干身軽な体型だった。
[コエルロサウラヴス・ジェケリ Coelurosauravus jaekeli]
学名の意味:オットー・イェーケル氏の中空の尾を持つトカゲの叔父
時代と地域:ペルム紀前期(約2億6千万年前)のヨーロッパ(ドイツ、イギリス)
成体の全長:60cm
分類:爬虫綱 双弓亜綱 目不明 ウェイゲルティサウルス科
コエルロサウラヴスは最も早く空中に進出した爬虫類である。
全体的な姿は樹上性の身軽なトカゲによく似ていたが、脇腹に片側20本以上の非常に細長い骨の束のある化石が発見されている。この骨は扇子の小骨のように、薄い皮膜でできた翼を支えていた。
現生のトビトカゲのように、木から木へ滑空して移動していたようだ。
頭部は吻が尖っていて、後頭部に棘の生えた小さなフリルがあった。歯は非常に細かかった。
[スミニア・ゲトマノヴィ Suminia getmanovi]
学名の意味:D.L.スーミン氏とS.N.ゲトマノフ氏のもの
時代と地域:ペルム紀前期(約2億6千万年前)のロシア
成体の全長:約30cm
分類:単弓綱 獣弓目 ヴェニュコヴィア科
スミニアは最も初期の獣弓類だったが、多くの獣弓類と違って樹上性だったと考えられている。
四肢や指は長く、また親指が独立して動き、木の枝などをつかむことができた。胴体は柔軟で、尾は細長かった。
頭部は全体的に丸みを帯びていて、吻部は短かった。眼窩は大きく、やや前を向いていた。
大きな三角形の歯が生えていた。前方の歯が特に大きく、口から歯がはみ出すように復元されることが多いが、歯の先端が噛み合わさるため歯がむき出しでは口が密閉できないと思われる。木の葉などをかじり取って食べていたと考えられる。
[ゲロバトラクス・ホットニ Gerobatrachus hottoni]
学名の意味:ニコラス・ホットン氏の長老のカエル
時代と地域:ペルム紀前期(約2億9千万年前)の北米
成体の全長:約10cm
分類:両生綱 迷歯亜綱 分椎目 アンフィバムス科
現生の両生類のうちカエルの仲間である無尾類とイモリやサンショウウオの仲間である有尾類はお互いに近縁で、ゲロバトラクスは両者の共通の祖先にとても近いと考えられている。
頭部はカエルに似て、扁平な半円形をしていて大きな眼窩や発達した耳があった。
胴体はカエルと有尾類の中間の長さだった。四肢は有尾類に似た構造で、カエルのように飛び跳ねるのではなく有尾類のように歩くのに向いていた。尾は短くて尾鰭にはなっておらず、あまり泳がなかったようだ。
第二十五話
[アウカサウルス・ガリドイ Aucasaurus garridoi]
学名の意味:アルベルト・ガリド氏がアウカ・マウェヴォで発見したトカゲ
時代と地域:白亜紀後期(約8300万年前)の南米(アルゼンチン)
成体の全長:4〜5m
分類:竜盤目 獣脚類 ケラトサウリア アベリサウルス科 カルノタウルス族
アウカサウルスは原始的な肉食恐竜であるケラトサウルス類の中から特殊化した、アベリサウルス類の一種である。かなり保存状態の良い化石が1体発見されている。
2足歩行で大きな頭部と長い尾を持つ全体の姿は多くの肉食恐竜と変わらなかったが、前肢が非常に小さいという大きな特徴があった。単に小さいだけではなく前腕部が特に短くて肘と手首がほぼ一体化していた。肩甲骨は発達していた。
また手に4本の指があったように描かれることが多いが、実際には中手骨(手の甲の骨)は4本あったものの指は人差し指と中指しか発見されておらず、それらも非常に短かった。
尾にも大きな特徴があった。尾の前半部分は尾肋骨(横突起)が上向きに反り返り、また前後に幅広く互いに関節していた。恐竜の尾は後肢を後ろに蹴るための筋肉の土台となっていたが、アウカサウルスや近縁のカルノタウルスではその筋肉が特に発達していたと考えられる。つまりこれらの恐竜は走行、特に短距離の突進に適応していたとされる。
吻部はカルノタウルスほどではないが肉食恐竜としては短く、歯は鋭いが小さいほうだった。小型の獲物を捕らえたと思われる。また、すぐ近くから竜脚類の巣および卵の化石が発見されたことから、竜脚類の卵や幼体を主食としていたのではないかとも言われている。
[ボニタサウラ・サルガドイ Bonitasaura salgadoi]
学名の意味:レオナルド・サルガド氏がラ・ボニタの丘で発見したトカゲ
時代と地域:白亜紀後期(約8300万年前)の南米(アルゼンチン)
成体の全長:8m
分類:竜盤目 竜脚形類 真竜脚類 マクロナリア ティタノサウルス上科 ネメグトサウルス科
竜脚類は首の長い大型植物食恐竜のグループだが、ボニタサウラはその中ではかなり小型で首も比較的短かった。
口先に大きな特徴があり、左右に大きく広がっていて、縁が鋭かった。生きていたときは角質に覆われクチバシ状になっていたと考えられている。地表の植物をあまり選ばずに刈り取るように食べたと考えられる。
第二十六話
[ペリスフィンクテス・ボウエニ Perisphinctes boweni]
学名の意味:周りをきつく縛られたエドムンド・ジョン・ボーウェン氏のもの
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億6000万年前)のヨーロッパ、アフリカ近海
成体の直径:10〜30cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 ペリスフィンクテス科
アンモナイトはオウムガイと同じく殻のある頭足類(イカやタコの仲間)で、デボン紀から白亜紀末にかけて繁栄していた。
殻の内部はいくつもの部屋に仕切られ、一番外側の最も大きな部屋(住房)に軟体部が収まっていた。他の部屋を気室といって浮力を得るための空洞になっていた。これもオウムガイと同じだが、殻の細部の構造が異なる。
ペリスフィンクテスは化石が一般にも多く流通していて手に入りやすいアンモナイトである。
巻きはややきつく、殻口は角を丸めた正方形に近い形をしている。肋(放射状の凹凸)は細かく並んでいて、二又に分かれるものもある。
特に多く流通しているのは数cm程度のものだが、成熟したものは直径10cm程度のものと20cmになるものがある。これは雌雄の違いと考えられる。
[ダクティリオセラス・コムネ Dactylioceras commune]
学名の意味:一般的な指の角
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)の北米、ユーラシア近海
成体の直径:5〜10cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 ダクティリオセラス科
ペリスフィンクテス以上に巻きがきつく、肋が細かいアンモナイトである。殻口は丸い形をしている。
こちらも一般に多く流通していて、多数が密集して発掘されることがよくある。
[パラエオパグルス・ヴァンデネンゲリ Palaeopagurus vandenengeli]
学名の意味:アード・ファン・デン・エンゲル博士の太古のホンヤドカリ
時代と地域:白亜紀前期(約1億3000万年前)のヨーロッパ(イングランド)近海
成体の直径:4cm(アンモナイトの殻に入った状態の化石全体)
分類:節足動物門 甲殻亜門 軟甲綱 十脚目 抱卵亜目 異尾下目 ヤドカリ上科 ホンヤドカリ科
殻に入ったままの化石が見つかっている最も古いヤドカリである。
貝の殻ではなく、シンビルスキテスという小型のアンモナイトの殻に入った状態の化石が知られている。平たい鋏脚で殻口をぴったりと閉じていて、片方の鋏脚のほうが大きい。
第二十七話
[アンキオルニス・ハクスレイ Anchiornis huxleyi]
学名の意味: トマス・H・ハクスリーの鳥に近いもの
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億6000万年前)の中国
成体の全長:35cm以上
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ エウマニラプトラ トロオドン科
恐竜の中でも最も鳥類の祖先に近い形態をしているとされる種類。アルカエオプテリクス(始祖鳥)より前の時代の地層から発見されていて、鳥類とそれ以外の恐竜の関係を知る上で重要視される。
頭と胴体は鳥類のようにコンパクトで、口には小さく尖った歯が並んでいた。昆虫や小動物を食べたと考えられる。
四肢は細長く、二足歩行性ではあるが前肢も後肢と同等の長さだった。これは鳥類の翼となった前肢に通じる特徴である。
近縁のトロオドン科やドロマエオサウルス科の恐竜と違い、後肢の第一指の鉤爪は大きくなかった。獲物を後肢で押さえつけることはなかったのかもしれない。また後肢が長いのに反して足が小さく、足指にまで羽毛が生えていた。走るより飛び跳ねることや木登りに適していたようだ。
全身に非常に保存状態の良い羽毛の痕跡が見つかっている。特に、前肢だけでなく後肢にも翼状の羽毛が生えていた。ドロマエオサウルス科のミクロラプトルなども前肢と後肢の両方が翼になっていて、鳥類の祖先もそうだったと思われる。
翼はアルカエオプテリクスの翼と比べてもさらにやや短く、揚力を発生させる効率の低いものであった。
風切羽は現在の鳥類と違って前後対称で、羽一枚ずつの効率も低かった。また羽軸が細いため強度が低く、羽を多数重ねることで補っていた。しかしこれは、羽ばたきの途中に翼を上げるとき、空気を逃がして下向きの力が発生するのを避けるという仕組みがアンキオルニスの翼にはないことを示す。現在の鳥類の風切羽は2枚ずつだけ重なっているため、この仕組みが働く。
よって、アンキオルニスの飛行能力はごく限られたもので、ジャンプの補助やごく短い滑空だけができたと考えられる。
前肢は左右に伸ばせるが後肢はそれができないため、後肢の翼をどのように使っていたかはよく分かっていない。成熟すると後肢の翼はなくなるという説もある。
羽毛の痕跡を顕微鏡観察することでメラノソーム(メラニン色素の粒)が発見され、全身の羽毛の色が判明している。
ほぼ全身がフェオメラニンを持つ黒い羽毛に覆われ、翼にはメラニン色素のない白い帯があった。また頭頂から後頭部に生えた冠羽はユーメラニンを持ち赤褐色をしていた。
第二十八話
[ファコプス・ラナ Phacops rana]
学名の意味:カエルのようなレンズの目
時代と地域:デボン紀(約4億年前)の北アフリカ(モロッコ)沿岸等
成体の全長:5〜10cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 ファコプス目 ファコプス科
三葉虫は古生代に特有の海性の節足動物である。一見ダンゴムシなどに似ているが、体が中央の盛り上がった部分と左右の平たい部分の3つに分かれていることから三葉虫という。また前後方向にも、頭部、胸部、尾部の3つの部分からなる。殻は貝殻と同じ炭酸カルシウムでできていて、非常に硬くまた化石に残りやすい。
ファコプスは代表的な三葉虫の一つであり、三葉虫としてはおおむね標準的な体型をしていた。
三葉虫の体のうち化石に残るのはほぼ背面の殻のみだが、ファコプスは殻がやや厚く丸みを帯びていた。大半の三葉虫は体をがま口のように二つ折りにして身を守ることができ、ファコプスがこの姿勢を取るとダンゴムシのように球に近い形になった。
また頭部中央の頭鞍という部分や、複眼が丸く膨らんでいたのも外見上の特徴である。
複眼の構造自体も他の三葉虫と違い、一つひとつの個眼が大きかった。これは深海や夜間など暗い環境に適応したためかもしれない。
三葉虫の複眼のレンズは殻と同じ炭酸カルシウムからできているが、純粋な炭酸カルシウムの結晶でレンズを作ると光の屈折により焦点が合わない。ファコプスの分厚いレンズの裏側はカルシウムがマグネシウムに置き換わっていて、屈折率の違いを利用して焦点が合わさるようになっていた。三葉虫は特に早く視覚を備えた動物であり、ファコプスに限らず多くの三葉虫にとって視覚は重要な感覚だったと考えられている。
ファコプスに近縁なバランデオプスという三葉虫の、ほとんど鉱物が浸透しておらず生前の色が保存されているとされる化石が発見されている。その化石の殻は暗い赤色、複眼は薄い緑色をしている。ファコプスもそのような色だったかもしれない。また生前の斑点模様が残った三葉虫の化石も見つかっている。
化石はかなり手に入れやすいほうで、2000円程度から手に入る。
[ディクラヌルス・モンストロースス Dicranurus monstrosus]
学名の意味:怪物じみた二又の尾
時代と地域:デボン紀(約4億年前)の北アフリカ(モロッコ)沿岸等
成体の全長:5cm(棘を除く)
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 リカス目 オドントプレウラ科
第二話参照。
第二十九話
[ヴェロキラプトル・モンゴリエンシス Velociraptor mongoliensis]
学名の意味:モンゴルで生まれた敏捷な強盗
時代と地域:白亜紀後期(約7500万年前)のモンゴル
成体の全長:1.8m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ エウマニラプトラ ドロマエオサウルス科
ドロマエオサウルス類は最も鳥に近いとされている肉食恐竜のグループである。ヴェロキラプトルはその中でも特に研究が進んでいる。
コンパクトな胴体以外ほっそりと細長く出来ていた。
頭部、特に吻部はドロマエオサウルス類の中では細長く、鋭く曲がった歯が並んでいた。脳は恐竜としては発達していた。
眼窩は大きく、また強膜輪という眼球の中にあるリング状の骨は内径が大きかった。よって眼球と瞳孔が大きく、暗くても物が見えたと考えられている。
前肢は長く、鉤爪が発達していた。また肩の関節は鳥が羽ばたくように、手首の関節は翼を畳むように動かすことができた。
腕の骨には鳥類に見られるような、羽毛の軸の土台と考えられる出っ張りがあった。
このように前肢には鳥の翼との共通点が見られるが、ヴェロキラプトル自身に飛行能力があったわけではなく、関節は獲物を捕まえることに、羽毛は保温やディスプレイに使われていたと考えられる。
後肢も長かったが小型獣脚類としてはそれほどではなく、特に中足骨は短かった。あまり高速で走ることはなかったのかもしれない。
足の第二指の鉤爪は非常に発達していて、地面に付かないよう持ち上げることができた。以前はこの爪は大型の獲物を切り裂くためのものと考えられていたが、内側が刃状になっていないことから、現在では小さな獲物を突き刺したり押さえつけたりするためのものと考えられることが多い。
肋骨の途中に鳥類のように前後の肋骨をつなげる鉤状突起があり、胴体が曲がらないようになっていた。また骨盤も鳥類のように恥骨が後方に向いていた。
尾は特に細長く、骨化した腱が何本も並行に走っていた。根元でしか上下に曲がらなかったようだ。
ヴェロキラプトルが発掘されるモンゴルのジャドフタ層は砂漠の砂が風の作用で堆積してできた地層で、動物がその場で生き埋めにされたため非常に保存状態の良い化石が多い。ヴェロキラプトルも腹部に翼竜の骨が収まった化石や、植物食恐竜のプロトケラトプスと戦うような姿勢を取った化石が知られている。
ジャドフタ層からはヴェロキラプトルの他にプロトケラトプスなどヴェロキラプトルと同じくらいの大きさの恐竜が多く見付かっているが、ピナコサウルスなど大型の恐竜の他、トカゲや哺乳類などの小動物も発掘されている。
以前はこうした中型のドロマエオサウルス類は集団で大型の獲物を襲ったと考えられていたが、現在では鉤爪の働きが見直されたこともあって、小型の獲物を単独で捕らえたり翼竜などの死体をあさったと考えられることも多くなってきた。
第三十話
[ステノプテリギウス・クアドリスキッスス Stenopterygius quadriscissus]
学名の意味:4つに割れた細い鰭
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)のヨーロッパ
成体の全長:3m
分類:爬虫綱 魚竜目 トゥノサウリア ステノプテリギウス科
魚竜類は、三畳紀から白亜紀中期にかけて現れた遊泳性の爬虫類である。流線型の胴体、鰭状の四肢と尾、細長い吻部を持っていた。
なかでもステノプテリギウスのような派生的なものはイルカによく似ていると言われる。ただし尾鰭は魚のように縦に生えていて、後肢も鰭になっていた。
ステノプテリギウスはドイツのホルツマーデンにあるポシドニア頁岩という地層を代表する比較的小型の魚竜である。
細長い吻部にはよく尖った小さな歯が隙間なく並んでいた。
眼窩が非常に大きく、視覚が発達していた。こうした魚竜の場合は眼球を支える強膜輪という骨により眼球の情報が詳しく得られ、それによると深く暗い海でも物を見ることができたと考えられている。ステノプテリギウスの強膜輪は直径が10cmはあった。
胴体は流線型で前半部分が太く丸みを帯びていた。骨格は多孔質で随所に凹みや溝があり、多くの遊泳性の動物と同様に軽量化されていた。
四肢は全ての骨が集まり、細長い楕円形の鰭になっていた。指の骨が細かく分かれてタイル状に組み合わさっていて、鰭の面に凹凸はなかったようだ。
尾の骨格は長く続き、途中で下向きに曲がっていた。この曲がった部分は三日月型の尾鰭の下半分を支え、尾の骨格の周りには筋肉がたっぷりと付いていた。また背中には骨のない背鰭もあった。
こうした軟組織の輪郭に関する情報は輪郭の痕跡まで残った化石により判明した。ポシドニア頁岩が堆積した当時の沖合いの海底は酸素が乏しかったため生物がほとんど住まず、流れもなかったため、一度沈んだ生物の死体はそのまま食べられたり動かされたりせず安置され、欠けることなく堆積物に埋まって化石化した。
ステノプテリギウスはイルカのように高速で泳ぎ、イカに似た頭足類や小さな魚を捕らえて食べていたようだ。
小さな子供が胎内に複数収まった化石が発見されていることから、卵ではなく子供を一度に複数出産したと考えられている。
他の魚竜の歯に含まれる酸素同位体の分析から、魚竜は温血性であったと考えられている。また軟組織の痕跡から黒い色素が見つかり、生前は黒い色をしていて太陽光で効率的に体を温められたとも言われる。
ポシドニア頁岩からは他に大型の魚竜も発掘されていて、カジキのような槍状の吻部を持つユーリノサウルスは6m、他の魚竜や首長竜を捕食したとされるテムノドントサウルスは9mに達した。
[ハルポセラス・ファルキフェルム Harpoceras falciferum]
学名の意味:鎌を持ったハープの角
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)のヨーロッパ
成体の直径:30cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 ヒルドセラス科
ポシドニア頁岩からはアンモナイトもよく発掘されていて、平面状につぶれてはいるもののとても保存状態が良く、顎器が残っている場合もある。
標準的な姿のアンモナイトであるハルポセラスの場合もよく保存されている化石が多く、殻口に突起がある個体もよく見つかっている。突起があるのはオスかもしれない。
[ダペディウム・フォリドトゥム Dapedium pholidotum]
学名の意味:センザンコウのようなもの(属名の由来不明)
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)のヨーロッパ
成体の全長:50cm
分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 セミオノトゥス目 セミオノトゥス科
ダペディウムはタイによく似た姿の魚だったが、鱗はガノイン鱗と呼ばれるエナメル質でできた分厚いものだった。同じくガノイン鱗を持つガーパイクなどに近い、やや原始的な硬骨魚類とされる。
口先の尖った歯と奥の方の丸い歯の二種類の歯を持ち、タイと同様甲殻類などを捕まえて噛み砕いたと考えられている。
[フラグモテウティス・コノカウダ Phragmoteuthis conocauda]
学名の意味:円錐形の端を持つ仕切りのイカ
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)のヨーロッパ
成体の全長:20cm
分類:軟体動物門 頭足綱 ベレムノイド類 フラグモテウティス目 フラグモテウティス科
ベレムノイド類はイカによく似た頭足類だったが、イカと違って10本の腕は全て同じ長さをしていて、吸盤ではなく爪の列があった。このような頭足類の爪はステノプテリギウスを始めとする魚竜の腹部から多数見つかることもある。
フラグモテウティスは全身の痕跡がよく残った化石が見つかっていて、現在のヤリイカに似た姿をしていた。墨袋も発見されている。
[ステネオサウルス・ボレンシス Steneosaurus bollensis]
学名の意味:バートボルで発見された幅の狭いトカゲ
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)のヨーロッパ
成体の全長:3〜5m
分類:爬虫綱 双弓亜綱 主竜上目 ワニ目 中新鰐類 タラットスクス類 テレオサウルス科
タラットスクス類は海での遊泳に適応したワニの仲間である。メトリオリンクス科のものは装甲を失い四肢と尾が完全に鰭になるなど完全に海性になっていたが、テレオサウルス科のものは装甲があるなど現在のワニに近い体型だった。
ステネオサウルスは体全体が細長く、また尾の付け根の筋肉が発達して、体をくねらせて泳ぐのに適した体型をしていた。前肢は退化していて、歩くのには不向きだった。
吻部は特に細長かった。口を素早く閉じて小さな魚などを捕食したようだ。
成体しか見つかっていないことから、幼いうちはもっぱら沿岸で暮らし、成長してから沖合いに泳ぎ出たと考えられている。
[パキコルムス・ボレンシス Pachycormus bollensis]
学名の意味:バートボルで発見された太い切株
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)のヨーロッパ
成体の全長:1m
分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 真骨類 パキコルムス目 パキコルムス科
パキコルムス類は中生代に繁栄した魚類のグループである。ガノイン鱗を持たない硬骨魚類の中では原始的とされるが、他の魚との類縁関係はよく分かっていない。カジキに似たプロトスフィラエナのような捕食性のものと、リードシクティスのような大型の濾過食性のものを含んでいたが、パキコルムスはそのどちらにも特殊化していなかった。
紡錘形の胴体やV字型の尾鰭など、マグロやブリに似ていて高速遊泳に適した体型をしていた。胸鰭が長いのが特徴だった。歯は小さく、小さな生き物を捕食したと思われる。
[セイロクリヌス・サブアングラリス Seirocrinus subangularis]
学名の意味:丸まりかかった角のあるセイル山のユリ
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)のヨーロッパ(ドイツ、イギリス)、北米(カナダ)、東アジア(日本)
成体の高さ:最大18m以上
分類:棘皮動物門 有柄類 ウミユリ綱 関節類 ゴカクウミユリ目 ゴカクウミユリ科
ポシドニア頁岩を代表するウミユリで、茎の長さが18mにもなる(それも途中で切れている)化石が見つかっている、史上最大の棘皮動物である。多くは1〜2mほどだった。
セイロクリヌスの腕は古生代のウミユリと違って根元から細かく枝分かれしていて、腕と羽枝が非常に密集していた。
大型のウミユリであるにもかかわらず茎の直径は3cm程度しかなかった。また茎の根元は流木に取り付いていた。流木の片面をびっしりと覆うように付着した化石も見つかっている。
このことからセイロクリヌスは他のウミユリのように自力で体を支えて海底に立っていたのではなく、海面に浮いた流木から垂れ下がって漂流生活を送っていたという説がある。
しかし成体しか見つかっていないことから、浮いた流木に付着して成長したのではなく、成長してから海底を移動し、沈んだ木に辿り着いて付着したのではないかという反論もある。ゴカクウミユリ類の成体は茎を根元から切り離して海底を這うことはできるが、海面に向かって泳ぐことはできない。
第三十一話
[オリクトドロメウス・キュビクラリス Oryctodromeus cubicularis]
学名の意味:寝室を掘ったり走ったりするもの
時代と地域:白亜紀後期(約9500万年前)の北米(モンタナ州、アイダホ州)
成体の全長:2m
分類:鳥盤目 角脚類 鳥脚類 テスケロサウルス科 オロドロメウス亜科
鳥脚類は特に繁栄した植物食恐竜のグループである。派生的なものは大型で、特殊な歯の仕組みを発達させていたが(
第十七話・パラサウロロフス参照)、基盤的なものは小型で、単純な歯を持っていた。オリクトドロメウスもそのうちの一つである。
常に二足歩行を行い、後肢は比較的長くて走行に適していた。尾も横突起が上を向いていて後肢を動かす筋肉の付着するスペースが大きかった。
前肢は短いが、太く丈夫な骨で構成されていた。また肩甲骨も太く、筋肉の付着する突起が発達していた。頭部には短く丈夫なクチバシを持っていた。クチバシの部分にも小さな歯があった。
オリクトドロメウスは産状も特に注目されている。オリクトドロメウスの最初の化石は、巣穴と思われる痕跡の中から発見された。
泥岩でできた周囲の地層に対して、巣穴は砂岩で埋められて形が残っていた。
長さ2m、入り口の幅70cm、奥の部分の直径30cmほどで、途中で2回直角に曲がり、一番奥が入り口より高い位置に保たれた部屋になっていた。
この巣穴の痕跡から、成体1頭とそれより小さい個体2頭のオリクトドロメウスが発見された。
またオリクトドロメウスとは無関係な小さな生き物の作った巣穴も、この巣穴から枝分かれしていた。
巣穴の幅が成体の大きさに合っていることから、このオリクトドロメウスは子育てのために自力で巣穴を掘ったようだ。これは恐竜が巣穴を掘ったという初めての証拠である。穴を掘るときには丈夫な前肢とクチバシを使ったと思われる。
巣穴が砂岩で埋まっているのは洪水によるものと考えられている。
オリクトドロメウスはあまり固くない植物を食べ、捕食者からは脚力を生かして逃げ延びたと考えられる。近縁とされるオロドロメウスやゼフィロサウルスなどもクチバシや前肢にオリクトドロメウスと同じ特徴を持ち、巣穴を掘ったかもしれない。
第三十二話
[アラリペリベルラ・マルティンスネトイ Araripelibellula martinsnetoi]
クラト層はブラジルのセアラ州にある、白亜紀前期(約1億800万年前)の地層である。淡水の環境で堆積したと考えられ、昆虫、植物、魚類、翼竜などの非常に保存状態の良い化石が多数発掘される。
トンボはジュラ紀にはすでに現生のトンボによく似た姿をしていた。クラト層でも多くのトンボが発掘されるが、現生の赤トンボやシオカラトンボを含むトンボ科に近縁なトンボは少なかった。アラリペリベルラはトンボ科に近縁なアラリペリベルラ科に属するトンボである。翅長17.4mmとやや小柄で、幅広い翅を持っていた。
[アラリペゴンフス・アンドレネリ Araripegomphus andreneli]
クラト層からはサナエトンボに近縁なトンボのほうが多く発掘されているようだ。
アラリペゴンフスも基盤的なサナエトンボ類であるアラリペゴンフス科に属するトンボである。翅開長50〜60mmとアラリペリベルラよりやや大きかった。
前翅、後翅とも前縁に沿ってベッコウトンボに似た模様があったことが分かっている。これはクラト層の不均翅類(狭義のトンボ類)としては初めて見付かった翅の色である。
[エオタニプテリクス・パラドクサ Eotanypteryx paradoxa]
基盤的なムカシヤンマ類であるクレタペタルラ科に属する。翅開長99mmと大型だった。
[クレスモダ・ネオトロピカ Chresmoda neotropica]
一見アメンボのような細長い胴体と肢を持つ昆虫だが、アメンボと同じ半翅類(カメムシやセミの仲間)ではなく直翅類(バッタやコオロギの仲間)に近いと言われている。
生態自体は水面に浮いて他の昆虫などを食べるというアメンボに似たものだったと考えられている。アメンボと比べて触角が太く前肢が長い。
より大型の種も他の地層から発見されているが、クラト層のクレスモダ・ネオトロピカは全長3cm程度だった。
[プルリカルペラティア・ペルタタ Pluricarpellatia peltata]
クラト層の植物の2〜3割は被子植物(目立つ花の咲く植物)に占められていて、被子植物が多様性を増していく様子を表している。
プルリカルペラティアは現生のジュンサイと同じくスイレンに近縁なハゴロモモ科の植物で、幅数cmほどのゆがんだ楕円形の葉や扇状の実を持つ水生植物だった。花の咲く植物としてはこの他にモクレンの仲間なども発掘されている。
[ルッフォルディア・ゴエッペルティ Ruffordia goeppertii]
クラト層からは種類は少ないがシダの化石も多数発掘されている(クラト層の植物種の6割は裸子植物である)。ルッフォルディアはフサシダ科に属し、特に多く産出するシダである。洪水で流されることもあるほど水際に生えていたようだ。
[ユーアルキスティグマ・アトロフィウム Euarchistigma atrophium]
タウマトネウラ科に属する、翅長35mmのイトトンボである。翅には先端近くを除いて色が付いていたことが分かっている。
[クラトステノフレビア・スクウィッケルティ Cratostenophlebia schwickerti]
イトトンボ類を均翅類、狭義のトンボ類を不均翅類というが、不均翅類に近いが不均翅類には含まれないものを便宜上「均不均翅類」といい、現生ではムカシトンボがこれに当たる。
クラトステノフレビアは最も不均翅類に近い均不均翅類であるステノフレビア科に属する。翅開長135mmとかなり大型のトンボで、翅、腹部とも細長かった。
[パウキフレビア・ノヴァオリンデンセ Pauciphlebia novaolindense]
サナエトンボ科の姉妹群であるプロテロゴンフス科に属する、翅長19.6mmとやや小柄なトンボである。左右の目が接していた。翅の形は丸みを帯びていた。
[パラコルドゥラゴンフス・アベランス Paracordulagomphus aberrans]
こちらもプロテロゴンフス科に属する翅長29.5mmのトンボである。頭部はトンボ科のトンボのように丸かったが、目の間は近いものの接していなかった。全体的にやや細長い体型をしていた。オスとメス両方の化石が見付かり、生殖器の形状が確認されている。
第三十三話
[コエロフィシス・バウリ Coelophysis bauri]
学名の意味:ジョージ・バウアー氏の中空の形をしたもの
時代と地域:三畳紀後期(約2億年前)の北米(ニューメキシコ州)
成体の全長:3m
分類:竜盤目 獣脚類 コエロフィシス科
恐竜は三畳紀に現れ始めたが、当初は小型のものばかりであった。コエロフィシスは三畳紀の恐竜の中でも化石が特に多く発見され、詳しく分かっている。
後に現れる他の獣脚類(いわゆる肉食恐竜)と同様、体を水平にして後肢だけで二足歩行した。
首と尾がとても細長い点は独特の体型であった。また吻部も細長く、頭骨全体が軽くできていた。視覚が発達していたが暗いときはよく見えなかったようだ。
大型肉食恐竜の歯をそのまま小さくしたような、切り裂くことに適したナイフ状の歯が生えていた。
前肢は短く、機能する3本の指と痕跡的な第4指があった。叉骨(左右の鎖骨がつながったもの)があり、これは後の鳥類に通じる特徴である。
後肢は走行に適していたが、首と尾が長いため相対的に後肢の短い、姿勢の低い恐竜に見える。
ゴーストランチという土地で、幼体から成体まで含んだ数百ものコエロフィシスの化石が折り重なるように発見されている。これは洪水によるもののようだが、生きていたとき群れで暮らしていたのか別々に暮らしていたのかはよく分かっていない。
ゴーストランチで発見されたコエロフィシスには非常に保存状態の良いものが含まれ、中には胃の中に収まった動物が一緒に化石化したものもある。これは長らく幼体のコエロフィシスを共食いしたものだと考えられていたが、後にヘスペロスクスという種類と思われるワニに近い動物だと判明した。
発見された化石が非常に多いため、大きくがっしりしたものと小さくほっそりしたものの2通りがいたことも分かっている。これは性別による違いではないかと言われる。ほっそりしたもののほうが骨盤の柔軟性が高く産卵に適することからメスなのではないかとも言われている。体型の違いは成熟する前からあった。
雨期と乾季のある氾濫原に住み、小さな爬虫類などを視覚で探しては素早くくわえ取って食べたと考えられる。
第三十四話
[クリダステス・リオドントゥス Clidastes liodontus]
学名の意味:閉じた脊椎と滑らかな歯を持つもの
時代と地域:白亜紀後期(約8500万年前)の北米(アラバマ州、カンザス州、テキサス州)
成体の全長:2〜4m
分類:爬虫綱 双弓亜綱 有鱗目 オオトカゲ上科 モササウルス科 モササウルス亜科
モササウルス類は、白亜紀の中頃に海洋に適応したトカゲの仲間である。オオトカゲやヘビと近縁とされる。
頭部から胴体にかけては細長く滑らかな円筒形で、三角形の尖った吻部を持っていた。四肢と尾は鰭になっていて、特に尾鰭は近年の発見によりサメの尾鰭を上下逆にしたような発達したものであったことが分かった。
クリダステスは最も小型のモササウルス類のひとつで、やや原始的だが典型的なモササウルス類の特徴を備えていた。
顎は細長く、途中に関節があり幅を左右に広げることができた。また顎関節は丈夫ではないが自在に動かせるようになっていた。歯はやや細長く尖り、後ろ向きに曲がっていた。口の縁だけでなく口蓋部分にも歯があった。
多くのモササウルス類について指摘されているように、ワニのように獲物を噛みしめるというよりは、獲物を吸い込み、ヘビのように逃さず丸呑みにしたようだ。これに対してグロビデンスやプログナトドンは噛み砕くことに適応していたと考えられている。
眼窩の形態から、モササウルス類としては比較的暗いときでもものが見えたようだ。
四肢の鰭は短く丸みを帯びていた。尾は胴体より短かった。
クリダステスは主にカンザス州を中心とした北米大陸の内陸部で発掘されている。白亜紀後期には北米大陸西部を南北に貫く水路のような浅い海「ウェスタン・インテリア・シーウェイ」があり、クリダステスはこの海の亜潮間帯に生息していた。
クリダステスの餌となったのは魚や、アンモナイトやイカなどの軟体動物だったと思われる。
沖合の地層から60cmほどの幼体の化石が発掘されている。クリダステスがごく幼いうちから浅瀬ではなく沖合に生息していたことになり、さらに陸で卵を産んだのではなく水中で子供を産んだことも示唆される。またモササウルス類の祖先とされるアイギアロサウルス類のカルソサウルスの胎内に4頭の胎児が含まれた化石が見付かっている。
モササウルス類でも魚竜の場合(
第三十話参照)と同様、皮膚の黒い色素が発見されたり、歯に含まれる酸素同位体から温血性であったことが示されたりしている。
[プラセンチセラス・メエキ Placenticeras meeki]
学名の意味:フィールディング・ブラッドフォード・ミーク氏のパンケーキ状の角
時代と地域:白亜紀後期(約8500万年前)の北米、ヨーロッパ
成体の直径:約60cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 プラセンチセラス科
扁平で巻きがきつく、比較的平滑な殻を持つアンモナイトである。アンモナイトの中では遊泳に適していたようだ。
殻が虹色に変化した状態で発掘されることがあり、アンモライトという宝石として扱われる。
殻の表面に丸い穴が複数空いているものもあり、これがモササウルス類の歯の大きさや間隔と一致することからプラセンチセラスがモササウルス類に捕食された証拠であるとされる。
しかしモササウルス類の口の形と合わない並び方をしている穴が多く、単純にモササウルス類が噛み付いて空いた穴ではないようだ。またそうした穴の少なくとも一部はカサガイという貝が住み着いた跡であることが分かっている。
[ペリスフィンクテス・ボウエニ Perisphinctes boweni]
第二十六話参照。
第三十五話
[パキリノサウルス・ラクスタイ Pachyrhinosaurus lakustai]
学名の意味:アル・ラクスタ氏の厚い鼻のトカゲ
時代と地域:白亜紀後期(約7300万年前)の北米(アルバータ州)
成体の全長:5〜8m
分類:鳥盤目 周頭飾類 角竜類 ケラトプシア ケラトプス科 セントロサウルス亜科
頭部にフリルと角、尖ったクチバシのある四足歩行の植物食恐竜である角竜の一種。北米大陸の西側からはケラトプス科に属する派生的な角竜類が多数発掘されていて、8000万年前から白亜紀の終わる6600万年前にかけて時代・地域により様々な種が入れ替わっていたことが分かっている。
全般的な体型などについては第十九話のカスモサウルスを参照。
パキリノサウルスはケラトプス類のなかでも鼻孔が大きくて吻部が高く、フリルが丸みを帯びているセントロサウルス類に含まれる。パキリノサウルスはセントロサウルス類では最も大きく、最も特殊化していた。
最大の特徴は、鼻孔や眼窩の上という他のケラトプス類では角が生えている部分に、角ではなく分厚い骨のパッドがあることだった。
大きなパッドが吻部の上面全体を覆い、小さなパッドが左右の眼窩の上にあった。このパッドは角が変化したものであると考えられている。
サイの角が骨の土台の上に角質の角が生えたものであることから、パキリノサウルスのパッドも角質でできた角の土台であるとされることがある。しかし骨組織はサイの角の土台より、ジャコウウシの頭頂部にある平たい角の根元に似ていることから、パキリノサウルスのパッドも生きていたときは分厚く平たい角質で覆われていたと考えられる。
特殊化した形態ではあるが、パキリノサウルスのパッドも他のケラトプス類の角と同様の用途が考えられている。つまり、ぶつけ合うことで同種の他の個体と闘争したり、前に向けて突進し捕食者を撃退したりするのに用いられたと思われる。
またフリルから生えた角も特徴的で、フリルの上の縁からは左右に向かって曲がった角が生えていた。ラクスタイ種ではフリルの中心から1〜3本の角が生えていた。
アルバータ州のパイプストーンクリークという発掘地では、ラクスタイ種の非常に大規模なボーンベッド(化石の集まった層)が発見されている。またパキリノサウルス属の他の種でも異なった地域・少しずれた年代のボーンベッドが発見されている。
これらのボーンベッドはパキリノサウルスが群れで移動しているときに水害などにあってできたものだと考えられる。このことから、パキリノサウルスは大きな群れを作って暮らしていたとされる。
トナカイのように群れでアルバータ州とアラスカの間を渡ると考えられていたが、詳しい研究の結果あまり長距離の移動はしなかったようだ。
[ケラトサウルス・ナシコルニス Ceratosaurus nasicornis]
第一話参照。
[エウロパサウルス・ホルゲリ Europasaurus holgeri]
第十三話参照。
[ファヤンゴサウルス・タイバイイ Huayangosaurus taibaii]
第十五話参照。
[ガストニア・ブルゲイ Gastonia burgei]
第二十三話参照。
[アウカサウルス・ガリドイ Aucasaurus garridoi]
第二十五話参照。
[パラサウロロフス・ワルケリ Parasaurolophus walkeri]
第十七話参照。
[ストルティオミムス・アルトゥス Struthiomimus altus]
学名の意味:高いダチョウもどき
時代と地域:白亜紀後期(約7000万年前)の北米
成体の全長:4m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトル形類 オルニトミムス科
歯のないクチバシや長い後肢からダチョウ恐竜と呼ばれるオルニトミムス類に属し、比較的大型の典型的なオルニトミムス類であった。
ダチョウに匹敵する速さで走り、知能や視力も高かったと考えられている。
前肢の指は3本とも同じ長さで、爪は長く、ものを掴むよりはナマケモノのように引っかけるのに適していた。木の枝を引き寄せて葉を食べたと思われる。
近縁のオルニトミムスでは、全身から羽毛の痕跡が発見され、特に成体のみ前肢に翼状の羽毛があったことが分かっている。翼は求愛のディスプレイや卵の保温に使われたと考えられる。
[ステゴケラス・ヴァリドゥム Stegoceras varidum]
第五話参照。
[ゴルゴサウルス・リブラトゥス Gorgosaurus libratus]
学名の意味:平衡のとれたすさまじいトカゲ
時代と地域:白亜紀後期(約7600万年前)の北米
成体の全長:9m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア ティラノサウルス科
ジュラ紀までに現れていた他の大型肉食恐竜とは別の系統から大型化したティラノサウルス類の一種である。
頭部は大きくて吻部の先端まで背が高く、胴体はコンパクトだった。
前肢はごく短く指は2本に減少していた。これに対して後肢は長く発達していて、走行に適していた。中足骨は中心の1本が左右の2本から挟まれるように一体化していて、衝撃を吸収する構造になっていたとされる。
ゴルゴサウルスはティラノサウルス類としてはほっそりとした体型だった。ただし成長しきるとそれまでよりはがっしりとした体型になったようだ。
後頭部はティラノサウルスやアルバートサウルスなどと違って幅が狭く、その分顎の筋肉が少なかった。歯は比較的薄く鋭かった。
また眼窩も前向きにならないため立体視の能力は低かったとされる。眼窩の前上方には小さな角状の突起があった。
原始的なティラノサウルス類から羽毛の痕跡が発見されている。特にユティランヌスというゴルゴサウルスと同等の大きさになる種類からも羽毛が見付かっていることから、ゴルゴサウルスにも羽毛があったかもしれない。
[カスモサウルス・ベッリ Chasmosaurus belli]
第十九話参照。
[ガリミムス・ブラトゥス Gallimimus bullatus]
第三話参照。
第三十六話
[サンタナケリス・ガフネイイ Santanachelys gaffneyi]
ウミガメ類は白亜紀に現れ、現在まで生き残っているウミガメ科、オサガメ科、白亜紀末に絶滅したプロトステガ科の3つに分かれる。サンタナケリスはプロトステガ科に属する、現在発見されている中で特に原始的なウミガメのひとつである。
白亜紀前期(約1億1000万年前)の地層であるブラジルのサンタナ層から非常に保存状態の良い化石が発掘された。甲長15cmほど、全長20cmほどのごく小型のウミガメである。幼体ではなくすでに亜成体の段階に達していたようだ。
流線型の甲羅や鰭状の前肢といった、すでにある程度遊泳に適応した特徴を持っていた。しかし前肢の鰭は他のウミガメと比べると小さく、また第1指(親指)と第2指(人差し指)の関節には曲げられる構造が残っていた。
眼窩は他のウミガメと同様非常に大きかった。これは現生のウミガメでも眼窩に収まっている、海水から過剰に摂取した塩分を涙のようにして排出する器官がすでに発達していたことを示す。よってサンタナケリスの場合遊泳能力より海水への適応のほうが先に進んでいたと考えられる。
しばらくサンタナケリスは知られている中で最古のウミガメであり続けたが、現在はサンタナケリスより1000万年古いデスマトケリス・パディライが発見されている。こちらは全長が2mある大型のウミガメである。
[プロガノケリス・クエンステッディ Proganochelys quenstedti]
完全な甲羅を持つカメとしては最古のもののひとつである。ドイツの三畳紀後期(約2億1000万年前)の地層から発掘された。
甲長50cm、全長1mに達する大型のカメであった。全体の体形は現生のリクガメによく似ていたが、頭部から首にかけてと四肢が棘状の装甲で覆われていた、首や四肢を甲羅に収める仕組みはなかった。また甲羅の前後の縁にも短い棘があった。長い尾にも棘が並んでいた上先端が固くなっていて棍棒状になっていた。
頭骨の細かい特徴は後のカメと比べて原始的であった。また咬筋の付着部分の上まですっぽりと骨で覆われていて、頭骨自体は頑丈だったが重く、また噛む力は後のカメほど強くなかった。現生のリクガメのように噛み合わせ部分に凹凸があり、また口蓋にやすりのような細かい歯があったため、植物を摘み取ってすり潰して食べたと考えられる。
プロガノケリスより古い部分的な甲羅のみの化石も見付かっている。また、背甲のないカメであるとされるオドントケリスや完全に甲羅のないカメであるとされるパッポケリスなど、より原始的なカメも発見されつつある。
[アラリペミス・バレトイ Araripemys barretoi]
プロガノケリスのような首を甲羅に収める仕組みのないカメの後に、首を横向きに曲げて畳む「曲頸類」と首を縦に曲げて引っ込める「潜頸類」が現れた。潜頸類はウミガメやリクガメなど大半のカメを含むのに対して、曲頸類は南半球に固有なグループであり、全て淡水性である。
アラリペミスはサンタナケリスと同じくサンタナ層から発見された甲長25cmの典型的な曲頸類である。首は甲羅と同じ長さに達し、首を後ろに引く筋肉が発達していた。また四肢の指が長く発達し、大きな鰭を持っていた。現在の曲頸類と同様、淡水に生息し、素早く首を動かして魚を捕えて食べたと考えられる。甲羅は丸く、首の付け根の部分がへこんでいた。
[カッパケリス・オオクライ Kappachelys okurai]
曲頸類にはリクガメ、ウミガメ、イシガメ、スッポンなど多くのカメが含まれる。カッパケリスはスッポン科とスッポンモドキ科を含むスッポン上科の中でも知られている最古のものである。
白亜紀前期(約1億3000万年前)の地層である石川県白山市の手取層群から甲羅を構成する骨の一部が発掘された。表面には鱗板の痕跡はなく、スッポン上科特有の虫食い状の凹凸があった。縁板(甲羅の一番外側の骨)があった点はスッポン科よりスッポンモドキ科のものに似ていた。甲長15cm程度とされる。
[アノマロケリス・アングラタ Anomalochelys angulata]
白亜紀後期(約9500万年前)の地層である北海道の蝦夷層群から発見された。カッパケリスと同様スッポン上科に属していたが、鱗板の痕跡があり、また現生のスッポン上科と異なりリクガメのような体形をした陸生のカメだった。
甲長70cmの甲羅は楕円形で、両肩の部分が棘状に前に向かって突き出していた。近縁で全身が見つかっているナンシュンケリスと同様、頭が大きく甲羅に引込められないため棘で防御していたと考えられている。
[シネミス・ガメラ Sinemys gamera]
シネミス類は基盤的な潜頸類で、現在のヌマガメのような体形と生態だったと考えられている。シネミス・ガメラは内モンゴル自治区の白亜紀前期の地層から甲羅の一部と頭骨が発見された。
発見された甲羅の部分は右後方と、前方の一部である。最大で甲長20cmとみられる甲羅の全体はほぼ六角形をしていて、わずかに下向きに膨らんだ形状になっていて薄く軽かった。最大の特徴は、後方左右から尖った翼状の突起が斜め後ろに向かって突き出していたことである。遊泳時に横と上下の傾きを抑えて体を安定させ、効率よく泳ぐのに用いられたと考えられている。
頭部は平たく、眼窩が上向きに開いていた。
[モンゴロケリス・エフレモヴィ Mongolochelys efremovi]
モンゴルの白亜紀後期(約7000万年前)の地層から発掘される、甲長80cmほどの大型のカメである。潜頸類に含まれるという説と、プロガノケリスのような潜頸類にも曲頸類にも含まれない原始的なカメの生き残りであるという説がある。
甲羅は前後に長く後方が幅広かった。甲羅が平たい点は水性であることを示しているように見えるが、四肢の指は短く、水かきはあまり発達していなかった。
[オカディア・ニッポニカまたはマウレミス・ニッポニカ(ニホンハナガメ)Ocadia nipponica or Mauremys nipponica]
現在中国南部、台湾、ベトナムなどに生息しているハナガメにごく近縁なカメで、千葉や神奈川の更新世(約20万年前)の地層から発掘されている。
甲羅の後方がやや幅広いことなど現在のハナガメによく似ていて、同様にほぼ水性だったと考えられている。甲長33cmと、現在のハナガメ(甲長最大27cm)よりやや大きかった。また、甲羅には年輪がほとんどなかった。口の咬合面は現在のハナガメと比べて幅広かった。
現在のハナガメが亜熱帯地域に生息していて冬眠を行わないのに対して、ニホンハナガメは冷涼な気候に生息する植物とともに発掘されている。当時は現在と比べて寒暖の差が激しく、ニホンハナガメは現在のハナガメと違って冬眠を行ったのではないかとも言われている。
[メイオラニア・プラティケプス Meiolania platyceps]
モンゴロケリスと近縁で、潜頸類に含まれるという説と原始的なカメの生き残りであるという説があるが、オーストラリアのロード・ハウ島に暁新世(約2000万年前)から2000年前まで生き残っていた。侵入してきた人類に捕食されて絶滅したようだ。
ゾウガメに似た丸い甲羅としっかりした四肢を持った陸生のカメで、全長2.5mに達した。頭部には一対の太く後ろ向きの角があり、尾は鞘状の骨で覆われた上に多数の棘が並んでいた。頭を甲羅に引込めることはできなかったようだ。甲羅を構成する骨は数mmの厚さしかなかった。これはゾウガメと同様であり、生きていたときは分厚い鱗板で覆われていたようだ。
[ストゥペンデミス・ゲオグラフィクス Stupendemys geographicus]
最大で甲長3m以上、全長4mに達したとされる史上最大の曲頸類である。ベネズエラの中新世末(約550万年前)の地層から発掘されている。
比較的扁平で楕円形の甲羅を持ち、現在のナンベイヨコクビガメ属に近縁とされる。現在のヨコクビガメとそれほど変わらない体形をしていたと思われる。
現在の曲頸類が全て淡水性なこと、巨大な体を持っていたことから、ほとんどの時間を水中で過ごしていたと考えられている。しかし甲羅の前縁に上向きにめくれた部分があって水の抵抗が大きいため、それほど速く泳ぐことはできなかっただろう。現在の大型のカメがそうであるように植物を多く食べたと考えられている。
特別に成長が速かったということはなく、成長しきるには60〜110年かかったともいわれる。
第三十七話
[トヨタマヒメイア・マチカネンシス(マチカネワニ) Toyotamaphimeia machikanensis]
学名の意味:待兼山で発見されたワニの化身の女神
時代と地域:後期更新世(約40万年前)の日本(大阪)
成体の全長:7〜8m
分類:爬虫綱 双弓亜綱 主竜上目 ワニ形類 新鰐類 ワニ目 正鰐類 クロコダイル科もしくはガビアル科 トミストマ亜科
マチカネワニは大阪にある待兼山で、大阪大学豊中キャンパスを建設中に発見された大型のワニである。これにより日本にもワニが生息していたことが明らかになった。
現生のワニの中ではマレーガビアルというマレーシアに生息するワニに近縁で、ともにトミストマ亜科に含まれる。ただしトミストマ亜科自体がクロコダイル科とガビアル科どちらに含まれるか意見が分かれている。
尾の大半を除く全身が発見されていて、体型や細部がよく分かっている。発見された個体は頭骨だけで1m、尾を除いた全身が330cmあるとても大型の個体だった。
ワニとして特に目立つ特徴は、吻部が細長く、頭部全体が長い二等辺三角形をしていることだった。長い吻部は水中で閉じたり振り回したりするときにかかる水の抵抗が小さく、魚を主食とするワニの特徴である。これは近縁のマレーガビアルとも共通している。
ただし歯は陸上哺乳類も多く食べるワニのように太く、大きさが一定でなかった。上顎骨に生えている歯のうち前から7番目、12番目、13番目の歯が特に太い。さらに噛む力も強かったようだ。
よってマチカネワニは魚と陸上の哺乳類どちらも獲物にできたと考えられる。
ワニの背中に並ぶ装甲を鱗板、その中にある骨を鱗板骨という。多くのワニはこの鱗板骨に稜という突起があり、棘状の突起の芯になっているが、マチカネワニの鱗板骨には稜はなかった。正方形でなく長方形であることや、6列ではなく4列に並んでいたこともマチカネワニの鱗板骨の特徴だった。
ワニはトカゲなどと比べると体を持ち上げて歩くことができるが、現生のマレーガビアルはワニの中では這いつくばった姿勢で、水中への適応度が高い。マチカネワニのようなトミストマ亜科のワニは海沿いに分布を広げたと考えられ、海を渡ることができるほど遊泳能力が高かったのかもしれない。
発見されたマチカネワニの化石は、下顎の3分の1が欠け、後肢と鱗板骨にも怪我の痕が残っていた。ワニは同種同士で争ってこうした怪我を負いながらも生きながらえることがよくあり、マチカネワニも別の個体と闘争を行っていたようだ。
植物花粉の化石から、マチカネワニが生息していた環境は現在の大阪と同程度の気温だったことが分かっている。他のワニが熱帯あるいは亜熱帯に生息するのに対して、マチカネワニはワニとしてはかなり冷涼な気候に生息していたことになる。またマチカネワニが暮らしていたのは河口近くのやや淀んだ環境だったようだ。
[プロトスクス・リカルドソニ Protosuchus richardsoni]
学名の意味:ヒューバート・リチャードソン氏の始めのワニ
時代と地域:ジュラ紀前期(約2億年前)の北米(アリゾナ州)
成体の全長:1m
分類:爬虫綱 双弓亜綱 主竜上目 ワニ形類 プロトスクス科
現生のワニ目を含むワニ形類は三畳紀に現れ、恐竜とともに中生代の主に陸上で繁栄した。プロトスクス類はごく初期に現れたワニ形類だったが、白亜紀まで生存していた。
プロトスクスはごく初期のワニ形類の特徴をよく備えていた。現生のワニと違って這うような低い姿勢ではなく、前から見て四肢を地面に垂直に保ち(直立歩行)、効率よく歩行することができた。水にはあまり入らず、もっぱら陸上で生活していたようだ。
吻部はやや短く、また高さがあった。後頭部の幅も広く、噛む力は強かったようだ。鱗板は2列並んでいた。
[シモスクス・クラルキ Simosuchus clarki]
学名の意味:ジェームズ・M・クラーク氏のしし鼻のワニ
時代と地域:白亜紀後期(約7000万年前)のマダガスカル
成体の全長:約70cm
分類:爬虫綱 双弓亜綱 主竜上目 ワニ形類 中正鰐類 ノトスクス類
中正鰐類は中生代に多様化し、特にノトスクス類は陸上の生態系で多様なニッチを占めた。中でもシモスクスは、植物食に適応したワニである。
吻部はとても短くて幅広く、全体的に箱状の頭部をしていた。幅広い口先にはカエデの葉のような形をした歯が生えていて、これで植物を切り刻んで食べたようだ。
[ゴニオフォリスの一種 Goniopholis sp.]
学名の意味:角張った鱗
時代と地域:ジュラ紀後期から白亜紀前期(約1億5000万年〜約1億4000万年前)のヨーロッパ、北米
成体の全長:3m
分類:爬虫綱 双弓亜綱 主竜上目 ワニ形類 新鰐類 ゴニオフォリス科
ジュラ紀にはすでに現生のワニに近縁なワニから、半水生のものが現れていた。
ゴニオフォリスはワニ目には含まれないものの、現生のワニと非常によく似た姿をしていて、生活もまた現生のワニと同様であったと考えられている。
現生のワニとの違いの一つは、内鼻孔の位置である。顔面の外に開いた鼻の穴を外鼻孔というが、そこからつながって口の内側に開く穴を内鼻孔という。哺乳類や現生のワニでは内鼻孔が喉の奥にあるため食物が口にあっても呼吸ができるが、ワニ以外の爬虫類では内鼻孔が口腔にあるため食事と呼吸が同時にできない。ゴニオフォリスの場合は現生のワニと比べると内鼻孔がやや前方にあった。
脊椎の間接面などにも現生のワニと違いがあった。
第三十八話
[デスモスチルス・ジャポニクス Desmostylus japonicus]
学名の意味:日本の束ねた柱
時代と地域:前期中新世(約1700万年前)の北太平洋西側沿岸(日本の島根県以北、サハリン)
成体の全長:2〜3m
分類:アフリカ獣類 束柱目 デスモスチルス科
束柱類は円柱を束ねたような形の臼歯を基に名付けられた、現在は絶滅している水生もしくは半水生の大型哺乳類である。デスモスチルスは束柱類を代表する属とされるが、束柱類の中でもっとも後に現れた。
カバに近い大きさがあり、胴体と四肢のスタイルやバランスも一見カバに似ていたが、四肢の関節を中心に難解な特徴が多く、比較すべき他の動物もいないため、長い間復元像が定まっていなかった。
80年代以降、他の動物に似せるアプローチではなく筋肉の付き方や関節の可動範囲などを検討するアプローチにより姿勢が推定されるようになってきている。
現在主流となっている復元像は二通りである。
「犬塚復元」では、前肢をワニのように左右に這いつくばらせ、波打ち際で波に倒されないよう踏ん張って暮らしていたと考える。
「甲能(こうの)復元」では、前肢を水かきとして真下に伸ばし、もっぱら遊泳していたと考える。
いずれの復元像でも、後肢はカエルのように左右に引き縮めるようになっている。
以前はカバのように陸上を歩くとされていたが、復元像の確立とともに水生傾向が強かったとみられるようになり、さらに近年の骨組織の検討では遊泳性の動物のような密度の低い骨を持っていたことが分かったため、ほとんど陸に上がらなかったとも言われるようになってきている。胴体の骨は密度が低かったが顎の骨は密度が高く、セイウチのように頭を下にして潜水するのに適していたとも言われる。
頭部はカバのような大きなものではなく、鰭脚類のような流線型だった。眼窩や鼻孔が上寄りであることも水生傾向を示している。しかし吻部の先端は平たく、牙は前を向いていた。デスモスチルスは吻部の幅が狭く、近縁のパレオパラドキシアは吻部の幅が広かった。口先にはセイウチと同じような感覚毛があったとされる。
前述のとおり円柱を束ねたような形の臼歯があり、近縁のゾウやジュゴンと同じく、下からではなく後ろから新しい歯が生えてきた。この臼歯の用途も長らく不明で、何を食べていたのか分からなかった。顕微鏡による微細な傷の観察が行われた結果でもあまり食性が絞り込まれず、少なくとも固いものを噛み割っていたのではなかった。
臼歯と筋肉の向きや位置の検討が行われた結果、食物をすりつぶすことよりただ単に噛みしめることに向いていたことが分かった。噛みしめると顎がしっかり固定され、口先には隙間ができ、食物を吸い込むことが容易になる。また同位体を用いた分析の結果、デスモスチルスは汽水で得られるものを食べていたことが分かった。
以上のことにより、デスモスチルスは汽水の水底に向かって潜り、砂の中にいる無脊椎動物を吸い込んで食べていたのではないかと言われている。
束柱類は北太平洋沿岸で化石が発見されている。デスモスチルスの頭骨は岐阜県の瑞浪市で、全身骨格はサハリンで初めて発見されている。また北海道を中心に日本各地から束柱類の化石が発見されていて、これにより日本は戦前から束柱類の研究が進んでいる。
中新世は全体的には温暖な時期で、デスモスチルスの頭骨が発見された岐阜県の瑞浪層群でいえばほぼ亜熱帯の気候であったが、デスモスチルスが発掘された層が堆積した時期には北からの海流が流れ込んで温帯気候となっていた。デスモスチルス属は主に北太平洋の北部に生息していて、岐阜県へは海流の南下に乗じて北から分布を広げてきたようだ。
第三十九話
[パラエオロクソドン・ナウマンニ(ナウマンゾウ) Palaeoloxodon naumanni]
学名の意味:ハインリッヒ・エドムント・ナウマン氏の太古の菱形の歯
時代と地域:後期更新世(約43万年前〜1万5000年前)の日本、中国
成体の肩高:2〜3m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ゾウ科
現生の長鼻類(ゾウの仲間)はアジアゾウ、サバンナゾウ、マルミミゾウのみだが、長鼻類は新生代を通じて多様化し、数万年前までもっと多く生存していた。
日本列島にも長鼻類が数回にわたって進出していて、ナウマンゾウはその中でも特に後になってから日本全国に広まった、日本を代表する長鼻類である。約43万年前、当時アジア大陸とつながっていた九州を通じて日本に到達したと考えられている。
ナウマンゾウは基本的には現生のゾウとよく似たゾウであった。
頭部に大きな特徴が集まっていた。頭骨は前方から見ても側方から見ても角張った形をしていて、顔面が垂直に近い角度をしていた(ただし生きていたときには顔面は鼻の土台となっていた)。額の頂部には鉢巻きかベレー帽を思わせる突起があった。
現生のアジアゾウでは体に対する脳の大きさを示す指標であるEQは2を超えるが、ナウマンゾウと同じパラエオロクソドン属のパラエオロクソドン・アンティクウスではサバンナゾウをやや下回る1.2であった(現在、脳の大きさは必ずしも知能を反映しないとされる)。
牙は発達していた。特にオスの牙は大きく、またメスの牙は並行で細いのに対して、オスの牙はより太く、ハの字に開き、前方に向かってねじれるように曲がっていた。
ゾウ科に属する長鼻類の臼歯は上下左右1〜2個ずつだけで、非常に大きく発達している。種によって咬合面の凹凸に違いがあり、ナウマンゾウの歯はアジアゾウのような細かい段差が並行に走っているものとサバンナゾウのような大きな菱形が並んでいるものの中間であった。タケ類を好むアジアゾウと比べると柔らかいものを好んだのかもしれない。
体型は現生のゾウとほぼ変わらなかったと考えられている。肩が少し盛り上がっていた。オスはメスと比べて肩高が50cm以上上回っていたようだ。とはいえ全身が揃った状態の化石が発見されていないので、それほど正確にプロポーションが判明しているとはいえない。
沖縄県から北海道の主に南西部まで、日本全国から非常に多くの化石が発掘されている。大半は低地で発見されているが、標高1000m以上の地点から発見されたこともあり、山地で生活することもできたようだ。
発掘された地層の植物化石から、主に針葉樹と落葉広葉樹が混ざった森林(針広混合林)に生息したとされている。ナウマンゾウ生息当時はいわゆる氷河期であったが、寒冷な地域の草原に生息していたケナガマンモスと比べると温暖な環境を好んだようだ。熱帯に生息する現生のゾウと比べて体毛が長く放熱するための耳が小さかったと考える場合と、アジアゾウとそれほど違いはなかったと考える場合がある。北海道ではケナガマンモスも北方から進出し、気候の変化によって両者の生息地域が変動していた。
日本列島に渡ってきたヒトと接触し、捕食対象となったようだ。ヒトの手が加わったと考えられる状態のナウマンゾウの化石も発見されている。
第四十話
[シノメガケロス・ヤベイ(ヤベオオツノジカ) Sinomegaceros yabei]
学名の意味:矢部長克氏の中国の角
時代と地域:後期更新世(約30万年前〜1万5000年前)の日本
成体の肩高:1.7m
分類:鯨偶蹄目 反芻亜目 シカ科 シカ亜科 シカ族
オオツノジカは、人類(ホモ属)が繁栄し始めたのと同時期にユーラシアに現れた大型のシカのグループである。現生のダマジカに近縁とされる。名前のとおり角が非常に発達しており、また角の形態も多様化していた。
シノメガケロス属のオオツノジカがアジアに現れ、当時日本と陸続きになっていたためナウマンゾウとともに日本に進出してヤベオオツノジカに進化したとされる。日本の各地から化石が発見されていて、ニホンジカやその近縁種と生息地域・年代が重なるものの、ニホンジカと直接の類縁関係はない。
ヤベオオツノジカは島嶼性であるにも関わらずユーラシア大陸のオオツノジカとさほど変わらない大きさで、大型のウマやヘラジカに匹敵した。骨組織の観察から、多くの島嶼性の動物と違って大陸性のオオツノジカと同じくらい早く成長したことが分かっている。
角はギガンテウスオオツノジカ(メガロケロス・ギガンテウス)ほど大きくはなかった。ギガンテウスオオツノジカの角が左右に大きく広がっているのに対して、ヤベオオツノジカの角は前後に長かった。基部の上に伸びる枝と、一旦後方に伸びてから立ち上がる枝に分かれ、それぞれの枝の先はヒトの手のような平たい形になっていた。
角の重量を支えるため、首の筋肉の基部である肩の棘突起が発達していた。四肢は長く丈夫で、走行に適していた。
生息年代としては氷河時代であったが、ナウマンゾウやニホンザルといった南方から日本に渡ってきた動物とともに産出することから、寒帯気候というよりは温帯気候に適応していたと考えられる。また完全な森林より開けた環境に生息していたようだ。
最終氷期が特に寒冷な気候になり生存が難しかったことと、ヒトによる狩猟の影響で絶滅したとされる。ナウマンゾウの牙とヤベオオツノジカの角の先が対になって並べられた状態で発見されたことなどもあり、ヒトの狩猟の対象になっていたことは確実視されている。
ヤベオオツノジカの化石は1797年に群馬県で初めて発見され、その3年後には大型のシカの一種であることが確認された。発掘が記録され、さらに同定された化石としては日本最古のものである。現在もこの化石は蛇宮神社の委託のもと富岡市立美術博物館で展示されていて、またレプリカは群馬県立自然史博物館でも見ることができる。
第四十一話
[メガロニクス・ジェッフェルソニイ(ジェファーソンズグランドスロース) Megalonyx jeffersonii]
学名の意味:トマス・ジェファーソン氏の大きな爪
時代と地域:更新世(約78万年前〜約1万2000年前)の北米
成体の全長:約3m
分類:異節上目 有毛目 メガロニクス科(フタユビナマケモノ科) メガロニクス亜科
現在ナマケモノは中南米の熱帯雨林に生息し、樹上で生活しているが、1万年ほど前までは地上性のものが南北両アメリカ大陸に多数生息していた。これを地上性ナマケモノ、または現生のナマケモノと比べ非常に大型であったことからオオナマケモノと呼ぶ。
地上性ナマケモノは立ち上がって木の葉を食べるもの、穴を掘って地下茎などを食べるもの、半水生のものなど多様化していたが、メガロニクスはその中でも立ち上がって木の葉を食べる典型的な地上性ナマケモノであったとされる。
また地上性ナマケモノは単一のグループに属するのではなくいくつかのグループに分かれていたが、メガロニクスは現生のフタユビナマケモノに近縁なグループに含まれるとされる。
メガロニクスは全長約3mと中型の地上性ナマケモノであった。メガテリウムやエレモテリウムなど、最も大きな地上性ナマケモノは全長6mになった。
頭部は現生のナマケモノ同様丸みを帯びた形で、吻部は短かった。歯は植物をすり潰すというより細かく噛み切るのに向いた尖った形状をしていた。首は短く頑丈な造りだった。
前肢は長く発達していた。上から引き下げるような動きに適していたとされる。
手も大きく、名前の由来となった末節骨(爪の芯となる指先の骨)は長い鉤爪になっていた。ただし、末節骨の根元の大部分が骨でできた鞘で覆われていた。生きていたときはこの鞘の上に皮膚や角質が被さり、爪がそれほど長いようには見えなかっただろう。
4足で歩くときは手の甲を地面に付けたと考えられている。親指は小さく、ものを掴むのではなく爪で引っかけたようだ。
胴体や骨盤は幅広く、植物を消化する長い腸が収まっていた。
後肢は短く、とても頑丈だった。足が平たく、かかとを地面につけて歩いたようだ。素早い移動には全く適していなかった。尾も同様に短く頑丈なことから、カンガルーのように後肢と尾だけで立って過ごすことが多かったと考えられている。
もっぱら森林に生息し、高い枝を爪で引っかけて引き下げたり、木に力をかけて上体を起こしたりして木の葉を食べたとされる。ただし広範囲で発見されていることから、必ずしも森林でだけ暮らしていたのではないようだ。
洞窟で発見されることも多く、気温の変化を避けたり安全に出産したりするのに洞窟を利用していたようだ。
こうした地上性ナマケモノは約1万年前に絶滅したが、これにはヒトがアメリカ大陸に進出し地上性ナマケモノを捕食したことが深く関わっているとされる。
[ノスロニクス・ムクキンレイイ Nothronychus mckinleyi]]
学名の意味:ボブ・マッキンリー氏の農場で見付かったナマケモノのようにゆっくりとした爪
時代と地域:白亜紀後期(約9000万年前)の北米
成体の全長:約4m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ テリジノサウルス科
ノスロニクスは北米で発見された数少ないテリジノサウルス類である。テリジノサウルス類は主にアジアに生息していた、地上性ナマケモノに収斂進化したとされる恐竜である。
系統の異なる生き物が同じような生活に適応した結果同じような形質を獲得することを収斂進化という。特に明確な例に、高速遊泳に適応した結果いずれも流線型の体と三日月型の尾鰭を獲得したサメ、マグロ、魚竜、鯨類がある。
ノスロニクスのようなテリジノサウルス類はメガロニクスのような地上性ナマケモノに似た特徴を多く持っていた。前肢は長く爪が発達していた。胴体は半分直立し、大きく幅広かった。後肢は短く、走行より体重を支えるのに適していた。歯は植物を噛み切るのに適していた。
テリジノサウルス類も地上性ナマケモノと同様、体を起こして枝や幹をつかみ、高いところの木の葉を食べ、時間をかけて消化していたようだ。
ただし地上性ナマケモノとの違いとして、頭が小さく首は細長かった。吻部の先端は歯のないクチバシになっていた。前肢は長いといってもメガロニクスほどではなかった。またおそらく常に2足歩行で、尾を地面に付けることはなかった。
植物食に適した特徴を備えているものの、テリジノサウルス類は従来いずれも肉食であったと考えられていた獣脚類に属している。
テリジノサウルス類はクマやパンダのように肉食から雑食、さらに植物食に変化したことになる。このように肉食から植物食に適応したとされる獣脚類には他にオルニトミムス類とオヴィラプトル類がいる。
ノスロニクスの独特な点としては、肩にあたる椎骨の棘突起がやや長く、肩が少し盛り上がっていたようだ。
テリジノサウルスと比べると爪が深く曲がっていて、形状の比較からノスロニクスは枝をつかむより土を掘ることに適応していたのではないかという指摘もある。
テリジノサウルス類は様々な恐竜に似た特徴を併せ持っていた上、特に早く発見されたテリジノサウルス類であるテリジノサウルスが爪しか発見されなかったため、獣脚類と判明するまで数十年かかった。
アラシャサウルスやベイピャオサウルスなどの発見により1990年代頃からテリジノサウルス類の体型や系統上の位置が判明し始めた。特にベイピャオサウルスには原始的な羽毛の痕跡が発見され、テリジノサウルス類にも他の鳥類に近い獣脚類のように羽毛があったことが分かった。
現在でもテリジノサウルス類の多くは断片的な化石しか知られていないが、ノスロニクスはムクキンレイイ種とグラッファミ種を合わせればほぼ全身が発見されている。
第四十二話
[ペイトイア・ナトルスティ(ラッガニア・カンブリア) Peytoia nathorsti(Laggania cambria)]
学名の意味:アルフレッド・ガブリエル・ナトホルスト博士のペイト氷河のもの(ウェールズとラガン駅のもの)
時代と地域:カンブリア紀中期(約5億800万年前)の北米(カナダ)
成体の全長:約20cm(最大60cm?)
分類:側節足動物 歩脚動物門 恐蟹綱 放射歯目 フルディア科
ペイトイアは、ラッガニアという名前で知られることの多い、アノマロカリスの近縁種である。
アノマロカリス類(上記の分類では恐蟹綱)は断片的な化石が多く、似た生き物が生き残っておらず、さらに特異な体型をしていたため、全体像を把握するのが非常に難しかった。アノマロカリスの付属肢の化石が発見されたのは1892年、近縁種の口と胴体が発見されたのは1911年のことであったが、これらの間に関係があると分かり始めたのは1979年、同じ動物の体の一部であるとされたのは1985年、完全に全身が把握されたのは発見から100年経った1990年代になってからであった。
1911年に発見されていたアノマロカリス類の口と胴体の化石は、口がクラゲの一種「ペイトイア」、胴体がナマコの一種「ラッガニア」として同じ論文の中で名付けられていた。1978年にはサイモン・コンウェイ・モリスにより「ラッガニア」の口器とされたものが「ペイトイア」であり、「ラッガニア」は「ペイトイア」と海綿の一種コラリオが組み合わさったものであると考えられた。このときモリスはペイトイアを有効名として残した。
1985年にはハリー・ウィッティントンとデレク・E・G・ブリッグスによりペイトイアとアノマロカリスの全身化石が発見され、これらの全体像が明らかになっていったものの、ペイトイアは一旦アノマロカリス属に含まれた。その後の形態の比較により、ペイトイアはアノマロカリスとは別属として分類されるようになった。
ペイトイアはアノマロカリスと比べると、頭部が大きく、また胴体と頭部の間にくびれがなく全体が平たい楕円形をしていた。
複眼は頭部のかなり後方にあった。頭部の1対の大きな付属肢は、先端を除いて長いブラシ状の棘が生えていた。複眼が前寄りでなく、付属肢が大きいものを捕獲するより小さいものを濾し取ることに向いていたことから、アノマロカリスのような頂点捕食者ではなく、濾過食性なのではないかとも言われている。
体側に鰭はあるが尾鰭はなかった。また歩脚はなかったようだ。常に海底から浮かんだ状態を保ち、ゆっくりと泳いでいたようだ。
こうしたアノマロカリス類がいくつか発見され、またその他の近縁なものとも比較された結果、アノマロカリス類が節足動物にごく近縁であることは判明したものの、それほどきちんと分類上の位置が定まったとはまだいえない。上記の分類は一つの案である。
[キルトスピリファー・ヴェルネウイリ Cyrtospirifer verneuili]
学名の意味:フィリップ・エデュアルド・ポールティエ・ド・ヴェルヌイユ氏の湾曲したスピリファー(スピリファーは他のスピリファー目の腕足動物。意味は「螺旋を運ぶ者」)
時代と地域:デボン紀後期(約3億8000万年前)の世界各地
成体の全長:約6cm
分類:腕足動物門 リンコネラ綱 スピリファー目 キルトスピリファー科
腕足動物については
第十八話のスカチネラ参照。
キルトスピリファーはスピリファー類の代表的なものの一つである。
スピリファー類は古生代の中頃に繁栄した腕足動物のグループである。翼形と呼ばれる、左右に翼を広げたような殻を特徴とする。このことから石燕という古名を持つ。
キルトスピリファーはスピリファー類の中でも翼状の部分が特に長く発達し、イチョウの葉に似た左右に長い扇形をしていた。殻の中央部分は片方で膨らみ、もう片方では凹んでいる。殻の先端で凹凸が噛み合う部分をサルカスという。2枚の殻はわずかなすき間を開けていた。
新潟大学の椎野勇太氏は、キルトスピリファーを含めた腕足動物の殻に関する流体的な実験と解析を行っている。
この研究により、スピリファー類の場合は周囲の流れがサルカスの開口部から流入し、翼状部の中で触手冠(バネ状のフィルター)を取り巻く渦となりつつ外側に向かい、翼状部の開口部から流出することが分かった。
どちらからの流れでも内部に取り込めるが、流速に関わらず適度に弱い安定した渦を内部に作り出せる向きは決まっていた。また秒速1cmというごく弱い流れでも内部に渦を作ることができた。
キルトスピリファーはこのような殻の機能を利用して、海底の砂の上に立って水流から餌を濾し取っていた。古生代の中頃には陸上で森林が広がり有機物の産生量が増したため、河川から海に栄養豊富な水が流入し、受動的に餌を捕えるスピリファー類の繁栄を促したのではないかとも言われている。
[プテロトリゴニア・オガワイ Pterotrigonia (Ptilotrigonia) ogawai]
学名の意味:小川氏の羽状のトリゴニア(トリゴニアは他の三角貝目の一種。意味は「三角形のもの」)
時代と地域:白亜紀後期(約9800万年前)の東アジア
成体の全長:約3cm
分類:軟体動物門 斧足綱 古異歯亜綱 三角貝目 メガトリゴニア上科 メガトリゴニア科 プテロトリゴニア亜科
プテロトリゴニアは中生代に栄えた三角貝という海生の二枚貝の一種である。中生代末にほぼ絶滅したが、現在もオーストラリア沿岸にシンサンカクガイ属(ネオトリゴニア)が7種生息している。
三角貝(トリゴニア)という名前は代表的な属であるトリゴニアの殻が三角形のシルエットをしていることにちなむ。頂点が蝶番で、一方は平らな面、もう一方は丸い円錐状になっていた。
三角貝は現生のアサリやハマグリのように砂に埋もれて生活していたが、そのような系統的に新しい貝と違って、水を出し入れするための水管を持たなかった。
そのため、殻を全て砂で隠したまま水管だけを砂の上に出すことができず、殻の端を露出せざるを得なかったようだ。このことが捕食者から逃れる上で不利になったために衰退したのだと言われる。
プテロトリゴニアは小型の三角貝で、トリゴニアにおける円錐状の面が膨らみ、さらに端が出っ張って羽状のシルエットになっていた。表面には肋と呼ばれる筋状の出っ張りが並び、さらに肋の上に突起が並んでいた。河口から少しだけ離れたところに生息していたようだ。
熊本県の御所浦では、アサリやハマグリに近縁な水管を持つ二枚貝であるゴショライアと共に発見されていて、三角貝から水管のある二枚貝への移り変わりの時代を示している。
[シュードフィリップシア・クズエンシス Pseudophillipsia (Pseudophillipsia) kuzuensis]
学名の意味:葛生産のフィリップシアもどき(フィリップシアは他のフィリップシア科の一種。意味は「ジョン・フィリップス王立学会特別研究員のもの」)
時代と地域:ペルム紀後期(約2億7000万年前)の東アジア
成体の全長:約2cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 プロエトゥス目 フィリップシア科
三葉虫は全体としてはほぼ古生代を通じて繁栄していたが、三葉虫の中のそれぞれのグループは段階的に絶滅していった。カンブリア紀中期にはレドリキナ目、オルドビス紀末にはプティコパリア目、シルル紀末にはアサフス目というように絶滅し、デボン紀末には当時生息していた5つの目のうちプロエトゥス目しか残らなかった。
プロエトゥス目は三葉虫の中でもオーソドックスな形態をした小型の三葉虫である。石炭紀とペルム紀を通じてプロエトゥス目の三葉虫も次第に数を減らしていき、ペルム紀末に完全に絶滅した。
国内では三葉虫の発見例は海外と比べればごく少なく、また多くは断片的だが、発見されているのは絶滅間際の三葉虫であるため、三葉虫の絶滅に関連する情報が含まれているとみられる。
シュードフィリップシアは国内で発見される最後の三葉虫のひとつである。小判型の全身、大きな頭部と複眼など、三葉虫の基本的な体型を保っていた。国内での発見例はいずれも石灰岩の地層であり、炭酸カルシウムが豊富に得られる環境に生息していたようだ。
[ストロマトライト Stromatolite]
名前の意味:縞状の岩石
ストロマトライトは特定の古生物に付けられた名前ではなく、微生物、特にシアノバクテリアの働きによって作られる層状の構造を持つ堆積岩のことである。生物の形態または生活の痕跡が地層中に残されたものを化石というため、全く岩石にしか見えないストロマトライトも地層中から発見されれば化石の範疇に含まれることになる。
ストロマトライトを形成するシアノバクテリアは、古くは藍藻と呼ばれた、光合成を行う細菌である。植物よりはるかに古い起源をもち(しかし最古の光合成生物ではないようだ)、植物の細胞内にある葉緑体はシアノバクテリアが植物の祖先と共生するようになってできたものであると言われる。現在シアノバクテリアは温泉の中や氷河の上のような極限的な環境でも見られるが、池や水槽に現れることもあり、決して珍しい存在ではない。
シアノバクテリアがストロマトライトを形成する過程は以下のとおりである。
シアノバクテリアは水底で光合成を行いながら増殖し、粘りのある層状のコロニーとなってあたりを覆う。そこに微細な堆積物が少しずつ降り積もると、堆積物の粒はシアノバクテリアの層に取り込まれ、固定される。
さらにシアノバクテリアが層の上に向かって増殖すると堆積物の粒は層の中に埋まり、再び堆積物が層の上に降り積もる。
シアノバクテリアの活動は光のある日中に限られるため、堆積物を層に取り込む過程は日周的に進む。これを繰り返し、さらに堆積物が石灰化することによって、シアノバクテリアのコロニーは薄い層状の石灰岩からなる塊に変わる。これがストロマトライトである(なおこの過程にはシアノバクテリア以外の細菌も関わっているようだ)。
全体の形状は有名な丸いものだけでなく円錐状や枝状など様々だが、シアノバクテリアの種ではなく環境に左右されると考えられている。
形成過程が進行するには、浅くて日光が充分にあり、炭酸塩を含む堆積物が少しずつ流れ込む水底が必要である。さらに、砂をかき混ぜるような動物がいないことも必須になる。ストロマトライトが形成される過程はごくゆっくりとしか進まず、シアノバクテリアのコロニーが形成される時点で動物に壊されたり食べられたりする可能性が高いからである。
そのため、ストロマトライトはまだ多細胞生物がいない20億年以上前には地球上に現れたが、複雑な体制を備えた動物が多様化したカンブリア紀に入ると激減した。
しかしその間、ストロマトライトは世界各地の浅い海に多数形成され、シアノバクテリアの大規模な光合成が行われた。これにより海水中および大気中の酸素濃度が飛躍的に上昇し、多くの生き物が酸素の酸化作用による淘汰圧を受けたことが、現在のように多細胞の体を持ち酸素を呼吸する生き物の多様化を促したとされる。
カンブリア紀以降もストロマトライトは全くなくなったわけではなく、現在までにわたって化石が発見されている上、オーストラリア西海岸には現生のストロマトライトがわずかに生息している。この現生ストロマトライトの発見により、形成される原因や過程など多くのことが解明されたが、現生と化石の違いなどの課題も生まれた。
シアノバクテリアを実験室で培養してストロマトライトを形成させる実験が行われており、すでに層状の膨らんだ構造を形成させる段階まで進んでいる。
第四十三話
[シンフィソプス・スバルマトゥス Symphysops subarmatus]
シンフィソプスはオルドビス紀(約4億5000万年前)の北アフリカ(モロッコ)の海に生息していた遊泳性三葉虫である。
三葉虫の多くは海底を歩くか、海底の砂に潜って生活していたが、中には遊泳性と考えられるものもいた。
特に、
シンフィソプスやキクロピゲを含むキクロピゲ科、
カロリニテスやオピペウテレッラを含むテレフィナ科、
レモプレウリデスやヒポディクラノトゥスを含むレモプレウリデス科、
これら3つのグループは大きな複眼と身軽な体型により高度に遊泳に適応し、オルドビス紀に繁栄していた。
三葉虫(Trilobite)という名前は体が左右に3つの区画に分かれることから名付けられ、体の中央部分を中軸、脇腹の部分を肋と呼ぶ。胴体や肢を動かす筋肉は中軸にだけ収まっている。
底性の三葉虫は肋が幅広く全体に楕円形だが、遊泳性の三葉虫は肋が退化していた。
複眼の構造を検証した結果から、シンフィソプスのようなキクロピゲ科の三葉虫は暗い深海に生息していたと考えられている。
一般的な三葉虫の頭部に見られる頬という部分が退化し、丸く膨らんだ頭部中央(頭鞍)を挟むように複眼が発達していた。
尾部が丸く幅広い形で、鰭として役立ったかもしれない。
シンフィソプスは全長4cm前後とキクロピゲなどと比べて大きかった。頭部の先端は正面に向かって角状にとがっていた。また、シンフィソプスの左右の複眼は角状の部分の下でつながっていた。
[キクロピゲ・レディヴィヴァ Cyclopyge rediviva]
第十六話参照。
[パラバランディア・ボヘミカ Parabarrandia bohemica]
紹介する順番が前後するが、キクロピゲ科、テレフィナ科、レモプレウリデス科という3つの遊泳性三葉虫のグループの他にも比較的遊泳能力が高かったとされる三葉虫がいた。
オルドビス紀(約4億6000万年前)のチェコ、ポルトガル、スペインに生息していたパラバランディアは、ニレウス科の中から遊泳に適応したもののひとつであった。
3つの代表的なグループに含まれる遊泳性三葉虫は数cm程度であったのに比べて、パラバランディアは全長約12cmとかなり大型だった。しかし肋が退化し複眼が発達しているという遊泳への適応が見られた。
さらにパラバランディアの頭部は前方に楕円を描いて突き出し、全体の輪郭は滑らかだった。三葉虫の権威であるリチャード・フォーティが模型による流水実験を行ったところ、パラバランディアの体型は水の流れを乱さない、抵抗の少ないものであったという。
パラバランディアはキクロピゲ科のものとともに外洋で堆積した地層から発見されている。
[カロリニテス・ゲナキナカ・ゲナキナカ Carolinites genacinaca genacinaca]
カロリニテスはオルドビス紀(約4億7000万年前)のオーストラリア北部、 北米西部、北極圏、シベリア西部、中国南西部の地層から発見される、テレフィナ科に属する遊泳性三葉虫である。
複眼の構造からキクロピゲ科が深海に生息していたとされる一方、テレフィナ科はより浅く、光が多く届く深さに生息していたと考えられている。
複眼は頬に乗るようにして発達し、上下方向も含めて広い視野を確保していた。複眼の後方から棘が生えていた。
頭鞍は小さかった。尾部は細く、鰭の役目はなかった。
テレフィナ科の化石は複数種が混ざった状態で密集して発見されるが、ほとんどは部分化石で、状態の良いものはまれである。体のつくりが華奢だったためかもしれない。
カロリニテスの化石は世界中に散らばって発掘されているように見えるが、オルドビス紀から現在までの大陸移動をさかのぼって当時の大陸分布に当てはめると、発掘地点は低緯度の熱帯地域に集まる。このことからカロリニテスは温暖な海洋の表層に分布を広げていたとされる。
比較的重い背中を下にして、鰓の付いた肢を波打たせ、現生の小型甲殻類のように泳いだと考えられている。現在のオキアミのように、外洋でプランクトンを食べ、自らはより大型の動物の餌になっていたようだ。
[オピペウテレッラ・インコンニヴス Opipeuterella inconnivus]
オピペウテレッラもテレフィナ科の代表的な三葉虫である。オルドビス紀(約4億7000万年前)のオーストラリア、アイルランド、ノルウェー、ネヴァダの地層から発見されている。
オピペウター
Opipeuterという名でよく知られているが、その属名は現生のトカゲに先に付けられていたことが分かったため変更された。
カロリニテスと比べ少し華奢で、複眼が前後に大きく発達していた。尾部に後ろ向きの棘があった。
[レモプレウリデス・ナヌス Remopleurides nanus]
レモプレウリデスはオルドビス紀(約4億6000万年前)の主にロシアの地層から発見されている、レモプレウリデス科の代表的な三葉虫である。
キクロピゲ科やテレフィナ科はもっぱら水中に浮かび上がっていたと考えられているが、レモプレウリデス科は高く浮かぶことなく海底近くで泳ぐことに適した特徴が見られる。
前述2グループと同様に肋が退化しているが、体全体の幅はやや広く、流線型ではあるがそれほど軽くはなかった。
また複眼は前後に長く、上から見るとCの字型をしている。これは水平方向にのみ大きな視野を確保する形態である。
レモプレウリデスの複眼の構造の検証から、海底の地平線が最も鮮明に見えたことが分かったという。これは地平線の傾きから自らの体の傾きを知り、体の水平を保つためではないかと言われている。また、やや明るく、見通しの利く水質の海に暮らしていたことにもなる。
後述のヒポディクラノトゥスは後方の肋と尾部が広がり、安定のための鰭のような面を形成していたが、レモプレウリデスにはそのような特徴はなく、尾部は小さかった。尾部の前から後上方に向かって棘が生えていて、これにより安定を保っていたと言われる。
[ヒポディクラノトゥス・ストリアトゥルス Hypodicranotus striatulus]
第十六話参照。レモプレウリデスと同じくレモプレウリデス科の遊泳性三葉虫である。
新潟大学の椎野勇太氏の解析により、ヒポディクラノトゥスは海底から浮かび上がる遊泳能力はあったが、海底面から自身の体の厚さの半分の高さだけ浮かんだときが最も安定した揚力を得て遊泳できたことが示されている。
[ダルマニテス・リムルルス Dalmanites limulurus]
オルドビス紀末に大量絶滅が起こり、三葉虫も大幅に数を減らした。シルル紀以降にも三葉虫は繁栄していたがオルドビス紀以前の多様性に匹敵することはなかった。
ダルマニテスはシルル紀(約4億年前)の主に北米(ニューヨーク)に生息していた、全長6cm前後の三葉虫である。平たく装飾のない姿をしていて、頭部と尾部の先端がとがっていた。複眼は小さかったが、やや盛り上がっていた。
[フグミレリア・ランケオラタ Hughmilleria lanceolata]
ウミサソリはオルドビス紀にはすでに現れていたが、シルル紀になると多様化した。
フグミレリアはシルル紀(約4億年前)の北半球(北米、イギリス)に生息していた、全長約15cmの小型のウミサソリである。
プテリゴトゥス(第十四話参照)とやや近縁で、発達した鋏脚や遊泳脚などが共通していたが、鋏脚は頭部の先から覗く程度の小さなものだった。鋏は特殊化しておらず、プテリゴトゥスと比べるとより雑食傾向が強かったとも言われている。また複眼も小さかった。
頭胸部から胴体はなめらかな楕円形をしていた。尾剣は平たく、鰭の役割もあったかもしれない。汽水から淡水に生息していた。
[ハルペス・ペラディアトゥス Harpes perradiatus]
デボン紀になると三葉虫の形態が多様化した。特にモロッコからは非常に様々な形態の三葉虫化石が知られ、ハルペスもそうしたもののひとつで、約3億9000万年前に生息し全長は5cmほどであった。
ハルペスをはじめとするハルペス目の三葉虫は発達した頭部が特徴であった。頭部の本体は高く盛り上がり、頭部の縁が真後ろ以外の体の周囲全体を馬蹄形に取り囲むように広がって、底のないサンダルのような形態になっていた。
この頭部の縁には表裏に無数の小さな孔が開いていた。定説としては、この孔を通して縁の裏から表へ水を濾過することで海底の有機物を食べたとされている。
しかし、特に保存状態が良く精巧にクリーニングされた化石であっても、孔が貫通しているかどうかは確認できないようだ。また、非常に小さな孔が縁の面に間隔を空けて並んでいるので、貫通していたとしても水がスムーズに流れることはないかもしれない。
第四十四話
[プロトモニミア・カサイ-ナカジホンギイ(ハボロハナカセキ) Protomonimia kasai-nakajhongii]
学名の意味:アマチュア化石採集家の葛西氏、中島氏、二本木氏によって発見された祖先のモニミア(モニミアはクスノキ目モニミア科の植物の属名。モニミアの属名はギリシャ・マケドニア地方の、紀元前1世紀にいた人物モニメにちなむ)
時代と地域:白亜紀後期(約8500万年前)の東アジア(北海道)
成体の高さ:不明(花托の直径3cm)
分類:被子植物門 基盤的被子植物 モクレン亜綱 モクレン目(?)
被子植物は従来、基盤的な単子葉植物と派生的な双子葉植物に大別されると考えられてきたが、近年の分子系統解析により、双子葉植物の一部、スイレン目・クスノキ目・モクレン目などは単子葉植物よりさらに基盤的であると判明した(これらを除く双子葉植物を真正双子葉植物という)。
基盤的被子植物は花の構造に原始的な特徴を多く残している。特にモクレン目・モクレン科の花は、身近に栽培されていることや花が大きいことから、原始的な特徴を観察しやすい花として取り上げられることが多い。
基盤的被子植物の化石は白亜紀前期の地層からも知られているが、起源はさらにさかのぼると考えられている。
ハボロハナカセキは、北海道の羽幌町で発掘された、基盤的被子植物の花の化石である。
この化石は花から実に成熟しつつある段階だったと考えられている。3cmほどの花柄の先端に平たくくぼんだ皿状の花托があり、その上に多数の雌しべが密集して生え、ドーム状になった状態で化石化していた。雄しべや花びらは残っていなかった。
原標本は切断され内部の構造が確認されている。
雌しべは袋果と呼ばれる果実になっていて、一本一本が二つ折りになった葉のような単純な構造をしていた。この構造を二つ折れ心皮という。中には15個前後の胚珠(成熟すると種子になる部分)が一列に並んでいた。
このような雌しべが二つ折れ心皮の合わせ目を内側に向け、5列の螺旋をなして花托の上に隙間なく並んでいた。
花を構成する一つひとつの器官は葉から変化してできたものであり、葉は茎から螺旋状に並んで生えることから、花が螺旋構造をしていることは、花としては原始的な特徴であると考えられている。
こうした原始的な螺旋構造を、スイレン目やモクレン目などに属する現生の基盤的被子植物の花も備えている。これらの花は強い芳香を発するものが多い。
ハボロハナカセキは当初クスノキ目モニミア科に近縁と考えられていた。プロトモニミアという属名はこれに由来する。
その後の研究によりむしろモクレン目に近縁とされるようになったが、モクレン目やその中のモクレン科に含まれるのかどうかははっきりしていない。よく似た特徴を持つヒダカハナカセキ(ヒダカントゥス)も同様である。ただしハボロハナカセキよりやや古い時代のアルカエアントゥスはモクレン科に含まれると考えられている。
以前はモクレン科の花が大きいことは原始的な特徴と考えられていたが、モクレン科と思われる直径2mm程度の果実の化石が、バージニア州の約1億年前の地層から発見されている。またモクレン目より基盤的なコショウ目の花は小型である。モクレン科も含め初期の被子植物の花は小さかったようだ。
第四十五話
[アマルガサウルス・カザウイ Amargasaurus cazaui]
学名の意味:ルイス・カザウ氏の案内によりラ・アマルガ累層で発見されたトカゲ
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の南米(アルゼンチン)
成体の全長:約10m
分類:竜盤目 竜脚形類 真竜脚類 新竜脚類 ディプロドクス上科 ディクラエオサウルス科
竜脚類は長い首と尾を持つ四足歩行の植物食恐竜のグループである。全長10mを大幅に超えるものが多く、一部の種が全長30mを超えたことは確実とされる。
しかしアマルガサウルスなどディクラエオサウルス科に属するものは、竜脚類としてはやや小型で首も短かった。また頸椎や胴椎の棘突起が長く発達していた。
アマルガサウルス自身も全長は約10m程度で首は胴体と同じくらいの長さだったが、頸椎の棘突起が二又に分かれ、非常に長く発達していたのが特徴である。
アマルガサウルスの頸椎の棘突起は根元でUの字に分かれ、2本の枝が数cm程度の間隔で平行を保ったまま後ろに傾いて伸びていた。首の中央に当たる第7・第8頸椎のものが最も長く、頸椎の棘突起を除いた部分の2倍以上、65cmに達した。環椎(第1頸椎)には棘突起がなく、首の最初の棘突起である軸椎(第2頸椎)の棘突起だけは分岐していなかった。胴椎の棘突起も長く、頸椎の棘突起が作る輪郭から続いていた。
生きていた時にこの棘突起の周りにどのような組織があったかは意見が分かれている。
左右の棘突起の間に別々に膜が張って2枚の帆になっていたという説、棘突起の断面が丸く先細りになっていたことから棘であったという説、左右の棘突起全体が軟組織に包まれ1つの帆になっていたという説などがある。
2007年、スイスのバーゼル自然史博物館に所属するシュヴァルツ、フレイ、メイヤーが発表した論文によると、ディプロドクス科とディクラエオサウルス科の頸椎をワニや鳥類と比較したところ、頸椎の空洞、分岐した棘突起の間、頸肋骨が作る空間の大部分は気嚢によって占められ、その周囲を筋肉や靭帯が取り巻いていたという。内部が空洞で軽くなった首を靭帯で上面から引っ張り、筋肉で動かしていたようだ。
気嚢は鳥類のものと同じく呼吸を補助するため、長い首により肺や気道の中の換気が悪くなるのを補うことができた。
そしてこの検討の中で、アマルガサウルスの棘突起の下側3分の1は気嚢の支えで、上側3分の2は角質に覆われた棘であったとされている。外観としては1つの低く分厚い帆(または単なる背中側の盛り上がり)から対になった棘が生えていたことになる。
この検討結果も広く支持されているというわけではなく、どのような姿であったかを示す有力な証拠は見つかっていない。
棘突起を帆として考えると体温調節、棘として考えると捕食者やライバルに対する武器、どちらであったとしてもそれらに加えて視覚的ディスプレイとして機能したと考えられる。
頸椎以外には後頭部、胴椎、前肢、仙椎、骨盤と後肢が発見されているが、最初に見付かったこのほぼ全身の化石以外は発見されていない。頭骨等は主にディクラエオサウルスを参考に復元されている。
アマルガサウルスの化石が発見されたのはアルゼンチン・ネウケン州のラ・アマルガ累層である。当時は網状河川や湖のある平原で、その前の時代と比べて乾燥しつつあったが水場はあり、おおむね温暖な気候だったようだ。アマルガサウルスはこのような環境の中であまり高くない植物を食べていたと考えられる。
[ディプロドクス・カルネギイ Diplodocus carnegii]
学名の意味:アンドリュー・カーネギー氏の支援により発掘・復元された2本の梁
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)の北米(ニューメキシコ、ワイオミング)
成体の全長:約26m
分類:竜盤目 竜脚形類 真竜脚類 新竜脚類 ディプロドクス上科 ディプロドクス科
竜脚類の中でもジュラ紀後期の北米に生息していた大型種は、古くから知られていて研究が進んでいる。ディプロドクスを始めとするディプロドクス科の恐竜はその中でも、尾が非常に長く、前半身がやや低かった。
ディプロドクスは全長ではかなり大きくなったが、細長い体形をしていて、体重ではそれほど大きくはなかったようだ。
8m近い首は、棘突起が二股に分岐するなど基本的な構造はアマルガサウルスと共通していたが、棘突起が長く発達するような装飾的な特徴はなかった。ただし背中にほぼ正三角形をした角質の棘があった痕跡が1例のみ知られている。
従来は首を高くもたげて高い木の葉を食べたと考えられていたが、現在では首を上向きに曲げた姿勢はニュートラルなものではないと考えられている。むしろ首を上だけでなく下や左右など広い範囲に動かすことで、巨体を維持するための多くの食料を体をあまり動かすことなく集めていたようだ。
首の柔軟性がどれほどであったかは、頸椎の間の軟骨がどれだけ厚かったか、また頸椎の周りの軟組織がどれだけ関節の動きを妨げたかによる。恐竜の関節は哺乳類と違って軟骨によって形状が左右されていたようなので推定は難しい。
後肢と尾だけで立ち上がって非常に高い木まで口を届かせたという説もあったが、現在はあまり支持されていない。
細長い頭部はやや下に向いていた。口の先は幼体では幅が狭く、成体では幅が広かった。幼体のうちは早く成長するために栄養価の高い植物を選んで食べていたのではないかとも言われる。細長い歯が口先にだけ櫛のように生えていた。植物をよく噛みこなすというより葉を引きむしったり噛み切ったりしていたようだ。
尾は非常に長く、全長の半分かそれ以上を占めた。先端の尾椎は非常に細く単純な形をしていた。尾の振り方によっては先端の速度が音速に達し、とても大きな音を立てたため捕食者に対する威嚇に役立ったという説もある。
ディプロドクスの発見されているモリソン層は基本的には乾燥した氾濫原であったと考えられている。ディプロドクスは群れを成して、背の低い植物を中心に食べて生活していたようだ。セイスモサウルスという属だとされていた全長30m以上に達する恐竜は、属の独自の特徴が否定され、ディプロドクス・ハロルムと分類されている。
第四十六話
[タペヤラ・ウェルンホフェリ Tapejara wellnhoferi]
タペヤラは、ブラジル・サンタナ州のアラリペ盆地にある白亜紀前期(約1億年前)の地層であるサンタナ層群のうち、上部のサンタナ層(ロムアルド部層)から発見された、翼開帳1.6m程の比較的小型の翼竜である。
尾の短い翼竜の仲間であるプテロダクティルス類の中でも、短く背の高い、歯のないクチバシを持つタペヤラ類に属する。このクチバシの形状は大半の翼竜が持つ細長いクチバシとは異なっている。また上クチバシにへこみ、下クチバシに膨らみがあって噛み合うようになっていること、口蓋に突起があることも特徴である。
またクチバシの上下の先端近くには薄い板状のトサカがあり、後頭部には後方に向かう角状の張り出しがあった。シノプテルスのような原始的なタペヤラ類にはトサカはなかった。
タペヤラとごく近縁でサンタナ層群下部のクラト層から発見されているトゥパンダクティルス(タペヤラ・インペラトルとしても知られる)やイングリディアでは、上のトサカの前縁から後上方に向かって柱状の突起が伸び、この柱と後頭部の張り出しの間に、角質でできた大きな三角形の板ができていた。タペヤラにもこうした板があった可能性も指摘されている。
またカイウアヤラというタペヤラ類の翼竜では様々な成長段階にあった化石がまとめて発見されていて、それによると幼体ではトサカがなかったのが、成長に伴ってトサカが発達したということが分かった。またクチバシの曲がり方も成長に伴って強まった。
クチバシの側面には大きな楕円形の鼻孔があった。眼窩はその後ろに小さく開いていたが、強膜輪(眼球を補強する穴あき円盤状の骨)の検証によると明るいときでも暗いときでもよくものを見ることができたとされる。
上腕骨以外長く発達した前肢および第4指、コンパクトな胴体、発達した胸骨など、羽ばたいて飛行することに適した特徴は他の翼竜と同じであった。
しかしオルニトケイルス類やプテラノドン類のような極端に長時間飛行に適応したものと違って、胴椎は完全に癒合したノタリウムを形成せず、後肢は前肢の肩関節から第1〜3指末節骨(爪)までと同等の長さがあった。また骨盤や後足も体の割に大きかった。爪は全て全体が弧を描くフック状の形をしていた。
翼竜の多くは魚食性・昆虫食性・腐肉食性というように動物性タンパク質を主食としていたと考えられているが、タペヤラの場合は果実や種子をつまんで噛み割るのに適したクチバシの形状や、木の枝を掴んで渡るのに適した四肢の形態から、樹上で果実や種子を食べていたという説も有力視されている。直接的な証拠はないものの、タペヤラ類の多様化と被子植物の多様化の時期が符合するなど、これを支持する間接的な証拠は多い。
[カラモプレウルス・キリンドリクス Calamopleurus cylindricus]
ロムアルド部層からは体の立体的な形状や軟組織の構造までもが保存された、非常に保存状態の良い魚類の化石が多数発掘されている。魚の死体が外洋との連絡に乏しい入り江に沈殿した後、数時間程度にして素早くリン酸塩化したと考えられている。化石の中にはこのようにして短期間のうちに化石化したものもあるようだ。
カラモプレウルスは中生代に繁栄したアミア目の一種である。現在アミア目は北米にアミア・カルヴァ1種が残るのみである。
全長は最大で1.2mに達し、背の低い背鰭と、扇形の幅広い尾鰭を持っていた。流線型の頭部には丈夫な顎と太く尖った歯を持っていた。生きたまま丸呑みしようとした獲物に腹部を食い破られた化石が見付かっていることから、活発な捕食者であったと思われる。
[イエマンジャ・パルマ Iemanja palma]
イエマンジャはピクノドン目に属する、全長30cm程の縦に平たい円盤型の体形をした魚である。大きな鱗と扇形の尾鰭を持っていた。
ピクノドン目の魚は丸い歯と丈夫な顎を持っていて、固い食べ物を噛み割ることができた。イエマンジャはその中でも口がラジオペンチのように細く突き出ていた。
[イアンサン・ベウルレニ Iansan beurleni]
エイ類はサメ類の中からジュラ紀には派生していた。イアンサンはより基盤的なガンギエイ目のサカタザメ科に属する、50cm程のエイである。前後に長い菱形の前半身と、長い尾を持っていた。現生のサカタザメ類のようにサメに似た尾鰭を持っていたようだ。
[アラリペミス・バレトイ Araripemys barretoi]
第三十六話参照。
[セアラケリス・プラキドイ Cearachelys placidoi]
アラリペミスと同じ曲頸類という、首を前後ではなく横に曲げることで甲羅の縁に収めるカメの中でも、ボトレミス科というグループに属する、甲羅の長さが30cm程度のカメである。
現生の曲頸類が淡水に生息しているのに対して、ボトレミス科は主に海で堆積した地層から発見されている。このことに加えて、ボトレミス科の中には前肢の骨がウミガメに近い構造になっていて羽ばたいて泳ぐのに適応していたものが見られる。これにより、ボトレミス科は海での遊泳に適応した曲頸類であると考えられる。
[サンタナケリス・ガフネイイ Santanachelys gaffneyi]
第三十六話参照。
[ダスティルベ・エロンガトゥス Dastilbe elongatus]
サンタナ層から、化石が一般にも安価で販売されるほど多数発掘されている、ネズミギス目サバヒー科に属する魚類である。全長は10cm前後とごく小型だったが、体形は現生のサバヒーという魚によく似ていて、長いV字型の尾鰭など遊泳に適していた。
[ラコレピス・ブッカリス Rhacolepis buccalis]
クロッソグナトゥス目に属する数十cmほどの魚類である。紡錘形の体と大きな口を持ち、現生のカライワシのように胸鰭が下寄りに付いていた。体形が立体的に保存された化石が多数知られる。
[クラドキクルス・ガルドネリ Cladocyclus gardneri]
イクチオデクテス目という、アロワナにやや近縁な大型の肉食魚類のグループに属している。全長は1.2mにもなるが、イクチオデクテス目の中では小型であった。高さがほとんど一定の長い胴体と、後ろに寄った背鰭や尻鰭、V字型の長く発達した尾鰭を持っていた。ピラニアのように上向きになった口には鋭い円錐形の歯が並び、目は上寄りに付いていた。
[ヴィンクティフェル・コンプトニ Vinctifer comptoni]
アスピドリンクス目という魚類の典型的な体型を持つ、全長70cmになる魚類である。胴体は長く、吻部の先端が尖って突き出ていた。尾鰭は浅いV字型だった。縦長の厚く大きな鱗が胴体に並んでいた。
[アクセルロディクティス・アラリペンシス Axelrodicthys araripensis]
第二十二話参照。
淡水湖で堆積したクラト層からも、汽水の入り江で堆積したサンタナ層からも発掘されている。
[イリタトル・カレンゲリ Irritator challengeri]
バリオニクス(
第七話参照)と同様スピノサウルス科に属する推定全長8m前後の魚食性の恐竜である。体形もバリオニクスとよく似ていたと考えられる。アンガトゥラマと名付けられた同じロムアルド部層から発掘されているスピノサウルス類もイリタトル属にふくまれると考えられている。バリオニクスやスピノサウルスと比べて吻部の幅が狭かったようだ。
[プルリカルペラティア・ペルタタ Pluricarpellatia peltata]
第三十二話参照。
サンタナ層群のなかでも下部のクラト層からは特に保存状態の良い植物化石が多数発掘されているが、そのうち6割はグネツム類(グネツム科、マオウ科など)やナンヨウスギを始めとする裸子植物が占めるものの、3割はジュンサイに近縁なプルリカルペラティアを含む多様な被子植物である。
[アンハングエラ・サンタナエ Anhanguera santanae]
オルニトケイルス類の中でも典型的な姿をした、翼開帳5m程の翼竜である。タペヤラと同じくロムアルド部層から発見されている。
クチバシは細長く発達し、円錐形の歯が規則正しく並んでいた。上下の先端には正中線に沿って低いトサカがあった。後頭部の三半規管の向きから、クチバシはやや下向きに保たれていたようだ。
前肢の翼は上腕骨以外、特に第4指が非常に長かった。上腕骨は太く、筋肉の付着する突起が大きく発達していた。第1〜3指の爪はネコ科のもののように太くスパイク状だった。
やや近縁なプテラノドンでは指骨に外向きの孔が開いているのが見付かっている。翼竜も鳥類に見られる気嚢と気管を持っていたと考えられるが、この外向きの孔は翼の骨の外にも気嚢があった可能性を示すことから、腕と皮膜の間にできる段差を気嚢により埋めていたという復元の例もある。
胴体はコンパクトで、胴椎が癒合してノタリウムという一体の骨を形成していた。肩甲骨と鎖骨がノタリウムと胸骨をつなぎ、翼にかかる力を受け止める丈夫なリングとなっていた。羽ばたくための筋肉の基部となる胸骨も発達していた。
骨盤は小さく、後肢は弱々しかった。後肢の爪はほとんど曲がっていない小さなものだった。
洋上を長時間飛び続け、水面近くの魚をクチバシと歯ですくい取って食べたと考えられる。魚をすくうとき、トサカによって水を切ることで抵抗を少なくしていたようだ。
地上では前肢の第1〜3指と後肢で4足歩行をしていたようだ。飛び立つときも前肢の力を主に利用していたとも言われている。
サンタナ層群からはこの他にもより大型のオルニトケイルス類であるトロペオグナトゥスや、タペヤラ類に近縁だが魚食性と考えられているタラッソドロメウスやトゥプクスアラ、タペヤラにごく近縁だがより大型のトゥパンダクティルスやイングリディアなど、多様な翼竜が発掘されている。
第四十七話
[エウパルケリア・カペンシス Euparkeria capensis]
学名の意味:東ケープ州で発見されたウィリアム・キッチン・パーカー氏の良い動物
時代と地域:三畳紀中期(約2億4500万年前)の南アフリカ
成体の全長:60cm〜1m
分類:双弓類 主竜形類 エウパルケリア科
エウパルケリアは、現在最古の恐竜が確認されている時代より少し前の時代に生息した肉食の爬虫類である。
細長い体と全長の半分近い尾を持つなど、全体の体型はオオトカゲにやや似ていたが、ワニや恐竜、翼竜などを含む主竜類に近縁であった。
かつては恐竜や翼竜といった後のほうに現れた主竜類の祖先に当たるものと考えられていたが、現在では主竜類全体に対して基盤的な位置にあるものとされている。
頭部は大きく、胴体と同じ高さがあった。顎にはナイフ状の歯が生え揃っていた。
眼窩は丸く大きなもので、さらに強膜輪(眼球を補強する穴あき円盤状の骨)の形態から、暗いときでもものが見えたと考えられる。これはエウパルケリアの発掘された地点が当時南緯65度のところにあり、冬季には長い夜が続いたことと関連しているとされる。
背筋に沿って皮骨板という鎧のような骨が並んでいた。
四肢はやや細長く、また後肢のほうが長かった。恐竜の祖先とされていた頃は恐竜と同じく、後肢を真っ直ぐ下におろして二足歩行をしていたと考えられていた。
実際には恐竜やその近縁種と比べると後肢を真下に伸ばす仕組みはそれほど発達しておらず、二足歩行をするのは走るときだけだったようだ。
エウパルケリアが発見された南アフリカのカルー盆地は、三畳紀には時折干魃が起こるような氾濫源であった。同じ地層から哺乳類につながる系統のキノグナトゥスなど様々な陸上動物の化石が発掘されている。
第四十八話
[スミロドン・ファタリス Smilodon fatalis]
学名の意味:致命的な短剣の歯
時代と地域:後期更新世〜前期完新世(約160万〜1万年前)の北米
成体の全長:約170cm
分類:食肉目 猫型亜目 ネコ科 マカイロドゥス亜科 スミロドン族
剣歯猫(セイバートゥースドキャット)または剣歯虎(サーベルタイガー)とは、上顎の犬歯がとても長いネコ類のことである。狭義にはネコ科マカイロドゥス亜科を指すが、ニムラヴス科のものや、ネコ類と近縁でない有袋類のティラコスミルスを含むこともある。
スミロドン・ファタリスは代表的な剣歯猫のひとつである。単に剣歯猫と言った場合スミロドン属のみを指すことも多い。
ファタリス種は北米に約1万年前まで生息し、渡来してきたヒトと生息期間が重なっていた。より小型のグラキリス種から北米のファタリス種に進化し、またグラキリス種は南米ではさらに大型のポプラトル種に進化したと考えられている。
全体的には現生の大型ネコ類とよく似ていたが、全長や肩高では同等のライオンと比べ頑丈な体型をしていて、体重では倍になったとも言われる。
上顎の犬歯は特に長く、20cmほどに達した。全体が円弧を描き、前後に幅広くて左右には薄く、後方の縁が鋭い、刃物のような形状をしていた。さらに刃にはごく細かい鋸歯があった。
幼体では犬歯は短く、成長にともなって一ヶ月で6mmの早さで伸びた。
犬歯の歯根部も外に出ている歯冠部と同等の長さがあり、目と鼻の間に歯根が収まる隆起を作っていた。これにより吻部が高く、現生のネコ類と違って眉間に段差のない横顔になっていた。また下顎を120度開くことができたため、長い犬歯があってもものを噛むことができた。
上顎の犬歯以外の、前歯や下顎の犬歯、臼歯は小さかった。また噛む力は現生の大型ネコ類と比べれば弱かった。
神経孔という顔面に通じる神経の通る穴が発達していた。また嗅覚や聴覚、運動時の感覚は現生ネコ類と同等だったが、視覚や立体視能力では劣った。
首はやや長くしなやかだったが、胴体は逆に短く幅広かった。
前肢や肩甲骨が非常に力強く発達していた。走るより叩いたり押さえつけたりするのに適していた。
後肢は中足骨(足の甲)が短く、また踵骨が発達していて、前肢同様走るより跳び出すことに適していた。
尾は短く細かった。
非常に長い犬歯をどのように用いたかについてはあまり解明されていないが、狩りに使われないディスプレイであったという説や、マンモスのようなとても大きな獲物の分厚い皮を縦に長く切り裂いたという説は、こんにちでは省みられていない。
バッファローほど、またはより小さい獲物を倒して押さえつけ、頸椎を避けて腹側から喉の気管や血管を切り裂いたという説が現在有力である。このとき下顎や首の力も利用したとも言われ、これを「犬歯剪断咬合(canine shear-bite)」という。
この方法で狙う位置は、現生ネコ類が背中側から頸椎を噛み砕く場合の反対であり、実現するには前肢の力で獲物を倒して押さえつけることが欠かせない。
速力に優れないことと合わせて考えると、獲物を追いかけ、追いつき次第噛みつくのではなく、藪などに隠れて獲物に近付き、飛びかかって倒したのではないかとされている。
このような狩りの方法と合わせて、草原より森林や密林に生息したと考えられている。ただ木に登ることはできなかったようだ。
現生ネコ類で群れをなすのはライオンのみだが、スミロドンの場合は群れをなしたかどうか意見が分かれている。
カリフォルニアのランチョ・ラ・ブレア・タールピットというタール(天然アスファルト)の沼から非常に多くのスミロドン・ファタリスとカニス・ディルス(ダイアウルフ)の化石が発見されている。これはスミロドンがタールにはまった獲物の在処を遠吠えで仲間に伝えたところ集まったスミロドンまでタールにはまってしまったという群れの行動の痕跡だとする説と、獲物に誘われてタールに次々とはまるほど知能が低く、よって複雑な群れをなすことはなかったとする説がある。
犬歯が折れたまま暮らしていたと考えられる個体の化石も発見されていて、これは犬歯を狩りに使わなくても群れの仲間の協力によって餌が得られた個体ではないかと言われている。
姿の復元について、長い犬歯が口を閉じてもはみ出すように描かれるのが一般的だが、近年ではこれに対して、たとえ長くても現生ネコ類の犬歯と同様口の中に隠れたはずだという異論が出されている。
この根拠は例えば以下のようなものである。
現生の哺乳類でむき出しになっている牙は全て、異性や闘争の相手にアピールしたり、土を掘ったり、木の皮をはいだり、敵を撃退したりするのに使う、植物食または雑食の動物、あるいはセイウチの「tusk」である。
これに対して、肉食動物が獲物にとどめを刺すのに使う「canine」は全て口の中に隠され、表面のエナメル質が保護されている。
現生のウンピョウも一部の剣歯猫に劣らないほど長い犬歯を持つが、それを口の中に全て隠している。
スミロドンの頭骨に見られる大きな神経孔は感覚毛(ひげ)だけでなく牙を隠す唇やウィスカーパッドに通じる神経のためでもあったと考えられる。
フランスのイステュリ洞窟の遺跡から、当時の住民がスミロドンと同じマカイロドゥス亜科に含まれるホモテリウムを見て作成したと思われる彫像が見付かっているが、顎の先端が高くなっているだけで犬歯ははみ出ていない。
以上のような根拠に基づいて牙を隠したスミロドンのイラストもいくつか発表されているが、正確な復元のためには、唇やウィスカーパッドをどのように動かして牙を隠したりむき出しにしたりするか、筋肉の動きを検討する必要があるだろう。
また他の剣歯猫では犬歯の先端に沿うように下顎の先端が高くなっているのに対してスミロドンではそうなっていないので、スミロドンの場合だけは剣歯の先端を収める部分が軟組織だけで出来ていたと考えることになる。
第四十九話
[ホモ・ネアンデルターレンシスまたはホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人) Homo neanderthalensis or Homo sapiens neanderthalensis]
学名の意味:ネアンデルタール谷で生まれた人間、またはネアンデルタール谷で生まれた賢い人間
時代と地域:後期更新世(約30万年前〜2万年前)のヨーロッパ〜中央アジア
成人の身長:約1.6m
分類:霊長目 直鼻猿亜目 真猿下目 ヒト上科 ヒト科 ヒト亜科 ヒト族
ネアンデルタール人は、ヒト(ホモ・サピエンスまたはホモ・サピエンス・サピエンス)に最も近縁な種のひとつである。
ヒト科は主にアフリカで多様化した。ヒト族(ホモ属に加えアウストラロピテクスやサヘラントロプスなどを含む)は東アフリカまたは中央アフリカで最初に現れたという説が主流だが、ヨーロッパが起源だという説も浮上している。
ネアンデルタール人はヒトより先にアフリカから中東を経てヨーロッパや中央アジアに進出した。ヒトの直接かつ主要な祖先ではないとされる。
主な特徴はヒトと非常に近いが、顔付きや体型、文化に独自の点が見られる。
脳容量はヒトを一割近く上回っていた。頭蓋骨は後ろにやや長い形をしていた。
眉間の隆起が高く、顔面中央部がやや前に出ていた。鼻孔は大きく、鼻が大きかったようだ。また眼窩が大きかった。顎にはおとがい(先端部)の突出がなかった。
胴体が大きく丸みを帯び、四肢は少し短く丈夫だった。
遺伝子解析から肌、毛髪ともに色が薄かったことが分かっている。胴体と四肢のバランスとも考え合わせて、アフリカからヨーロッパに北上したことで熱を逃がしにくく日光を透過しやすくなるという、寒さへの適応が進んだとされている。
数々の遺跡から生活の様子について推定が進められている。
最も多く見られる遺留品は打製石器である。
単に石の端を打ち砕くという初歩的なものではなく、まず大きな石の形を整え、その石から割り取った剥片をさらに加工するという方法で様々な形の石器を量産していた。これをルヴァロワ技法という。
手に持って尖った刃を叩きつけるのに使う大型のハンドアックス、哺乳類の毛皮をなめすのに使うスクレーパー、木の軸と組み合わせて槍にする尖頭器、ナイフ等、用途に合わせた様々な石器が発見されている。
これらは打製石器としては洗練されていたが、30万年近く続くネアンデルタール人の歴史を通じて、石器の形状や製法が改良されることはなかった。この点からネアンデルタール人は保守的な性質だったと言われている。
石器と比べて残りづらいためもあり数は少ないが、骨や木で出来た道具も発見されている。元々先端を鋭く削った木製の槍を用いていたのが、後に石器の穂先と組み合わせたようだ。
明確に飛び道具と分かる猟具や武器は見付かっていない。怪我が非常に多かったことも分かっていて、大型の獲物に対しても接近して捕らえようとしたと考えられている。
縫い針が見付かっていないことから、衣服は非常に簡素だったと考えられている。
穴を掘って死体を埋葬した痕跡が発見されている。骨には獲物と同じく肉を削ぎ落とした痕跡があるが、食人習慣の有無や、葬儀をする上での意味付けについては分かっていない。
レッドオーカー(酸化鉄を含む赤土の顔料)を収めた二枚貝の殻や、鳥の羽で作った装飾品、ワシの爪を集めていた痕跡等も発見された。以前は化粧や装飾に関するものはあまり見付かっていなかったが、これらにより祭事や美術などの抽象的な思考に基づく文化を持っていた可能性が出た。
大型の獲物の肉を食べた証拠が多く見付かっているが、ウサギのような小型の獲物、魚介類、植物も食べていた。ネアンデルタール人より前の段階ですでに加熱調理を行っていたようだ。
植物やカビに含まれる痛み止めや抗生物質を利用した痕跡も発見されている。
後からアフリカを出たヒトに対して、狩猟をはじめとした生活の技術を向上させる能力に劣っていたために絶滅したと考えるのが一般的である。
ただしヒトが進出してすぐにその地域から姿を消したのではなく、共存していた時期があったようだ。
さらに慎重な遺伝子解析の積み重ねにより、アフリカ以外のヒトにはネアンデルタール人由来の遺伝子が1〜2%含まれていることが明らかになった。これは中東地域で出会ったヒトとネアンデルタール人が性的に接触したことを表している。
第五十話
[放散虫 Radiolaria]
放散虫は、珪酸質または硫酸ストロンチウムの殻を持った単細胞生物である。カンブリア紀から現世に渡って海洋性のプランクトンとして生活している。
外洋性のものが多く、また繁殖や成長を飼育下で行わせることが難しいため、生態について明らかでないことが多い。スパスマリア亜門タクソポディア目のもの(ウネリサボテンムシ)を除くとあまり体を動かさない。
ポリキスティナ亜門の放散虫が持つ珪酸質の殻は化石として残りやすい。放散虫のようなごく微小な化石を微化石という。
珪酸質の殻は同じく珪酸質である珪藻などの殻とともに密集して深海に堆積し、チャートと呼ばれる非常に硬い岩石となる(ある程度以上深い海であれば他の生物由来の石灰質は溶解し珪酸質のみとなる)。このような岩石を酸で処理すると立体的な構造が保存された放散虫化石が得られる。
放散虫は年代ごとに大きなグループと個々の種のどちらも移り変わることが知られていて、示準化石(地層の年代を推定する根拠となる化石)として重要視されている。
殻は基本的には無数の孔が並んだ網目状の構造をしていて、球状、円錐状、円盤状などの形態をして、さらに突起を発達させているものも多い。
また「殻」と呼ばれているが実際には体の一番外側を覆っているのではなく、殻のさらに外側まで軟体部が包み込んでいる。
大型の捕食者には丸飲みされ、小型の捕食者には殻の中に侵入されてしまうという観察記録もあり、殻は防御には役立っていないようだ。殻の形態がどのような適応によるものかだけでなく、殻の役目そのものもはっきりとは分かっていない。浮力と重力を釣り合わせるおもりの役目があるとも言われている。
殻の孔から軟体部の外に向かって、仮足という棒状の器官を伸ばす。仮足は伸び縮みさせることができ、小さな餌を取り込むことなどに用いる。また伸ばして浮力を増し、縮めて浮力を減らすこともできる。
この仮足を周囲に向かって多数、放射状に伸ばしている様子から「放散虫」と名付けられた。
現生のポリキスティナ亜門にはスプメラリア目、ナセラリア目、コロダリア目(今回は登場しない)が含まれる。
スプメラリア目は仮足を周囲に放射状に伸ばす。殻は同心円状の構造を基本とし、球状や板状などの外形をしている。細胞核は最も内側の小さな球に収まっている。他のグループには内部に骨針と呼ばれる細い骨組み状の構造があるものもいるが、スプメラリア目はこれを持たない。
テトラピレ・オクタカンタ
Tetrapyle octacanthaは中新世〜現世の、バルプス・ヤポニクス
Vallupus japonicusは白亜紀初頭の、パンタネリウム
Pantanelliumは三畳紀に現れ白亜紀前期まで生息していたスプメラリア目である。テトラピレについて詳しくは後述する。スプメラリア目の起源自体は少なくとも石炭紀初頭までさかのぼる。
ナセラリア目は束状に仮足を出し、1つ以上の節(殻節)からなる筋状の骨格が一列に並ぶ殻を持つ。
多節ナセラリアと呼ばれるものは殻節の多い円錐形をしている。頂点にある頭部殻節とその下の胸部殻節は骨針構造で仕切られている。白亜紀のディクティオミトラ・ムルティコスタータ
Dictyomitra multicostataもこのような特徴を持つが、詳しくは後述する。
また多節ナセラリアの大きな特徴として、円錐の底面にある開口部からアキシャルプロジェクションという1本の長い仮足を出す。餌が触れるとアキシャルプロジェクションは素早く縮み、その動きによって餌が引き寄せられ、取り込まれる。このときアキシャルプロジェクションが螺旋状に畳まれるものや、束状の短い仮足も開口部から出して、餌を取り入れる補助の動きをするようになっているものもいる。
ナセラリア目には多節ナセラリアの他にも、中新世のランプロキクラス・マルガーテンシス
Lamprocyclas margatensisのように節が少ない円錐形のものや、同じく中新世のエンネアフォルミス・エンネアストルム
Enneaphormis enneastrumのように骨針構造が主な部分を占める殻を持つものなどもいる。
リクノカノマ・マグナコルヌタ
Lychnocanoma magnacornuta、クラトロリクヌス
Clathrolychnusは中新世の、ポドキルティス
Podocyrtis(ゲーテアナ
P. goetheana、チャララ
P. chalara、ミトラ
P. mitra)は始新世のナセラリア目である。ウヌマ・エキナートゥス
Unuma echinatusはジュラ紀、トリアッソカンペ・デヴェヴェリ
Triassocampe deweveriは三畳紀のナセラリア目である。ナセラリア目の起源は三畳紀初頭までさかのぼる。
ペルム紀のネオアルバイレッラ・シュードグリファ
Neoalbaillella pseudogrypaが属するアルバイレラリア目のように、三畳紀初期やそれ以前に絶えた系統もある。
[テトラピレ・オクタカンタ Tetrapyle octacantha]
学名の意味:4つの柱と8つの棘
時代と地域:中新世(約800万年前)〜現世の太平洋、大西洋、カリブ海沿岸
成体の全長:0.2mm前後
分類:リザリア レタリア門 ポリキスティナ亜門 スプメラリア目 ピロニウム科
テトラピレは、外洋ではなく内湾の、特に温暖な海域に生息する放散虫である。
約800万年前の地層からも記録があるが、今でもカリフォルニア沖、カリブ海、東シナ海などに数多く生息している。
日本の近海では対馬暖流と関係が深く、テトラピレが地層から発見されるとその地層は対馬暖流の影響下で堆積したということになる。
全体の外形は低い楕円柱の形をしている。ただし上下の面にあたる部分には大きな開口部が8の字状に開いている。中央に球状の部分があり、側面から短径に沿って折り返した部分で支えられている。さらに中央の球の中に内殻がある。殻に空いた孔はやや大きく、粗い金網状である。外側に向かって短い棘がいくつか生えている。
楕円柱状の殻に囲まれた部分に多数の藻類を共生させている。このように共生藻を持つ放散虫も多く知られている。
[ディクティオミトラ・ムルティコスタータ Dictyomitra multicostata]
学名の意味:多くの縦筋を持つ形をした網状の頭飾り
時代と地域:白亜紀後期(約8000万年前)の世界各地
成体の全長:0.2mm前後
分類:リザリア レタリア門 ポリキスティナ亜門 ナセラリア目 アルカエオディクティオミトラ科
ディクティオミトラ・ムルティコスタータは、ウミガメ類のアルケロンやモササウルス類のティロサウルスといった海生の爬虫類と同様、ピエール頁岩という白亜紀後期(カンパニアン期)の地層から発見されるなど、主に白亜紀後期サントニアン期〜カンパニアン期の地層から知られるナセラリア目の放散虫である。
殻はわずかに膨らんだ円錐形で突起などはなく、10前後の浅いくびれと多数の縦の筋がある。筋の谷間に並んだ孔は小さく、細かい網状である。
殻形態による分類ではジュラ紀に分岐したとされるナセラリア目の中の2つのグループがともにアキシャルプロジェクションを持っているものの、同じような殻形態のディクティオミトラがアキシャルプロジェクションを持っていたかは明らかでない。
第五十一話
[三畳紀の海生爬虫類]
中生代を通じて多様な爬虫類が海での生活に適応した。そのなかでも大きなグループである、魚竜を含む系統(魚竜形類)と首長竜を含む系統(鰭竜類)は、三畳紀の時点で海生となっていた。
特に早く海に適応したのは、鰭になった尾で推進していた魚竜形類である。
魚竜形類がどのような爬虫類から進化したかは不明であったが、全長60cmほどで陸に揚がる能力が残っていたかもしれないといわれるカルトリンクス
Cartorhynchusの発見により明らかになりつつある。
特殊化したフーペイスクス(詳しくは後述)の仲間も魚竜形類に含まれる。
そして、魚竜類も三畳紀の早いうちに現れていた。
ペルム紀末に起こった史上最大の大量絶滅から500万年後の時点で高次捕食者が海に生息していたことが、宮城県の稲井層群・大沢層で発見された糞の化石により示されている。糞の成分によると、当時すでに小さな魚が無脊椎動物を食べ、大きな魚や四肢動物に捕食されるという複雑な生態系が回復していたと考えられる。
そして、この大沢層から、世界で最も古い魚竜類であるウタツサウルスが発見されている。ウタツサウルスについて詳しくは後述する。
ウタツサウルスやチャオフサウルス
Chaohusaurus、タイサウルス
haisaurus、グリッピア
Grippiaなど、特に古い魚竜は、細長い胴体と、それに対して小さな頭、浅く下に曲がった尾椎を持っていた。
魚竜類は尾椎が下向きに曲がることにより尾鰭の下側を支えるようになっていた。ジュラ紀の魚竜では尾椎の曲がり方が大きく、マグロのような三日月形の尾鰭を持っていたことが分かっているが、初期の魚竜では尾椎の曲がり方は小さく、尾鰭の上側はごく小さかったようだ。
胎児を出産しかけているチャオフサウルスの化石の発見により、この頃魚竜はすでに胎生となっていて陸上に揚がる必要がなくなっていたことが分かっている。
しかしこの胎児は頭から先に産まれていたことから、頭から先に産まれても窒息するおそれのない陸上で生活していた祖先の段階で胎生を獲得していたと考えられる。
なお、ウタツサウルスの少し後にはタラットアルコン
Thalattoarchonという、他の海生爬虫類を捕食していたと考えられる大型の魚竜も現れていた。これも当時の生態系の複雑さを示している。
タラットアルコンは全長8m以上とされ、魚竜としては特に頭骨が頑丈で歯が太くとがっていた。
ウタツサウルスなどの特に古い魚竜の後に現れたミクソサウルス
Mixosaurusやクダノハマギョリュウ(ファラロドン属
Phalarodonに含まれるとされる)のグループは、胴体が短く、より長い距離を泳ぐことに適応していた。
また三畳紀にはシャスタサウルス
Shastasaurusやホソウラギョリュウなど、大型化したシャスタサウルス類も現れた。
シャスタサウルス(またはショニサウルス
Shonisaurus)は全長20m近くあったと推定され、成体には歯がなく、現生のヒゲクジラのようにプランクトンを濾し取って食べたとされる。四肢の鰭が細長いのが特徴である。
ジュラ紀のステノプテリギウス
Stenopterygius(
第三十話参照)のように、コンパクトな胴体と三日月形の尾鰭を持ち高速巡航に適応したパルヴィペルヴィア類
Parvipelviaも、三畳紀の時点で現れていた。
三畳紀後期は魚竜の多様性が最大となったが、三畳紀末にはパルヴィペルヴィア類以外の魚竜類の大半が絶滅した。
一方、鰭竜類は魚竜形類に少し遅れて現れたようだ。こちらは四肢の水かきまたは鰭で推進力を得ていた。
鰭竜類には板歯類と原鰭竜類という大きなグループが含まれる。
板歯類は三畳紀に特有のグループである。初期のものを除くとプラコドゥス(詳しくは後述)にみられるように、口蓋と下顎の奥に平たく頑丈な歯を発達させた。
またプセフォデルマ(後述)やヘノドゥス
Henodusなど一見カメに似た甲羅を持つものも現れた。
原鰭竜類は首長竜類を含むグループだが、首長竜類に含まれないものも首長竜のイメージに近い長い首や紡錘形の胴体を持っていた。
ノトサウルスのように四肢が水かきはあるものの陸上爬虫類のものに近いものから、ケイチョウサウルス(後述)やユングイサウルス(後述)と次第に四肢が遊泳に特化したものが現れ、真の首長竜類が登場した。
首長竜類は後のジュラ紀に多様性を増すことになる。
なお、鰭竜類はカメに近縁であるとする説があり、この説を取る場合は鰭竜類とカメを合わせて汎亀類という。ただし甲羅のある板歯類とカメの間に直接の類縁関係はない。
パッポケリス
Pappochelysやオドントケリス
Odontochelysなどごく初期のカメが三畳紀後期に現れ、プロガノケリス
Proganochelys(
第三十六話参照)など陸生のカメが登場した。オドントケリスは海生か陸生か意見が分かれている。
[ウタツサウルス・ハタイイ(ウタツギョリュウ、オガツギョリュウ) Utatsusaurus hataii]
学名の意味:畑井小虎教授が歌津で発見した爬虫類
時代と地域:三畳紀前期(約2億5千万年前)の東アジア沿岸
成体の全長:約3m
分類:爬虫綱 魚竜目 ウタツサウルス科
ウタツサウルスは宮城県南三陸町の稲井層群大沢層の泥岩から発見された、これまで発見されたなかでも特に古い魚竜である。
1978年に歌津で発見された複数の標本はウタツギョリュウ、その後に雄勝で発見された標本はオガツギョリュウと呼ばれている。ウタツギョリュウとオガツギョリュウは大きさに差があるため別種と考えられていたが、どちらもウタツサウルスであることが判明している。
陸上爬虫類に近い特徴を多数持っていて、チャオフサウルスなどとともに基盤的な魚竜類について多くの情報をもたらしている。
頭部は胴体に対して小さく、全体がほぼ円錐形に近い単純な形状だった。
吻部は細長いもののジュラ紀の魚竜ほど細くはなかった。顎には細く鋭い歯が多数並んでいた。
眼窩は大きく、ジュラ紀の魚竜同様視覚を主な感覚としていたようだ。
胴椎は40個ほどあり、椎体の長さと直径が同程度だった。これはジュラ紀の魚竜の胴椎が減少し椎体の長さが直径の数分の一程度まで縮まったことと対照的で、むしろトラザメのような底生のサメに似ている。
また肋骨の長さがほぼ一様で、胴体は両端がすぼまった紡錘形ではなく太さが一定な円筒形に近かった。
これらの胴体の特徴から、尾鰭を左右に振るとき胴体も波打つように曲げていたと考えられている。この泳ぎ方は加速や方向転換に向き、高速巡航には向かない。
首もあまり縮まっておらず、曲げることができた可能性がある。
四肢が変化してできた鰭は小さかった。手足に当たる部分はすでに板状になりつつあったが、ジュラ紀の魚竜と異なり指が少なく、肘はそれほどしっかりと固定されていなかった。また前肢と後肢の鰭がほぼ同じ大きさであった。ジュラ紀の魚竜では後肢の鰭のほうが小さかった。
尾は長く、胴椎と同様に椎体が長かった。また下方への屈曲が浅かったため、尾鰭は前後に長かった。尾椎の棘突起が長い点もジュラ紀の魚竜と異なる。
胸鰭が広く丈夫な面を持たないことや、尾鰭が上下ではなく前後に長いことも、加速に向き巡航に向かない、体をくねらせる泳ぎ方と合致している。
骨の微細構造の分析によると、多孔質の組織で、これは骨の体重を支える役目が減ったため、遊泳に適応するにあたって骨が軽量化されたことを示す。また成長が早かったことも分かっている。
ウタツサウルスのような体全体をくねらせて泳いだ初期の魚竜類は、餌となる動物の生息密度が高い大陸棚上の海域で、餌を長い距離追いかけることなく暮らしていたと考えられる。
[バイエラ・ディジタータ Baiera digitata]
学名の意味:指のようなもの(属名の由来不明)
時代と地域:ペルム紀後期(約2億8千万年前)から三畳紀前期(約2億5千万年前)のヨーロッパ
成木の全高:不明
分類:裸子植物門 イチョウ綱 イチョウ目 イチョウ科
現生のイチョウと同じギンゴ属はジュラ紀に多く生息していたが、他の属のイチョウ類はペルム紀にすでに現れていた。バイエラ属は三畳紀から白亜紀にわたって生息していたとされるが、ギンゴイデス属との区別は明確でない。
葉に放射状の平行脈が走る点は現生のイチョウと共通しているが、バイエラ属の葉は裂け目が1つではなく多数あり、細長い葉を扇状に束ねたように見える。
[コルンビテス・パリシアヌス Columbites parisianus]
学名の意味:ブリティッシュコロンビアとパリの石
時代と地域:三畳紀前期(約2億5千万年前)の北半球各地
成体の直径:約15cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 セラタイト目
広義のアンモナイト類はデボン紀には現れていたが、デボン紀からペルム紀に繁栄していたゴニアタイト類はペルム紀末に絶滅し、三畳紀にはセラタイト類に属するアンモナイトが繁栄した。縫合線(殻表面と隔壁の合わせ目)が丸く大きな波形になり、谷(殻の奥を向いている方)に細かい凹凸があるのが典型的なセラタイト類の特徴である。
コルンビテスは緩やかで幅の狭い肋(殻表面の放射状の筋)を持つ、中型・大型のセラタイト類である。大沢層からは他にもコルンビテス動物群と呼ばれる集団に属するセラタイト類が多数発見されていて、他の産地との比較から、大沢層が低緯度の熱帯・亜熱帯で堆積したことを示すとされる。
[フーペイスクス・ナンカンゲンシス Hupehsuchus nanchangensis]
学名の意味:南昌で発見された湖北のワニ
時代と地域:三畳紀前期(約2億5千万年前)の東アジア沿岸
成体の全長:1m
分類:爬虫綱 魚竜形類 フーペイスクス目 フーペイスクス科
フーペイスクスは他の爬虫類との類縁関係が長らく不明だった、独特な特徴の組み合わせを持つ爬虫類である。現在では近縁のナンカンゴサウルス
Nanchangosaurusなどとともに魚竜類の姉妹群であるフーペイスクス類に属するとされる。
長い吻部、紡錘形の胴体、鰭状の尾、水かき状の短い四肢を持ち、水生であると考えられる。
吻部は長くてとても平たく、下顎は柔軟だった。歯はなかった。現生のヒゲクジラ類のように、大きく口を広げて多くの海水を蓄え、プランクトンを濾し取って食べたと考えられている。
胴体は肋骨でしっかりと形が保たれ、ほとんど曲がらなかった。
棘突起の上に一列の皮骨板が並んでいたが、この役割は不明である。防御に役立つとは考えられていない。潜るための錘ではないか、または重心を上に寄せることで、水中で体を左右に傾ける動きをしやすくする働きがあったのではないかとも言われている。
四肢は短く、ほとんどまたは全く歩けなかったとみられる。出産の方法について直接の証拠はないが、胎生であったと思われる。
尾は長くて縦に平たく、泳ぐときはこの尾をくねらせて推進力を得た。
[ケイチョウサウルス・フイ Keichousaurus hui]
学名の意味:胡承志氏が発見した貴州の爬虫類
時代と地域:三畳紀前期(約2億5千万・2億2千万年前)の東アジア沿岸
成体の全長:約30cm
分類:爬虫綱 鰭竜類 ノトサウルス目 ケイチョウサウルス科
ケイチョウサウルスは貴州省などから非常に多数の化石が発掘されている海生爬虫類である。
長い首、小さな楕円形の頭、紡錘形の胴体と、まるでジュラ紀の首長竜のミニチュアのような外見を持つ。
しかし四肢は完全な鰭ではなく指の残る水かきであった。肘はほとんど曲がらず、陸上ではあまり活動できなかったようだ。フーペイスクス同様、直接の証拠はないが胎生ではないかと考えられている。
首とほぼ同じ長さの尾を持っていた。
[プラコドゥス・ギガス Placodus gigas]
学名の意味:板状の歯を持った大きなもの
時代と地域:三畳紀中期(約2億4千万年前)のヨーロッパ沿岸
成体の全長:2m
分類:爬虫綱 鰭竜類 板歯目 プラコドゥス科
プラコドゥスは最もよく知られた板歯類のひとつである。
丸い頭部、円筒形の丈夫な胴体、長い尾を持っていた。四肢は短く、水かきとしてもそれほど発達していなかった。もっぱら尾の力で泳いだようだ。
頭部からは吻部か短く突き出し、顎の先にはのみ状の歯がやや前向きに生えていた。
上顎の口蓋と下顎には敷石状の歯が並んでいて、プレス台のような圧縮面を形成していた。
後頭部には太い咬筋の収まるスペースがあり、下顎は丈夫で、咬筋の付着する突起が発達していた。
前歯で岩の表面に付着した貝などをはがし取り、奥歯で殻を圧砕して中身を食べたと考えられている。
板歯類が胎生か卵生かは不明である。陸上ではあまり活動できなかったようだ。
[ユングイサウルス・リアエ Yunguisaurus liae]
学名の意味:リー・ジンリン氏の雲南省と貴州省の爬虫類
時代と地域:三畳紀後期(約2億3千万年前)の東アジア沿岸
成体の全長:2m
分類:爬虫綱 鰭竜類 ピストサウルス類
ピストサウルス類は首長竜類の直接の祖先であるとされる鰭竜類である。なかでもユングイサウルスは首長竜の基本的な体型をすでによく備えていた。
首の長さが全長の半分近くを占めていた。頭部は小さく、また吻部の幅がやや狭かった。細長く尖った歯が突き出ていた。
胴体は紡錘形だった。尾は首長竜に比べると長かった。
四肢は水かきではなく、完全に鰭に変わっていた。水をかいて押す(抗力を利用する)のではなく、羽ばたいて水を切る(揚力を利用する)ことで泳いでいたと考えられる。ただし首長竜と比べると鰭の構造が丈夫ではなかった。
[プセフォデルマ・アルピヌム Psephoderma alpinum]
学名の意味:アルプス山脈で見付かった小石をちりばめたような皮膚
時代と地域:三畳紀後期(約2億2千万年前)のヨーロッパ
成体の全長:1.5m
分類:爬虫綱 鰭竜類 板歯目 プラコケリス科
プセフォデルマは一見カメに似た、甲羅のある板歯類のひとつである。
背中を覆うようにほぼ円盤状の甲羅が発達していた。カメの甲羅が肩甲骨や骨盤まで内部に収めるカプセル状であるのとは異なっている。
甲羅には前後に伸びる筋状の隆起が3本あった。
またプセフォデルマには腰の上を覆う独立した小さな甲羅がもう一つあった。
尾が全長の半分を占めるが単純な棒状で、泳ぐときは四肢の水かきを用いた。
頭部は上から見るとハート形で、吻部が尖り、咬筋の収まる部分が左右に張り出していた。プラコドゥス同様、上下の奥歯が平たく発達していた。
第五十二話
[ジュラ紀の海生爬虫類]
三畳紀の終わりにはいくつかの海生爬虫類のグループが絶滅したが、鰭竜類のうち首長竜と、魚竜のうちパルヴィペルヴィア類はジュラ紀にも生存していた。これらジュラ紀の海生爬虫類の化石は、当時多島海を形成していたヨーロッパでよく見付かっている。
首長竜は以前まではジュラ紀に初めて現れたと考えられていたが、ラエティコサウルス
Rhaeticosaurusの発見により三畳紀まで起源が遡ることが判明した。ラエティコサウルスの時点で成長が早く代謝が高かったことが骨組織から示唆される。
首長竜には主にプレシオサウルス類、プリオサウルス類、ロマレオサウルス類の3つのグループがあるが、どのグループであっても初期のものは、首長竜の祖先とされるユングイサウルスと同じく、長い首と小さめの頭を持っていた。
プレシオサウルス類はジュラ紀を通して長い首と小さい頭という基本の体形を保ち、小さな獲物を捕食していたと考えられている。特にクリプトクリドゥス
Cryptoclidusやムラエノサウルス
Muraenosaurus等クリプトクリドゥス科のものは、細かい歯を多数生え揃わせ、より小さな獲物に適応したようだ。後の白亜紀にも、プレシオサウルス類から現れたエラスモサウルス類やポリコチルス類が繁栄していた。
プリオサウルス類の初期のものは、プレシオサウルス属に含まれると思われていたタラッシオドラコン
Thalassiodraconやアッテンボローサウルス
Attenborosaurusのようにプレシオサウルス類によく似た体形だったが、後にペロネウステス
eloneustesのように頭が大きく首が短いものが現れた。プレシオサウルス類より硬い獲物や大きな獲物に適応したと考えられる。
さらにプリオサウルス類からは全長6m以上のリオプレウロドン
Liopleurodonや10mを越えるプリオサウルス
Pliosaurusなど、大型でさらに頭が大きいものも現れた。より硬い獲物や、他の海生爬虫類を捕食したと考えられている。こうした大型のプリオサウルス類は白亜紀にも生息していた。
ロマレオサウルス類にはプリオサウルス類ほどはっきり体形が変わったものは現れず、ロマレオサウルス
Rhomaleosaurusのようにプレシオサウルス類と比べてやや頭が大きく首が短い程度だった。ロマレオサウルス類はジュラ紀中期の終わりには絶滅した。
首の長い首長竜はその分重心が前にあり、全ての鰭が矢羽として働くため遊泳時の安定性が高かったのに対して、首の短い首長竜は重心が前肢と後肢の間にあったため運動性が高かったという研究結果がある。
パルヴィペルヴィア類の魚竜は基本的に流線型の胴体と発達した尾鰭を持ち、遊泳によく適応したものだった。
基盤的なものには全長9mに達し他の海生爬虫類を捕食したとされるテムノドントサウルス
Temnodontosaurusや全長6mで上吻がカジキのように伸長したユーリノサウルス
Eurhinosaurusなど、独特な生態や体形のものもいた。
しかしトゥノサウリアに属する派生的なものはイクチオサウルス
Ichthyosaurus、ステノプテリギウス
tenopterygius、オフタルモサウルス
Ophtarmosaurus等、全長数mで、完全に紡錘形の胴体と三日月形の尾鰭を持つ、長距離遊泳に非常に高度に適応したものばかりだった。胴椎は前後に短く、尾鰭を振るときに胴体はほとんどくねらなかった。
こうしたトゥノサウリアの魚竜は白亜紀にも生存していた。
首長竜と魚竜のどちらも、歯の酸素同位体の比率から恒温性であったことが示唆されている。また皮膚の黒いメラニン色素の痕跡も発見されていて、分析が行われた魚竜に関しては背側だけでなく腹側も黒かったようだ。
ジュラ紀に現れた海生爬虫類には、首長竜と魚竜の他にワニ類もいる。
ワニ類(ワニ形類)には海に適応したものが数回現れた。ワニ類が海洋環境に進出できるかどうかは海水面温度に左右されるとも言われている。
中でも特に良く遊泳生活に適応したワニ類がジュラ紀に現れたタラットスクス類である。タラットスクス類は細長い体形をしたワニ類で、主にテレオサウルス科とメトリオリンクス科に分かれる。
テレオサウルス科は外洋の地層から発見されてはいるものの、皮骨板があり、四肢は完全な鰭状ではなく、尾は淡水性のワニと同様の構造であった。ステネオサウルス
Steneosaurusなど幼体は見付かっておらず、繁殖は陸上で行った可能性がある。マキモサウルス
Machimosaurusは全長10mに達した。
メトリオリンクス科は皮骨板を失い、四肢が鰭状で、尾の先が魚竜のように下方に屈曲して尾鰭を形成していた。高度に外洋に適応していたことから卵胎生だった可能性もある。メトリオリンクス
Metriorhynchusやゲオサウルス
Geosaurusのように大半は細長い吻部を持っていて小さな餌に適応していたが、ダコサウルス
Dakosaurusは例外的に幅広く丈夫な吻部を持ち、より大型の獲物を捕食していた可能性がある。
[プシロセラス・プラノルビス Psiloceras planorbis]
学名の意味:ヨーロッパヒラマキガイ(現生の巻貝の一種)に似た裸の角
時代と地域:ジュラ紀前期(約2億100万年前)のヨーロッパ近海
成体の直径:10cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 プシロセラス科
セラタイト目のアンモナイトは三畳紀末に絶滅し、ジュラ紀初頭には縫合線がセラタイト目以上に複雑になった、アンモナイト目のアンモナイト(狭義のアンモナイト)のみ生き残っていた。
プシロセラスはイギリスのブルーライアスという地層から多数発掘される、ジュラ紀初頭の代表的なアンモナイトである。殻の巻き方は緩くて巻きの回数が多く、ごく細かい肋があるもののおおむね平滑な殻だった。
[プレシオサウルス・ドリコデイルス Plesiosaurus dolichodeirus]
学名の意味:長い首を持った、魚竜より爬虫類に近いもの
時代と地域:ジュラ紀前期(約2億100万年前)のヨーロッパ近海
成体の全長:3〜4m
分類:双弓亜綱 鱗竜類 鰭竜類 首長竜目 プレシオサウルス類 プレシオサウルス科
プレシオサウルスは代表的な首長竜であり、首長竜の中でも特に早く発見され、また首長竜としては特に初期のものである。
「爬虫類に近いもの」という意味の属名は、同時期に発見されたイクチオサウルスが水生脊椎動物と陸生脊椎動物の中間の生物であると考えられ、より陸生脊椎動物に近い体形のプレシオサウルスはさらにイクチオサウルスと陸生脊椎動物の中間の生物であると考えられたことにちなむ。
全長の半分近くを首が占め、半楕円形の小さく偏平な頭部を持つ、典型的な「首の長いタイプの首長竜」である。四肢の筋肉の土台となる肩帯・骨盤(首長竜では全て腹側に移動して平板状になっている)は後の首長竜と比べると小さく、また四肢の鰭は細長かった。
細く尖った真っ直ぐな歯が多数生え揃っていて、小さな魚や殻のない頭足類を主に捕食していたと考えられる。
[クリプトクリドゥス・エウリメルス Cryptoclidus eurymerus]
学名の意味:鎖骨が隠れていて大腿骨が幅広いもの
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6500万年前)のヨーロッパ近海
成体の全長:3〜4m
分類:双弓亜綱 鱗竜類 鰭竜類 首長竜目 プレシオサウルス類 クリプトクリドゥス科
クリプトクリドゥスは、プレシオサウルスと同様「首の長い首長竜」である。イギリスのオックスフォード・クレイという浅く温暖な海で形成された粘土層から多数発掘されていて、特に詳しく分かっている首長竜である。
プレシオサウルスと比べるとやや首と頭部が短く、胴体が太く、ずんぐりとした体形をしていた。肩帯と骨盤は発達していた。また上腕骨と大腿骨が三味線のバチのような形をしていて鰭は幅広かった。
歯はプレシオサウルス以上に細く多数生え揃っていた。プレシオサウルスが捕えていたものより小さな生き物を水から濾過するように食べていたと考えられている。
オックスフォード・クレイからはより大型の近縁種であるムラエノサウルスも発見されている。
[ベレムノテウティス・アンティクウス Belemnotheutis antiquus]
学名の意味:太古のダーツ状のイカ
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6500万年前)のヨーロッパ近海
成体の全長:30cm
分類:軟体動物門 頭足綱 十腕類 ベレムノイド類 ベレムナイト目 ベレムノテウティス科
ベレムナイト類は現生のイカにごく近縁だが、胴体の内側に殻を持っていた頭足類である。先端に鞘と呼ばれる、中身が詰まっていてペン状の部分があり、この部分の化石がよく発掘されるが、その後ろに房錘(フラグモコーン)という円錐形の殻が続いていた。
ベレムノテウティスはオックスフォード・クレイから発見されているベレムナイト類である。とても保存状態の良い化石により殻だけでなく体全体の形態が判明し、現生のイカにとてもよく似ていたが、腕には吸盤ではなくフック状の爪が並んでいたことが分かった。墨袋も発見され、液体の状態が復元されたことがある。
[ヒプソコルムス・インシグニス Hypsocormus insignis]
学名の意味:注目すべき高い株
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ近海
成体の全長:1m
分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 真骨類 パキコルムス目 パキコルムス科
パキコルムス類は中生代に繁栄した魚類のグループである。ガノイン鱗を持たない硬骨魚類の中では原始的とされるが、他の魚との類縁関係はよく分かっていない。
紡錘形の胴体やV字型の尾鰭など、マグロやブリに似ていて高速遊泳に適した体型をしていた。しかし頭の後ろはオスのサケのようにやや盛り上がっていた。歯は尖っていて、小さな魚などを捕食したと思われる。
近縁種には濾過食性に特殊化したものも含まれる。ヒプソコルムス・インシグニス自身はドイツのゾルンホーフェンで発掘されているが、オックスフォード・クレイから発見されたレードシクティス
Leedsichtysは推定全長が10mをゆうに超える史上最大の硬骨魚類だったとされる。
[ペロネウステス・フィラルクス Peloneustes philarchus]
学名の意味:粘土の中を力強く泳ぐもの
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6500万年前)のヨーロッパ近海
成体の全長:3〜4m
分類:双弓亜綱 鱗竜類 鰭竜類 首長竜目 プリオサウルス類 プリオサウルス科
前述のプレシオサウルスとクリプトクリドゥスに対して、ペロネウステスは典型的な「首の短い首長竜」である。クリプトクリドゥスと同じくオックスフォード・クレイから発見されたため、よく比較される。
頭と首を合わせると胴体と同等の長さだが、首は頭より短かった。
吻部は細長く途中にくびれがあったが、インドガビアルのように全体が一様に細長い棒状なのではなく、マレーガビアルのように三角形のシルエットを持ち、やや厚みがあった。
歯は円錐形で、吻部先端では細く尖っていたが、後部の歯はより太かった。これにより素早く柔らかいものと硬く遅いものの両方を食べられた可能性がある。
肩帯と骨盤は比較的発達していた。
オックスフォード・クレイからはより大型のプリオサウルス類であるリオプレウロドンも発見されている。
[アスピドリンクス・エウオドゥス Aspidorhynchus euodus]
学名の意味:盾とクチバシとよく尖った歯を持つもの
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6500万年前)のヨーロッパ
成体の全長:60cm
分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 アスピドリンクス目 アスピドリンクス科
アスピドリンクスはサンマを大きくして上顎を長く尖らせたような姿の魚だったが、胴体にびっしり並んだ縦長の鱗はガノイン鱗と呼ばれる、エナメル質でできた分厚いものだった。同じくガノイン鱗を持つガーパイクなどに近い、やや原始的な硬骨魚類とされる。
エウオドゥス種とは別の種のアスピドリンクスが翼竜のランフォリンクスを食べようとしたまま死んだ化石がゾルンホーフェンで発見されている。素早く泳ぐ肉食性の魚だったようだ。
[メトリオリンクス・スペルキリオスス Metriorhynchus superciliosus]
学名の意味:横柄な程よい長さの吻部
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6500万年前)のヨーロッパ
成体の全長:3m
分類:爬虫綱 双弓亜綱 主竜上目 ワニ形類 タラットスクス類 メトリオリンクス科
メトリオリンクスはオックスフォード・クレイ等で発見された代表的なタラットスクス類である。
吻部は幅が狭く細長かったものの、硬い殻のあるアンモナイトを食べた痕跡や、クリプトクリドゥスの骨に噛み痕を残したことが知られていて、様々な動物を食べていたと考えられる。
メトリオリンクス以外にも様々なタラットスクス類がオックスフォード・クレイから発見されている。
[ステノプテリギウス・クアドリスキッスス Stenopterygius quadriscissus]
第三十話参照。
[コスモセラス・ファエイヌム Kosmoceras phaeinum]
学名の意味:姿を現す宇宙の角
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6500万年前)のヨーロッパ
成体の直径:ミクロコンク6cm マクロコンク12cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンモナイト亜目 コスモセラス科
コスモセラスはミクロコンクと呼ばれる小さな殻とマクロコンクと呼ばれる大きな殻の違いが非常に顕著なアンモナイトである。
コスモセラス・ファエイヌムのミクロコンクは、放射状の短い棘が周囲に生え、殻口の左右からラペットと呼ばれるへら状の突起を伸ばしていた。ラペットの長さは殻自体の直径と同等にまで達する。
マクロコンクには棘やラペットはなかったが、直径はミクロコンクの倍になった。ミクロコンクがオス、マクロコンクがメスであると考えられているが、直接的な証拠はない。
第五十三話
[白亜紀の海生爬虫類]
白亜紀前期の海生爬虫類の化石記録は少なく、明らかになっていないことが多い。
白亜紀には魚竜の多様性は大きく減じ、数属しか発見されていない。プラティプテリギウス
Platypterygiusなどのような最後の魚竜は白亜紀後期初頭には絶滅したと考えられている。
白亜紀後期には、有鱗類の中のオオトカゲやヘビに近い系統からモササウルス類が現れた。
モササウルス類の直接の祖先となったのは、オオトカゲに似た姿と大きさのアイギアロサウルス類もしくはその近縁種と考えられる。
アイギアロサウルス類のカルソサウルス
Carsosaurusの化石には、腹部に4体の丸まった胎児が収まっていた。
アイギアロサウルス類の四肢は完全な鰭にはなっていなかったが、モササウルス類の四肢は完全な鰭状であった。
また後述するプラテカルプスの非常に保存状態の良い化石等から、モササウルス類の尾はサメの尾鰭を上下逆にしたような、長距離の遊泳に向いた発達した尾鰭であったことが分かっている。また酸素同位体の比率から温血性であったことが示唆され、活発に泳いでいたようだ。
モササウルス類の頭部は基本的には他の有鱗類に似た作りをしていた。
四角錐形の吻部をしていて、大きく開く顎に尖った歯が並んでいた。下顎の途中に関節があり、顎の幅を左右に広げることができた。
眼窩が発達し、視覚を主な感覚としていた。現生有鱗類のような鋤鼻器官があったとも言われる。
モササウルス類の大まかな体型は多くの種に共通していて、大半のモササウルス類は獲物を吸い込んで逃さず丸呑みすることに適応していた。しかし、主に吻部と歯の形態、四肢の形態、胴体と尾の長さの比率に違いがあった。
モササウルス類の胃内容物の化石は複数発見されていて、中型以下のモササウルス類は魚、大型のモササウルス類は他のモササウルス類や首長竜も捕食していた。
神社の擬宝珠のような歯を持つグロビデンス
Globidensは貝を食べ、頑丈な顎と太い歯を持つプログナトドン
Prognathodonはウミガメを食べていたように、固いものを食べるのに適応していたものもいた。
モササウルス類の歯型が残ったアンモナイトとされる化石も発見されているが、そうした穴の少なくとも一部はカサガイという円盤状の貝が貼り付いた跡のようだ。
3〜5mのクリダステス
Clidastesや4〜6mのプラテカルプスは比較的小型だったが、モササウルス類は次第に大型化し、最も後のティロサウルス
Tylosaurusやモササウルス
Mosasaurusは全長15m近くに達した。
モササウルス類が特に多く発見されているのは、北米大陸西部の内陸である。白亜紀当時、北米大陸西部は「ウェスタン・インテリア・シー」という浅い海によって南北に貫かれていた。
国内でもモササウルス類の化石は複数発見されている。エゾミカサリュウ
Taniwhasaurus mikasaensis、モササウルス・ホベツエンシス
Mosasaurus hobetsuensis、フォスフォロサウルス
Phosphorosaurusは北海道から発見された。
近畿や熊本からもモササウルス類が発見されているが、分類・命名には至っていないものが多い。
その中で和歌山県有田川町の鳥屋城山で発掘された全長6mほどのモササウルス類は、前半身の大半が揃っている国内で最も保存状態の良い化石である。より大型のティロサウルスのように、細長い吻部と長い前肢の鰭を特徴としていたようだ。
一方、首長竜類は白亜紀に入っても引き続き繁栄していたが、そのうちのプリオサウルス類はクロノサウルス
Kronosaurusやブラカウケニウス
Brachaucheniusといった遊泳能力が高いものが現れたものの、白亜紀後期初頭に絶滅した。
白亜紀の終わりまで繁栄していた首長竜は、エラスモサウルス類とポリコチルス類であった。
エラスモサウルス類はジュラ紀にすでに現れ始めていた、首長竜の中でも特に首の長いグループである。プレシオサウルス類の体形をほぼそのまま残していたグループであるともいえる。
頸椎は数十個まで増えたが、あまり柔軟に曲がることはなかったようだ。海底の無脊椎動物を拾い集めるなど、小さな獲物を捕らえて食べていたと考えられている。
比較的小型のフタバスズキリュウ
Futabasaurusでも全長7m以上で、タラソメドン
Thalassomedonやエラスモサウルス
Elasmosaurusなど10mを越えるものが多かった。
ポリコチルス類は白亜紀後期に現れた、細長い吻部と、頭部とほぼ同じ長さの首を持つ首長竜であった。エラスモサウルス類と同じくプレシオサウルス類に含まれるという説が有力である。大半は全長3〜5mほど、最大のシリルア
Thililuaで6mほどであった。
マウリシオサウルス
Mauriciosaurusの体の輪郭が残った化石から、生きていた時は頭部と首、首と肩、腰と尾の段差が肉で埋められて、体全体が流線型をしていたことが分かっている。とても活発に泳いでいたようだ。
ポリコチルス
Polycotylusの腹部に胎児が残った化石が発見されていて、陸に上がれなかったとみられる首長竜類が卵生ではなく胎生であったという証拠となっている。またポリコチルス類の腹部にアンモナイトの顎器が残った化石もあり、首長竜の中でもポリコチルス類に関してはアンモナイトを食べていたという直接の証拠があることになる。国内でも北海道や福島などで化石が発見されている。
白亜紀前期にはウミガメ類もすでに現れ始めていた。
[プラテカルプス・ティンパニティクス Platecarpus tympaniticus]
学名の意味:鼓骨と平らな手首を持つもの
時代と地域:白亜紀後期(約8000万年前)の北米(内陸部〜メキシコ湾岸)
成体の全長:4〜6m
分類:爬虫綱 双弓亜綱 有鱗目 オオトカゲ上科 モササウルス科 プリオプラテカルプス亜科
プラテカルプスは、最も多くの化石が発見され、最も詳しく研究されているモササウルス類である。前述のウェスタン・インテリア・シーで繁栄していたようだ。
モササウルス類としては比較的小型で、吻部が短く歯が少ないのもモササウルス類の中では変わった特徴だった。あまり大きな獲物を食べなかったのかもしれない。胃内容物としては魚類が見付かっている。
四肢の鰭は短く、丸みを帯びていたようだ。胴体より尾のほうが長かった。
強膜輪という眼球の内側の骨と頭骨の比較から、モササウルス類の中でも暗いときに目が見えるほうだったのではないかとも言われている。
近年研究された、全身が関節したままほとんど完璧に残った化石から、貴重な情報が得られている。
まず、モササウルス類全体が下方に屈曲した尾椎に支えられた発達した尾鰭を持っていたと考えられるようになったのは、主にこの化石に基づいている。
次に、肋骨の長さや内臓の位置から、胴体の輪郭は円筒ではなく、前方の途中が膨らんだ流線型であったことも分かっている。
さらに、この化石には骨だけではなく皮膚の痕跡も残されていた。これにより、細かい鱗で体が覆われていたことが分かった。頭部の鱗は直径1cm以下の丸いものだった。胴体の鱗はより細かく、前の鱗が後ろの鱗に重なって菱形になっていた。サメ肌のように小さな水流の乱れによって大きな水流の乱れを防ぎ、抵抗を減らしたのかもしれない。
[ペリスフィンクテス・ボウエニ Perisphinctes boweni]
学名の意味:周りをきつく縛られたエドムンド・ジョン・ボーウェン氏のもの
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億6000万年前)のヨーロッパ、アフリカ近海
成体の直径:10〜30cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 ペリスフィンクテス科
ペリスフィンクテスは化石が一般にも多く流通していて手に入りやすいアンモナイトである。
巻きはややきつく、殻口は角を丸めた正方形に近い形をしている。肋(放射状の凹凸)は細かく並んでいて、二又に分かれるものもある。
特に多く流通しているのは数cm程度のものだが、成熟したものは直径10cm程度のものと20cmになるものがある。これは雌雄の違いと考えられる。
[シャスティクリオセラス・ニッポニカム Shasticrioceras nipponicum]
学名の意味:シャスタ山で初めに発見された日本のクリオセラス(クリオセラスはシャスティクリオセラスと近縁なアンモナイト。意味は「雄羊の角」)
時代と地域:白亜紀前期(1億3000万年前)の東アジア
成体の直径:最大10cm以上
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 メガクリオセラス科
白亜紀になるとアンモナイトのなかに単純な渦巻状ではない殻を持つものが現れた。
シャスティクリオセラスは特に巻き方の緩いアンモナイトのひとつであり、殻の中心部が穴状に抜けている。巻き方を緩くするというのはアンモナイトの形状の特殊化としては単純なほうといえる。有田層という地層からは特に多く発掘されている。
[クリオセラティテス・アジアティカム Crioceratites asiaticum]
学名の意味:アジアの雄羊の角の石
時代と地域:白亜紀前期(1億3000万年前)の東アジア
成体の直径:6cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 クリオセラティテス科
クリオセラティテスはシャスティクリオセラス同様緩く巻くアンモナイトで、殻全体がほどけたぜんまいのように隙間の空いた形をしていた。殻の表面には短い棘があった。有田層からは普通に産出する。
こうした巻きの緩いアンモナイトも後述の「異常巻きアンモナイト」と呼ぶことがある。
[アナハムリナ属の一種 Anahamulina sp.]
学名の意味:ハムリナではないもの(ハムリナはアナハムリナに近縁なアンモナイト。名前の由来は不明)
時代と地域:白亜紀前期(1億3000万年前)の東アジア
成体の殻長:6cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 ツリリテス上科 プチコセラス科
プチコセラス科は直線上を往復するように巻くアンモナイトのグループである。アナハムリナの場合、1往復して「つ」の字形になった化石が和歌山から発掘されている。有田層からは普通に産出する。
こうした平面渦巻状ではないアンモナイトを「異常巻き」と呼ぶが、異常という呼び名は付いているものの病的あるいは末期的なものではなく、円盤状の巻き方と同じ法則で説明できるものであることが数学的に検証されている。
よって異常巻きはなんらかの適応の結果だとは考えられるものの、具体的にどのような生態に適応した形態かはよく分かっていない。
[ディディモセラス・アワジエンゼ Didymoceras awajiense]
学名の意味:淡路で発見された一対の角
時代と地域:白亜紀後期(7500万年前)の西日本
成体の殻長:約20cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 ツリリテス上科 ノストセラス科
ノストセラス科は主な異常巻きアンモナイトのグループのひとつである。ディディモセラス・アワジエンゼは和歌山から四国にかけて堆積した外和泉層群を代表する異常巻きアンモナイトである。
逆U字のフックで始まって円錐螺旋状に巻き、最後はU字形のフックで終わるという複雑な巻き方をする。巻き方が「右巻き」のものと「左巻き」のものの2通りが1対1の比率で見付かっている。
殻は成長とともに始点から伸び、その内部は気体の入った気室と身の詰まった住房に分かれるため、このような複雑な巻き方をするアンモナイトは、気室の浮力と住房の重力のバランスが成長とともに変化し、姿勢も変わったはずである。ただ殻口の向きはあまり変化しなかったようだ。
[ディディモセラス属の一種(?) Didymoceras sp.]
学名の意味:一対の角
時代と地域:白亜紀後期(7500万年前)の西日本
成体の殻長:約20cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 ツリリテス上科 ノストセラス科
外和泉層群では、ディディモセラスの円錐部分を傾いた円盤に変更したようなアンモナイトが発掘されることがある。これはディディモセラスと後述のプラビトセラスの中間の種ではないかと言われている。現在は便宜上ディディモセラスの一種として扱われているようだ。
[プラビトセラス・シグモイダレ Pravitoceras sigmoidale]
学名の意味:シグマ字形に曲がった角
時代と地域:白亜紀後期(7500万年前)の日本
成体の殻長:約20cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 ツリリテス上科 ノストセラス科
プラビトセラスは全体がS字(または種小名のとおりシグマの語末形の形)のシルエットをした異常巻きアンモナイトである。
ごく初期だけ円錐状に巻いた後、通常巻きのように平たい渦巻状に巻き、最後に巻く向きがUターンして終わる。
淡路島で最も多く発見され、和歌山では少ない。1例だけ北海道で発見されたことがあり、他にも北海道のアンモナイトと和歌山のアンモナイトには共通するものがある。
[メリストドノイデス・ラジコヴィキ Meristodonoides rajkovichi]
学名の意味:ライコビッチ氏のメリストドンに似たもの(メリストドンはメリストドノイデスに近縁なサメ。意味は「分岐した歯」)
時代と地域:白亜紀後期(約9500万年前)の北米(ミネソタ州)
成体の全長:不明(1m?)
分類:軟骨魚綱 板鰓亜綱 ヒボドゥス目 ヒボドゥス科
ヒボドゥス類はペルム紀に現れた、頭部が丸くて鼻先が突き出ておらず、2つの背鰭の前に棘があったサメである。白亜紀には数を減らし、白亜紀末の大量絶滅は生き延びたものの中新世の終わりまでに絶滅した。現生のサメとエイ全てを含む新サメ区に含まれない。
メリストドノイデスは以前はヒボドゥス属に分類されていたサメである。歯しか発見されていない。ここでは全長50cmのヒボドゥスの歯の幅が5mmほどであることから、幅1cmの歯を持つメリストドノイデスの全長を仮に1mとしている。
[ゴードリセラス・インターメディウム Gaudryceras intermedium]
学名の意味:中間にあるゴードリー氏の角
時代と地域:白亜紀後期(約7500万年前)の東アジア(主に北海道)
成体の直径:70cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 ゴードリセラス科
ゴードリセラス・インターメディウムは、和歌山では最大級の正常巻きアンモナイトである。
典型的なアンモナイトの姿をしていて、殻口はほぼ円形だった。殻の表面にはっきりと出っ張った細い肋が一定の間隔で並んでいた。
有田川町の民家で庭石になっていたものがゴードリセラス・インターメディウムの化石であると判明し、和歌山県立自然博物館に納められた。
[イノセラムス・バルティクス Inoceramus balticus]
学名の意味:バルト海の繊維質の貝
時代と地域:白亜紀後期(約8000万年)の世界各地
成体の全長:15cm
分類:軟体動物門 斧足綱 翼形亜綱 ウグイスガイ目(?) イノセラムス科
イノセラムスは、ムール貝(ムラサキイガイ)に似た二枚貝である。肋という同心円弧状の凹凸が目立つ。名前どおり殻を形成する微細な結晶が繊維状になっているのが特徴である。バルティクス種は丸みの強い形態だった。
イノセラムス類は中生代に特有の二枚貝である。蝶番の構造の解釈により、ウグイスガイ類(真珠貝の仲間)に近縁だという説とウグイスガイ類とは無関係だという説に分かれている。短い期間で様々な種類が移り変わったため示準化石として優秀である。
他の二枚貝のように水中の細かい餌を濾過したと考えられるが、詳しい生態は判明していない。プランクトンとして生活する幼生の時期が他の二枚貝と比べ長く、分布の広い種類が多かった。流木などに付着する種があったとも言われるが、バルティクス種のような中型〜大型の種は底性だったと思われる。
[トリナクロメルム・ベントニアヌム Trinacromerum bentonianum]
学名の意味:フォート・ベントンで発見された三つに分岐した大腿骨
時代と地域:白亜紀後期(約9000万年前)の北米西部
成体の全長:3m
分類:双弓亜綱 鱗竜類 鰭竜類 首長竜目 プレシオサウルス類 ポリコチルス科
トリナクロメルムはポリコチルス類の中ではやや小型で、顎には尖った小さな歯が多数並んでいた。小さめの魚やアンモナイトを主食としていたと考えられる。
第五十四話
[ウミガメ]
カメ類は三畳紀にはすでに現れていて、ウミガメ上科の海洋進出は白亜紀のなかばに始まった。
甲羅が流線型になっている代わりに頭と四肢を引っ込めることができない、前肢は長いパドル状・後肢は幅広い舵になっていて前肢を羽ばたかせて推進する、海水から過剰に摂取した塩分を眼窩の中にある塩類腺から涙のように排出する、といった、海生に適応した特徴を数多く備えている。
これまでに発見されている中で特に古いウミガメは、コロンビアの1億2000万年前の地層で発見されたデスマトケリス・パディライ
Desmatochelys padillaiや、ブラジルの1億1000万年前の地層で発見されたサンタナケリス
Santanachelysである。デスマトケリスは鰭となる前肢があまり発達しておらず、サンタナケリスは前肢の指は長いものの第1指と第2指の爪が残っているなど、遊泳能力が未発達であった。
しかしサンタナケリスの頭骨には塩類腺が収まる空洞があり、当時すでに海から出ない生活を送っていたことが読み取れる。
ウミガメ上科はプロトステガ科、オサガメ科、そしてウミガメ科の3つに大別される。
プロトステガ科は最も基盤的なグループだが、多くのものは甲羅はあったものの表面を覆う鱗板は持っていなかった。プロトステガ
Protostegaやアルケロン
Archelonに代表されるように、頭が大きく発達していた。
また、プロトステガ科全体は広く分布していたが、一つひとつの属の分布は局所的だった。甲羅が軽量化されているのは遊泳能力を高める特徴だが、あまり長い距離を泳ぐことはなかったようだ。
白亜紀のウミガメの大半はプロトステガ科に属していたが、プロトステガ科は白亜紀の終わりに絶滅した。
オサガメ科はプロトステガ科にごく近縁で、白亜紀後期にはメソダーモケリス
Mesodermochelysやオケペケロン
Ocepechelon、プロトスファルギス
Protosphargisが現れていたが、かなり珍しい存在だった。
現生のオサガメは汎世界的に分布し、また深海に潜ってクラゲを捕食するという独特な生態を持っているが、このような生態を獲得したのは後になってからのようだ。メソダーモケリスの時点で甲羅が軽量化されつつあったが、始新世に入るとより軽量な甲羅を持つエオスファルギス
Eosphargisなどが現れた。
ウミガメ科はウミガメの3つのグループの中で唯一、甲羅の鱗板を失ったものが現れていないグループである。白亜紀にはオステオピギス
Osteopygisなどが現れていた。新生代に現生のウミガメの属が揃っていったが、シロムス
Syllomusのように絶滅したものもいた。
[鯨骨生物群集、竜骨生物群集]
深海で手に入るなんらかの物質(硫化水素やアンモニア)による化学反応のエネルギーを基に成り立っている生態系を、日光のエネルギーを基に成り立つ生態系と区別して、化学合成生物群集という。
化学合成生物群集で生産者となるのは、光合成をする生物ではなく、硫化水素やアンモニアをエネルギー源とすることのできる細菌である。これを化学合成細菌という。
化学合成生物群集を形成するのに必要な物質の供給源は様々で、特に有名なのは海底の火山活動によって噴出する熱水である。しかし熱水噴出口は局所的にしか存在せず、ある噴出口から別の噴出口へと生物が分布を広げるのは難しい。
そこで、大型の海生動物の死体が分解されるときに発生する物質を基に飛び石的に移動することが考えられる。大型動物の肉や内臓は素早い生き物がすぐに消費してしまうので、もっぱら物質の供給源となるのは長く残る骨である。
こうした生物群集は現在クジラの骨の周りに発見されていて、これを鯨骨生物群集という。
しかし、鯨骨生物群集に加わっている生物にごく近縁な種は白亜紀の時点ですでに現れていた。これは主に首長竜の骨を群集の基としていたものである。これを鯨骨生物群集と区別して竜骨生物群集という。
金沢大学のロバート・ジェンキンズ氏のチームによる研究で、竜骨生物群集のことが明らかになりつつある。
例えば、北海道羽幌町の約8500万年前の地層から、ハイカブリニナ科の巻貝をともなった首長竜の化石が発見されている。この巻貝は近隣の、メタンを含む湧水が噴出して出来た堆積物から発見されたものと共通している。このことから、この巻貝がメタンを含む湧水や首長竜の骨の周りで発生したバクテリアを栄養源とする化学合成生物群集の一員であったことが分かった。
さらに、ハナシガイやキヌタレガイの仲間である、体内に化学合成細菌を確保して共生する二枚貝も首長竜の化石の周囲から発見された。
こうした化石骨の生物群集を発見するには、骨周囲の痕跡を削り取ってしまわないよう慎重な発掘・クリーニング作業が求められる。
なお、和歌山県の鳥屋城山で発見されたモササウルス類も、化石骨の表面には微生物によりごく小さな穴の開けられた痕跡があった。バクテリアによって分解されていたようだ。
首長竜と同様メソダーモケリスの化石にもハイカブリニナ属の巻貝やハナシガイ属の二枚貝を伴うものが発見されている。首長竜やモササウルス類が絶滅してクジラが現れるまでの間も、ウミガメの骨が化学合成生物群集に利用されていたようだ。
[アルケロン・イスキロス Archelon ischyros]
学名の意味:力強く統治するカメ
時代と地域:白亜紀後期(約7500万年前)の北米西部(サウスダコタ、ワイオミング)
成体の全長:4m(甲長2.2m)
分類:カメ目 潜頸亜目 ウミガメ上科 パンダーモケリス類 プロトステガ科
アルケロンは、史上最大のウミガメである。史上最大の潜頸類でもある。なお史上最大のカメは曲頸類のストゥペンデミスである。
プロトステガ科の代表的な種のひとつで、鱗板のない甲羅や大きな頭部などプロトステガ科の特徴をよく備えていた。
特に頭部は大きいものでは長さ1mにもなり、頑丈に発達していた。ただし上クチバシが猛禽のように鉤形に伸びた頭骨は補修時に延長されたもので、実際にはクチバシは少し長いとはいえワニガメ程度だったようだ。
背甲の骨格は棒状の肋骨や縁骨板が組み合わさったものだった。鱗板のある一般的なカメでは、肋骨は平たく広がって前後のものと組み合わさる。腹甲の骨格はとがった放射状の形をした胸骨板や腹骨板が並んだものだった。ウミガメとしては幅の広い甲羅をしていた。
前肢、後肢ともウミガメの鰭としてよく発達していた。特に前肢を左右に伸ばすと、大きなものでは差し渡し5mに達した。上腕骨に筋肉が付着する突起もよく発達していた。ただし羽ばたきの可動範囲が現生のウミガメより狭かったようだ。
北米西部内陸の限られた範囲で数えるほどの個体が見付かっているのみで、生息範囲はウェスタン・インテリア・シー(前話参照)の一部に限られていたと考えられている。これは新生代や現生のウミガメの多くが広い範囲に分布するのと対照的で、海流を利用して深い遠洋に泳ぎ出ていく習性はなかったと思われる。
浅い海で、固い殻を持つアンモナイトなどを捕食していたようだ。
[メソダーモケリス・ウンデュラトゥス Mesodermocherys undulatus]
学名の意味:縁骨板が波打っている中生代のオサガメ(ダーモケリスはオサガメの属名。意味は「皮のカメ」)
時代と地域:白亜紀後期(約8000〜7000万年前)の東アジア(北海道、淡路島、香川)
成体の全長:2〜3m(甲長1〜2m)
分類:カメ目 潜頸亜目 ウミガメ上科 パンダーモケリス類 オサガメ科
メソダーモケリスは、現在知られている中で特に基盤的なオサガメ科のウミガメである。
現生のオサガメは柔らかいクラゲを切り裂くことにのみ特化した牙状のクチバシと弱い顎を持つが、メソダーモケリスは他のウミガメと大差ない丈夫な頭骨に、餌を圧砕することのできる咬合面を持っていた。
また現生のオサガメは深海の水圧を受け流すため鱗板や丈夫な土台のない柔軟な甲羅を持つが、メソダーモケリスも鱗板はほぼ失っていたものの背甲の中央部に鱗板の痕跡を残していて、骨組みはオサガメと比べるとやや丈夫だった。縁骨板の内側の縁が波打った独特な形状をしていた。
前肢の鰭はよく発達していたようだ。
今のところ国内でしか発見されておらず、アルケロン同様白亜紀のウミガメによく見られる、局所的な分布を示す。初期のものより後期のもののほうが大型だった。
現生のオサガメとは対象的に、浅い海で固い殻を持つものを含む様々な生き物を食べていたようだ。
[シロムス・アエギプティアクス(クロベガメ) Syllomus aegyptiacus]
学名の意味:不明(種小名は「エジプトのもの」)
時代と地域:中新世〜鮮新世(約1500〜180万年前)の北米、ヨーロッパ、東アジア、エジプト
成体の全長:約1m(甲長最大70cm)
分類:カメ目 潜頸亜目 ウミガメ上科 パンケロニア類 ウミガメ科
シロムスは、新生代の後のほうになってから現れた、現生種とよく似た特徴を示す小型のウミガメである。
国内で発見されたものはクロベケリス
Kurobechelysという属に含められていたが、海外のシロムスとおそらく同種であると判明した。クロベガメという和名はこのクロベケリスという属名にちなむ。
頭部は小さく、クチバシの内側には骨質歯と呼ばれるとがった突起が並んでいた。これは植物の繊維を切り裂くのに適していて、植物食のカメに多く見られる特徴である。
甲羅はやや角ばった形状で、クサガメのように3本の陵が前後方向に走っていた。一般的なカメ同様、骨の土台が広がっていて、発達した鱗板があったのは明らかである。
四肢の形態についてはあまり詳しく分かっていない。
現生のアオウミガメのように、海藻や海草(海に進出した種子植物)を食べ、海流を利用して長距離を移動していたと考えられる。
[リゾストミテス・アドミランドゥス Rhizostomites admirandus]
クラゲやイソギンチャク、サンゴが含まれる刺胞動物門は動物の歴史の中でもごく初期に現れたと考えられるが、クラゲは水分含有量が非常に多いため、クラゲと考えられている化石はあるものの確実にクラゲと分かる構造が確認できるものは少ない。
一方リゾストミテスの場合は、根口クラゲ類に属すると考えられる構造がはっきり確認できる化石が、ドイツのゾルンホーフェンにあるジュラ紀後期(約1億5000万年前)の地層から複数発見されている。この化石はリゾストミテスの柔らかい体がそっと泥に埋もれて痕跡を残したもので、直径は最大で50cmに達する。
根口クラゲ類とは、タコクラゲやエチゼンクラゲなどの太い触手を持つグループで、触手の表面に口の役割をする小さな穴が多数開いている。この触手を口腕という。口腕が傘に取り付く部分は枝分かれしながら放射状に広がる筋となっていて、リゾストミテスの化石にはこの独特な筋の形状が確認できる。当時すでに根口クラゲ類としての体の構造を備えていたようだ。
[キクメイシ属の一種 Favia sp.]
多くの刺胞動物のグループは生活環の中に浮遊するメドゥーサ(クラゲ)の段階を持つが、花虫綱にはサンゴやイソギンチャクなどメドゥーサの段階を経ないものが属する。花虫綱は八放サンゴ亜綱と六放サンゴ亜綱に分かれ、六放サンゴ亜綱にイソギンチャクをバラバラのグループとして含む。この他に床板サンゴ亜綱と四放サンゴ亜綱が古生代まで生息していた。
キクメイシ属は六放サンゴ亜綱イシサンゴ目キクメイシ科に属する丸みを帯びた塊状のサンゴで、ジュラ紀にはすでに現れ、現在も広く生息している。
岩手県の宮古層群という白亜紀前期(約1億1000万年前)の地層からも化石が発見されている。当時日本列島はアジア東岸の一部であったが、現在ではサンゴが生息できないほど北方の地域から現生種にごく近縁なサンゴの化石が発見されたことから、当時の気候が温暖であったことが読み取れる。
[イソクリヌス・ハナイイ Isocrinus hanaii]
ウミユリは長い茎の先に小さな本体があり、そこから5本の枝分かれする腕を生やし、腕を丸く広げてプランクトンなどを捕える棘皮動物である。ウミユリ類のなかでもゴカクウミユリ類は三畳紀に現れ、現在も深海に生息している。
イソクリヌス・ハナイイは、宮古層群の浅い海で堆積した地層から発見されたゴカクウミユリ類である。現生のトリノアシと比べてややほっそりとした姿をしていた。また、腕の分岐の仕方が、捕食者からの攻撃を受けたときのダメージを軽減することより、餌を捕える効率を高めることを重視した、徐々に分岐する形になっていた。
ゴカクウミユリ類の化石の発見された地層の堆積環境を集計すると、白亜紀に入ってからは徐々に浅い海からの記録が減り、新生代にはほとんどなくなっている。
これと連動するように浅い海で固い殻のある生き物の殻を割って捕食する魚やカニの多様性が増していることから、ほとんど動けない上に細い部分の多いゴカクウミユリ類は捕食圧により浅い海から姿を消したと考えられる。宮古層群が堆積した海にはこれらの捕食者は進出していなかったようだ。
[セデンホルスティア・ダイイ Sedenhorstia dayi]
レバノンには白亜紀(約1億年〜8500万年前)の地層があり、非常に様々な魚類の保存状態の良い化石が多数産出している。セデンホルスティアはそのうちのひとつで、カライワシ目イセゴイ科に属する、10cm程度の魚である。体形は現生のイセゴイを小さく、やや丸っこくしたようなものであった。
[レボニクティス・ナムーレンシス Lebonichthys namourensis]
ソトイワシ目ソトイワシ科に属する、レバノンの白亜紀の魚類である。頭部のラインが丸みを帯びて下がる、現生のソトイワシによく似た姿をしていたが、全長10cm程度と小型だった。
カライワシ目やソトイワシ目は一見普通の魚のような(どちらかというとマス類に似る)姿をしているが、レプトケファルス幼生という、頭が小さく、胴体が上下に非常に幅広く薄い、透明の幼生の時期を経て成長する。これはウナギ目と共通していて、ウナギ目と合わせてひとつのグループを形成する。カライワシ目やソトイワシ目のレプトケファルスはウナギ目のレプトケファルスと違って分岐した尾鰭を持つ。
[スコムブロクルペア属の一種 Scombroclupea sp.]
ニシン目ニシン科に属するレバノンの白亜紀後期の魚類である。ニシン属に含める意見もあるようだ。ニシン目は白亜紀にはすでに繁栄していた。全長12cm前後で、現生のニシンやイワシによく似ていて、遊泳し続けるのに適した細長いV字の尾鰭を持っていた。
[ネマトノトゥス・ロンギスピヌス Nematonotus longispinus]
ヒメ目ヒメ科に属するレバノンの白亜紀後期の魚類である。全長15cmほどで、現生のヒメと比べ胸鰭が尖っていて、胴体が高かった。また背鰭の前方の先端がとても長く伸びていた。
[スティコケントルス・リラトゥス Stichocentrus liratus]
キンメダイ目イットウダイ上科に属するレバノンの白亜紀後期の魚類である。全長5cm程度で、アカマツカサなど現生の小型のイットウダイ科と同様眼窩が大きかったが、より体高が大きく丸い体形だった。
[マクロポモイデス・オリエンタリス Macropomoides orientalis]
ラティメリア(現生のシーラカンス)と同じラティメリア科に属する、白亜紀から中新世のシーラカンスである。レバノンの白亜紀の地層からも発掘されている。全長30cmほどで、おおむねラティメリアとよく似ていた。シーラカンスの真の尾鰭はごく小さく、尾鰭のすぐ近くまで迫った第3背鰭と第2尻鰭が実質的な尾鰭の役割を果たしているが、マクロポモイデスの真の尾鰭はラティメリアのものよりさらに小さかった。
[クレトラムナ・アッペンディクラータ Cretolamna appendicrata]
ネズミザメ目オトドゥス科に属する白亜紀後期のサメである。全長3mほどになり、現生のネズミサメ類と同様の体形をしていた。福島県いわきを始めとする国内の各地からも歯の化石が発掘されている。
[リノバトス・マロニタ Rhinobatos maronita]
現生のサカタザメ(ガンギエイ目サカタザメ科)と同属の、レバノンの白亜紀後期のエイである。現生種とほとんど変わらない体形で、胸鰭に当たる前半身の菱形部分の幅がやや狭かった。全長は40cm程度だった。
[メソリムルス・ワルキ Mesolimulus walchi]
カブトガニ類はシルル紀にはすでに登場し、おおまかな体型は現生種とそれほど変わらなかった。メソリムルスは前述のリゾストミテス同様ドイツ・ゾルンホーフェンの地層から発見されたジュラ紀後期のカブトガニで、全長は最大で50cmほどだった。すでに現生のカブトガニと実質区別がつかない姿をしていた。
足跡の化石もあり、長くメソリムルスの足跡が続いた先にその足跡を付けたメソリムルス自身が残っている化石も発見されている。
[キマトセラス属の一種 Cymatoceras sp.]
狭義のオウムガイ類(オウムガイ目)はデボン紀にすでに現れ、アンモナイトとも共存していた。キマトセラス属はジュラ紀末から漸新世末の世界各地に生息していたオウムガイで、殻の表面に放射状の細かくくっきりとした肋(凹凸の筋)があったのが特徴である。和歌山県でも有田層という白亜紀前期(約1億3000万年前)の地層から直径16.5cmの化石が発見されている。
[エリオン・アルティフォルミス Eryon artiformis]
十脚類(エビやカニの仲間)もデボン紀にはすでに現れていて、ゾルンホーフェンの地層からは様々なエビの化石が発掘されている。
エリオンもそのひとつで、現生のセンジュエビという深海性のエビに近縁である。全長は10cm程度で、カニを思わせる大きく幅広い頭胸部を持っていた。細長い鋏脚の先端に小さなハサミがあり、これで死んだアンモナイトの殻から軟体部を取り出して食べていたとも考えられている。
[パラエオパグルス・ヴァンデネンゲリ Palaeopagurus vandenengeli]
イギリスの白亜紀前期(約1億3000万年前)の地層から発見された、殻に入ったままの化石が見つかっている最も古いヤドカリである。貝の殻ではなく、シンビルスキテスという直径4cmの小型のアンモナイトの殻に入った状態の化石が知られている。平たい鋏脚で殻口をぴったりと閉じていて、片方の鋏脚のほうが大きい。
[ナミマガシワ属の一種 Anomia sp.]
ナミマガシワは、カキ目イタヤガイ亜目に属し、岩や貝殻に貼り付いて暮らしている小型の二枚貝である。
多くの二枚貝は左右の殻が対称な形をしているが、ナミマガシワでは右殻が物に貼り付く面を形成するだけの薄い平板のようなものになっていて、中央の穴から足糸という岩などに固着するための糸を出す。左殻は不定形で、こちらも貝殻としては薄い。現生種の殻は光沢が強く、白、レモン色、赤褐色などの鮮やかな色をしているため、装飾品に用いられることがある。ペルム紀の地層からもナミマガシワ属の化石が発掘されている。
淡路島の和泉層群から、ナミマガシワ属が複数貼り付いたプラビトセラス(前話参照)が発見された。ナミマガシワ属は死ぬと左殻が簡単に外れてしまうがこの化石では左殻がきちんと貼り付いていたこと、プラビトセラスの殻の両面にナミマガシワ属が貼り付いていたことから、このプラビトセラスが生きていた時に水中に浮かんだ状態でナミマガシワ属に貼り付かれ、その状態でナミマガシワ属が1cmほどに成長するまで暮らし、プラビトセラスごと埋もれて化石化したと考えられる。
[プレシオテウティス・プリスカ Plesioteuthis prisca]
頭足類の中でも鞘形類、つまりイカとタコのグループはジュラ紀には現れていた。イカのグループ(十腕類)にはベレムナイトと狭義のイカ、タコのグループ(八腕類)にはタコとコウモリダコが含まれる。
プレシオテウティスはゾルンホーフェンの地層から発掘される、全長30cmほどの鞘形類である。墨汁嚢も残った比較的保存状態の良い化石が多数発見されていて、現生のスルメイカなどのツツイカ類にとてもよく似た姿をしていたため、狭義のイカ類であると考えられてきた。しかし、近年の研究により、プレシオテウティスの鰭はイカのような1対ではなく、小さな丸い鰭が2対であったことが分かった。鞘形類のなかで2対の鰭を持つのはコウモリダコの幼生の一時期のみである。よって、プレシオテウティスは実際にはコウモリダコ類に含まれると考えられる。
なお腕には吸盤ではなく鉤爪が並んでいたが、これはコウモリダコ類だけではなくベレムナイトなどにも共通する特徴である。
[ラステルム・カリナートゥム Rastellum carinatum]
白亜紀前期にはトリゴニア類の二枚貝が繁栄していたが、より新しいタイプの二枚貝も現れ始め、次第に繁栄していった。和歌山県の有田層(約1億3000万年前)からも多数の二枚貝が発掘されている。
ラステルム・カリナートゥムもそのひとつで、イタヤガイ目のカキ類に属する、5cmほどの貝である。殻の合わせ目がジグザグ上になって噛み合っている特徴的な姿だった。
[ヒバリガイ属の一種 Modiolus sp.]
有田層の二枚貝のひとつで、イガイ目(ウグイスガイ目)イガイ科に属する4cmほどの貝である。現生のヒバリガイに似て殻全体が弧状に曲がっていて、岩礁に足糸で付着する生態も変わらなかったようだ。
[ナノナビス・ヨコヤマイ Nanonavis yokoyamai]
フネガイ目シコロエガイ科の、幅4cmほどの長方形のシルエットをした二枚貝で、有田層からは多数発掘されている。シコロエガイ科は足糸で礫に付着して生活する二枚貝である。
[パラエガ・ヤマダイ Palaega yamadai]
有田層からは甲殻類も発見されるようになってきている。パラエガは等脚類のスナホリムシ科、つまりグソクムシの仲間である。2cmほどの後半身のみが発見されている。
[ニッポノポン・ハセガワイ Nipponopon hasegawai]
カニ下目カイカムリ類のうちプロソポン科という絶滅科に属する基盤的なカニである。甲羅の幅2cmと小型だった。群馬県や徳島県でも発見されている。有田層では自由研究のイベントに参加していた小学2年生の手によって発掘された。
[エントリウム・サンチュウエンセ Entoliun sanchuense]
有田層の貝のひとつで、イタヤガイ類のエントリウム科という、ホタテに近い絶滅科に属する。現生のホタテ同様砂の上に横たわり、捕食者から泳いで逃げたと考えられる。ツキヒガイという貝によく似た円い形で、直径8cmほどだった。
[ホプロパリア・ナツミアエ Hoploparia natsumiae]
有田層の甲殻類のひとつで、アカザエビに近縁。頭胸甲3cmと小型だが、ハサミは5.5cmあり、細長く発達していた。有田層で初めて発見された種で、種小名は発見者の熊谷菜津美氏(発見当時は大阪府阪南市在住の小学4年生で、和歌山県立自然博物館による教育普及イベントに参加していた)にちなむ。
[レサトリックス属の一種 Resatrix sp.]
有田層の貝のひとつで、アサリやハマグリと同じマルスダレガイ科に属する新しいタイプの二枚貝である。幅は3cmほどで、アサリやハマグリと同様水管があって、砂に埋まって水管を出していたと考えられている。
[カリアナッサ・サカクラオルム Callianassa sakakuraorum]
有田層の甲殻類のひとつで、現生のスナモグリと同属である。腹部の長さが2cm程度の小さな甲殻類だった。右のハサミが太く発達していた。
[ハボウキガイ属の一種 Pinna sp.]
有田層の貝のひとつで、同属のタイラギ同様、砂に刺さって暮らす鋭角な二等辺三角形の二枚貝であったと考えられるが、縁の側が欠けた長さ18cmほどのものなど、断片的な化石が多い。
[プロヴァンナ・ナカガワエンシス Provanna nakagawaensis]
プロヴァンナ属は化学合成生物群集に加わっているごく小型の巻貝である。現生種としてはサガミハイカブリニナ
Provanna glabraなどがある。
メソダーモケリスの周囲から見つかったウミガメ骨生物群集の巻貝は、プロヴァンナ・ナカガワエンシスと見られる種である。長さ5mm程度の細長い貝で、先端が生きていた時に欠けて内側から補修されていた。全体のシルエットや先端が欠けていることはサガミハイカブリニナによく似ていたが、殻全体に網目状の出っ張りがあってやや角張って見えた点が異なる。
第五十五話
[クジラ]
白亜紀末の大量絶滅により、海洋生態系において大型四肢動物の生態的地位は空白になった。そのため、新生代になって新たに海洋に進出する動物が現れた。そのうち最も本格的に海洋に適応したのがクジラである。
分子による系統解析では、クジラに最も近縁な現生哺乳類は偶蹄類の中のカバ科である。アントラコテリウム類というグループがカバとクジラの共通祖先に最も近いと言われている。
分岐分類学的な観点を重視する場合、クジラは偶蹄類の一部に含まれ、クジラを含む偶蹄類を鯨偶蹄類と呼ぶ。クジラを含まない偶蹄類は側系統群(ある共通の祖先を持つ系統から便宜的に一部を除いた集まり)ということになる。
しかし化石による証拠で偶蹄類とクジラが近縁であると確かめられるのは、分子による解析より遅れていた。
化石偶蹄類で最もクジラに近縁なのはラオエラ科という、現生のマメジカ類に似た大きさ・体形の動物であった(マメジカ類と直接の類縁関係はない)。最も詳しく分かっているのは始新世初めのインドヒウス
Indohyusで、全長40cmほどの水辺の動物であった。骨の一部が重く、水中での行動を容易にしていた。こうした小型の動物が捕食者から水中に逃れ、水中で魚などを捕食するようになったことが、クジラの水生適応の始まりだったようだ。
クジラであると認められている最も古い動物はパキケトゥス(後述)のようなパキケトゥス科のもので、すでにかなり水に依存していたが、ラオエラ科と同様淡水の水辺で暮らしていた。顎は長く歯は尖っていて、捕食性だった。この後バシロサウルス科まで、いずれも長い吻部と尖った歯を持っていた。耳骨が頭骨と分離するという、後のクジラと共通する特徴をすでに備えていた。
ラオエラ科とパキケトゥス科のどちらも、後肢の足首を構成する骨のひとつである距骨の両端が球体関節状ではなく滑車状になっていた。足首を左右に柔軟に動かすことは難しくなるが前後に素早く動かすことができる形態で、偶蹄類に固有の特徴である。
パキケトゥス科の後にアンブロケトゥス科のアンブロケトゥス
Ambulocetusやレミングトノケトゥス科のクッチケトゥス
Kutchicetusなど、腰のくねりを泳ぎに利用する、より水中、さらに海への依存度が高いものが現れた。これらはしっかりした四肢を持つことから陸を歩けたと考えられていたが、前肢が取り付く胴体前部の肋骨の強度が低いことから、陸上で体重を支えることができなかったという研究結果もある。
発掘された地層や酸素同位体の比率によると、パキケトゥス科は淡水性で、レミングトノケトゥス科から後のクジラは海水性であったようだ。アンブロケトゥス科は酸素同位体からは淡水性であったことが示唆されるが、共産化石からは海水とのつながりも見られる。
パッケトゥス科、アンブロケトゥス科、レミングトノケトゥス科はインドやパキスタンからのみ知られるが、プロトケトゥス科のものはアフリカや北米からも発見されている。プロトケトゥス科のもののうち、例えばロドケトゥス
Rodhocetusはまだ後肢が大きく、主に後肢を泳ぎに用いていたが、マイアケトゥス
Maiacetusは尾がより発達し、泳ぐときにかなり尾の力を用いていたようだ。マイアケトゥスの胎児を含んだ化石が発見されていて、胎児の頭は尾のほうに向いていた。これは現生クジラの多くの場合と逆に頭から産まれたことを示す。
後期始新世のバシロサウルス科になると後肢は大幅に退化し、尾が発達していた。現生クジラのように尾の力で泳いだことが確実である。しかしバシロサウルス亜科のバシロサウルス
Basilosaurusは尾が非常に長い割に尾鰭が小さかったと考えられる。尾全体のくねりによる泳ぎかただったようだ。
ドルドン亜科のドルドン(後述)やジゴリザ
Zygorhyzaは胴体や尾の形態が現生のクジラによく似ていて、発達した尾鰭の力で泳いでいた。ドルドン亜科のものは世界的に分布を広げつつあった。
しかしドルドン亜科を含めバシロサウルス科のものは、鼻孔が上顎の中程にある、切歯と臼歯の形態が異なる(切歯は円錐状で頬歯は大きな鋸歯のある刃状)、前肢の上腕骨が長く肘が完全に固定されていない、後肢が完全に退化せずおそらく体の表面に突出していた、等の、現生のクジラと比べて原始的な特徴を持つ。
漸新世に入るとこれら古いクジラはケケノドン科のみが生き残り、代わって現生のヒゲクジラやハクジラにつながるものが現れた。
現生のクジラの系統では、鼻孔より前が伸び後方は縮む「テレスコーピング」がさらに進んだ。前肢の上腕骨が縮んで肘と手首が固定され、前肢全体が一枚の板のような鰭になった。骨盤と後肢の要素が減って体内で性器の筋肉を支える役目のみの骨になった。耳骨は頭骨から完全に分離しつつ頭骨の側面からは見えなくなった。吻部の骨は正中で分離し溝ができた。ハクジラでは全ての歯の形がほぼ同じになった。
ヤノケトゥス
Llanocetusやママロドン
Mammalodon、アエティオケトゥス
Aetiocetusといったごく初期のヒゲクジラはまだ歯を持っていた。これらの多くは全長4mほどであったがヤノケトゥスは8mほどになったようだ。現生のカニクイアザラシのように、粗い鋸歯のある歯を小さな餌を濾し取るのに使ったのではないかとも言われていたが、その割には歯と歯の間の隙間が広く、むしろ歯によって餌を捕える補助として、口の中の粘膜から変化したクジラヒゲを得たと思われる。
中新世になると現生の科に属するものを含め歯のないヒゲクジラが多様化した。吻部が薄く大きくなり、鼻孔がやや後方に移動して、現生のナガスクジラ科とよく似た形態になりつつあった。摂餌方法もナガスクジラ科と同様、獲物を開いた口の正面から吸い込んで側面のヒゲで濾し取る方法だったようだ。
歯のないヒゲクジラのうち現生の科に属しないものはケトテリウム科というグループに放り込まれていたため、分類が錯綜している。イサナケトゥス(後述)、チチブクジラ
Diorocetus chichibuensis、ミズホクジラ
Herpetocetus sendaicusなど国内でも多数発見されている。フォッサマグナが結合する前の、多島海だった日本周辺に多く生息していたようだ。こうしたヒゲクジラの化石は、前期中新世には全長4〜5mとされるものが多かったが、次第に大型化した。ヤマオカクジラ
Parietobalaena yamaokaiの成体は15m前後に成長したともいわれる。
ケトテリウム科とされていたもののうちエオミスティケトゥス科は独立した科としてまとめられている。エオミスティケトゥス
Eomysticetusは非常に長い吻部が特徴で、頭骨の長さは160cm、全長は8mほどに達した。
現生のヒゲクジラ各科(ナガスクジラ科、セミクジラ科、コセミクジラ科、コククジラ科)に属するものはコセミクジラ科以外大型化した。ナガスクジラ科のものは口を開閉するのに水の抵抗と靭帯の力を利用することで必要な筋力を減らして摂餌の効率を高め、ナガスクジラ科以外のものは独自の摂餌方法を獲得した。
一方、ゼノロフス
Xenorophusやアルカエオデルフィス
Archaeodelphisのような、切歯と臼歯がほぼ同じ形で、頭部にメロンと呼ばれる脂肪の塊を持つハクジラも、漸新世にはすでに多様化して、現生のグループにつながるものが順次現れていった。
現生のハクジラで最も基盤的なものはマッコウクジラの系統である。シガマッコウクジラ
Brygmophyseter shigensisやリヴィアタン
Livyatanなど大型の獲物を捕食したらしきものもいた。
ガンジスカワイルカ上科は前期中新世にはハクジラの中でも特に多様化していた。スクアロドン
Squalodonやワイパティア
Waipatiaなど現生のイルカに似た形態だったようだ。
次いでアカボウクジラ科が現れたようだが、あまり保存状態の良い化石が揃っていない。
ユーリノデルフィス科は後期漸新世から中期中新世に特有のグループで、ユーリノデルフィス
Eurhinodelphisは吻部、特に上顎がカジキのように非常に長く伸びたイルカだった。瑞浪層群からも発見されている。
ヨウスコウカワイルカ上科、ラプラタカワイルカ上科、アマゾンカワイルカ上科は後期中新世から鮮新世には繁栄していたようだ。アワイルカ
Awadelphisやパラポントポリア
Parapontoporiaなど吻部のとても細長いイルカが多かった。
マイルカ上科は最も後に現れた系統である。特に基盤的な中期中新世のケントリオドン
Kentriodonの時点で現生のマイルカ科のイルカによく似ていたが、ケントリオドン科から左右非対称の特異な頭部を持つオドベノケトプス
Odobenocetopsを含むイッカクの系統や、ヌマタネズミイルカ
Numataphocoenaなどのネズミイルカの系統、そしてマイルカ科が派生した。
[イサナケトゥス・ラティケファルス Isanacetus laticephalus]
学名の意味:幅広い頭を持った、勇魚(いさな)と呼ぶにふさわしいクジラ
時代と地域:前期中新世(約1700万年前)の北太平洋西側沿岸(三重県、岐阜県)
成体の全長:不明(亜成体の全長は4〜5m)
分類:北方獣類 鯨偶蹄目 鯨河馬亜目 ヒゲクジラ下目 "イサナセタスグループ"
イサナケトゥス(イサナセタス)は、三重県の阿波層群平松層と岐阜県の瑞浪層群山野内(やまのうち)部層で発見されたヒゲクジラである。現生のナガスクジラ科とよく似た姿をしていたと考えられるが、発見されている化石はいずれもごく小型である。
ラティケファルス種が報告されたのは2002年で、2016年・2017年に発見された瑞浪のヒゲクジラは同属の別種とされる。
ラティケファルス種は頭骨を中心に、5個の脊椎、下顎と肋骨の断片が発見されている。
平松層から発見された頭骨は長さが1mほどで、全長は4〜5mだったと推定される。ただし、この頭骨には耳を構成する耳周骨と鼓骨の縫合線が完全に癒合していないという、成熟していないヒゲクジラの特徴が見られる。
かつてケトテリウム科に分類されていたような、現生のヒゲクジラの科に属さないヒゲクジラだが、ケトテリウムと異なり前頭頂骨と吻部の境界が直線的である。ケトテリウムではこの境界がV字形をしている。イサナケトゥスと同じ特徴を持ちながらケトテリウム科に分類されていたヒゲクジラを"イサナセタスグループ"と呼ぶことがある。
後頭部の側面にある鱗状骨の後関節突起が下に張り出すのが、イサナケトゥスの独自の特徴である。
鼻孔は眼窩の少し前方に位置していた。テレスコーピングが進んでいたといえるが、現生のヒゲクジラほどではなかった。
吻部が比較的幅広かった。上顎の内側は現生のヒゲクジラと同様、浅いm字型の面を形成し、深い溝が放射状に走っていた。この溝はクジラヒゲに栄養を与える血管が収まる溝であり、現生ヒゲクジラ同様にクジラヒゲが発達していたことが分かる。
中新世には東海地方の南側から海が湾状に入り込んで、海岸線の位置が時代により前後した。1700万年前には海が大きく進出して瑞浪に達し、瑞浪は水深30mほどの海となっていた。イサナケトゥスはこの湾に生息していた。
この湾が前後の時代と同様温暖な気候であったか、デスモスチルスやエゾイガイのような北方系の動物の化石が示すとおりやや冷涼な気候であったかははっきりしていない。瑞浪近辺はエゾイガイの殻が合わさったまま密集した化石が示すとおり、エゾイガイが付着するような流木など浮遊物の多い海だったようだ。
なお、2016年・2017年に発見された同属別種の化石は、椎骨と肋骨を含むものと、吻部の一部、頭蓋、下顎、椎骨、肩甲骨、上腕骨を含むものの2体であった。前者は未成熟個体であると考えられる。後者はさらに非常に若い個体であるものの、すでに平松層のラティケファルス種の頭骨に近い大きさだった。
[ビカリア・ヨコヤマイ(ヨコヤマビカリア) Vicarya yokoyamai]
学名の意味:ヴィカリー氏と横山又次郎博士のもの(ヴィカリーなる人物の詳細は不明)
時代と地域:前期中新世(約2000〜1500万年前)の北太平洋西側沿岸(日本各地)
成体の殻高:10cm弱
分類:軟体動物門 腹足綱 吸腔目 キバウミニナ科(フトヘナタリ科)
ヨコヤマビカリアは、日本各地の中新世の地層から発掘されている比較的大型の巻貝である。
全体は円錐形で、殻の高さが最も太い部分の4倍ほどある。巻きに沿って殻の表面に深い溝が数本走り、太く短い棘が並んでいる。円錐部分は丸みを帯びて終わり、丸い殻口がくっきりと目立つ。
貝殻は化石に残りやすいものの、他の生き物の化石同様、通常は生前の色が失われる。しかしビカリアの中には色や模様が残ったもの、紫外線を照射すると模様が浮かび上がるものがある。こうしたものから、ヨコヤマビカリアの殻は生前赤褐色をしていて、殻の巻きに沿った黒い縞があったと考えられている。
現生のキバウミニナやフトヘナタリといった、マングローブ林の浅瀬に生息する巻貝にごく近縁である。ビカリアの化石が発見された各地の地層も中新世の当時はマングローブの浅瀬で、ビカリアは現生の近縁種と同様、落ち葉をかじり取ったり有機物をなめて暮らしていたと考えられている。
ビカリアの殻の内側に珪酸鉱物が充填し、殻そのものは溶解して失われ、珪酸鉱物だけ残ることがある。これは殻の内側の空間と同じ螺旋形をしていて、多くは白い色をしているが、中には赤みがかったものもある。これらは古くから「月のおさがり」「日のおさがり」と呼ばれ、月の神や太陽の神の大便に見立てられ珍重された。瑞浪層群のうちビカリアの発掘される月吉層という地層の名は、月のおさがりが見付かったことから月の神の休んだ土地として付けられた月吉という地名にちなむ。
[デスモスチルス・ジャポニクス Desmostylus japonicus]
学名の意味:日本の束ねた柱
時代と地域:前期中新世(約1700万年前)の北太平洋西側沿岸(日本の島根県以北、サハリン)
成体の全長:2〜3m
分類:アフリカ獣類 束柱目 デスモスチルス科
束柱類は円柱を束ねたような形の臼歯を基に名付けられた、現在は絶滅している水生もしくは半水生の大型哺乳類である。デスモスチルスは束柱類を代表する属とされるが、束柱類の中で最も後に現れた。
カバに近い大きさがあり、胴体と四肢の骨格も一見カバに似ていたが、四肢の関節を中心に難解な特徴が多く、比較すべき他の動物もいないため、長い間復元像が定まっていなかった。
80年代以降、他の動物に似せるアプローチではなく筋肉の付き方や関節の可動範囲などを検討するアプローチにより姿勢が推定されるようになってきている。
現在主流となっている復元像は二通りである。
「犬塚復元」では、前肢をワニのように左右に這いつくばらせ、波打ち際で波に倒されないよう踏ん張って暮らしていたと考える。
「甲能(こうの)復元」では、前肢を水かきとして真下に伸ばし、もっぱら遊泳していたと考える。
いずれの復元像でも、後肢はカエルのように左右に引き縮めるようになっている。
以前はカバのように陸上を歩くとされていたが、復元像の確立とともに水生傾向が強かったとみられるようになり、さらに近年の検討では遊泳性の動物のような密度の低い骨や強度の低い肋骨を持っていたことが分かったため、ほとんど陸に上がらなかったとも言われるようになってきている。
胴体の骨は密度が低かったが顎の骨は密度が高く、セイウチのように頭を下にして潜水するのに適していたとも言われる。
頭部はカバのような大きなものではなく、鰭脚類のような流線型だった。眼窩や鼻孔が上寄りであることも水生傾向を示している。しかし吻部の先端は平たく、牙は前を向いていた。デスモスチルスは吻部の幅が狭く、近縁のパレオパラドキシアは吻部の幅が広かった。口先にはセイウチと同じような感覚毛があったとされる。
前述のとおり円柱を束ねたような形の臼歯があり、近縁のゾウやジュゴンと同じく、下からではなく後ろから新しい歯が生えてきた。この臼歯の用途も長らく不明で、何を食べていたのか分からなかった。顕微鏡による微細な傷の観察が行われた結果でもあまり食性が絞り込まれず、少なくとも固いものを噛み割っていたのではなかった。
臼歯と筋肉の向きや位置の検討が行われた結果、食物をすりつぶすことよりただ単に噛みしめることに向いていたことが分かった。噛みしめると顎がしっかり固定され、口先には隙間ができ、食物を吸い込むことが容易になる。また同位体を用いた分析の結果、デスモスチルスは汽水で得られるものを食べていたことが分かった。
以上のことにより、デスモスチルスは汽水の水底に向かって潜り、砂の中にいる無脊椎動物を吸い込んで食べていたのではないかと言われている。
束柱類は北太平洋沿岸で化石が発見されている。デスモスチルスの頭骨は瑞浪層群で、全身骨格はサハリンで初めて発見されている。また北海道を中心に日本各地から束柱類の化石が発見されていて、これにより日本は戦前から束柱類の研究が進んでいる。
中新世は全体的には温暖な時期で、瑞浪層群でいえばほぼ亜熱帯の気候であったが、デスモスチルスが発掘された層が堆積した時期には北からの海流が流れ込んで温帯気候となっていたともいわれる。デスモスチルス属は主に北太平洋の北部に生息していて、岐阜県へは海流の南下に乗じて北から分布を広げてきたようだ。
[アロデスムス・ケロッギ Allodesmus kelloggi]
学名の意味:レミントン・ケロッグ氏の異なった類縁
時代と地域:中新世中期(約1500万年〜1000万年前)の北太平洋沿岸(日本、北米)
成体の全長:2〜3m
分類:北方獣類 食肉目 イヌ亜目 鰭脚下目 デスマトフォカ科
アシカ、アザラシ、セイウチの仲間はまとめて鰭脚類と呼ばれ、イヌ、ネコ、クマなどと同じ食肉類に含まれる。このグループには上記の3つ以外にもう一つデスマトフォカ科という、アザラシに近縁で絶滅したグループがある。アロデスムスは代表的なデスマトフォカ類の一つであり、トドと同等の大きさになる大型の鰭脚類だった。
同じ鰭脚類でもアシカとアザラシでは泳ぎ方が異なり、アシカはペンギンのように翼状の前肢を羽ばたかせて進むのに対して、アザラシは魚の尾鰭に似た後肢を交互に振って進む。しかしアロデスムスはアシカに似た前肢とアザラシに似た後肢を兼ね備えていて、おそらく二つの泳ぎ方を使い分けていた。
頭部は平たかった。また臼歯は比較的大きく、どれもやや後ろにカーブした単純な円錐形をしていた。どちらかというと大きめの魚やイカを食べるのに適した形状だが、現在の多くの鰭脚類がそうであるように、状況によって最も手に入りやすいものを中心に食べていたと思われる。眼窩は大きく、深く潜っても視覚で餌を探すことができたと考えられる。
オスがメスより大柄であるという、はっきりとした性的二型が確認されている。例えば恐竜などの場合化石から性別を判断するのは難しいとされるのとは対照的である。アシカ類やゾウアザラシのように、繁殖期には多数のメスが群れをなし、一頭のオスが自分のテリトリー内のメス全員を繁殖相手とするハレムを形成したのではないかと言われる。また、その場合は繁殖期でないときには長距離の回遊を行って栄養の摂取に専念しただろう。
鼻孔が吻部の上面に大きく開いていることも性的二型と関連付けられて、オスはゾウアザラシのように大きく柔軟な鼻を持っていたとする復元が多い。
デスマトフォカ類が生息していた中新世中期にはまだいわゆる「氷河期」は訪れておらず、温暖な気候だった。それ以降に寒冷化が起こったことにより、デスマトフォカ類は餌生物や上陸可能な陸地の確保、体温調節に大きな影響を受けて絶滅したようだ。現在もキタオットセイなどは海水温や流氷の広がる範囲などの年ごとの変化に大きな影響を受けながら生活している。
[ドルドン・アトロックス Dorudon atrox]
学名の意味:獰猛な槍の歯
時代と地域:後期始新世(約4000〜3100万年前)のエジプト
成体の全長:5.5m
分類:北方獣類 鯨偶蹄目 鯨河馬亜目 ムカシクジラ下目 バシロサウルス科 ドルドン亜科
ドルドンは、始新世のテチス海と呼ばれる海に生息していたクジラである。ドルドン亜科に関する前述の特徴のとおり、全体的には現生のクジラによく似た体形をしていたが、原始的な特徴を数多く備えていた。
吻部は鼻孔から前が細く、鼻孔の位置から後頭部にかけて幅が広がっていった。口を閉じるための筋肉が取り付く矢状稜はよく発達していた。眼窩は最も幅広い区間にあった。吻部の細い区間には円錐状の歯が生え、後半には大きな鋸歯のついた刃状の歯が生えていた。
脳は大きくなく、メロンが収まるくぼみはなかった。
下顎の後方内側には大きな穴が開き、下顎内部の空洞に通じていた。これは現生のクジラにも共通する特徴で、下顎で受けた音の振動を脂肪体を通じて中耳に伝えるという、現生のクジラと同じ聴覚の仕組みが完成していたと考えられる。しかし外耳道はふさがっていなかったようだ。
頸椎はかなり短縮して、頭部に加わる大きな水の抵抗を受け止め、また頭部が大きく向きを変えて泳ぐ方向がぶれるのを防ぐようになりつつあったが、個々の頸椎は癒合していなかった。
現生のクジラと異なり上腕骨は前腕の骨と同じくらいの長さで、指はあまり長くなっておらず、肘がはっきりしていた。前肢の各骨要素は平たく、どちらかというと鰭脚類のものに似ていた。
脊椎の棘突起はかなり発達していた。尾を動かす筋肉は太かったようだ。尾鰭も大きかったと考えられる。
骨盤や後肢はごく小さかったが各要素がよく残っていた。交尾の際に相手を固定するのに用いられたのではないかとも言われる。
ドルドンの生息していたテチス海は、三畳紀にはCの字形をした超大陸パンゲアの内側全体に広がっていたが、大陸移動とともに変形し、始新世には後の地中海とあまり変わらなくなっていた。
ドルドン自身も活発な捕食者だと考えられるが、より大きなクジラの歯型が残った化石も知られている。歯型の間隔から、当時特に大型であったバシロサウルスによるものだと考えられている。
[パキケトゥス・アトッキ Pakicetus attocki]
学名の意味:パキスタンのアトック盆地のクジラ
時代と地域:前期始新世(約5000万年前)のパキスタン
成体の全長:約1.5m
分類:北方獣類 鯨偶蹄目 鯨河馬亜目 ムカシクジラ下目 パキケトゥス科
パキケトゥスは、発見されている中で最も基盤的とされるクジラである。全体的には、頭がとても長いことを除くとイヌ科の肉食獣のような姿をしていた。
胴体もやや細長いが頭部の長さは胴体の長さの6割ほどにも達した。
頭骨全体がくさび形をしていて、歯は哺乳類らしく3つの形に分かれていたがどれも尖っていた。後頭部と顎が発達し、顎の力は強かったようだ。
眼窩が非常に上寄りになっていて、頭部上面のごく狭い幅に左右の眼窩が並んでいた。鼻孔は吻部先端の上面にあった。
四肢はやや細く短いものの陸上哺乳類とあまり変わらなく見えた。しかし四肢の骨の骨膜(骨髄の空洞を取り巻く壁)は厚く、重くなっていた。これは陸上で四肢を速く振って走るより、水中で体を安定させるのに適した構造である。手足の指はあまり長くなっておらず、水かきがあったとしても大きくはなかったようだ。前述のとおり後肢の距骨には二重滑車構造が見られる。
テチス海近辺の淡水の水辺で暮らし、敵から逃げる際や餌を探すときに水中に潜ったようだ。
第五十六話
[翼竜]
翼竜は、三畳紀から白亜紀末にかけて生息していた飛翔性の爬虫類である。滑空ではなく羽ばたきによる動力飛行を行った初めての脊椎動物である。
中空構造により軽量化された骨を持ち、前肢は長く発達して翼面を形成する皮膜を支える。
翼竜の前肢で最も特徴的なのは、第4指が長く発達し、翼の長さの半分以上を占めていることである(鳥類では癒合した第2・第3指が風切羽を支え、翼手類(コウモリ)では第2〜5指が放射状に伸びて皮膜を支える)。第5指は完全に退化し、第1〜3指は短い。
手首関節には翼支骨という、翼竜に特有のとても細い棒状の骨がある。これが皮膜のうち前肢の骨より前の部分を支えていたのは確かであり、翼中央部の翼断面形を決定あるいは調節し飛行中の運動に影響を与える重要な役目を負っていたことになる。
翼断面の形状、特にカマボコ形に湾曲していることは効率よく揚力を発生させるために重要だが、翼支骨が前下方に伸びることで広く湾曲した翼面を形成して大きな揚力を発生させたという説と、それでは強度が足りないため翼支骨は化石記録どおり手首関節から胴体のほうへ向き、前縁の細長い可動部分を支えていたという説がある。後者の場合、皮膜の張力と弾力で翼全体の湾曲を保っていたことになる。
皮膜の痕跡が残った化石が複数見付かっていて、それによると皮膜の内部にはアクチン様繊維という直径0.05mm程度の繊維が0.2mmほどの間隔で平行になって含まれていた。これにより翼面は皮膜といえども破れづらく、しわが寄りづらく、形状をよく保つ丈夫なものになっていたようだ。この繊維は胴体の近くでは胴体にほぼ平行で短く、翼端に近付くにつれ長く第4指に平行になっていった。
皮膜が胴体側でどれだけ後方にまで付着していたかははっきりせず、胴体のみに付着していたもの、後肢の膝まで、あるいはかかとまで続いていたものなど、種類によって異なったと考えられている。また後肢の間や尾と皮膜の関係についても同様である。例えばソルデス
Sordesの場合、皮膜が後肢のかかとまで達して後肢の間にも広がり、尾には付着していなかったようだ。
前肢と対照的に後肢は発達しておらず細く、前肢と比べて短かった。骨盤も小さく弱々しかった。地上を歩くときや離陸するときも後肢の力にあまり頼らず、前肢の第1〜3指を地面について4足歩行し、前肢で地面を押すようにして飛び上がったと考えられる。
翼竜は飛ぶときに後肢を左右に開き、コウモリのような姿勢で飛んでいたと考えるのが一般的であった。しかし、ウズラ等現生の鳥類と靭帯の付き方を比較した結果、翼竜もそれほど後肢を背面側に上げることはできなかったのではないかという異論が出されている。もしこのとおりであれば、前肢の皮膜と後肢の関係も見直すことになる。
胴体の胸郭部分は頑丈でコンパクトにまとまっていた。肩甲骨や胸骨は発達して前肢の翼からの力を受け止める土台になり、また翼を羽ばたかせる筋肉を付着させていた。脊椎はあまり曲がらず、白亜紀の一部のものでは一体化してノタリウムという骨になり、肩甲骨を直接関節させていた。
頭部は多くのもので胴体と同等かそれ以上の長さに発達していたが、非常に軽量化されていた。視力や平衡感覚が発達していたようだ。
尾は細い棒状で、曲がらないようになっていた。アヌログナトゥス科のものとプテロダクティルス亜目のものでは短く退化していた。
翼竜が恐竜やワニを含む主竜類に属することは確かだが、飛行の起源を含めた他の主竜類との関係はあまりはっきりしていない。体毛の痕跡が見付かっていることからも、同じく体毛状の羽毛を持つ恐竜と近縁である可能性が高い。
また翼竜の骨は細いものや中空のものが多かったためよく保存されていることが少なく、翼竜について詳しく知ることのできる化石が残された地層は限られている。
以下、主な翼竜の発掘地に沿って各年代の翼竜を概説する。
知られている最古の翼竜であるエウディモルフォドン
Eudimorphodonやプレオンダクティルス
Preondactylusはイタリアの三畳紀後期の地層から発見されていて、いずれもすでに翼竜としての基本的な体型や特徴をすっかり備えていた。またやや長い頭部と細長い尾を備えていた。
このような尾の長い翼竜は便宜的にランフォリンクス類という側系統群として呼ばれる。尾の長さ以外に、鼻孔と側頭窓が分かれていたこと、中手骨が短かったこと、後肢の第5指が長かったことなどが特徴である。地上では前半身を高く保つ働きがある中手骨が短いことから、体と尾を水平にしていたようだ。また後肢の第5指を後肢の間の皮膜を支えるのに用いていたとも言われる。
ジュラ紀に入るとディモルフォドン
Dimorphodonやランフォケファルス
Rhamphocephalus、ドリグナトゥス
Dorygnathusなど、ランフォリンクス類の翼竜が多様化していった。
またジュラ紀中期の時点でダルウィノプテルス
Darwinopterus等、後のプテロダクティルス類につながる特徴を持ったものが現れていた。これらは尾は長いが、頭骨の鼻孔と側頭窓がつながっていて、頸椎に頸肋骨がなかった等、主に前半身にプテロダクティルス類の特徴が見られた。
プテロダクティルス類は上記の特徴に加えて、尾と後肢の第5指が退化し、中手骨が長かった。頭部をやや下向きにして、地上では体を起こしていたようだ。
ドイツのゾルンホーフェン地方で主に知られているジュラ紀末の地層は、世界有数のラーガシュテッテ(多様な化石を多数産出する地層)として知られている。この地層は外海とのつながりが限られた静かな礁湖の、酸素の乏しい水底で堆積したもので、翼竜の化石も特に保存状態の良いものが多種発見されている。後述の5種の他にキクノランフス
Cycnorhamphus、アヌログナトゥス
Anurognathus、グナトサウルス
Gnathosaurus等、当時の翼竜の多様性を特に詳しく記録しているとされている。ここではランフォリンクス類とプテロダクティルス類が混在していた。
白亜紀になるとランフォリンクス類はほぼ姿を消し、プテロダクティルス類が繁栄した。また、それまでの翼竜が大きくても翼開帳2m程度だったのに対して、より大型のものが現れるようになっていった。
白亜紀前期の中頃の翼竜について詳しく分かる地層は中国の遼寧省にある熱河層群である。内陸の湖の地層だが、ゲゲプテルス
Gegepterusやプテロフィルトルス
Pterofiltrus等のクテノカスマ類、ハオプテルス
Haopterusをはじめとするオルニトケイルス類、タペヤラ類のシノプテルス
Sinopterus、アズダルコ類のエオプテラノドン
Eopteranodon等、後の他の地域を代表する翼竜の近縁種がすでに現れていた。
一方、白亜紀前期終わり頃の翼竜について詳しく分かる地層はブラジルのサンタナ層群である。大型のオルニトケイルス類であるアンハングエラ
Anhangueraやアラリペサウルス
Araripesaurusのように海で獲物を捕らえたとされるものや、タペヤラ類のタペヤラ
Tapejaraやトゥパンダクティルス
Tupandactylusのように陸上の植物から餌を得た可能性があるもの、さらにタラッソドロメウス
Thalassodromeusのように地上の小動物を捕えた可能性があるものなど、多様な環境に暮らしていたと思われる翼竜が含まれている。
白亜紀後期の翼竜を産出する代表的な地層は、北米大陸西部を南北に貫いていたウェスタン・インテリア・シーで堆積したニオブララ層群である。大型のプテラノドン類が複数発見されていて、翼竜の研究に大いに貢献してきた。翼開帳6m程のプテラノドン
Pteranodon、さらに大型になるゲオステルンベルギア
Geosternbergia、翼開帳2〜3m程度だが非常に長大なトサカを持ち前肢の第1〜3指を失っていたとされるニクトサウルス
Nyctosaurus等で、長い翼と歯のないクチバシを備え、洋上を長距離飛行して餌となる魚や軟体動物を探したと考えられる。
白亜紀後期〜末の地層から史上最大の飛行動物であるアズダルコ類が世界各地から発見されているが、ケツァルコアトルス
Quetzalcoatlus、ハツェゴプテリクス
Hatzegopteryx、アランボウギアニア
Arambourgiania等いずれも翼開帳10mに達すると言われるものの化石は断片的であり、小型種のみからの推定により復元されているのが現状である。これら最大級の翼竜に関しては多様性の一端が垣間見えてきたという程度で、生態はほとんど分かっていない。
ウミガメを除く海洋性爬虫類やアンモナイト、陸上の非鳥類型恐竜と同様、翼竜も白亜紀末に絶滅した。
[プテロダクティルス・アンティクウス Pterodactylus antiquus]
学名の意味:古代の翼の指
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)の主にヨーロッパ(ドイツ)
成体の翼開帳:1m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 アルカエオプテロダクティルス上科 プテロダクティルス科
プテロダクティルスは、初めて認知された翼竜である。翼竜研究史における初期の基本的な知見を得る上で、ゾルンホーフェンの非常に保存状態の良いプテロダクティルスの化石が多いに貢献した。
プテロダクティルス類としてまとめられる尾の短い翼竜のグループの中では基盤的なものである。
細長いクチバシには小さく尖った歯が間を開けて並んでいた。眼窩は大きく、強膜輪の形状から昼行性と推定される。頭頂部には軟組織(おそらく角質)のトサカがあったようだ。
他の翼竜と比べて、前肢の骨のうち上腕骨が比較的長く、中手骨はプテロダクティルス類としてはそれほど長くなかった。地上では浅く体を起こして立っていたようだ。
特に保存状態の良い化石に残った皮膜の痕跡から、前肢の皮膜は後端で後肢の大腿部に付着していたと考えられる。
長いクチバシでシギやチドリのように砂浜の小動物をつまんで食べていた、またはサギのように水中の魚を捕えていたといわれる。ただし歩くのはシギやチドリほど軽快ではなかったようだ。
[スカフォグナトゥス・クラッシロストリス Scaphognathus crassirostris]
学名の意味:舟型の顎と太い吻
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の翼開帳:1m
分類:主竜類 翼竜目 ランフォリンクス科 スカフォグナトゥス亜科
スカフォグナトゥスは、ゾルンホーフェンで発見されたランフォリンクス類のひとつである。数個の化石のみが知られている。
後述のランフォリンクスと比べると頭骨が大きく、また高かった。歯は長い円錐形で、やや口の外を向いてまばらに生えていた。プテロダクティルスと同様、強膜輪の形状から昼行性と推定される。
ランフォリンクス同様上腕骨と中手骨が短かったが、第4指はランフォリンクスと比べると短かった。第1〜3指は比較的発達していた。
やや大きめの餌動物を探して頻繁に離着陸する、カモメのような生活をしていたのかもしれない。
[ゲルマノダクティルス・クリスタトゥス Germabodactylus cristatus]
学名の意味:とさかのあるドイツのプテロダクティルス類
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の翼開帳:1m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 アルカエオプテロダクティルス上科 ゲルマノダクティルス科
ゲルマノダクティルスは、ゾルンホーフェンで発見されたプテロダクティルス類のひとつである。数体の化石のみに基づく。
クチバシは長く低い三角形をしていて、先端に歯のない尖った部分があった。歯は小さかった。鼻筋に沿って低いトサカがあった。
プテロダクティルスと比べると中手骨が長く上腕骨と前腕骨が短い、後のオルニトケイルス類やプテラノドン類に近い前肢の比率をしていた。ただしこれらと直接の類縁関係はない。
海上を長く飛んで水面下の魚をくわえ取ったのかもしれない。
[ランフォリンクス・ムエンステリ Rhamphorhynchus muensteri]
学名の意味:ミュンスター市の尖ったクチバシ
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の翼開帳:最大1.8m
分類:主竜類 翼竜目 ランフォリンクス科
ランフォリンクスは、ゾルンホーフェンのランフォリンクス類を代表する翼竜である。ゾルンホーフェンで最も多くの化石が発見されている翼竜でもあり、日本国内にも複数の実物化石が展示されている。皮膜等の軟組織の痕跡が残った化石も知られている。
前述までの基本的なランフォリンクス類の特徴をよく備えていたが、前肢の第4指は特に長く、第4指の長さだけで頭胴長をかなり上回った。ゾルンホーフェンの翼竜の中でも特に細長い翼を持っていたようだ。
前肢の第1〜3指は弱々しく、保存状態の良い化石でも見当たらないことがある。
吻部は円錐形で、クチバシの先端はやや上に反って尖り、前傾した長い円錐形の歯が間を開けて生え揃っていた。上の歯のうち1対だけ水平になっていたようだ。眼窩は特に大きく、プテロダクティルスやスカフォグナトゥスと対照的に夜行性であったと考えられている。
尾は長く、軟組織の痕跡が残った化石から、尾の先端に鰭があったことが分かっている。生きていたときはこの鰭は垂直になっていたようだ。
ランフォリンクスは従来大きさによって別々の種に分けられていたが、ほとんどは同一種の成長過程であることが判明して、尾の鰭の形状も成長によって楕円から菱形を経て頂点が前に向いた二等辺三角形へと変化することが分かった。
後肢の指の間には水かきがあった。
腹部に後述のレプトレピデスと、何かはっきりしない円筒形のものを含む化石が発見されている。クチバシで水面下から魚をすくい上げて食べたと考えられる。
[クテノカスマ・グラキレ Ctenochasma gracile]
学名の意味:繊細な櫛の口
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の翼開帳:0.7m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 アルカエオプテロダクティルス上科 クテノカスマ科
クテノカスマは、ゾルンホーフェンで発見されたクテノカスマ類を代表する翼竜である。
クテノカスマ類は非常に細長い歯が多数生え揃った長いクチバシを特徴とする。クテノカスマでは歯の数は260本に達する。この歯は左右に広がるように生えて幅広いシルエットを形成していた。
ランフォリンクス同様、強膜輪の特徴から夜行性であったと考えられている。
上腕骨と中手骨が長く、後肢も翼竜としては長くしっかりしていた。
波打ち際など水深の浅いところを歩き、小さな動物を濾し取るように捕らえたと考えられる。クチバシの長さや姿勢を考慮すると、カモやフラミンゴが行うように水を連続的に濾過していたのではなかったようだ。
[レプトレピデス・スプラッティフォルミス Leptolepides sprattiformis]
学名の意味:ヨーロピアンスプラットのような姿をしたレプトレピスに似たもの(レプトレピスはレプトレピデスと混同されていた魚類。意味は「短い鱗」)
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の全長:15cm
分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 真骨類 パキコルムス目
ゾルンホーフェンからは多様な魚類の化石も発掘されていて、レプトレピデスはその中でも特に数の多いものである。
大型の魚類が含まれるパキコルムス目(第52話のヒプソコルムス参照)に属するもののレプトレピデス自身はイワシのような小さな魚だった。前述のとおりランフォリンクス等の翼竜に捕食されただけでなく、他の魚類にもよく捕食されていたと思われる。
[ザミテス・フェネオニス Zamites feneonis]
学名の意味:フェネオン氏の石になったメキシコソテツ
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の高さ:不明(大きくても数m)
分類:裸子植物門 ソテツ綱(?) ベネチテス目(またはキカデオイデア目) キカデオイデア科
ザミテスは、中生代に特有の裸子植物であるベネチテス類を代表する植物である。ザミテスという属名は本来は葉の部分にのみ付けられた名前である。
一見現生のソテツのような、鱗状の幹や枝の先端から羽状の葉を放射状に伸ばした姿だったが、花のような形の生殖器官を持っていた。
ザミテス属自体は中生代全体の世界各地で発見されているが、ゾルンホーフェンからはフェネオニス種という羽状の葉全体のシルエットが太い楕円形の種が発見されている。
第五十七話
[エクトピステス・ミグラトリウス(リョコウバト、パッセンジャー・ピジョン) Ectopistes migratorius]
学名の意味:渡りさすらうもの
時代と地域:20世紀初頭までの北米
成体の全長:約40cm
分類:ハト目 ハト科 ハト亜科
リョコウバトは、北米大陸のうち主に東部の落葉樹林に生息していたが、20世紀初頭に絶滅したハトの一種である。現生のハトの中ではリョコウバト同様北米に生息しているパタジオエナス属
Patagioenasに最も近縁である。
体格は街中でも普通に見られるドバトやキジバトとほぼ同じくらいだが、尾羽が長い分全長が大きかった。オスのほうがやや大柄だった。
おおむね典型的なハト類の姿をしていた。全体的にはドバトと比べスリムな体型だったが、ドバトより胸筋が発達し、上半身が膨らんでいた。
風切羽が長く、翼全体が細長かった。また尾羽は中央のものが特に長くて、広げると前後に長い菱形になった。
オスは頭部から背中、翼の雨覆いにかけて青みがかっていて、首から胸、腹は赤かった。首には金属光沢を放つ部分があった。風切羽と中央の尾羽は黒く、左右の尾羽は白かった。メスは全体的にくすんだ色合いだった。
食性は種子食または堅果食に寄っていて、ドングリを主に食べたようだ。またヒトによる農作物を食べることもあった。
ハトとしては繁殖力が弱く、1年に1つの卵しか産まなかった。これは後述のようにドングリが不安定な食料だからかもしれない。
非常に大きな群れで長い距離を移動する習性があった。発達した胸筋と細長い翼もこの長距離移動に対応していて、時速100km近い速さで飛ぶことができた。学名と英名、英名を翻訳した和名は全てこの移動する習性にちなむ。
群れの規模を物語る逸話として、鳥類学者のオーデュボンが1813年に観察した群れは3日は途切れずに通過し続け、そのうち3時間に通過した分だけでも11億5000万羽はいたという。
この大きな群れは食性や繁殖力に関連したものだといわれている。
ドングリは森によって年ごとに豊作と凶作が入れ替わるため、ドングリを主食にするには豊富なドングリが手に入る森を毎年探し当てなければならない。そこで大群を作れば良い餌場が見付かる可能性が高くなる。
また、産める卵の数が少なければ死亡率を下げる必要があるが、大群を作ることが雛や若鳥を守ることにもつながる。
こうして繁殖力の弱さを補うことで、リョコウバトは単に群れの規模が大きいだけでなく、個体数そのものも非常に多くなった。
ヒトによる乱獲が始まる前までは最も個体数の多い鳥であった。
西洋人によって北米大陸が開拓されるより前から、リョコウバトはネイティブアメリカンによって捕獲されていた。
しかし西洋人によるリョコウバトの捕獲は商業的かつ大規模なものであり、樽で塩漬けにされたリョコウバトが安価に売買されていた。余剰分がブタの餌とされるほどの数が確保されていたという。このときの流通には鉄道、捕獲のための情報交換には電信と、当時の最新技術が用いられた。
19世紀後半にはリョコウバトはかなり減少していたが、元から移動し続ける習性により多く見付かったり見付からなかったりする鳥であったため、注意を払う者は少なかった。保護法案も施行されたが成果はなかった。
一方ではリョコウバトの主食であるドングリを生産する森の伐採が進んでいた。こちらも乱獲と同等かもしくはそれ以上にリョコウバトが減少する原因となった。
群れの規模が小さく、本来の生態を維持するのに足りなくなっていったため、リョコウバトは加速度的に減少していった。
19世紀末には野生ではほとんど見られなくなり、1900年に野生個体が絶滅した。
動物園での繁殖も試みられたが結実せず、1914年9月1日、「マーサ」と名付けられていた最後のリョコウバトがシンシナティ動物園で死亡した。
リョコウバトの標本は北米の多くの博物館に所蔵されている。日本では山科鳥類研究所に1体所蔵されている。こうした標本からDNAを採取し再生することも提唱されている。
第五十八話
[ユタラプトル・オストロムマイソルム Utahraptor ostrommaysorum]
学名の意味:ジョン・オストロム博士とメイズ氏のユタ州の強盗
時代と地域:白亜紀前期(約1億2600万年前)の北米(ユタ州)
成体の全長:6m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ エウマニラプトラ ドロマエオサウルス科 ドロマエオサウルス亜科
ユタラプトルは、シダーマウンテン層のイエローキャット部層というユタ州にある地層で発見された、最大級のドロマエオサウルス類である。
ドロマエオサウルス類は鳥類にごく近縁な恐竜で、鳥類に近い特徴を数多く備えていた。ユタラプトルも後肢第2指の大きな爪や後方を向いた恥骨などドロマエオサウルス類の特徴を持っていたが、体型は多くのドロマエオサウルス類と違って身軽ではなく、むしろ大型肉食恐竜のように頑丈であった。
頭骨、特に吻部は高さがあり丈夫だった。
胴椎は前後に短く、胴体はコンパクトにまとまっていた。前肢はドロマエオサウルス類の中では体の割に大きくなかったようだ。
後肢はドロマエオサウルス類としては短く頑丈で、特に中足骨が大型肉食恐竜のように短かった。
ドロマエオサウルス類の共通の特徴である足の第2指の爪は非常に発達していた。小型のドロマエオサウルス類ではこの爪は木に登ることにも使われたと言われるが、ユタラプトルの場合は体重が大きく、あまり木に登らなかったかもしれない。
尾椎の前後に伸びる突起は短く、ドロマエオサウルス類特有の骨化した腱などで固められた構造はなかったため、尾をある程度柔軟に曲げられた。尾全体はやや短かったようだ。
ダコタラプトルのような他の特大のドロマエオサウルス類が身軽な体型をしていたことと比較すると、ユタラプトルは他のドロマエオサウルス類とはかなり異なる生態をしていた可能性がある。
成体、亜成体、孵化直後のものがイグアノドン類とまとまって発見された例があり、泥にはまった獲物の巻き添えを食ったと思われるが、群れをなしていて一度に埋まったのか、個別に行動していて個別に埋まったのかは不明である。
イエローキャット部層が堆積した当時は乾燥した環境の氾濫原であったと考えられている。同じ地層からはファルカリウスやマーサラプトル、ユルヴゴキアといったより小型の獣脚類、鎧竜のガストニア、イグアナコロッススやエオランビアなど様々な鳥脚類、竜脚類のモアボサウルスやシダロサウルス、さらにカメやワニなど、多様な化石が発見されている。
[デイノニクス・アンティルロプス Deinonychus antirrhopus]
学名の意味:恐ろしい爪と釣り合い錘を持つもの
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年前)の北米(ユタ州)
成体の全長:3m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ エウマニラプトラ ドロマエオサウルス科
デイノニクスは、シダーマウンテン層のムセントシェット部層など、ユタラプトルより後の年代の地層で発見されている、比較的大型のドロマエオサウルス類である。
ユタラプトルと違ってこちらはおおむね典型的なドロマエオサウルス類の体型をしていた。
頭骨は長くてやや背が低かった。
前肢は比較的長かった。ドロマエオサウルス類は風切羽を持っていたと考えられ、デイノニクスの場合は翼になった前肢を、獲物を踏みつけたときにバランスを取るのに使ったとか、幼体のときに木から飛び降りるのに使ったとも言われている。
尾は長く、骨化した腱で固められ棒状になっていた。種小名の「釣り合い錘」とは、チーターが走行中に方向転換するときのようにこの尾を振り回してバランスを取っていたのではないかという考えによる。
後肢はユタラプトルに比べると全長の割に長いとはいえ、中足骨は他の小型獣脚類と比べると短かった。オルニトミモサウルス類のように長距離走行に向いていたのではないといえる。
「恐ろしい爪」という属名のとおり、ドロマエオサウルス類特有の後肢第2指の大きな鉤爪が認知されるきっかけとなった恐竜である。
スミロドン(サーベルタイガー)が牙を大型の獲物の脇腹を切り裂くのに使ったと考えられているように、デイノニクスもテノントサウルスなど自身より大きな獲物の脇腹を爪で切り裂いたと考えられた。しかし、暴れる獲物にしがみついたまま丈夫な皮膚を長く切り裂くのは難しい。また、獲物を押さえる動きとは両立させづらい。
むしろ、獲物に突き刺して固定する、または押さえつける、状況次第ではえぐるか引きちぎる、といった動作が考えられる。また木に登るのに使った可能性もある。
武器が後肢にあり、尾をはじめ機敏な動作に適した特徴が多いことから、1960年代にデイノニクスを研究したジョン・オストロムはデイノニクスを非常に活発な恐竜と考えた。
さらに、オストロムはそれまで鈍重な冷血動物と考えられていた他の恐竜の活動性も見直し、恐竜は哺乳類のように活発な動物だったのではないかと提唱した。これにより恐竜の生態に関する研究が盛んになった流れを、「恐竜ルネサンス」という。
複数個体がテノントサウルスと一緒に発見され、オストロムはこれを集団による狩りの痕跡だと考えたが、実際にこのデイノニクスが群れであったという直接の証拠はない。
[ファルカリウス・ユタエンシス Falcarius utahensis]
学名の意味:ユタ州で産まれた鎌作りの職人
時代と地域:白亜紀前期(約1億2600万年前)の北米(ユタ州)
成体の全長:約4m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ テリジノサウルス上科
ファルカリウスは、ユタラプトルと同じくイエローキャット部層で発見された基盤的なテリジノサウルス類である。
属名は同じテリジノサウルス類であるテリジノサウルス(属名は「大鎌を持つ爬虫類」の意)がより派生的と考えられることにちなむ。
テリジノサウルス類は二次的に植物食に適応した獣脚類で、ファルカリウスにもテリジノサウルス類に特有の植物食に適した特徴がすでに多く見られる。
首は長く、頭部は小さかった。顎の先端はクチバシになっていた。その後ろに並んだ歯は小さく木の葉型をしていて、植物を切るのに適していた。
前肢は長く発達し、手にはフック状の爪があった。ただし前肢と爪どちらもテリジノサウルス類としては小さかった。
胴体はやや長く、植物を消化するのに必要な長い消化器官が収まったようだ。
骨盤は体重を支えるのに適応して大きくなっていたが、恥骨はより派生的なテリジノサウルス類と比べ前に向いていた。
より派生的なテリジノサウルス類では後肢の第4指が地面に接し、走行より体重を支えるのに適した幅広い足となっていたが、ファルカリウスの第4指は小さく地面に着かなかった。
頭部の特徴からすでに植物食の傾向が強かったと思われるが、テリジノサウルスやノスロニクス(第四十一話参照)のような大型のテリジノサウルス類と比べ身軽だったようだ。
[ガストニア・ブルゲイ Gastonia burgei]
学名の意味:ロバート・ガストン氏とドン・バージ氏のもの
時代と地域:白亜紀前期(約1億3000万年前)の北米(ユタ州)
成体の全長:4〜6m
分類:鳥盤目 装盾亜目 曲竜下目 ノドサウルス科ポラカントゥス亜科またはポラカントゥス科
ガストニアは鎧竜と呼ばれる、胴体を鎧で覆われた4足歩行の植物食恐竜の一種である。
鎧竜は尾にハンマーのような骨の塊があるアンキロサウルス類と骨の塊がないノドサウルス類の2つ、またはノドサウルス類からポラカントゥス類を分けて3つに分けられる。
ガストニアはポラカントゥス類の中でも骨格の形態が詳しく分かっている。
胴体は幅広く、背中と尾には骨でできた棘や楕円の板(皮骨板)がいくつも並んでいた。腰には骨片が集まってできた一枚の大きな骨の板が、骨盤に重なるように乗っていた。
棘は背中に2列と、首から両脇腹にかけて1列ずつ並んでいた。いずれも三角形の板状で、背中の棘は多少厚みがあったが脇腹の棘はとても薄かった。鎧竜の皮骨板は敵からの防御のために発達したとされているが、脇腹の薄い棘は物理的な防御というより視覚的な威嚇のためのものだったのかもしれない。
四肢は短く、あまり走行に適していなかった。
頭部は穴が小さく丈夫になっていたが、同じ鎧竜のエウオプロケファルスなどと違って皮骨板と一体化してはいなかった。眼窩の下と後上方にも小さい棘があった。また関節の向きから、頭部を少し下向きに保っていたようだ。
口の前方はクチバシで、先端がやや幅広く、中央がへこんでいた。地表の植物をあまり選ばずに食べたと考えられる。
口の奥の方には小さな木の葉形の歯が生えていた。鎧竜は歯が少し磨耗していて、顎の関節が食物を咀嚼するのに多少適していたことから、クチバシで刈り取った植物を丸呑みではなく多少咀嚼して飲み込んだようだ。
第五十九話
[フクイラプトル・キタダニエンシス Fukuiraptor kitadaniensis]
学名の意味:北谷で発見された福井の略奪者
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:不明(現在最もよく見付かっている亜成体の個体は推定4.2m)
分類:竜盤目 獣脚類 アロサウルス類またはコエルロサウリア メガラプトラ
フクイラプトルは、現在の日本国内で初めて新種と認められ命名された恐竜である。
北陸地方にある白亜紀前期の地層、手取層群(地名は「てとり」だが地層の名は「てどり」である)では、80年代から獣脚類の歯の化石が発見されていた。
90年代には、福井県勝山市にある北谷層から末節骨(爪の芯)をはじめとする骨要素が発見された。
この末節骨は当初ドロマエオサウルス類のものと考えられ、キタダニリュウという愛称で呼ばれた。しかしその後よく残った四肢と若干の肋骨や胴椎、骨盤の一部等が発見され、むしろアロサウルス類に近いと考えられるようになり、この化石を基にフクイラプトルが命名された。
さらに後の、メガラプトル類に関する研究により、フクイラプトルもメガラプトル類に含まれるようになった。ただしメガラプトル類自体はアロサウルス類の派生的なものだという説と、より鳥類に近いコエルロサウルス類の基盤的なもの(もしくはティラノサウルス類に含まれる)とする説に分かれている。
命名当初に近縁だと考えられたシンラプトルを参考に、フクイラプトルの復元骨格が作られている。この骨格はアロサウルス類然とした高さのある頭骨と、シンラプトルによく似た少し高い棘突起を持つ。
しかしメガラプトル類だったと考えると、この復元骨格より低く長い頭骨と、やや幅があり棘突起の低い胴体を持っていたのではないかと考えられる。ただしメガラプトル類の吻部の形態はごく若い個体のものしか知られていないなど、メガラプトル類自体の情報が少ないため確実ではない。
現在発見されているフクイラプトルの化石要素は、基盤的なメガラプトル類の特徴を多く持っている。
歯は特に鋭く、切り裂くことに適していた。
当初ドロマエオサウルス類の後肢の爪と考えられていた末節骨は前肢のものである。後のメガラプトルの第1指のものほど長大ではないが、第1指と第2指のものがよく発達していた。
上腕骨の筋肉が付着する突起はよく発達していた。また尺骨の長さが上腕骨の92%に達し、アロサウルス類だとすると特に長かった。ごく近縁とされるアウストラロヴェナトルの前肢に関する研究を参考にすると、獲物を両手で挟むようにしてつかんだのかもしれない。
後肢は細長く、比較的走行に適していた。長時間素早く移動し続けたのかもしれない。
発見された個体では胴椎の椎体と棘突起が癒合していないことから、この個体は亜成体だったと考えられる。完全に成熟したときの大きさは不明だが、この個体以外の断片的な化石は全てこの個体より小さい。
[フクイサウルス・テトリエンシス Fukuisaurus tetoriensis]
学名の意味:手取層群で発見された福井の爬虫類
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:5〜6m
分類:鳥盤目 鳥脚類 イグアノドンティア アンキロポレクシア
フクイサウルスは、現在の日本国内で初めて新種と認められ命名された植物食恐竜である。
1989年からの恐竜化石調査で発見され、当初はフクイリュウという愛称で呼ばれていた。
頭骨、脊椎、四肢の一部などが発見されている。このうち頭骨が特によく揃っていて、命名の根拠となった。
いわゆるイグアノドン類と呼ばれる二足歩行(場合によって四足歩行)の植物食恐竜の中でも、イグアノドンやアルティリヌスといった派生的なものに近縁だったとされる。
鳥脚類は基盤的なものからイグアノドンティア、そしてその中のハドロサウルス類へと派生していく中で咀嚼能力を発達させていったと考えられている。しかしフクイサウルスは近縁種と違って、プレウロキネシスという咀嚼に深く関わる特徴を失っていた。
プレウロキネシスとは、派生的なイグアノドンティアが持っていた、上顎の歯が生えた部分の骨(上顎骨)が外側に可動する性質である。これにより顎を上下に動かしたとき、歯の咬合面は噛み合うだけでなくこすれあう動きをするため、食べたものが効率よくすり潰される。これは植物の固い細胞壁を破壊し栄養のある細胞質を消化できるようにする効率を上げる適応であると考えられる。
しかしフクイサウルスの上顎骨は強く固定されていて動くことはなかった。
このことから、フクイサウルスは他のイグアノドン類とは異なる食性をしていたと考えられている。すり潰すより噛み切ることに適応して木の枝などを食べていたのかもしれない。
歯自体は近縁のアルティリヌスのものとよく似て、稜が目立った。
顎の先端のクチバシを形成する骨(上の前上顎骨と下の前歯骨)はやや幅が狭く、特に前上顎骨は上から見るとV字をしていた。
上腕骨はイグアノドンと違って細くてやや短く、二足歩行をすることが多かったと思われる。
[手取層群北谷層の化石]
1982年、勝山市にある北谷層の露頭でワニ類のゴニオフォリス類の一種が発見された。この化石は全身がよく揃っていて、この露頭で恐竜に関する発掘調査が行われるきっかけになった。
現生のワニとよく似た半水生のゴニオフォリス類だけでなく、北谷層からは淡水の生き物の化石が多数発見される。
特に多いのはプリカトウニオ
Plicatounio、シュードヒリア
Pseudohyria、ナグドンギア
Nagdongiaなどの貝類である。
カメも重要視されていて、世界最古のスッポン科の甲羅などが発見されている。
水生の動物だけでなく陸生の植物も多く発掘されている。
ブラキフィルム・オベスム
Brachyphyllum obesumという針葉樹の葉が北谷層のうち特定の層準から発見されていて、後の時代になるほど数が増えた。これは生息地のすぐ近くで流される前に埋没したようだ。他の植物化石には、シダ類のグレイケニテス
Gleichenitesなどがある。
イチョウなどの湿潤な気候に適した植物は、手取層群の他の地層と違って、北谷層からは花粉を含め発見されていない。
以上より、北谷層は河川で堆積した地層ではあるが、湿潤な気候から乾燥した気候に変化しつつあったのではないかといわれている。
同じ手取層群の桑島層から発見されたゼノキシロン
Xenoxylonという木の幹の化石には年輪があり、当時季節の変動があったようだ。
北谷層からは前述のフクイラプトルとフクイサウルス以外の恐竜も、二者と別の層準から発見されている。
獣脚類としては、ドロマエオサウルス類に属するフクイヴェナトル
Fukuivenatorがある。また鳥類も発見されている。
竜脚類のティタノサウルス類に属するフクイティタン
Fukuititanは、全長10mほどと竜脚類としてはごく小型だったと考えられているが、四肢の要素のみで、成熟した個体かどうかは分からない。
鳥脚類としては、コシサウル
スKoshisaurusというフクイサウルスよりハドロサウルス類に近いイグアノドン類や、フクイサウルスともコシサウルスとも異なると思われる鳥脚類も発見されている。
第六十話
[ヘリコプリオン・ベッソノウィ Helicoprion bessonowi]
ヘリコプリオンは、ペルム紀に生息した螺旋状に並んだ歯を持つ軟骨魚類である。
軟骨魚類の骨格は軟骨でできているため、歯や棘などごく一部しか化石に残らない場合がほとんどである。ヘリコプリオンも同様に、ほぼ歯の化石のみから知られている。
ヘリコプリオンの歯は平面螺旋上に並んでいて、歯冠が外側を向いている。螺旋の中心に小さく古い歯、外側に大きく新しい歯があるため、螺旋の外側に向かうほど幅が広く、一見アンモナイトに似たシルエットをしている。一つひとつの歯は縁がわずかにカーブを描く三角形で、鋭いダガーナイフ状をしている。この歯冠の形状はホホジロザメのように獲物を切り裂くタイプのサメの歯に似ているが、歯根は螺旋に沿って内側に伸び、他の歯の歯根と組み合わさっている。この歯はサメと違って古くなっても抜けることはなく、螺旋の外側に新しい歯が追加されていった。このような歯の生え方を輪状歯(tooth whorl)という。
1899年にヘリコプリオンが命名されて以来、ヘリコプリオンがこの輪状歯をどのように備えていたかは長年不明であった。一般的な推測は、顎の奥の左右から歯が生え吻部先端に向かって移動し、やがて顎の先端で巻いて一対の輪状歯を形成するというものであったが、輪状歯が上下どちらの顎にあったかも定まらず、軟骨魚類に特有の歯と同じ構造を持つ鱗(循麟)が発達して背鰭や尾鰭の先で巻いたものであるという説もあった。
しかし、同様に輪状歯を持つエウゲネオドゥス類の魚類に関する情報が集まるにつれ、それらと共通点の多いヘリコプリオンも、サルコプリオン
Sarcoprionや後述のオルニトプリオンのように、下顎の中央に単一の輪状歯を持つのではないかと考えられるようになった。
そして2013年、保存状態の良いヘリコプリオンの輪状歯をCTスキャンすることで、上下の顎を構成する軟骨の痕跡からその形状を把握することができたと発表された。
それによると、輪状歯は短い下顎のほぼ全体を占め、歯のない上顎にある溝との間に獲物を挟んで、切り裂くように働いていたことが分かった。歯冠がむき出しになっていたのは上顎と向き合っている特に新しい歯のみで、使われなくなった歯は軟組織の中に埋没したようだ。
この研究では、主に頭足類の軟体部をくわえて切り裂くようにして捕食していたのではないかとしている。タコを多く捕食する現生の硬骨魚類であるハモも、切り裂くことに適した歯が下顎の中央に真っ直ぐ並んでいる点が類似する。
ヘリコプリオン自身に関しては依然として輪状歯と顎の情報しか直接得られていないが、分類上の位置が定まったことで、近縁とされるものから他の部分の姿をある程度類推することができる。
顎の形状から、ヘリコプリオンの含まれるエウゲネオドゥス類は軟骨魚類の中でもサメの含まれる板鰓類ではなくギンザメの含まれる全頭類であることがはっきりした。これにより、現生魚類の中で最もヘリコプリオンの参考になるのはギンザメであることになる。
しかし、現生のギンザメは鰓穴を一つしか持たないが、後述のオルニトプリオンから、エウゲネオドゥス類は板鰓類のように複数の鰓穴を持っていたと考えられる。
また、エウゲネオドゥス類の中でもカセオドゥス
Caseodusやファデニア
Fadeniaなどは鰭の化石が知られている。これらの場合、胸鰭、尾鰭、第1背鰭はあるが、腹鰭、尻鰭、第2背鰭はなかった。また尾鰭は発達していて、ほぼ上下対称のV字型をしていた。尾鰭の上葉は複数の軟骨のプレート、下葉は多数の軟骨の条で支えられていた。これはサメのような上下非対称で上葉にのみ脊椎がつながっているものより、回遊性の硬骨魚類のものに似ている。ヘリコプリオンもこのような遊泳し続けることに適した鰭を持っていたのかもしれない。
現生の軟骨魚類のオスは腹鰭の一部が変化したクラスパーという交尾器を持つが、腹鰭がないとするとエウゲネオドゥス類がどのように繁殖したかは不明である。
それほど確実とはいえないが、ヘリコプリオンの大型の輪状歯の大きさに合わせて全身を復元すると全長4m前後になるとされている。
ヘリコプリオンの輪状歯の化石は、世界各地の浅い海で堆積した地層から発見されている。国内でも宮城県気仙沼市の上八瀬や栃木県などから発見されていて、上八瀬のものはベッソノウィ種に類似した特徴があるとされる。
[クラドセラケ・クラルキ Cladoselache clarki]
クラドセラケは、軟骨魚類の中でも特に早くデボン紀に生息していた魚類である。
特に早く全身の輪郭が知られるようになった化石軟骨魚類でもある。大型のもので2mほどの長い流線形をした体で、発達した尾鰭、胸鰭、背鰭を持ち、現生の活発なサメとよく似た姿をしていた。特に尾鰭は上下対称に近く、高い遊泳性を持っていたことを示す。
ただし、口は頭部の最も前に開き、吻部は突き出ていなかった。
歯は1本が根元から3つに分かれた形をしていた。循麟は目の周りに丸く並んだ大きなものだけが目立っていた。背鰭の前には発達した棘があった。この棘は背鰭と一体化していた可能性もある。
口が最も前にあり吻部が突き出ておらず、歯が三つ又になっていることが現生の最も原始的なサメとされるラブカに似ていることから、クラドセラケは特に原始的なサメでありラブカはその特徴を残したものだと考えられていた。
しかし分類の見直しにより、クラドセラケはヘリコプリオンと同じく全頭類に含まれ、ラブカは中生代になって現れた新しいサメの系統に含まれるとされるようになった。
また、以前はクラドセラケの胸鰭は根元全体が胴体につながっていたと考えられていて、これも胸鰭がそれほど自由に動かせず機動性が低かったという原始的な特徴とされていたが、保存状態の良い化石により胸鰭は胴体から離れていて自由に動かせたことが分かった。
胃の内容物が残った化石も知られていて、それによると内容物の内訳は小型硬骨魚類が65%、甲殻類の中の嚢頭類というグループに属するコンカヴィカリス
Concavicarisが28%、コノドントという微細な化石が9%、別の軟骨魚類が1尾であった(獲物の胃内容物も数えているため合計が100%を超える)。硬骨魚類が尾から先に飲み込まれていたことから、クラドセラケは活発に獲物を追いかけては丸呑みにしていたようだ。
[クセナカントゥス・デケニ Xenacanthus decheni]
クセナカントゥスは古生代に繁栄したクセナカントゥス類(側棘類)に属する淡水生の板鰓類である。クセナカントゥス属はデボン紀から三畳紀まで生息していて、デケニ種はデボン紀のドイツに生息していた。全長は1mほどだった。
板鰓類、つまりサメの系統に属しているものの、かえってクラドセラケ以上にサメと異なる姿をしていた。
全体のシルエットはナマズに似ていて、背鰭は低く背中全体に延びて、同様に低く前後に長い尾鰭とつながっていた。胸鰭は軸軟骨の両側に放射軟骨が並ぶ造りをしていて末広がりの形をしていた。オスの腹鰭には発達した交尾器があった。尻鰭は小さく2つ前後に並んでいた。
鼻先はわずかに尖って突き出ていた。後頭部には長い棘があった。
遊泳よりも狭いところをすり抜けたり突然穴から飛び出したりすることに適した体型をしていたことと、淡水生であることから、体型のとおりナマズのように障害物の多い川や湖で生活していたのではないかと思われる。
[オルニトプリオン・ヘルトウィギ Ornithoprion hertwigi]
前述のとおりオルニトプリオンはヘリコプリオンと同じくエウゲネオドゥス類に属する、インディアナ州のメッカ・アンド・ローガン・クオリー頁岩という石炭紀の地層から発見された魚類である。
頭部とそれに続く肩までの部分しか発見されていないが、残った部分の保存状態はかなり良く、1966年の時点でX線による撮影が行われていた。
頭部全体の長さは10cmほどで、顎は「鳥の鋸」を意味する属名のとおりクチバシ状になっていた。特に下顎は上顎より細長く伸びていて、下顎のクチバシ部分だけで頭部の長さの半分を占めた。
さらに下顎のクチバシの根元には、ヘリコプリオンと同じく輪状歯があった。といってもヘリコプリオンとは異なり渦を巻くには至らず、楕円盤状の歯が円弧を描いて並んでいた。他にも様々な形をした歯を持っていたようだ。
眼窩は大きく、視覚が発達していたと考えられる。頭の後ろには鰓を支える骨格があり、板鰓類のようにスリット状の鰓穴が並んでいたことが分かる。また鰓の背の低さから、胴体は頭と同じ高さしかなかったようだ。胸鰭を支える骨は発達していた。
正確に体型を推定することは難しいが、鰓の高さから細長い体を持っていたと思われる。長いクチバシで泥の中の餌をかき出すか、獲物を叩いて弱らせたのかもしれない。
[ヒボドゥス・フラアシ Hybodus fraasi]
ヒボドゥスは、主に石炭紀に栄えたヒボドゥス類に属する板鰓類である。ヒボドゥス属はペルム紀に現れ白亜紀まで生存したとされ、フラアシ種はドイツのジュラ紀末の地層であるゾルンホーフェンから発見された全長1m弱ほどの種である。
吻部はそれほど突き出ておらず、全体的に丸みを帯びた体型だったが、現生の小型のサメによく似ていた。顎を突き出すことはできなかった。第1・第2背鰭の両方とも前に長い棘を備えていた。歯はあまり鋭くなかった。
[スカパノリンクス・レウィシイ Scapanorynchus lewisii]
スカパノリンクスは現生のミツクリザメに非常に近縁な白亜紀のサメである。レウィシイ種はレバノンのサヘル・アルマという約八億六千万年の地層から発見された全長1mほどの種である。
全身の輪郭が非常によく保存された化石が発見されていて、長く突き出た平たい吻部、長い胴体、やや小さい胸鰭や背鰭、胴体からほぼ真っ直ぐ続く尾鰭など、現生のミツクリザメと非常によく似た特徴を備えていた。このことから先に発見されたスカパノリンクス属にミツクリザメを含める意見さえあった。このように白亜紀には現生のサメにごく近縁なサメが現れていた。
サヘル・アルマの堆積した水深は150mほどとミツクリザメの生息深度ほど深くはなかったようだが、スカパノリンクスも深くて餌に乏しい海底で長い吻部の感覚器官を活用して餌を探していたと思われる。
[オトドゥス・メガロドン Otodus megalodon]
メガロドンという種小名のみの通称で知られる本種は、主に中新世の世界各地の海に生息していた、非常に大型のネズミザメ類である。日本国内でも各地から発掘されている。
ホホジロザメに近縁としてホホジロザメ属
Charcharodonに含める意見、オトドゥス科に属するとしてカルカロクレス属
Carcharoclesに含める意見、さらにカルカロクレス属は独立属ではないとしてオトドゥス属に含める意見がある。
ホホジロザメのものを3倍ほどに大型化して幅と厚さを増したような、巨大な歯のみで知られている。体型はネズミザメ類そのものであったと考えられるが、推定全長は10mから20mの間とほとんど定まっていない。埼玉県深谷市の荒川河床にある土塩層からほぼ1個体分の歯が発見され、その個体からの推定では12mとなっている。
中新世当時はまだ数mほどの全長しかなかったクジラ類も捕食していたようだが、絶滅の原因については諸説入り乱れているものの、海水温の変化、植物プランクトン相の変化、それに伴うクジラ類の進化などが密接に関わって、現在の海洋の大型動物相が形成されたようだ。
[エキノキマエラ・メルトニ Echinochimaera meltoni]
エキノキマエラは、モンタナ州のベア・ガルチ石灰岩という石炭紀の石灰岩から発見された、全長20cm程度の小さな全頭類である。オスのほうが大型だった。
すでに現生のギンザメと同じギンザメ目に属していて、発達した胸鰭、大きな頭、真っ直ぐな尾など現生のギンザメによく似ていた。
吻部は丸みを帯び、背鰭とその前にある棘は高く伸びていた。棘と背鰭は一体になっていたようだ。目の上には4つの枝分かれした棘があった。
[ハルパゴフトゥトル・ヴォルセロリヌス Harpagofututor volsellorhinus]
ハルパゴフトゥトルもエキノキマエラと同様ベア・ガルチ石灰岩から発見された全長20cmほどの全頭類である。コンドレンケリス類というグループに属していた。
細長い体型をしていて、背鰭は低く背中全体に延びて、同様に低く前後に長い尾鰭とつながっていた。胸鰭と腹鰭は小さかった。
頭部はペンチのように丈夫で先細りだった。オスにはFの字を斜めに長く引き伸ばしたような形の後ろ向きの角が1対あり、交尾の際に役立てたと思われる。
[ベラントセア・モンタナ Belantsea montana]
ベラントセアもベア・ガルチ石灰岩から発見された小型の全頭類である。全長30cmほどで、ペタロドゥス類というグループに属する。
クマノミを思わせる丸みを帯びた体付きで、胴体は縦に平たかった。2つの背鰭、胸鰭、尻鰭は全て丸く大きく、根元から半分が筋肉に覆われていた。尾と尾鰭は小さかった。
丈夫な顎に丸い歯があり、これによって固い殻を持つ獲物を噛み割って食べたと考えられる。
[ミケリニア・ムルティタブラータ Michelinia multitabulata]
ミケリニアは、床板サンゴ類に属するオルドビス紀からペルム紀のサンゴである。床板サンゴ類の骨格は筒状の体壁と、体壁を仕切る床板からなり、群体を形成して丸みを帯びた塊状になっていた。
前述のヘリコプリオンが発見された気仙沼市上八瀬からはペルム紀のミケリニアの化石も発掘される。現在の気仙沼を形成する地質はペルム紀に赤道近くの浅い海底で堆積したもので、その海にはサンゴ礁があったようだ。
上八瀬のミケリニアは風化により骨格部分が溶けて中に詰まった鉱物が取り残されているため、わずかに膨らんだ小さな塊が蛇の鱗のように集まったものになっていて、地元の人達に蛇体石と呼ばれている。
[岩井崎のウミユリ(学名なし) class Crinoidea]
気仙沼市には山間部の上八瀬だけでなく海辺の岩井崎という化石産地もある。
岩井崎はペルム紀の石灰岩でできた岩礁で、石灰岩が侵食されることで独特の地形が形作られているが、この石灰岩にはウミユリの茎などの化石が顕著に見られる。主にウミユリの骨格が堆積することで岩井崎の石灰岩が形成された。
このウミユリの茎は直径数mmから1cm程度の小型のもので、ほとんど茎のみであるため分類に重要な形質は見いだせない。
[ワーゲノコンカ・インペルフェクタ Waagenoconcha imperfecta]
ワーゲノコンカは、二枚貝のように2枚の殻が合わさった姿をしているが二枚貝とは異なる腕足動物に属する。殻の隙間に流れ込んだ海水から、触手冠という器官で餌となる物質を濾過する。
腕足動物の殻の形態は様々だが、ワーゲノコンカの殻は背もたれと座面が一体化した椅子のように、2つの殻がともに同じ方向に曲がった形をしている。
新潟大学の椎野勇太氏は、ワーゲノコンカを含めた腕足動物の殻に関する流体力学的な実験と解析を行っている。
これによると、ワーゲノコンカの周囲の水流により殻の周囲に圧力差が生まれ、効率的に殻の中に水流を生み出し餌を濾過することができたという。この研究に上八瀬から発掘されたワーゲノコンカが用いられた。
[ネオスピリファー・ファスキゲル Neospirifer fasciger]
ワーゲノコンカと同じく上八瀬で発見される腕足動物だが、イチョウの葉に似た形態のスピリファー類に属する。スピリファー類については
第四十二話のキルトスピリファーを参照。
[レプトドゥス・ノビリス Leptodus nobilis]
特に変わった形態をした腕足動物である。
殻はおおむね楕円状の輪郭をしているが、片方の殻には左右の縁から中央に向かうスリットが多数平行に並んでいた。このため全体がシダの葉のように見える。これもワーゲノコンカやスピリファー類の場合と同じく、なんらかの形で水流を利用して内部に水を導入することのできる形態であると思われる。
レプトドゥスの化石は上八瀬やその周辺、岐阜県の金生山など各地のペルム紀の地層で発掘されている。また上八瀬からは他にも様々な腕足動物が発見されている。
[シュードフィリップシア・スパトゥリフェラ Pseudophillipsia spatulifera]
シュードフィリップシアはペルム紀に生存した数少ない三葉虫の一つで、2cm程度と小型で三葉虫の基本的な姿をしていた。
スパトゥリフェラ種は主に上八瀬から発見されている。他にも日本各地のペルム紀の地層からシュードフィリップシアが発見されていて、サンゴ礁に生息していたようだ。
[モノディエクソディナ・マツバイシ Monodiexodina matsubaishi]
モノディエクソディナは大雑把にいえば殻のあるアメーバである有孔虫の中の、フズリナ類というグループに属する。現生の有孔虫であるホシズナのように、石灰質の砂地の上に生息していたようだ。
フズリナ類は数mmから数cmほどの紡錘形の殻を持っていて、多くは密集した状態で見付かる。モノディエクソディナ・マツバイシの特に細長い殻の化石が多数集まったものが岩井崎から知られていて、マツバイシという種小名はこの化石を松葉に見立てた松葉石という呼び名にちなむ。
[スタケオセラス・イワイザキエンセ Stacheoceras iwaizakiense]
スタケオセラス・イワイザキエンセは岩井崎から発見されたペルム紀の頭足類で、広義のアンモナイト(アンモノイド類)に含まれるゴニアタイト類に属する。
ゴニアタイト類は古生代に特有のアンモノイド類で、隔壁の形状は後のセラタイト類や狭義のアンモナイト類と比べごく単純であった。
スタケオセラス・イワイザキエンセはペルム紀のアンモノイド類として国内で初めて記録されたもので、直径2cm程度と小型で、やや厚みがあり、へそと呼ばれる中央のくぼんだ部分が小さかった。
第六十一話
[ヒップリテス・ラディオスス Hippurites radiosus]
学名の意味:放射状の筋がある馬の尾の石
時代と地域:白亜紀後期(約9000万年前)のヨーロッパ(フランスなど)
成体の全長:数十cm
分類:軟体動物門 二枚貝綱 異歯亜綱 ヒップリテス目 ヒップリテス上科 ヒップリテス科
ヒップリテスは、厚歯二枚貝と呼ばれるヒップリテス目の貝の中でも、さらに狭義の厚歯二枚貝であるルディストと呼ばれる、ヒップリテス上科の代表的な貝である。
厚歯二枚貝はシルル紀から白亜紀末まで生息していた、厚さが幅に匹敵するか上回るという非常に分厚い殻を持つ二枚貝である。厚歯というとおり、二枚貝の殻で蝶番の役目を果たす歯という器官が発達していた。分厚い殻の中はあまり空洞がなく、軟体部分は少なかった。
メガロドン上科はハマグリに似た形の殻を単純に非常に厚くしたような形のものだったが、ヒップリテス上科のものは一方または両方の殻を円錐形や円筒形、または牛角状に分厚く発達させた。
ヒップリテス上科のものはさらに殻の形態と、そこから考えられる生態により、リカンベント、クリンガー、そしてヒップリテスの属するエレベーターの3つに大別される。
リカンベントは海底に横たわり、海底面上に水平に弧を描くように殻を成長させた。この形状により強い潮に流されずに済んだようだ。
クリンガーは片方の殻を基質に固着させて円錐形に成長させ、もう片方の殻を蓋として扱った。
エレベーターは、片方の殻を円錐形または円筒形に、垂直に成長させることで、泥質の海底に埋もれないように立っていた。他の2タイプと比べて潮流が穏やかな環境に生息していた。
これらのタイプは分類だけを反映したものではなく、成長の過程でクリンガーからエレベーターに変わるようなこともあった。
白亜紀後期には厚歯二枚貝が非常に反映し、当時衰退していたサンゴに代わって密集して生息し「礁」のようなものを形成していた。ただしこの「礁」はサンゴ礁のように固い土地を形成するというより、泥の海底の上にただ厚歯二枚貝が密集して立っているというものであった。
当時サンゴではなく厚歯二枚貝が繁栄していたのは、水温が高くなったことと塩分濃度が高まったために、適温の環境が必要で骨格が方解石で出来ているサンゴに不利になり、高温に適応できて殻がアラレ石で出来ている厚歯二枚貝に有利になったためと考えられている。
褐虫藻と共生し光合成するサンゴと入れ替わったことや、エレベータータイプの厚歯二枚貝が蓋となるほうの円盤状の殻を真上に向けていたこと、蓋となる殻に光を通すような孔が開いていたことから、特にエレベータータイプの厚歯二枚貝は藻類と共生して光合成していたのではないかという説がある。
しかし、厚歯二枚貝の生息していたのは濁っていて塩分濃度が高く、またそれほど貧栄養ではない環境だったため、共生藻類を持つのに適さなかった。また、厚歯二枚貝の殻の成長は早かったが、これはサンゴの骨格やシャコガイの殻よりもカキの殻に似ていた。このことから厚歯二枚貝が光合成を行っていなかったとすると、多くの二枚貝と同様に殻の隙間から水を出し入れして懸濁物を濾過していたことになる。
ヒップリテスは典型的なエレベータータイプの厚歯二枚貝のひとつで、ところどころに垂直な谷間のある、円錐形から円筒形の右殻と、その蓋となる円形で放射状の筋のある左殻を持っていた。花束状に寄り集まった礁を形成していた。
[イソロフス・シンシナティエンシス Isorophus cincinnatiensis]
学名の意味:シンシナティで発見された揃った天井
時代と地域:オルドビス紀後期(約4億5000万年前)のアメリカ(主にオハイオ州)
成体の直径:約2cm
分類:棘皮動物門 座ヒトデ綱 イソロフス目 アゲラクリニテス科
イソロフスは、代表的な座ヒトデのひとつである。
座ヒトデは古生代に特有の棘皮動物で、膨らんだ円盤状またはほぼ球形の体をしていて、いずれも直径数cm程度であった。
体の上面には、棘皮動物に特有の歩帯という器官があった。
歩帯とは管足という吸盤状の触手を繰り出す器官で、管足の収まる溝とその蓋からなる。現生のウニやヒトデの場合、体の口がある側の面の歩帯から管足を出して歩く。座ヒトデでは口のある面を上に向けていたので、歩帯から出した管足で水中の懸濁物やプランクトンを捕えていたと考えられている。
棘皮動物の基本体制である五放射構造にならって、座ヒトデの表面にある歩帯も5本放射状に並んでいた。このうち3本は同じ向きに曲がり、2本は肛門を囲むように曲がっていた。
また座ヒトデの表面は他の棘皮動物と同様に骨片で覆われていたが、反対の面には骨片がなく基質に貼り付くようになっていた。生きていたときも貼り付いた場所から移動しなかったようだ。棘皮動物全体がこうした固着性で懸濁物食のものから始まり、後にウミユリのような茎と腕を持ち立ち上がるものや、ウニやヒトデ、ナマコのように自由生活を送るものが現れていったと考えられる。
イソロフスは座ヒトデの中でも後に現れたイソロフス目の座ヒトデで、わずかに膨らんだシンプルな円盤状をしていた。肛門を囲まない歩帯は反時計回りに曲がり、歩帯を覆う骨片(歩帯板)は歩帯溝の両側から溝を覆う大きな歩帯板の間に2つ小さな歩帯板が挟まっていた。
イソロフスの化石は腕足動物の殻に貼り付いた状態で発見されることが多い。腕足動物も懸濁物食性であり、懸濁物の得やすい環境にどちらも生息していた結果、イソロフスが腕足動物に貼り付くことになったのかもしれない。
イソロフス・シンシナティエンシスはシンシナティ市の「市の化石」に選ばれている。
[キルンと呼ばれているハマグリ属の一種 Meretrix sp.]
属名の意味:娼婦
時代と地域:現世(約70年前まで?)の沖縄本島
成体の全長:約10cm(より大型のものの記録もある)
分類:軟体動物門 二枚貝綱 異歯亜綱 マルスダレガイ目 マルスダレガイ科
キルンは、沖縄本島の中城(なかぐすく)湾佐敷干潟や与那原(よなばる)海岸に1940年代まで生息していた、ハマグリ属の沖縄固有種または地域個体群である。キルンという名前はハマグリ属の現地名である。
チョウセンハマグリ
M.lamarckiiに非常によく似ているが、やや直線的な姿をしていて、ハマグリ
M.lusoriaに似た特徴もある。これらハマグリ属同様、砂浜に埋もれて生活していた。ハマグリやチョウセンハマグリと別種なのかこれらの地域個体群なのかは不明である。
かつては盛んに漁獲され、琉球政府への献上品にもされた特産品であった。昭和初期に激減し、他の地域から当時区別されていなかった他のハマグリ属が移入・養殖された。1940年代にはキルンは絶滅したようだが、本土復帰頃(つまり1970年代初頭)まで採集できたという住民の証言もある。
現在でも佐敷干潟ではキルンの死殻を拾うことができる。また金城湾沿岸の貝塚からも発見される。
第六十二話
[オウドウリセラス・レナウクシアヌム Audouliceras renauxianum]
時代と地域:白亜紀前期(約1億2000万年前)のアジア東岸(ロシア)
成体の全長:約30cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 アンキロセラス科
アンモナイトはオウムガイと同じく殻のある頭足類(イカやタコの仲間)で、デボン紀から白亜紀末にかけて繁栄していた。
殻の内部はいくつもの部屋に仕切られ、一番外側の最も大きな部屋(住房)に軟体部が収まっていた。他の部屋を気室といって浮力を得るための空洞になっていた。これもオウムガイと同じだが、殻の細部の構造が異なる。
多くのアンモナイトの殻は平面上に螺旋を描いて成長した。これを正常巻きという。これに対して、平面上の螺旋を保たずに成長するものもいた。これを異常巻きという。
オウドウリセラスの属するアンキロセラス科のアンモナイトは、成長の途中まで正常巻きのように巻いていたが、成熟が近付くとシャフトという直線区間を経て、フックという再び内向きの曲線の区間に入った。これにより全体が数字の9のようなシルエットになった。殻口は半楕円形であった。
シャフトおよびフックは隔壁のない住房であり、巻きの部分のみが気室の並んだフラグモコーンと呼ばれる区間だった。このため、成熟したアンキロセラス科のアンモナイトはフラグモコーンに働く浮力とシャフトおよびフックに働く重力のバランスでほとんど縦になって生活していたことになる。フラグモコーンに対してシャフトの分だけ住房が長かったことから、浮力は相対的に弱く、あまり海底から離れなかったと思われる。
また、アンキロセラス科のアンモナイトの殻に見られる特徴として、フック部分の肋(殻口に平行に付き放射状に見える凹凸)が波打つように大きかった。
殻の他に、アンモナイトについては顎器(いわゆるイカのカラストンビに当たるもの)と、歯舌という口の中にあるヤスリ状の器官の化石も知られている。アンキロセラス科を含むアンキロセラス亜目のアンモナイトは、上顎に対して非常に大きく、また平たい、石灰化した下顎を持っていた。このタイプの顎器をアプチクスという。
アプチクスは殻口のほとんどを占めるほど大きいため、かつては顎ではなく殻の蓋であると考えられ、顎器であると判明してからも外に突き出すことで蓋の役目をすると考えられてきた。しかしこれを行うには、顎器を含む口球という器官と、さらにその前方を取り囲んでいたであろう腕との位置関係に疑問が残る。
アンキロセラス亜目に属するバキュリテス
Baculitesというアンモナイトの化石にCTスキャンを行う研究により、バキュリテスの歯舌がブラシ状をしていて、甲殻類や、巻貝の幼生など、小さな生き物をふるい取って食べていたことが判明した。
また、オーストラリセラス科のオーストラリセラス(後述)のアプチクスも発見されていて、尖った先端がなく、固形の食物を噛みちぎることには全く不向きだった。
これにより、他のアプチクスを持つアンキロセラス亜目のアンモナイトも、小さな生き物をアプチクスの作る大きな空間に水や泥ごと吸い込み、ブラシ状の歯舌で濾過していたのではないかと考えられる。
バキュリテスの場合は全く巻かない直線状の殻を縦にしていたので海底の泥から餌を得ていたとされるが、アンキロセラス科の場合は殻口が上を向いていたので泥ではなく海水を吸い込んでいたのかもしれない。
オウドウリセラスはロシアのヴォルガ川流域で発見される中型のアンキロセラス科のアンモナイトである。アンキロセラス科の特徴をよく備えていた。
保存状態の良い化石が発掘されていて、中には住房の内側に付着した筋肉や外套膜(イカでいう胴の袋の部分で、殻の成分を分泌した)の痕跡が残ったものもある。筋肉の痕跡が住房の奥にあったことから、漏斗から水を吹き出すことに関連する筋肉が曲がった住房に沿って走っていたため、あまり強い推進力を生みだすことはできなかったようだ。
これらのことから、オウドウリセラスはゆっくりと(主に垂直方向に)泳ぎ、プランクトンを濾過して食べていたと考えられる。
千葉県銚子市に見られる銚子層群は白亜紀前期アプチアンの、上部外浜・大陸斜面上部の堆積物からなる海成層である。主に犬吠埼灯台の直下である犬吠埼層から、オウドウリセラスの近縁種であるトロパエウムTropaeumやオーストラリセラスなどのアンキロセラス科のものをはじめとするアンモナイトが発掘されている。
[プゾシア・サブコルバリカ Puzosia subcorbarica]
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年前)のアジア東岸(銚子、北海道など)
成体の直径:ミクロコンク約10cm マクロコンク約15cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンモナイト亜目 デスモセラス超科 デスモセラス科
オウドウリセラスのようなアンキロセラス科のものとは対照的に、プゾシアは平面上に螺旋に巻いた正常巻きアンモナイトの代表的なものの一つであった。やや平たく、巻きのきつさは中程度で、殻口は楕円形だった。表面の装飾はごく浅い肋が並んでいる程度であった。こうした形態のものはアンモナイトの中でも比較的遊泳性があったと思われる。また、プゾシアのようなデスモセラス超科のアンモナイトはアンキロセラス亜目のアプチクスと比べてやや尖った顎器を持っていた。
プゾシア・サブコルバリカは主に北海道から発見されている種である。銚子層群では長崎鼻層から発見されているが、これは長崎鼻層が堆積した時代より前の時代にすでに化石化したものが礫となって再度堆積したものであり、犬吠埼層のものとは生息年代が異なる。
[ホルコディスクス・オオジイ Holcodiscus ojii]
時代と地域:白亜紀前期(約1億2000万年前)のアジア東岸(銚子)
成体の直径:約7cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンモナイト亜目 デスモセラス超科 ホルコディスクス科
ホルコディスクスはプゾシア同様デスモセラス超科に属する、中程度の巻きのきつさのアンモナイトであったが、殻の表面には細かく明瞭な肋が隙間なく並んでいた。肋のうち数本に一つは枝分かれしていた。殻口は丸かった。オオジイ種は銚子の伊勢路ヶ浦で発見された化石を基に命名された種である。
[ネオシレシテス・ハギワライ Neosilesites hagiwarai]
時代と地域:白亜紀前期(約1億2000万年前)のアジア東岸(銚子)
成体の直径:約6cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンモナイト亜目 デスモセラス超科 シレシテス科
ネオシレシテス・ハギワライは銚子の酉明浦層で発見された化石から命名された。巻きがきつく、肋がはっきりしたアンモナイトであった。
直径の割に殻口が小さかったため、殻にかかる水の抵抗は大きく、反面、漏斗から水を吹き出す力が小さかったことになる。こうしたアンモナイトは水流に乗る浮遊生活をしていたと考えられている。
[プルケリア・ミニマ Pulchellia minima]
時代と地域:白亜紀前期(約1億2000万年前)のアジア東岸(銚子)
成体の直径:約3cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンモナイト亜目 エンデモセラス超科 プルケリア科
プルケリアは後述のペリスフィンクテスに比較的近縁な、かなり小型のアンモナイトである。肋は非常にはっきりとしていて、殻の表面全体が波打つようになっていた。こちらもミニマ種が伊勢路ヶ浦で発見された化石を基に命名された。
[ケロニセラス・メイエンドルフィ Cheloniceras meyendorffi]
時代と地域:白亜紀前期(約1億2000万年前)のアジア東岸(銚子)
成体の直径:約10cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目ドウビレイセラス科
ケロニセラスは近縁なドウビレイセラスと同じく、四角い殻口と非常に明瞭な肋を持った分厚い殻のアンモナイトである。ドウビレイセラスの祖先に当たるともいわれ、ドウビレイセラスにあるような肋上のいぼはなかった。このようなアンキロセラス科以外のアンキロセラス類もアプチクス型の顎器を持っていたようだ。
銚子からはメイエンドルフィ種そのもの、もしくはメイエンドルフィ種に最も近縁と思われる化石が、プゾシアと同じく長崎鼻の転石から発見されている。
[オーストラリセラス・ギガス Australiceras gigas]
時代と地域:白亜紀前期(約1億2000万年前)のアジア東岸(銚子)等
成体の全長:約50cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 アンキロセラス科
オーストラリセラスは先述のオウドウリセラスと同じくアンキロセラス科の特徴をよく備えた異常巻きアンモナイトである。オウドウリセラスよりさらに大型になった。ただし、アンキロセラス科にはより大型になるものもいた。
オーストラリセラス・ギガスもしくはその近縁種とされるもののフック部分のみ犬吠埼層から発見されていて、これは銚子のアンモナイトのうち(フックだけでも)最大のものである。これを含む5標本6点の犬吠埼産アンモナイトが天然記念物に指定されている。
[ダクティリオセラス・コムネ Dactylioceras commune]
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億8000万年前)の北米、ユーラシア近海
成体の直径:5〜10cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンモナイト亜目 エオデロセラス上科 ダクティリオセラス科
巻きが特にきつく、肋が細かいアンモナイトである。殻口は丸い形をしている。アナプチクス型という、やや尖った顎器を持っていた。
一般にも多く流通していて、多数が密集して発掘されることがよくある。
[ペリスフィンクテス・ボウエニ Perisphinctes boweni]
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億6000万年前)のヨーロッパ、アフリカ近海
成体の直径:10〜30cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンモナイト亜目 ペリスフィンクテス上科 ペリスフィンクテス科
ペリスフィンクテスは化石が一般にも多く流通していて手に入りやすいアンモナイトである。
巻きはややきつく、殻口は角を丸めた正方形に近い形をしている。肋(放射状の凹凸)は細かく並んでいて、二又に分かれるものもある。アプチクス型の顎器を持っていた。
特に多く流通しているのは数cm程度のものだが、成熟したものは直径10cm程度のものと20cmになるものがある。これは雌雄の違いと考えられる。
[ホプロスカフィテス・ニコレティイ Hoploscaphites nicolletii]
時代と地域:白亜紀後期(約7000年前)の北米西部
成体の全長:約6cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 スカフィテス科
スカフィテス科はアンキロセラス科と同じく9の字型をしたアンキロセラス亜目のアンモナイトだが、シャフト部分が短く、フックがフラグモコーンに接するものも多かった。このため、一見正常巻きアンモナイトとそれほど変わらない見た目のものが多かった。
形状とは別の殻の特徴として、スカフィテス科のものでは付着生物と共に化石化したものがごくわずかしか見付かっていない。生きていたときは厚い殻皮で殻を覆っていたとも考えられる。
先述のバキュリテスと同様、ブラシ状の歯舌と幅広いアプチクス型の顎器を持っていたことが分かっていて、プランクトンを濾過して食べていたと考えられる。
ホプロスカフィテスも、白亜紀後期にアメリカ西部を南北に縦断していた、ウェスタン・インテリア・シーに多数生息していたスカフィテス科のアンモナイトの一つであった。フラグモコーンの肋はややはっきりしていたが、シャフトからフックにかけては細かくなっていった。鮮やかな遊色(真珠構造による構造色)を示す化石も多い。
フラグモコーン部分は薄くてへそが小さく、むしろ遊泳に適しているとされるようなアンモナイトに近い形状をしていたが、シャフトからフックにかけてはやや幅が広く、遊泳に適さなくなっていた。シャフト部分の外縁には2列のいぼが並んでいた。
成長しきった殻の殻口には折り返して口を絞るような構造があった。これは軟体部を守るには適しているが、漏斗から水を吹き出したり腕を繰り出して動かすのには邪魔になった。成熟するとあまり活発に行動することはなくなったと思われる。
第六十三話
[脊椎動物の上陸と両生類の進化]
水中でいわゆる魚として生まれた脊椎動物の中から陸上で活動するものが現れたのは、デボン紀後期、三億数千万年前の淡水でのことだと考えられる。
陸上の脊椎動物、つまり四肢動物を生んだのは、魚の中でも肺魚やシーラカンスなど、胸鰭と腹鰭に柄のような骨格と、それを振るように動かす筋肉がある、肉鰭類の系統である。このうち肺魚のほうが四肢動物の祖先を含むらしい。硬骨魚類は元々肺を持っていて、これが多くの魚では鰾(浮き袋)に変わったと考えられる。
三億八千五百万年前には、ユーステノプテロン
Eusthenopteronという四肢動物に近い特徴を持つ魚が現れた。全体的な姿は円筒形で扇形の尾鰭を持つ魚そのものだったが、丈夫な頭骨、後の初期の四肢動物と共通する「ラビリントドント」と呼ばれる複雑なしわのある歯、四肢動物の四肢と共通する骨格のある鰭を持っていた。このことからユーステノプテロンはよく、浅い水辺に横たわった流木の上で鰭を使って体を支える姿に描かれる。
その後に現れたパンデリクティス
Panderichthysや、首と手首を持つティクタアリク
Tiktaalikは、より丈夫でよく動く鰭や前後に長い尾を持ち、浅い水辺を動くことに適応していた。また背鰭や尻鰭はなかった。
三億七千五百万年前のエルギネルペトン
Elginerpetonはすでに鰭ではなく四肢を持っていて、ごく初期の四肢動物であるといえる。
さらに後の三億六千万年ほど前にはイクチオステガ(後述)やアカントステガ
Acanthostegaといった、ごく基盤的ではあるものの各々異なった特徴を持った四肢動物が同じ場所に生息していて、四肢動物の多様化が始まっていたと思われる。これらの陸上移動に対する適応の様子は個々に異なっていた。指の本数は5本より多かった。
石炭紀前期の約三億四千八百万年前には、指が横ではなく前に向き、明確に歩行に適応したペデルペス
Pederpesが現れた。一方では、歩行できる祖先から二次的に水中のみに生息するようになったと考えられるクラッシギリヌス
Crassigyrinusなども現れた。
こうしたごく初期の四肢動物は便宜上「両生類」と呼ばれるものの、厳密な意味では両生類には含まれないとされる。
その後、石炭紀以降、分椎類というグループと爬形類(または炭竜類)というグループに分類される両生類がそれぞれ多様化した。
初期の四肢動物は脊椎の椎体が間椎心と側椎心に分かれ、そのうち間椎心のほうが発達していた。分椎類も基本的に間椎心と側椎心のペアを維持していた。爬形類では側椎心が発達した。
これら両生類の多くは現在のサンショウウオかワニを思わせる、平たい頭、短い四肢、長い胴体と尾を持つ、半水生の動物であった。ただし、この限りではなく多様な形態のものがいた。
分椎類には、ブランキオサウルス
Branchiosaurusのようなサンショウウオ型のものが多かったが、頭が前後に非常に短く、体全体が平たくて幅広いゲロトラックス
Gerrothoraxや、丈夫な四肢を持ち陸上での活動に適応したエリオプス
Eryopsなども現れた。
また、ほぼ完全に水生で現生のガビアルのような長い吻部を持っていたアルケゴサウルス類(史上最大級の両生類であるプリオノスクス
Prionosuchusを含む)や、姿はアルケゴサウルス類によく似ていたが別途水生に適応し、ある程度の塩分濃度がある汽水や海水にも適応していたトレマトサウルス類(アファネランマ
Aphanerammaなど)も現れた。
現生の両生類全てを含む平滑両生類の祖先となったのは、分椎類の中のアンフィバムス(後述)やゲロバトラクス
Gerobatrachusのグループである。
三畳紀までは分椎類にはある程度多様性があったが、三畳紀末には大半が絶滅した。白亜紀前期のオーストラリアに生息した大型種のクーラスクス
Koolasuchusが、ほぼ最後の分椎類だった。
爬形類には、頭部が左右に平たく伸びて長い三角形になったディプロカウルス
Diplocaulusや、フレゲトンティア
Phlegethontiaのように四肢を失いヘビそっくりになった欠脚類など、特殊な形態のものもいたが、セイムリア
Seymouriaのように爬虫類に似た特徴を持つものが多く現れた。
最も爬虫類に近い特徴を持つのは爬形類の中でもディアデクトモルファに属するもので、ディアデクテス
Diadectesは植物を食べる初めての四肢動物でもあった。
しかし、こうした爬形類の大半より早い石炭紀の段階で、すでにディアデクトモルファかその近縁種からヒロノムス
Hylonomusなどの爬虫類が現れていた。
石炭紀やそれに次ぐペルム紀以降、爬虫類や単弓類(哺乳類とその祖先のグループ)は多様化し、やがて両生類よりも目立つ存在となっていった。
一方では先述のアンフィバムスやゲロバトラクスの系統から派生した平滑両生類の中から、無尾類(カエル)と有尾類(イモリやサンショウウオ)を合わせたグループのバトラコモルファが現れ始めていた。
約二億五千万年前、三畳紀前期には無尾類に属するトリアドバトラクス
Triadobatrachusが現れていたが、これは尾がかなり退化して頭部も半円形になり、下顎の歯もなくなっていたものの、胴体が長く、後肢や骨盤はあまり長くなかった。ジュラ紀前期のヴィエラエッラ
Vieraellaは現生のカエルのように短い胴体と長い骨盤や後肢を備え、さらにプロサリルス
Prosalirusは長い足首を備えていて、飛び跳ねることに適応していた。
他の両生類とは異なる骨格と移動能力を持った無尾類は、樹上などの他の両生類とは異なる環境へ進出し、大きく多様性を増した。白亜紀前期には現生のムカシガエル類より派生的とされるタンババトラクス
Tambabatrachusやヒョウゴバトラクス
Hyogobatrachus、白亜紀後期には非常に大型のツノガエル類であるベエルゼブフォ
Beelzebufoが現れた。現在の無尾類は非常に多様なグループである。
一方、有尾類は分椎類や爬形類よりも単純な体の造りになりながらも、主に水辺や水中を這って生活することを変えなかった。
また、無足類(アシナシイモリ)を含むグループのギムノフィオナはバトラコモルファとの姉妹群としてジュラ紀前期には現れていた。エオカエキリア
Eocaeciliaはすでに細長い胴体を持っていたが四肢や目は残っていた。後に無足類は四肢や目を失い、地中もしくは水中の生活に適応した。
[アンドリアス・ショイヒツェリ Andrias scheuchzeri]
学名の意味:博物学者ヨハン・ヤコブ・ショイヒツァーが人間に似ていると思ったもの
時代と地域:漸新世〜鮮新世(約2300万年〜5万年前)のヨーロッパ
成体の全長:1m以上
分類:両生綱 平滑両生類 有尾目 オオサンショウウオ科
アンドリアス属は現生のオオサンショウウオ
A. japonicusとチュウゴクオオサンショウウオ
A. davidianusが含まれる属である。ショイヒツェリ種は漸新世末以降のヨーロッパに存在したアンドリアス属の一種で、現生種より先に自然史研究の分野で認知された。
現生のアンドリアス属、特にチュウゴクオオサンショウウオとは骨格上の違いが全くないといってよい。またタイプ標本は胴体の途中から後ろが失われているにも関わらず1mほどの長さがあり、大きさもチュウゴクオオサンショウウオと変わらなかったようだ。オオサンショウウオが生きた化石と呼ばれるのは主にこのことによる。よって生態も現生のオオサンショウウオとほとんど変わらなかったと思われる。
ショイヒツェリ種の化石が発見されたのは千七百二十六年、まだ自然科学により集められた証拠と仮説では聖書による地球史観が覆されていない時代だった。このため発見者のショイヒツァーは化石をノアの洪水の被害を受けた生物の遺体と考えていて、ショイヒツェリ種の化石をごく大まかなシルエットから人間であると考えた。アンドリアス・ショイヒツェリという学名はこのことにちなむ。
[イクチオステガ・ステンシオエイ Ichthyostega stensioei]
学名の意味:エリック・ステンシオ教授の魚の屋根
時代と地域:デボン紀後期(約三億六千万年前)のグリーンランド
成体の全長:約1.5m
分類:ステゴケファリア
イクチオステガは、四肢動物のごく初期のメンバーである。その中でも早く見付かったことから、魚類の中から四肢動物が現れて上陸する過程について参考になる重要な古生物であるとして詳しく研究されてきた。便宜的に両生類と呼ばれてきたが、厳密には両生類とはいえない。
頑丈な肋骨により補強された胴体は魚類と異なり、体をくねらせて泳ぐよりも重力に対抗して体を支えることを優先した適応と思われる。
一方、近年の骨学的研究によると、前肢と肩帯は丈夫だったものの体を持ち上げる動きができず、前後に往復させることしかできなかった。さらに、後肢は地面に向かず、尾の方向に向いていた。このことにより、イクチオステガは歩行するというよりトビハゼかセイウチのように前肢で体を前に押し出して水辺を這っていたと思われる。
後足には7本の指があったことが分かっているが、前足の指の本数は分かっていない。
尾は前後に長い尾鰭状になっていたもののそれほど大きくなく、また胴体をくねらせることはできなかったので、水中での遊泳能力も限定されていたのかもしれない。
頭部は前後に長い台形で、顎はがっしりしていて、やや大きく尖った歯を持っていた。おそらく魚などの獲物を待ち伏せて丸呑みしていたと思われる。
長らく脊椎動物全体の祖先に当たると思われていたが、イクチオステガ以前にも四肢動物がいたという証拠が集まりつつあり、また同じ時代・地域に形態の異なるアカントステガが存在したことから、イクチオステガそのものが最初の四肢動物であるとは見られなくなっている。
[アンフィバムス・グランディケプス Amphibamus grandiceps]
学名の意味:大きな頭を持ち水陸両方を進むもの
時代と地域:石炭紀後期(約3億年前)の北米
成体の全長:約20cm
分類:両生綱 分椎目 ディッソロフス上科 アンフィバムス科
アンフィバムスは、比較的小型の分椎類だった。現生の両生類につながる系統の初期のものであると考えられている。
幅広い大きな頭や短い尾、長めの四肢など現生の両生類、特に無尾類を思わせる特徴を多く備えていたが、骨盤は短く、また前肢と後肢が同じくらいの長さで、飛び跳ねることに適応していたわけではなかった。こうした両生類は後肢で蹴ることで泳いでいたのかもしれない。
第六十四話
[ドリコリンコプス・オスボルニ Dolichorhynchops osborni]
学名の意味:ヘンリー・オズボーンの長い口の顔
時代と地域:白亜紀後期(約8000万年前)の北米大陸西部
成体の全長:3〜5m
分類:双弓亜綱 鱗竜類 鰭竜類 首長竜目 プレシオサウルス類 ポリコチルス科
ドリコリンコプスは、首長竜の中でも白亜紀後期に繁栄したポリコチルス類というグループに属する。
ドリコリンコプスは小型の典型的なポリコチルス類の体型をしたもので、白亜紀後期に北米大陸西部を南北に貫いていたウェスタン・インテリア・シーウェイに生息していた。古くからよく揃った化石により研究が行われている。
首長竜の中でもドリコリンコプスをはじめとするポリコチルス類は頭が長くて首が比較的短く、頭と首を合わせると胴体と同じくらいの長さだった。同じような体型のプリオサウルス類に近縁であるという説が根強かったが、現在は首の長いプレシオサウルス類の中のクリプトクリドゥス
Cryptoclidusやエラスモサウルス類に近縁という説が有力である。
細長い顎には、尖った小さな歯が多数並んでいた。小さめの魚や、アンモナイトなどの頭足類を主食としていたと考えられる。
胴体と四肢は典型的な首長竜らしいものであった。胴体は流線型で、多数の肋骨と腹骨、全て腹側に移動した肩帯や骨盤の骨によって形状が保たれていた。四肢は全て鰭で、一体化した骨要素により板状になっていた。ドリコリンコプスの鰭は比較的細長かった。
ポリコチルス類やプリオサウルス類は長い首を持つものと違って、急な潜行・浮上を含む活発な動作で獲物を追いかけたと考えられる。
ドリコリンコプス以外の様々な化石から、ポリコチルス類の生態や姿に関する情報が得られている。
北海道ではポリコチルス類の腹部からアンモナイトの顎器が発見されているが、アンモナイトの殻は発見されていない。
ポリコチルス類の歯と顎ではアンモナイトの殻を噛み砕くことは難しいので、丸呑みして炭酸カルシウムの殻は胃酸で溶けたが顎器のキチン質は溶けなかった、胃石で殻を細かく砕いた、何らかの方法で軟体部だけを呑み込んだ、などの理由が考えられる。
ポリコチルス類の腹部から胃石が発見された例はあるが、細かい砂利状で、ダチョウの胃石によく似た傷があった。それほど固いものを砕くのには使わなかったのかもしれない。
ポリコチルス
Polycotylusの化石で胎児が見つかったことから、ポリコチルス類だけでなく陸に上がれない他の首長竜も海中で子供を出産したと考えられている。骨組織の研究によるとこの胎児の成長は早く、母親の全長の40%ほどまで育ってから生まれたようだ。
ポリコチルス類の非常に保存状態の良い化石から軟体部の痕跡が見付かったこともあり、マウリシオサウルス
Mauriciosaurusと名付けられている。これによると、生きていたときは後頭部から首、肩にかけて分厚い軟体部で覆われ、全身があまり段差のない流線型に近い体型になっていた。また鰭を構成する骨からさらに後方に軟体部が広がって、鰭が大きく、また流体力学的に効率の高い断面形になっていた。
[ペンギンの進化の概要]
ペンギンに最も近縁な鳥類はミズナギドリ類であり、白亜紀末(6600万年前)までにペンギンとミズナギドリの共通祖先からペンギンが分岐したと考えられている。白亜紀後期にはイクチオルニス
Ichthyornisやパラヘスペロルニス
Parahesperornisのような様々な海鳥が現れていて、ペンギンも元々そのうちのひとつだったことになる。
ミズナギドリは優れた飛行能力を持ち、またペンギンも飛行する鳥類が羽ばたきに用いる発達した大胸筋と、それが付着する大きな胸骨および竜骨突起を持つことから、ペンギンの系統の最初期に現れたものも飛行していたと思われるが、そのようなペンギン類の化石は発見されていない。
実際に発見されている最古のペンギン化石は暁新世のニュージーランドの地層から発見されている。ワイマヌ
Waimanu(ワイマヌ・マンネリンギ
W.manneringi)が特に古く、6100万年前まで遡り、コウテイペンギンほどの大きさに達した。ワイマヌにごく近縁なムリワイマヌ
Muriwaimanu(ワイマヌ・トゥアタヒ
W.tuatahi)はそれより100〜300万年ほど後のものでジェンツーペンギンほどだった。
このように化石記録の中では最初期にあたるペンギンはすでに大型で、クロスヴァリア
Crossvalliaのようにコウテイペンギンをしのぐものも現れていたようだ。恐竜などの陸の捕食者や首長竜などの海の競争相手がほぼいなくなったために、すみやかに大型化したのだと考えられる。
また当時のニュージーランドはジーランディアと呼ばれる現在より大きな陸地で、大型のペンギンが生息するのに充分な海岸線の長さや営巣地の面積があったようだ。
続く始新世から漸新世にはこうした大型のペンギンはさらに多様性を増した。コウテイペンギンより大きなペンギンを総称してジャイアントペンギンと呼ぶ(狭義にはパキディプテス・ポンデロスス
Pachydyptes ponderosusのみをジャイアントペンギンという)。
この時期のペンギンは大型化しただけではなく、エレティスクス
Eretiscusのような小型のものも含めて多様化し、分布の面でも、イカディプテスのように南米の赤道近くから、アンスロポルニス
Anthropornisのように南極まで広がった。また翼が完全に板状のフリッパーとなるなど現生のペンギンのように潜水・遊泳に適した構造を備えていった。
このような特に多様化した時期のペンギンですら、北半球では見付かっていない。その一方、北太平洋沿岸にはコペプテリクス
Copepteryxなどのプロトプテルム類という、ペンギン同様に飛ばずに翼の力で遊泳する海鳥が現れていた。ペリカン目に属するとされるが、脳の構造はペンギンに近縁であることを示唆する。こちらもジャイアントペンギン並に大型化した。
しかし中新世に入ると海の生態系が変化し、鯨類や鰭脚類など海生の哺乳類が多様化する一方でペンギンやプロトプテルム類は大きく多様性を減じた。
プロトプテルム類が中新世には絶滅した一方でペンギンにはパラエオスフェニスクス
Palaeospheniscusのような現生種とほぼ変わらないものが現れ、やがて現生のペンギン科に属するものが南極周辺の島から海流伝いに再び拡散していった。
[イカディプテス・サラシ Icadyptes salasi]
学名の意味:ロドルフォ・サラスのイカ県のダイバー
時代と地域:後期始新世(約3600万年前)のペルー
成体の体高:推定1.5m
分類:鳥綱 ペンギン目
イカディプテスは広義のジャイアントペンギンの中では比較的揃った化石が見付かっているものの一つで、ペルーのオツマ層からほぼ完全な頭骨、左前肢の大部分、頚椎の一部が発見されている。これらの大きさから史上最大級のペンギンであったと考えられる。
頭骨は32cmほどの長さがあり、その3分の2強をクチバシが占めていた。このクチバシはサギのものに似て、細長く真っ直ぐな円錐形をしていた。さらに断面には厚みがあり、鋭いだけでなく強度もあったようだ。表面の血管の痕跡から、クチバシを覆う角質の層は現生のペンギンと違ってカツオドリのように薄かったようだ。
また、頭を支える頚椎も頑丈だった。やや大型の魚や頭足類を、クチバシを突き出して刺して捕えたと言われている。
前肢は現生のペンギンと全く同様に、丈夫な板状のフリッパーとなっていた。高い潜水・遊泳能力を持っていたと考えられる。
イカディプテスや同時に発見されたペルーディプテス
Perudyptesなど一部のペンギンは、始新世末という特に温暖な時期の赤道付近に生息していたことになる。
ペンギンにはフリッパーの血管に熱交換機能があって、潜水時に冷たい海水から体の熱を奪われるのを防ぐのに役立っている。イカディプテスなどにもこのような血管があったという痕跡が見られることから、当初この熱交換機能は陸上で放熱することに役立っていたのではないかと言われている。
第六十五話
[ムリワイマヌ・トゥアタヒ(ワイマヌ・トゥアタヒ) Muriwaimanu tuatahi(Waimanu tuatahi)]
学名の意味:最初に見付かったがワイマヌより後であるもの(ワイマヌはごく近縁な属。意味は「水鳥」)
時代と地域:後期暁新世(約5800万年前)のニュージーランド
成体の体高:推定80cm
分類:鳥綱 ペンギン目
ムリワイマヌは発見されている中では特に古いペンギンの一つである。より古いワイマヌ・マンネリンギ
W. manneringiとは別属に分類し直された。クチバシ、頸椎、前後肢(手と大腿骨を含まない)等完全ではないが全身に近い化石が発見されている。ワイマヌの姿の手がかりとなっているのも実際にはムリワイマヌの化石である。
主にクチバシと前肢にペンギンとしては原始的な特徴がみられる。
クチバシは現生種よりも化石種によく見られる細長い形状で、ペンギンのクチバシの基盤的な形態が細長いものであったことを示唆する。ただ現生種と同じく主に小型の魚などを食べていたと考えられる。
前肢は飛行する鳥と比べると短く平たかったが、現生のペンギンと比べると長く、またがっちりと組み合わさって曲がらないフリッパーを形成してはいなかった。遊泳速度は現生種と比べると遅く、また遊泳できる距離も短かったと考えられる。なお翼がフリッパーになっていない現生ウミガラス類でもペンギンほど深く潜れない理由はもっぱら体重が小さいためと考えられ、ジェンツーペンギンほどの体格があるムリワイマヌであれば潜水できる深さも現生ペンギンとそう変わらなかったかもしれない。
後肢に関しては現生種にとても近く、足は太く短かった。現生種のように体を起こした姿勢をしていたようだ。
[イクチオルニス・ディスパル Ichthyornis dispar]
学名の意味:幻想的な魚の鳥
時代と地域:白亜紀後期(約8500万年前)の北米西部
成体の翼幅:推定40cm
分類:鳥綱 イクチオルニス目
イクチオルニスは、白亜紀後期に北米大陸西部を南北に貫いていた浅い海ウェスタン・インテリア・シーに生息していた海鳥である。現生鳥類全体を含む新鳥類にごく近縁だった。
全体的には現生のカモメかアジサシに似た体型をしていて、長時間飛行することができたようだ。
クチバシはアジサシやカワセミのように円錐形で、水面に突っ込んで浅いところの魚を捕らえるのに適していた。
またこのクチバシには上顎先端以外に細かく尖った歯が並んでいた。現生の海鳥の中にも細かい突起が並んだクチバシを持つものがあり、イクチオルニスの歯も同様にくわえた魚をすべらないように押さえるのに用いたと考えられる。
歯があること自体は鳥類としては原始的な特徴だが、保存状態の良い化石から頭骨全体の構造は新鳥類と同様で上顎が動くようになっていたことが分かっていて、大きな獲物も呑み込めたようだ。
イクチオルニスが発掘された地層からはプテラノドン
Pteranodonなど翼幅が3m以上あるような翼竜も発見されている。大型の翼竜が現生の大型の海鳥のような生態的地位にあった環境で、イクチオルニスのような海鳥も現生の小型の海鳥のような生活を始めていたことになる。
[パラヘスペロルニス・アレクシ Parahesperornis alexi]
学名の意味:アレクサンダー・ウェットモアの副ヘスペロルニス(ヘスペロルニスは近縁な属。意味は「西部の鳥」)
時代と地域:白亜紀後期(約8500万年前)の北米西部
成体の全長:推定1.0m
分類:鳥綱 ヘスペロルニス目 ヘスペロルニス科
パラヘスペロルニスもウェスタン・インテリア・シーに生息していた海鳥だが、イクチオルニスと違って飛行せず後肢の力で遊泳していたヘスペロルニス類に属する。ヘスペロルニス類もまた新鳥類とかなり近縁だった。
ヘスペロルニス類は非常に退化した前肢とどっしりした長い胴体を持っていた。ヘスペロルニス類もイクチオルニスと同様に細かい歯のある円錐形のクチバシを持っていた。首は長く、水中で餌を探したり追ったりするのに役立ったようだ。
現生のカイツブリ類やアビ類などと同様に、長い脛部により足が胴体の真下ではなく後端に位置していた。これにより地上での行動が非常に制限される代わりに後肢の水かき(蹼足)または弁足で泳ぐのに適していた。
ヘスペロルニス目の中でもバプトルニス科などのものは単純な水かきを持っていたが、ヘスペロルニス科のものは関節の構造からカイツブリ類のような足の指1本ずつに鰭状の皮膚の突起が付いた弁足を持っていたと考えられている。弁足は水を面に直角に押し出して抗力による推進力を得るだけではなく、水を切るように動いて揚力による推進力をも得る。
パラヘスペロルニスはヘスペロルニス科に属し、近縁のヘスペロルニス
Hesperornisと比べると半分程度の体格だった。ウェスタン・インテリア・シーには首長竜類やモササウルス類が繁栄していたが、このように多様なヘスペロルニス類が遊泳生活を送っていた。
[コペプテリクス・ヘキセリス Copepteryx hexeris]
学名の意味:大きな船を進めるオールの翼
時代と地域:後期漸新世(約3000万年前)の北太平洋西側沿岸(福岡県)
成体の全高:推定1.5m
分類:鳥綱 ペリカン目? プロトプテルム科
コペプテリクスは、「ペンギンモドキ」とも呼ばれるプロトプテルム類の代表的なものである。
プロトプテルム類はペリカン目に属すると考えられているが、始新世にペンギンとは別に北太平洋沿岸でペンギンに近い生活様式を行うようになった鳥である。
翼は短くフリッパー状の形態に近付いていたが、現生のペンギンのような完全なフリッパーにはなっていなかった。
飛行しない鳥としては特に胸骨が発達していた。また北海道で発見されたホッカイドルニス
Hokkaidornisから、肩関節の可動域は広く、肩甲骨が飛行する鳥類と違って幅広くなっていたことが分かった。これらの特徴はペンギンと共通し、翼を打ち下ろすときだけでなく打ち上げるときに発生する推進力も大きくなっていた。
後肢もまた短く、体を起こして支えるようになっていた。ただし水かきを安定を保つ舵としてのみ利用するペンギンと異なり、水かきで推進力を得ることがあったようだ。
クチバシと首は長かったがどちらかというとウもしくは原始的なペンギンに似た形態だった。
福井県立恐竜博物館の研究員である河部壮一郎氏が行った、保存状態の良い頭骨にCTスキャンを行う研究により、プロトプテルム類の脳の形態はペンギン類に近いことが判明した。鳥類の脳の形態は系統を反映することから、プロトプテルム類は従来考えられていたよりもペンギンに近縁である可能性がある。
コペプテリクスは福岡県北九州市の藍島(あいのしま)にある芦屋層群の地層で発見された。ヘキセリス種とティタン種の2種が発見されたが、小さいほうのヘキセリス種でもいわゆるジャイアントペンギンに匹敵する体高があり、大腿骨のみから知られるティタン種はさらに大きかった。
[パラエオスフェニスクス・パタゴニクス Palaeospheniscus patagonicus]
学名の意味:パタゴニアの太古のスフェニスクス(スフェニスクスはフンボルトペンギン属。意味は「小さな楔(状の翼)」)
時代と地域:前期中新世(約2000万年前)の南米(パタゴニア)
成体の全高:推定0.7m
分類:鳥綱 ペンギン目
パラエオスフェニスクスはアルゼンチンのパタゴニアで発掘される、ペンギン科(現生のペンギンの属全てだけを含む)にとても近縁なペンギンである。
ジェンツーペンギンほどの体格で、クチバシはそれほど細くなく現生のペンギン、特に属名にあるようにフンボルトペンギン属のものに似ていた(特にフンボルトペンギン属に近縁というわけではない)。
フリッパー等の各部の形態も現生のペンギンとほぼ変わらなかったが、後肢がやや細かった。あまり大きな段差を跳び越えなかったのかもしれない。
[スクアロドンの一種 Squalodon sp.]
属名の意味:サメのものに似た歯
時代と地域:後期漸新世(約3000万年前)の北太平洋西側沿岸(福岡県)
成体の全長:不明(3m程度?)
分類:北方獣類 鯨偶蹄目 鯨河馬亜目 ハクジラ下目 スクアロドン科
スクアロドンは比較的初期のハクジラ類である。大きさや全体の体型は現生のイルカによく似ていて、エコーロケーション能力も備えていたようだ。
名前の由来となった歯は大きな鋸刃状の突起が両端に付いた三角形のもので、現生のイルカの歯が前方のものも後方のものもほぼ同じ形態(同歯性)なのに対して、スクアロドンの歯は前方のもののほうが細長い形をしていた(異歯性)。歯自体の形態、異歯性ともに、より基盤的な鯨類に似た特徴である。現生のイルカと比べて大型の獲物を捕らえていたのかもしれない。
スクアロドンの一種の下顎を含め複数の鯨類の化石がコペプテリクスと同じく芦屋層群から発掘されている。このようなハクジラ類や鰭脚類の多様性が増すとともにプロトプテルム類やジャイアントペンギンが姿を消していったことが確認されていて、餌をめぐる競合の結果であるとされている。
第六十六話
[イソテルス・レックス Isotelus rex]
学名の意味:両端が同じ形になっているものの王
時代と地域:オルドビス紀後期(約4億5000万年前)のカナダ(マニトヴァ州)
成体の全長:70cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 アサフス目 アサフス科
イソテルス属はアサフス科に属する三葉虫として典型的なもので、どの種も比較的大型であり、特にレックス種は史上最大級の三葉虫である。
アサフス目に属する三葉虫は様々な形態をして、オルドビス紀に非常に繁栄した。全体的にやや平たく滑らかな形状で、頭部と尾部が大きいものが多かった。
アサフス
Asaphusやイソテルスなどのアサフス科では、全体のシルエットは端がわずかに尖った楕円で、頭部と尾部の輪郭はほぼ同じだった。このため体を丸めたとき両端を合わせて腹側をすっかり隠すことができた。
イソテルスは中軸(体の中央を前後に通るふくらみ)が幅広く、いっそう滑らかな姿をしていた。マキシムス種
I.maximusなどは頬棘と呼ばれる頭部の左右の端から後方に伸びる棘が発達していたが、レックス種にはこの棘はなく丸みを帯びた形だった。
イソテルス属のタイプ種であるギガス種
I.gigasは当初アサフス属に含まれると考えられたためアサフス属の大型種としてギガス(巨人)と名付けられたが、全長5cm程度のギガス種はイソテルス属の中ではむしろ小型で、イソテルス属には30cmはあるブラキケファルス種
I.brachycephalusをはじめ三葉虫全体の中でも特大のものが含まれている。
レックス種の化石はカナダ・マニトヴァ州のチャーチルで大小2個体が発見された。大きいほうのホロタイプ標本は尾部の先端がわずかに欠けていて、ここを修復すると72cmに達する、ほぼ完全な三葉虫の化石として世界最大のものである。小さいほうのパラタイプ標本も全長43cmに達する。
この地層は低緯度地域で堆積したものとされ、現生の海生動物ではむしろ高緯度のものが大型化するのとは対照的である。
殻の表面には他の生物が付着した痕跡がないことから、カブトガニのように砂に埋まって過ごすことが多かったと思われる。
また同じ地層からクルジアナ
Cruzianaと呼ばれる、三葉虫が砂や泥の上を歩いた痕跡とされる生痕化石(生物の遺体そのものではなく足跡や糞や巣穴の痕跡が地層中に残ったもの)の大型のものが発見されていて、これもイソテルス・レックスによるものと考えられる。
レックス種に限らずイソテルスは砂や泥を歩き回りながら小さな動物を捕食したり死んだ動物を食べていたと思われるが、イソテルス属が捕食を行っていたという状況証拠となる生痕化石が残っている。
三葉虫が遺したとされる生痕化石にはクルジアナの他にルソフィクス
Rusophycusというものがある。クルジアナと同じく三葉虫が肢で左右に向かって砂をかいた痕跡とされるが、クルジアナが長く浅く続くのに対してルソフィクスは三葉虫の輪郭に合う範囲のみ深くくぼんでいる。これは三葉虫が一か所にとどまって体の下の砂泥を取り除き、身を隠すための穴を掘った痕跡とされる。
オハイオ州のストーンリック・クリークにあるオルドビス紀後期の地層から発見された17.5cmあるルソフィクスはイソテルス属に合致するもので、三葉虫の口器に当たる位置にパラエオフィクス
Palaeophycusと呼ばれる別の生痕化石が重なっていた。パラエオフィクスは環形動物の巣穴とされているので、このルソフィクスを遺したイソテルスは環形動物を巣穴から引きずり出そうとして砂を掘り起こしたと考えられる。
三葉虫は多くの場合海底に沈殿したものを漉し取るようにして吸い込んでいたと考えられているが、環形動物など大型のものを食べる際は、肢の付け根に内向きに生えていた顎基と呼ばれる突起を歯のように使っていたようだ。
三葉虫の口の前には口唇(ハイポストマ)という部分があり、イソテルスでは1対の短剣状の突起があった。この突起は食物を切り裂くのに役立ったと言われたことがあるが、口唇には頭部に対する可動性がないことから、肉食の脊椎動物の歯のように使ったとは考えづらい。
口唇の表面には感覚毛が生えていたと見られる孔が並んでいて、歩いたときに前から流れてくる水から匂いや味を感知したり、触角の向きを自己検知したりと、口唇はむしろ感覚器官として役立っていたようだ。
イソテルスのようなアサフス類については幼生の情報も得られている。
卵を除くと、三葉虫の一生のうち知られている最も初期の段階は頭部の背甲のみを持つ原楯体という姿で、その後明確な尾部を得て幼楯体という段階になり、胸部の体節を増やしながら成長して、胸部の体節が一定の数に達するとそれ以上体節の増えない完楯体という段階になる。
アサフス類では、原楯体は口の周り以外が腹面までよく覆われたなめらかな形をしていて、羽毛状の付属肢を伸ばして水中を浮遊する生活を送っていたと考えられている。
[メギスタスピス・ハモンディ Megistaspis hammondi]
学名の意味:ハモンド氏の最大の盾
時代と地域:オルドビス紀前期(約4億8000万年前)のモロッコ
成体の全長:約30cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 アサフス目 アサフス科
メギスタスピスもイソテルスと同様に典型的なアサフス科の三葉虫だったが、頭部の先端がやや尖った形になっていて、また尾部先端の棘が細く真っ直ぐ伸びていた。頬棘も細く真っ直ぐだった。尾の棘まで含めて30cmほどになり、イソテルス属の特大の種ほどではないとはいえかなり大型の三葉虫だった。
モロッコのフェゾウアタ層群から非常に保存状態の良いメギスタスピスが発見されていて、背甲の中に全て隠れる長さの、がっしりとした付属肢を持っていたことが分かった。このように付属肢が残っている三葉虫の化石は非常に少ない。
さらにこの付属肢には棘が並んでいて、頭部の付属肢のほうが胸部や尾部のものより棘が多かった。
この棘がクルジアナの中でもタイヤの轍のような横筋だけではなく縦筋もあるクルジアナ・ルゴサ
C.rugosaと呼ばれるものに合致していることから、クルジアナ・ルゴサを遺したのはメギスタスピスであると考えられる。
クルジアナを遺したのは主に三葉虫だと考えられているとはいえ、このように三葉虫によるものだという具体的な証拠があるものは少なく、全てが三葉虫によるものだというわけではないとされる。三葉虫のいない年代の地層からクルジアナが発見される場合もある。
[トリアルツルス・エアトニ Triarthrus eatoni]
学名の意味:イートン氏の3つの節があるもの
時代と地域:オルドビス紀後期(約4億4500万年前)の北米(カナダ・オンタリオ州とケベック州、アメリカ・ニューヨーク州)
成体の全長:3cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 プティコパリア目 オレヌス科
トリアルツルスは非常に典型的な姿をした三葉虫だった(というより、トリアルツルスの化石の保存状態がとても良かったためもあってか、三葉虫の代表的なものとして図解に用いられることが多く、トリアルツルスのような姿が三葉虫の典型的なものであると認識されるようになっている)。頭部は半円形で、尾部は小さく、目立つ棘はなかった。
ニューヨークのビーチャーズ・トリロバイト・ベッドという地層では、全身が黄鉄鉱(硫化鉄の鉱物)で置き換えられて付属肢までよく保存されたトリアルツルスが発見されている。死後に酸素に乏しい海底に置かれ、そのような環境に多い硫黄細菌の働きにより黄鉄鉱に置き換えられたと考えられている。
黄鉄鉱化したトリアルツルスにより三葉虫の付属肢の構造、例えば根元で外肢と内肢に分岐して外肢は鰓になっていたことや前述の顎基があったこと、細長い触角が口唇の左右から周り込んで前方に向かっていたことなどが判明した。トリアルツルスの付属肢は外肢の鰓・内肢の歩脚ともに背甲からはみ出す細長いものだった。
頭部や周囲に卵が残されているトリアルツルスも発見されている。長径0.2mm弱の楕円形で、水に沈むものだったようだ。またカブトガニのように頭部に生殖器官があったこともこれにより明らかになった。この卵が原楯体の化石より小さいことから、孵化直後には外骨格が鉱物化していなくて化石に残らない未知の段階があり、それから原楯体となっていた可能性がある。
[オンニア・スペルバ Onnia superba]
学名の意味:オニー川の素晴らしいもの
時代と地域:オルドビス紀後期(約4億5000万年前)のモロッコ
成体の全長:約3cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 アサフス目 トリヌクレウス上科 トリヌクレウス科
アサフス目の中でもトリヌクレウス上科の三葉虫は頭部が大きくて胸部がごく短く、おおむね円形のシルエットをしていた。また複眼が退化していた。
さらにオンニアのようなトリヌクレウス科のものは頭部の縁が平たく広がり、そこに多数の孔が並んでいた。頭部の縁の後ろから頬棘が長く伸びていた。
ハルペス類(
第四十三話参照)も頭部の縁が広がって小さな孔が多数開いていたが、ハルペス類の孔は小さく(おそらく)貫通していなかったのに対して、オンニアやクリプトリスス
Cryptolithusの孔はやや大きく、貫通していたようだ。
オンニアは泥の上に浅い穴を掘って体を固定し、泥をまき上げて体の後下方から前上方に流れを起こし、餌となる有機物粒子や小さな生物を濾過したと考えられている。このとき頬棘は泥の上で体を安定させるのに役立ったとされる。
また、泥に身を隠すときに穴を貫通して泥がまき上がるので、体を早く隠すことができたという考えもある。
[アンピクス・プリスクス Ampyx priscus]
学名の意味:太古の頭飾りを持つもの
時代と地域:オルドビス紀前期(約4億8000万年前)のモロッコ
成体の体長:約3cm(角と棘を除く)
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 アサフス目 トリヌクレウス上科 ラフィオフォルス科
アンピクスはトリヌクレウス上科の中でもラフィオフォルス科の三葉虫である。頭が大きくて複眼が退化していたのはオンニアと同様だが、オンニアと違って頭部の縁は広がらず、孔はなかった。頭部先端から細長い角が生えていた。頬棘も長く、逆Y字のシルエットを作っていた。
オンニアと同様に泥の上で頭部の下の空間を利用して餌を濾過したか、丸まった姿勢で体の隙間に水を通して餌を濾過したと言われている。
アンピクスの化石はしばしば複数の個体が一列に並んだ状態で発見される。このとき前方の角は前の個体に接して、前の個体の頬棘の間に収まる。
2019年にこれが実際にイセエビのように行列をなして進んでいた痕跡であることが確認され、動物の集団行動として知られている中で最古の例であることが分かった。視覚は退化していたので前方の個体の頬棘に後方の個体の角が触れることで列を保っていたようだ。いわゆる渡りのような行動か繁殖に関連した行動と思われる。
[リンギュアフィリップシア・サブコニカ Linguaphillipsia subconica]
学名の意味:準円錐形をした舌状のフィリップシア(フィリップシアはリンギュアフィリップシアと近縁な三葉虫の属名。意味は「ジョン・フィリップスのもの」)
時代と地域:石炭紀前期(約3億5900年前)の東アジア(岩手県)
成体の全長:約3cm
分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 プロエトゥス目 プロエトゥス科
アサフス目の三葉虫の多様性がピークに達したのはオルドビス紀のことだったが、その後のシルル紀やデボン紀になるとアサフス目のみでなく他の三葉虫も多様性を減じ、石炭紀やペルム紀にはほぼプロエトゥス目の小型で単純な姿のもののみとなった。
一方、国内では東北地方・北上山地を中心にこの時期の小型三葉虫が各地で発見されている。
リンギュアフィリップシア・サブコニカは典型的なプロエトゥス類であり、全体は長い楕円形で、やや大きな頭部と尾部を持っていた。国内でも岩手県大船渡市の日頃市層等で発見される。日頃市層でリンギュアフィリップシアが発見される部層はH1部層と呼ばれる石炭紀の始まりのもので、砂岩・頁岩・砂質石灰岩からなる。サンゴ等が生息する温暖で浅い海だったようだ。
[シュードフィリップシア・クズエンシス Pseudophillipsia (Pseudophillipsia) kuzuensis]
第四十二話参照。
第六十七話
[ゴンフォテリウム・アネクテンス(アネクテンスゾウ) Gomphotherium annectens]
学名の意味:繋がった杭の獣
時代と地域:前期中新世(約1800万年前)の日本
成体の肩高:約2m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 "ゴンフォテリウム科"
長鼻類、いわゆるゾウの仲間は新生代を通じて多様化し続けていた。ゴンフォテリウム属はその中でもいくらか現生のゾウに近い特徴を備えていたものの、頭骨の形は現生のゾウとかなり異なっていた。
ゴンフォテリウム属に含まれる長鼻類の頭骨は平たくて前後に長く、下顎、特に歯隙(前歯と臼歯の間)は長く伸びていた。
上下の顎にともに1対ずつ前歯が発達した牙があり、上の牙は大きくて前に伸び、下の牙は小さく、下顎の先端に揃っていた。
臼歯は現生ゾウに特徴的な水平交換式(以前から生えていた単一の臼歯がすり減るに従って奥から次の臼歯が生えて前進する方式)ではなく、他の哺乳類と同じ垂直交換式で、一度に複数の臼歯が同時に顎に並んでいた。この臼歯の形は丸みを帯びた円錐形の突起を並べたようなもので、すり減ると独特のクローバー形を呈した。現生のゾウよりどちらかというとカバの臼歯に似る。
上記はゴンフォテリウム属全体に通じる特徴だが、ゴンフォテリウム属とされる長鼻類は中新世の初頭から前期鮮新世(約500万年前)までの長期間にわたって生息し、その中に多様な種が現れた。
ゴンフォテリウム属は大きく3つのグループに分かれる。1つ目がアネクテンス種、つまりアネクテンスゾウを含む初期の側系統群である「アネクテンスグループ」である。他の2つはそれぞれ単系統群で、模式種であるアングスティデンス種
G. angustidensを含むグループと、より後の年代に発展したグループである。
これらのゴンフォテリウム属の長鼻類はそれぞれ異なった特徴を持ち、体型に関しても四肢の長さ・背の高さに違いがあった。特に背の高いものは後期に現れたようだ。
背の低い種、高い種どちらも、口が上手く地面に届かず上の牙も邪魔になったことから、地面に届く長さの鼻があったと推測されている。鼻の基部となる鼻孔の周囲の形態からも鼻が発達していたことが分かる。
少なくとも派生的なものについては、現生のゾウと同様に体格や上の牙の大きさが雌雄で異なっていたことや、種によって木本植物の葉とイネ科の草本どちらを食べた痕跡があるか異なることが判明している。
アネクテンスゾウはゴンフォテリウム属の中でも特に初期の、基盤的な特徴を持つものである。岐阜県の瑞浪層群平牧累層から発見された。
アネクテンスゾウの発見された部位はほぼ完全な下顎と部分的な上顎である。これらは当初別の個体と考えられ別々に所蔵されていたが後に噛み合わせから同一個体と判明した。また下顎の右の牙は当初は個人に所蔵されていた。
下顎を基準にして他のゴンフォテリウム属と大きさを比べると、アネクテンスゾウはかなり小柄だった。下顎の長さは75cmと大型種の半分強であった。一見若い個体のようだが、第3大臼歯が生えていることから成体であったことが分かる。
また下顎の形は華奢で、あまり下向きに曲がっておらず、顎関節突起は低かった。この形態は後のゴンフォテリウム属より、フィオミア
Phiomiaのようなもっと前の年代の長鼻類に似る。
このような顎と、臼歯の形状から、植物を地表から次々とむしり取る「グレイザー」ではなく選んでつまみ取る「ブラウザー」の性質が強く、イネ科の草本より木の葉や水辺の植物を食べ、それほど噛んですり潰すことをせずに飲み込んでいたと考えられる。
発見された標本では下の牙が左右非対称に摩耗していた。特に左の牙は外側からV字の切り込み状の欠けがあった。この個体の牙の使い方に癖があり、牙の左側と鼻の間に木の枝を挟んで葉をこそげ取っていたのではないかとも言われている。
平牧累層からはコナラ属
Quercusやフウ属
Liquidambarをはじめ落葉広葉樹を中心とする植物の化石が発掘されている。近隣の近い年代の地層も同様で、やや温暖な温帯性気候のもと、森林に囲まれた湖で堆積した地層であると考えられている。アネクテンスゾウはこのような森林に生息していたようだ。瑞浪層群の他の層には海で堆積した地層もあり、海岸線や水深の変化が読み取れる。
また、平牧累層ではウマに近縁なアンキテリウム属とされるヒラマキウマ
Anchitherium hypohippoidesや、サイに近縁なカニサイ
Brachypotherium pugnator(一部はプレシアケラテリウム属
Plesiaceratheriumのものが含まれるとも言われる)、ビーバー科のアンキテリオミス
Anchitheriomys、ウマに近縁だが腕が発達してがっしりとした体形のカリコテリウム類Chalicotheriidaeといった様々な植物食の哺乳類が発見されていて、これらの動物化石を平牧動物群という。
第六十八話
[ヒラコテリウム・レポリヌム Hyracotherium leporinum]
学名の意味:ノウサギやハイラックスに似た獣
時代と地域:前期始新世(約5000万年前)のヨーロッパ(イギリス)
成体の肩高:約30cm
分類:奇蹄目 馬形亜目 ウマ科
奇蹄類は、現生のものでいうとウマ科・サイ科・バク科が含まれるグループである。ヒラコテリウムはウマ科の最も初期のメンバーであり、また奇蹄類全体の初期の姿を留めていたと言われる。
ウマ類の研究史では早くから知られていたエオヒップス
Eohippusもこの属に統合されたが、「暁のウマ」を意味する属名に馴染みがあるとして、畜産学などの分野で慣例的にエオヒップスと呼ぶことがある。
ヒラコテリウムはウマ科の中で最も小型なものでもあった。
木の葉を食べるのに適した尖った低い歯、短い吻部、臼歯のすぐ上の眼窩を持ち、現生のウマ
Equusの持つ、イネ科の草を食べることに適応した形態はほぼ持っていなかった。
また、4本指の手と3本指の足を持ち、柔らかい林床を歩くのに適していた。
後のウマ類ほど走行に適応していたとはいえないが、かなり身軽な体型で、関節の構造はすでに走行に適していた。
森林に身を隠し木の葉を食べる、マメジカ類のような生態をしていたと考えられる。
[メソヒップス・バイルディ Mesohippus bairdi]
学名の意味:スペンサー・フラートン・ベアード氏の中間のウマ
時代と地域:前期漸新世(約3300万年前)の北米(サウスダコタ州)
成体の肩高:約50cm
分類:奇蹄目 馬形亜目 ウマ科
ヒラコテリウムと比べると大型化し、走行への適応が進んだウマ類である。
手の指が1本減って3本指となったが、中指以外の蹄もやや大きく、常に全て接地していたようだ。
吻部の先端の幅が狭いことなど、ヒラコテリウム同様、草よりも木の葉を食べることに適した特徴を持っていた。
小型のシカのような生態をしていたと思われる。主な発見地であるホワイトリバー層群は、温暖湿潤で植物が豊富な氾濫原で堆積したと考えられている。
[メリキップス・インシグニス Merychippus insignis]
学名の意味:注目すべき反芻するウマ
時代と地域:中期〜後期中新世(約1500万年前)の北米(主にネブラスカ州)
成体の肩高:約90cm
分類:奇蹄目 馬形亜目 ウマ科 ウマ亜科
メソヒップスよりさらに大型化し、草原に適応したウマ類である。
「反芻するウマ」という意味の属名を持つが、偶蹄類のように反芻していたとは考えられていない。歯にイネ科の草を食べることに適した特徴があることから反芻動物を連想して名付けられたようだ。
歯の歯冠部分はそれまでのウマ類と比べて高くなった。これはプラントオパールという鉱物粒子を含むイネ科を噛みしめ続けても歯が全てすり減ってしまわない形態である。咀嚼を行う下顎自体もがっしりしていた。
また吻部は長く、眼窩は臼歯よりかなり後ろにあった。これにより草を噛みしめ続けるときに臼歯に加わる力が目に伝わることが防がれ、また草を食むために下を向いてもあまり視界が悪くなることがなかった。
吻部の先端はやや幅広かった。これは木の枝から葉をつまみ取る「ブラウザー」と呼ばれる性質より、地面から植物をあまり選ばず刈り取る「グレーザー」と呼ばれる性質が強かったことを示唆する。
手足はメソヒップス同様3本指だったが、手足とも中指の蹄が特に大きく発達して、もっぱら中指だけで体重を支えていたようだ。これは柔らかい林床を歩くより固い草原を走ることに向いている。全体の体型もメソヒップスと比べてがっしりしていた。肩が発達し、首を下げたまま保持する筋肉を支えていた。
中新世に気候が寒冷化・乾燥化したために森林が減少して草原が拡大したため、ウマ類からもメリキップスのように草原という新しい環境に適応したものが現れたのだと考えられている。
メリキップスの後にヒッパリオン
Hipparionや
プリオヒップスPliohippusなど、メリキップスの草原に適した特徴をさらに極端にしたようなウマ類が多く現れたが、ヒトが現れる頃には、手足とも完全に1本指という最も極端な形態のウマ属
Equusのみが生き残った。なお、ウマ類が数を減らす一方ではウシ科やシカ科の偶蹄類が非常に多様化していった。
[アンキテリウム・ゴビエンセ Anchitherium gobiense]
学名の意味:ゴビで発見された(歯の形が他の奇蹄類に)近い獣
時代と地域:中期中新世(約1500万年前)の東アジア(主に中国)
成体の肩高:約60cm
分類:奇蹄目 馬形亜目 ウマ科 アンキテリウム亜科
メリキップスとほぼ同時期のウマ類だが、現生のウマにはつながらない系統に属していた。
歯以外の部分の化石はあまり発見されていないが、メリキップスと違って木の葉を食べることに適した歯の特徴を保持していた。体型はほっそりしていたようだ。
アンキテリウム属はアジア各地で発見されている。国内でも岐阜県の平牧累層(前話のアネクテンスゾウの解説を参照)から歯の付いた下顎の一部が発見され、ヒラマキウマと呼ばれている。
ヒラマキウマはヒポヒッポイデス種
A. hypohippoidesであるとされてきたが、ゴビエンセ種との類似も指摘されている。湿潤な森林の湖で堆積したと考えられる平牧累層でヒラマキウマが発見されたことは、アンキテリウムが森林性のウマ類であったことを強く示唆する。
アンキテリウムを含む系統にも多数の属が含まれ、中新世の間存続した。
[ディニクティス・フェリナ Dinictis felina]
学名の意味:ネコに似た恐ろしい小型肉食獣
時代と地域:前期漸新世(約3300万年前)の北米(サウスダコタ州)
成体の肩高:約60cm
分類:食肉目 ネコ亜目 ネコ上科 ニムラヴス科
ディニクティスはネコ科にごく近縁で体型も非常に似通っていたニムラヴス科に属する、オオヤマネコやボブキャットほどの大きさの肉食獣であった。ネコ科との違いはかなり細かい複数の骨学的特徴である。
ニムラヴス科にはネコ科マカイロドゥス亜科(いわゆるサーベルタイガー)と同じく、犬歯が非常に長く発達するものが多かった。このためニムラヴス科で犬歯の長いものを「ニセサーベルタイガーfalse saber-toothed cat」と呼ぶことがある。ただしがっしりとしたマカイロドゥス亜科のものと違って、ニムラヴス科のものは体型がほっそりとしていた。
ディニクティスは「ニセサーベルタイガー」の中ではあまり大きくないほうで、身軽だが四肢は長くなかった。後肢のかかとを地面に付けて歩いていた可能性がある。また尾はネコ科の基準でいうと比較的長かった。樹上で過ごすこともあったと考えられる。
ディニクティスの犬歯はホプロフォネウス
Hoplophoneusなどと比較すると短く、また薄くて刃にあたる部分が鋭かった。より小型の獲物を主に捕えていたのかもしれない。下顎の先端には犬歯に沿うように小さく下に突き出た部分があった。
ディニクティス属は北米の幅広い地域・年代から発見されていて、一見特殊な食性に適した犬歯に見えるが様々な獲物を捕らえていた可能性がある。メソヒップスと同じくホワイトリバー層群からも発掘されていて、食う食われるの関係であったかもしれない。
第六十九話
[ルーフェンゴサウルス・フエネイ Lufengosaurus huenei]
学名の意味:フリードリッヒ・フォン・ヒューネの禄豊の爬虫類
時代と地域:ジュラ紀前期(約1億9千万年前)の中国南西部(雲南省禄豊県)
成体の全長:5〜6m(最大9m?)
分類:竜盤目 竜脚形類 マッソポーダ マッソスポンディルス科
ルーフェンゴサウルスは、かつて「古竜脚類」と呼ばれていた、竜脚形類のなかで竜脚類に含まれない恐竜(基盤的な竜脚形類)のひとつである。基盤的な竜脚形類のなかでもルーフェンゴサウルスはやや大型で、また特に後の時代に生息していた。同じ時期にすでに竜脚類に含まれる竜脚形類が生息していたので、竜脚類の祖先であるとはいえない。
全体的な姿は同じく大型の基盤的な竜脚形類で三畳紀のヨーロッパを中心に生息したプラテオサウルス
Plateosaurusに似ていて、よく対比されてきた。分類としてはジュラ紀前期のアフリカに生息したマッソスポンディルス
Massospondylusにより近縁であるとされる。
これらのような基盤的な竜脚形類の中でも後に現れた大型のものは、各地に分布を広げ、かなり繁栄していた。小さな頭、長い首、樽型の胴体、頑丈で中足部の短い後肢、太く長い尾といった竜脚類にも通じる特徴を持つが、前肢はかなり短かった。
頭部の軽量化は竜脚類ほど進んでおらず、鼻孔は額ではなく上顎の先端にあった。竜脚類と違って顎が前下方ではなくまっすぐ前に突き出ていた。後頭部の筋肉が収まる部分の形態には、顎を素早く閉じるという肉食であった祖先の特徴が残っていて、噛み締める力自体は強くなかったようだ。口先は幅が狭く尖っていた。
顎の関節が歯列と比べて低く、前後に長い歯列全体が一度に閉じるようになっていた。上顎と下顎の長さが違うということでクチバシがあったとされたことがあるが、顎の長さの違い自体が誤認だったようだ。
また歯はイグアナのものに似て、歯冠が平たい三角形で縁に粗い鋸歯があり、上下の歯で噛み合ってすり減った面はなかった。これに対して竜脚類ではへら状または鉛筆状の歯が顎の前方に集中していた。竜脚類が植物を摘み取ったり漉き取ったりしていたのに対して、基盤的な竜脚形類は歯一つひとつの働きで噛み切るようにして植物を食べていたと思われる。また昆虫なども食べる雑食だったと言われることもある。
首は長いといっても胴体の肩から腰の前までと同等程度で、長い首を軽量化したり支えたりする仕組みは発達していなかった。三畳紀後期からジュラ紀前期の時点ですでに長い首で広い範囲の食物を集めることに適応していたとはいえる。
上腕骨の筋肉が付着する突起は大きかった。手の平は内側に向いたままで前腕部からひねることができず、また手の指が長くてよく動いたことから、前肢を地面に付くことはほぼなく、二足歩行をしていたと考えられている。第1指の爪が発達していたのは竜脚類にも共通しているが、基盤的竜脚形類の第1指の爪は尖ってカーブしていた。木の幹や枝を掴んで高い位置の葉を食べることなどに前肢を使ったと思われる。
大腿骨は竜脚類と比べるとカーブしていて筋肉の付着部も大きく、脛骨・腓骨の長さは大腿骨と同等だった。足の指は長かった。竜脚類と比べると、体重を支えるよりは速く移動することに向いた特徴があったといえる。
ルーフェンゴサウルスは雲南省禄豊県の禄豊層という地層で1930年代から多数の標本が発掘されていて、この地層の代表的な恐竜とされる。保存状態の良い標本も多く、コラーゲンが残っているものさえある。
ルーフェンゴサウルスのなかで小型のものをフエネイ種、大型のものをマグヌス種
L.magnusに分類する説と、大型のものもフエネイ種に含める説がある。プラテオサウルスやマッソスポンディルスなどと異なる外見的な特徴として、眼窩の前上方に低いこぶ状の突起があった。
禄豊層から発見される恐竜をまとめてルーフェンゴサウルス動物群と呼ぶこともある。ルーフェンゴサウルス動物群にはユンナノサウルス
Yunnanosaurus、ジンシャノサウルス
Jingshanosaurusのような基盤的な竜脚形類だけでなくクンミンゴサウルス"
Kunmingosaurus"のような竜脚類も含まれる。またこれらの竜脚形類とやや大型の肉食の獣脚類であるシノサウルス
Sinosaurusとは被捕食者と捕食者の関係だったかもしれない。
禄豊層が堆積したのは広大な盆地で、古四川盆地と呼ばれている。温暖で湖沼が広がる土地だったが次第に乾燥化が進んでいったようだ。ルーフェンゴサウルスの化石は這いつくばった姿勢で発見されることが多く、水平な姿勢のまま沼にはまって動けなくなったものと言われる。
禄豊層の植物相は裸子植物やシダが大部分を占め、年代が下るにつれてシダが減っていったようだ。ルーフェンゴサウルスなどの基盤的な竜脚形類はシダの減少と連動するようにして数が減っていき、竜脚類が増えていった。基盤的な竜脚形類はシダを、竜脚類は裸子植物を主食にしていたのかもしれない。
ルーフェンゴサウルスおよび近縁のマッソスポンディルスともに卵とその中の胚の化石が発見されていて、ほぼ最古の卵化石である。どちらも直径5〜6cmほどで殻は柔らかかった。
胚の特徴はどちらも共通していて、目が大きくて、首が短く歯はごく小さかった。手があまり体重を支えるのに適していないにもかかわらず前肢が後肢と同じくらいの長さだった。さらに骨盤と尾は小さく、これは後肢の力も弱かったことを示す。孵化する直前の段階でまだ餌を取る能力も移動する能力もごく低かったことになる。
マッソスポンディルスの場合は、卵化石の見付かった場所が三日月湖の岸辺にあった営巣地であったことや、8個以上巣があって、巣の中に34個以上の卵が親によって整列させられていたこと、生まれてしばらく経った幼体や育ち切った成体も付近にいたことが分かっている。これらのことからマッソスポンディルスは子育てをしていたのではないかと考えられる。
第七十話
[アファネランマ・ロストラトゥム Aphaneramma rostratum]
時代と地域:三畳紀前期(約2億5千万年前)の北欧(スヴァールバル諸島)
成体の全長:約2m
分類:分椎類 トレマトサウルス科 ロンコリンクス亜科
アファネランマを含むトレマトサウルス類は三畳紀に特有の遊泳によく適応した両生類で、長い胴体とウナギの尾鰭に似た尾を持っていた。両生類であるにもかかわらず海成層から発見されていて、海水での生活に適応した唯一の両生類であるとされる。
多くは長い三角形の頭部を持っていたがアファネランマの吻部は特に長く伸び、現生のインドガビアルのように細長い棒状になっていた。この吻部には細かく尖った歯が並んでいて、インドガビアル同様水中で頭部を素早く横に振ることで小さな魚を捕らえていたと考えられる
近縁のワンツォサウルス
Wantzosaurusの研究では、脊椎が横にだけよく曲がり体をくねらせて泳ぐのに向いていたことや、亜成体の頭骨は長さが幅の2倍未満の三角形をしていたのに対し成体では吻部が特に長く伸びて頭骨の長さが幅の2.6倍に達したことが分かっている。成長とともに頭骨の形態が変わっていったようだ。
[ヒョウゴバトラクス・ワダイ Hyogobatrachus wadai]
学名の意味:和田和美氏が発見した兵庫のカエル
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年〜1億50万年前)の東アジア(日本・兵庫)
成体の全長:約3cm
分類:平滑両生類 無尾目
[タンババトラクス・カワズ Tambabatrachus kawazu]
学名の意味:「蛙(かわず)」こと丹波のカエル
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年〜1億50万年前)の東アジア(日本・兵庫)
成体の全長:約3cm
分類:平滑両生類 無尾目
ヒョウゴバトラクスとタンババトラクスは兵庫県の篠山層群で発見されたカエルの化石のうち、特に保存状態のいいものを精査することで命名されたカエルである。
ヒョウゴバトラクスのほうがより保存状態が良いが、頭骨、肩帯、指が一部ずつ失われている。また腸骨と恥骨が残されていなくて骨盤の正確な形態は不明である。
どちらも頭骨の幅が長さよりも大きいという、現生のカエルではそれほど見られない特徴があったが、それ以外は特に古いカエルらしい特徴は体型にはなかった。
どちらも現生のムカシガエル類より派生的であることは分かっているが、特に現生のカエルの中にヒョウゴバトラクスやタンババトラクスに近縁なものがいるわけではない。また両者もあまり近縁ではない。北陸の手取層群で発見されているカエルとも異なることから、白亜紀前期の日本に最低でも3属のカエルが生息していたことが示され、カエルがどの程度早く多様化したかの手掛かりになる。
篠山層群は堆積した当時には乾燥したサバンナのような気候だったと考えられているが、カエルの化石は多数発掘されている。乾季には休眠して雨季に活動したのかもしれない。
[ベネチテス類(またはキカデオイデア類) Bennettitales]
ベネチテス類は中生代に特有の裸子植物である。ソテツに非常によく似た姿をしていたが、特にソテツに近縁というわけではなかった。
幹は太い円柱状または樽状で、ハシラサボテンのように幹とあまり変わらない太さの枝が上向きに枝分かれするものもあった。枝分かれしない短いものはキカデオイデア科、枝分かれする長いものはウィリアムソニア科に分類される。
このような幹や枝の頂上から、羽状の葉が放射状に生えていた。この葉が落ちた痕跡が菱形の模様となって、幹や枝の表面に隙間なく規則的に並んでいた。
こうした幹や葉の外見ではソテツ類と見分けがつかないが、気孔や維管束の特徴がソテツとは異なっていた。
また、ソテツの場合は放射状に生えた葉の中心に大きな雄花または雌花が生じ、雌花には大きな種子ができるが、ベネチテス類の生殖器官はこれとは全く異なっていた。
ベネチテス類の生殖器官は被子植物の花と非常によく似ていて、花びらのような苞葉、おしべの役割をする小胞子葉、めしべの役割をする大胞子嚢群が、ごく小さく短い枝の根元から順番に生えた。また苞葉と小胞子葉は放射状に多数生え、大胞子嚢群は中央にあったので、外見的にも例えばスイレンなど、被子植物の花そっくりになった。ソテツとも被子植物とも違って、この生殖器官は幹の表面から直接開いた(頂上の葉に混じって生じたようだ)。
この生殖器官には小胞子葉と大胞子嚢群が両方ある両性のものと、片方しかない単性のものがあった。後者はウィリアムソニア科でのみ見られる。両性のものは隣り合った小胞子葉が細かい凹凸で噛み合って閉じたドーム状になっていた。甲虫が生殖器官内に侵入していた痕跡が発見されていることから、甲虫が閉じた小胞子葉をこじ開けて花粉を食べることで受粉させていたと考えられる。
大胞子嚢群の表面には後に種子となる胚珠が多数並んでいたが、米粒程度の小さなものだった。
ベネチテス類は乾燥した環境で堆積した地層で多く発見されている。
[オトザミテス・トシオエンソイ Otozamites toshioensoi]
学名の意味:円増俊夫氏が初めて植物化石を研究した地層から発見された、耳のある石になったメキシコソテツ
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年〜1億50万年前)の東アジア(日本・兵庫)
成木の全高:不明
分類:維管束植物 種子植物 ベネチテス綱 科不明
オトザミテスは葉の小羽片の根元に1対の出っ張り(耳)があるという細かい特徴で見分けられる、ベネチテス類の葉に付けられた属名である。
トシオエンソイ種はヒョウゴバトラクスやタンババトラクスと同じく篠山層群の上部で発見された種で、羽片の長さは7mm前後、羽片同士は重ならないようになっていた。あまり大型ではなかったと思われる。
オトザミテスとは葉の化石に付けられた名前で、どのような幹や生殖器官を持っていたかは不明だが、ウェルトリチア
Weltrichiaという雄性生殖器官とともに発見されることがある。これは一対一の対応ではなく、ウェルトリチアが他のベネチテス類の葉と共産することもある。
[キカデオイデア・エゾアナ Cycadeoidea ezoana]
学名の意味:蝦夷地で発見されたソテツに似たもの
時代と地域:白亜紀後期(約1億年前)の東アジア(日本)
成木の全高:数十cm
分類:維管束植物 種子植物 ベネチテス綱 キカデオイデア科
キカデオイデアは丸く短いベネチテス類の幹に付けられた属名で、エゾアナ種は北海道で発見されたハンドボールほどの大きさの種である。
北海道からはベネチテス類の状態の良い鉱化化石(植物の体がただ痕跡を残したのではなく鉱物に置き換えられた化石)が発見されていて、キカデオイデッラ
Cycadeoidellaなどの生殖器官の構造が解明されている。
[神戸層群と大阪層群の植物化石]
神戸層群は、兵庫県の六甲山近辺にある地層である。中新世の地層と言われてきたがそれは淡路島北部の岩屋層という地層のみで、ほとんどは始新世末〜漸新世のものだということが判明した。
特に古い層は海成層だが、それ以降は日本列島を形成する陸地がユーラシア大陸から離れる前に「古神戸湖」と呼ばれる湖で堆積した地層である。
神戸層群には陸上植物の化石が多数含まれる。ヤベフウ
Liquidambar yabeiのように日本列島が大陸から分かれる前にのみ見られる植物、バショウ科やヤシ科(シュロ)などの温暖な地域特有の植物が見られるほか、ムカシブナ
Fagus stuxbergiiや後述のタナイカシなど、現在の日本の植物相につながるものも含まれる。
一方、大阪層群は鮮新世〜更新世の地層である。植物相の変化を年代順に追っていくことができ、アブラスギ、イチョウ、メタセコイアなどが姿を消す一方でスギ属など寒冷な気候に適した植物が現れたことが分かっている。
[ピヌス・フジイイ(オオミツバマツ、フジイマツ) Pinus fujiii]
学名の意味:藤井健次郎博士のマツ
時代と地域:後期始新世(約3300万年前)から中新世(約1200万年前)の東アジア
成木の全高:不明(10m以上?)
分類:マツ綱 マツ目 マツ科 マツ属
オオミツバマツもしくはフジイマツは針状の葉が3本まとまって短枝につくマツの一種だが、このような三つ葉のマツは現在は北米大陸にしか自生していない。
葉の特徴から名付けられているものの、先のとがった形をした球果(松ぼっくり)でよく知られている。
元々オオミツバマツ
P. trifoliaという名で知られていたが、オオミツバマツのタイプ標本はフジイマツと同種であることが明らかになり、先に名付けられたフジイマツの学名に統一された。一方、フジイマツとされていた標本の多くは別種であることも明らかになり、ミキマツP. mikiiと命名された。
[クウェルクス・ミオヴァリアビリス(タナイカシ) Quercus miovariabilis]
学名の意味:中新世のアラカシ
時代と地域:後期始新世(約3300万年前)から中新世(約1500万年前)の東アジア
成木の全高:不明(10m以上?)
分類:双子葉植物綱 ブナ目 ブナ科 コナラ属
タナイカシは現生のクヌギやアベマキの葉にとてもよく似た、大きくて長く、針状の鋸歯がある葉を持つ広葉樹だった。実際にこれらに近縁だったと考えられる。
神戸層群からは多数発掘され、当時すでにこうしたコナラ属が日本の森林で優勢だったことがうかがえる。
第七十一〜七十九話(オロチ編)
[エウロパサウルス・ホルゲリ Europasaurus holgeri]
学名の意味:ホルガー・リュトケ氏がヨーロッパで発見したトカゲ
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5500万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の全長:6.2m
分類:竜盤目 竜脚形類 竜脚類 マクロナリア カマラサウルス形類
竜脚類は長い首と尾を持つ四足歩行の植物食恐竜のグループである。全長10mを大幅に超えるものが多く、一部の種が全長30mを超えたことは確実とされる。
しかしエウロパサウルスは竜脚類としては例外的に6m程度まで小型化していた。全長の半分以上は首と尾に占められ、胴体だけだと大型のウマとさして変わらない。
化石は大小11体分以上が発見されていて、そのうち一番大きな個体が7年程度でほぼ成長を止めてから3年程生きた成体であったことが、骨の断面に見られる年輪状の模様の観察から示されている。
エウロパサウルスがこのように小型化したのは、狭い島に生息していたためだと考えられる。
一般に、元々大型だった動物が離島に生息するようになると、限られた食料や生活圏を活用できる小さな体を持った種が進化していく。
エウロパサウルスの発見されたランゲンベルク・チョーク・クオリーは当時のヨーロッパを形成する島のひとつで堆積した地層であり、エウロパサウルスはそのような島に適応して小型化した竜脚類だったようだ。
額から大きくせり出した鼻孔などは非常に大型の竜脚類ブラキオサウルス
Brachiosaurusに似ており、ブラキオサウルスのミニチュアのような姿だったと考えられている。つまり、前肢は後肢より少し長く、その分背中や首が傾斜した姿に復元されている。
餌を取るときも大型の竜脚類と同様、首を左右の広い範囲に動かして、木の葉を櫛状の歯でくわえ取っては飲み込んで長い消化器官でゆっくり消化したと考えられる。
ランゲンベルク・チョーク・クオリーではブラキフィルム
Brachyphyllumに分類される葉とナンヨウスギ科の球果、針葉樹由来と思われる琥珀が発見されていて、確実に針葉樹以外といえる植物の痕跡はないようだ。
[プロバクトロサウルス・ゴビエンシス Probactrosaurus gobiensis]
学名の意味:ゴビ砂漠で発見されたバクトロサウルス以前のもの(バクトロサウルスは鳥脚類の一種。意味は「こん棒のトカゲ」)
時代と地域:白亜紀後期(約9000万年前)のアジア(内モンゴル自治区)
成体の全長:6m
分類:鳥盤目 鳥脚類 ハドロサウルス上科
鳥脚類は白亜紀に繁栄した植物食恐竜のグループで、なかでもハドロサウルス類は白亜紀末近くに繁栄したが、プロバクトロサウルスはハドロサウルス上科には含まれるがハドロサウルス科には含まれない段階の典型的な特徴を持つ鳥脚類である。
鳥脚類は基本的に二足歩行だが、プロバクトロサウルスのようなやや大型以上のものに関しては四足歩行することもあった。
上下の顎の先端は尖っていないクチバシになっていて、その後方に植物を噛み切ることに適した歯が生えていた。鳥脚類の中でも後に現れたものほど歯が多く密集して生え、植物をすり潰すことに適した構造やすり減った歯が生え代わる仕組みなどを備えていく傾向にあったが、プロバクトロサウルスの場合は上顎骨の歯に第二隆線がなく、また3本の歯が一つの歯槽に縦に並んでいることから、イグアノドン
Iguanodonと比べるとハドロサウルス科に近い特徴を備えているとされる。
全体的にはイグアノドンに似ているのだが華奢な体付きをしていて、特に前肢はイグアノドンのものと違って細く、スパイク状の親指も細かった。体重を支える、武器にする、硬い食べ物を砕いたりこそげ取ったりする、といった前肢の役割は小さかったと思われる。
プロバクトロサウルスが発見された大水溝(Dashuigou)層は、雨季と乾季が明確に分かれた気候の下で河川によって堆積した地層とされる。またこの地層に含まれる花粉化石の分析によると7割は被子植物、その大部分がマツ科に関連するものであった。その一方で、プロバクトロサウルスに近縁なエクイジュブス
Equijubusという恐竜がイネ科に近縁な植物を食べたと思われる痕跡が見付かっている。
[ヒョウゴバトラクス・ワダイ Hyogobatrachus wadai]
学名の意味:和田和美氏が発見した兵庫のカエル
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年〜1億50万年前)の東アジア(日本・兵庫)
成体の全長:約3cm
分類:平滑両生類 無尾目
[タンババトラクス・カワズ Tambabatrachus kawazu]
学名の意味:「蛙(かわず)」こと丹波のカエル
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年〜1億50万年前)の東アジア(日本・兵庫)
成体の全長:約3cm
分類:平滑両生類 無尾目
ヒョウゴバトラクスとタンババトラクスは兵庫県の篠山層群で発見されたカエルの化石のうち、特に保存状態のいいものを精査することで命名されたカエルである。
ヒョウゴバトラクスのほうがより保存状態が良いが、頭骨、肩帯、指が一部ずつ失われている。また腸骨と恥骨が残されていなくて骨盤の正確な形態は不明である。
どちらも頭骨の幅が長さよりも大きいという、現生のカエルではそれほど見られない特徴があったが、それ以外は特に古いカエルらしい特徴は体型にはなかった。
どちらも現生のムカシガエル類より派生的であることは分かっているが、特に現生のカエルの中にヒョウゴバトラクスやタンババトラクスに近縁なものがいるわけではない。また両者もあまり近縁ではない。北陸の手取層群で発見されているカエルとも異なることから、白亜紀前期の日本に最低でも3属のカエルが生息していたことが示され、カエルがどの程度早く多様化したかの手掛かりになる。
篠山層群は堆積した当時には乾燥したサバンナのような気候だったと考えられているが、カエルの化石は多数発掘されている。乾季には休眠して雨季に活動したのかもしれない。
[篠山層群の化石]
篠山層群は、兵庫県の丹波市と丹波篠山市の市境にまたがって分布する白亜紀前期の地層である。東アジア東部に北東から南西にかけて帯状に分布する堆積盆地のひとつであり、淡水の働きにより山間盆地に堆積したものである。
古くは下部層と上部層に分類されてきたが、大山下(おおやましも)層と沢田層に分類し直されている。白亜紀の中のアルビアン期からセノマニアン期、つまり約1億年前に堆積した。
このうち大山下層で特に多くの化石が発見されている
大山下層の基底部近くの黒色泥岩からは二枚貝のイシガイ属
Unio sp.、タニシに近縁な巻貝
Viviparus sp.、貝形虫類(いわゆるカイミジンコ)のモンゴロキプリス
Mongolocyplis sp.やユーキプリス
Eucyplis sp.、シャジクモ類の胞子が発見されている。雨季と乾季は分かれていたが、恒常的な水場のある環境だったようだ。
上部の赤色泥岩からはカイエビ類のヤンジエステリア
Yanjiestheria sp.や
ネメテリアNemetheria sp.、竜脚類のタンバティタニス
Tambatitanis、鳥脚類・曲竜類・獣脚類・獣脚類のうちティラノサウルス類・テリジノサウルス類の歯、角竜類の顎の一部、卵殻、哺乳類のササヤマミロス
Sasayamamylos、トカゲ類のパキゲニス
Pachygenysが発見されている。下部の黒色泥岩が堆積した時期と比べて乾燥し、サバンナのような気候だったようだ。
沢田層からはカイエビ類のネメテリア・アイデシス
Nemestheria aidesis、貝形虫類、植物が発見され、引き続き乾燥した気候だった。植物はベネチテス類のオトザミテス・トシオエンソイ
Otozamites toshioensoi、針葉樹のシュードフレネロプシス
Pseudofenelopsis sp.やブラキフィルム
Brachyphyllum spp.などで、シダ植物はまれであり、また詳細な調査にもかかわらず被子植物はほぼ発見されなかったという。
[ディプロドクス・カルネギイ Diplodocus carnegii]
学名の意味:アンドリュー・カーネギー氏の支援により発掘・復元された2本の梁
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)の北米(ニューメキシコ、ワイオミング)
成体の全長:約26m
分類:竜盤目 竜脚形類 竜脚類 新竜脚類 ディプロドクス上科 ディプロドクス科
竜脚類の中でもジュラ紀後期の北米に生息していた大型種は、古くから知られていて研究が進んでいる。ディプロドクスを始めとするディプロドクス科の恐竜はその中でも、尾が非常に長く、肩がやや低かった。
ディプロドクスは全長ではかなり大きくなったが、細長い体形をしていて、体重ではそれほど大きくはなかったようだ。
8m近い首は、棘突起が二股に分岐する、椎体がそれほど長くない、頸肋骨が短いなど典型的なディプロドクス類の特徴を持っていた。背中にほぼ正三角形をした角質の棘があった痕跡が1例のみ知られている。
従来は首を高くもたげて高い木の葉を食べたと考えられていたが、現在ではむしろ首を上だけでなく下や左右など広い範囲に動かすことで、巨体を維持するための多くの食料を体をあまり動かすことなく集めていたと考えられている。
首の柔軟性がどれほどであったかは、頸椎の間の軟骨がどれだけ厚かったか、また頸椎の周りの軟組織がどれだけ関節の動きを妨げたかによる。恐竜の関節は哺乳類と違って軟骨によって形状が左右されていたようなので推定は難しい。ただしディプロドクス類の首は比較的可動性が高かったようだ。
後肢と尾だけで立ち上がって非常に高い木まで口を届かせたという説もあったが、現在はあまり支持されていない。
細長い頭部はやや下に向いていた。口の先は幼体では幅が狭く、成体では幅が広かった。幼体のうちは早く成長するために栄養価の高い植物を選んで食べていたのではないかとも言われる。細長い歯が口先にだけ櫛のように生えていた。植物をよく噛みこなすというより葉を引きむしったり噛み切ったりしていたようだ。
尾は非常に長く、全長の半分かそれ以上を占めた。先端の尾椎は非常に細く単純な形をしていた。
ディプロドクスの発見されているモリソン層は基本的には乾燥した氾濫原であったと考えられている。ディプロドクスは群れを成して、背の低い植物を中心に食べて生活していたようだ。セイスモサウルス
Seismosaurusという属だとされていた全長30m以上に達する恐竜は、属の独自の特徴が否定され、ディプロドクス・ハロルム
D. hallorumと分類されている。
[シオングアンロン・バイモエンシス Xiongguanlong baimoensis]
学名の意味:白魔城で発見された重要な関所の竜
時代と地域:白亜紀前期(約1億1千万年前)の東アジア(中国北西部)
成体の全長:約5m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア ティラノサウルス上科
ティラノサウルス類はジュラ紀から白亜紀初頭までは小型の肉食恐竜だったが、白亜紀前期の後半から大型化し始めた。シオングアンロンはティラノサウルス科に含まれないティラノサウルス類の中では特にティラノサウルス科に近く、また大きさもおおよそ他のティラノサウルス科以外のものとティラノサウルス科の中間だった。
甘粛省の最も北西にある酒泉という地域の、新民堡群という地層の灰色の泥岩から、頭骨(下顎を除く)、頚椎から胴椎にかけての脊椎、骨盤の一部、大腿骨が発見されていている。
頭骨は上下に潰れた状態で発見されていているが、変形を修正してもとても細長かったようだ。眼窩から後方は前方より左右に幅広く、すでに後のティラノサウルス科の形状に近づいていたが、顎の力は弱かったと考えられる。このような細長い頭骨はシオングアンロンに近い段階のティラノサウルス類には一般的に見られ、大型化し始めた頃のティラノサウルス類は体格の割に小さな獲物を捕らえていたのかもしれない。
一部残っていた歯は薄くて鋭い一般的な肉食恐竜に見られる形状だが、前上顎骨歯には鋸歯がなかった。
胴椎の空洞は発達していなかった。後の大型のティラノサウルス科では空洞が発達してその内部に気嚢が入り込んでいたが、シオングアンロンでは体が小さいためか軽量化や気嚢による呼吸能力の向上はそれほど進んでいなかったことになる。
骨盤は発達し、大腿骨は長かったが、膝から下は未発見なので後肢各部の長さの比率や足の構造などが不明で、後のティラノサウルス科ほど高度な適応をしていたかは分からない。近縁のアレクトロサウルス
Alectrosaurusのように、後肢全体が長く走る能力が発達していたと思われる。
[ティラノサウルス・レックス Tyrannosaurus rex]
学名の意味:暴君のような爬虫類の王者
時代と地域:白亜紀後期(約6600万年前)の北米西部
成体の全長:11〜13m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア ティラノサウルス上科 ティラノサウルス科 ティラノサウルス亜科
白亜紀後期に入るとティラノサウルス科に含まれるティラノサウルス類が現れて本格的に大型化し、他の大型肉食恐竜が姿を消したアジアや北米で頂点捕食者となった。
ティラノサウルスは北米大陸のうちロッキー山脈の東側に沿って、白亜紀の最末期の地層から発見されている。白亜紀後期には北米大陸全体が西部を南北に貫くウェスタン・インテリア・シーウェイという内海で分割されていて、ティラノサウルスは西側のララミディア大陸という大陸に生息していた。当時のララミディア大陸はおおむね温暖かつ湿潤な気候だった。
ティラノサウルスは肉食恐竜の中で特に大きく、また前肢以外は特に重厚な造りをしていた。
1.4mほどになる頭部の重厚さは特に目立ち、多くの肉食恐竜の頭骨と比べて開口部が狭く、左右の幅が広く吻部先端が高かった。
また頭骨のうち眼窩より後方は特に幅広く、このために顎を噛みしめる筋肉を収めるスペースが大きかった。肉食動物全体の中でも飛びぬけて噛む力が強かったとされている。
歯も顎の強さに見合った頑丈な造りで、他の肉食恐竜の歯がナイフに例えられるほど薄く鋭いのに対して、ティラノサウルスの歯はバナナに例えられるほどの厚みと大きさがあった。ただし歯の縁に当たる部分には鋸歯があった。最も大きい歯は長さが30cmほどになり、歯冠(顎の骨から出ている部分)と歯根(顎の骨に埋まっている部分)は半分ずつだった。前上顎骨歯(上顎先端の歯)はやや小さくD型の断面形をしていて、他の歯とは役割が違ったようだ。
眼窩より後方が幅広かったために眼窩の向きも完全な横向きではなく前向きに傾いていて、このために両眼視(両目でものを見ること)ができる視野が広く、獲物への距離を正確に測ることができたとされている。
しかし脳函の形状からは嗅覚をつかさどる嗅球が大きかったことが分かっていて、視覚以上に嗅覚が発達していたと考えられる(よく細長い形状の脳の前方に非常に大きな嗅球が1対突き出ていたという図解があるがこれは誤りで、嗅球は脳の最も前方の一区画を占め、脳函前方に繋がる一対の空間は鼻腔だった)。
近縁のダスプレトサウルス
Daspletosaurusに関する研究によると、上顎の側面に見られる血管の痕跡から、ワニの上顎と同様、大きな鱗に覆われていて感覚が発達していたようだ。
大きな頭部を支える首はやや短く丈夫で、そのさらに土台となる胴体も幅広かった。
前肢はヒトの成人男性のものと同等程度でしかなく、指は2本まで減っていた(第3指の中手骨の痕跡は見付かっている)。頭部が重いため後肢に重心を合わせる都合から前肢は軽量になったのだとか、前肢は特に必要なかったため小型の祖先から変わらなかったのだとも言われている。
ただし肩甲骨や烏口骨、叉骨(左右連結した鎖骨)は胴体に見合った大きさで、前肢の筋肉はかなり強かったと考えられる。疲労骨折の痕跡がある叉骨も発見されていて、日常的に前肢に力を込めていた可能性がある。一説には腹ばいになって寝そべった姿勢から起き上がるときのすべり止めに前肢を使っていたとも言われ、物理シミュレーションで裏付けられている。
後肢そのものも後肢を動かす筋肉の土台となる骨盤や尾も大きく発達していた。後肢は大腿骨や脛骨などの骨要素自体は真っ直ぐで頑丈であり体重を支えやすい造りだが、膝より下が大腿骨より長いという走行や早足に適した比率をしていた。
また中足部(足の甲)をなす3本の中足骨のうち左右が発達して、中央の1本はくさび状になって間に挟まれ、3本が強く結合していた。これをアークトメタターサル構造といい、力を分散させて体を支えたり走ったりすることに適した構造とされる。
歩くときや走るときの速さは様々な推定がなされているが、走行速度の推定は時速30km台に落ち着きつつある。アムステルダム自由大学の研究によると、エネルギーを節約するため尾の上下の振動周期に合わせて後肢を動かすと、最も経済的な歩行速度は時速4.8kmほどだったという。また長い後肢は走行速度を高めるより長距離を歩くエネルギーを節約する働きをしていたという説もある。
上記の特徴は成熟した成体の特徴であり、幼体や亜成体はやや異なった姿をしていたようだ。
ティラノサウルスとごく近縁なタルボサウルス
Tarbosaurusの2〜3歳程度で全長2m程度の幼体の化石がモンゴルで発見されていて、吻部先端が低く単純な形状をした頭骨、大腿骨とそれより長い脛骨や中足骨などを含む。
ティラノサウルスと同じ地層からティラノサウルスの成体と比べてかなり小型の、全長6mほどのティラノサウルス類が発見されることがある。ティラノサウルスと異なる特徴からナノティラヌス
Nanotyrannusという別の属に分類されることもあるが、ティラノサウルスの11歳程度の亜成体であるという説が有力である。これによるとティラノサウルスの亜成体は成体と比べて細長い顎、多数の薄く鋭い歯、ほっそりした体つき、長い後肢を持っていたことになる。
さらに骨の断面に見られる年輪状の成長の痕跡を調べた結果、次のような成長の仕方であったと考えられるようになった。初期には身軽な姿のまま10年以上、他のティラノサウルス類と変わらない早さで体重1トン程度まで成長した。しかしその後急速に成長を早め、20歳に達する前にはよく知られる重厚な成体の姿になった。
成長の段階によって姿や大きさ、運動能力がかなり変わったことと、ティラノサウルスの発見される地層からは中型の肉食恐竜の発見が少ないことから、ティラノサウルスは成長段階によって小型〜中型の肉食動物と大型の肉食動物という異なった生態的地位を占め、また1種で複数の生態的地位を占めることによって個体数を増やしたとも言われている。
身軽な亜成体までのティラノサウルスは小さな獲物を積極的に狩ったと思われる。大きく成長した成体についても、成体のティラノサウルスに傷付けられてから回復した痕跡のある植物食恐竜の化石が発見されていることから、少なくとも自力で狩りをすることはあったと考えられる。狩るだけでなく恐竜の死体を発見したら食べただろう。
ティラノサウルスのものと考えるのが妥当な糞化石も発見されていて、40cm程度の長さがあり、細かい骨の破片が多数含まれている。少なくともこの糞を排泄したときは骨までよく噛み砕いて飲み込んだようだ。
ティラノサウルス類の中に羽毛の痕跡が発見されたものがいることからティラノサウルス自身も羽毛を多く生やした姿で描かれることがある。しかしこれはティラノサウルスが恐竜全体の中では鳥に近縁で、近い仲間に羽毛があったということを示すためのデモンストレーションの意味合いも強い。生態的には、温暖な気候に生息していた大型動物であるティラノサウルスにとって全身を覆う毛皮のような羽毛は放熱の邪魔であるとされる。
成体のティラノサウルス科からはむしろとても細かい鱗の痕跡が発見されたことが複数あり、成体のティラノサウルスで羽毛が生えていたと考えられるのは首の背側の一部などに限られる。幼体であれば羽毛で覆われていて体温を保つのに役立ったと考えるのは自然である。
先に示したようにティラノサウルスは多くの地域で発見されているが、中でもティラノサウルスの発見地の中では北寄りのヘルクリーク累層という地層は特に研究が進んでいる。ヘルクリーク累層からは非常に多様な化石が発見されていて、ティラノサウルス以外には鳥脚類のエドモントサウルス
Edmontosaurus、角竜のトリケラトプス
Triceratopsが多数発掘されていて、ティラノサウルスの主な食物となっていたと考えられている。他に鎧竜類のアンキロサウルス
Ankylosaurusやデンバーサウルス
Denversaurus、堅頭竜類のパキケファロサウルス
Pachycephalosaurus、ティラノサウルスと同じ獣脚類だが大きさや姿、食性がかなり異なるストルティオミムス
Struthiomimusやアンズ
Anzuなどが発見されている。ただしティラノサウルスが生息していた年代より前の年代のほうが恐竜の多様性は高かったようだ。
ヘルクリーク累層の恐竜以外の化石としては、やや古いタイプの魚類、両生類やカメ・ワニなど様々な水生の脊椎動物に加え哺乳類も発見されている。また、針葉樹の森があったものの被子植物が繁栄していた。
[モシリュウ]
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:推定約20m
分類:竜盤目 竜脚形類 竜脚類
モシリュウは、1978年に現在の日本国内で初めて発見された恐竜の骨化石である。かつて日本の領土内であった土地の範囲ではニッポノサウルス
Nipponosaurusが1934年にサハリンで発見されている。また卵化石を含めると1965年に山口県下関市で発見されたムルティフィスーリトゥス・シモノセキエンシス
Multifissoolithus shimonosekiensisが現在の国内で初めて発掘された恐竜化石であったことが明らかになっている。ただ国内で恐竜化石であることが確定したのはモシリュウが最初であるといえる。
大型の竜脚類の上腕骨であると分かる外形が保たれている、50cmほどの長さの標本である。両端は大きく失われ、残っている部分も大きく破損している。欠ける前の上腕骨全体は1m近い長さがあったようだ。
岩手県の海岸沿いに見られる宮古層群のうち、岩泉町の茂師海岸にある田野畑層の露頭から発見された。田野畑層は海成層なのだが、モシリュウは竜脚類の死体が陸地から川によって海まで流されて堆積したと考えられる。
海生爬虫類やワニとの違いから恐竜であることは早いうちに明らかになったものの、当時国内に恐竜の専門家は不在であり、他の恐竜との比較は難航した。1981年当時、国立科学博物館で開催された「中国の恐竜展」で展示されていたマメンチサウルスの実物化石が最大の資料となった。
モシリュウとマメンチサウルスの上腕骨には、両側が同じ割合で傾いていることと、竜脚類の上腕骨としては中間程度の細長さであるという形態上の共通点がある。これに基づいて、当時マメンチサウルスがディプロドクス科に含まれていたことから、モシリュウもおそらくディプロドクス科ではないかと考えられた。
しかしその後、それぞれの種に見られる形質を定量的に評価して集計し分岐図を描く分岐分析法という分類手法が用いられるようになると、マメンチサウルスとその近縁種はディプロドクス科やその近縁種にない特徴から、独立したマメンチサウルス科に含まれるようになった。これに伴いモシリュウの分類はあやふやになった。
さらに、竜脚類の上腕骨には分類上重要な形質がなく、またモシリュウ自身も保存状態が悪く分析に必要な形質を読み取れないとされ、モシリュウは竜脚類であるという以上には分類ができないということになった。また白亜紀に入ってからの竜脚類に関する知見が高まったため、ジュラ紀後期のマメンチサウルスは白亜紀前期のモシリュウのモデルとしては必ずしも最適ではないと考えられるようになった。
モシリュウの発見された田野畑層は海成層であるとはいえ、サンゴなどの化石が温暖な気候であったことを示し、陸から運ばれてきた花粉や胞子の微化石のうち8〜9割が針葉樹で、シダは少なかったことが乾燥した気候であったことを示す。被子植物(花の咲く植物)であると考えられる花粉も発見されている。
明確に恐竜と判断できる化石が発見されたことにより、国内でも恐竜が見付かる可能性があることがはっきりした。モシリュウ以降は1979年に熊本県御船町で獣脚類の歯(ミフネリュウ)、1981年に群馬県神流町でオルニトミムス類の尾椎(サンチュウリュウ)、というように日本各地から短い間隔で恐竜が発見されている。
[マメンチサウルス・ホチュアネンシス Mamenchisaurus hochuanensis]
学名の意味:合川(ヘチュアン)で発見された馬門溪(マーメンシー)の爬虫類
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のアジア(中国南部)
成体の全長:約22m
分類:竜盤目 竜脚形類 竜脚類 マメンチサウルス科
マメンチサウルスは、やや原始的でほぼアジアに独特な竜脚類のグループであるマメンチサウルス科を代表する竜脚類である。一時期は同じくジュラ紀の首が長い竜脚類であるディプロドクス科に含まれていたが、その後ディプロドクス科とは異なる特徴が多かったことが分かった。
最大の特徴は、首が非常に長く全長の半分を占めることである。この首は19個の頸椎からなるが、他の竜脚類の頸椎は通常15個以下である。
この首は長さだけでなく形態の面にも特徴があり、首の中ほどの頸肋骨が1つ前の頸椎の後端に達するほど長かった。この頸肋骨には生きていたときは弾力があり、板バネのように曲がったと思われるが、頸肋骨が短くて弾力があまり働かないディプロドクス類とは首の曲げ方がかなり違ったと思われる。首の付け根は頸肋骨が短く、可動範囲が広かった。
四肢はあまり長くなく、背中が低かった。棘突起も短く、首を吊り上げる腱や靭帯はディプロドクス科ほど発達していなかったことになる。仙椎の形状から、胴体は水平に近い角度に保たれていたことが示唆される。
首を常に高く上げ、高木の梢から餌を得たと考えるのが元々一般的であった。しかし棘突起が短いことや首の途中はさほど柔軟でないことから、首を上に曲げる姿勢を取ったとしても一時的なものだったかもしれない。高いところを含む上下にしろ左右の広い範囲からにしろ、首を動かすだけで多くの植物を集めることに役立ったとは考えられる。
尾はディプロドクス科と比べると短かった。尾が首の重量やモーメントとバランスを取るものと考えると、首の動かしかたが両者でかなり異なったことを示唆しているのかもしれない。
頭骨は、ホチュアネンシス種自身のものは断片的だが、他の種も参考にすると前後に短く丸みを帯びた側面形だった。歯はいわゆるスプーン状のものだった。どちらかというと植物を引きむしるより噛みちぎることに適していたように見える。
中国南部ではマメンチサウルスだけでなく、マメンチサウルス科のメンバーを含む様々な竜脚形類がジュラ紀前期から後期までを通じて発見されている。この地域には当時「古四川盆地」という盆地があった。
古四川盆地は温暖で年代が進むにつれ乾燥し、湿潤な地域が狭まっていった。湖の周囲には針葉樹林など植物の豊富な地帯があった。この植物の種類はヤブレガサウラボシ類、小羽の大きいベネチテス類、大型トクサ類、イチョウなどから、小羽の小さいタイプのシダ、同じく小羽の小さいベネチテス類、ソテツ、針葉樹へと変化していて、後の年代ほどより乾燥していったようだ。マメンチサウルス・ホチュアネンシスはこうした変化のうち特に後に現れた植物を食べていたことになる。
マメンチサウルス属の大型種であるシノカナドルム種
M. sinocanadorumは中国の北部、ジュンガル盆地で発見された。こちらにも当時は古ジュンガル盆地という盆地があり、温暖で乾燥していたが恒常的な水場があった。比較的後の年代には火山灰が堆積し、泥沼ができていた。この泥沼には深さ1〜2mにもなる足跡ができて、リムサウルス
Limusaurusや初期のティラノサウルス類であるグアンロン
Guanlongといった小型獣脚類がその中から発見されている。泥にはまって抜け出せなくなったようだ。
[タンバティタニス・アミキティアエ(丹波竜) Tambatitanis amicitiae]
学名の意味:村上茂氏と足立洌氏の友情により発見された丹波の女巨人
時代と地域:白亜紀前期(約1億年前)の東アジア(日本)
成体の全長:推定14m前後
分類:竜盤目 竜脚形類 竜脚類 マクロナリア ティタノサウルス形類 エウヘロプス科
タンバティタニスは、学名が命名されている日本国内の恐竜では最大の、やや派生的な中型の竜脚類の一種である。白亜紀前期に東アジアの一部だった地点で堆積した、兵庫県丹波市の篠山層群で発見された。
タンバティタニスが発見されるまで、篠山層群ではサンドパイプと呼ばれる小さな水生動物の巣穴の化石以外、化石は発見されないと考えられていた。
村上氏と足立氏は、篠山層群の露頭がある川代渓谷でそうした生痕化石を探す地学愛好家であった。しかし2006年の8月、両氏は大型脊椎動物の骨化石ではないかと思われる細長い化石が崖から突き出しているのを発見した。
兵庫県立人と自然の博物館の三枝(さえぐさ)研究員が相談を受けたところ恐竜のものであるとの確証が得られ、同博による本格的な発掘が行われた。その結果、歯、歯骨、脳函、環椎、頸肋骨、肋骨、仙椎、腸骨、恥骨、尾椎、血道弓などのそれぞれ一部、全身の3割ほどが発見された。
特に尾はよく揃っていたため独自の特徴が認められ、2014年にタンバティタニスと命名された。丹波竜という愛称は最初の発見の後、学名の命名に先立って付けられたものである。
タンバティタニスはティタノサウルス形類の中でも初期に現れたエウヘロプス科に属すると考えられている。
従来、竜脚類は白亜紀に入ると衰退して多様性を大きく減じたと考えられていた。しかし白亜紀の竜脚類の発見が進むと、白亜紀にも竜脚類、主にティタノサウルス形類のメンバーが繁栄していたことが分かってきた。
ティタノサウルス形類は鼻孔がやや大きく、竜脚類の中では極端に首や尾が長かったりしない、中庸な体型の竜脚類である。ただし白亜紀後期に現れたものの中には横幅の広い非常に大きな胴体を持つものもいた。
エウヘロプス科についてはあまりはっきりしないことが多いが、中国のエウヘロプス
Euhelopus、モンゴルのエルケトゥ
Erketu、タイのプウィアンゴサウルス
Phuwiangosaurus、ラオスのタンヴァヨサウルス
Tangvayosaurusなど東アジア地域を中心に生息していた。比較的首が長く、肩は腰よりわずかに高かったのではないかと考えられている。
タンバティタニスの化石は全身の3割程度しか見付かっていないが、それらの化石から体の各部の特徴が読み取られている。
最も特徴的なのは尾椎と血道弓、つまり尾の、特に付け根近くである。尾椎の棘突起は前方に向かって鉤型に丸く曲がった逆J字をしていた。そして血道弓は同程度の大きさの竜脚類と比べ倍の長さがあった(このため発掘のごく初期にはとても大型の竜脚類ではないかと思われた)。
これらの特徴によって尾の筋肉等にどのような影響がありどのような行動や適応をしていたのかは分かっていないが、長い血道弓によって尾の付け根近くが太くなっていたのは確かである。また尾の筋肉の付き方が特殊だったのかもしれない。
歯はいわゆる鉛筆型と呼ばれる先端が削れた円筒形で、大小2通り発見されている。当初は1個体の歯のうち中央と左右の端で大きさがかなり異なったのだと考えられたが、歯槽が確認できる歯骨の発見により、小さいほうの歯がこの歯槽に合わず、大小2個体分であることが分かった。
歯骨は周囲が欠けていたが歯槽は残っており、あまり大きさの変わらない歯が長い顎の前半にだけ生えていたことが読み取れる。これはディプロドクス類や、より後の時代のネメグトサウルス
Nemegtosaurusなどのティタノサウルス形類にやや似た特徴である。おそらく植物の枝から葉を引きむしるようにして食べていたと思われる。
首の途中に関しては断片的な頸肋骨しか発見されていないが、この頸肋骨は比較的長かった。ブラキオサウルス
Brachiosaurusのような他のティタノサウルス形類にも見られる特徴で、首の途中は曲げに対する弾力が強かったと考えられる。
肋骨は大きく曲がっていて長かった。腸骨も前方が左右に大きく開いていた。後のティタノサウルス形類は非常に幅広い大きな胴体を持っていたが、タンバティタニスも比較的幅広い胴体を持っていたようだ。
タンバティタニスの発見により篠山層群にも恐竜をはじめとした化石が含まれていることが分かると発掘調査が進み、先述の「篠山層群の化石」の項に示したとおり様々な恐竜や小動物、植物の化石が発見され、環境も明らかになりつつある。タンバティタニスは内陸のサバンナのような乾燥して雨季と乾季に分かれた環境に生息し、主に点在する針葉樹の葉を引きむしって食べていたと考えられる。
タンバティタニス自体の卵の化石は発見されていないがティタノサウルス形類のものを中心とする竜脚類の卵と考えられる化石は複数発見されていて、メガロウーリトゥス卵科という卵化石の分類に含まれる。円形または楕円形のシルエットをしており、大型のものでも直径20cm程度である。卵殻の気孔が多いことから、もっぱら土に埋められて通気の悪い環境に置かれていたと考えられる。
アルゼンチンのアウカ・マフエヴォという約8000万年前の地層の発掘地からはティタノサウルス形類のものと思われる大規模な営巣地の化石が発見されている。一つひとつの巣は溝の中に多数の卵が収まった造りになっている。詳細に測定された2つの巣では長さ230cmほど・幅80cm〜90cm・深さ30cm前後の勾玉型をした溝に、20cm弱の卵が20〜30個収まっていた。ティタノサウルス形類が後肢で後ろに向かって地面を蹴って引っかくようにして溝を掘り、卵を産み落としたと考えられる。
さらに、アウカ・マフエヴォで発見された卵化石の中から竜脚類の胚の頭骨が発見されている。眼窩が大きいのは爬虫類の幼体の頭骨として広く見られる特徴だが、吻部の先端に竜脚類では他に見られない前向きの角があった。これは現生の爬虫類や鳥類に見られる卵角や卵歯といったものと同じく、孵化時に幼体が殻を破るのに用いたと考えられる。タンバティタニスもこうした卵や巣、幼体の特徴を共有していたかもしれない。
[ファルカリウス・ユタエンシス Falcarius utahensis]
学名の意味:ユタ州で産まれた鎌作りの職人
時代と地域:白亜紀前期(約1億2600万年前)の北米(ユタ州)
成体の全長:約4m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ テリジノサウルス上科
ファルカリウスは、ユタ州のイエローキャット部層で発見された基盤的なテリジノサウルス類である。
属名は同じテリジノサウルス類であるテリジノサウルス
Therizinosaurus(属名は「大鎌を持つ爬虫類」の意)がより派生的と考えられることにちなむ。
テリジノサウルス類は二次的に植物食に適応した獣脚類で、ファルカリウスにもテリジノサウルス類に特有の植物食に適した特徴がすでに多く見られる。
首は長く、頭部は小さかった。顎の先端はクチバシになっていた。その後ろに並んだ歯は小さく木の葉型をしていて、植物を切るのに適していた。
前肢は長く発達し、手にはフック状の爪があった。ただし前肢と爪どちらもテリジノサウルス類としては小さかった。
胴体はやや長く、植物を消化するのに必要な長い消化器官が収まったようだ。
骨盤は体重を支えるのに適応して大きくなっていたが、恥骨はより派生的なテリジノサウルス類と比べ前に向いていた。
より派生的なテリジノサウルス類では後肢の第4指が地面に接し、走行より体重を支えるのに適した幅広い足となっていたが、ファルカリウスの第4指は小さく地面に着かなかった。
頭部の特徴からすでに植物食の傾向が強かったと思われるが、テリジノサウルスやノスロニクス
Nothronychusのような大型のテリジノサウルス類と比べ身軽だったようだ。
[ガストニア・ブルゲイ Gastonia burgei]
学名の意味:ロバート・ガストン氏とドン・バージ氏のもの
時代と地域:白亜紀前期(約1億3000万年前)の北米(ユタ州)
成体の全長:4〜6m
分類:鳥盤目 装盾亜目 曲竜下目 ノドサウルス科ポラカントゥス亜科
ガストニアは鎧竜と呼ばれる、胴体を鎧で覆われた4足歩行の植物食恐竜の一種である。
鎧竜は尾にハンマーのような骨の塊があるアンキロサウルス類と骨の塊がないノドサウルス類の2つに分けられ、さらにノドサウルス類の中にポラカントゥス類がある。
ガストニアはポラカントゥス類の中でも骨格の形態が詳しく分かっている。
胴体は幅広く、背中と尾には骨でできた棘や楕円の板(皮骨板)がいくつも並んでいた。腰には骨片が集まってできた一枚の大きな骨の板が、骨盤に重なるように乗っていた。
棘は背中に2列と、首から両脇腹にかけて1列ずつ並んでいた。いずれも三角形の板状で、背中の棘は多少厚みがあったが脇腹の棘はとても薄かった。鎧竜の皮骨板は敵からの防御のために発達したとされているが、脇腹の薄い棘は物理的な防御というより視覚的な威嚇のためのものだったのかもしれない。
四肢は短く、あまり走行に適していなかった。
頭部は穴が小さく丈夫になっていたが、同じ鎧竜のエウオプロケファルス
Euoplocephalusなどと違って皮骨板と一体化してはいなかった。眼窩の下と後上方にも小さい棘があった。また関節の向きから、頭部を少し下向きに保っていたようだ。
口の前方はクチバシで、先端がやや幅広く、中央がへこんでいた。地表の植物をあまり選ばずに食べたと考えられる。
口の奥の方には小さな木の葉形の歯が生えていた。鎧竜は歯が少し磨耗していて、顎の関節が食物を咀嚼するのに多少適していたことから、クチバシで刈り取った植物を丸呑みではなく多少咀嚼して飲み込んだようだ。
[アーケオケラトプス・オオシマイ Archaeoceratops oshimai]
学名の意味:大島宏彦氏の支援により発見された祖先のケラトプス(ケラトプスは角竜類のこと。意味は「角のある顔」)
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)のアジア(中国)
成体の全長:約0.9m
分類:鳥盤目 周飾頭亜目 角竜下目 新角竜類 アーケオケラトプス科
トリケラトプスTriceratopsなどが属する角竜類は、初期にはインロン
Yinlongやプシッタコサウルス
Psittacosaurusのような小型で角やフリルのない、少なくとも一部は二足歩行の恐竜であった。
アーケオケラトプスはそうした初期の角竜類の体型を維持しつつ、後のフリルが発達した新角竜類につながる特徴を持っていた。甘粛省にある新民堡群の、半乾燥・亜熱帯気候において河川で堆積した地層で発見された。
依然として二足歩行で角は持たないものの、ごく小さなフリルにより頭骨の後方が角ばった形になっていた。クチバシは鋭く発達していた。
[シノルニトイデス・ヤンギ Sinornithoides youngi]
学名の意味:楊鍾健氏の中国の鳥に似たもの
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年前)のアジア(中国)
成体の全長:約1m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ トロオドン科
トロオドン科はドロマエオサウルス科と並んで特に鳥類に近い恐竜のグループである。内モンゴル自治区オルドス盆地の伊金霍洛層で、胴部を除く大部分が丸まって眠ったような姿勢で発見された。
口先が尖っていて四肢が長い、身軽な体型をした小型の肉食恐竜である。昆虫や小型の脊椎動物を捕食していたと考えられる。
発見時の丸まって眠ったような姿勢を詳しく見ると、両足を揃えてかがんで、鳥類が翼を畳むのと同じようにして前肢を畳んでいる。そして首を左に曲げて、頭を左の前肢の下に潜り込ませ、尾全体を体の周囲に沿わせるように曲げている。これは現生の鳥類のように眠る間に体温が逃げないよう体の表面積を減らして眠っていたのだと考えられている。
アメリカのツー・メディスン層からトロオドン類の卵や巣が複数発見されていて、地面に穴を掘って巣とし細長い卵を産んでいたことや、オスメスどちらかは分からないが巣の上で卵を守っていたことなどが分かっている。
[パキゲニス・アダチイ Pachygenys adachii]
学名の意味:足立洌氏の分厚い下顎
時代と地域:白亜紀前期(約1億年前)の東アジア(日本)
成体の全長:不明(70cm?)
分類:有鱗目 スキンク形類
パキゲニスは山東省でトラステサ種
P.thlastesa、篠山層群の大山下層上部でアダチイ種のともに下顎のみが発見されているやや大型のトカゲである。歯骨の前方にのみ9本の大きな歯が生えていて、そのすぐ後ろで下顎全体が曲がってシャワーヘッドのような形状になっていた。アダチイ種の歯はトラステサ種より尖っていた。
アダチイ種の発見されている下顎の標本は約27mmあるが、全身の姿は明らかになっていない。全長が数十センチあって高い下顎に見合った丸い頭を持つ姿が想定されている。
[モロハサウルス・カミタキエンシス Morohasaurus kamitakiensis]
学名の意味:上滝で発見された両刃の歯を持った爬虫類
時代と地域:白亜紀前期(約1億年前)の東アジア(日本)
成体の全長:不明(30cm?)
分類:有鱗目 オオトカゲ下目 モンスターサウルス類
モロハサウルスは篠山層群の大山下層上部から発見されたモンスターサウルス類、つまりドクトカゲ科にかなり近縁なトカゲである。
2cmほどの歯骨が発見されていて、前方に小さな歯が3つ、中程に長く鋭い歯が2つ残っている。属名は中程の歯の形状から名付けられた。また歯の形状からモンスターサウルス類に分類されていて、既知で最古のモンスターサウルス類となる。
篠山層群からはパキゲニスとモロハサウルスの他にも数種ほどのトカゲが発見されている。
[ササヤマミロス・カワイイ Sasayamamylos kawaii]
学名の意味:河合雅雄氏の篠山の臼歯
時代と地域:白亜紀前期(約1億年前)の東アジア(日本)
成体の体長:約15cm
分類:真獣下綱 アジオリクテス目
ササヤマミロスは篠山層群の大山下層上部から発見された哺乳類である。
発見されたのは下顎のみだが保存状態が良く、犬歯は長く、臼歯も尖った形で発達していた。切歯:犬歯:小臼歯:大臼歯の数が3〜4:1:4:3と現在の真獣類に共通した歯式を持っていることからエオマイアなどと並んで最古級の真獣類であると考えられる。
[エオマイア・スカンソリア Eomaia scansoria]
学名の意味:登る暁の母
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)のアジア(中国)
成体の体長:約10cm
分類:真獣下綱
エオマイアは遼寧省の義県層から発見された最古級の真獣類である。
毛の痕跡も残っているほぼ完全な化石が発見されている。ササヤマミロスと同様に現在の真獣類に近い歯式を持っているが、切歯と小臼歯が多い。
四肢、特に中手骨と中足骨はあまり長くなく、手と足の指の形がよく似ていた。尾は細長かった。他にも四肢の様々な形態から、枝を掴んで木に登る樹上生であったと考えられている。
骨盤の幅が狭いことなどから、真獣類であるとはいえ胎盤は未発達で有袋類のように未熟な子供を産んでいたと考えられる。
[ハイイロジネズミオポッサム Monodelphis domestica]
時代と地域:現世の南米(主にブラジル中部〜南西部)
成体の体長:10〜15cm
分類:後獣下綱 有袋上目 オポッサム目 オポッサム科
有袋類の中でもオポッサムは南北アメリカ大陸に多く見られる。オポッサムには育児嚢がないものも多く、ハイイロジネズミオポッサムもそのうちのひとつである。未熟な子供は母親の腹にしがみついて育つ。
ハイイロジメズミオポッサムは体つきや毛の少ない長い尾など、ネズミによく似た姿をしている。しかし切歯があまり発達せず犬歯が発達しているなど、ネズミとはかなり異なる歯を持っていて肉食傾向が強く、昆虫やネズミを含む小動物を捕食する。
このため民家に住みつくことがある一方でネズミと違って害獣とは見なされていない。また実験動物としても利用されている。
[カガナイアス・ハクサンエンシス Kaganaias hakusanensis]
学名の意味:白山で発見された加賀の水の妖精
時代と地域:白亜紀前期(約1億3000万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:推定40〜50cm
分類:有鱗目 ドリコサウルス科
手取層群の露頭である白山市桑島の桑島化石壁からも複数のトカゲが発見されていて、カガナイアスはそのうちのひとつである。ドリコサウルス科というモササウルス類に近縁でヘビの起源にも近いと考えられるグループに属する。ドリコサウルス科としては最古であり、またヨーロッパ以外では唯一のものである。
細長い胴体全体と尾の付け根、短い大腿骨が発見されている。長い体と非常に短い四肢を持ち、体をくねらせて浅い沼のようなところを泳いだようだ。
[フクイサウルス・テトリエンシス Fukuisaurus tetoriensis]
学名の意味:手取層群で発見された福井の爬虫類
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:5〜6m
分類:鳥盤目 鳥脚類 イグアノドンティア アンキロポレクシア
フクイサウルスは、現在の日本国内で初めて新種と認められ命名された植物食恐竜である。
1989年からの恐竜化石調査で発見され、当初はフクイリュウという愛称で呼ばれていた。
頭骨、脊椎、四肢の一部などが発見されている。このうち頭骨が特によく揃っていて、命名の根拠となった。
いわゆるイグアノドン類と呼ばれる二足歩行(場合によって四足歩行)の植物食恐竜の中でも、イグアノドン
Iguanodonやアルティリヌス
Altirhinusといった派生的なものに近縁だったとされる。
鳥脚類は基盤的なものからイグアノドンティア、そしてその中のハドロサウルス類へと派生していく中で咀嚼能力を発達させていったと考えられている。しかしフクイサウルスは近縁種と違って、プレウロキネシスという咀嚼に深く関わる特徴を失っていた。
プレウロキネシスとは、派生的なイグアノドンティアが持っていた、上顎の歯が生えた部分の骨(上顎骨)が外側に可動する性質である。これにより顎を上下に動かしたとき、歯の咬合面は噛み合うだけでなくこすれあう動きをするため、食べたものが効率よくすり潰される。これは植物の固い細胞壁を破壊し栄養のある細胞質を消化できるようにする効率を上げる適応であると考えられる。
しかしフクイサウルスの上顎骨は強く固定されていて動くことはなかった。
このことから、フクイサウルスは他のイグアノドン類とは異なる食性をしていたと考えられている。すり潰すより噛み切ることに適応して木の枝などを食べていたのかもしれない。
歯自体は近縁のアルティリヌスのものとよく似て、稜が目立った。
顎の先端のクチバシを形成する骨(上の前上顎骨と下の前歯骨)はやや幅が狭く、特に前上顎骨は上から見るとV字をしていた。
上腕骨はイグアノドンと違って細くてやや短く、二足歩行をすることが多かったと思われる。
[カムイサウルス・ジャポニクス(むかわ竜) Kamuysaurus japonicus]
学名の意味:日本のカムイの爬虫類
時代と地域:白亜紀後期(約7200万年前)のアジア(日本)
成体の全長:約8m
分類:鳥盤目 鳥脚類 ハドロサウルス上科 ハドロサウルス科 エドモントサウルス族
カムイサウルスは、北海道むかわ町にある蝦夷層群の露頭から発見された、エドモントサウルス
Edomontosaurusに近縁な派生的なハドロサウルス類である。
蝦夷層群はアンモナイトが多く発掘される海成層であるため、2003年に尾椎が発見されてから2010年に佐藤たまき准教授が恐竜であることを明らかにするまで首長竜であると考えられていた。
研究は首長竜の専門家である佐藤准教授から恐竜の専門家である小林快次准教授(当時)に引き継がれた。そして、沖合の地層で発見されたにもかかわらず状態が良いことから腐敗が大きく進行する前にガスが溜まって流された死体であったことが見抜かれ、ほぼ全身の化石が発見された。
ハドロサウルス類はフクイサウルスやプロバクトロサウルスより派生的な鳥脚類で、歯の列が多くデンタルバッテリーがより発達している。
エドモントサウルス族にはランベオサウルス亜科のような骨でできた中空のトサカはなかったが、カムイサウルスには頭頂部に中空でない平たいトサカがあったようだ。またカムイサウルスは骨の組織に残された成長の痕跡から成体であると考えられるものの、頭骨がやや前後に短かかったのも特徴である。
第6〜第12胴椎の棘突起が前方に傾斜していたのも特徴である。前肢の筋肉の付き方に関連していた可能性があるが、前肢はやや細かった。
[ヤマトサウルス・イザナギイ Yamatosaurus izanagii]
学名の意味:伊弉諾の倭の爬虫類
時代と地域:白亜紀後期(約7200万年前)のアジア(日本)
成体の全長:推定7〜8m
分類:鳥盤目 鳥脚類 ハドロサウルス上科
ヤマトサウルスは淡路島の和泉層群北阿万層の地層から発見された、白亜紀のほぼ末期であったにも関わらず基盤的なハドロサウルス類である。
下顎、頸椎の一部、烏口骨、尾椎1つのみが発見されたが、これらから基盤的なハドロサウルス類の特徴が読み取られている。歯の咬合面には分岐稜線がなく、またデンタルバッテリーの一部に機能する歯が一つしかない部分があった。さらに烏口骨の上腕二頭筋結節という突起が未発達であった。
このような基盤的な特徴を持つハドロサウルス類が、カムイサウルスのような派生的なハドロサウルス類とほぼ同じ時期に今の日本に当たる地域に生息していたことから、ハドロサウルス類の分布の広がりかたや住み分けに関して大きな情報をもたらすものである。
[ディディモセラス・アワジエンゼ Didymoceras awajiense]
学名の意味:淡路で発見された一対の角
時代と地域:白亜紀後期(7500万年前)の西日本
成体の殻長:約20cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 ツリリテス上科 ノストセラス科
平面渦巻状ではないアンモナイトを「異常巻き」と呼ぶが、異常という呼び名は付いているものの病的あるいは末期的なものではなく、円盤状の巻き方と同じ法則で説明できるものであることが数学的に検証されている。ノストセラス科は主な異常巻きアンモナイトのグループのひとつである。ディディモセラス・アワジエンゼは和歌山から四国にかけて堆積した外和泉層群を代表する異常巻きアンモナイトである。
逆U字のフックで始まって円錐螺旋状に巻き、最後はU字形のフックで終わるという複雑な巻き方をする。巻き方が「右巻き」のものと「左巻き」のものの2通りが1対1の比率で見付かっている。
殻は成長とともに始点から伸び、その内部は気体の入った気室と身の詰まった住房に分かれるため、このような複雑な巻き方をするアンモナイトは、気室の浮力と住房の重力のバランスが成長とともに変化し、姿勢も変わったはずである。ただ殻口の向きはあまり変化しなかったようだ。
第八十話
[シャロヴィプテリクス・ミラビリス Sharovipteryx mirabilis]
学名の意味:アレクサンドル・シャロフの驚くべき翼
時代と地域:三畳紀中期(約2億2500万年前)のキルギス
成体の全長:20cm
分類:爬虫綱 主竜形類 シャロヴィプテリクス科
シャロヴィプテリクスは、飛行または滑空する脊椎動物の中でも、前肢ではなくもっぱら後肢で支えられた翼面を持つという点で他にほとんど類を見ないものである。
キルギス共和国の、水や植物、昆虫が豊富な環境で堆積したマディジェン層という地層で1体の化石が発見された。当初はポドプテリクス
Podopteryx(足の翼)という属名を与えられていたが、この名前は現生のイトトンボ類に先に用いられていたため改めてシャロヴィプテリクスと命名された。
化石には頭部全体と首、胴体前部の痕跡、腰と後肢、尾が残っている。前肢は残っておらず正確には不明であるが、小さかったと推測される。
後肢は非常に長く、完全に真横に広げると全長と同じくらいの長さになる。さらに大腿部と脛部の間には、膜状の器官の痕跡が見られる。これによってこの長い後肢が皮膜による翼を支えていたことが分かる。羽ばたくことはできないので木の上から滑空していたことになる。
といっても皮膜が胴体や前肢、尾とどのような位置関係にあったかは推定に頼らざるを得ない。ダイクらによる2006年の検討によると、小さな前肢と首の間に小さな膜が張り、大腿部と脇腹の間および後肢全体と尾の付け根の間に膜が張っていれば、前肢は安定のための前翼(カナード)、後肢はほぼ三角形の主翼として働き、安定を保って滑空することができたであろうという。
頭部は25mmほどの細長い菱形、首もほぼ同じ長さだった。胴体は4cmほどで小さく、骨盤はしっかりしていた。細長い尾が全長の約半分を占めていた。
上記のような滑空の推定を除くと、滑空以外の移動をどのようにしていたかなどは不明である。おそらくゆっくりと木によじ登って昆虫を食べていたのではないかと思われる。
なお、近縁とされるオジメク
Ozimekは前肢と後肢の長さがそこまで変わらなかったため、前肢と後肢の間に皮膜が張っていたと考えられている。これはモモンガやヒヨケザルのような滑空性の哺乳類では一般的だが滑空性の爬虫類では(翼竜を除けば)むしろ珍しい。
[イカロサウルス・シエフケリ Icarosaurus siefkeri]
学名の意味:アルフレッド・シーフカー氏によって発見されたイカロスの爬虫類
時代と地域:三畳紀後期(約2億2000万年前)の北米(ニュージャージー州)
成体の全長:10cm
分類:爬虫綱 鱗竜形類 クエネオサウルス科
イカロサウルスは有鱗目(トカゲとヘビ)にやや近縁なクエネオサウルス科の一種である。クエネオサウルス科は現生のトビトカゲに似た翼を持ち滑空していたと考えられる爬虫類のグループである。トビトカゲと直接の類縁関係はなく、以下に解説する他の滑空性の爬虫類もトビトカゲのような小骨に支えられた膜による翼を持っていた。
ニュージャージー州のロカントン層群の地層からなる採石場でシーフカー氏が発見した標本1体からのみ知られるが、この標本の所在は二転三転していた。現在は本来の寄贈先であるアメリカ自然史博物館に展示されている。
全体的には現生のトカゲに似た体型だったが、四肢は発達していたようだ。肋骨が左右の脇腹から伸長し、脇腹で後方に折り畳めるようになっていた。生きていたときはこの肋骨の間に皮膜が張って扇子のような翼になっていた。イカロサウルスの翼は比較的横長で、末広がりな形態になっていたようだ。
現生のトビトカゲもこれととてもよく似た構造の翼を持っているが、近年の観察によるとトビトカゲは単に翼を広げるだけではなく、前肢を左右に伸ばして手で翼の前縁を掴むことで、翼を支えて滑空していることが明らかになった。このことから、イカロサウルスを含むクエネオサウルス科や、以下のウェイゲルティサウルス科などの滑空性爬虫類も同じように前肢で翼を支えて滑空していたと思われる。
[ウェイゲルティサウルス・ジェケリ Weigeltisaurus jaekeli]
学名の意味:オットー・イェーケルとヨハネス・ヴァイゲルトの爬虫類
時代と地域:ペルム紀後期(約2億6000万年前)のヨーロッパ(ドイツ、イギリス)
成体の全長:60cm
分類:爬虫綱 新双弓類 ウェイゲルティサウルス科
第二十四話に登場したコエルロサウラヴス・ジェケリ
Coelurosauravus jaekeliと同一種である。ジェケリ種は独立属とされた後コエルロサウラヴス属に含まれ、2015年に頭骨の再検討により独立属に復帰すべきとされた。
ウェイゲルティサウルスやコエルロサウラヴスが含まれるウェイゲルティサウルス科は、特に早く空中に進出した爬虫類である。
全体的な姿は樹上性の身軽なトカゲによく似ていたが、脇腹に24対以上の非常に細長い骨の棒があった。この骨は肋骨ではない(腹肋骨または新規の骨とされる)が、トビトカゲの肋骨による翼とよく似ている。
ただ、この翼は胴体の腹側寄りに付いていて、そのままだと横滑りしやすいので安定性を補うために翼全体が上に反っていたともいわれる。翼開帳は全長と同程度で、先細りの形をしていた。
この骨の棒は元々脇腹に沿って並んで生えていたとされてきたが、1997年には腋から放射状に生えていたという説が出され、2021年の再々検討によって再び脇腹に並んで生えていたとされた。
頭部は吻が尖っていて、後頭部に棘の生えた小さなフリルがあった。歯は非常に細かかった。この形態はカメレオンによく似ていて、発見当初はカメレオンに近縁であると思われていた。
[メキストトラケロス・アペオロス Mecistotrachelos apeoros]
学名の意味:滑空するものの中で最も長い首
時代と地域:三畳紀中期(約2億3000万年前)
成体の全長:推定20cm
分類:爬虫綱 主竜形類
学名のとおり、長く伸びた首を持った滑空性爬虫類である。
長く伸びた8対の肋骨による翼を持っていた。前方の数対の肋骨は付け根が太く丈夫になっていた。翼開帳は全長の半分程度で、前寄りの先細りの形をしていたようだ。
首には頸椎が8または9個あり、その一つひとつが伸びることで胴体と同程度の長さに達していた。頭部は尖った形をしていて、口には小さな歯が並んでいた。四肢はやや細長かった。
[シャンロン・ツァオイ Xianglong zhaoi]
学名の意味:趙大宇氏が発見した飛ぶ竜
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の中国(遼寧省)
成体の全長:15cm
分類:爬虫綱 鱗竜形類 有鱗目 イグアナ下目
先述の滑空性爬虫類は4グループとも羽ばたいて持続的に飛行する脊椎動物がまだいなかったか現れ始めたばかりの時期のものだが、シャンロンはすでに翼竜が繁栄し初期の鳥類も現れていた白亜紀の滑空性爬虫類である。シャンロンが発見された義県層自体、羽毛恐竜や初期の鳥類、各種の翼竜など飛行する脊椎動物が多く発見されている。また現在でも多くの鳥類が繁栄している中、滑空性の哺乳類や爬虫類が何種も現れている。
シャンロンは現生のトカゲ・ヘビが含まれる有鱗類に属し、基本的には手足が発達し尾が細長いトカゲの姿をしていた。前肢より後肢のほうがより発達していた。8対の肋骨が伸長して、翼開帳11cmほどの先細りの翼を形成した。
[ヴォラティコテリウム・アンティクウス Volaticotherium antiquus]
学名の意味:太古の飛ぶ獣
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億6400万年前)の中国(内モンゴル自治区)
成体の体長:約13cm
分類:哺乳綱 真三錐歯類 翔獣目
ヴォラティコテリウムは現在知られている最古の滑空性の哺乳類のひとつである。近い年代の滑空性哺乳類にハラミヤ類のマイオパタジウム
Maiopatagiumがいる。
やや長い四肢の間に毛皮に覆われた皮膜が張られ、長く平たい尾を持っていた。類縁関係はないが現生のモモンガなどの滑空性哺乳類とよく似た構造を持っていたことになる。モモンガやムササビに見られるような四肢よりさらに外側に皮膜面を延長するような構造はなかったようだ。
長く尖った歯を持っていたため昆虫を主に食べていたと考えられる。現生の滑空性哺乳類が基本的に葉や果実など植物を主食としているのと対照的である。ただし皮膜による滑空では飛んでいる昆虫を捕らえるような激しい機動は難しいため、餌となる昆虫はもっぱら木の上で捕らえ、木と木の間を移動するときに滑空したと考えられる。なおこのことは先述の滑空性爬虫類でも同様といえる。
[アンキオルニス・ハクスレイ Anchiornis huxleyi]
学名の意味: トマス・H・ハクスリーの鳥に近いもの
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億6000万年前)の中国(遼寧省)
成体の全長:35cm以上
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ エウマニラプトラ トロオドン科
恐竜の中でも最も鳥類の祖先に近い形態をしているとされる種類。アルカエオプテリクス
Archaeopteryx(始祖鳥)より前の時代の地層から発見されていて、鳥類とそれ以外の恐竜の関係を知る上で重要視される。
頭と胴体は鳥類のようにコンパクトで、口には小さく尖った歯が並んでいた。昆虫や小動物を食べたと考えられる。
四肢は細長く、二足歩行性ではあるが前肢も後肢と同等の長さだった。これは鳥類の翼となった前肢に通じる特徴である。
近縁のトロオドン科やドロマエオサウルス科の恐竜と違い、後肢の第一指の鉤爪は大きくなかった。獲物を後肢で押さえつけることはなかったのかもしれない。また後肢が長いのに反して足が小さく、足指にまで羽毛が生えていた。走るより飛び跳ねることや木登りに適していたようだ。
全身に非常に保存状態の良い羽毛の痕跡が見つかっている。特に、前肢だけでなく後肢にも翼状の羽毛が生えていた。ドロマエオサウルス科のミクロラプトル
Microraptorなども前肢と後肢の両方が翼になっていて、鳥類の祖先もそうだったと思われる。
翼はアルカエオプテリクスの翼と比べてもさらにやや短く、揚力を発生させる効率の低いものであった。
風切羽は現在の鳥類と違って前後対称で、羽一枚ずつの効率も低かった。また羽軸が細いため強度が低く、羽を多数重ねることで補っていた。これは羽ばたきの途中に翼を上げるとき、空気を逃がして下向きの力が発生するのを避けるという仕組みがアンキオルニスの翼にはないことを示す。現在の鳥類の風切羽は2枚ずつだけ重なっているため、この仕組みが働く。
よって、アンキオルニスの飛行能力はごく限られたもので、ジャンプの補助やごく短い滑空だけができたと考えられる。
前肢は左右に伸ばせるが後肢はそれができず、また後肢の羽毛はあまり機能的な形状の翼面を形成しないため、後肢の翼をどのように使っていたかはよく分かっていない。
羽毛の痕跡を顕微鏡観察することでメラノソーム(メラニン色素の粒)が発見され、全身の羽毛の色が判明している。
ほぼ全身がフェオメラニンを持つ黒い羽毛に覆われ、翼にはメラニン色素のない白い帯があった。また頭頂から後頭部に生えた冠羽はユーメラニンを持ち赤褐色をしていた。
第八十一話
[ディモルフォドン・マクロニクス Dimorphodon macronyx]
学名の意味:大きな爪と2種類の形の歯
時代と地域:ジュラ紀前期(約1億9500万年前)のヨーロッパ(イギリス)
成体の翼開帳:約1.4m
分類:主竜類 翼竜目 マクロニコプテラ ディモルフォドン科
ディモルフォドンは大きな頭が特徴の比較的原始的な翼竜である。
イングランド南部のジュラシックコーストと呼ばれる海岸に露出しているブルーライアスという地層で、プレシオサウルス
Plesiosaurusやイクチオサウルス
Ichthyosaurusといった海生爬虫類に次いで発見された。これらを発見したのはジュラシックコーストで精力的に活動していた化石収集家で在野の古生物学者であったメアリー・アニングである。
当時、他の翼竜はドイツのゾルンホーフェンでプテロダクティルス
Pterodactylusが発見されていた程度だったため、翼竜研究のごく初期の発見として重大であった。ただし、そのために当初はプテロダクティルス属に分類されてしまっていた。
ディモルフォドンのプロポーションはプテロダクティルスを含む他の多くの翼竜と異なっていた。
頭骨は単に胴体より長いだけでなく高さがあり、4分割した楕円のような側面形をしていた。一見、飛ぶのに邪魔なほど大きく重そうに見えるが、鼻孔と前眼窩窓、それと眼窩が大きく開いてほとんど骨組だけのようになっていた。生きていたとき頭部はかなり軽かったと思われる。また頭骨の高さは大きかったが横幅は狭かった。
鼻孔より前、頭骨の先端には穴がない三角の領域があり、その部分の歯は長く鋭かった。またそれより後ろの歯も、短いが縁が尖った三角形をしていた。2種類の形の歯という意味の属名はこの歯にちなむ。
前方の長い歯は、例えばランフォリンクス
Rhamphorhynchusのような他の翼竜と違って、前や外側に突き出してはいなかった。歯の微細な傷に関する研究によると、陸上の柔らかい小動物を食べることが多かったようだ。
ディモルフォドンより前の三畳紀後期に生息した近縁種のカエレスティヴェントゥス
Caelestiventusもよく似た頭骨や歯を持っていたらしく、このグループの翼竜にとって獲物を捕食するのに高さがあり幅が狭い頭骨や2種類の鋭い歯が有効だったのかもしれない。
頭部が軽くて飛行の邪魔にならなかったとしても、ディモルフォドンはむしろ四肢を構成する骨の比率から、あまり長く飛ぶことはなかっただろうと考えられている。
翼竜の翼は腕と「翼指」と呼ばれる第4指で支えられているが、ディモルフォドン以外の多くの翼竜では翼指が長く伸びて長い翼を形作っている。しかしディモルフォドンの場合は第1翼指骨が前腕骨と比べてそれほど長くなく、また翼を形作る骨が全体的に短かった。
上腕骨に羽ばたくための筋肉が付着する突起(三角胸筋稜)は発達していたので、羽ばたく力は弱くなかったようだ。
翼指以外の3つの手指の爪は発達していた。これは歩いたり木に登ったりするのには良いが、飛ぶときは気流を乱し、また重りになって羽ばたきを非効率にする不利な特徴である。
上腕骨と大腿骨はほぼ同じ長さで、翼竜としては後肢が長かった。これも手の爪と合わせて歩いたり木に登ったりするのに適していたといえる。
足の第5指は細長く、他の指から独立していた。後肢と尾の間にも皮膜があったと思われるが、この第5指が皮膜を支えたり畳んだりしていたようだ。
比較的原始的な翼竜らしく尾は細長かった。ランフォリンクスを参考に、尾の先端に飛行安定に役立つ小さな鰭があったとされることが多い。
海成層で発見されたことと背の高い楕円の顎を持っていたことから、かつてはこの顎をツノメドリ類のクチバシに似ているとして、海上を飛んで水面で魚を捕えていたと考えることが多かった。しかしツノメドリ類との類似は表層的なものであり、現在では陸上でもっぱら歩き回るか木に登るかして、小さな爬虫類などを捕食していたと考えることが多い。
[ソルデス・ピロスス Sordes pilosus]
学名の意味:毛に覆われた悪霊
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5500万年前)のヨーロッパ(カザフスタン)
成体の翼開帳:約60cm
分類:主竜類 翼竜目 マクロニコプテラ ノヴィアロイデア プテロダクティロモルファまたは基盤的モノフェネストラタ
ソルデスは初めて体毛の存在が認識された翼竜である。
カザフスタンのカラバスタウ層という、乾季と雨季があった淡水の湖で堆積した地層から、上半身だけがよく保存された標本と全身まんべんなく保存された標本の2つが発見された。
尾の長い翼竜の中では派生的で、後の年代に繁栄した尾の短いプテロダクティルス類に近かったようだが、どれほどプテロダクティルス類に近かったかは意見が分かれている。
頭骨は尖った三角形で、眼窩が丸く大きかった。釘状の歯が顎の前方に並んでいた。魚か昆虫を食べていたと思われる。
翼は翼竜としては短くて前後に幅広かった。どちらかというと水上のような開けたところを飛び続けるより木の間を通り抜けるような飛びかたに適していたといえる。
全身残っていたほうの化石には体毛や皮膜の痕跡がある。
翼を形成する皮膜は後肢の足首に達し、後肢の間全体をも占めていた。この後肢の間の皮膜が尾から独立していたかのようにも見えるが、そのように判断するにはややはっきりしないとして、皮膜が尾に繋がっている復元イラストもよく見られる。
脊椎動物の系統における翼竜の位置から、翼竜の体毛は哺乳類の体毛より恐竜や鳥類の羽毛に近いものであると考えられる。ソルデスの体毛は胴体全体を覆う密で柔軟なもので、体温を保つのに役立ったと考えられる。またソルデスだけでなく他の翼竜も体毛を持っていたと考えられ、翼竜が自身の代謝で体温を保つ内温性であったことを示唆している。
他の翼竜でも体毛の痕跡が発見されていて、トゥパンダクティルス
Tupandactylusという翼竜では、大きなトサカの後部にあった体毛にメラニン色素を生成するメラノソームの痕跡が複数種類あった。このことは体毛の色にもそれだけ種類があったことを示唆する。また恐竜の羽毛にも同様のメラノソームが発見されていることから、カラフルな体毛(羽毛)の起源が恐竜と翼竜の共通祖先まで遡る可能性がある。
[アヌログナトゥス・アンモニ Anurognathus ammoni]
学名の意味:ルートヴィッヒ・フォン・アモンが発見した尾のない顎
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成体の翼開帳:約50cm
分類:主竜類 翼竜目 アヌログナトゥス科
アヌログナトゥスは非常に短く幅広い頭骨を持つ翼竜である。
ドイツのゾルンホーフェンの海成層から発見された。ランフォリンクスやプテロダクティルスといったジュラ紀を代表する様々な翼竜もこの地層から発見されている。
アヌログナトゥス科の翼竜の頭骨は長さが幅と同等程度かそれ以下しかなく、上から見ると半円に近い形をしている。
特に、他の翼竜では長く伸びている吻部が切り落とされたかのように短縮していて、側面から見ると大きな眼窩が目立つ。強膜輪の形態から薄明薄暮性であったと考えられている。鼻孔はほぼ前向きになっていた。
口全体に釘状の歯が並んでいた。また上下の顎の表面に突起があって、感覚毛の基部になっていたとも言われる。
首も翼竜としては短かったので、全体的にコウモリやカエルのようなコンパクトな体型であった。
翼はソルデスと同じく前後の幅が広くて、旋回飛行に適していた。
尾の短いプテロダクティルス類に含まれるとはあまり考えられないにも関わらず尾が短いのも大きな特徴である。おそらくプテロダクティルス類とは別に短い尾を獲得したものと考えられる。
多くの翼竜が長い吻部で水中の獲物を捕えていたと考えられているのとは違い、アヌログナトゥス科の翼竜はヨタカやコウモリのように木々の間を飛び回り、空中の昆虫を横幅の大きい口で捕えていたと考えられる。
アヌログナトゥスは海成層から発見されたとはいえ、ゾルンホーフェンの他の翼竜と違って海岸や海上ではなく森林に生息していたとされる。
翼を体の両脇にぴったりと畳んだポーズで化石化していることから、生きていたときもこのようにコウモリ同様翼を深く折り畳むことができ、日中はこの状態で樹皮にへばりついていたのかもしれない。
第八十二話
[ステム網翅類 stem-Dictyoptera]
石炭紀以降の地層からゴキブリに非常によく似た昆虫の化石が多数発見されていて、元々は現生のゴキブリと同じくゴキブリ目に含まれる「真のゴキブリ」であると見なされていた。
しかし、系統の分岐に基づく分類法によってゴキブリに近縁な昆虫の類縁関係が見直されると、現生のゴキブリ全てを含むグループがゴキブリ目であり、それに最も近縁なのはカマキリ目で、この2つのグループが分岐する前に現れたものはゴキブリ目には含まれないとされるようになった。
ゴキブリとカマキリが分岐した後の「真のゴキブリ」と呼べるものより前に現れたものは、「真のゴキブリ」とよく似た姿をしていつつ「真のゴキブリ」とは異なる特徴も持っていた。そのようなものをステム網翅類、分岐した後のゴキブリとカマキリのグループをクラウン網翅類(網翅上目)という。ステム網翅類は便宜的にブラットプテラ目という側系統群として扱われることもある。
ステム網翅類はすでに、広がった前胸部と平たく丈夫な前翅に守られた小判型の体、長い触角、発達した肢などを備え、一見ゴキブリにとてもよく似ていた。落ち葉や樹皮、倒木などに潜り込んで死んだ動植物を中心に食べる、現生の多くのゴキブリに近い生態をすでに確立していたと考えられる。
ステム網翅類の現生ゴキブリとの特に大きな違いは産卵の方法と幼虫の姿にある。
ステム網翅類は長い産卵管を持っていた。これで卵を植物に1つずつ産み付けていたと考えられる。現生のゴキブリが複数の卵を1つの卵鞘にまとめてしばらく保持しておく、または胎内で卵を孵して幼虫を産むのとは大きく異なっている。
加えて、ステム網翅類の幼虫は胸部が大きく広がって、カブトガニを思わせるシルエットになっていた。身を守る方法が現生のゴキブリの幼虫と異なったのかもしれない。
成虫の体型の違いとしては、ステム網翅類には体の割に翅が大きいものが多かった。現生のゴキブリと比べて持続的な飛行を行うことが多かったと考えられる。石炭紀には湿地帯の森林が多く、小さな昆虫が長距離を移動するには濡れた地面を歩くより木の間を飛ぶほうが安全で効率がよかったようだ。石炭紀には空中でステム網翅類を捕食する可能性のある捕食者も限られていた。現生のゴキブリではポーセリンローチ(
Gyna属)のように翅が大きく樹上で多く過ごし、木から木へ飛行するものがいる一方、樹上性であってもなくても飛行能力を失ったものも多い。
[アルキミラクリス・エギントニ Archimylacris eggintoni]
学名の意味:エギントンの原始のミラクリス(ミラクリスは近縁種の属名。意味は「粉挽き小屋のゴキブリ」)
時代と地域:石炭紀後期(約3億1000万年前)のヨーロッパ(イギリス)
成虫の全長:約5cm
分類:昆虫綱 "ステム網翅類" アルキミラクリス科
アルキミラクリスは、大きな翅や長い産卵管を持ちゴキブリのような姿をした、典型的なステム網翅類のひとつである。
アルキミラクリス・エギントニの保存状態の良い化石をマイクロCTスキャンにかけるマンチェスター大学の研究によると、アルキミラクリスは肢の先に真褥盤葉(しんじょくばんよう、euplantulae)と呼ばれる吸盤のような働きをする軟らかい突起があり、爪は発達していた。木に盛んに登っていたようだ。肢の棘はあまり目立たなかった。
また地上の腐植質を食べる現生ゴキブリのように丈夫な顎を持っていて、餌は地上で摂ったようだ。
アルキミラクリス・エギントニはアプソロブラッティナ属
Aphthoroblattinaに分類されることもある。アプソロブラッティナは全長50cmにもなる「超巨大ゴキブリ」であるという噂が流れたことがあるが、単に「全長50mm」が誤記されたのがきっかけのようだ。なお「超巨大ゴキブリ」としては翅の大きなステム網翅類の姿ではなく現生のオオゴキブリ
Panesthia angustipennisに似せた姿の画像が流布しているが、そのような姿であったわけではない。
ステム網翅類・真のゴキブリ両方合わせても、現生の9cmほどに達する一部のゴキブリが史上最大級であるといえる。家屋性のゴキブリはこの半分程度にしかならない。
[ポノプテリクス・アクセルロディ Ponopterix axelrodi]
学名の意味:ハーバート・R・アクセルロッド氏とA.G.ポノマレンコ氏の翅
時代と地域:白亜紀前期(約1億2000万年前)の南米(ブラジル)
成虫の全長:約15mm
分類:昆虫綱 網翅上目 ウメノコレウス上科 ウメノコレウス科
ウメノコレウス科は特に丈夫な前翅を持ったクラウン網翅類である。甲虫によく似た姿をしていて以前は甲虫であると考えられていたが、実際にはステム網翅類と同じくゴキブリに近い特徴を多く持っていた。系統としては網翅類の中でもゴキブリ目よりカマキリ目に近い。
ポノプテリクス・アクセルロディはブラジルのアラリペにあるクラト層の最下部ノヴァ・オリンダ層から多数発見されている。この地層は酸素のない湖または塩湖の底に堆積したもので多数の節足動物化石を含み、その節足動物の26%はポノプテリクスと、よりゴキブリらしい2種の網翅類で占められている。
ポノプテリクスは一見ハンミョウやカミキリムシのような細身の甲虫によく似た姿をしていた。大きな複眼のある幅広い頭、細い前胸部、重ならずに正中線で合わさって半楕円状になる前翅を持っていた。なお、直接類縁関係のない現生ゴキブリ目のカブトムシゴキブリ(
Diploptera属)にもこのような前翅が見られる。
前翅には小さなくぼみが並んでいて、これが翅の剛性を高めていたようだ。翅脈には甲虫には見られない特徴があり、これが甲虫ではなく網翅類であることを示している。
大きな複眼やカマキリと近縁なことから肉食性を思わせるところもあるが、近縁種に花粉が付着していた例もあり、食性はあまりはっきりしない。
福井県の手取層群北谷層からポノプテリクスと同じウメノコレウス科に含まれるペトロプテリクス・フクイエンシス
Petropterix fukuiensisなど、5種の網翅類が発見されている。ペトロプテリクス・フクイエンシスは前翅のみだが、ウメノコレウス科が甲虫ではなく網翅類であることを改めて裏付けた。
[ペルルキペクタ・アウレア Perlucipecta aurea]
学名の意味:金色の堆積物から発見された透明な胸部を持つもの
時代と地域:ジュラ紀末または白亜紀前期(約1億4000万年前)のアジア(中国)
成虫の全長:約2cm
分類:昆虫綱 網翅上目 ゴキブリ目 ゴキブリ上科 メソブラッティナ科
メソブラッティナ科はゴキブリ目(「真のゴキブリ」)の中でもゴキブリ科に近縁とみられるグループである。
ペルルキペクタは中国・遼寧省の義県層という地層で、保存状態の良い化石として複数発見され、体の各部の詳細が明らかになっている。
しっかりした顎と細長い触角を持つ下向きの頭部、円盤状の前胸部、腹端をやや越える翅、棘の並んだ発達した肢など、典型的なゴキブリの姿をしていた。
メソブラッティナ科は日本国内からも福井県の手取層群北谷層から白亜紀前期のプラエブラッテッラ・インエクスペクタ
Praeblattella inexpectaとプラエブラッテッラ・アルクアタ
P. arcuataが発見されている。山口県の美祢層群桃ノ木層から発見された三畳紀のトリアッソブラッタ・オカフジイ(オカフジムカシゴキブリ)
Triassoblatta okafujiiもメソブラッティナ科であるとされることがある。義県層や桃ノ木層は湿った環境だったが北谷層はそれらと比べると乾燥しつつあった。
[パラエオンティナ科 Palaeontinidae]
パラエオンティナ科はセミにやや近縁な、三畳紀末から白亜紀前期にかけて生息した昆虫である。
当初は大きな翅や鱗粉のように見える毛からガの一種と考えられていたが、詳しい観察によりセミにかなり似ていることが分かった。
姿や分類こそセミに近いものの、セミ科に最も近縁なテチガルクタ科の昆虫がヒトに聞こえるような音声で鳴かないことや、セミ上科(セミ科とテチガルクタ科)以外の半翅類が幼虫期に土中で生活しないことから、パラエオンティナ科の昆虫もセミと違って大きな声で鳴いたり土中で育ったりはしなかったものと考えられる。なおセミ科の昆虫はペルム紀にはすでに現われていたようだ。
パラエオンティナ科の多くは、ガと間違えられていたように、セミと比べて大きな翅を持っていた。セミよりもゆっくりと長く飛んでいたと思われる。
イチョウ類と同じ地層から発見されることが多く、樹液を吸う植物としてイチョウ類をよく利用していたとか、白亜紀前期以降になるとイチョウ類が衰退したことが絶滅の原因とも言われている。また同じ時期に滑空性の羽毛恐竜や飛行可能な鳥類が増えたため、これらによる捕食圧も絶滅の一因かもしれない。
[ダオフゴウコッスス・シイ Daohugoucossus shii]
学名の意味:化石コレクターのヤン・シー氏の道虎溝のコッスス(コッススはボクトウガ属のガの属名だが、パラエオンティナ科を表わす言葉として使われている。意味は「木の幹の中にいる芋虫」)
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6000万年前)のアジア(中国)
成虫の翼開長:約110mm
分類:昆虫綱 半翅目(カメムシ目) 頚吻亜目 セミ型下目 パラエオンティナ科
ダオフゴウコッスス・シイは中国の道虎溝層という、淡水で堆積した昆虫の多い地層で発見された。比較的大型のパラエオンティナ科の一種で、現生のミンミンゼミ
Hyalessa maculaticollisほどの体格と、より大きくずんぐりした翅を持っていた。肢や腹部には細かい毛が生えていた。頭部は幅広く現生のセミに似て見えた。
化石に残っている模様の痕跡によると、前翅の前半分全体に色が付いていて、前翅の後ろ半分と後翅は色が付いた部分と透明な部分のまだらになっていた。
[シナポコッスス・スキアッチタノアエ Synapocossus sciacchitanoae]
学名の意味:フラン・シャッチターノ氏の翅脈に癒合があるコッスス
時代と地域:ジュラ紀中期(約1億6000万年前)のアジア(中国)
成虫の翼開長:約60mm
分類:昆虫綱 半翅目(カメムシ目) 頚吻亜目 セミ型下目 パラエオンティナ科
シナポコッススも道虎溝層で発見されたパラエオンティナ科の一種である。ダオフゴウコッススと違いかなり小型で、現生のセミでいうと国内最小のイワサキクサゼミ
Mogannia minutaと同程度の体格しかない。ただしこちらも翅はかなり大きかった。頭部は小さく、セミというよりカメムシのような顔付きをしていた。
シナポコッススの化石にも翅の模様の痕跡があり、前翅と後翅1枚ずつ色のある部分で縁どられていた。
[グラプトプサルトリア・イナバ(イナバムカシアブラゼミ) Graptopsaltria inaba]
学名の意味:因幡国の色を塗られた演奏家
時代と地域:後期中新世(約600万年前)の東アジア(日本)
成虫の全長:推定約60mm
分類:昆虫綱 半翅目(カメムシ目) 頚吻亜目 セミ型下目 セミ科 アブラゼミ属
イナバムカシアブラゼミは鳥取県の辰巳峠層という地層から左前翅が発見された、現生のアブラゼミ
G. nigrofuscataと同属のセミである。
現生のアブラゼミと同じく翅に色が付いていたが、翅の細かい形や翅脈の微妙な形に違いがあった。
辰巳峠層では植物と昆虫の化石が豊富に発見されていて、堆積した場所の周囲がムカシブナ
Fagus stuxbergiなど温帯性の落葉広葉樹を主体に常緑広葉樹および常緑・落葉針葉樹をわずかに含む森林であったことを示す。イナバムカシアブラゼミも現在の日本の森林と似た森林に生息していたといえる。
[プロファランゴプシス科 Prophalangopsidae]
プロファランゴプシス科はどちらかというとキリギリスに近縁な、いわゆる「鳴く虫」のグループのひとつである。ジュラ紀に現われ、現在は8種のみ生息している。英語で「グリッグgrig」と呼ばれているもののこれは直翅類全体を表わす言葉でもあり、和名は特にない。
コオロギは胴体の幅と高さが同じくらいで頭が大きく、キリギリスは胴体が高くて頭が小さいという体型の違いがあるが、現生のプロファランゴプシス科はやや高い胴体とやや小さい頭を持ち、コオロギとキリギリスの中間のような姿をしている。
ハンプウィングド・グリッグ
Cyphoderris monstrosaという現生種は黒い体と短い翅を持ちコオロギに似ていて、針葉樹の花粉を主食としている。オス成虫が他のキリギリスやコオロギのように翅のやすり状器官をこすり合わせてチリリリリーという12kHz前後の鋭い鳴き声を発するいっぽう、幼虫も別の器官で超音波を発する。おそらく地上の捕食者を撹乱するためと言われている。
プロファランゴプシス・オブスクラ
Prophalangopsis obscuraは現生種だが1つの標本からしか知られていない。この標本の翅のやすり状器官から、この種は4.7kHzほどの低い単音の鳴き声を発することが推定されている。
中生代のプロファランゴプシス科の化石が世界各地から発見されていて、現世より繁栄していたようだ。化石種はキリギリスに似た姿だったと見なされることが多い。
中生代のプロファランゴプシス科も鳴いたとみられ、アルカボイルス・ムシクス
Archaboilus musicusの翅の化石に残されたやすり状器官から鳴き声が復元されていて、カネタタキ
Ornebius kanetatakiに似た、6.4kHzほどの周波数のやや低い鳴き声だったようだ。
[ピクノフレビア・スペキオサ Pycnophlebia speciosa]
学名の意味:美しい太い翅脈
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(ドイツ)
成虫の全長:約10cm
分類:昆虫綱 直翅目(バッタ目) 剣弁亜目 キリギリス下目 ハグラ上科 プロファランゴプシス科 アボイルス亜科
ピクノフレビアはゾルンホーフェン地方のジュラ紀末の地層から発見されたプロファランゴプシス科の昆虫である。この地層は外海とのつながりが限られた静かな礁湖の、酸素の乏しい水底で堆積したもので、世界有数のラーガシュテッテ(多様な化石を多数産出する地層)として知られている。
ゾルンホーフェンで発見された直翅類としては特に大きいが、より大型のロブスタ種
P. robustaも発見されている。
化石は横から押しつぶされているので生前よりキリギリスらしい体型に見えている可能性もあるが、化石で見る限りは頭が縦長で翅が大きくて肢がほっそりとした、ウマオイ
Hexacentrusやクツワムシ
Mecopoda nipponensisに似た姿をしていたように見える。
前肢に現生の直翅類と同じような鼓膜が見付かったとされた化石があるが、実際には母岩の凹みと変わらないようだ。現生のキリギリス類の場合は前肢の棘が発達しているものほど肉食の傾向が強いが、この化石の前肢には特に棘が見られない。ハンプウィングド・グリッグと同様に植物質が主食だったのかもしれない。
[ニッポノハグラ・カガ Nipponohagla kaga]
学名の意味:日本の加賀の国のハグラ(ハグラは同じプロファランゴプシス科の昆虫の属名。由来は不明)
時代と地域:白亜紀前期(約1億3000万年前)の東アジア(日本)
成虫の全長:不明(前翅長45mm)
分類:昆虫綱 直翅目(バッタ目) 剣弁亜目 キリギリス下目 ハグラ上科 プロファランゴプシス科 アボイルス亜科
ニッポノハグラは石川県の桑島化石壁という、手取層群桑島層の露頭で発見されたプロファランゴプシス科の昆虫である。
桑島層は堆積した泥の粒子が細かく生物遺骸の形が残りやすいものの、堆積した泥に酸素が多く含まれていて昆虫の体が分解されやすかったらしく、昆虫の化石はわずかしか発見されていない。そんな中でニッポノハグラの前翅および後翅と、カガプシコプス
Kagapsychops araenaというアミメカゲロウ目(カゲロウ目ではない)に属する昆虫の翅が同じ母岩で発見されている。翅のみであるにも関わらず前翅と後翅が揃っている点は貴重であるといえる。
翅の形態でいうとニッポノハグラはピクノフレビアと比べると小さく、ややほっそりとしていたようだ。
[ヘリオコプリス・アンティクウス(ムカシナンバンダイコクコガネ) Heliocopris antiquus]
学名の意味:古い太陽の糞虫
時代と地域:中新世(約2000万年前)の東アジア(日本)
成虫の全長:不明(前翅長28.5mm)
分類:昆虫綱 鞘翅目(コウチュウ目) コガネムシ科 ダイコクコガネ亜科 ナンバンダイコクコガネ属
ムカシナンバンダイコクコガネは石川県珠洲市の柳田累層から左右揃った前翅のみ発見された甲虫である。現生のナンバンダイコクコガネ属という糞虫(ふんちゅう)の属に含まれる。
糞虫とはコガネムシ上科の中で哺乳類の糞を主食とするもののことで、タマオシコガネ(フンコロガシ)
Scarabaeusやセンチコガネ
Phelotrupes等がこれに当たる。ダイコクコガネ亜科はその中でも主にオスに頭部の角や前胸部の突起が発達したグループである。
ナンバンダイコクコガネ属は全長5cmほどになる大型の糞虫で、東南アジアとアフリカに生息していてゾウなどの大型の草食哺乳類の糞を主食としている。
本州の中新世の地層からもゴンフォテリウム・アネクテンス(アネクテンスゾウ)
Gomphotherium annectensやステゴロフォドン
Stegolophodonのような初期のゾウ類や、サイ類の化石が発見されている。アジア大陸から分離しきっていなかった頃の本州で、すでにナンバンダイコクコガネ属と大型草食獣が現在のような関係を確立していたことを示唆している。
第八十三話
[モア目 Dinornithiformes]
モア目は、15世紀までニュージーランドに生息していた飛ばない鳥類のグループである。ユーラシアやアフリカでいう偶蹄類やゾウのように、各種の大型植物食動物としての生態的地位を占めていた。コウモリを除く哺乳類のいないニュージーランドは、このように独自に進化した鳥類を多く擁する。
モア目の中の分類には混乱が生じていたが、現在は3科6属9種を含んでいるとされる。
飛ばない鳥類を多く含む古顎類に含まれる。しかし、翼である前肢の痕跡すらないにもかかわらず、飛ぶことのできるシギダチョウ科と最も近縁であることが古代DNAの解析から知られている。
モア目の大まかな特徴は、ダチョウ
Struthio camelusやエミュー
Dromaius novaehollandiaeなど現生の飛ばない大型鳥類、つまり他の古顎類によく似ていた。モア目のどの種も、長い首、小さい頭、大きい胴体、長い後肢を持ち、翼は退化していた。
そのいっぽうで、ダチョウなど現生の大型の古顎類とは異なるモア目独自の特徴も多かった。
骨格の大きな特徴として、翼の退化がさらに進んでいた。胸骨とごく小さな肩甲骨があるだけで前肢そのものは痕跡すらなかった。ダチョウと違い、翼を飛ぶことと無関係なことにも使わなかったことになる(これはむしろダチョウのほうが独特なのだが、ダチョウが大型の飛ばない鳥類の代表として扱われがちなので注意する必要がある)。
プロポーションの特徴として、後肢の中足骨が短くて太く、足指はどれも太長かった。骨盤の股関節から後ろは小さかった。このような後肢の形態のため、長距離を高速で走行する能力には乏しかったが、大きな体重を支えることや、斜面や凹凸のある土地を歩くことには適していたようだ。
眼窩はあまり大きくなく、眼窩の前に大きな涙骨が下がっていた。
モア目の9種は大きさ、クチバシの形態、後肢の形態、生息環境や生息地などが少しずつ異なっていた。
ヒトがニュージーランドに移入する前にモア目を捕食していたのは、後述のハーストイーグルを主とする大型の猛禽であったと考えられている。
13世紀前後にニュージーランドにポリネシア人(後のマオリ族)が移入した後、乱獲によってモア目は絶滅した。移入から絶滅には数百年かかったと考えられてきたが、繁殖率や捕獲率、人口などの数理的な研究によると、移入から150年前後で絶滅したと考えられる。
有史以降にヒトの手によって絶滅した大型動物の中では珍しく、西洋文明とは無縁だったことになる。
マオリ族のかつてのゴミ捨て場のようなところから痕跡が見付かるのと、伝承の中にモア目に関する内容がいくらか残っているのを除くと、化石化はしていないもののヒトの手によって直接記録されたものは特にないことになる。
いっぽう、絶滅した年代が新しいぶん、古代DNAの分析は進んでいる。シギダチョウ科に近縁であるという分類もその成果による。
[ディノルニス・ロブストゥス(サウスアイランド・ジャイアントモア、オオゼキモア) Dinornis robustus]
学名の意味:恐ろしく大きく屈強な鳥
時代と地域:現世(15世紀まで)のニュージーランド(南島)
成体の高さ:メス3.6m オス2.4m
分類:鳥綱 真鳥亜綱 古顎類 モア目 ディノルニス科
ディノルニス属に含まれるモアをジャイアントモアといい、モア目の中で最大のものである。
中でもサウスアイランド・ジャイアントモア(ロブストゥス種)は2種いたうちの南島にいたわずかに大きいほうで、首を高く掲げれば史上最も背の高い鳥類である。メスのほうがオスと比べて格段に大きかった。
なお、そこまで首を高く上げたポーズを取ることは少なかったと考えられているが、背中までの高さでも1.5m以上になる。
クチバシは幅広く平たい三角形で、縁は緩くカーブしシャベルのようなシルエットをしていた。ダチョウのクチバシに似るが、ゆるやかに下向きに曲がっていた点が異なる。
大腿骨や脛骨に対する中足骨の長さの比率は、ヒクイドリよりは低いがモア目の中では高いほうだった。
環境、高度、気候とも南島各所に幅広く分布し、木や低木の葉を選んでつまみ取ったり、森以外では草本植物をむしり取ったりしていた。このように、大きな体で幅広い環境と食物を利用する生態的地位はゾウにも例えられる。
ノースアイランド・ジャイアントモア(ノヴァエジーランディアエ種)
N. novaezealandiaeの卵殻にオスのDNAが残存していたことから、少なくともノースアイランド・ジャイアントモアはオスが抱卵していたと考えられている。
[アノマロプテリクス・ディディフォルミス(リトルブッシュモア、ヤブモア) Anomalopteryx didiformis]
学名の意味:ドードーのような姿の奇妙な羽を持つもの
時代と地域:現世(15世紀まで)のニュージーランド(北島・南島)
成体の高さ:1.2m
分類:鳥綱 真鳥亜綱 古顎類 モア目 エメウス科
リトルブッシュモアはモア目の中の最小種で、シチメンチョウ
Meleagris gallopavoほどの大きさにしかならなかった。
クチバシは短くて幅が狭く、ジャイアントモアと違ってあまり下向きに曲がっていなかった。頭骨のクチバシを除いた部分はやや幅広かった。
後肢は脛骨が長かったものの中足骨はかなり短く、比較的細かった。
北島により多く生息していた。中高高度の、冷涼湿潤で急坂や凹凸のある土地のやぶの中や、空がすっかり覆われた森で生活していた。
木や低木の葉、草をつまんでいたと考えられている。また、クチバシの特徴から枝のような固い部分をちぎって食べることもできたようだ。
[ヒエラアエトゥス・モーレイ(ハーストイーグル) Hieraaetus moorei]
学名の意味:ジョージ・ヘンリー・ムーアの所有する土地で発見されたタカのようなワシ
時代と地域:現世(15世紀まで)のニュージーランド(南島)
成体の翼開帳:最大3m
分類:鳥綱 真鳥亜綱 新顎類 タカ目 タカ亜目 タカ科 イヌワシ亜科 ケアシクマタカ属
ハーストイーグルは、かつてのニュージーランドで最大の猛禽であり頂点捕食者だった鳥類である。
独立属のハルパゴルニス属
Harpagornisに分類されていたが、古代DNAの分析によりケアシクマタカ属に分類し直された。同属の現生種は中型程度の猛禽である。
ハーストイーグルがケアシクマタカ属の他の種と分岐したのは220万年ほど前と考えられる。ニュージーランド全体が一旦水没したのはそれよりかなり前で、ハーストイーグルはニュージーランドの生態系の歴史の中では比較的新しく現れた種だった。小さな近縁種から急速に大型化したようだ。
ハーストイーグルには大きさだけでなく、プロポーションとクチバシに独特な特徴があった。
翼開帳自体は最大3mほどでコンドル
Vultur gryphusと同等だが、胴体はコンドルより大きく、翼開帳や翼の面積の割に体重が大きかった(最大で15kgになったと考えられている)。
このため飛行速度が大きくなるので、多くのワシやタカのように上昇気流を利用して帆翔し続けることはせず、オウギワシ
Harpia harpyjaのように木の上で待機して、木の間を通り抜けるように飛んで獲物に飛びかかったと考えられる。
猛禽としては長い、コンドルのようなクチバシを持っていて、小さな獲物を丸呑みするより大きな獲物を引きちぎることに適していた。しかし足はコンドルとは違い、太さ以外は同じケアシノスリ属とよく似た、掴むことに適した足を持っていた。
獲物と格闘するときに離されないように足でしっかり掴んだが、食べるときはコンドルがそうするようにその場で引きちぎったのではないかと言われている。このことから、モア目のような大きな獲物を捕食することがあったと考えられている。ジャイアントモアの成鳥を捕食できたとは限らない。
ハーストイーグルではないかと思われる洞窟壁画があり、全身が黒く塗られているが頭だけ塗り残されている。コンドルのように頭に羽毛がなかったのかもしれない。
マオリ族の伝承の中には人食いの怪鳥が登場するが、これはマオリ族が移入してからもしばらく絶滅していなかったハーストイーグルのことが伝承に残っているのだともいわれる。ハーストイーグルはモア目とほぼ同時期に、食料不足やマオリ族との対立などにより絶滅した。
[カニス・ルプス・ホドフィラックス(ニホンオオカミ) Canis lupus hodophilax]
学名の意味:道を守るオオカミ
時代と地域:現世(20世紀初頭まで)の日本(本州、四国、九州)
成体の肩高:55cm
分類:哺乳綱 食肉目 イヌ型亜目 イヌ科 イヌ属 オオカミ種
ニホンオオカミは、オオカミのうちかつて日本列島に生息していた亜種である。
独立種とする意見もあったが、古代DNAの分析によるとイヌ
C. l. familiaris(こちらもオオカミの亜種である)と共通の祖先を持つことが分かった。日本列島に渡来する前のニホンオオカミの祖先とイヌの祖先が交雑していた痕跡もある。
西洋文明の科学による検証が絶滅間際まで行われなかったため、イヌ(野犬)との違いが曖昧なままで日本人に認識されていたが、第一大臼歯がイエイヌと比べて大きいといった、現生のオオカミと同じ特徴を持っていた。
オオカミの亜種としてのニホンオオカミの最大の特徴は、オオカミの中では特に小型なことである。現生のオオカミが肩高70〜80cm、体重30〜40kgほどになるのに対して、ニホンオオカミは肩高55cm、体重20kgほどであった。
小さく身軽になることで、狭くて餌資源が少なく、山地の斜面が多く、やや温暖な日本列島に適応したのではないかと考えられる。
四肢、特に前肢がやや短かった。吻はやや短く幅広かった。
国内に3つある剥製は毛皮の色が抜けてクリーム色になっているが、大英自然史博物館の保存状態の良い仮剥製標本(生前の形態に仕上げていない毛皮)などの確実な色の証拠によると、濃い茶色の毛をしていたらしい。
生息当時の記録によると、あまり山奥ではなく人里に近いところにも多く生息していたと考えられている。ホンシュウジカ
Cervus nippon aplodontusやニホンイノシシ
Sus scrofa leucomystaxを主な食料としていたようだ。
牧畜が盛んでなかった日本では、ニホンオオカミが人命や家畜を脅かすことより、ニホンジカやニホンイノシシを捕食して農業上の害を取り除くことが重んじられ、神聖視される傾向にあった。
しかし、馬産地である東北地方を中心として、ときとしてヒトにとって危険を及ぼす存在であることは認識されていて、ニホンオオカミのなわばりを通過するときの注意点が広まったり、人里からニホンオオカミを遠ざける儀式が行われたりもしていた。
亜種名の
hodophilaxは「道を守るもの」という意味だが、これはニホンオオカミがなわばりを通過するヒトをすぐに襲わず観察しながら尾行していた、いわゆる「送り狼」の習性にちなむ。
ニホンオオカミが絶滅した経緯は、大まかには17世紀に遡る。
まず17世紀(江戸時代)に入ると、江戸幕府に関連する建築物の建材をはじめとして木材の利用が増え、また農地の開墾も盛んに行われたため、森林伐採が進んでニホンオオカミは個体数を減らし始めた。
江戸後期にはさらに狂犬病やジステンパーが国内に入り込んだが、ニホンオオカミが群れをなしていたためにこれらの伝染病が広まりやすかった。さらに、狂犬病に罹患したニホンオオカミがヒトを襲う事故が多発するようになり、神聖視の対象から駆除対象に変わってしまった。
明治に入る頃にはすでにかなり減っていたが、さらに明治政府の政策によって駆除に拍車がかかり、1905年に奈良県で捕獲された個体を最後に確実な記録は途絶えた。
第八十四話
[ドウビレイセラス・マミラートゥム Douvilleiceras mammillatum]
時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年前)の世界各地(南北アメリカ、マダガスカル、イギリスなど)
成体の直径:約10cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンキロセラス亜目 ドウビレイセラス科
四角い殻口と非常に明瞭に出っ張った肋(殻の表面に並んだ放射状の出っ張り)を持った、分厚い殻のアンモナイトである。さらに肋上にはいぼ状の突起が並んでいて、とても装飾的な姿をしていた。分布域はとても広かったようだ。
アンモナイトはイカのカラストンビと同様の顎器を持っていて、アンキロセラス亜目のアンモナイトは、上顎に対して非常に大きく、また平たい、石灰化した下顎を持っていた。このタイプの顎器をアプチクスという。
[アマルテウス・マルガリタトゥス Amaltheus margaritatus]
時代と地域:ジュラ紀前期(約1億8000万年前)のヨーロッパ、ロシア、北米
成体の直径:約6cm
分類:軟体動物門 頭足綱 アンモナイト類 アンモナイト目 アンモナイト亜目 アマルテウス科
アマルテウスは巻きがきつく、鋭い涙滴状の殻口、ごく緩いS字の浅い肋、縄のような細かい節のあるキールを持った、薄い殻のアンモナイトである。
装飾的な形状ではあるが幅が狭く凹凸が浅いので、水の抵抗は小さく、遊泳能力は比較的高かったのではないかと思われる。
基本的にパンゲア大陸に大して北方の「ボレアル区」と呼ばれる海域に主に分布していたと考えられるが、アマルテウス属は日本国内でも山口県と富山県で発見されている。パンゲア大陸北東部の突端を周り込むように分布を広げたようだ。
[本文中で名前を呼ばれなかったアンモナイトについて]
地球の歴史の中で大陸は移動してきたので、古生物がどのように分布していたかも各年代の大陸の配置の影響を受け、化石の産地として痕跡を残す。
陸生の古生物に対する大陸移動の影響は直感的に分かりやすく、大陸移動説が提唱されたときにも陸生古生物の化石の分布が根拠のひとつとなった。そのいっぽう、アンモナイトのような海生の古生物も大陸移動の影響を受けていた。
アンモナイトは種類が多く移り変わりが早かったので、示準化石(地層の年代の基準とばる化石)として広く扱われてきた。
しかしアンモナイトの種類にも地域差があり、各年代の海がどのように大陸によって隔てられていたかを反映しているのである。
まず、広義のアンモナイトに含まれるゴニアタイト類がデボン紀に現れた。その後セラタイト類が現れ、三畳紀末に絶滅しかけたが、アンモナイト目に分類される、より狭義のアンモナイトが現れた。
三畳紀末からジュラ紀にかけて、大陸は超大陸パンゲアを形成していたため、アンモナイトの分布はジュラ紀の間しばらくはパンゲアに大きく隔てられることになった。
特に知られているのは、C字形をしたパンゲアの北側の海と内側の海で別々のアンモナイトが分布していたことである。
パンゲアに対して海全体をパンサラッサというが、パンゲアの内側の東に開いた海をテチス海という。
そして、古生物地理区としてはパンゲアの北側をボレアル区、テチス海をテチス区という。パンゲアは成立してから解体するまでの間にも個々の陸塊が互いに位置関係を変えてきたため、もっと細かく地理区を分けることができる。アンモナイトの各グループはそれぞれの地域で現れて、大陸沿いに、あるいは多島海であったヨーロッパの間など大陸の分かれ目を縫うように分布を広げていたようだ。
本文中ではおおむねボレアル区とテチス区の区分に倣って、ボレアル区に関連したアンモナイトの水槽とテチス区に関連したアンモナイトの水槽を分けている。
ボレアル区水槽には先述のアマルテウスの他に下記のものが含まれる。
「両手で持ち上げるような大きさのもの」はティタニテス・ギガンテウス
Titanites giganteusである。ジュラ紀末の北ヨーロッパに多いドルソプラニテス科に属し、イギリスのライム・リージスなどから発掘される。ジュラ紀のアンモナイトの中でも特に大型で、殻の直径が1.2mに達する個体もいた。巻きの数は多く、肋は明確だった。
「指先ほどの大きさのもの」はプロミクロセラス・プラニコスタ
Promicroceras planicostaである。北西ヨーロッパに多いエオデロセラス科に属し、イギリスのジュラ紀前期の地層から密集して発掘される。また完全に方解石で置き換えられたものが磨かれた状態で販売されることも多い。直径3cm程度で、巻きの数は多く、肋ははっきりと盛り上がっている。
「芯をくりぬいたリンゴを倒したみたいに真ん丸で横がくぼんでいるの」はカドセラス・エラトマエ
Cadoceras elatmaeである。北極圏に起源があるカルディオセラス科に属する、ロシアのジュラ紀後期の地層に特徴的なアンモナイトである。直径10cmほどで、全体は球形に近いがへそが大きくくぼみ、へその周りははっきりした肋に縁取られていた。
「表面の筋がはっきりしたの」はクエンステッドセラス・ランベルティ
Quenstedticeras lambertiである。カドセラスと同じくカルディオセラス科に属するジュラ紀後期のアンモナイトで、主にロシアで発掘される。カドセラスほど極端な丸みは帯びておらず、明確な肋が細かい間隔で走る。
これらに対して、テチス区水槽には下記のものが含まれる。
「流線型をしたもの」はフィロセラス・ヘテロフィルム
Phylloceras heterophyllumである。フィロセラス亜目と後述のリトセラス亜目のアンモナイトはテチス区に特徴的で、この2つのグループでジュラ紀のテチス区のアンモナイトのうち半数を占めていた。深く温かい海に関連していたようだ。
フィロセラスは10cm弱ほどの直径で、小さなへそと浅く真っ直ぐな肋を持ち、巻きがきつく丸みのある、滑らかな形状をしていた。フィロセラス亜目のアンモナイトはどれもおおむねこのような姿をしていたがフィロセラスは特にへそが小さかった。
「羊の角みたいにくっきりした渦巻きの」はリトセラス・コルヌコピア
Lytoceras cornucopiaとヒルドセラス・ビフロンス
Hildoceras bifronsである。
リトセラスはリトセラス亜目を代表するアンモナイトで、直径は数cmから20cmほどになり、フィロセラスと違って巻きがゆるく、螺管が前の一巻きとほとんど重なっておらず、また殻口はほぼ円形で、羊の角のような形状をしていた。分布はかなり広かった。
ヒルドセラスはヒルドセラス科に属する、ジュラ紀前期にかなり広く分布したアンモナイトである。リトセラスほどではないが巻きがゆるく、肋は明確で殻口は平たかった。ヒルドセラスの属名は開墾した土地のヘビを法力で石に変えてしまったという伝承のある伝道師ヒルダにちなみ、化石が太古の生物の痕跡であると突き止められる前の空想を今にとどめている。
「表面の筋が細かいの」はハルポセラス・ファルキフェルム
Harpoceras falciferumである。ヒルドセラスと同じくヒルドセラス科に属し、ドイツのジュラ紀後期の地層であるポシドニア頁岩から発掘される。直径は大きくて30cmほどになるいっぽう、より小さくて殻口に突起がある個体もよく見つかっている。突起があるのはオスかもしれない。
「石壁の中のアンモナイトと同じくらいの大きさで、輪郭があまりでこぼこしていないもの」はアリエティテス・バックランディ
Arietites bucklandiである。アリエティテス科はテチス海に多かったがかなり分布が広かった。アリエティテスは直径20〜40cm前後になる比較的大型のアンモナイトで、巻きが多く螺管が前の巻きにあまり重なっていないタイプだった。肋はかなりはっきりとしているがキールが正中線上に走っているためシルエットにはあまり凹凸がない。
日本のジュラ紀のアンモナイトはもっぱらテチス区の影響を強く受けていたが、パンゲア大陸の北東端を周り込むようにしてボレアル区のものも現われていた。
山口県下関市で見られる豊浦層群西中山層からはジュラ紀前期後半のアンモナイトが豊富に発掘される。
「つるりとしたもの」はカリフィロセラスの一種
Callyphylloceras sp.である。テチス区の代表的なグループのひとつであるフィロセラス亜目に属する。直径は大きくて7cmほどで、やや平たく、目立つ肋が大きく間隔を開けて走る。
「小さくてよく見ると縄を巻いたようなもの」は
フォンタネリセラス・フォンタネレンセFontanelliceras fontanellenseである。西中山層下部のアンモナイト群集を代表する種である。直径は3cm程度で、ゆるく巻いていて肋がはっきりし、3つの稜がある。ヒルドセラス科アリエティセラス亜科に属し、テチス区の要素だが、アマルテウスと共産する。
「筋が綺麗なもの」はクレヴィセラス・クリサンテマム
Cleviceras chrysantemumである。直径は10cm程度で、ヒルドセラス科ハルポセラス亜科に属し、菊を意味する種小名を持つ日本のジュラ紀前期を代表するアンモナイトである。ややゆるく巻く。肋はS字状に曲がり、多くの個体でははっきりしているが、大型の個体の成長末期では細かくなる。このような違いは性的2型かもしれない。
第八十五話
[アンハングエラ・ブリッテルスドルフィ Anhanguera blittersdorffi]
学名の意味:ライナー・アレクサンダー・フォン・ブリッタースドルフの古の悪霊
時代と地域:白亜紀前期(約1億1千万年前)の南米(ブラジル)
成体の翼開帳:約5m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 オルニトケイロモルファ オルニトケイルス上科 アンハングエラ科
ブラジル・サンタナ州のアラリペ盆地にある白亜紀前期(約1億1千万年前)の地層であるサンタナ層群のうち、上部のロムアルド層)から発見された、オルニトケイルス類の中でも典型的な姿をした、翼開帳5m程の翼竜である。
アンハングエラ属にはサンタナエ種
A. santanae、アラリペンシス種
A. araripensis、ピスカトル種
A. piscatorなどいくつかの種が含まれるとされることが多いが、このうちの一部は成長段階の違いと考えられるようだ。
クチバシは長く発達し、円錐形の歯がやや外向きに規則正しく並んでいた。歯にはエナメル層がごく一部しかなく、口の中に密閉されていなくてもそれほど傷まなかった。
クチバシの上下それぞれの断面はほぼ三角形で、上下とも先端近くは高さが増して薄く低いトサカになっていた。これは若いうちはほとんど目立たず、成長すると発達したようだ。近縁のトロペオグナトゥス
Tropeognathusと違ってトサカはクチバシの先端よりやや後ろに下がった位置から始まっていた。
頭骨の後部はやや高さがあり、また後傾していて、顎を閉じる筋肉のスペースがある程度確保されていた。後頭部の三半規管の向きから、頭部全体はやや下向きに保たれていたようだ。眼窩はよく発達していた。
首はそれほど長くはなく、鳥類と違ってS字に折り畳むようにはなっていなかった。頸椎の棘突起が高く、頭部を発達した筋肉で支えていたようだ。
翼を主に構成する前肢は上腕骨以外、特に第4指が非常に長かった。上腕骨は太く、筋肉の付着する突起が大きく発達していた。第1〜3指の爪はネコ科のもののように太くスパイク状だった。
やや近縁なプテラノドン(後述)では指骨に外向きの孔が開いているのが見付かっている。翼竜も鳥類に見られる気嚢と気管を持っていたと考えられるが、この外向きの孔は翼の骨の外にも気嚢があった可能性を示すことから、腕と皮膜の間にできる段差を気嚢により埋めていたという復元の例もある。
胴体はコンパクトで、胴椎が癒合してノタリウムという一体の骨を形成していた。肩甲骨と鎖骨がノタリウムと胸骨をつなぎ、翼にかかる力を受け止める丈夫なリングとなっていた。羽ばたくための筋肉の基部となる胸骨も発達していた。
骨盤は小さく、後肢は弱々しかった。後肢の爪はほとんど曲がっていない小さなものだった。
海上を長時間飛び続け、水面近くの魚をクチバシと歯ですくい取って食べたと考えられる。
魚をすくうときトサカによって水を切ることで抵抗を少なくしていたと言われることが多いが、この働きがあったとしても成長してトサカが発達したものに限られたことになる。
地上では前肢の第1〜3指と後肢で4足歩行をしていたようだ。飛び立つときは前肢の力を主に利用していたと言われている。体重と翼面積の推定から、現生のアホウドリ類やミズナギドリ類と違ってダイナミックソアリング(風に対して上下左右に揺れるように飛ぶことで滑空し続ける方法)ではなくサーマルソアリング(太陽熱によって発生した上昇気流に乗って滑空し続ける方法)を行っていたとも言われている。
サンタナ層群からはこの他にもアンハングエラより大型のトロペオグナトゥスをはじめとする様々なオルニトケイルス類が発見されている。
[タペヤラ・ウェルンホフェリ Tapejara wellnhoferi]
学名の意味:ピーター・ヴェルンホーファーの古いもの
時代と地域:白亜紀前期(約1億1千万年前)の南米(ブラジル)
成体の翼開帳:約1.6m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 アズダルコイデア タペヤラ科
タペヤラは、翼開帳1.6m程の比較的小型の翼竜である。アンハングエラと同じくロムアルド部層から発見されている。
尾の短い翼竜の仲間であるプテロダクティルス類の中でも、短く背の高い、歯のないクチバシを持つタペヤラ類に属する。このクチバシの形状は大半の翼竜が持つ細長いクチバシとは異なっている。また上クチバシにへこみ、下クチバシに膨らみがあって噛み合うようになっていること、口蓋に突起があることも特徴である。
またクチバシの上下の先端近くには薄い板状のトサカがあり、後頭部には後方に向かう角状の張り出しがあった。シノプテルス
Sinopterusのような原始的なタペヤラ類にはトサカはなかった。
タペヤラとごく近縁でサンタナ層群下部のクラト層から発見されているトゥパンダクティルス
Tupandactylusでは、上のトサカの前縁から後上方に向かって柱状の突起が伸び、この柱と後頭部の張り出しの間に、角質でできた大きな三角形の板ができていた。タペヤラにもこうした板があった可能性も指摘されている。
またカイウアヤラ
Caiuajaraというタペヤラ類の翼竜では様々な成長段階にあった化石がまとめて発見されていて、それによると幼体ではトサカがなかったのが、成長に伴ってトサカが発達したということが分かった。またクチバシの曲がり方も成長に伴って強まった。
クチバシの側面には大きな楕円形の鼻孔があった。眼窩はその後ろに小さく開いていたが、強膜輪(眼球を補強する穴あき円盤状の骨)の検証によると明るいときでも暗いときでもよくものを見ることができたとされる。
上腕骨以外長く発達した前肢および第4指、コンパクトな胴体、発達した胸骨など、羽ばたいて飛行することに適した特徴は他の翼竜と同じであった。
しかしオルニトケイルス類やプテラノドン類のような特に長時間飛行に適応したものと違って、胴椎は完全に癒合したノタリウムを形成せず、後肢は前肢の肩関節から第1〜3指末節骨(爪)までと同等の長さがあった。また骨盤や後足も体の割に大きかった。爪は全て全体が弧を描くフック状の形をしていた。
翼竜の多くは魚食性・昆虫食性・腐肉食性というように動物性タンパク質を主食としていたと考えられているが、タペヤラの場合は果実や種子をつまんで噛み割るのに適したクチバシの形状や、木の枝を掴んで渡るのに適した四肢の形態から、樹上で果実や種子を食べていたという説も有力視されている。直接的な証拠はないものの、タペヤラ類の多様化と被子植物の多様化の時期が符合するなど、これを支持する間接的な証拠は多い。
サンタナ層群からはタペヤラとその近縁種やアンハングエラ科の他にも、タペヤラにやや近縁だが魚食性または動物食性と考えられているタラッソドロメウス
Thalassodromeusやトゥプクスアラ
Tupuxuaraなど、多様な翼竜が発掘されている。
[プテラノドン・ロンギケプス Pteranodon longiceps]
学名の意味:長い頭を持ち、歯がなく、翼があるもの
時代と地域:白亜紀後期(約8500万年前)の北米
成体の翼開帳:6m以上
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 オルニトケイロモルファ プテラノドンティア プテラノドン科
プテラノドン類はオルニトケイルス類と比較的近縁で、オルニトケイルス類と同様長い翼と小さな後肢、長いクチバシを持った魚食性と見られる翼竜だが、オルニトケイルス類と違って歯を持たなかった。またクチバシ自体の形もオルニトケイルス類と違って先が尖っていてクチバシにはトサカがなかった。
プテラノドン・ロンギケプスは北米大陸西部を南北に貫いていたウェスタン・インテリア・シーで堆積したニオブララ層群で発見されている代表的なプテラノドン類である。
後頭部に、個体によってはクチバシと同じくらいの長さになる、板状のトサカが生えていた。トサカが長いものはより大型で、トサカが短い(長さが幅と同程度)のものは小型なことから、大きくトサカが長いものがオスであり、トサカの機能は飛行に必須なものではなくディスプレイであったと考えられている。
プテラノドン・ロンギケプスよりやや前の年代の地層から、烏帽子を左右に押しつぶしたようなトサカを持った、より大型とみられるプテラノドン類が発見されている。プテラノドン属に含めプテラノドン・ステルンベルギ
P. sternbergiとする説と、別属としてゲオステルンベルギア
Geosternbergiaとする説がある。
[ケツァルコアトルス・ローソニ Quetzalcoatlus lawsoni]
学名の意味:ダグラス・ローソンが発見したキヌバネドリの羽を持つ蛇の神
時代と地域:白亜紀後期(約6700万年前)の北米
成体の翼開帳:5.5m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 アズダルコイデア アズダルコ科
ケツァルコアトルス・ローソニは、白亜紀の末期に多様化したアズダルコ類の中では特に多くの化石が発見されている翼竜である。テキサス州の白亜紀末の地層から発見された。
長く高さのある頭骨、歯のない真っ直ぐ尖ったクチバシ、眼窩の前上方の小さなトサカ、非常に長く曲げづらい首、前肢全体のうち半分ほどとあまり長くない第4指、翼竜としては発達した骨盤と後肢を持っていた。アズダルコ類の多くは断片的な化石しか発見されておらず、他のより大型の種類の復元はこれとチェジャンゴプテルス
Zhejiangopterusを参考に行われている。
クチバシの形態自体はプテラノドン類と似たところもあるものの陸成層で発見されていることから、洋上を飛んで魚を食べていたとはあまり考えられていない。現生のコウノトリのように水辺を歩いて水中の小動物を捕えていたと考えられることが多い。
[ケツァルコアトルス・ノースロピ Quetzalcoatlus northropi]
学名の意味:航空技術者ジャック・ノースロップのキヌバネドリの羽を持つ蛇の神
時代と地域:白亜紀後期(約6700万年前)の北米
成体の翼開帳:約10m
分類:主竜類 翼竜目 プテロダクティルス亜目 アズダルコイデア アズダルコ科
ケツァルコアトルス・ノースロピは、前述のローソニ種より先に発見された非常に大型の翼竜である。
最初に発見されたのは上腕骨のみで、翼竜の前肢の中で特に短い要素でしかないため翼開帳の推定は定まらなかったが、18mといった極端な値から、前肢の他の要素やローソニ種が発見されるにつれ徐々に10m強に落ち着いていった。依然既知の飛行動物としては史上最大級であるが、他のアズダルコ類はこれをしのいだ可能性もある。
ローソニ種を主な手がかりとして復元されている。こうした大型のアズダルコ類は恐竜の幼体なども食べることができたのではないかなどと言われることもあるものの、細長い首とクチバシの先端で荷重に耐えて恐竜の幼体を捕らえ、真っ直ぐなクチバシでは引き裂くことができないので丸呑みにするというのはやや無理のある推測である。やはり水辺の小動物を捕えていたと考えられる。
あまりに大型なことから飛べたのかどうか疑問視されることもあるが、前肢の翼は特に退化している様子はない。また飛行能力の推定に500kg以上という極端な体重が用いられてしまう例があるが、体重は200kg程度と推定されることが多い。
[アンセル・インディクス(インドガン) Anser indicus]
学名の意味:インドのガン
時代と地域:現世のアジア中央部(インドやアフガニスタンからロシア南東部にかけて)
成体の翼開帳:約150cm
分類:主竜類 鳥類 カモ目 カモ科 マガン属
マガン属に含まれ、ガンらしい体型をして白、黒、灰色の羽毛を持つ鳥類である。ヒマラヤ山脈の北側で夏を、南側で冬を過ごすため、渡りの際には標高8000mのヒマラヤ山脈を飛び越え、鳥類としては世界一高い飛行高度に達する。しかし飼育繁殖は容易であるとされ、広く行われている。
[アンティロフィア・ボカーマンニ(アラリペマイコドリ、アラリペマナキン) Antilophia bokermanni]
学名の意味:ワーナー・ボカーマンの変わったトサカをもつもの
時代と地域:現世の南米(ブラジル、チャパダ・ド・アラリペ)
成体の翼開帳:約20cm
分類:主竜類 鳥類 スズメ目 マイコドリ科 ヘルメットマイコドリ属
オスは赤いトサカ状の冠羽と白、黒の羽毛、メスは緑がかった褐色の羽毛を持つ小鳥である。チャパダ・ド・アラリペという台地にのみ生息し、これは台地を形成するサンタナ層群の石灰岩により土壌が影響を受けているからであるとされる。
第八十六話
[ピヌス・フジイイ(オオミツバマツ、フジイマツ) Pinus fujiii]
学名の意味:藤井健次郎博士のマツ
時代と地域:後期始新世(約3300万年前)から中新世(約1200万年前)の東アジア(日本)
成木の全高:不明(10m以上?)
分類:マツ綱 マツ目 マツ科 マツ属 ミツバマツ節
オオミツバマツもしくはフジイマツは針状の葉が3本まとまって短枝につくマツの一種だが、このようなミツバマツ節のマツは現在は国内には生息しておらず、北米大陸にしか自生していない。
岐阜県土岐市の土岐口陶土層という中新世の地層からは特に保存状態の良い球果が多数発掘されている。共産する植物から、河川に接する沼沢地、またその周囲の山地・丘陵地から流されて堆積したものとされる。
葉の特徴から和名が名付けられているものの、15cmほどになる大きな球果(マツボックリ)でよく知られている。この球果は先のとがった形をしていて、鱗片の「へそ」が棘状になっている。また基部(被子植物の果実でいう「へた」)が偏っている。この球果の形態は現生のミツバマツ節のマツとよく似ている。
マツの種子は非常に薄い羽が1枚貼り付いた構造になっていて、森林からマツの生育に向く他の樹木のない荒れ地や海岸に達するほど長距離を風に流される。(この羽は果皮の一部ではなく鱗片の一部なので、マツの種は厳密には翼果に含まれない。)
球果の鱗片に残された種子からしてオオミツバマツも同様で、羽を含めた種子全体が33mmほどの長さになり、羽は楕円を長軸に沿って二分したような形状をしていた。
葉などの化石も上記の土岐口陶土層で発見されていて、やはり針状の葉が3本短枝に付いている。
元々オオミツバマツ
P. trifoliaという名で知られていたが、オオミツバマツのタイプ標本はフジイマツと同種であることが明らかになり、先に名付けられたフジイマツの学名に統一された。一方、フジイマツとされていた標本の多くは別種であることも明らかになり、ミキマツ
P. mikiiと命名された。
[アケル・ミヤベイ(クロビイタヤ) Acer miyabei]
学名の意味:宮部金吾博士の鋭い葉をしたもの
時代と地域:後期更新世(約40万年前)から現世の日本(北海道南部、東北北部、東北南部から関東北部にかけての3地域)
成木の全高:10〜20m
分類:双子葉植物綱 ムクロジ目 ムクロジ科 カエデ属
クロビイタヤは日本固有種のカエデである。クロビは黒っぽい樹皮を表す。イタヤはイタヤカエデに似ていることを示し、大きな葉を板葺きの屋根に見立てた言葉である。
葉は10cm前後になり、5つに大きく切れ込み、さらに縁には丸みを帯びた大きな鋸歯がある。
種子は他のカエデ同様、2つが1対となって育ち熟すと分離する、種子本体と1枚の羽が丈夫な脈で連結した翼果である。他のカエデの翼果のペアは多少とも角度が付いてハの字型に連結しているがクロビイタヤの翼果のペアは一直線に連結する。翼果1つは前縁が真っ直ぐで全体に直線的な姿をしている。
冷涼な気候の一部の地域にのみ生息する。飛び飛びに分布しているのは、最終氷期以前は広く分布していたが、それ以降に気候変動が起こり、現在の生息地の起伏に富んだ地形で生き延びることができたためと考えられている。しかし現在の生息地も開発が進んだことにより減少し、絶滅危惧種となっている。
栃木県那須塩原の塩原層群(塩原湖成層)という地層から葉や翼果が発掘されることがある。この地層は周囲の火山による噴出物が古塩原湖というカルデラ湖に堆積した後に古塩原湖が干上がって現れたものである。クロビイタヤ以外にも非常に多数の植物が発掘され、この植物群集はブナ科が13%を占める冷温帯落葉広葉樹と暖温帯植物からなる。当時の気候は現在の那須塩原と同様かやや温暖だったようだ。
[イーシーストローブス・マッケンジエイ Eathiestrobus mackenziei]
学名の意味:マッケンジー氏が発見したイーシー地方の球果
時代と地域:ジュラ紀後期(約1億5000万年前)のヨーロッパ(スコットランド)
成木の全高:不明(10m以上?)
分類:マツ綱 マツ目 マツ科
イーシーストローブスはマツ科(マツ科の系統に連なるもの(ステム・マツ科)ではなく現在のマツ科を含むグループ(クラウン・マツ科))に含まれるものとしては現在最古とされる針葉樹である。それ以前に知られていた最古のマツ科より3000万年遡るものである。
スコットランドのブラックイスルという地域にあるジュラ紀末の地層から、長さ8cmほどの細長い形をした球果が発掘されている。
この球果の鱗片一つに、羽の付いた種子が左右対称にペアになって収まっていたことからこの球果がマツ科であることが裏付けられる。この種子の大きさは本体が3mm前後、羽を含めた全体が1cm未満と比較的小型である。
[マニフェラ・タラリス Manifera talaris]
学名の意味:手のような短枝が付き翼のあるサンダルのような種が成る木
時代と地域:ペルム紀後期(約2億7千万年前)の北米(テキサス)
成木の全高:不明(10m以上?)
分類:マツ綱 ボルチア目 マヨニカ科
マニフェラは羽の生えた種子を付けた針葉樹としては現在最古とされるものである。
ヒトの手のように5つに分かれた形をした短枝と、それに付着した種子が発見されている。この短枝は雌性の生殖器官で、枝分かれの根元近くに種子が付着した痕跡が右・中央・左の3箇所ある。種子はこのうちどれかに付着していたが、左右どちらかに付着したものは左右対称ではなく、種子の形態は大きく分けて3種類に分かれた。
3種類とも水滴型の種子本体の丸みを帯びたほうから斜めに羽が生えていたが、その羽が2枚で左右同じ大きさのもの、2枚だが片方が小さいもの、片方1枚だけのものの3種類である。
カリフォルニア大学の研究チームは紙製の模型でこれらの種子を再現し実験することで、落下時の運動や速さに違いがあったことを明らかにした。つまり、羽が2枚で左右同じ大きさのものは真っ直ぐ落下するか急角度の螺旋を描いて落下した。羽が2枚だが片方が小さいものは回転はしたもののやや速く落下した。羽が片方1枚だけのものは回転しながらゆっくりと落下した。
マニフェラに近縁でより後の年代のマヨニカ
Majonicaの短枝には中央の種子の痕跡がなく、種子は羽が1枚のものだけだった。落下が遅く分散しやすい種子を作る性質だけが残ったという進化を示しているのかもしれない。
第八十七話
[エスクリクティウス・アキシマエンシス(アキシマクジラ) Eschrichtius akishimaensis]
学名の意味:昭島市で発見された、動物学者ダニエル・フレデリック・エスクリクトのもの
時代と地域:前期更新世(約180万年前)の日本(東京都)
成体の全長:13.5m
分類:北方獣類 鯨偶蹄目 鯨河馬亜目 ヒゲクジラ下目 コククジラ科 コククジラ属
アキシマクジラは、東京都昭島市の多摩川河床で発見された、現生のコククジラ
E.robustusにごく近縁なクジラである。
1961年に八高線の鉄橋が多摩川を越える位置で、上総層群の小宮層という地層が露出していたところに化石が発見された。部分的に欠けてはいたものの全身骨格の大部分が保存されていた。
化石は国立科学博物館の主導で発掘が進められ、同館新宿分館で保管・調査が行われていたが、本格的に研究が進むようになったのは2012年に群馬県立自然史博物館に移送されてからであった。コククジラ属の一種として記載されたのは2016年である。コククジラ属唯一の化石種となる。
現在は群馬県立自然史博物館に実物頭骨、昭島市教育福祉総合センター「アキシマエンシス」に全身復元骨格と前肢・肩甲骨・下顎・肋骨・椎骨の実物、頭蓋のレプリカが展示されている。
現生のコククジラに非常によく似た形態をしていた。しかし、頭頂部で合わさっている骨要素(前上顎骨、上顎骨、鼻骨)の形態が異なり、鼻骨の後方が幅広い四角形をしていることが、コククジラの祖先ではなく同属の中で別の系統に属していることを示している。
上向きにゆるく湾曲した幅の狭い上顎、ヒゲクジラ類としては幅が狭くほぼ二等辺三角形の下顎、筋肉の付着部が小さいことなど、頭骨全体の形態はコククジラと変わらないことから、生前の特徴や生態はすでにコククジラによく似ていたと考えられる。
コククジラはヒゲクジラ類に属するが、他のヒゲクジラ類とは採食の方法が大きく異なる。他のヒゲクジラ類は何らかの形で海水を口中に取り込み、ヒゲ(髭板)を通して排出することにより海水から餌生物をろ過する。これに対して、コククジラは海底の砂泥を顎の側面(主に右側)から取り込み、ヒゲを通して(主に口の左側から)砂泥を排出することで、ヨコエビ類を主とする砂泥中の小さな動物を捕食する。
このため、コククジラのヒゲは他のヒゲクジラ類と比べて短く丈夫である。喉のうねは少なく、喉が広がって多くの海水を取り込むようにはなっていない。またクジラの中でも特に沿岸性が強い。
アキシマクジラもこのような特徴と生態を持っていたと考えられる。
体表に凹凸や外部寄生生物(フジツボやクジラジラミ)が多い、長い距離を回遊するといったコククジラに見られる他の特徴も持っていたかは不明だが、コククジラに寄生するハイザラフジツボ属
Cryptolepasのフジツボはアキシマクジラより前の年代から確認されている。また、より後の年代ではあるがコククジラに寄生したハイザラフジツボの酸素同位体比の履歴から、数十万年前の時点でコククジラが現在のように回遊していたことが分かっている。クジラが回遊するようになったのはアキシマクジラの生息年代より前のようだ。
アキシマクジラが発見された小宮層からは主に北方系の貝化石と、アナジャコ類やフサゴカイ類の巣と考えられる生痕化石が発掘される。アキシマクジラの餌となりうるのはどちらかというと後者であるが、貝の種類も小宮層が堆積した当時はやや冷たく海底が砂泥に覆われた、それほど深くない海の砂浜であったことを示す。
当時の南関東には現在の茨城県・千葉県東岸に当たる位置から大きく西に切り込んだ湾が広がっていて、小宮層が堆積した時点では昭島市の位置は湾の最も奥だったようだ。アキシマクジラは回遊の途中でこの湾の奥に立ち寄ったことになる。現生のコククジラでいえば回遊のほぼ中間の地点である。
アキシマクジラは地域住民に特に親しまれている古生物のひとつである。昭島市内にはクジラをモチーフとしたモニュメントや公共設備が多く設置され、「昭島市民くじら祭」というイベントが開催されている。実体が解明されるのに長い時間がかかったこともあり多くはコククジラ属の姿ではなく戯画化されたクジラの図像だが、2020年に前述のアキシマエンシス(アキシマクジラの種小名にちなむ施設名である)が開館したとおり、今後も引き続き注目を集めていくものと期待される。
[イサナケトゥス・ラティケファルス Isanacetus laticephalus]
学名の意味:幅広い頭を持った、勇魚(いさな)と呼ぶにふさわしいクジラ
時代と地域:前期中新世(約1700万年前)の北太平洋西側沿岸(三重県、岐阜県)
成体の全長:不明(亜成体の全長は4〜5m)
分類:北方獣類 鯨偶蹄目 鯨河馬亜目 ヒゲクジラ下目 "イサナセタスグループ"
イサナケトゥス(イサナセタス)は、三重県の阿波層群平松層と岐阜県の瑞浪層群山野内(やまのうち)部層で発見されたヒゲクジラである。現生のナガスクジラ科とよく似た姿をしていたと考えられるが、発見されている化石はいずれもごく小型である。
ラティケファルス種が報告されたのは2002年で、2016年・2017年に発見された瑞浪のヒゲクジラは同属の別種とされる。
ラティケファルス種は頭骨を中心に、5個の脊椎、下顎と肋骨の断片が発見されている。
平松層から発見された頭骨は長さが1mほどで、全長は4〜5mだったと推定される。ただし、この頭骨には耳を構成する耳周骨と鼓骨の縫合線が完全に癒合していないという、成熟していないヒゲクジラの特徴が見られる。
かつてケトテリウム科に分類されていたような、現生のヒゲクジラの科に属さないヒゲクジラだが、ケトテリウム
Cetotheriumと異なり前頭頂骨と吻部の境界が直線的である。ケトテリウムではこの境界がV字形をしている。イサナケトゥスと同じ特徴を持ちながらケトテリウム科に分類されていたヒゲクジラを"イサナセタスグループ"と呼ぶことがある。
後頭部の側面にある鱗状骨の後関節突起が下に張り出すのが、イサナケトゥスの独自の特徴である。
鼻孔は眼窩の少し前方に位置していた。鼻孔より前方が長く発達する現象(テレスコーピング)が進んでいたといえるが、現生のヒゲクジラほどではなかった。
吻部が比較的幅広かった。上顎の内側は現生のヒゲクジラと同様、浅いm字型の面を形成し、深い溝が放射状に走っていた。この溝はヒゲに栄養を与える血管が収まる溝であり、現生ヒゲクジラ同様にヒゲが発達していたことが分かる。
中新世には東海地方の南側から海が湾状に入り込んで、海岸線の位置が時代により前後した。1700万年前には海が大きく進出して瑞浪地域に達し、瑞浪地域は水深30mほどの海となっていた。イサナケトゥスはこの湾に生息していた。
この湾が前後の時代と同様温暖な気候であったか、デスモスチルス
Desmostylusやエゾイガイ
Crenomytilus grayanusのような北方系の動物の化石が示すとおりやや冷涼な気候であったかははっきりしていない。瑞浪地域はエゾイガイの殻が合わさったまま密集した化石が示すとおり、エゾイガイが付着するような流木など浮遊物の多い海だったようだ。
なお、2016年・2017年に発見された同属別種の化石は、椎骨と肋骨を含むものと、吻部の一部、頭蓋、下顎、椎骨、肩甲骨、上腕骨を含むものの2体であった。前者は未成熟個体であると考えられる。後者はさらに非常に若い個体であるものの、すでに平松層のラティケファルス種の頭骨に近い大きさだった。
[プシッタコサウルス・シネンシス Psittacosaurus sinensis]
学名の意味:中国で発見されたオウムのようなトカゲ
時代と地域:白亜紀前期(約1億1千万年前)の中国東部
成体の全長:1.5m
分類:鳥盤目 周頭飾類 角竜類 ケラトプシア プシッタコサウルス科
プシッタコサウルスは角竜類に属する植物食恐竜だが、トリケラトプスなどケラトプス科のものとは異なり二足歩行をしていた。
そもそも角竜類の系統はプシッタコサウルスに似た二足歩行のものから始まったが、プシッタコサウルスは二足歩行の小型の角竜類としては初めて発見されたのでプロトケラトプス科とケラトプス科の祖先であると考えられていた。実際にはそれらの祖先であるというより、同じ祖先から分岐して独自の特徴を持つようになったようだ。
顎の先端が丈夫なクチバシになっていたことと頬に尖った突起があったことは角竜類全体に共通する特徴である。
オウムに例えられて命名されたものの、クチバシはそれほど尖っていなかった。頭骨全体が短く丈夫で幅広く、噛む力が強かったようだ。ケラトプス科のようなデンタルバッテリー(予備の歯が大量に連なった構造)はなかったが、食物を切り刻むのに適した歯を持っていた。
頬の突起は横向きに伸びていて、シネンシス種では特に長い。頭骨を正面から見るとかなり横長な印象を受ける。
前肢は短く二足歩行に適した体付きだったが、胴体や尾はがっしりしていた。
発見されている個体数が多いこともあって骨以外の様々な痕跡も発見されている。まず、尾の上に剛毛状の構造が並んでいたことが分かっている。おそらく原羽毛(枝分かれしていない羽毛)と考えられる。
体表については鱗の印象、さらにメラニン色素の痕跡も発見されている。このことから背側は濃い茶色、腹側が薄い茶色だったことが分かり、直射日光ではなく散乱光の中で影をぼやけさせるのに適していたことになり、開けた土地より密林に生息していたのではないかとも言われる。
胴体内部に細かい石が固まっている標本もあり、飲み込んだ後の食物をすり潰す胃石と考えられる。
行動に関しても痕跡があり、34頭もの幼体が1頭の成体とともに巣らしき円形のくぼみの中に発見された。1頭の子供にしては多いことから、複数のメスから生まれた子供を1頭の(おそらく縄張り争いに勝った)メスが守っていたとも言われている。
第八十八話
[クリノカルディウム・ブラウンシ(ブラウンスイシカゲガイ) Cliocardium braunsi]
学名の意味:ダーフィト・アウグスト・ブラウンスの傾いた心臓
時代と地域:更新世(約180万-10年前)の本州東岸
成体の殻高:10cm前後
分類:軟体動物門 二枚貝綱 異歯亜綱 マルスダレガイ目 ザルガイ科 イシカゲガイ亜科 オオイシカゲガイ属
ブラウンスイシカゲガイは更新世の本州東岸、中でも東京および千葉近辺を代表する絶滅二枚貝である。
ブラウンスイシカゲガイの属するザルガイ科の多くは、放射肋(放射状のうね)が発達し、厚みのあるふっくらとした殻をしている。ザルガイ科の多くの属名に含まれるcardium(心臓)とは貝の合わせ目から見ると輪郭がハート形に見えることを指す。
またザルガイ科は斧足が長く発達し、さらにあたかも脊椎動物でいう膝のような曲がりかたをする部分を持ち、貝殻の中の空間は折り畳んだ斧足で大部分が占められる(トリガイ
Fulvia muticaの可食部である)。この斧足により砂泥底に潜るだけでなく、敵に襲われた際に斧足を勢いよく伸ばし、飛び跳ねて逃げることもできる。
ザルガイ科の貝自体は日本でも各地の沿岸に分布しているが、イシカゲガイ亜科はどちらかというと水温が低い海域に生息している。ブラウンスイシカゲガイが発掘された地点も、生息当時は親潮の影響が大きい海であったと考えられる。
以前は日本沿岸に現生するイシカゲガイ
Keenocardium buellowiやエゾイシカゲガイ
K. carifornienseもブラウンスイシカゲガイやその近縁で北米北西岸に生息するオオイシカゲガイ
C. nutteriと同属に含められていたが、これらが別属に再分類されたため、ブラウンスイシカゲガイと同属の貝は現在は日本近海には生息していないことになる。これらは新生代を通じてトリガイ亜科から分かれて分化したようだ。
ブラウンスイシカゲガイはイシカゲガイ亜科の中でも比較的大型で、東京大学に赴任した地質学者ブラウンスが東京の石神井川岸に露出する王子貝層で発見したことに因んで命名された。やや角張った放射肋が23〜26本あった。殻そのものは分厚くて丈夫に見えるが、肋は地層中で腐食しやすく、状態の良い標本は少ない。
王子貝層や千葉県成田市の清川層など代表的な産地では後期更新世の地層から産出するが、前期更新世の地層である昭島市の上総層群小宮層からも多く産出する。小宮層の個体は大型で、当時小宮層が堆積した環境がブラウンスイシカゲガイの生息に適していたことが示唆される。
ブラウンスイシカゲガイはアキシマクジラと同時に、ウバガイ属の一種
Pseudocardium sp.、エゾタマキガイの近縁種
Glycymeris aff.
yessoensis、ホホジロザメ
Carcharodon carcharias、ヨゴレ(サメの一種)
Carcharhinus longimanus、メジロザメ属の一種
Carcharhinus sp.などとともに産出している。小宮層から他に産出する貝化石も、ホタテガイ
Mizuhopecten yezoensisやエゾマテガイ
Solen krusensterni、アカガイ
Anadara broughtoniiなど現在では主に関東地方より北で産するものが多い。しかしブラウンスイシカゲガイのように絶滅しているものは少ない。
[ミズホペクテン・トウキョウエンシス(トウキョウホタテ) Mizuhopecten tokyoensis]
学名の意味:瑞穂国の東京で発見された櫛状の貝
時代と地域:更新世の日本
成体の殻高:約15cm
分類:軟体動物門 二枚貝綱 翼形亜綱 イタヤガイ目 イタヤガイ科 ホタテガイ属
イタヤガイ科(ホタテガイの仲間)は三畳紀にはすでに現われ、放射肋と耳状突起のある扇形ないし円形の殻を持っていた。
トウキョウホタテはホタテガイと同属で姿もかなり似た貝である。ホタテガイと比べると肋が少なく間隔が不規則である。
イタヤガイ科には足糸で底質に体を固定するものと、砂泥底に横たわり敵が来たら閉殻筋(貝柱)の力で水を噴出し泳いで逃げるものがいて、イタヤガイ科の中での系統に関わらずどちらかの生活様式を取り、成長段階で変化する種もある。
トウキョウホタテはホタテガイと同様に泳ぐものの特徴を持っていた。前後対称(二枚貝の殻は体の右と左にあるので、片側の殻を平面に置き殻頂を上にしたとき人間から見た左右が二枚貝の前後である)で円形に近い薄い殻や、足糸湾入(足糸を出す溝)が目立たない耳状突起などである
トウキョウホタテもブラウンスイシカゲガイと同様、王子貝層でブラウンスによって発見された東京や千葉の更新世を代表する貝である。
[コトラペクテン・エグレギウス(エグレギウスホタテ) Kotorapecten egregius]
学名の意味:畑井小虎博士の抜きん出た櫛状の貝
時代と地域:前期中新世(約1700万年前)の日本(岐阜)
成体の殻高:約8cm
分類:軟体動物門 二枚貝綱 翼形亜綱 イタヤガイ目 イタヤガイ科
エグレギウスホタテは足糸で付着するものの特徴を持ったイタヤガイ科である。
殻頂が尖っていて殻高が殻長より大きく、くっきりした10本ほどの放射肋があり、耳状突起は大きく非対称だった。これらは水を噴出するには向かないが足糸で体を固定するのには適した特徴である。
主に岐阜県瑞浪市の瑞浪層群明世層から発見されている。北からの海流が流れ込んで温帯気候となっていたようだ。
[フォルティペクテン・タカハシイ(タカハシホタテ) Fortipecten takahashii]
学名の意味:高橋氏が発見した丈夫な櫛状の貝
時代と地域:後期中新世(約700万年前)から前期更新世(約100万年前)のサハリン、日本北部
成体の殻高:約18cm
分類:軟体動物門 二枚貝綱 翼形亜綱 イタヤガイ目 イタヤガイ科
タカハシホタテは足糸で固定するか泳ぐかというイタヤガイ科の生活様式の大別に当てはまらなかった。
右殻が大きく膨らんで椀状になっていて、体積はホタテガイを大きくしのいだ。また左右とも殻がとても分厚かった。
足糸で体を固定するような特徴もなく、また重く水の抵抗が大きい体では水の噴射で泳ぐこともできなかったと考えられる。さらに産出状況と合わせて考え、重く膨らんだ右殻を下にして砂泥底に半ば埋まるようにして横たわったまま動かず、敵からは厚い殻を閉殻筋の力で閉じて身を守っていたとされている。
孵化後2年までは遊泳性であるホタテガイとほぼ変わらない形態をしていたが、その後成長の仕方を変えて分厚い形態を得ていた。成熟すると運動にエネルギーを費やさず産卵のためのエネルギーと殻の容量を確保していたようだ。
生息期間を通じて産出する地域が変動していた。生息に適した冷たい海域の変化を表していると考えられている。
[モノチス・オコティカ Monotis ochotica]
属名の意味:耳が一つのもの
時代と地域:三畳紀後期(約2億2000万年前)の世界各地
成体の殻高:約7cm
分類:軟体動物門 二枚貝綱 翼形亜綱 イタヤガイ目(?) モノチス科
モノチスは一見ホタテガイに似ているがそれほど近縁とはいえない、ホタテガイの属するイタヤガイ科の主に生息してきた年代より遡る三畳紀の貝である。
左殻は緩く膨らみ、右殻は平らな形をしていて、全体的に前に向かって傾いていた。殻はとても薄く、細く明確な放射肋が多数あった。耳状突起はあまり目立たず前方のもののほうが明確だった。
密集して発掘されることが多く、標本数も多い。しかしもっぱら異地性(生息地ではないところに運ばれてきたと考えられるもの)で近縁な現生種も知られていないことから、生態があまりはっきりしていない。ただ足糸により海藻に付着して生活していたと推定されている。
日本国内でも各地から産出する。東京都内でもあきる野市の五日市盆地から発掘される。奥多摩地域には地殻のプレートの動きにより白亜紀以前の幅広い年代に海底で堆積した地層が持ち上げられた付加体が多く分布していて、モノチスの発掘される地層もそうした付加体の一部である。
[クリダグナトゥス・ウィンゾレンシス Clydagnathus windsorensis]
学名の意味:ウィンザー地方で発見されたクライド川の顎のないもの
時代と地域:石炭紀前期のヨーロッパ(スコットランド)
成体の全長:4cm前後
分類:脊索動物門 コノドント綱 オザルコディナ目 カヴスグナトゥス科
クリダグナトゥスはコノドントと呼ばれる微化石として知られる歯を持つ「コノドント動物」であり、その中でも数少ない、全身の体型や構造が分かる痕跡が発見されているものである。
コノドントは1mm以下ほどの小さな硬組織の化石で、カンブリア紀から三畳紀までの地層から発掘される。「円錐の歯」を意味する名前のとおり1本の曲がった円錐形のものもあるが、櫛状のもの、まつ毛状のものなど枝分かれしたものもあり、形状によって分類されている。広範囲に発掘され多くの種が短期間に移り変わっていたため、示準化石(同じ種が発掘される地層は同じ年代で堆積したという基準となる化石)とされている。
東京都内でも日の出町三ッ沢の石灰岩から石炭紀の、奥多摩町白丸から三畳紀のコノドントが発見されている。
複数種類が一定の規則で並んだ状態で発見されることがあり、1個体の生き物が複数種類のコノドントを歯として持っていて、その配列が化石に残ったものだということが分かる。一つずつのコノドントはエレメント、エレメントが並んだ摂食器官はコノドント器官、コノドント器官を持つ動物をコノドント動物という。
エレメントは多数発見され、コノドント器官も若干のヒントをもたらしてきたが、コノドント動物の実態はコノドントの発見から100年ほどの間明らかにはならなかった。魚類かそれに近い脊索動物であろうとは考えられてきたものの、コノドント動物を食べてエレメントが腹部に残った動物がコノドント動物そのものと誤認されたことや、分類が不明だったオドントグリフス
Odontgriphusという動物がコノドント動物であると言われたこともあった。
1983年にはエディンバラ地方北部でコノドント動物の全身の印象化石が発見され、これに続く発見によりコノドント動物の体型や大まかな体の構造が明らかになった。この最初に印象化石が発見されたコノドントがクリダグナトゥスである。
印象化石によると、コノドント動物はウナギに似た細長い体の前方にコノドント器官を含む口と大きな1対の目を持っていたが、口を閉じる顎の構造はなかった。体側には前方に開いたV字をした筋が並び、体内には1本の筋が通っていた。体の後端には鰭状の部分があった。
これらの特徴から、コノドント動物は脊椎動物であり、ヤツメウナギやヌタウナギと顎のある魚類の中間に位置すると考えられている。
歯の働きをするエレメントは口の中に左右対称に並び、尖ったものほど前方に、幅のある丈夫なものほど奥に配置されていた。尖ったエレメントで餌となる物質や生物を濾過または捕獲し、丈夫なエレメントですり潰したようだ。
ウナギのような体型と大きな目から、ある程度活発に泳ぐ能力があったと考えられる。クリダグナトゥスは沿岸の浅い海を泳いでいたようだ。
[スコムブロクルペア・マクロフタルマ Scombroclupea macrophthalma]
学名の意味:大きな目のサバのようなニシン
時代と地域:白亜紀後期(約9500万年前)のレバノン
成体の全長:12cm前後
分類:硬骨魚綱 条鰭亜綱 ニシン目 ニシン科
ニシン目は白亜紀にはすでに繁栄していた。スコンブロクルペアはニシン属に含める意見もあるようだ。
現生のニシンやイワシによく似ていて、遊泳し続けるのに適した細長いV字の尾鰭を持っていた。
[スクアリコラックス・ファルカトゥス Squalicorax falcatus]
学名の意味:鎌状のワタリガラスのようなサメ
時代と地域:白亜紀後期(約8500万年前)の世界各地(主にアメリカ西部)
成体の全長:約2m
分類:軟骨魚綱 板鰓亜綱 新サメ区 サメ亜区 ネズミザメ目 アナコラックス科
サメの系統は古生代まで遡るものの、現在見られるような姿をした新サメ区のサメが現れたのは中生代のことである。
骨格が軟骨からなるために多くのサメの化石が歯のみである。スクアリコラックスも、現生のイタチザメ
Galeocerdo cuvierによく似た、高さより幅が大きく、外側に切り込みがあって先端が外向きの歯で知られる。
いっぽう、スクアリコラックスはいくつかの全身の化石が発見されている。ファルカトゥス種は通常2mほどで3mを超えることはなく、カウピ種
S. kaupiやプリストドントゥス種
S. pristodontusは3mほどになった。
現生のネズミザメ類と共通する、流線型の体と大きな胸鰭や尾鰭を持った、遊泳によく適した姿をしていた。また循鱗(いわゆる鮫肌をなす鱗)の形態も、体表の水流を整え水の抵抗を減らすのに適していた。
深さのある下顎もまたイタチザメと似ていて、肉を素早く切り取るより強く噛みちぎることに適していた。
魚を捕らえるいっぽうで大型動物の死体を漁るようなことも多かったと考えられている。
第八十九話
[メタセコイア・グリプトストロボイデス Metasequoia glyptostroboides]
学名の意味:スイショウに似た後発のセコイア(スイショウ、セコイアはともにメタセコイアに似た特徴を持つ針葉樹。スイショウの属名
Glyptostrobusは「切れ込みのある球果」を意味する。セコイアの名はチェロキー文字の発明者シクウォイアにちなむ。)
時代と地域:白亜紀後期(約1億年前)以降の北半球各地(現在は中国南部に自生)
成木の樹高:約40m
分類:マツ綱 ヒノキ科 セコイア亜科
メタセコイアはいわゆる「生きた化石」として広く知られる針葉樹である。この場合「生きた化石」とは、化石が先に発見され現生している生体が後から発見されたことを指すが、もし化石で発見されているものを別種に分類しても属は白亜紀から生息している。
当初は化石でのみ発見されていたが、一見よく似ている
セコイアSequoiaとの識別点が知られていなかった。
化石の形態のみで判断すると、セコイアとは枝や葉の付き方と球果の形態が異なる。
セコイアは枝に短枝が交互に付き、さらに短枝に葉が交互に付くが、メタセコイアは短枝・葉ともに対になって付く。またセコイアの短枝は冬に伸びるのが止まり春からまた伸び始めるためくびれができるが、メタセコイアの短枝にはくびれがなく、これはヌマスギ属
Taxodiumのように冬になると短枝ごと落葉するためである。(ヌマスギ属は短枝に葉が交互に付く点でメタセコイアと見分けられる。)
また、セコイアの球果では鱗片が螺旋状に並ぶが、メタセコイアの球果では鱗片が十字状に並ぶ。
これらの点に基づき、三木茂博士が1941年に独立属のメタセコイアと命名した。この際は絶滅した属であると考えられていたが、1945年には中国の林務官の王氏が生体を発見した。
その数年後、種子を受け取ったハーバード大学のチェイニー教授により苗が育てられ、一部は日本にも送られた。さらにメタセコイア保存会が設立されて植木として広まり、成長が早く樹形が美しいため街路樹等に利用されている。
自生地での生態から、メタセコイアは攪乱された環境に素早く進出する「パイオニア植物」の性質を持つことが分かっている。日当たりの良いところを好み、氾濫原に生息し、非常に早く成長するため、河川の氾濫により他の植物が取り払われたところに進出し他の植物より先に育つことができる。日本から絶滅したのはこうしたメタセコイアの生態に合致した湿潤な低地が減少し分断されたためと考えられる。
三木茂博士の研究材料となった標本も含め、国内各地でメタセコイアの化石が発見されている。葉や球果以外に幹が発見されることもあり、複数の切り株状の化石が立ち並んだ「化石林」も知られている。東京都八王子市の北浅川、埼玉県狭山市の入間川、宮城県仙台市の広瀬川、滋賀県東近江市の愛知川などに見られる。
昭島市でも昭島水道橋近辺にある上総層群加住層の露頭からメタセコイアの立木化石が発見されている。この地層からは他に現生種のサンバー
Rusa unicolor、化石種のシカマシフゾウ
Elaphurus shikamai、カズサジカ
Cervus (Nipponicervus) kazusensis、ファルコネリオオカミ
Canis (Xenocyon) falconeriなどの陸生哺乳類も発見されている。カズサジカはニホンジカCe. nipponと同属だが、サンバーはアジア大陸東南部一帯、シカマシフゾウと近縁のシフゾウ
E. davidianusは中国に生息し、ファルコネリオオカミはアフリカのリカオン
Lycaon pictusとの類似が指摘されている。後述のアケボノゾウを含め、当時の昭島市には現在の日本に生息していない大型哺乳類の近縁種が多数生息していたことになる。
[ステゴドン・アウロラエ(アケボノゾウ) Stegodon aurorae]
学名の意味:夜明けの屋根状の歯
時代と地域:前期更新世(約180万年前から約70万年前)の日本
成体の肩高:約2m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ステゴドン科
アケボノゾウはステゴドン科ステゴドン属に属する日本固有の化石種の長鼻類(ゾウの仲間)である。
ステゴドン属はゾウ科に含まれる現生の長鼻類とおおむねよく似た姿をしていたが、臼歯の形態が特に大きく異なっていた。ゾウ科の臼歯は象牙質・エナメル質・セメント質の薄い層が前後に多数重なり、咬合面には稜という浅い凹凸が並んでいる。これに対してステゴドン属の臼歯は層が厚く少なくて稜の凹凸が大きく、属名どおり三角屋根が並んだようになっていた。この稜は摩耗してある程度平らになる。
また、ステゴドン属の牙(切歯)は途中まで真っ直ぐで、鼻の下にほぼ平行に生えていた。牙が完全に平行になっているのは化石化の過程の変形によるもので、生きていたときは左右の牙の間隔がもっと広く鼻を下に通せるようになっていたという説と、化石化の過程における頭骨の変形はそこまで大きくはなく、実際に牙の途中まで鼻を通すことはできなかったという説がある。
アケボノゾウは国内の各地から発見されているが当時地続きだったアジア大陸からは発見されていない。またステゴドン属の中でも近縁と考えられる他の種と比べかなり小柄である。
アジア大陸に生息していたツダンスキーゾウ
S. zdanskyiやコウガゾウ
S. huanghoensisは肩高が4m近かったが、日本に渡ったこれらの中から後述のミエゾウが現れ、最終的にアケボノゾウに進化したと考えられている。ほぼ半分の肩高まで小型化したのは、日本が大陸から孤立し島となったためにこの系統のゾウが利用できる餌と土地の資源が限られ、必要な餌や土地が少ない小柄なものが生き残りやすくなったためとされている。地中海や東南アジアなど世界各地の島で化石種の長鼻類の小型化が見られる。
アケボノゾウの臼歯は他のステゴドン属とは異なり、稜の数が多くエナメル質が薄いというゾウ科のゾウに似た特徴があった。ステゴドン科のゾウは餌となる植物を選び出してつまむ「ブラウザー」の性質が強かったが、アケボノゾウはもっと幅広い方法で餌となる植物を得る「ジェネラリスト」の傾向があったのかもしれない。
全身の骨格はあまり知られていないが埼玉県狭山市の標本などがある。ゾウ科のゾウや他のステゴドン属と比べて、全長の割に四肢が短かったようだ。
琵琶湖の周辺や多摩地区など国内各地で足跡化石を含めて発見されている。昭島市の発掘地では幼体の頭骨も発見されている。
[ガリミムス・ブラトゥス Gallimimus bullatus]
学名の意味:膨らんだ鶏もどき
時代と地域:白亜紀後期(約7千万年前)のモンゴル
成体の全長:約6m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア オルニトミモサウルス類 オルニトミムス科
オルニトミモサウルス類は歯のないクチバシや長い後肢からダチョウ恐竜と呼ばれる。ガリミムスは、オルニトミモサウルス類の中で最も派生的なグループであるオルニトミムス科の中で最大のものである(オルニトミモサウルス類全体で最大のデイノケイルス
Deinocheirusは全く典型的でない体型をしていたので、「ダチョウ恐竜で最大級」といえるかもしれない)。
ゴビ砂漠で幼体から成体まで多数の化石が発見されている。
全体的な体型は典型的なオルニトミムス科のものである。後肢は長く、中足骨(足の甲)のうち中央にある第3中足骨が第2・第4中足骨に左右から強く挟み込まれくさび状になるアルクトメタターサル構造を持っていた。ウマと同等の速度で走ることができたとされている。
クチバシはやや幅広く上顎の縁が低かった。また内側には棚状の構造が見られ、これにより湖水からプランクトンを漉しとって食べることができたのではないかと言われるようになった。しかし一般的には、オルニトミモサウルス類は木の葉や果実を主食としたと考えられている。
オルニトミムス科としては腕や手が短い。大型で背が高いためか水中からも餌が得られるために、木の枝を手で引き寄せる必要性が低かったのかもしれない。オルニトミムス
Ornithomimusにおける発見のとおり腕に翼状の羽毛があったと思われる。
[サンチュウリュウ]
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:不明(6m程度?)
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア オルニトミモサウルス類?
サンチュウリュウは群馬県の中里村(現在は神流町)にある山中地溝帯の瀬林層で1981年に発見された、11cmの長さがある獣脚類恐竜の胸胴椎の椎体である。1978年に国内で最初に恐竜の骨化石が発見された3年後の発見となる。
前後に長い糸巻き状の形、前後の関節面が深くへこんでいること、側面にも長く深いへこみがあること、下面が平らで血道弓の関節面がない(つまり尾椎ではない)ことから、ガリミムスの13番目の胴椎に類似するとされた。
しかしサンチュウリュウとガリミムスでは年代に大きなずれがあり、今日ではガルディミムス
Garudimimusや後述のハルピミムスなど、サンチュウリュウにより近い年代のアジアのオルニトミモサウルス類が発見され、そちらとの比較が妥当であるとされるようになった。
また上記の特徴はオルニトミモサウルス類にのみ特有とはいえないことが分かり、必ずしもオルニトミモサウルス類とは限らないようだ。オルニトミモサウルス類であるとすればかなり大型ということになる。
[ハルピミムス・オクラドニコヴィ Harpymimus okladnikovi]
学名の意味:アレクセイ・オクラドニコフ氏の怪鳥ハルピュイアもどき
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)のモンゴル
成体の全長:約2m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア オルニトミモサウルス類 ハルピミムス科
ハルピミムスはオルニトミモサウルス類には含まれるがオルニトミムス科には含まれない恐竜である。オルニトミムス科のものと体型はよく似ていたが基盤的な特徴を持っていた。
歯骨に各側10〜11個の小さな歯が並んでいた。円柱状をしていてあまり尖っておらず、獲物を捕らえることではなく食物を保持することに用いられたと考えられる。
中足骨にはアルクトメタターサル構造はなかった。また中手骨の長さが揃っていないため親指が引っ込んでいた。
[パラエオロクソドン・ナウマンニ(ナウマンゾウ) Palaeoloxodon naumanni]
学名の意味:ハインリッヒ・エドムント・ナウマン氏の太古の菱形の歯
時代と地域:後期更新世(約43万年前から約1万5000年前)の日本、中国
成体の肩高:2〜3m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ゾウ科
現生のゾウはアジアゾウ
Elephas maximus、サバンナゾウ
Loxodonta africana、マルミミゾウ
L. cyclotisのみだが、長鼻類は新生代を通じて多様化し、数万年前までもっと多く生存していた。
日本列島にも前述のアケボノゾウを生んだ系統のように長鼻類が数回にわたって進出していて、ナウマンゾウはその中でも特に後になってから日本全国に広まった、日本を代表する長鼻類である。約43万年前、当時アジア大陸とつながっていた九州を通じて日本に到達したと考えられている。
ナウマンゾウはゾウ科に属し、基本的には現生のゾウとよく似たゾウであった。
頭部に大きな特徴が集まっていた。頭骨は前方から見ても側方から見ても角張った形をしていて、顔面が垂直に近い角度をしていた(ただし生きていたときには顔面は鼻の土台となっていた)。額の頂部には鉢巻きかベレー帽を思わせる突起があった。
現生のアジアゾウでは体に対する脳の大きさを示す指標であるEQは2を超えるが、ナウマンゾウと同じパラエオロクソドン属のパラエオロクソドン・アンティクウス
P. antiquusではサバンナゾウをやや下回る1.2であった(現在、脳の大きさは必ずしも知能を反映しないとされる)。
牙は発達していた。特にオスの牙は大きく、またメスの牙は平行で細いのに対して、オスの牙はより太く、ハの字に開き、前方に向かってねじれるように曲がっていた。
ゾウ科に属する長鼻類の臼歯は上下左右1〜2個ずつだけで、非常に大きく発達している。種によって咬合面の稜に違いがあり、ナウマンゾウの歯はアジアゾウのような細かい稜があるものとサバンナゾウのような大きな菱形の稜が並んでいるものの中間であった。タケ類を好むアジアゾウと比べると柔らかいものを好んだのかもしれない。
体型は現生のゾウとほぼ変わらなかったと考えられている。肩が少し盛り上がっていた。オスはメスと比べて肩高が50cm以上上回っていたようだ。とはいえ全身が揃った状態の化石が発見されていないので、それほど正確にプロポーションが判明しているとはいえない。
沖縄県から北海道の主に南西部まで、日本全国から非常に多くの化石が発掘されている。大半は低地で発見されているが、標高1000m以上の地点から発見されたこともあり、山地で生活することもできたようだ。
発掘された地層の植物化石から、主に針葉樹と落葉広葉樹が混ざった森林(針広混合林)に生息したとされている。ナウマンゾウ生息当時はいわゆる氷河期であったが、寒冷な地域の草原に生息していたケナガマンモス
Mammuthus primigeniusと比べると温暖な環境を好んだようだ。熱帯に生息する現生のゾウと比べて体毛が長く放熱するための耳が小さかったと考える場合と、アジアゾウとそれほど違いはなかったと考える場合がある。北海道ではケナガマンモスも北方から進出し、気候の変化によって両者の生息地域が変動していた。
日本列島に渡ってきたヒトと接触し、捕食対象となったようだ。ヒトの手が加わったと考えられる状態のナウマンゾウの化石も発見されている。
[ステゴドン・ミエンシス(ミエゾウ) Stegodon miensis]
学名の意味:三重県で生まれた屋根状の歯
時代と地域:後期鮮新世(約400万年前から約300万年前)の日本
成体の肩高:約4m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ステゴドン科
前述のアケボノゾウの項目で触れたとおり、アジア大陸のツダンスキーゾウやコウガゾウとあまり大きさが変わらない大型のステゴドン属である(これらは同種かもしれない)。日本の陸生哺乳類としては最大といえる。
シンシュウゾウ
S. shinshuensisなどと呼ばれていた他の国内の大型のステゴドン属もこれと同種であったことが分かっている。
子孫であるとされるアケボノゾウと比べて四肢が長い体型をしていたらしい。
名前のとおり三重県津市で初めて発見されたが、他にも長崎県、福岡県、大分県、島根県、長野県、東京都あきる野市などから発見されている。宮城県仙台市から発見された臼歯はツダンスキーゾウのものかもしれない。
[ステゴドン・プロトアウロラエ(ハチオウジゾウ) Stegodon protoaurorae]
学名の意味:夜明け前の屋根状の歯
時代と地域:前期更新世(約250万年前)の日本
成体の肩高:推定約2.5m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ステゴドン科
八王子の北浅川(多摩川の支流)の河床で牙、複数の臼歯、骨格の一部が発見されたステゴドン属である。
臼歯の稜の数やエナメル質の厚さが、大型で典型的なステゴドン属であるミエゾウと小型で特殊化したステゴドン属であるアケボノゾウの中間を示す。また発掘された地層の年代も中間である。
このことから、ミエゾウから小型化してアケボノゾウが現れる中間の姿であり、なおかつ独立種であると考えられている。ただし、アケボノゾウとの違いはアケボノゾウの個体差の範囲に収まるのではないかとも言われている。
[ユグランス・キネレア・メガキネレアまたはユグランス・メガキネレア(オオバタグルミ) Juglans cinerea var. megacinereaまたはJuglans megacinerea]
学名の意味:大きな灰色のクルミ
時代と地域:後期鮮新世から前期更新世(約300万年前から約100万年前)の北半球各地
成木の樹高:不明
分類:被子植物綱 ブナ目 クルミ科 クルミ属
現生のバタグルミ
J. cinereaの変種もしくはごく近縁な別種である。現在バタグルミは北米に自生する。
バタグルミの核果の殻の表面には曲がりくねった細かい溝が多数走っているが、オオバタグルミの殻の溝はさらに深く、溝の深さが殻を輪切りにした断面の半径の半分まで達していた。
現生のクルミ類の場合、核果が川に流される水流散布とリスやネズミに貯食として持ち運ばれる動物散布によって拡散される。しかしオオバタグルミの場合、殻の溝が深すぎてリス(殻の合わせ目を削って開ける)やネズミ(殻の横から穴を開ける)にとって殻を割りづらかったと考えられる。このことから、オオバタグルミは動物によっては散布されず、水流散布のみ行っていたものと考えられる。
国内各地から発掘される。日本で初めて発見されたのは岩手県花巻市の北上川河床で、これを発見した宮沢賢治は後に「銀河鉄道の夜」にクルミの化石を登場させた。
昭島市の加住層や八王子市からも発掘されていて、ともに水草であるヒシ属
Trapaなどの水辺の植物を伴う。
第九十話
[腕足動物]
腕足動物は一見二枚貝に似た殻を持っているものが多いが、内部の構造は大きく異なる。二枚貝の殻の中は太い筋肉(貝柱)や大きな鰓、肉厚の足などが詰まっているのに対して、腕足動物の殻の中はほとんど空洞で、触手冠というばね状またはブラシ状の器官が空洞の中に収まっている。
水の中から餌になるものを濾し取って摂取するのは二枚貝も腕足動物も同じだが、二枚貝が筋肉の力で能動的に水を吸い込むことができるのに対して、腕足動物は自分から水流を起こす能力に乏しい。触手冠に生えた繊毛で水流を起こすことができるとされるが、中には外部の水流を誘導して受動的に内部の水を入れ替えると考えられるものもいる。触手冠の形態と殻の形態は、殻の内部に起こる水流により密接に関係しているようだ。
肉茎という結合組織でできた器官を利用し、海底にへばりつく。
現生種にはおおむね涙滴型の殻を持つシャミセンガイ類、平たい円錐形の殻を持つカサシャミセン類、分厚い楕円形の殻を持つチョウチンガイ類がいる。
[リンギュラ・アナティナ(ミドリシャミセンガイ) Lingula anatina]
学名の意味:アヒルのクチバシのような小さな舌
時代と地域:現世の東アジア沿岸
成体の殻長:約3cm
分類:腕足動物門 舌殻綱 舌殻目 シャミセンガイ科
シャミセンガイ類はカンブリア紀に起源を持つ。カンブリア紀のものもすでにミドリシャミセンガイと同じリンギュラ属に分類されると考えられてきたが、実際には化石種と現生種では殻の内部の形態に違いがあり、それほど古い「生きた化石」であるとはいえないのではないかとも言われている。
ミドリシャミセンガイは日本国内の干潟に生息するシャミセンガイ類である。有明海では食用とされているが、干潟の環境そのものが激減していて絶滅が危惧されている。
緑色をした殻は多くの二枚貝と比べると薄くて柔らかく、半透明である。殻の尖った後端からはとても長い肉茎が伸びている。砂地に穴を開けて肉茎を深く刺し先端を膨らませることで体を固定し、殻の幅広い前端だけを穴から出して暮らしている。刺激を受けると肉茎を収縮させ、殻に入った体を穴の奥に引っ込めて身を守る。
ミドリシャミセンガイと同じリンギュラ属の殻の化石が、アキシマクジラの産出した小宮層から密集して発見されている。これは当時小宮層の堆積した環境が干潟であったことを示し、砂泥が幅広く堆積する静かな環境であり、ひいては島または砂州によって外海からの波が遮断されたラグーンが広がっていたのではないかとも言われる。
[キルトスピリファー・ヴェルネウイリ Cyrtospirifer verneuili]
腕足動物にはペルム紀末までは現生種よりずっと多くの種類がいた。キルトスピリファーはスピリファー類に属する腕足動物の代表的なものの一つである。
スピリファー類は古生代の中頃に繁栄した腕足動物のグループである。翼形と呼ばれる、左右に翼を広げたような殻を特徴とする。このことから石燕という古名を持つ。
キルトスピリファーはデボン紀後期のスピリファー類で、翼状の部分が特に長く発達し、イチョウの葉に似た左右に長い扇形をしていた。殻の中央部分は片方で膨らみ、もう片方では凹んでいる。殻の先端で凹凸が噛み合う部分をサルカスという。2枚の殻はわずかなすき間を開けていた。
新潟大学の椎野勇太氏は、キルトスピリファーを含めた腕足動物の殻に関する流体的な実験と解析を行っている。
この研究により、スピリファー類の場合は周囲の流れがサルカスの開口部から流入し、翼状部の中で触手冠を取り巻く渦となりつつ外側に向かい、翼状部の開口部から流出することが分かった。
どちらからの流れでも内部に取り込めるが、流速に関わらず適度に弱い安定した渦を内部に作り出せる向きは決まっていた。また秒速1cmというごく弱い流れでも内部に渦を作ることができた。
キルトスピリファーはこのような殻の機能を利用して、海底の砂の上に立って水流から餌を濾し取っていた。古生代の中頃には陸上で森林が広がり有機物の産生量が増したため、河川から海に栄養豊富な水が流入し、受動的に餌を捕えるスピリファー類の繁栄を促したのではないかとも言われている。
[スカチネラ・ギガンテア Scacchinella gigantea]
スカチネラが属するプロダクトゥス類の腕足動物はペルム紀に特に大繁栄して殻の形態も非常に多様化していた。
スカチネラ自身は片方の殻が長い円錐形、もう片方の殻が蓋状になっていた。ペルム紀後期の地層である岐阜県の金生山の下部層から、ウミユリと一緒に密集して発掘される。
[ワーゲノコンカ・インペルフェクタ Waagenoconcha imperfecta]
腕足動物の殻の形態は様々だが、ワーゲノコンカの殻は背もたれと座面が一体化した椅子のように、2つの殻がともに同じ方向に曲がった形をしている。
新潟大学の椎野勇太氏が行った実験と解析によると、ワーゲノコンカの周囲の水流により殻の周囲に圧力差が生まれ、効率的に殻の中に水流を生み出し餌を濾過することができたという。この研究には宮城県気仙沼市の上八瀬から発掘されたワーゲノコンカが用いられた。
[ネオスピリファー・ファスキゲル Neospirifer fasciger]
ワーゲノコンカと同じく上八瀬で発見される腕足動物だが、パラスピリファーと同じくイチョウの葉に似た形態のスピリファー類に属する。
[レプトドゥス・ノビリス Leptodus nobilis]
特に変わった形態をした腕足動物である。
殻はおおむね楕円状の輪郭をしているが、片方の殻には左右の縁から中央に向かうスリットが多数平行に並んでいた。このため全体がシダの葉のように見える。これもワーゲノコンカやスピリファー類の場合と同じく、なんらかの形で水流を利用して内部に水を導入することのできる形態であると思われる。
レプトドゥスの化石は上八瀬やその周辺、金生山など各地のペルム紀の地層で発掘されている。また上八瀬からは他にも様々な腕足動物が発見されている。
[ギガントプロダクトゥス・ギガンテウス Gigantoproductus giganteus]
ギガントプロダクトゥスは史上最大とされる石炭紀の腕足動物である。他の腕足動物が数cmか大きくても10cm程度なのに対し、ギガントプロダクトゥスの殻は30cmを超えることもあった。殻全体は中央が膨らみ両端が細く、クロワッサンのような形をしていた。
[有孔虫]
有孔虫は、炭酸カルシウムの殻を持つ単細胞生物である。カンブリア紀から現世に渡って海洋性のプランクトンもしくはベントス(底生生物)として生活している。浮遊生活を送るものを浮遊性有孔虫、底生生活を送るものを底生有孔虫という。底生有孔虫のほうが種類が多い。
有孔虫の殻はチェンバーと呼ばれる部屋がつながった構造をしていて、その中に1つの細胞が収まっている。数十μm程度から数mm、ごく一部は数cmほどになる。浮遊性有孔虫の殻は球形のチェンバーが規則的に集まったものが多いが、底生有孔虫の殻はアンモナイトに似た螺旋状や、フズリナ類のような紡錘形、ホシズナ
Baculogypsina sphaerulataのような棘の生えた球状などである。
またチェンバーの表面には無数の孔が開いていて、これが有孔虫という名前の由来となっている。殻の表面は細胞質で薄く覆われていて、この細胞質の一部を放射状に細長く伸ばす。これを仮足といって、周囲の海水と物質の交換を行う。
小さなプランクトンや有機物の粒子、バクテリアなどを食料とする。
底生有孔虫は単に海底にいるというだけでなく、海藻に付着するものや底砂に巣穴を掘って暮らすものなど、生活の場が種類ごとに決まっている。有孔虫の掘った巣穴が海底堆積物の酸素分布とバクテリアの多様性に影響を与えるともいわれている。
細胞の寿命は長くて数ヶ月程度だが殻は頑丈で、堆積物中に化石として保存されやすい。有孔虫の殻化石のようなごく微小な化石を微化石という。
示準化石(地層の年代を推定する根拠となる化石)としても利用されているが、示相化石(地層が堆積した当時の環境を推定する根拠となる化石)としてより重要視されている。
環境によって生息している種類が異なるため、産出する種類から堆積した環境が推定できることに加え、化石の殻そのものに海水の成分や温度、塩分等の濃度といった化学的な情報が保存されているため、化石の殻を分析することにより当時の海洋環境を知ることができる。
[ノニオン属の一種 Nonion sp.]
掘削性の底生有孔虫である。底生有孔虫によく見られる、へその小さいアンモナイトのような平面渦巻き状の殻を持っている。
現生属ではあるが化石としても発見される。小宮層からもボーリング調査によって発見されていて、アキシマクジラ生息当時の海洋環境の手がかりとなることが期待される。
[ヌンムリテス・ボニネンシス Nummulites boninensis]
ヌンムリテス属は主に新生代古第三紀に繁栄した特に大型の有孔虫である。直径10cmかそれ以上にもなり有孔虫としては非常に大きい、薄くてややゆがんだ円盤状の殻を持っていた。この形状と大きさから貨幣石とも呼ばれる。
この殻の形状はノニオン属のような渦巻き型にチェンバーが並んだものがさらに何十周も巻いたものである。ヌンムリテス属の中でもヴェノスス種
N. venosusは現生しているが、貨幣石と呼ばれるような姿ではなく渦巻き型をしているのが分かりやすい通常の有孔虫の姿をしている。
全てのヌンムリテスの個体がとても大きかったわけではなく、ガモントという1mm程度で生まれ5mm程度まで成長し有性生殖を行う世代が、アガモントという世代をより小さな直径で生み、アガモントは大きく成長して無性生殖でガモントを生むという生活環を持っていた。
さほど近縁ではないがゼニイシ
Marginopora vertebralisという現生の有孔虫も、1cmほどになる大きな円盤状の殻を持つ。ゼニイシのような現生で大型の有孔虫は体内に藻類を共生させることで光合成により栄養を得ていて、ヌンムリテスも同様だったと考えられる。
ボニネンシス種は小笠原諸島の母島にある始新世の地層から発掘される。
[カニス・クセノキオン・ファルコネリ(ファルコネリオオカミ) Canis (Xenocyon) falconeri]
学名の意味:ファルコナー氏の奇妙なイヌ
時代と地域:鮮新世(約250万年前)から前期更新世(約180万年前)のユーラシア(日本を含む)からアフリカ
成体の肩高:約70cm
分類:北方獣類 食肉目 イヌ科 イヌ属 クセノキオン亜属
高度に肉食に適応した大型のオオカミで、同じクセノキオン亜属のリカオノイデス種
C. (X.) lycaonoides等とともにリカオン
Lycaon pictusとの類似性が指摘されていて、リカオン属に含める説もある。ニホンオオカミ
C. lupus hodophilaxとの類縁関係はイヌ属であるということ以上にはない。
ファルコネリオオカミは中国北部、パキスタン北部、イタリア、スペイン、アフリカなどから発見されているが、国内では昭島市の拝島水道橋付近で加住層から発見された。ファルコネリオオカミが日本に到達していたことや、当時の日本の上位捕食者の様子が分かる標本である。頭骨・頸椎・前肢の大部分と腰椎を含んでいる。
[ザロフス・ヤポニクス(ニホンアシカ) Zalophus japonicus]
学名の意味:日本産の目立つトサカがあるもの
時代と地域:20世紀までの東アジア(カムチャツカ半島、九州以北の日本、朝鮮半島)沿岸
成体の体長:オス240cm、メス180cm
分類:北方獣類 食肉目 アシカ科 カリフォルニアアシカ属
カリフォルニアアシカ
Z. californianusとごく近縁なアシカである。かつては同種の別亜種と考えられていた。カリフォルニアアシカよりも大型で歯が多く、オスの頭頂部の隆起(属名のとおりトサカに例えられる頭骨の矢状稜に支えられる)が大きかった。
カリフォルニアアシカと同様、沿岸部で魚や頭足類を捕食していた。
生息当時はヒトにとって身近な海獣であり、東京湾までも含め(横須賀市の海獺島)全国各地にニホンアシカが由来の地名がある。いっぽうで油や毛皮を得ること、漁場からの排除などを目的とした乱獲が行われ、生息環境の変化と並んで絶滅の原因の一端であると考えられる。第二次世界大戦の前までは動物園で飼育されることもあったが、戦後はカリフォルニアアシカに置き換えられた。最後の目撃例は1970年代で、事実上絶滅したと宣言されたのは1991年のことである。
昭島市内では小宮層の後の福島層からアシカ科の断片的な化石が発見されているが、当時にはニホンアシカにつながる系統はすでにカリフォルニアアシカから分岐していたと考えられるものの、福島層の化石がカリフォルニアアシカ属(ひいてはニホンアシカの系統)であるとは限らない。
[フォエバストリア・アルバトルス(アホウドリ) Phoebastria albatrus]
学名の意味:預言者であるアホウドリ
時代と地域:前期更新世(約180万年前)から現世の北太平洋
成体の翼開張:約2m
分類:ミズナギドリ目 アホウドリ科 キタアホウドリ属
開けた海面上に生息し、ダイナミックソアリングという風速の遅い低高度と風速の速い高高度をうまく行き来することで羽ばたくことなく長距離を飛び続ける技術を使い、海面で得られる魚、頭足類、甲殻類、海獣の死体を探して食べる。
繁殖期にしか上陸することはなく、陸上ではうまく行動できないこともあって主に羽毛を目的として乱獲されたことと、堆積した糞が肥料等に利用できるため繁殖地が破壊されたことにより生息数が大幅に減少した。現在小笠原諸島などの繁殖地では保護活動が行われている。
日野市の浅川・滝合橋右岸上流で平山層から発掘された約180万年前の上腕骨の化石がアホウドリ(
P. albatrus種そのもの)の世界最古の記録であるとされる。長さは30cmほどで、翼開帳は2m以上になったと考えられる。ウバガイ、ホタテ、エゾマテガイなど寒流系の貝が共産する。
[マッコウクジラ属の一種とされる鯨類(ヒノクジラ) Physeter sp.]
属名の意味:クジラらしく潮を吹く者
時代と地域:前期更新世(約180万年前)の東アジア(日本)沿岸
成体の全長:不明(12m程度?)
分類:北方獣類 鯨偶蹄目 鯨河馬亜目 ハクジラ下目 マッコウクジラ科 マッコウクジラ属
ヒノクジラは日野市の多摩川河床で福島層から発見されたクジラ化石である。長さ1.5mほどの、いくつかの断片に分かれた左上顎骨の一部である。
当初はアキシマクジラと同種か、同様のヒゲクジラ類と思われていた。この大きさと、先細りで細長い板状の形状は、一見ヒゲクジラ類(ナガスクジラ類)の平板な上顎骨のようにも見える。
しかし、この化石は表面が全体的に削れていて、骨の正確な外形は不明である。表面的な形状から判断するのは難しいといえる。
そこで「多摩川中上流域上総層群調査研究プロジェクト」の一部として詳細な調査が行われた。
化石の厚みは端から中央部へと大きく変化する。ヒゲクジラ類の上顎骨は厚みがより一定で、一番厚い部分でもより薄い。
また、組織は多孔質で、一つひとつの空洞が大きい。これに対してヒゲクジラ類の頭骨はより密な組織である。
こうした特徴から、ヒノクジラはマッコウクジラ
P. macrocephalusに近縁であると考えるのが妥当であるということが分かった。ヒゲクジラ類を除くとそれほど長大で扁平な上顎骨を持つのはマッコウクジラに限られ、また厚みや断面形状、多孔質の組織の様子がマッコウクジラによく一致するためである。
ヒノクジラは国内の更新世のマッコウクジラ類として唯一の化石であるということになる。
なお、マッコウクジラではこの扁平な上顎骨は脳油という角張った頭のほとんどを占める器官を支えている。
脳油は鼻道で発生させた音波を前方に集中させ、エコーロケーションのための音波を獲物に当てるのに役立つとされている。これは光が届かず視覚では獲物を捉えられない深海で狩りをするのに有利な特徴である。
マッコウクジラによく似た上顎骨を持っていたヒノクジラにも、深海で優れたエコーロケーション能力を発揮するのに有効な発達した脳油があった可能性がある。
アキシマクジラに近縁なコククジラは沿岸性で浅いところで採餌行動をするが、ヒノクジラに近縁なマッコウクジラは休息目的以外では浅いところに現れない。福島層の年代には小宮層の年代より水深が深かったと考えられることと噛み合っている。
[ヒドロダマリス・ギガス(ステラーカイギュウ) Hydrodamalis gigas]
学名の意味:巨大な海のウシ
時代と地域:前期更新世(約130万年前)から18世紀の北西太平洋
成体の全長:9m
分類:アフリカ獣類 海牛目 ジュゴン科 ステラーカイギュウ亜科
ステラーカイギュウはジュゴン
Dugong dugonやマナティー
Trichechusと同じ海牛類で、1768年の記録を最後に絶滅した。
絶滅する前に博物学的な記録を採っていたのが発見者の一人である医師で博物学者のゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラーのみなため、生前の姿や生態に関する記録はごく少ない。
ジュゴンやマナティーが温暖な海や川で水草や海草(海に生える被子植物)を食べるのに対して、ステラーカイギュウは寒冷なベーリング海で海藻、主にコンブを食べていた。
ジュゴンやマナティーと比べてはるかに大型だったことも大きな特徴で、冷たい海の中で体温を保ちやすくなる適応だったと思われる。
マナティーよりジュゴンに近縁だが、顎は下向きになっているジュゴンと違ってマナティーのように前向きになっていた。食物を海底ではなく海面で採っていたと考えられる。深層性の海藻は動物に食いちぎられると防御物質を出してそれ以上食べられるのを食い止めるいっぽう、表層性の海藻は波でちぎれることが多いため、ステラーカイギュウがちぎり取ったときも波でちぎれたときと同じで防御物質を出さなかったと考えられる。海が流氷で覆われる冬には採食することができなくなり、肋骨が浮き出るほどやせたと記録されている。
歯はなく、上下の顎に角質の板があり、これによって海藻をくわえ取った。
一般的に手の骨はなく前肢は棒状だったと考えられている。少なくともシュテラーの記録では指は確認されていない。
肺が大きく、体が浮きやすかったとされている。また潜ることがなかったためか背中がざらついていたと記録されている。
尾鰭はジュゴンのように左右に分かれていた。クジラのように遊泳によく適応していたように見えるが、主な敵であるサメやシャチからは密生した海藻に隠れるだけで身を守れたようだ。密生した海藻の中ではサメは行動できず、またシャチも他の獲物となる海獣と違って浮きやすいステラーカイギュウに乗りかかっても窒息させることはできなかったと考えられる。
しかしこの方法は船の上から刃物で刺してくるヒトへの対抗手段とはならず、1742年頃にシュテラーを含む遭難中の第2次カムチャツカ探検隊に発見されて以来、極寒の海で飢えた航海者に肉を求められて乱獲され、発見から27年という短期間で絶滅した。
生体はベーリング海でのみ発見されたが、化石は東日本各地を含む北太平洋沿いの地域で発見されている。シュテラーらに発見された時点でステラーカイギュウの生息地はかなり狭まっていたようだ。
ステラーカイギュウそのものの化石は国内では北海道北広島市、千葉県君津市などから発見されている。狛江市の多摩川河床で上総層群飯室層から発掘されたものは世界最古のステラーカイギュウの化石である。
この地層は約130万年前のものとされる。アシカ科、イルカ、鳥類、ワニ、貝、エンコウガニ、アマモ印象化石が共産している。
このステラーカイギュウは100点ほどの化石からなり体の大部分が保存されていて、推定体長5mほどとされる。ホホジロザメの歯が肋骨に刺さり、また鯨類の骨が分解されるときに現れる生物の痕跡があった。
不完全ながら手根骨(手首の骨)や中手骨(手の甲の骨)が含まれていた。これまでのステラーカイギュウの標本からは知られていなかった部位であり、前肢の形態に再考を迫るものである。
国内からは北海道滝川市のタキカワカイギュウ(
H. spissaまたは
H. cuestae)という、ステラーカイギュウと同属別種でより古い年代の海牛類も発見されていて、狛江市の標本はそのようなものとステラーカイギュウの生息年代のギャップを埋める。