デニムスカイ第五十二話
「And You And I -Extra Stage-」
数日後。
寝坊がちになり始めた朝日は、冷えて澄んだ大気にようやくルビーの光線を投げかけていた。
順に反った四つの翼端にそれを受け取って、白いスパンデュールは燃え上がるように見えた。
見渡す限り何もかもが未だ寝静まっている。
推力を最大にすると、風防の先端で小さな渦が歌い出した。
目を凝らし耳を澄ませば、
地平線の上、
確かに彼がいる。
連射。
右反転、
ワタルの弾に道を譲る。
相変わらずの精度を発揮して届くそれを囁く声のように愛おしく思う。
同時に、早々に終わってしまわずに済んだことに安堵する。
自分の弾もこのくらいワタルに迫れているだろうか。そのようだ。
跳ね上がるとまた爪先をかすめてきた。
決して速度を緩めない。次の弾は少し離れた。
ワタルが退いていく。ごく緩い左旋回で視界に収める。
もう一度だけ撃ってきて止んだ。
左バンク、頭上げ。
ワタルは点対称に降下する。
互いを頭上に見たままネオンは円弧の頂上を過ぎ、ワタルは底を抜ける。
やがて二つの軌道はつながり合った。
二人は、飛行場全体を使って大きな円を作り上げた。
それは一周では終わらず、傾斜を変えて幾重にも折り重なっていく。
もしこの場面を誰かが目撃しても、一度に視野に収まるのは片方が高速旋回している様子だけだ。相手がいるとは気付かないかもしれない。
上瞼の縁にかすかに映るか映らないかのワタルに、ひきつけられ、すがりつく。
相手の動きの先が読める。それに相手も気付き、動きを読み返す。それをまた読む。
やり取りを繰り返すうちに、二人の思考は境目を失い一つに混じり合う。
高速のまま徐々に半径を減らして、遠心力はますます高まる。
ごく小さな機影が肉眼の中ではさらに薄らいでいくが、見失うことなどもう絶対にない。
大気の塊と速度により隔たったこの瞬間にこそ、二人は強く互いを確かめ合っていた。
円周は限界まで縮み、翼が小刻みに揺れた。
相手の残していった気流の乱れにくすぐられながらも、手を繋いで回るダンスは続く。
翼端から曳いた雲が集まり、うっすらとリングを形作る頃。
自然と、正確に回りすぎていたのだろうか。
偶然強まった乱流に捕まった。
二人同時に。
揺らいで直後、
外側に駆け出す。
まだ考えが一つになったままなのが背後に確認できて、声に出して笑った。
ターン、
向き合って、
短く連射。
ブザーが重なり合うのもまた自然なことだった。
ログには引き分けと記録されていた。
一対一でこんなことは滅多にあるものではなく、ネオンにも他に見た記憶がない。判定に困って仕方がなく、という風にも見える。
それを閉じると、はぐれた雲の切れ端が現れた。
まだ薄くレモン色に染まっている。
寄り添って寝そべる二人を風が撫で、草がさやさやと鳴る。
頭の下にあるワタルの腕から、収まりつつある動悸も聞こえる。
今回は二人の条件を全く同一に揃えたせいか、このような結果になった。始め方が違えばどうなるかは分からず、試せることはいくらでもある。次はどんな風にしてワタルの前に現れてやろうか。
思いを巡らせながらワタルの腕の上から顔を覗き込んだ。
口元を緩めて、遠く空を見ている。また同じことを思っていたようだ。
額をワタルの肩に寄せる。
ん、というごく短い問いかけには、含み笑いで答えた。
「空中でもこんな風にできたらいいのに」
「ああ、でもほら」
ワタルは真上に向き直りながら言った。
そうすると、三百六十度を覆い尽くす空しか見えない。背面飛行と同じ視界だ。
わずかばかりの雲も全て散り、中天にはただ一つだけ留まるものがあった。
すっぱりと分かれた半月。
明るい半円だけではなく、球の形全体が判別できた。欠けた部分も地球からの照り返しにより、うっすらと空の青から浮かび上がっているのだ。
明暗一対の半球は合わさったまま、決して離れることなく宇宙空間を飛び続ける。
それは全く地上の二人と重なって見えた。
白と黒。
真紅の瞳と濃紺の瞳。
「月追い烏」はもう満月を追う必要はなかった。月の両面は揃ったのだから。
ただ、いつまでも羽を休めていることはできないらしい。
「来たな」
「はい」
管制の知らせと同時に揃って立ち上がった。
南西に光点の大群が表示されている。
調布飛行場に迫る大編隊、その数三十八機。
アクイーラとスパンデュールがそれぞれ十三、影菟が十二、次世代機種を新調した者がワタルとネオンを倒すために集合した討伐部隊だった。
「いけるよな」
「もちろん」
管制上で揺れる様子からすでに統率の甘さが伺える。
とはいえ、狙撃で削りきれない分とは直接格闘することになるだろう。連携の怖さはないが数相応に楽しませてくれそうだ。
それぞれの機体を身に付け駆け出す。
空を分かち合う白と黒の翼は並んで進んでいく。
二人の約束は果たされ、なおも続く。