デニムスカイ第三十三話
「LA FORME -Secret Weapon-」
 後方右上に菫色の影。
 もうそこまで迫っている。
 ネオンは右にひねり、
 バレルロール、
 やりすごせない。
 からみついてくる。
 みるみる真後ろに潜り込まれ、
 ブザー。
 この木曜三度の組み手を繰り返しても、ネオンはユカリに敵わなかった。
 古尾氏の出向している五栗工業も開発の予定が立て込んでいる上所在地が離れていて、試合の日取りがなかなか決まらない。
 それまで、ユカリはログのノルマも挑戦者もほぼない木曜日に休みをずらしていた。
 休憩に降りる二人に来訪者の知らせが届く。すぐに小松田のレイヴンが飛び立った。えとりが出ないことで相手の順位も想像がつく。
「アメジっていう人は、やっぱり仕事かね」
「ああ、今忙しい時期だ。もし俺に勝てたらまた出直すこった」
 管制の会話はユカリにも聞けたはずだが、一切口を出さない。ネオンもそれに倣った。
 博物館の前に着地。大分蒸し暑い。
 ホールに入ると、えとりが彼女の働く店でもないのに丁寧に出迎えてくれた。
「大変お疲れ様です」
 飛行服のまま頭を下げる姿が、かえってどこか可笑しみを誘う。
 店と比べれば肩や笑顔に力がないがそのたたずまいは確かに一流の店員で、簡易レストランには場違い極まる。グラスの載った盆までわざわざ手にしているからなおさらだ。
 ネオンは噛み殺したがユカリは遠慮なく吹き出した。
「こっちでまでウェイトレスしなくてもいいじゃないの」
「お二方がお疲れになって戻って来られると思うと、つい……」
「まあいいわ、ありがと」
「ありがとうございます」
 二人は席に着き、すぐに三つの試合のログをテーブルに並べた。
 テレポーターを思わせる不意討ち、レイヴンさながらの力強いダイブ、先程のロールも駒鳥並だ。
 シルフィードがユカリに最もよく馴染んでいるのは当然だが、極端な動きに対するためらいが全くなかった。
「同じ機種じゃないみたいでした」
「まあね、思い切って動かさないとね」
 ユカリは不敵な笑みを浮かべる。
「でも今度作ってるのはこんなもんじゃないわよ。なにしろ、っ」
 言いかけたところで口を押さえた。
「ふふふ、危ない危ない。日下さんに密告されたら大変」
「そんなことしませんよー」
「分かってる分かってる。でも日下さんだったらおんなじことができちゃうかもね」

 ざっと振り返ってグラスの中身も半分になった頃。
 ユカリはログと入れ代わりに、検索結果一覧を表示させた。
「古尾さんのことはもう調べた?」
「いえ。それですか?」
「うん」
 覗き込んで上の基本データから見ようとして、ネオンは使用機種欄にあった文字に目を疑った。
 <未登録改造機>。
 こんなものは初めて見る。
「これ、って、もしかして五栗の」
「別にテストパイロットだからって試験機で試合させてもらえるわけじゃないわよ。似たようなものでしょうけど」
 ユカリは一覧を指差す。
「まあ見てみましょう」
 ネオンは少し考え、古尾氏が負けた方の試合を開いた。
 撃墜直前の映像を見れば古尾氏の機体の姿を把握することができる。
 ごく短い間映った暗緑色のシルエットが、独特な印象を呼び覚ました。カナードと主翼の代わりに同じ大きさの翼が前後に並ぶ、エの字の輪郭。
「駒鳥?」
「ベースはそうね」
 胴体が太く見える。それは両肩に増設された装備のためだと分かった。
 頭ほどの太さがある円筒が一対備わり、模擬銃はその間で窮屈そうにしている。後端は大きく口を開いており、その装備が中身のない筒だということがうかがえた。
「何でしょう、これ」
「性能からすると推進力を補助するみたい」
「じゃあ、その性能を見てみます」
 ネオンはもう一つログを開いた。今度は古尾氏が勝った試合のもの。
 古尾氏の赤い軌跡は振幅に富んだ激しい機動を見せる。
 原形の駒鳥に一見似た動きだが、ネオンは違いに気付いた。
 縦の動きを多用している。速度と降下率が大きい。
 それぞれ試合中の最大値を出す。駒鳥を数段上回り、シルフィードに迫っていた。
 それでも古尾氏は相手のレイヴンに振り切られそうになり、単純な小回りを仕掛けても離されつつあった。旋回性能は落ちている。
 しかし相手が左旋回に入った直後。
 改造機は大きくひねり上がった。
 頂点で向きを変える。
 不自然なまでに強引な動き。
 ぴたりと止まって撃った弾が、相手の背中に吸い込まれた。
「早めに見ておいてよかったでしょ」
 ネオンはログから目を離せず、ただうなずくだけだった。

 まだ明るいうちに調布に戻ることができた。
 飛行場に近付くと、機影が一つ地平線から浮き出す。思ったとおりワタルは試験飛行の最中だった。
 試験機の青緑色が次第に見えてくる。引き起こしてループに入った。
 首をどんどん反らし、その身をのけぞらせる。
 以前見たレイヴンのループよりずっと半径が小さい。
 かすかに輪郭が見分けられるところまで来て、ネオンはその姿に何か違和感を覚えた。
 明らかに他のフリヴァーと違う。
 テレポーターのように主翼がとても細いとか、タランテラのようにカナードが長いとか、そういった次元ではない。シルフィードの分かれた翼端や駒鳥のタンデム翼に匹敵する異質さがある。
 ネオンにはそう感じ取れたが、具体的に確認できるほど近寄るのは邪魔になりそうで気が引けた。正体は公表までお預けだろうか。
 進路を反らしてカフェに向かうネオンをよそに試験機はますます小さな円を描いた。

 少しだけ仕事を進めていたネオンに、軒下のワタルが笑みを向けた。
 なんとなく困ったような目つきに見える。
「お疲れ様です」
 ネオンは立ち上がり、ワタルの差し出した手の平に自分の手を重ねた。短い信号音。すぐにワタルは、渡されたばかりの練習のログを開いた。
 軽く目を通しながら、ワタルがぽつりと発する。
「あいつ、何か言ってなかったか?」
「えっ?」
 あいつとは、もちろんユカリしかいない。しかし何について「何か」なのだろう。
 ネオンには心当たりが一つしかない。
「もしかして、シルフィードの次ののことですか?駄目ですよ、そんなスパイみたいなのは」
 つい、批難がましくそう返してしまった。
 ワタルは一瞬目を丸くし、すぐに平静な顔を戻す。
「まあ、何もないならいいよ」
「教えてもらえないですし」
「そうか、そうだよな」
 小刻みにうなずきながら、ワタルはテーブルの上のログをなぞる。
 もし本当にナドウモビリティの開発状況について聞き出そうとしたのだったら、ワタルにも意外と意地汚いところがあるものだ。それとも日下氏に頼まれたのかもしれない。
 ユカリが警戒して言うのを止めたことといい、開発となると皆このように貪欲になるのか。
 代わりに古尾氏の機体のことなら話しても問題ないだろう。ユカリも試験機ではないと言っていたし、公開されたログから分かることだけだ。
「ヒムカイさん、古尾さんって知ってますか?」
「ん?ああ、五栗の。あの人がどうした?」
「今度試合するんです、予定が合ったら」
「ああ、なら気をつけないとな。あの改造機、急に変な動きするから」
 ワタルはログを見たまま平然と答える。土産話にもならなかったようだ。
「ホントに上手くなったな」
 ふと、ワタルがネオンに向き直る。
「ネオンお前、ちょっと疲れてないか?」
 ネオンには自覚はない。小さく首をかしげた直後。
 不意に、かがんだワタルの顔が近付いた。
「目がとろんとしてる。あんまり無理するなよ」
「はっ、はい」
 軒下で見せた憂いが再びワタルの眉間に浮かび、ネオンの胸を揺さぶった。本当は群青色をしている瞳が薄暗い店内でも分かるくらい、真っ直ぐ見つめられている。
「ん。今日はもう帰るか」
 ワタルは上体を起こして店の外に振り返る。
 一緒にいる時間が減ったせいもあって、それでもしばらく動悸がおさまらなかった。

 そうして週日が過ぎ、ワタルとの試合を楽しんだ後の土曜の昼。
 またうたた寝をしていたことに、ワタルに肩を揺さぶられて気が付いた。
「試合したいって奴が来てるよ」
「へ?ああ、行ってらっしゃい」
 ぼやけたまま答えると苦笑いが返った。ネオンは勘違いに気付き、恥じらいで頭がはっきりした。
「お前の相手だよ」
 左手を耳に当てると管制とつながった。
「ログマスターのカブラギって人?」
「私ですけど、あの、ヒムカイさんではなく?」
「あんな強すぎるのとやってもしょうがないだろ!俺が勝ったらその証拠をあんた自身にみっちり解説してもらうよ」
 その言葉に、ネオンは久しぶりに高ぶるものを胸の中に感じた。
「分かりました。私が勝ってもそうしますからね!」
 右手の甲に管制情報が浮かぶ。南西からレイヴン。
 シルフィードをつかんでとび出し、すぐに身に付けて離陸。その瞬間試合に入った。
 最大に近い上昇率を保って、大きく左旋回。速く流れる雲を越える。
 ワタルが見ている前で試合するのも久しぶりだ。
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