デニムスカイ第二十二話
「スーパーノヴァ -Accuracy-」
 ところどころに隙間を開けつつ大気を二分する雲を、一機のタランテラが丸くなぞっていた。
 藤色の表面に背中から走る青い蜘蛛の巣模様。丹羽は上を向いた右翼の先、雲より上を見張る。もう何周回っただろうか。
 近接格闘に持ち込めねば丹羽に勝ち目はない。しかし丹羽は勝算ありと見ていた。
 レイヴンの特性を考えれば十中八九ダイブを仕掛けてくるだろう。上にさえ気をつけていれば、相手を見付け次第雲の間に逃げ込むだけで良い。
 そうなれば相手は距離を詰めざるを得ず、こちらの間合いに引きずり込める。
 そのはずなのに、藍一色の上方にはいくら待っても雀の一羽も現れない。
 機影を包み込んでいてもおかしくない太陽も、染み一つ浮かべずただ純白の光を投げてよこす。
 照らされればかえって影が射す。
 ヒムカイ・ワタルの勇名が頭に響く。全てを見通す月追い鴉。
 大丈夫だ、あれは単なる噂だ。
 いくら優れたテストパイロットだからといって、雲の向こうが見えたりはしない。いつか必ず上から来る。あちらはダイブ、こちらは格闘しかないのだ。
 力で攻め込む相手を軽くかわし、華麗な技で一刺し。そうしてあのヒムカイ・ワタルを倒したとなればチームの名もますます高まる。
 あの白い女の子もほんの初心者、ギンの相手ではないだろう。
 とにかく今は絶えず警戒し、いつでも身を翻せるよう準備していなければ。改めて上をよく見ようと反転したとき、何か聞こえたような気がした。
 気にせず監視を続けよう。風防に相手の位置が映し出された。まだ雲の下、大分離れている。これならしばらくは……、
 風防の表示。
 空戦中は相手は映らない。
 終わるまでは。ブザーが鳴るまでは。
 すぐにログを開き風防に映す。反転した瞬間、確かに丹羽は仮想弾に貫かれていた。
 ごく緩い放物線を描く弾道の束。その根元には、相手の軌跡がある。
 雲より下。普通なら射程圏と呼ぶ距離の、三倍は離れて。
 レイヴンを示す光点が右下方を通り抜けていく。
「まっ、待て!」
 管制で呼び止めても速度は緩まない。
「今……、今、何をした!?」
「何?定石どおりだろ。見つからないように近付く。撃てそうだったら相手の進む位置を予測して撃つ」
「とぼけるな!それだけでこんな、こんな……」
 風防に映るログは本当にただそれだけの事実を示している。
「化け物……」
 レイヴンは去っていく。

 少し頭を下げて、加速。
 速度を保ち大きく右旋回。
 相手は後ろ、まだ大分遠い。
 内側に踏み込んでついてくる。
 やや上昇、距離が詰まる。
 また降下、再び離れる。
 加速力は勝っている。
 逃げ足は問題ない。すでに二十分近くこうしている。
 ただ、全力で逃げ切っては狙いが外れる。
 風防の右下に赤い線。
 大口径の仮想弾が抜ける。
 痺れを切らして撃ってきたか。
 ここまでくればもう一踏ん張りだ。
 強く一息吸い、
 左に跳ねる。
 弾が下を去る。
 右横転、止める。
 頭上を抜けていく。
 大丈夫、回避できる。
 優しくされなくて結構、どんどん撃ってきたらいい。
 左横転、
 一瞬止め、
 反転急降下。
 素直に遅れる弾。
 加速して駆け出す。
 相手が突っ込んでくる。
 右、左、幅を変えて揺れる。
 弾の雨がネオンを濡らさず降る。
 数少ないログから見出だしたことは正しかった。
 出黒沢は、射撃の練習が不充分だ。
 勝った試合でも撃墜に多くの時間と弾を費やしていた。
 相手は再び真後ろ遠く。
 まだ撃ってくる。
 右に滑る。
 弾は左に。
 上に跳ねる。
 真下を抜ける。
 左クイックロール。
 胴体と平行に素通り。
 出黒沢は相手の位置を把握できるはずなのに、せっかく捉えた標的の位置に弾が重ならない。
 余程丹羽との曲技練習に熱中しているのだろう。それは歓迎すべき成果を生んでいる。
 だが、小さなドローンディスクを追い回し続けたネオンとは違う。
 あの口径ならもう撃ち尽くすだろう。
 相手の動作も精彩を欠いている。
 振り回し続けた甲斐があった。
 今なら仕掛けられる。
 緩くダイブ、
 引き離さない。
 素直についてくる。
 浮き気味に左バンク。
 相手もそうするのを見て、
 その直後下げ舵。
 逆ループ旋回。
 真上には、
 相手の背中。
 駆け上がって、
 叩き込んでやる。
 自分の結んだ実を。

「すぐ戻るぞ、逃げろネオン!」
 出力を緩め降下するネオンの耳にワタルの声が響いた。
 正面に見えるのは、何機も浮かびだす藤色の機体。全てこちらに向かってくる。
 一機の背中から何か飛び出した。
 加速するネオンの背後で破裂。煙が飛び散る。
 十機ほどのタランテラが煙の向こうにいるようだ。
 左にワタルが並んだ。
「俺達が勝ったのが気に入らないらしい、直線なら逃げ切れる」
「はっ、はい」
 追っ手の何機かがまた玉状の物を放つ。煙が広がるだけで、爆発などはしていない。
「煙幕?こんなもの撃ってきてどうするつもりなんでしょう」
「降ろしていちゃもん付ける気だろうな、どっちにしろ……っ、下味い!」
 風防に、異様に速い光点が現れる。
 タランテラの後ろに浮かんだ「テレポーター」。その速力はレイヴンをも凌ぎ、世界最速を誇る。
「雲に潜るぞ!」
「はいっ!」
 急上昇。すぐに視界が遮られる。
 水平に、さらに加速。
 追っ手を示す光点が緑から赤に変わる。管制によりこちらの情報はあちらに対して遮断された。雲から出なければ居場所を知られることはない。
 それを待っていたように、前方に八つの点が浮かぶ。色は青。
 空中警察隊の「王鷹」八機は、ネオン達の下方をすれ違っていった。
「あいつらは免停かな」
 ワタルの位置ももちろん風防に表示されており、雲の中でもはぐれることはない。
 ただネオンにはもう一つ別の感覚があった。何となく、ワタルがどこにいるのか管制以外のところで分かる気がする。
 この辺りにいるかな、と思ったとおりの位置にワタルがいると、管制が答え合わせする。ワタルが言っていた、見えていなくても相手がどこにいるか分かるとはこんな感覚だろうか。
 いや、並んで真っ直ぐ飛んでいるだけの今の状態では予測できて当然、ワタルの境地には程遠いだろう。ただこんな風なのかと想像するのが楽しい。
 追い立てられて逃げ出した急場なのも置いて、ネオンはそんな「ヒムカイさんごっこ」を楽しんでいた。

 視界が晴れないままタワーの屋上に着いた。
 機体を外して畳むなり、ネオンはその機体に寄り掛かるようにへたり込む。追跡と弾をかわし続ける長期戦に加えて一騒動あり、ネオンの細い体から力がすっかりしぼり出されていた。
「ほら」
 額にこつりと当たる感触。ドリンクの容器を受け取ると、ワタルの満足そうな笑顔が現れた。
「ありがとうございます」
「どうだ、気分は?」
「あ、はい。まだちょっと、くらくらして」
 息をつきながらそう言うと、ワタルの笑顔は苦笑いに変わる。
「そうじゃなくて、ほら。あ、それ飲めよ」
 一口すすると、甘味が喉から胸に染み渡った。
「気に入らない奴をブッ飛ばしたんだからさ、もっと何かあるだろ?」
 そんな男の子のようなことを言われ、思わずネオンの頬も緩む。
「殴り合ったんじゃないんですから……。でも、そうですね。気持ちいいです」
「だろ」
 ネオンと違って体力に余裕がありそうなのに、ワタルは芝生に大の字になって寝転がる。見上げてくる目が細まっていた。
 ネオンの勝利は、この笑顔も守ったのだ。
 ワタルや調布の皆、小松田、横浜のパイロット達、鬼塚。今まで戦ってきた人達は、始めからではない人もいるが、決して侮れない程の力を自分と正面からぶつけ合ったのだと、胸を張って言える。
 誰にも文句は言わせまい、自分はこれだけの腕を持ったパイロットだ。
 ネオンも共に寝そべり、白い空を見上げる。裂け目から金色の光が漏れていた。

 調布飛行場の外れに立つ深緑のコート姿。日下氏の前には、立川周辺の管制情報が工房の前庭いっぱいに表示されていた。
 空警隊の王鷹も去り、すっかり動きがなくなったところでそれは閉じられる。
 帽子の下の頭が俯き、下がっていた腕が組まれて数十秒。右手が前に突き出て、記録が再び表示された。
 ワタルの射撃、続いて回避し続けるネオン。
 タランテラが湧き出すところでまた閉じ、腕組みを解く。
 帽子を取りコートを脱ぐと、その下から作業中に愛用している古めかしい白衣が現れた。
 白い背中はいそいそと工房の中へ引っ込んでいく。
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