デニムスカイ番外短編 第三話前編
「I Want You To Want Me -Check Mate-」
 藤色のタランテラDの背が、早春の立川に閃いた。模擬銃は無い。
 斜めに滑り降り、また跳ね上がる。
 短めの主翼が斧のように手際良く持ち上げられ、力一杯振り下ろされる。
 大柄な出黒沢が縦の動きを意識すると他にはない迫力を帯びた。
 可能な限り速いバレルロールを続ける。
 もっと大胆に、豪快に見えるように。
 丹羽の繊細さが引き立つように。
 出黒沢は集中力の保てる限り練習を繰り返していた。
 空戦の試合のことなど頭の片隅にも無い。今この立川に接近しつつある一機も、自分や丹羽に対する挑戦者であろうはずはなかった。
 曲技チーム「64ビーツ」の二人、出黒沢銀と丹羽青児が空戦で名を上げることを捨ててから、もう半年近くになる。
 かつて調布の鏑木ネオンは空戦において油断した出黒沢の弱点を突いて打ち負かし、その後、空戦競技の盛り上がる潮流の中核となった。彼女を精神的に追い詰めるべく横浜の鬼塚阿郎が持ち込んだ策までも一蹴され、鬼塚共々三人まとめて徹底的な敗北を突きつけられた。
 以来、二人は空戦から距離を置き、本来の領分である曲技飛行に専念していた。
 休憩と見直しのため出黒沢は着陸態勢に入り、曲技のよく見える立派なスタジアム席の正面を着地地点に選んだ。
 その少し向こうを、他のパイロット達が馬蹄形に取り囲んでいる。
 鏑木ネオンに対する最初の敗北の直後に騒ぎを起こしたパイロット達は含まれていなかった。皆この数ヶ月ほどで立川に集まってきた、空戦より曲技を志向するパイロット達である。
 着地して風防からトレードマークのドレッドヘアーを現し、機体を下ろす。パイロット達はすぐに駆け寄ってきた。
「成功っす!やっぱり昨日の一番いいのが再現できてるっすよ!」
「おー、マジか!ありがとなー」
「早く丹羽さんと合わせてみましょうよ」
「そうすっか。セイジは?」
「あ、なんか、控え室に」
 そう言われてスタジアムの下にある控え室に目をやると、誰か一人飛び出してきた。
 一瞬丹羽と見間違えたがそうではなく、丹羽の熱心なファンの女性であった。名を桜井わかばという。
 出黒沢が見間違えたのは、相変わらず丹羽のスタイルを上から下まできっちり模倣していたせいだった。青色の蜘蛛の巣模様のかかった藤色の飛行服、後ろで全て結んだ長い髪。
 その場でタランテラDを身に着け、先程近付いていた機体からの挑戦に応えて飛び立っていった。皆手を振って桜井の出撃を見送った。
 迎撃はもはや桜井の役目となり、空戦の順位は二人を上回ってしまった。二人がそれを気にかけることも、他のパイロット達がそれで二人を軽んじることももうない。
 これから始まる空戦の展開より、ちらりと見えた桜井の表情のほうが出黒沢の意識を引きつけた。頬が赤く染まり、目元は硬く力んでいたように見えた。
 控え室から出てきたということは、丹羽とそれなりのことがあったに違いないのだ。
 再び控え室を見ると、丹羽が出黒沢にしか分からないようにこっそりと手招きしてきた。
「見といてくれな」
「あっ、はーい」
 皆に観戦を任せて控え室に入った。円卓を囲む席に座った丹羽は、苦味が七割を占める苦笑を浮かべて頭をかいていた。
 もう片方の手には、見慣れない紺色の小箱。もちろん曲技にも空戦にも関係ない。
「これ、本物の金だと思うかい?」
 そう言って丹羽は箱を見せた。
 中には、黄金の小さな輪が屹立していた。男としては細い丹羽の薬指にいかにも合いそうな大きさだった。
 一般の分子プリンターでも、貴金属を見慣れていない丹羽なら騙せる程度の貴金属風のアクセサリーを作ることは可能だ。しかしこの指輪は、確かに一般の分子プリンターで扱えない金原子で出来ていた。
 桜井が寄越したのに違いない。しかしこんな時代錯誤の高級品に見合う代金をどうやって捻出したのか想像を絶する。
「こりゃあ……よっぽどだな。甘やかしすぎちまったんじゃねーか」
「参ったなあ、他の女の子と同じですっかり遊びのつもりだったのに。ちょっと熱心だから気にはかけてたけどさ」
「自分は遊びでも相手はマジっての、よくある話だわな」
 何に関してもである。二人はそれでネオンから返り討ちに合った。
 次の一言を言い放つのは出黒沢にとって勇気のいることだったが、それでも言わずにおけなかった。
「いっそホントに結婚しちまったらどーよ」
「まだそんなの嫌だよ……。それにわかばちゃんと一緒になったら、きっと大変だと思わないかい?」
「あー、まーな。お前つまみ食いなんてずっとしてねーしな」
 出黒沢も苦笑して言った。
 何人もの女性ファンに手を出してきた丹羽だったが桜井の圧力により二年ほど前からブレーキがかけられ、特にネオンとの戦いとその後の騒動があってからは不本意にも彼女一筋にさせられていた。
「これもはめないときっと何か言われるな……、かと言ってはめたら彼女の思う壺だ」
「薬指にはめなきゃいいんじゃねーか?」
「わざわざ別の指にしたら嫌味ったらしいよ」
「ああ、指じゃなくってよ」
 出黒沢は飛行服の襟元を緩め、その下に下げていたペンダントを引き出した。これも本物の銀で出来ている。
 鎖の一番下にあるロケットを確認したが、金具でしっかりと固定されていて簡単に外せないようになっていた。それに、鎖が少し太すぎて丹羽に似合いそうにない。
「こりゃダメだ。仕方ねえ、ちょっとそれ預けといてくんねーか」
 丹羽は素直に箱を差し出した。
「どうするんだい?」
「指輪に合う鎖を見繕っておくからよ。首から下げて、お守りにしたー、とか言っときゃしばらく誤魔化せんじゃねーか?」
 素朴な思い付きに過ぎなかったが、丹羽は本気で感心したらしい。
「流石ギン、頼りになるね。今回は完全に呆れられたかと思ったよ」
 そう言って無邪気に笑う。その笑顔が、出黒沢の胸にちくりと痛みをもたらした。
 丹羽から顔を逸らすようにポケットに指輪を、胸元にペンダントをしまい直す。
「それにしても君には浮いた話の一つもないねえ」
 出黒沢は一瞬手を止めた。
「ファンはみんなおめーの方に行っちまうからよ」
「みんなってことはないよ、君の方が好みだって子もいるさ」
「こっちゃセイジの知らねえとこでしっかりやってっから」
「そうか、ならよかった」
 実際に、しっかりやれている。
 出黒沢は丹羽に気付かれないように、ほっと息をついた。

 急速に日が長くなりつつあり、満足のいくまで練習を続けることができた。二人は立川のタワーに帰っていくときもきちんと編隊を組む。
 同じタワー内でも出黒沢の住んでいる階は丹羽の住んでいる階から二つだけ下だった。どちらもあまり大きくない住宅の並ぶ、似たような居住フロアだ。
 出黒沢は一旦家に入り、ベッドに腰かけてコーヒーを一杯飲む程度しか休憩せず、再び出ていった。
 ただし、チームの飛行服から革を思わせる焦茶色の飛行服に着替えるのは忘れずに。
 駐機所では先程まで飛ばしていたタランテラDと、空戦から離れて以来滅多に使わなくなっていたテレポーターが待っていた。飛行服を替えたのと同様、テレポーターを引っ張り出した。
 夕焼けの残り火に背を向け、最高速度へ。
 テレポーターの速さでは大袈裟なほどだったが、あまりぐずぐずと飛んでいたくなかった。
 新宿のタワーは高さも直径も立川の倍近い。また下半分の商業フロアから漏れる灯りは少し強く、外からでも賑わいが読み取れる。
 出黒沢はその中でもかなり低い、地上五十メートル程度のフロアに向かって高度を落とした。
 灯りは一様ではなく、目的地は周りと比べて幾分黒っぽく見えた。
 地表に近いせいでやや神経を遣って降下し、じれったい思いをしながら着地。
 発着場から中に入ると、円形の小さな広場に出た。琥珀色の街灯に染まり、梅や椿を模した立体画像の広告が艶やかに宙に散る。
 薄暗く穏やかで、一見、大都市の商業フロアとは思えないほど静かな街並みに見える。しかし広場から放射状に伸びる通りの一つを進むと、非常な雑多さと賑やかさを秘めた街であることが理解できる。
 各国発祥の料理の店、服飾品の職人の店、遊技場、あらかじめ知っていないと入り口が分からないようになっている店。居並ぶ店の扱うものも特に統一されていない。
 いずれもここが居心地が良いから集まっただけだ。この街の穏やかさは、七色の光が共存して出来た白い光に似ている。
 行き交う人々もまた同様である。出黒沢の行く手から、二人連れが手をつないで歩いてきた。
 一様に小柄で顔付きは幼く、見た目で性別は分からない。また服装は細かい細工が散りばめられ、どこかの民族衣装を思わせる。
 二人揃って、出黒沢に向かって手を挙げて挨拶した。
「やあ」
「おう。見せつけやがって」
「へへっ」
 出黒沢が茶化すと二人はさらに身を寄せ合い、笑ってみせた。それがあまりに幸せそうで可愛らしくすら見えて、羨ましさがすっと出黒沢を通り過ぎた。
 そんな風に、すれ違う人々のことごとくが上機嫌に見える通りを進んでいく。
 目的の店にはすぐに到着した。細いダガーナイフを象った看板のかかった、古風なガラス扉が開く。
 店内は緻密な輝きに満たされていた。木材に似せられたラックにずらりと並ぶ指輪、ブレスレット、ピアス、そしてネックレス。貴金属用の特殊プリンターで造型し、手作業で仕上げたものだ。
 奥の作業場から、細長い感じの男が顔を出した。
 埃が出たり物が引っかかったりしない平滑な作業着を着た店主である。作業中だったのか、彼自身は耳と下唇に小さなピアスを付けているのみだった。
「ギンちゃん。注文すればこっちから送るってば」
「直接来た方が早えーんだよ」
「パイロットってみんなそうなの?」
「そうかもな。あと、この辺の飯うめーし」
 店主は深く二度頷いた。
「今日はどうすんの?」
「えーっとな、指輪をペンダントにすっから、その鎖と金具がいるんだな」
「適当に通せば良くない?……指輪なんて持ってたんだ」
 出黒沢は指輪やブレスレットを身に着けない。
「いちいち何買ったか覚えてやがんの」
「こんなとこに来るお客さんなんて決まってるんだもん。現物かデータ見してよ」
 そのつもりで持ってきてはいたものの出黒沢は出し渋り、蓋を閉じたまま箱ごと渡した。
 この指輪がどういった意味合いを込められたものか、店主には当然読み取れる。
「何かややこしいことに巻き込まれてない?」
「つべこべ言ってねーでさっさと用意しろよ」
「はいはい。今から作ることになるよ。指輪が前を向いた状態で止まればいいんでしょ」
 店主はそう言って、指輪を持ったまま作業場に引っ込んだ。
 と思ったがまたすぐ出てきて、
「ギンちゃんがすんの?」
 出黒沢は舌打ちで答えた。
「リーダーさんね。お疲れ様」
 悪びれる様子もなく再び引っ込んだ。
 店主が作業している間暇を潰すつもりで、出黒沢は在庫を物色し始めた。今日は自分のものまで買う気になれないが、何か良い物があったら今度来たときに買おう。
 そう思ったがまだめぼしい物に出会わないうちに店主が戻ってきた。
「早っ」
 両手には指輪と、あっという間に完成させたネックレスがある。鎖は細く、丹羽にもきっと似合いそうだった。
 店主は指輪を金具に装着する手順を実演してみせた。
「上にあるツマミをひねると爪が開閉して、指輪を付け外しできるよ」
「ああ、これでいい。悪りいな」
「特注分のお代さえもらえればね」
 店主が見せてきた手の平には、少し手痛い出費となる値段が表示されていた。出黒沢は渋々手を重ねた。
「毎度」
 代金を受け取って店主はネックレスと指輪の箱を紙袋に収め、出黒沢に手渡した。
 扉を出ようとしたとき、店主が話しかけてきた。
「ねえ、もっと楽になりなよ」
 出黒沢は立ち止まった。
「見込み無いんでしょ?この町のみんなと適当に遊んでおけばいいのに」
 短いため息をついてから、
「余計な世話だぜ。俺は今が楽なんだ。……ありがとよ」
 それっきり、店主の顔は見ずに店を出た。

 この街で出黒沢がよく知っている店なら、どれも料理が美味く、集まってくるのは顔見知りばかりだ。最初からそのつもりでいたがやはり、飲酒と引き換えにチューブ(タワーを繋ぐ公共交通機関)で帰る決断を下すことになった。
 せっかくの最速のテレポーターを畳んで曳きながら、出黒沢は家路を歩く。
 酒には強いもののそろそろ睡眠不足の方が気になる時刻だった。車内で今日のログの見直しは済ませたが、明日も練習に励むためにはすぐ床に就かなくてはならない。
 家に着いて他に何もせず、飛行服を脱ぎベッドに横たわった。
 手にはまだ紙袋があった。指輪の付いたままのネックレスを取り出す。
 金具の開閉ツマミは目立たない割に操作しやすく、これなら丹羽に渡しても扱いに困らせることはないだろう。出黒沢の太い指でも楽に指輪が外せた。
 桜井は丹羽の指のサイズを間違えたりしていないはずだ。そういったことに関しては恐ろしく完璧なのだ。
 指輪だけを右手につまんで、自分の左薬指と重ねた。そうやって比べると丹羽の指は驚くほど細い。
 指の腹で指輪の内側に触れ、その無意味さに自分で呆れて、そこで止めた。
 もう一方をはめているのは彼女なのだ。丹羽ではない。
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