デニムスカイ番外短編 第三話後編
「猫のリンナ -Lasting Appeal-」
 もう五年と少し前のことになる。個人競技としては最後の立川曲技大会を、出黒沢が地元からの参加者として締めくくった。
 砂色のタランテラBが危なげなく課題シークエンスをこなしていく。ループやロール、インメルマンターンと、基本に近い技を決まった道筋で行う。
 それが済んで自由演技に入った直後。
 出黒沢はいきなり頭を上げて失速、傾いて落ちた。
 強引なハンマーヘッドで幕を開けた。
 規定の高度ぎりぎりで復帰、
 客席に向かって飛び込む。
 再び規定範囲の瀬戸際で、スタジアムに跳ね返るように左上に振り返った。
 そのまま奥に抜けていくかと思えば、すぐに浮かび上がる。
 高度を稼いでから上下逆の倒立ループ、
 さらに正立ループを繋いで、バーティカルキューバンエイト。8の字が客席を見下ろす。
 右に九十度ずつ横転するフォーポイントロール、点滅するような姿勢の切り替わりにタランテラの特質が活きる。
 スライスターンで振り返ったら続いてバレルロール、見ていて目眩がするほどの大振りな螺旋。
 次々と技を放っていき、負担を軽々受け止めてみせる。
 豪胆を絵に描いたような演目は、三回転半のフラットスピンで終わった。
 暫定一位であった所沢の雨路紫(ユカリ)に劣る技術点が提示され、会場は嘆息に包まれた。次の瞬間、その損失を埋めて余りある芸術点が掲げられると、それは歓声に入れ代わった。

 その晩立川飛行場のパイロット達が盛大な祝勝会を開き、それからさらにもう一晩明けて。
 パイロット達は皆、一日で充分な休養の取れた出黒沢の着地を待ち構えていた。
「出黒沢さん、おめでとうっす!」
「お疲れ様っした!」
「マジ最高だったっすよ!」
 まだ機体も下ろしていない出黒沢を一斉に取り囲み、宴会の続きのような騒ぎを見せた。
「まー、あんなもんよ」
「俺、立川住んでてホント良かったっす」
「ただスピンの最後、半分になっちまったのがなー」
「え、あれダメなんすか!?」
「んな事も知らねーのかよ。きっちり同じ向きで止めんのが最高のスピンなんだよ」
 そこだけが出黒沢の気がかりであった。
「じゃあそれ無かったらきっと技術点でもあの所沢の女に勝ってたっすよ」
「あっ、ってか、じゃあ実質技術点でも出黒沢さんの方が上じゃね?」
「そうじゃん、やっぱ出黒沢さんが一番じゃん!」
 こうも散々持ち上げられれば、残されたハードルはさて置いて良い気分に浸っていたくなる。実際には課題シークエンスの出来の方が技術点に大きな影響を与えたのだが、出黒沢はそちらを軽んじていた。
「知らないって言えばこいつ二次会のときもひどかったんすよ。あんときもう出黒沢さんいませんでしたよね?」
「あ?あー、多分帰っちまってたんじゃねーかなー」
「やっぱもうプロだから体調管理大事っすよね」
「んー、まあな」
 曖昧に答えると、少し年下の、とても可愛らしい少女のパイロットが出黒沢の腕にしがみついてきた。
「いっつも早く帰っちゃうから寂しいです。もっと一緒にいたいのに」
 高く細い声音。上目遣いの目は黒く潤み、腕を掴む指は細い。
 出黒沢くらいの、情欲真っ盛りの年頃にある男性ならば大歓迎であろう。出黒沢はそのことをただ頭で理解し、自分の感情としては持てなかった。
 そもそもこのような戸惑いを味わう機会を減らしたくて、夜の宴席から毎回こっそり抜け出しているのだ。
 一瞬たじろいだ出黒沢に代わって他の者が少女をたしなめた。
「おい、出黒沢さんあんまベタベタすんのは嫌いなんだぞ」
「はーい」
 少女は素直に離れてくれた。出黒沢は注意した者を大変有り難く感じたが、礼を言うのも妙に見られると感じて黙っていた。
 自分でもなぜそのように女性に対して淡白なのか、このとき出黒沢には自覚が無かった。
 ただその分の余力を曲技に向けているからこそ、立川だけでなく南関東一帯で特に優れた曲技選手であると認められたともいえる。
 愛機を駐機場に置くとき、見慣れない機体が目に留まった。
 機種は自分と同じタランテラBで、背面が紺色、腹側が白。いかにも曲技用という感じがしたが、両肩には模擬銃を装備している。
「そうだった、余所モンが試合もしねえのに居座ってるんすよ。何しに来たのかなんも言わねえんす」
「中か」
「はい」
 出黒沢はスタジアムの下のカフェを睨んだ。普段は飛行場に着いたら、そこで過ごしてから練習を始めるのだ。
「出黒沢さんにしか用は無いとか言ってて」
「優勝した俺に運良く勝てりゃ、よっぽど高い踏み台にできるってつもりだろーな」
 逆に越えられないほど高いハードルだと思い知らせてやろう。出黒沢は憩いの時間を直接壊されてしまった苛立ちだけでなく、自尊心の高まりを感じていた。
 扉が左右に退くと、あいつですよ、と示されるまでもなくその背中が認められた。席はよりによって、出黒沢の気に入っている一番奥の席の向かいだ。
 一瞬女かと思い、結局判断できなかった。先程のタランテラと同じ紺色の背中はやや小さく、一つにまとめた真っ直ぐな黒髪が垂れ下がっていた。
 そのパイロットはすぐに振り返り、立ち上がった。
「優勝した出黒沢銀さんだね、はじめまして!」
 少し甘味がかった声音でようやくそのパイロットが男だと分かった。
 出黒沢の取り巻きがいくら威圧的な視線を浴びせ、聞こえよがしな舌打ちを漏らしても、紺色のパイロットの口元には不敵な笑みが浮かび、切れ長の目は少しの力みもなく出黒沢を捉えたままだった。
 周りの有象無象は相手にしなくていい。出黒沢本人さえ恐れることはない。そう考えて当然と言わんばかりであった。
 腹立たしいことは腹立たしいが、柔和すぎて挑戦者らしくないように思えるのが引っかかった。
「僕は丹羽青児。つい最近この辺りに越してきたパイロットだよ」
 そう名乗った男は歩み寄りながら、さらに挑戦者らしからぬ言葉を続けた。
「大会には間に合わなくてエントリーできなかったけど、出黒沢さんの演技は拝見させてもらった。お見事だったよ、前にいたところではあんなに力強くて勇気がある機動は見たことがない。圧倒されたよ」
 その視線が真っ直ぐに出黒沢を射る。
「てめえ何上から言ってんだよ!」
「何様のつもりだオラァ!」
 無視された周りの者達が罵声を浴びせているのに、丹羽は堂々と、自信に溢れた態度のままでいた。
 散々おべっかを遣ってくる者達と違い、微塵も卑屈にならずに率直な感想を発してきたのだ。
 賞賛を浴びるのは出黒沢にとって日常茶飯事だ。なのにそれが随分久しぶりのことのように思えた。出黒沢は思いがけず高ぶるものを感じたが、今この場で得体の知れない相手に素直に喜んでみせることなどできない。
 ずっと小さな声で出黒沢は漏らした。
「おめーら、静かにしてろ」
 それだけで皆ぴたりと口を閉じた。自分と周囲の当惑の中、出黒沢は二歩歩み出た。
「丹羽か。聞いたこともあったような気がする名前だけどな……。わざわざ世辞を言いに来たんじゃあねーだろう。さっさと用を言ったらどうだ」
「お世辞と取るんならそれでもいいけれどね」
 丹羽は口角をさらに上げ、手振りを付けて一気に話し始めた。
「越してきたのは、曲技チームを作るためさ。プロとして活動したいと思ったらチームの方が断然有利だ。でも、地元だけじゃあなかなかこれっていう仲間は見つからない」
 丹羽は出黒沢の瞳を見つめたままだ。出黒沢は視線を逸らせない。
「出黒沢さん。あなたくらいできる選手じゃなければね。それを一昨日、見て確かめた」
 一同に、ざわめきが走る。
 それは間を置かず、罵声の集まりに変わった。
「何言ってんだコラァ!」
「何なんだよてめえは!」
「誰がお前みてえな馬の骨仲間になんかするかよ!」
「黙ってろってんだろうが!」
 出黒沢が一喝すると再び鎮まり、注目は出黒沢のほうに集まった。
「出黒沢さん、何でそんな……」
 誰かがつぶやき、途切れた。
 出黒沢は、すでに丹羽の誘いを魅力的だと感じつつあった。
 大会で二位に下した雨路紫もテストパイロットを目指しているというし、三位の選手も確かプロとしてイベントなどを多くこなしていた。
 出黒沢もすでに有償のフライトを行えるライセンスがあり、実際に頼まれて飛んで礼金を受け取る機会も増えてきた。チームを作ればそうしたフライトだけでやっていけるようになるという自信はあった。
 提案した丹羽自身に、仲間とするに足る実力があるのならだが。
 あれだけ真っ直ぐ誉めてくれたのだから実際にそうであってほしいと、出黒沢はかすかに思っていた。
「俺と試合してみろ。表のタランテラ、模擬銃付いてただろ」
「ああ、もちろんそのつもりだったよ!」

 離陸して充分な高度に達するとすぐ、最初からお互いが見えている状態で試合が始まった。略式だが、操縦の腕を比べるには良い。
 地の利がある出黒沢が先制できた。紺色の背中に左上から飛び込む。
 丹羽はこちらに跳ね上がった。
 追えるか、いや、捉えきれない。
 出黒沢も上昇に転じる。 丹羽の反応は早くなかったのに、出黒沢は優位を保つことができなかった。
 左にターン、丹羽を右後方から睨む。
 再び良い位置を取った。
 が、丹羽はするりと下に逃れていく。今度はかなり早く返された。
 まだ遠くはない。横転、
 頭からダイブ。
 強引な動きで意表を突けるか。しかしそれはもう失敗していた。
 丹羽はすでに真右にいる。
 すぐにひねり上げたが、丹羽も当然返してくる。
 相手に見下ろされ自分は必死で見上げる、嫌な位置取り。
 抑えつけられたままじりじりと青い影が下がっていき、
 完全に消えた。
 ブザー。

「接戦だったね、もう一歩で危ない場面がたくさんあったよ」
 丹羽は涼しい顔をしながら、その場の誰も信じない台詞を吐いた。パイロット達はただ呆然と、出黒沢の決定を見守ることしかできなかった。
「明日、もう一戦だ。今回だけじゃまぐれかもしんねーぞ」
 出黒沢はそう言って、丹羽の実力が確かめられる機会を増やした。

 翌日の試合も略式で始まった。
 向かいあって連射、右にブレーク。
 丹羽も右旋回を続けている。互いに背を向けて後ろを狙う。
 水平な円を描いて追いかけあう、単純な力比べに入った。
 先程丹羽の仮想弾は出黒沢の腹をかすった。出黒沢の弾は大幅にずれたようだ。
 そうやって試合中に失敗を振り返るのは油断に他ならない。しかし上瞼に隠れていく丹羽の姿が出黒沢の焦りを煽る。
 そして、完全に消える。
 再び出黒沢は競り負けた。
 それだけなら、まだまぐれが続いただけだと思える者もいただろう。
 出黒沢はもう一戦をねだった。

 さらに翌日は、空が途切れがちな雲に覆われていた。試合も相手が見えないまま始まる。
 事前に取り決めたとおり丹羽は南から近付いてきていた。出黒沢も雲に紛れ、断続的な視界を精査しながら南進する。
 前下方左寄り、雲の裂け目の端に、一瞬青い姿が覗いた。
 今度こそ不意討ちを決めてみせる。
 丹羽の隠れた雲の先目指して飛び込む。
 が、丹羽は雲から出てこない。
 現れたのは、後方だった。
 見付かっていたのに気付かなかったのは出黒沢の方であった。

 地表には冷たい秋の雨が降り始めていた。
 出黒沢は奥歯を噛み締めて立ち尽くし、丹羽は差し向かいながらも目を逸らせていた。
「ねえ、これ以上試合を重ねるのはここでの君の名誉に関わると思うんだけれど……」
 遠巻きに出黒沢を見つめる多くの視線は、憐れみを帯びつつあった。
 しかし出黒沢本人は、自分の地位を守ることに未練が無くなりかけていた。
 この立川で持ち上げられ続けてきた自分が初めてここまで突き落とされた。これはどういうことか。この丹羽という男は、一体どういうパイロットなのか。
「曲技だ。てめえのやりてえのは曲技なんだろ。……とにかくそれも見なきゃならねえ」
 丹羽は一瞬戸惑ったが、深く頷いて言った。
「分かった。明日、準備してきたものをお目にかけよう」

 一転して快晴の朝。
 最初に丹羽が真上を向いたとき、それはもう分かった。
 真っ直ぐ駆け上がっていき、突然ふわりと立ち止まって真下に振り返る。
 出黒沢の自由演技と同じくハンマーヘッドで始まった。
 当然、競技における最低の規定高度まで滑り降りる。
 そのまま出黒沢の目の前に迫って、また離れていく。
 禁止エリアに踏み込まない限界の軌道を全く軽やかに辿った。出黒沢が度胸を見せた動きを、この程度は何でもないというように。
 続く技はバーティカルキューバンエイトだが、完全な垂直ではない。
 その軌跡が出黒沢から最も大きく見えるように、丹羽は上の円をわずかに出黒沢の方に傾けた。
 あの涼しく不敵な笑みで、丹羽に見下ろされていると感じる。
 フォーポイントロール、バレルロール。丹羽は出黒沢が大会で見せた演目を次々になぞってみせた。
 ただしどれももっと鋭く、華美に。
 出黒沢ほどの豪快さまではもちろん備えていないが、それにこだわっている場合ではなかった。
 全く表情を変えた自分の演目に出黒沢はただ見とれていた。
 最後のフラットスピンを、丹羽は正確に五回転してみせた。

 スタジアムの前に着地した丹羽が急いで機体を畳み、階段を出黒沢の方に駆け上がるのが見えた。
 同じ高さまで来るのが堪えきれずに出黒沢は立ち上がった。丹羽が驚いてその場で止まったので、見下ろす格好になってしまっている。
 出黒沢はかまわず拳を握り締め、深く頭を下げた。
「俺の方から頼む。俺をあんたのチームの仲間にしてくれ」
「えっ、ちょっと、よしてくれよ。困ったな、僕から頼んだことなのに」
 少し顔を上げると、丹羽は頬をすっかり緩めていた。
 照れと誇らしさが読み取れるにやつきから、不思議に愛嬌が感じられる。
 彼に負けて良かったと、そう思える笑顔だった。
 丹羽は残りの段を上がると右手を差し出した。
「じゃあ、よろしく。ギン。ギンって呼んでもいいかい?」
「あ、ああ。よろしく。あー……」
「セイジ」
「セイジか」
 出黒沢は細く柔らかな手を掴んだ。

 結局、空戦も曲技も見た目の迫力を除けば小柄で身軽な丹羽の方が大分有利なのだった。
 ベッドの上で仰向けになったまま、出黒沢は丹羽から預かった指輪を見つめていた。はめようとしても小指ですら太すぎるだろうか。
 丹羽は身軽だ。空中でももちろんそうだし、地上でも自分と比べるとそんな気がする。それは必ずしも勝ち目がないというコンプレックスではなかった。
 目を覚まさせてくれた丹羽に感謝している。感謝し続けている。
 しかし丹羽の気持ちがこちらに向くことは有り得ない。
 右手には桜井わかばが丹羽に贈った指輪、左手には出黒沢が丹羽のために用意したネックレスがある。指輪をネックレスの金具に取り付け直し、袋に戻した。
 それで一度目を閉じたが、飛行服の下に身に着けていたペンダントがそのままなのに気付いた。
 外す前にロケットの蓋を開いた。
 平面の写真が収まっているのではない。アクセサリー店の店主にはそんな改造は無粋だと渋られたのだが、開くと立体画像が見られるようになっている。
 初めて揃いのユニフォームを着て、肩を組んだ二人の画像だ。
 背が頭一つほども違うので、向かって左の丹羽のほうに傾いている。
 このときから二人の関係はあまり変わっていない。変わってほしいとも思えない。一方的に失恋しつつあるだけだとしても。
 ペンダントを外して枕元に置くと、すぐに眠りに落ちた。

 翌日ネックレスを渡して、さらに練習に精を出して一週間が経った。
 この日は八王子のタワーに住むとある少女の誕生日を祝うため、タワーからよく見えるように余興を行ってほしいという依頼が来ていた。
 小規模な仕事だが楽しく見せれば評判に繋がるし、具合の良い晴天で絶好の日和だ。
 二人は最初から景気良くスモークを吹き出し、東西からタワーの北側に現れた。
 高機動許可空域はタワーを円筒形に取り囲んでいる。その円筒に沿って飛べばタワーから最も大きく見えるのだ。
 例えば、ハの字にタワーを挟む二つのループ。
 エイトポイントロールで通り過ぎるときも、傾くたびに少しずつ調節してタワーに貼りつく。
 あまり窮屈そうになってもいけないのが難しいところだ。この辺りはやはり丹羽のほうが得意ではある。
 とはいえ出黒沢にも大事な役があるのだ。
 丹羽が滑らかに横転しながら横切り、出黒沢がその後ろを波打ちながらついていく。
 上下にふらふら、左右にゆらゆら。故障したようにスモークを吹き出すのを忘れずに。
 子供達に笑ってもらえるよう、激しい加速度の変化に耐える。
 そうして二人のサーカスも終盤に差し掛かり、一番の山場、誕生祝いのショーならではの演目が訪れた。
 丹羽は通常のスモークから高機能スモークに切り替えた。出黒沢は六十度左横転、そのまま直進して丹羽のすぐ後ろに貼り付く。
 丹羽のスモークを出黒沢が右翼全体で受け止め、気流と混ぜ合わせて、薄く幅広い帯に変える。
 帯の表面にピンクやオレンジの英字が次々と浮かび上がった。
「Happy Birthday HIWA」。
 打ち合わせで決めてあった階のテラスに降り立つと、五歳ばかりの少女が飛び跳ねているのが目立った。本日のヒロイン、日輪嬢らしい。
 薄いオレンジのドレスにたっぷり付いたフリルをひらめかせて嬌声を上げている。何十人と集まった彼女の家族や親戚、友達も、盛大な拍手で二人を迎えた。
 公園になっているテラスの一角を借りて大きなパーティーが開かれていた。個人で曲技を注文してくるだけのことはあった。
「おめでとう、日輪ちゃん!」
「おめでとう!」
 二人も笑顔で手を振り、祝いの言葉を叫ぶ。
 丹羽はいつの間にか飛行服の前を少しだけ開いて、ネックレスの先の指輪を露わにしていた。
 その理由が分かって、出黒沢は吹き出しそうになった。
 公園の、パーティーが開かれているのとは離れたところ。桜井が晴れやかな笑顔で拍手している。
 いかにも散歩中偶然居合わせましたという風にロングスカートなど着ているが、もちろん桜井の住んでいるのは八王子ではなく立川だ。髪型も丹羽の真似をしたままだった。
 お守りのおかげで大成功、と彼女に示しておかねばならなくて丹羽は指輪を見せたのだろう。
 機体を畳んで立てると、日輪嬢を先頭として子供達が駆け寄ってきた。
 真っ先に出黒沢に飛びついてきたのも日輪嬢であった。
 一見優しそうな丹羽ではなく威圧的に見えそうな出黒沢を選んだのが意外だったが、向こうの両親もまだ笑いながら見ている。何も警戒されていないようだ。
 そこで出黒沢は一気に日輪嬢を抱え上げ、肩に乗せてみた。
 ガッツポーズを作ってみせると、一同の笑い声がいっそう大きくなった。
 隣から丹羽も日輪嬢に笑いかけてみた。しかし日輪嬢ははにかみながら出黒沢の頭に隠れようとする。
「僕の方が危険だって見抜かれちゃったね」
「ナンパ失敗だなセイジ」
「いいさ。僕は君に惚れっぱなしだから」
 丹羽は平然と言い放つ。
 んっ、という、詰まった声しか返せなかった。
「あれっ、僕のほうから君をチームに誘ったの忘れちゃったのかい?」
「い、いや、覚えてる。覚えてるぞ」
 弁明をほどほどに聞き流して丹羽は振り返った。日輪嬢の母親が手を挙げて声をかけてきていた。
「パイロットさん達の分もケーキがありますよー!」
「ああ、わざわざすみません!お言葉に甘えて、いただきます」
 丹羽が率先してそちらに向かい、出黒沢も日輪嬢にドレッドヘアーをひっつかまれながらついていく。
 出黒沢は日輪嬢を高く持ち上げ、飛んでいるようなポーズにしてやった。頭上から明るい叫び声が降り注いだ。
 まだ動悸が収まっていないが、丹羽の言い回しにぬか喜びをしたのではない。
 五年間保たれたバランスが崩れるかもしれないと、恐れたのだ。
 桜井の姿はすでにない。丹羽の労をねぎらう準備をしに立川に帰ったのか。
 丹羽もいずれはその指輪を左手の薬指にはめることになるだろう。
 例えそうであっても、空中では丹羽の隣にいるのは出黒沢だ。
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