デニムスカイ第三十話
「swallowtail bridge -Trap-」
 最初の説明会と違って、ユカリとの細かい打ち合わせは部屋で済ますようになっていた。三月の半ば。
「順位の集計自体はもうできるようになってるのよ。これが公開用の立体図」
 立体映像のユカリが右手をかざすと照明が落ち、代わりに光の柱が現れた。
 光点が集まって天井に届くくらいの円錐を作り、その点同士もよく見ると細い光の線で無秩序につながっている。
「星が一人ひとりのパイロットで、それをつないでる線が一回の試合を表してるの。ちょっと見てみて」
 クリスマスツリーを思わせる図のうち、ネオンはちょうど正面にあった星に視線を送ってみた。右側に手の平ほどの一覧が浮かぶ。
 パイロットの名前、国内三百二十四位。百七戦五十八勝。五栗工業製「斑鳩」使用。
 その星から伸びるたくさんの試合線に、日付と勝敗が刻まれた。その中からほぼ真上に伸びる太い一本を選んで辿る。これが一番新しい。
 すぐに次の星に到着。思ったとおり順位が上なだけでなく先程の星より少し大きい。そのことを気にした途端試合回数の欄が光を強めた。百六十四戦。回数に応じて星の大きさが決まるらしい。
 少し上を向いたネオンの視界を、頂点の巨星が圧迫する。
 ツリーの先に一際高く大きく輝くのは、やはりワタルだ。そのすぐ下にユカリや鬼塚も見つかった。
 ワタルと鬼塚の間には無数の線が引かれているようだが一つ一つが見えないほど細く、ぼんやりとした束になっている。ワタルが横浜にいた頃の試合だ。中には見分けがつく線が一本だけあり、去年秋のものだった。
 逆にとても太い線も伸びているのでそちらを下ると、丹羽が見つかった。現在の順位を決定するのに重要な試合ほど線が太いようだ。
 その下の出黒沢から出た線をさらに辿ると、円錐の七合目に自分の星がある。
 ネオンからはワタルに向かって薄い線の束が伸びていた。
「大体どんなものかは分かった?」
「はい。順位の決まり方も分かりやすいです」
「ちょっと気になる試合を指差してみて」
 ネオンは自分の星から上に向かって平行に伸びる五本の線のうち、最も太い一本を差した。
 鬼塚と最後に行った試合。
 指先から頭ほどの球体が浮かび上がる。ツリーと同じくぼんやりと透明に光り、中には試合のログが収まっている。
 球体に手を当てるとログが拡大され、通常と同じ表示になった。逃げ惑うばかりで何もできなかった試合。
 未編集の状態ではなく、以前自分が施した解説や注釈が付いている。
「気になることがあったらログを見て簡単に調べられるの」
「じゃあ私がまとめたログを、」
「みんなが見て、自分の順位はこうやって決まったんだ、って調べることになるわ」
 ログの管理役を特別に必要とする意味が、ネオンには理解できた。
 順位は自動的に決まるといっても、自分の星から伸びる太い線は全て確認したい。自分が一般のパイロットとしてこれを見るならきっとそうする。
 そのとき、重要な試合にいい加減なログが付いていたら納得できないだろう。パイロットによってはまとめた人物に詰め寄るくらいするかもしれない。
 勝敗や成績を気にするパイロットたちの注目を一手に集める、重大な責任がある。
「あの、今日からもう取りかかってもいいですか」
「ええ、他の人がまとめたのも入ってるくらいだし問題ないわ。重要度順の表があるから、上からやっていってね」
 ツリーの横に一覧が出る。
「あ、それとね。ネオンちゃんが管理するっていうことは公開情報だから」
 ユカリの口角が上がった。
「ログの出来も自分の順位も、落としちゃダメよ?」

 翌日の昼前。
 地表には生気を帯びた緑が増え、枯れ草の色より目立ってきていた。
 降りればもう暖かいと感じられるだろうが、飛行服を着て飛んでいれば季節にあまり関わらず、頬を撫でる風が冷たい。
「ちょっと試合してみてほしい子がいるの。十一時頃にそっちの飛行場に飛んでいってくれない?」
 今朝ユカリから届いたメッセージである。
 飛行場に着いた途端。
 北西から接近する一機を示す点が風防に灯る。猛烈な速度。
 テレポーターが世界最高の速力を発揮している。
「一人来たわよね?相手はその子よ。かなりやると思うから、頑張ってね!」
「よろしくお願いします」
 ユカリの声に続き、どこか聞き覚えのある澄んだ女性の声。
「は、はい」
 点が消えた。索敵を始める。
 最高速のまま突撃してくるのだろうか。
 テレポーターやスピアゲイルのような高速機は必ず直線的な奇襲を仕掛ける。今まで行った試合や見てきたログで例外はなかった。
 しかし、今回がその例外でないとは限らない。地平線を広く見張る必要はある。
 飛行場の中心を過ぎたとき、
 左目の端に、影。
 そちらに旋回。
 相手の方が高く、まだ回り込もうとしている。
 妙だ。機体の利点を削いでいないか。
 色が分かりはじめる。山吹色。
 遠い。
 いや、小さい。
 左バンク。
 相手も捻り込む。
 明らかに回転が速い。
 普通のテレポーターと違う。
 小さく身軽なのを利用している。
 ネオンの翼が完全に立つ。
 それでも追いつけない。
 巴戦でテレポーターの後ろを取れないなど普通ならありえなかった。
 一瞬背中が向き合い、
 相手は落ちていく。
 レイヴンと同等以上の機動をしている。
 緩ダイブ、相手は引き起こす。
 右に跳ねる。
 再び突っ込む相手、
 合わせてロールしてくる。
 一息吸い込んで、
 強引に回転。
 脳に加わる負荷に耐え、
 せり出される相手を見る。
 ぎりぎりこちらが勝っていた。
 すぐ連射、
 際どく命中。

「えっ!?」
 着陸したネオンの口から試合の礼より先に驚きの声が飛び出した。
 ネオンよりさらに小柄なパイロットの、後ろで一つにまとめた黒髪、凛々しい眉に涼やかな微笑。見間違いではない。
 巣篭亭のウェイトレスが、飛行服を着てテレポーターを畳んでいる。
「こんにちは。私のことはアメジさんからお聞きになっていらっしゃらなかったのですね」
 硬くならない程度に立てた背筋、聞き取りやすく心地好い声音は店と変わらない。
「夜は料理店の店員、昼はアメジさんと同じくナドウモビリティのテストパイロット。刈安(かりやす)えとりと申します」
 そう言って腰から礼をし、ウェイトレス、えとりは手を差し出した。
「改めて、お見知りおきを」
「はっ、はい。私のほうこそ」
 手を取るのとほぼ同時にユカリとの通話がつながった。
「うふふ、びっくりした?」
「本当ですよ、教えてくれればよかったのに」
「だって教えたら対策されちゃうじゃない。戦い方にも驚いたでしょ」
 ユカリの言うとおり、パイロットだと聞けば興味が出て機種まで聞かずにいなかっただろう。意表を突く身軽さも、体格から想像できたはずだ。
 その戦法を存分に味わえたのは、えとりがパイロットであることを秘密にされていたおかげということだ。
「ですが、カブラギさんは思い込みを捨てた的確な対応をなさいました。お見事です」
 今のえとりの笑顔はパイロットとしてのものだ。
 わずかなヒントから、えとりがバランスの取れた機種に似た動きをすることをネオンは見抜くことができた。
「経験に囚われず、経験を活かす。それでこそ「見えない大会」のログ管理者よね」
 満足そうなユカリの声。後ろ頭をかくネオン自身にも頬の紅潮が分かった。

 部屋の中央にツリーを表示。ネオンの星とその隣のえとりの星は、すでに今日の試合でつながっていた。
 どちらからも同じくらいたくさんの線が出ており、うっすらとした試合の束を上に伸ばしているのも同じ。えとりの束はユカリに向かっている。
 ネオンの周囲には他にも多くの星があり、まだ戦ったことのないパイロットも半数近くいる。
 今日の試合はネオンの位置を少しだけ引き上げた。
 頂上の星に届くには、まだ遠い。
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