デニムスカイ第五十話
「邂逅 -Final Dungeon-」
 二機のスパンデュールとともに照らされたまま、二人は話し続けた。
「公開イベントをしようにも、ワタル君と古尾さんはもう先に試合しちゃったでしょう?今は空戦がすっかり盛り上がっちゃったから、曲技でお茶を濁しても仕方がないし」
「それで、スパンデュール同士で試合を」
「ええ。でもそれだけじゃまだ地味だから、この」
 ユカリは闇の中から細長い流線型の物を引っ張り出した。
 立てると腰までの長さがある。機体への取り付け面もあって模擬銃によく似ているが、両端には小さな穴が開いていた。
「特製の模擬銃を使うわ。発光スモークと花火が出るようになってるの。もちろん重さは普通のと一緒よ。機体にも夜光装備を追加するの」
「じゃあ試合は夜やるんですね」
「うん。展示会の後にね」
「アメジさんと、私が?」
 翼を平行に伸ばした二機は、白と菫色。
 明らかに、向かい合った二人の飛行服に合わせてあった。
 れっきとしたナドウモビリティのテストパイロットであるユカリと、ログマスターではあるもののライセンス上はアマチュアにすぎず、ナドウとも無関係のはずのネオンに。
「「見えない大会」の二位と三位が、最新のフリヴァーを使ってついに決着。絶対盛り上がると思わない?」
 ネオンが答えずにいると、ユカリの微笑が歪みだした。
「って、宣伝の方の人に推薦したらすぐ乗り気になってくれたわ。ネオンちゃんみたいな綺麗な子が出てくれたら、随分華やかなイベントになる、ってね」
「綺麗?」
 一年半ばかり前までは、母親や母親に会わされた人間から言われ慣れた言葉だった。
「ナドウは自分達の機体が一番綺麗だって意識してるのね。そのイメージに見合うことしかしないのよ。私とえとりちゃん以外、パイロットは雇ってないくらいよ」
 ユカリは次第に声色を重くしていき、ついには、肩を落としてうなだれてしまった。
「あの人達はきっとネオンちゃんの試合なんて見たことないわ。ログだけ見ても、ネオンちゃんがどんなに真剣かなんて読み取れてない。なんだか頑張ってる綺麗な子、なんて、軽く言ってくれたわ。あんな人たちに頼んじゃって……」
 それはかつてネオンが嫌悪し、なおかつ振り払えなかった視線と一致する。
「そんなの平気です」
 ネオンは言い切った。
「実際に見せれば良いじゃないですか。その、私が戦うところを、その人たちに」
「そう、そうよ」
 ユカリは顔を上げる。
「それじゃあ、改めてお願いするわ。あなたが私を超えた証拠を、世の中の人達に……、ワタル君に、見せてあげてくれるかしら」
「はい!」
 知らぬ間にネオンは両手を握り締めていた。

 一週間経った土曜、夕方遅く。
 両親は先にいずこかへと出かけ、家の中は静寂で満たされていた。
 ネオンは部屋で一つのログを見ている。
 それは外観上は、初心者の練習のような大人しすぎる内容に見えた。一方が他方を先に見つけて撃っただけ。
 ただし双方の距離は通常の試合の三倍ある。
 えとりに実験台になってもらって成功した、ネオンの狙撃の記録だ。
 闇夜に浮かぶユカリもきっと見つけてみせる。自信がほとんど完璧なのを確認し、ネオンは玄関を出た。
 テラスから真東を向くと、空はすでに深く青黒い。
 そちらにある都心部、山手圏内は今夜特別に高機動許可空域となった。
 丸く並ぶタワーのうちいくつかで展示会が開かれ、それを見た観客が今度は試合を待っている。
 そして反対側、上野にはユカリが。
 スパンデュールとともに踏み出していく感覚は、何の引っかかりもなく軽い。真っ直ぐ飛ぶならまるで存在感を感じないほどだ。
 装備を満載した模擬銃にも何も違和感はない。バランスも通常のものと同じだった。
 風防に追加されたフィルターも申し分なく働き、ネオンは昼間と変わらず地平線まで全て把握できる。ただこれは64ビーツがショーで使ったのと同じ、目が眩むほど強い光を抑えるだけのものだ。
 かたやユカリの風防は、花火やスモークの光を完全に抑える。そればかりか、ネオンの夜光装備や陸上の灯火等、有用な光は増幅してしまう。
 一見理不尽なハンデだが、本人達には必要と感じられた。
 つつじヶ丘、烏山、桜上水と辿るにつれて、タワーの姿が暗くほころんだものになる。反対に灯りと星々は鋭さを増していく。
 今夜は一機たりとも飛んでいない。
 土曜の夜なら普通だろうか、それとも皆自分達を見に地上に留まっているのだろうか。
 すでに昼から誰とも会わず、この広い東京の空にたった一人浮かんで、激突のときを迎えようとしている。
 機体はひたすら軽く体に馴染み、身を守る鎧とはならない。
 まだほんの少ししか飛んでいないのに、今までで一番遠くまで来たようだ。
 次第にタワーだけでなく地表の灯りも増えてきた。都心に近付いてきた証拠だ。
 特に大きな新宿のタワーが視界を埋めていく。この上で一旦休憩する段取りになっていた。
 丸く灯りに縁取られた屋上を見おろすと、発着場の脇にいくつか人影が見えた。立ち入りも離着陸も制限されたはずだが。
 さらに降りると、大半が畳んだ機体を持っているのが分かった。顔は暗くてよく見えない。
 着地したネオンにぞろぞろと近付いてくる。
 手を振って笑いかける先頭の顔に、ネオンは声を上げた。
「お父さん!?」
「ネオン!出迎えてあげるようにって呼ばれてたんだよ」
 さらに背後から母親がそっと顔を出す。一言も発さず、子供のような上目遣いでこちらを見た。
 手に何か白いものを持っていると思ったら、それを差し出してきた。
 そっと受け取ったそれは、羽と輪のついた天使の人形。
 髪も肌も白く、目は赤いビーズだ。両手にすっぽり収まるほど小さいのに、縫い合わせ方は以前もらったものより綺麗だった。
「お母さんが初めてネオンに似せて作ったんだよ」
 母親は小さく「お守りだから」とだけ言った。
「邪魔になるようだったら預かっておくけど」
「ううん」
 そうならないように考えて小さめに作ってくれたのだろう。ネオンは人形が曲がらないよう胸元のポケットにきっちりと収めた。
「ありがとう、頑張る」
 母親はこくりと頷く。
 その横から現れたのは、調布のパイロット達だった。
 もう一年以上も前、飛行場の利用をめぐって争った五人が揃っている。そのときも中心にいた清水が前に出て、裏で動いていた立花は後ろにいる。
「まあ気楽にやってる俺らが言うのも無責任なんだけどよ、同じ飛行場のアレで応援はしてるからよ」
 以前投げかけられた言葉が今では嘘のようだ。ネオンも素直に微笑みを返せる。
「ありがとうございます」
 と、五人の後ろから一人、割って入る者があった。見覚えのある丸顔は、横浜飛行場のパイロットだ。
 鬼塚の姿はない。
「カブラギさん、アロウはここには来てない。直接見にも来れないから、二人の試合の映像を待ってる」
「私の言ったことを、守って?」
「うん。僕達は、君とユカリさんと、どっちが勝ったほうがいいか分からない。でも、この試合がいいものになってほしいとみんな思ってるよ」
 それを聞いたネオンの中に、鬼塚に対してほんの少し許容する気持ちが生まれた。
「ベストを尽くすと、伝えてください」
「うん。きっと」
 今度は、控えめだがよく通る声で「失礼いたします」と聞こえ、一際小さな姿が現れた。
 凛として、しかし笑っていない、珍しい表情のえとりだった。すぐ後ろの小松田はいつもどおりだ。
「刈安さん、こっちにいて大丈夫なんですか?」
「はい。本日はいくつかの取材にお答え申し上げるのみでしたので、カブラギさんにお会いするようにとアメジさんから申し付けられました」
「俺ももっと真ん中のほうで見たかったぜ……なんか知んねえけど一緒に行けって言われてさ」
「私もどちらかおひとかただけに応援申し上げることはいたしかねます。ですが」
「頑張れ!……、たったこれだけだろうがよ」
 硬軟の差があまりにも激しい。それでもかえって息が合っているようにも思えて、笑いがこみ上げてくる。
「アメジさんみてえなとこで笑いやがって」
「そ、そんな」
 不平を漏らす小松田の一言がますます笑いを誘う。
 収まったところで、最後に残った、背筋をきっちり伸ばした五栗の古尾氏が前に出た。
「やあ、偵察に寄越されたついでに来ましたよ」
「古尾さん、遠くからありがとうございます」
「応援団がたくさん集まりましたね。両方応援してる人が多いですけど」
 そのとおり、空を通じて今までぶつかって協力してもらってきた人々が今これだけ集まっている。
「絶対、最高の試合にします!」
 そう見栄を切り、皆の拍手を浴びながらも、完璧にそうするために必要な一人がここに欠けていた。
 来られないなら仕方がない、もう予定の時刻になっている。終わってから胸を張って会えるような内容にしよう。
 そう整理して機体に手をかけた瞬間。
 階下からのリフトが着く音がした。
「ヒーローは遅れて現れるものさ!」
「言ってる場合か!危うく間に合わないとこだったぞ!」
 聞き慣れた声、見慣れた黒ずくめと深緑ずくめ二つの姿。
 ワタルが日下氏に抗議を聞き流されている。
 その間に一気に駆け寄る。
 振り返る胸元に飛び込み、
 背中に腕をまわして、
 強くしがみつく。
 黒い飛行服に顔をうずめ、今度は自然に、もう一度こう呼べる。
「ワタル」
 頭と肩が大きな手に包み込まれる感触があった。
 こみ上げてくる喜びに続いて、こうしていてはいけないと思い直す。
 顔を上げ駆け出し、振り返って叫んだ。
「行ってきます!」
「ああ!」
 タワーに丸く囲まれた、光の溢れるコロシアムへ。
 再びスパンデュールを身に着け、一人でだが一人でではなく飛び込む。
 発光スモークが自動的に働き、模擬銃の尾端から淡いオレンジに輝く帯が現れた。
 主翼やカナードも同じ色の燐光を放つ。その端々にライムグリーンやミントブルーの帯が揺らめく。
 飛び立ったばかりのユカリの機体はすぐに捕捉できた。
 どんなに遠くて他の光に紛れていても、もうフリヴァーの動作を見間違えるはずがない。
 深呼吸一つ、それで完全に定位。
 ユカリのスモークの続きが見える。
 そこに弾道を繋ぎ合わせていくイメージ。
 すぐ終わらせてはせっかくの装備がもったいない。
 左横転、六連射。
 仮想弾と重なって指ほどの物が飛び出した。
 ごく小さな花火のミサイル。
 七色の星をばらまきながら、六発は編隊を組んで駆け抜ける。
 楽しい夜になりそうだ。
 弾はユカリの元にたどり着き、
 ユカリは六角形の中心をくぐる。
 通り過ぎざまに花火が弾け、ユカリの背後に特大の一等星が現れた。
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