デニムスカイ第二十三話
「Riot In Lagos -Knight-」
 一面薄墨を流したような空が数日続いた。その下に、他の町からの機体は現れなかった。
 厚い雲を挟んでいようと月追い鴉の狙撃からは逃れられない。人間離れした技は証拠のログとともに知れ渡り、挑戦者達を調布から遠ざけていた。
 いずれにしろ、タワーから飛行場に近付くネオンにも見えているとおり、平日のワタルは試験飛行で手が離せない。
 管制にはそのさらに向こうに、一機を示す光点があった。
 西から迫るタランテラD。立川からだろうか。
 狙撃の証拠とは対称的に、ネオンは出黒沢との試合のログを公開できずにいた。
 煙幕弾まで使って強引に降ろそうとした程である。出黒沢がどのように負けたかなど詳しく解説して広めようものなら、64ビーツのファン達から何を言われるか分かったものではない。
 難癖を付ける先を断たれても抑えがきかず、直接やって来てもおかしくはない。
 しかしそれならタランテラ一機で来るだろうか。
 出黒沢相手でも逃げる分には逃げられた。ネオンを追い詰めたいのなら、テレポーターも織り交ぜて適切な配置で来る必要がある。
 どこまで警戒したものか、見定めかねているうちに向こうから話しかけられてしまった。
「こんにちは、調布の飛行場の人ですか?」
 落ち着いた女性の声。
「は、はい」
「青梅から来たんですけど、お相手お願いできますか?」
「あ、はい。それなら……、いえ、喜んで」
「よろしくお願いします!」
 光点が消え、試合が始まる。
 少し過敏になっていたようだ。

 薄い青緑の試験機が着地。出力を増大する改良は初期段階としては上手くいっていた。
 だが、ワタルと日下氏は喜びの声を上げることもない。ワタルは西の地平線を睨み、日下氏は取得したデータの隣に表示した管制情報を見ている。
「お客様がおいでだね」
「ああ」
 データにさっと目を通した日下氏は、試験機の翼に手をかけ肩越しに告げる。
「今日のフライトは終わりにしよう。行ってきなさい」
「え?でもまだ」
「進捗具合には貯金がある。クライアントの注文が聞けないのかい?」
 二秒、間が空く。
 ワタルは試験機を外して日下氏の手に委ね、レイヴンの駐めてある工房入口脇へ急いだ。
「少し遅れたし舞台はこちらだけれど……、これで立川にも王手がかかるかな」
 つぶやく日下氏。

 相手の機体は薄い黄色。
 同じ高度の前方右寄り、まだ射程外。
 迂闊に間合いを詰めるには厳しい。
 旋回性能は侮れず、相手の腕は不明だ。
 雲が頭を押さえている。高度を無駄にできない。
 わずかに降下、徐々に接近。
 相手の左翼が下がる。
 頭下げ、加速。
 すぐ戻す。
 内側から別の機体が現れた。混乱するネオンの目に不吉な姿が映る。
 藤色のタランテラD。
 せり上がり降下を阻む。
 上昇に転じたネオンの前に、
 もう一機。
 縦に挟まれた。
 管制情報は出ない。
 最初から薄黄の仲間だったのだ。やはり立川から自分を責めに来たのか。一人と思い込んで確認を怠った。
 今さら油断を嘆く暇はない。
 薄黄はすでに見えない。
 後方にさらに三機。
 一瞬広くなった。
 逃さず右横転。
 間から抜けて落ちる。
 加速すれば逃げられる。
 頭上からまた三機。
 左に跳ねる。
 右に煙。
 また煙幕弾だ。
 後ろの三機が近付く。
 翼端を仮想弾がかする。
 上の三機が煙幕弾を放つ。
 左ロール、
 すぐ止める。
 視界が奪われ、
 頭上を弾が抜ける。
 煙幕はすぐに晴れた。
 これなら避けなくていい。
 再び煙幕弾が三つ、
 右に揺れて、
 直進を続ける。
 肩まで煙が散って、
 仮想弾は右を抜ける。
 群れを引き離していく。
 逃げ切ることはできそうだ。
 しかしあんな人達相手に逃げるしかないのは悔しい。そう思って、
 直後取り消した。
 右から細く短い翼、
 テレポーター、二機。
 逃げられない。
 見張った目に映ったのは、
 後上方の光点が一つ。
 機種と信号を認め、
 その加勢を了承。
 八重のブザー。
 黒いレイヴンはそのままネオンの目の前まで降り、ふわりと減速した。

「ログと管制の記録を重ねて表示してみて」
 ログのオプションを設定すると、簡単に管制と連動させられる。
 まさに試合を行わんとするとき、相手より遠くには十機がすでに潜んでいた。
 そのうち試合に参加していないことになる煙幕の係には、こちらの位置は筒抜けだっただろう。三機は雲の上から忍び寄ってきた。
 青緑の飛行服を着たままのワタルが立体画像に指を伸ばす。煙幕弾を撃ってきた辺りの映像がきちんと残っていた。
「よし、これで証拠は残ってる。二度もやらかせばあっちに何も言う筋合いはないだろ。よく持ちこたえたな」
 そんなワタルの明るい声にも、ネオンの気持ちは晴れない。
「ごめんなさい」
「ん?ああ、気にすんな。日下さんが行けっつったんだ」
「いえ」
 ネオンは顔を上げられず、両手を組んで握りしめる。
 あの二人の暴言からワタルを守った気でいたのに、
「結局、守ってもらってばかりで……」
 ワタルは頭をかき、辺りを見回したりして、ううん、と小さく唸りを漏らした。
「いいって。お前があいつらに言ってやったときなんか、けっこう嬉しかったんだからさ。そんなこと言うなよ」
「でも、こんなじゃあ」
 ネオンは大きな声を上げたが、再びか細くなった言葉しか続けられなかった。
「公式ログの仕事を始めたりしても、またいつか助けてもらうことになっちゃうし……、あの約束だって守れないです」
 俯いたネオンに、ワタルはすぐに答えてはくれない。
 肩に雨粒が一つ落ちる。ワタルは機体を背負おうとする手を動かし始めながら話した。
「俺にだって、助けてくれる奴がいたよ。今もお前とか、日下さんとかいるしな」
 顔を上げるとすでにレイヴンの翼が広がり、「月追い鴉」の紋章が目の前にある。
「一人前なら助けはいらないってもんじゃないしさ」
 黒い翼に雫がいくつか走りはじめた。水滴はすぐに跳ね飛ばされ、ワタルは去っていく。

 母親の部屋の扉が開いていることが、玄関から分かった。
 すぐに父親の笑顔が出てくる。以前のような力無い微笑みとは違った。
「おかえり。これ、見てごらん」
 急ぎ足に近付き、バナナくらいの大きさの何かを手渡してくる。見ると、布と綿でできた、女の子の人形だった。指や鼻などは付けられておらず、至って素朴。
「可愛い。どうしたの?」
 よく見れば端々に縫製のいびつなところがある。
「お母さん、最近人形作りに凝ってるんだ。まだ部品を縫い合わせるところからしかできないけどね」
 人形は長い真っ直ぐな髪をして、つやつやと光る丸い目を付けていた。どちらもこげ茶色。地肌の布地は普通の肌色で、長いスカートは水色だった。
 かつてのネオンにも今のネオンにも、母親自身にも似ていない。
 部屋に目を向けると、床に座った母親が顔を逸らした。箱から出して並べた道具やあらかじめ部品の形になっている布、糸や綿の半端に囲まれてこそこそ背を向ける。
 床の隅には、似たような人形が並んでいた。見えるだけで五体ほど、小さな椅子のミニチュアにきちんと腰を落ち着けている。
「ちょっといい?」
「あ、うん」
 中を覗き込んでも母親はこちらに向けた背を動かさない。十数体ある人形のうちどれも、白い肌や髪、赤い目はしていなかった。
「その人形ね、ネオンにあげるって言ってた」
 傍らの父親は穏やかに笑む。
 母親は丸めた背中を向けたままだが、ネオンは顔の前に人形を掲げてそちらに向けた。
「ありがとう」
 人形の右手を動かしながら言うと、母親の頭が小さく頷いた。

 自分のベッドに腰掛け、ぼんやりと人形を見つめる。
 父親の様子を見るに、母親の新しい楽しみは歓迎していいものらしい。
 父親のあんな明るい顔を随分久しぶりに見た。いや、見たことがなかったかもしれない。
 フリヴァーの免許を取りたいと言うまでは、仕事に打ち込む姿と母親に振り回されてうんざりした様子しか見られなかったし、それ以降も母親の世話に追われて疲れた顔が増えただけだった。
 家は良い方に向かっている。
 ただ、これもワタルのおかげではないだろうか。
 ワタルと出会ってパイロットを目指し、さらにワタルと練習を重ね自信をつけたからこそ、ネオンはこの家を変えることができた。
 ワタルから貰ったものはあまりにも大きい。自分の力はそれと比べればごく小さなもので、追いつくどころか面倒をかけないことすら難しく感じるほどだ。
 出黒沢を打ち負かしたくらいで浮かれてはいられない。鬼塚と比べれば、出黒沢は手強かったとはいえないくらいだ。
 今日だって、もっと注意深ければ衝突は避けられた。
 まだまだワタルと同じようにフリヴァーの仕事をするまでには至らないのではないか。
 ワタルにそう話せば、きっと先程と似たような答えが返ってくる。
 それなら相談する相手は一人しかいない。
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