デニムスカイ第四十八話
「Thatness and Thereness -Invincible-」
 さらに半年以上。つまり、鬼塚が免許を取得できる年齢に達し、早速そのようにして間もない初夏。
 渾身のバレルロール、
 オリーブ色の背中に食らいつく。
 ユカリが四度目に放った仮想弾が、ようやく鬼塚に命中した。
 初めてだからと手加減をしてあげるつもりで放った技はことごとく見抜かれ、その度に、地上から温かく見届けていた視線も真剣なものに変わっていった。
 着地したユカリは目と口を丸く開き、大きく息をついて鬼塚を見た。迎える鬼塚は初めての愛機、当時はオリーブ色だったセンチネルDを携えている。
 口を押さえくすくすと笑う様子はいつもと変わらず、先程まで散々手こずっていた相手とは信じられない。
「ちょっ、どういうこと!?」
「教習のシミュレーターってさ、けっこう自由に使わせてもらえるんだよ」
「それだけじゃないだろ」
 ワタルは手の上に今検索したログの一覧を表示させながら、姉弟に近付いた。
 どのログも全て、編集者の欄で鬼塚の名前が光っている。総数は、三百二。
「えっ、いつの間に」
 ユカリの驚く声には賞賛というより呆れの色が多く混ざっていた。鬼塚は勝ち誇るような笑顔を満面に湛えている。
「すっげー、ワタルみたい」
 後から来た誰かが言い、他のパイロットも続く。
「前から二人の技見てる上にこれかあ」
「俺負けちゃうかも」
「教えてくれんのが三人になるじゃん」
 笑い声が響き、パイロット達は改めて鬼塚に向き直る。
「免許取得、おめでとう!」

 同日の夜。
 相変わらずログの編集に打ち込むワタルの手許には、昼と同じリストが表示されていた。
 ワタルの視線に合わせてリストは少しずつスクロールしていく。
 不意に、重く柔らかなものが背中にのしかかった。
 ユカリが触れ合ってくることにももう慣れてしまっていた。
「あの子、ずっと頑張ってたのね」
 ユカリはリストを差す。
「ああ、でもな」
 ワタルは指を小さく振ってリストを操作した。
 先程も自分が気にかかっていることを誰も指摘しないのが、ワタルにはもどかしかった。
 選手名の欄が、ほとんど全て赤青二色に分かれる。
「あら」
 赤はワタル、青はユカリである。
「でも、これって当然じゃない?私達の試合なら実際に見てもいるんだし」
「そうなんだけど、あんまり偏るのはと思ってな」
「ワタル君は、誰のでも全部見てるもんね」
「ああ、だから……、比較にならない」
 もし鬼塚が自分のように満遍なくどのログでも見るなら、自分の場合と比べられるのにと思ったのだ。
 そうでないと目の色に対する疑いが晴らせず、ワタルは鬼塚の言うとおり「特別」なままでしかいられない。
「関係ない話していい?」
「ん?」
「ワタル君、ちゃんと人の顔見て話せるようになったよね」
 丸っきり関係ないというわけでもなかった。
「見た目は前ほど気にならなくなってきた。どうせよっぽどよく見ないと分からないし」
「見た目は、ね」
「ああ」
 外見が問題にならなくても本質的には特異なのかもしれない。
 それが能力に表れているのだとしたら、依然ワタルにとって孤立を深める呪わしいものに変わりない。

 その辺りからの三人の様子は残されたログからはっきり読み取ることができる。ユカリが当時のログを公開したことで、欠けていた部分も全て埋まった。
 鬼塚が初めてユカリに勝利するまで、それから一ヶ月しかかからなかった。しかしそれもワタルの牽引によるもので、ワタルに対しては全く歯が立たないままだった。
 ワタルの練習相手は午前のユカリ、午後の鬼塚の二人となり、ますます先読みと操縦の腕に磨きがかかっていった。
 鬼塚も少しずつユカリに対する勝率を高め、一年もせずにすっかり逆転していた。にも関わらずワタルに対しては勝ち目の気配も現れない。
 三人だけでないログに目を向けると、ワタルは挑戦者や他のパイロットとの試合を次第に減らし、鬼塚に任せるようになっていった。
 ユカリは試合の回数そのものを抑え、代わりに曲技のログが多くなった。大会に出ればさぞやと思われたが、横浜の大会は地元の出黒沢がチームを結成したのに合わせてチーム競技となり、ユカリは参加できなくなってしまった。

 冬の深まったある日。
 ユカリの右後方についたワタルはその位置から動かず、距離と角度をぴったりと保っていた。
 二機とも左反転、一切ずれはない。
 そのままループ、同じ円が二つできる。
 一糸乱れぬ編隊飛行の全てをワタルが把握していた。
 左右に蛇行しようと、九十度ずつ横転して止めようと、動作を完全に一致させられる。加減しようにも視力や聴力のようなもので、自力で抑えることも動きにノイズを加えることもできない。
 もはや個別で練習しているのとほとんど同じではないか。疑問に思いつつ、他に練習する方法もあまりないので続ける他なかった。
 回転する視界の端に他の機体が映り、去っていく。
 タワーから出た鬼塚だった。
「相手してあげて」
 ユカリに言われるまでもなく、ワタルが姿勢を戻した途端双方の準備が整ったと見なされ試合に入った。
 鬼塚の去った方角には大きな綿雲が一つだけある。そこに隠れているのだろうが位置を確定するのにもう少しヒントが欲しい。
 出力最大、雲の右側に向けて回り込む。
 雲の周りを大きく旋回していく。
 鬼塚の姿は現れない。
 しかしそれで、どの辺りにいるか見当が付いた。
 さらに目に入ったものは、ほんのわずかな雲の切れ端。
 鬼塚の翼端から発生したものだ。
 予測の中の軌跡が完全に確定。これでもう見えたも同然だ。
 ダイブ。
 雲の中へ。
 抜けた先に鬼塚、
 すぐに反転してくる。
 合わせて右横転、上昇。
 やはりワタルがどう攻め込むか分かっていても、完全に読み切ることはできないらしい。
 鬼塚は反転、ワタルもロールを止めない。
 落下する鬼塚に食らいつく。
 右に跳ねる鬼塚、
 そこに弾が刺さった。

「空戦中に雲を曳くのはまずいぞ、こういう雲の近くでは気をつけろよ」
 ブザーが鳴り終わってすぐ、ワタルは指摘してみた。
「えっ、そんなの出てた!?っていうか気をつけようがないよ!」
「頭をほんの少し下げるだけでいい」
「ワタルしか気づかないよ……」
 鬼塚は苦笑する。が、その声音の中にもワタルを特別と持ち上げる色合いを感じてしまう。

 練習相手が増えても楽しみが増えたとは決して言えなかった。
 帰ってもワタルは一言も話さず、ログを見たまま夕飯を片付けていた。
 食べ終えてそのまま作業を続けようとすると、ユカリが無言で立体画像を差し出してきた。何かのニュースらしい。
 一瞥すると、テストパイロット試験の日付を伝えるものだった。
「受けるのか」
「ワタル君もね」
 顔を上げると、ユカリの微笑が何か寂しい。
「手続きはほとんど終わってるわ。あとはここを承認するだけ」
 ユカリがそう言うと、文書と手形の画像が表示された。
「どうする?」
 ワタルは一呼吸置き、それから、手を画像に重ねた。
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