デニムスカイ特別編 第十話
「We are here -Consumer-」
やがて年が明け、真冬も過ぎて。
枯れ色をした芝生の間から小さな花々が顔を出し、朝の霜が止まないかと様子を窺い始めた頃。
スケアクロウとの九度目の戦いが、二人の勝利で終わった。
ワタルのアクイーラは飛行場に降り、離れたところで待っていたネオンのスパンデュールが後に続く。
最後に撃たれたスケアクロウは飛行場を離れていった。ネオンを撃ったもう一機のスケアクロウは、その直後にワタルに撃たれるなり先に立ち去ってしまった。
さらに外側を廻っていた無人機が一つあったのだが、これも帰っていったようだ。
ネオンは一応その無人機の情報を確認してみた。同じ編集者の機体は今まで来たことはない。もし二人がスケアクロウに負けるくらい調子が悪かったら次の相手に名乗り出るつもりだったのかもしれない。
しかし、よしんば二人がそのくらい不調だったとしても、その無人機には勝ち目は無かっただろう。
今や約束どおり誰でも好きなようにスケアクロウのデータを改造し運用できるようになったが、スケアクロウと呼ばれるのはミルドレッド自身が手を加えた黄色いものだけだ。
性能からいって特別視されるのは当然であった。
スケアクロウ以外の無人機も様々に手を加えられて毎日のように二人に挑んでいるが、ブザーを奪えたものはない。スケアクロウにはよほど繊細な調整が施されているのか、少しでもミルドレッド以外の手が入ると途端に凡庸な実力に成り下がってしまう。
かたやスケアクロウは通算四勝五敗。今回の負けを加えてもまだ驚異的というべき成績を保っていた。とはいえミルドレッドの興味は、そんな評価ではなくワタルとネオンにだけ向いていた。
芝生に立つ二人の前にミルドレッドの立体映像が現れた。文字どおり、不満の色を露わにして。
ジャケットは初めて見たときと同じ橙色になり、襟元には黒錆がかった鋼鉄の十字架が重々しく下がっている。
「全然勝ち越せないんだけど」
「こっちの台詞だ」
ワタルは吐き捨てるように苦笑い。ネオンも順位のツリーを見せながら笑う。
「ほら、無人機ではミリィのが一番だから」
無人機も試合に加わるようになってから、無人機に手を加えた者もパイロットと一緒にツリー上の星として表示するように改良されていた。
ツリーの頂上ではワタルとネオンにミルドレッドが続き、三つの星が固まっている。
「私のなんてこんなところだよ」
ネオンの改造した無人機の順位はネオン自身よりずっと下、ツリーの七合目だった。
「そんなの当たり前じゃん」
そうは言いつつも自分の後にのみ続く無人機達の様子に、ミルドレッドのジャケットは黄色、十字架はつややかな金に変わっていた。
スケアクロウ以外の無人機が並程度の力しかないのは半ば意図的なものでもある。ネオンの無人機は今朝も余所の飛行場で練習に使われたらしい。相手は以前、練習不足で伸び悩んでいたのがネオンの気にかかったパイロットだ。
パイロットの星と無人機の星はツリーの中で混ざり合い一進一退の戦いを繰り広げ、以前にも増して賑やかになった。
星の分布に目立った偏りは見られない。停滞区間は少しずつ上下に伸びて薄まってしまった。
無人機はパイロット達のいい練習相手として、ネオンの望んだとおりの働きをしていた。
「次の改良のアイディアはあるの?」
「あるわけないよ、今日出し切ったのに負けちゃったもん」
「十字架、緑になってるぞ」
「あっ!もー、これダニーが勝手に付け足したんだけど」
嘘をつくと十字架は青錆の吹き出した青銅になる。ワタルは前回までのやり取りで覚えていた。
ならば外せば良さそうなものだが、ミルドレッドは最近必ず十字架の付いたネックレスを下げていた。ネオンが理由を尋ねても、話を逸らされてしまってよく分からなかったのだが。
母親の影響でアンティークに見慣れたネオンにも本物の貴金属そのものに見えるほど精巧なのは確かだ。
そう思って見ている間に十字架は真鍮、ジャケットは赤紫になっていた。
「ちゃんとあるよ。今度こそもう絶対負けないようなのが」
「そうか。じゃあそれで俺達が勝ったら完全にこっちの方が上ってことだな」
ワタルがミルドレッドと口角を上げてにらみ合ったまま、通話は終了した。
一息ついてから畳んだアクイーラを曳いて飛行場の中心にあるカフェに歩き出す。ネオンはその背中に続いた。
少なくともワタルの方は、本当に優劣をはっきりさせることを望んではいないだろう。ネオンにはそう感じられた。
ジラソーラで試合する前、ミルドレッドに対して明確な嫌悪を示していた頃とは違った。幾度もの試合を重ねた今、ワタルはミルドレッドを競争相手として完全に受け入れているようだ。
ネオンにとって別の意味でライバルになってしまわないかと危ぶむくらいに。
常識的に考えれば杞憂に決まっているのだが、ミルドレッドがネオンと同じく、ワタルに本気で立ち向かっていく貴重な相手となったのも確かだ。
少し前にユカリがこんなことを言っていた。
「ネオンちゃんはもっと攻めていっても大丈夫よ。あの子、押さないと押し返してこないでしょ」
相変わらずまるで二人の母親のようにお節介だが、とりあえず先手を打っておいて損はあるまい。
「ワタル」
無防備に振り向く頬に、
唇の一撃。
ワタルは動かない。まんまと撃ち落としてやったと満面の笑みを見せつけたのだが、
かがんでくるワタルを予測できなかった。
ネオンの唇はまんまと反撃を受けた。
「未だにこういうときしか名前で呼んでこないんだからな」
ワタルは再び歩き出した。その背中を見つめたままネオンの方が動けなくなってしまった。
押し返してくるときは倍返しなのだ。これではやはり、いつまで経ってもワタルにはかなわない。
カフェの軒下には白い無人機が待っている。昼前にえとりのテレポーターと小松田のアクイーラが所沢からやってくるので、ネオンが無人機と組んで迎え撃つ約束になっていた。その前にデータの見直しもしておきたい。
それが終わって他に客がなかったらワタルとの試合だ。
ちぎれ雲が遠くに三つほどある。あとは冬の名残で冷えて澄んだ青空が広がるばかりだ。
こんなフライト日和には誰か来そうだが、こんな日こそ誰も来なければいいのにとネオンは思う。
ミルドレッドが気付かず、またネオンは気付いているが口にしないことが、順位のツリーの中にあった。
頂上に陣取って動かない星はワタルとネオン、すぐそばにスケアクロウ、続いてユカリ。
さらにその下のもう一つは無人機と最も多く戦い、一敗もしていない。
先程調布から逃げ出した濃灰色の無人機は、真っ直ぐ帰らず南東に向かっていた。最大上昇率を保っている。
高度を上げながら進むうちに、左後方にまたもう一つ無人機が現れた。
互いに編集者は異なるが事前の取り決めに従って二機は適切な間隔で寄り添い、索敵範囲を補い合った。
さらに一機、もう一機と、無人機が周囲に集まってくる。このうちのどれも、最初の二機が探している相手ではない。これらも同じように直近のもの同士でペアを作っていった。
二機ずつの組がさらに二つずつ組み合わさり、その四機組同士も足並みを揃え、整然とした編隊を成した。
最終的に十四機となった軍勢は寡黙な侵攻を続ける。それを待ち受けるパイロットは、たった一人。
赤いアクイーラを携えて、横浜のタワーの屋上に佇んでいる。
鬼塚は管制を見て口元を歪める。
あのワタルに土を付けたスケアクロウの眷属が、今日もこんなに群がってきた。流石に自信が揺らぐ。それでも今回は特に負けられない。
鬼塚は管制で把握していた。不遜にも調布に乗り込み、しかも勝てそうにないからと黙って逃げてからここに来た無礼者が加わっている。
「僕に勝てなきゃ……、あの二人になんてありえないよね」
無人機は絶対に全部落とす。
そう誓って、一日一日守っている。