デニムスカイ第十一話
「the galactic nervous boy -Simulation-」
 風が少し冷えた、翌朝の飛行場。
 晴れ空を灰色のフリヴァーが逃げ惑う。
 長めのカナードと、逆に少し短めの主翼。ユーロフリヴァー製「タランテラB」。
 急に右に跳ね、一流の運動性をかいま見せる。
 が、間に合わず被弾。
 撃ったのは立花。尖ったシルエットの柿色の機体は、スピアゲイル製作委員会製「スピアゲイル」だ。
 彼らを含め五人が、いつになく必死に練習をしている。
 白いシルフィードの姿はここにはない。だがワタルは、その練習風景を真剣に見上げていた。
「やあ、来週の主役はどちらかな?」
 背後から日下氏の声。相変わらず草の塊のような姿だ。
「浮気された」
 ワタルは冗談めかした手振りを付ける。
「おやおや、どこの不届き者が相手かい」
「アロウだよ。あと横浜のみんな。あっちにはあいつらと同じ機種のパイロットが揃ってるから」
「なるほど」
「ああ、ちょっとあいつがまとめたログ見てくれよ。横浜の奴のだけど」
 ワタルは両手の上に、ある試合のログを表示させた。片方の機体はスピアゲイル。
 万能の名機シルフィード、弱点もない代わりに突出したところもない優等生。これで勝つためには、相手が得意とする戦法に巻き込まれないことが肝心だ。
 ネオンは同じ機種による試合のログを調べ、自らも試合を経験することで、相手がどのような戦法を取ってくるか把握しようとしているのだ。
「他にもある、よくまとまってるだろ」
「素晴らしいね、試合が目に浮かぶようだよ。彼女、テストパイロットになる気はないのかな?」
「ん?どうだろうな……」
「ははっ、そんなに真に受けなくても」
 日下氏の笑いを余所にワタルは南の空、横浜の方角に振り返った。

 海岸沿いの発着場は、少し朝もやに煙っていた。その先には相模湾が広がり、沖合に緑色の偏平な光合成プラントがうっすらと見える。
 早いかと思っていたが、着くなり赤い飛行服がネオンを出迎えた。
「やあ、早かったね!ワタルは……やっぱり来ないか」
「鬼塚さん、わがままを言ってすみません。あの、他の四人の方って」
「昼前には揃うと思うよ。みんなあのときのログ見て感心してたよ、始めたばっかりだとは思えないって。ま、ワタルに教われば当然だよね。ワタルはここにいた頃だって教えるのがすごく上手かったもん」
 鬼塚は自分のことのように得意げに話す。しかしネオンの心配事は他のところにあった。
「それもなんですけど、その、皆さんには私のことってどのくらい話してあるんですか?」
「へっ?だから、ログ見せて、そのとき免許取ってまだ一ヶ月くらいだってことと、ワタルに教わってるんだってこと。それと、今回は練習に付き合ってほしがってるってこと。他には別に?」
「そ、そうですよね」
 不思議そうな顔をする鬼塚、質問の意図が分からなかったようだ。パイロットとしてはそれ以外伝えるべきことなどないということか。かえって聞いたのが恥ずかしくなってしまった。
 ネオンの白い肌や赤い目のことを、鬼塚自身全く気にしていないらしい。
 無論それはそれで安心だが、他の四人には驚かれてしまわないだろうか。
「あっ、来た!二人」
 鬼塚の見上げる先に、二機のフリヴァー。
 一方は片方を置いて急速に接近する。
 立花と同じ、スピアゲイル。
 頭上を素早くかすめた。
 もう一方も近付いてくる。タランテラB。
 少しロールしてはぴたりと止まる。
 正確なエイトポイントロール。
 スピアゲイルも戻ってきた。
 二機揃ってネオン達二人の前に降り立つ。
「横浜へようこそ!」
 そう言い終えながらタランテラのヘルメットから現れた丸い顔は、ネオンを見て驚きの色に変わった。
 一回り年上に見えるスピアゲイルのパイロットも、同じく目を丸くする。
 パイロットといってもワタルや鬼塚のように気にせずいてくれる人ばかりではないのは分かっていた、まして初対面なのだから仕方ない。そうは思ってもネオンの気持ちは陰った。
 だが、鬼塚の顔はあくまで明るい。
「二人とも、よかったね」
 その言葉が全員の視線を集めた。
「僕のログ見せたとき、カブラギさんと試合してみたいって言ってただろ?」
 鬼塚がそう言うと二人のパイロットの表情が緩んだ。ネオンの眉も上がる。
「あ、ああ!よろしくっ」
「よろしく」
 快活な声とともに二人は手を差し出す。ネオンは順に手を握る。
「よろしくお願いします!」
 残り二機、ナドウモビリティ製「カスケイド」と琉球飛翔連盟製「ヒルフラッシャー」もすぐに頭上に現れた。

 先鋒の背後に付くことは難しくなかった。
 カスケイドの二つに分かれた翼端が、後上方からは一つに重なって見える。
 相手は反転降下。
 早いとは感じない。
 難なく追うことができる。
 シルフィードの前身となった機種だけに、実力で上回らなくとも脅威ではない。
 あっさりと撃てた。未知の相手と案ずる事もなかったらしい。
 すぐに右から現れる一機、ヒルフラッシャー。
 背の膨らみが真っ先に目に付く。
 元々水上機である分フロートがないときの積載量は大きい。重い模擬銃を背負い強力な仮想弾を放つことができる。
 突然発砲。
 射程の長い銃だ。
 だがそうは当たらない。
 急旋回、弾道沿いに蛇行。
 間合いを詰め、正面から狙い撃ち。二連勝で午前を終えた。
 地上の鬼塚たち三人が、多少悔しさの混じる笑顔でネオンを待つ。

 そうして気分良く迎えた午後は、一転して激しく厳しいものになった。
 相手のタランテラを発見、ネオンは降下気味に背後に迫る。
 だが駒鳥のような死角や遅さはない。
 そして、駒鳥に劣らず身軽だ。
 急に左に浮き上がる相手。
 追うべく横転するが、
 相手は外側、
 急転回で銃を向けてくる。
 妙技にあえなく連射を浴びた。
 悔しさを噛みこなしている暇はない。
 次のスピアゲイルが、レイヴンに匹敵する速度で襲いかかってくるはずだ。
 一周横転、全方位を見渡す。機影は見当たらない。
 あの鋭利な影を早く見つけなければ。
 今にも突き刺さってくるだろう。
 いくら見回しても点一つない。
 奥歯を噛み締め目を光らす。
 雲の下、いや向こう側か。
 痺れを切らしかけ、
 突然後方左下に現れたときには、すでに手遅れだった。
 瞬時に距離が詰まる。
 「槍の突風」の名の通り、一突きで終わった。
 いや、全て終わりではない。
 センチネルが頭上に迫る。
 右上空から急転直下。
 離れれば追われて逃げ惑うばかりでジリ貧だ。
 右旋、ブレーク。
 降下する相手の腹側へ。
 鬼塚が高速で行過ぎるのを狙う。
 風防の端、後方に映る鬼塚は、
 強引に横転。
 無理矢理頭を向けてきた。
 反転も間に合わない。
 三度目のブザー。

 五つのログの一覧を表示した手の平を見つめながら、ネオンは落ち込んではいなかった。今日のところは、自分自身が五機種全てと戦ったログを持ち帰れればそれで良い。
 顔を上げ、集まった五人の正面に立った。
「皆さん、今日は私の都合に付き合っていただいてすみません、本当にありがとうございました。明日からも、金曜までお世話になります」
 深々と頭を下げると、皆が小さく笑い合う声が聞こえた。
「いいっていいって、同じパイロット同士、お互い様だよ。飛行場関係なくさ」
 年長の、スピアゲイルのパイロットが気さくに言った。鬼塚も苦笑に顔を歪める。
「ホントにきちっとしてるっていうか、そんな丁寧だとワタルにも他人行儀って言われない?呼び捨てでいいとかさ」
「あ、たまに言われます。けど呼び捨てなんて」
「そっか。けっこう寂しがってるかもよ?」
 そう言われると呼び捨てのほうが喜ばれるかと頭をよぎったが、
「無理、無理ですよ!沢山お世話になってるし、年上だし、呼び捨てなんて無理です!」
 首と手をを素早く横に振って声を上げると、鬼塚は声を出して笑った。
「まあ、それだけ丁寧だから皆も頼みを聞いてくれたんだよね。明日からもよろしく」
「は、はい。お願いします」

 金曜。
 赤く傾いた陽の中、ブザー。
 週日中一日一戦して三勝二敗、負けた相手は二回とも鬼塚だ。
 スピアゲイルのパイロットとは都合が付かず再戦できなかった。スピアゲイルとE型センチネル、二つの対策に自信がないままだ。
 相手の実力の違いを考えたとしても、ネオンは不安がぬぐえそうになかった。
 夕陽が雲間から漏れて波頭に金メッキを施す中、鬼塚のセンチネルはますます赤黒く染まる。
 その背中を見ていてふと浮かんだ疑問を、ネオンは地上に着く前に口にした。
「鬼塚さんは、どうして機体を真っ赤にしたんですか?見つかりやすくて不利なんじゃあ」
 鬼塚は降下を止めて答えた。
「うん、すぐ見つけてもらえるようにだよ」
「えっ?」
「見つからないようにこっそりっていうのが定石だけどさ。僕は早めに取っ組み合いになるのが好きなんだ。広い空に二人っきり、見つけてくれないと寂しい。早く喧嘩がしたい。撃ったり、撃たれたりしたい。ワタルは、いつもすぐ見つけてくれたから……」
 鬼塚の声は段々とつぶやくように静かに、ヘルメットの先端が風を切るかすかな音にも埋もれそうになっていった。
「カブラギさんのまとめたログ、見たよ。すごく丁寧で分かりやすかった。皆も喜んでたよ」
 鬼塚は再びはっきり聞こえるように言った。
「私、勝てると思いますか?」
 鬼塚は、ああ、と笑って答え、降下を再開した。
「どうしても負けたくないんだね、明日やる相手にさ」
 ネオンは沈黙で答える。
「でも、楽しくやりなよ、誰が相手でもさ。そのために飛んでるんだから」
 鬼塚の声はすっかり無邪気な少年のものに戻り、センチネルは深紅に輝いていた。
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