デニムスカイ第三十七話
「One Time -Confusion-」
 管制に映る二機のうち片方、出黒沢銀の機体は曲技用のタランテラDではなく、テレポーターだった。
「あれっ、練習中じゃなかったの?」
 初対面の二人に向かって好意的に見れば気楽に、邪推すれば見下しているように鬼塚がたずねる。
「なっ、てめえ、分かってて言ってんだろ!」
「まあまあ、ギン」
 声を荒げる相棒をチームリーダーである丹羽青児がなだめる。しかしその声音も気だるそうな色合いをしていた。
「こちらも今はショーの依頼より挑戦者の方が何倍も多くてね。そっちの対応に追われているのさ」
「ふうん……」
 そんな状況は、鬼塚ももちろん知った上での訪問だ。
 ネオンとワタルにより揃って無残な敗北を喫し、激昂して暴挙に出たファン数名が免許停止処分を受けて九ヶ月。曲技チーム「64ビーツ」はその人気に露骨な影を射していた。
 さらに「見えない大会」が始まったとき、南関東一円の中堅以下のパイロットは真っ先に彼らに狙いをつけた。初めのうちは露見した弱点を繰り返し突かれることも度々あったが、二人ともそれを食い止められないほど甘い選手ではない。
 そんな成長の様子がログにはっきり残っているのを鬼塚はあらかじめ見ていた。
「最近は静かになった方なんじゃない?順位のルールが分かって以来は僕のところに来るのが増えちゃってさ。大変だよ」
「ああ、そうだろうね」
 煩わしさが強まり、少し苛立ちに変わった。
「で、どっちとやるのかい?自分で言うのもなんだけど、実力なら僕が」
「えっ、一緒に相手してくれるんじゃないの?」
 再び、あくまで無邪気そうに。
 丹羽が言葉を詰まらせたのを確認してから、
「君達くらいなら二人まとめて丁度いいと思ってたんだけどな」
「ッ!」
「その……過ぎた言葉っ、後悔するといい!」
 出黒沢が左転回するのを最後に映し、管制は二人の光点を消した。
 鬼塚が望んだとおりに一対二の試合が開始。
 頭下げ、一気に突っ込む。
 とりあえず出黒沢は気にしなくていい。
 風防の先端が高らかに風を切る。
 ゆっくり横転して確認、
 発見。
 太陽の中。
 ダイブは回避された。
 そのくらいしてきて当然。
 ゆらりと落ちてきた。
 背面で引き起こす。
 滑らかな逆ループ、
 揺れを加える。
 レイヴンの大出力が支えてくれる。
 読み遅れた丹羽をかわし、
 自分が頭を抑えた。
 左に跳ねる。
 一拍遅れて相手も。
 バレルロール、終点だけ噛み合う。
 間を置かず右へ、
 丹羽も続く。
 流石に横の機動は素早く、撃つ暇がない。
 読み違えたら一発で逆転だろう。
 しかしまだ圧倒的に優位。
 丹羽に限れば、だが。
 これで丹羽が撃たれた瞬間に出黒沢が襲いかかるとしたら、あまりに見え透いている。
 それに片方をおとりにしても一勝一敗で相打ち、二人にとっては意味がない。
 ならば来るのは、
 今。
 ダイブ。
 弾がかすめる。
 フルアップ、
 連射。
 正面に出黒沢。
 すぐに反転降下。
 ブザーが聞こえる。
 丹羽は出遅れていた。
 そのままループ、
 背後に迫り、
 再び連射。
 二度目のブザーを聞いた。

「ふうっ、やっぱり二人とも良いね!苦手も克服したみたいだし、あの頃のカブラギさんじゃ勝てないかな?」
 鬼塚は今度は心の底から爽快感を表した。ただし、わざわざネオンと比べることは忘れずに。
「くそっ、さっきから何が言いてえんだ!」
「ギン、落ち着いて。僕も同感だけどね」
 負けてますます荒ぶる出黒沢に対して、丹羽の声はすでに落ち着いていた。
「ランキング二位を保っておきながら今さらうちに来て、ただ僕らをからかって帰るだけとは思えないからね」
「一応味見……じゃなくて、実力は自分で確かめておきたかったんだ。それ次第で話そうかなって」
「なるほど。それで、鬼塚君が持ち込んできそうな話といえば」
 察しが良くて助かる。鬼塚は小さく息をついた。
「ヒムカイ・ワタルのことかな?」
「あ、惜しいっ。半分正解」
「おや、それなら」
「カブラギだな」
 出黒沢が挟んだ声は低く、自分を撃ち落とした相手への深く静かな怨恨がにじんでいた。
 やはり、誘いに来た甲斐があった。その収穫に鬼塚は改めて感謝した。
「立ち話、とは言わないな、」
「飛び話?」
「だね。も、何だから、下で話そう。招待するよ」

 招待するとは言われたものの、スタジアム前の芝生に見えるのはたった一人だった。やはり立川は黄昏時を迎えているのか。
 とはいってもその一人の呆れるほど熱心なことが、降下するにつれ鬼塚にもよく見て取れた。藤色の飛行服に青い蜘蛛の巣模様、長い髪を全て後ろで束ねるスタイルは上から下まで丹羽と同じだ。
「お疲れ様です!」
 女性は勢いよく頭を下げ声の張った挨拶をした。ただし、後から着地した二人に。
 鬼塚には顔を上げてから、睨みつけながらわずかに会釈。鬼塚はもう少し丁寧な会釈を返した。
「ありがとう。これから彼と話があるから」
 丹羽がそう言うと女性は再び頭を下げ、小走りに駆けていった。その先にはスタジアム席の下にカフェがある。
「さあ鬼塚君、こっちなら邪魔は入らないよ」
 振り返ると丹羽もスタジアム下の扉の前に立っていた。その上には、「選手控室」とある。
 踏み込むと、中は意外なほど広い。
 いや、中に入ったのではなく別の空間に出たと感じた。
 壁は全く完璧に一様な乳白色で、天井との継ぎ目はない。同じような床との角がうっすらと見えて辛うじて距離感がつかめた。中央に分子プリンター付きの円卓と、それを丸く囲むソファーがある。
「そっか、モニタールームなんだ。流石だね」
「ちょっと大袈裟だけどね」
 曲技などの立体映像を完全に実物どおりの立体感で投影できる構造なのだ。
「手っ取り早く済まそうぜ」
 出黒沢は乱暴に腰を下ろした。鬼塚と丹羽も続き、三人が車座になる。
「俺らはカブラギが目立ってんのがうっとおしい、お前はカブラギが追い上げてくんのが気にかかる。要はそういうことだろ」
「でも単純に考えたら鬼塚君一人でも楽に彼女を負かしてしまえるよね。僕らが彼女に勝てばより都合がいいということだね?」
「うん、僕が倒しても当たり前すぎて順位に影響ないしね。一度負かされた出黒沢さんが勝つのが理想的なんだけど」
 鬼塚がそう言うと出黒沢が頭を上げた。
「んな方法あんのか?」
「意外と殊勝だね」
「まあ……、これだからよ」
 出黒沢が指差すと円卓の上に順位のツリーが表示され、星が二つ光ってその差を強調した。
「いや、僕だって今回危なかったよ。君達がいつもどおりの力を発揮できて、息もぴったり合ってたらね」
「ってことはてめえ、勝ちたくてわざと」
 出黒沢が腰を浮かせたが、丹羽が手を上げるとすぐに戻った。
「あるんだね、彼女を大きく動揺させるネタが」
 鬼塚は深くうなずく。
「詳しく聞かせてくれるかい?」
 再び首肯。
 息を深く吸い込み、それから話し始めた。
「カブラギさんは知らないことなんだけどね、」

 そう切り出したのは、まだワタルが横浜に住んでいた頃のこと。
 もし挨拶する程度の軽い知り合いになら、そんな過去のことは決して話さないだろう。面識がほとんどないせいか、かえってすんなり口に出せる。
 ネオンの登場しないその物語は、やがて丹羽に、現在のネオンの立場に対して違和感を抱かせるものになっていった。

「――だからもし、カブラギさんに聞かせたらさ」
「そんな大したことかあ?」
「君なら何を秘密にされても何ともないだろうけどね、ギン」
 丹羽は苦笑いするが出黒沢は一瞬固まった。
「彼女はそんな大雑把ではないだろう、まだ十代の女の子なんだし」
「あ、そうだな」
 余裕ある表情に戻る。丹羽に対してはとても従順だ。鬼塚にとってはワタルがそばにいた頃が懐かしくなる光景だった。
「しかし周りは彼女のことを思ってそれを秘密にしてるんじゃないのかな。流石に空戦以外のところをそこまで攻めるのはどうなんだろう」
「逆だよ」
 そう言いながらも口元が歪むのを鬼塚は抑えられなかった。
「教えてあげた方がいいんだ。カブラギさんのためにもね。でも大きな試合に負けたばっかりだから、少し立ち直ってからね」
「ふふっ、なかなかえげつないね」
 丹羽の頬にも笑みが浮かぶ。
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