デニムスカイ第四十二話
「Close To The Edge(iv)Seasons Of A Man -Result-」
 高速を保ったネオンの真正面から藤色のタランテラが向かってくる。
 互いの距離が減り続け、射程に到達。
 一秒連射、右ターン。
 ブザーは鳴らない。
 かなり際どかったとネオンは確信する。
 丹羽は右後方に回り込んでいる。
 やはり旋回が素早い。
 頭を向けてくる。
 ネオンには、その先に続く丹羽の道筋が見えていた。
 途中から弾道が出ている。
 それをほんの少し落ちてくぐる。
 敵弾は空けた道を素直に通った。
 今度は左から。わずかに跳ねて回避。
 また右から。右にずれて見送る。
 ほんの少し逸れるだけで、弾は読みどおりに抜けていく。
 蛇行する丹羽を引き離し、次第に弾の来る間隔が開いていった。
 もう仕掛ける余裕がある。
 深く左横転、
 スライスターン。
 雲の群れの中に潜る。
 視界が断続的に白く飛び、丹羽の影も切れぎれになる。ネオンが丹羽の死角を辿るにはそれでも充分だった。
 雲の分布も立体映像を読む以上に掴めている。見付からないように飛び石を選び、回り込んでいく。
 丹羽は見えるたびに高度を増していく。危険な雲から離れ視野を確保するつもりだ。
 八個目の雲に飛び込む。
 同時に考える。この次の足場はもうない。ここを出たら必ず来る。
 ならば、どう返すか。ネオンはすぐに決定した。
 目の前の白が薄まり、一気に晴れ上がる。
 わずかに直進。
 丹羽が左から落ちる。
 ネオンは左ターン、
 タランテラの回転より遅い。
 背後に廻られる。
 そのように、ネオンは見せていた。
 丹羽が撃つ瞬間、
 右に捻り上げる。
 弾が下に抜け、
 動けない丹羽が続く。
 ネオンの前にせり出る。
 頭下げ、射撃とともに加速。
 ブザーを後にして、ネオンはユカリと鬼塚のいる方角に急いだ。

 同時に、ユカリの視界から鬼塚が消えた。
 撃った弾が虚空を過ぎる。
 遅れずにダイブ。雲の間に隠れる。
 危険は去っていない。籠のように取り巻く隙間を目でなぞる。このうちのどこかから来るはずだ。
 赤い点は、右後下方。
 ズームしてくる。
 右上の塊に飛び込む。
 ターン、降下。鬼塚は後ろに去る。
 ユカリは推測する。丹羽が撃たれた途端本気を出してきたのは、丹羽とネオンの決着が着いてからどうするか決めるつもりだったためだろう。
 丹羽が勝ったら二人でいたぶる気でユカリを生かしていたのが、これで数の上では劣勢になって全力を出さざるを得なくなったらしい。
 後上方からダイブ。
 左に跳ねて回避、
 再び雲の中へ。
 実力どおりに考えれば、もし二人とも相手にしても鬼塚は切り抜けるだろう。
 ユカリを放っておいて慌ててネオンに手を出そうとすればユカリもただでは済まさないが、今のように個別に叩かれるのは明らかに不利だ。
 その上鬼塚が高速で逃げ続けていたため、ネオンの助けが来るにはかなりかかる。
 しかしこれは、ネオンの異状を考慮しない話だ。
 双方それに気が付いている。
 鬼塚はただうっすらとした不安として、ユカリは完全な確信として。
 次の雲に移る。
 元いた方が弾にまみれる。
 また次へ。
 抜けきらないうちに弾が雲の中心を貫く。
 雲を挟んだ攻防は際どく、薄氷を小走りで渡るような判断を要求してくる。
 上下から降りしきる弾が頬を掠めんばかりだ。
 だが、今どれほど有利でも鬼塚の当初の目論見は大失敗したと言わざるを得ない。
 ネオンは動揺するどころかかなりの快進撃を見せ、もしそれを鬼塚が止められたところで順位どおりの結果に過ぎない。そう思うことがユカリの冷静を保った。
 後方ごく小さく、白い影。
 一瞬操作を止める。
 鬼塚は逃さない。
 長めに連射。
 ブザーを聞きながら、しかしユカリは口角を上げていた。
 これでいい。今こちらには、彼がいるも同然なのだから。

 ネオンには、ユカリを攻める鬼塚の動きが全て分かっていた。
 手に取るように分かるどころではない。自分が鬼塚と同じ動きをするつもりでいるかのようだ。
 今や、空全体がネオンの頭の中にあった。
 少し手を伸ばせば鬼塚をつかめるように感じる。
 実際は弾が当たるはずがないと思われるほどの隔たりがあることも、もちろん分かっている。
 もっと遠く、見えるかどうかの距離から近付くものがある。テレポーターでさえ模擬銃を着けていたら出せない速度だ。
 事実その機体はとても軽く、模擬銃がないことが察せられた。
 彼は今日、関東を遠く離れていた。事が起こる前に助けに来ることはできなかったのだ。
 鬼塚は、あまりにもうってつけの日を狙って来た。
 そのことに気付いても怒りが荒波を立てることはなかった。ただ静かに、その水位を上げるだけだ。
 こちらの方こそ、今なら鬼塚に最もふさわしい一撃をくれてやることができる。
 三度半頭上げ。
 五度右転回。
 空は美しい。これを自分のものにしたいと、ワタルと出会ったあの日から願ってきた。
 異物が紛れ込んだら取り払わなければならない。
 一秒連射。
 鬼塚がこちらを視認、
 右急横転。
 向いた先には、
 ネオンの撃った弾。

 二つの軌道は、ネオンから本来射程とされる距離の倍以上離れた点で交わった。

 ブザーが鳴り止んでも、鬼塚が速度を落とさず旋回し続けるのが見えた。
 赤いレイヴンはそれから、睡魔にでも襲われたかのように一度スピンし、弱々しく降下していく。
 もしやここに、この所沢に、鬼塚が降りるつもりなのか。
 そう思うといっそ実弾を撃ち込みたくなる。
 さらに管制からか細くつぶやく声が伝わる。
「まさか、そんな……、だって、それは、ワタルの……、ワタルしか……」
 それが、ネオンの口に閉ざされていた堰を切った。
「あなたの口からヒムカイさんの名前を聞きたくありません」
 試合直前と同じ、自分でも驚くほど静かな声。
 背後に浮かぶ太陽が雲に影を投げる。大きな水鳥によく似たシルフィードのシルエットを、虹の輪が彩っていた。
 ただ、その中心には目障りな赤が混ざっている。
 ずっと深い真紅の瞳で、ネオンはそれを睨みすえる。
「前に言いましたよね、「相手が誰でも試合は楽しめ」って。そう言ったあなた自身が、ヒムカイさんのことを使ってそれを壊してしまうなら」
 鬼塚の降下は止まった。
「もう二度と、多摩川から北に上がってこないでください」

 鬼塚は機首を上げて加速、その進路を南東に向けて去っていった。
 すでに新型機の形態がよく見えるほど近付いたワタルに、気付きもしなかった。

 ネオンが着地すると、ワタルもすぐそれに続いた。
 畳まれていく新型機に垂直尾翼はなく、それが試験飛行中の姿に抱いた違和感の元だと分かった。
 左後方から感じた視線に頭だけで振り向くと、首のフードに髪を納めたままのユカリと目が合った。瞼は沈んで、瞳に長い睫毛がかかる。
 ネオンはそちらに小さく微笑みを返した。
 ユカリの目が丸く開かれる。
 駆け寄ってきたワタルは正面に立ったが、そのまま俯いて、口を開かない。
 ネオンはそれを、ただ不満に思う。
「もうっ、見てなかったんですか?私があの人に勝つところ」
「あっ、いや、見てた!それはもちろん見てたよ!お前、いつの間にあんな」
 早口で答えながらも、その頬は緩んでいった。
 ネオンも尖らせていた唇をほころばせる。
「絶対、ヒムカイさんみたいに勝たないといけなかったですから」
 ワタルは黙って頭を掻いた。
 背後から草を踏む足音がする。ユカリと小松田が近付いてきていた。
「ネオンちゃん、隠しててごめんなさい。あいつの言ったことは本当なの。私とワタル君は」
 ネオンは手の平を見せて、その言葉を制止した。
「それは今度ゆっくり聞きます。平気ですよ、私」
 再度ワタルに向き直る。
「前に言いかけたこと、今言っちゃいます。私の方の約束は半分守れましたから」
 一旦深く息を吸う。
 今度は顔を見て最後まで言える。強がりでも気遣いでもない、正直な言葉として。
「ヒムカイさんが本当はどんなだったとしても、私はヒムカイさんのことが好きです。今まで誰と何があっても、その結果で私は今のヒムカイさんに出会えたんですから」
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