デニムスカイ第二十六話
「east end girl -Exploring-」
 空中には小さなちぎれ雲しか浮かんでおらず、いくらでも地表が見渡せた。まだ低い太陽に煉瓦色の草紅葉が照らされ、ときたま見える桜や銀杏もすっかり裸になっている。
 ヘルメットの内側まで染みてくる北風に逆らって、ネオンは進んでいた。
 東村山のやや低いタワーを左手に通り過ぎる。目的地は近い。
 草原に浮かぶ建物が見え始めたとき、その向こうから正対する一機があった。
 管制の通話が入る。
「おう、カブラギ」
「小松田さん!?どうして」
 三度に渡って調布に挑戦者として現れ立川の曲技大会でも顔を合わせた小松田だが、この所沢で出会うことになるとは思わなかった。
「地元にいちゃ悪いかよ」
「あ、すみません。小松田さんがお住まいとは知らなくて」
「とにかく、ほれ、戦るぞ」
「えっと、ごめんなさい。今日は私、他の用事で来たんです」
「は?だってお前、俺はカブラギが来るから相手しろってアメジさんに言われてんだぞ」
「えっ」
 ネオンを呼んだフリヴァー協会の担当者は、なぜか模擬銃を忘れないようにと強く念を押してきた。しかし小松田との試合のためだったとでもいうのだろうか。
 その人物の名も、確かアメジと言った。
「今更勝てると思ってねえけど、あの人の頼みだからよ」
 ここで戦うのも予定のうちだったと考えるしかないようだ。
「分かりました。でも、ちゃんと勝つ気でお願いします!」
「おう!」
 小松田の位置を示す光点が風防から消え、
 真上に影が浮き出た。
 高度差は歴然。
 急速に影が膨らむ。
 準備の不足を突かれた。
 騙し返せなければ道はない。
 一拍見て、
 左急横転。
 すぐ止める。
 上手くいった。
 仮装弾が背中を抜ける。
 横転を再開、
 頭を上げてターン。
 小松田が頭上に滑り降りる。
 高速のまま逃がせばまた攻められる。
 狙わず撃つ。
 跳び退く小松田。
 わずかに勢いを失う。
 本当に素直で助かる。ネオンは笑みを漏らし、
 間合いを詰めるのに成功。
 逃がす前に当てたい。
 小松田はなお降下、
 左横転。
 同じ手か。
 右側に撃つ。
 正解。
 反転した背中に弾が吸い込まれた。

「ちくしょー、結局恥かいた……」
「でも、私も今回は危ないところで」
「だから慰めんじゃねーっつーの!」
 小松田は南東に頭を向けると、相変わらずの速力で去っていった。その先には所沢のタワーがある。
 ともあれネオンは、ようやく目指す建物の前に降りることができた。
 所沢飛行場の中心にあるその施設は、調布飛行場のカフェでは全く比べ物にならない威容を誇る。正面ホールからずっと奥まで躯体が伸び、その先にそそり立つ太い円筒形の塔がネオンを見下ろす。無論、この巨大さは飛行場の機能に直接必要なものではない。
 タワーに収まらず史跡とともに所沢飛行場に残された、航空博物館である。

 門の前でネオンは、水色の紙を模した立体画像を手の中に映した。二つ折りにされていて、表には「日本フリヴァー協会飛行記録整理係・説明会のしおり」とある。
 開いて右側のページにはこの日のスケジュールが記されている。「博物館到着」の予定時刻には試合の分遅れてしまったが、ネオンには自分が遅刻したのかどうかよく分からなかった。
 というのも、到着から次の「最上階に集合」までたっぷり四時間もの余裕があるスケジュールが組まれており、その二つをつなぐ矢印の横に手書きらしき字で書き添えてあるのだ。
 「必ずじっくり時間をかけて見学すること!館内のレストランで食事も済ませておいてね」と。
 到着してもその後自由に館内を見てから集合しろというのだろうか。小松田が呼ばれていたことといい、どうも説明会らしくなくて分からないことだらけだ。
 とにかく、入館してみるしかない。
 扉をくぐったネオンを出迎えたのは担当者ではなく、頭上に吊り下げられた、布の張ってある四角い大きな枠だった。
 差し込む陽光に透ける生成りの布は、左右に十メートルは伸びた上下の面と前後の一部だけに張られている。枠は全て本物の木材を使っており、それらを繋ぐ部品やワイヤー等も本物の鋼鉄で出来ているのが分かる。さらに中央部分には、鉄の塊を複雑な形状に加工したものが載っている。
 とても贅沢な工芸品。ネオンの目にはそのように映った。高級料理店である巣篭亭の内装と大差ない。
 この材料ばかり豪奢な物体は何なのか、疑問に思うとすぐ、ネオンの右側に解説画像が浮かんだ。
 「臨時軍用気球研究会式一号機(1911年初飛行)・レプリカ 日本初の国産軍用飛行機」という文字の下に、映像が表示されている。映っているのは、この物体が博物館を背景に突き進んで浮かび上がる姿だった。
 飛ぶところを見てやっと、布の張られた部分が主翼とカナードと尾翼なのだと分かった。しかし依然としてやけに手の込んだ代物にしか見えない。これでは限られた人しか飛べなかったのも道理だろう。
 担当者の姿を探しても、ホールに人影はなかった。右のレストランにも誰もいない。
 やはり自由に見ながら最上階まで進めということか。
 ひとまずネオンはそう信じ、左奥の順路、薄暗い廊下へと、足を踏み入れた。
 ネオンの周りの壁に、空にまつわる様々なシーンが映る。宗教画の天使や鳥人、手製の羽を付けて飛び降りる発明家、辺りに風を撒き散らして暴れる機械。
 初めて人間を空中に上げた気球が現れて廊下は終わり、展示室に出た。
 合金製の骨格を持つ飛行船の構造模型。木製の胴体からニスの照りを放つ複葉機のレプリカ。まるで母親に連れられて入ったアンティークショップだ。
 背の高い透明な箱の中に、免許の学科でも見覚えのある形状が目についた。翼が気流を曲げて揚力を得る様子がはっきり観察できる。
 翼の原理はフリヴァーと変わらないらしいが、それを関節で曲げて舵を取り、プロペラを回して進むのはなんとも古めかしく感じられた。
 複葉から単葉へ、開放式から密閉式へ。引込脚、片持式、全金属製。次第に簡潔な形の飛行機が現れるのに気付いたところで、眩しい光の射す門に着いた。
 奥に見えた塔の根元である。
 壁に沿う螺旋のスロープに取り巻かれるのは、先程までの部屋に収まらない大きな飛行機。
 全く穴や凹凸のない円筒形の胴体は無垢の金属。長大な赤い翼が塔の中に余裕をもって広がっている。
 光の降るほうを見上げると、大小の飛行機を乗せた透明な階層が重なり、それらをスロープが繋いでいる。
 折り重なった影は、高度を違えて一斉に交差した飛行機達が、そのまま固まってしまったかのように見える。
 スロープに運ばれ階層を一つ昇ると、今や日本刀と同列の文化財と認められる戦闘機の群れが現れた。
 透明な床に踏み出すと足元に白い雲の画像が映り、安心して戦闘機に近づくことができた。濃緑色の翼はよく見ると中の骨組みが分かるくらい凹凸がある。
 山吹色に塗られた前縁から突き出たものに、ネオンは身をすくめた。
 焼けた鉄の色をした、本物の機銃。
 楽しんで試合をしていても、その歴史の根元は殺し合いだ。いや、今も相手の名誉を叩き落としている。
 ネオンは機銃から目を反らし、次の階へ急いだ。早く見慣れたフリヴァーに出会いたい。
 丸々とした胴体の巨大な輸送機。白と青に塗られた穏やかな姿の旅客機。色鮮やかな軽飛行機。シャープなジェット機。次々時代を辿っていく。
 再び布と棒でできたものが現れるが、これはフリヴァーの前身のようなスポーツ用品らしい。金属パイプがまだ高級そうに見える。
 五十年前を境に飛行機は口を閉じ、継ぎ目がなくなり、さらに滑らかな姿に変わる。ようやくナノテクと表面電位推進の時代が訪れた。
 すぐにフリヴァーも現れた。が、直線的で武骨な機体は、軍用を思わせるカーキ色。
 また火器を搭載していたら。恐る恐る、機体の背面を覗き込んだ。
 担架のようなものが装備されている。「ジェネラルナノテック・アークエンジェル 世界初の実用フリヴァー。救助活動用として活躍」。解説の文字に、ネオンは安堵の息をついた。よく見れば主翼に赤十字が付いている。
 まだ出力が弱く、怪我人一人載せたら離着陸と旋回でやっとだったようだ。隣に並ぶ民間初の機体も同様。
 初めてループに成功したフリヴァー、初の曲技専用機、模擬銃の登場。やっとネオンの知る世界と繋がった。
 タランテラA、センチネルD、見慣れた機体の原型機達。教習で使った斑鳩。
 スロープの終わりで待っていたのは、ネオンの最もよく知る姿だった。
 三つに分かれた翼端と、一際滑らかな曲線。
 試験機特有の青緑色をした、シルフィード一号機。
 飛行場を見渡す展望台になった最上階には、その一機が中央にあるだけだった。
 小走りに近付くネオンの耳に、かすかな吐息の音が届く。
 向こう側のソファーから傾いた頭が覗いていた。
 担当者だろうか。ネオンの胸が高鳴った。
 近寄って横に回る。
 陽光の中、女性がソファーに身を預けて寝息を立てていた。
 ネオンとはある意味対照的な、大胆な起伏に富んだ肢体を菫色の飛行服が包む。
 腰まで届く長い飴色の髪は緩やかに波打ち、暖かい日差しの中で眩しく煌めく。
 安らかな寝顔はネオンより一回りくらい年上に見えなくもないが、その肌はあくまで瑞々しく、長い睫毛と整った鼻筋が目を引く。
 眠っている彼女の他、この最上階に誰もいない。他の希望者はどうしたのだろう。
 彼女が担当者だとしたら、もしかして試合と見学の間待たせてしまったせいで眠っているのか。しかし起こしても気を悪くされはしないか。
 ちょうど集合予定時刻。
 女性の目がぱちりと開いた。
 戸惑うネオンに視線を向け、柔らかく微笑む。
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