デニムスカイ第三十二話
「メモリーズ・カスタム -Recurring Enemy-」
柿色と薄青、対照的な二色の飛行服を着た立花と清水の視線は、黒いレイヴンの後ろ姿を追っていた。
軒先の影がほぼ垂直に落ちるオープンテラス。テーブルには昼食の皿。
ワタルは今日三度目の試合に出たところだ。とはいえ、激しい機動は朝から全くない。
「見てても全然分かんないね」
「行って帰ってきてるだけだよな」
そう言う二人にも、行き来する間にワタルが何をしているかは分かっている。
見つからないように近付き、撃てそうなら撃つ。ワタルがこの定石を忠実に守れば、安全圏から相手を確実に仕留められる必殺の狙撃術となる。
ワタルにとっては手加減の一切ないこの方法がかえって最も省力になるのだ。
「よくわざわざ撃たれに来るもんだ」
「で、あっちはああなる、と」
黙々とペペロンチーノを巻き取っていた柏が、空いたフォークで店の内側を指す。
外光に慣れた目には暗く見える。奥にはお馴染みの白い影が浮いていた。
ワタルが挑戦者を片付けている間も、ネオンはログをなぞる手を止めなかった。三人が来たときにはすでに椅子に根付いてしまったかのようになっていた。
「休みの日のほうが仕事してる感じだよね」
「まあ、いいんじゃねえか」
清水の言葉に立花も首肯する。ネオンの赤い瞳が宿す輝きから、忙殺されているという印象は受け取れなかったからだ。
ホットドッグの載った皿が、短い音とともにテーブルに着陸した。
見上げたワタルの表情は優れない。ネオンの隣の椅子を引いて腰かける。
「ホントに多いですね」
ネオンは手を下ろして椅子を向き直した。
「大会が始まってからどこもそうなんだろ」
「いえ、それもそうなんですけどここが特別多いんです」
「ほとんどお前と俺だよな」
表の三人は以前と変わらない談笑の声を上げていた。初夏の日差しの中で、それは随分のどかな光景に見える。
「平日来る人もみんなヒムカイさん目当てですし。あっ、それ食べちゃったほうが」
皿を指差す。食べ終わらないうちに次の相手が来たりしないように。
ワタルはホットドッグを慌ただしく頬張る。
「お前はきつかったら少しくらい断っていいと思うよ」
「いえっ、私も全部受けます」
「そうか?無理するなよ」
協会公認のテストパイロットとして、ワタルには自分と試合したいという来客を追い返すことはできない。
とはいえこれ以上来られたらネオンとワタルが試合する時間がなくなりそうだ。
翌朝七時。
ネオンはすでに飛行場の上にいた。大きな円を描いて、ワタルを待っている。
結局自分達の試合ができずワタルが提案したのが、邪魔が入らない早い時間に試合することだった。
視界に影が入ってくる。タワーとは逆の方角。
回り込んで、高度もかなり取ってきた。
そちらに向かって横転、
ワタルが駆け寄ってくる。
やはりあの狙撃は使わないつもりだ。ワタルはネオンには必ず向き合ってくれる。
高速で大きく旋回するワタル。
ネオンは小さく回り、
同時に頭上げ。
背後を仮想弾が過ぎる。
その向こうに、鎌首をもたげるワタル。
内側に急横転、
落下。
力の差はもちろん大きい。だからこそワタルが手加減をして、近付くまで撃つのを控えないと試合が成り立たない。そうしないとネオンの力の増減すら分からないのだ。
それでも、追いすがってくるワタルは、多分笑っている。
はっきり見えはしないがそんな風に感じる
軌道をからめる二人を取り巻く青空は深く、朝陽に澄んでいた。
三回、四回、五回、ワタルと背中から引き合い交差する。
あと少しでも長く、ここにワタルと二人でいたい。
機体はいつもよりいっそう滑らかに舞う。
ネオンが足を踏み外したのは、ようやく九回目のブレイクでのことだった。
ネオンがうたた寝から目を覚ますと、カフェの中にワタルの姿はなかった。
軒の外に黒い機影が小さく見える。
また行って撃ってきて、昨日と同じ顔で戻ってくる作業だろう。
それだけなのにログの優先順位は妙に高く、ほとんど同じ展開の試合を何度も解説する羽目になる。
なぜ皆やたらとワタルを目指してやってくるのだろうか。
「ごちそうさまっ」
「あ、ネオン。また部屋でその、仕事と同じようなことを?」
「まあね」
「一日中やってたんでしょ?」
「うん、でも大丈夫だよ」
食卓の両親に笑顔を見せながらも、片手はもう部屋の中にログを表示させている。
今朝の試合。特別大きく、部屋いっぱいに。
ひいき無しで他の試合と違うと感じる。
ワタルの経路曲線の最初で、視界の映像を再生してみた。
始めからほとんど真正面を見ない。ネオンを捕捉するまで目は絶えず地平線を行き来し、見つけてからは白いシルフィードを中心に据えたまま回転を続ける。
あまりに過ぎ去りやすい喜びの時間を、自分でも気付かなかったことまでありありと甦らせる。見飽きたと思うことに飽きるほど多く見ても、やはりフリヴァー自体と同じくらいログが好きだと思えた。
父親の言うとおり仕事とどう違うのか自分でも少し可笑しかったが、肩の力は抜けていた。事の大小に関わらずどんどん書き込んでいっても、載せることを選びながら書き込むときの速さとそれほど変わらない。
大体まんべんなく埋まったところで、視界の右端に着信のサインが灯った。ユカリからだ。
ログを消し、そこにユカリの映像が入れ代わる。
「せっかくの休みに邪魔ばっかりだったみたいね」
「はい、ヒムカイさんが皆狙い撃ちにしちゃって」
「そうね、それがいいと思うわ。まったく皆馬に蹴られちゃえばいいのよ」
「え?馬ですか?」
「ああ、いいのいいの。今日びこれはちょっとナシだったわね……」
ユカリなら理由が分かるかもしれない。
「その……、相手の方には失礼なんですけど」
「どうしてわざわざ負けに来るのか、かしら」
「あ、はい」
「うん、そのことなんだけどね」
ユカリはカップの中身を一口すすってから、ツリーを出現させた。
「順位の算出システムがばれちゃったみたいなの」
ユカリが指を動かすと、今日ワタルと戦ったパイロット以外の星が消去された。さらに、それらの下には青い影のような星がある。
「青い方は試合前の位置ね」
「負けても順位が上がるっていうことですか」
「ワタル君と順位がすごく離れてるからね。同じ勝率でも順位が上の人と戦った方が順位が上がりやすいの。秘密だったんだけどね」
ユカリは手振りをつけながら話していたが、ネオンは星の上がり幅から目を離さなかった。相手を待ち受けることの多いネオンより、順位を上げるにはずっと効率が良い。
「ま、そっちはそのうち収まるわよ。それよりネオンちゃんが気をつけないと」
「あっ、私は逆に順位が下の人ばっかりと戦ってるから」
「今はまだ大丈夫だけどいつか頭打ちになっちゃうわね。ネオンちゃんのいる辺りは団子になってるし」
流石にこんな理由で順位が上がらなくなるのはつらい。
ワタルとの試合線も一本一本はすでに極限まで細くなっており、今更ワタルとの試合を増やしても影響はないのだろう。
「じゃあ、私もアメジさんともっと試合するとか」
「もちろん。それと私以外に、なんとか勝てるかもしれない人もね」
全ての星がツリーに戻り、その中で一つだけ赤くなった。
高さはネオンとユカリのちょうど中間。
「古尾緑(ろく)さん。五栗のテストパイロットよ」