デニムスカイ第二十一話
「手掛かり -Stun-」
 日は思いの外素早く落ち、夕闇が迫る中表彰式が始まる。
発着場の手前に照らし出された台の中央に上がるのは、ほとんど見逃してしまった午後三番目のチームのリーダーだった。
左側の段、二位には、見慣れた黄緑色。小松田が銀のトロフィーを振りかざし、嬉しそうに何か叫ぶ口が見えた。
すぐに照明が落ち、
最後の一幕が始まる。
まず気付いたのは右側。
光の玉が真っ直ぐ向かってくる。
歓声と拍手の塊が背中を圧する。
振り向けば左からも一つ。
光に焼ける目を凝らす。
中の翼が見える。
夜光装備と光るスモークを満載。
ゆっくり横転する。
バレルの半径を増し、
互いに逆の螺旋を描く。
ずれないどころではない。
全くの鏡写しだ。
観客席の真正面、
二機が交差する瞬間。
光が弾け飛んだ。
ネオンの目も白く飛ぶ。
瞬きを繰り返し視力を戻す。
舞い落ちる花火の粉。
二機は平然とすれ違う。
絡み合って輝く螺旋が残る。
その陰から並んだ二機が飛び出し、
頭上げ、ループ。
二重の光の輪を描く。
不自然なほど位置が合う。
頂点で何かを落とすのが見えた。
丁度ループが終わる瞬間、
中心でそれは破裂。
輪の中に巨大な花が収まった。
また視界が飛びかける。
二機は並んで離れ、
左遠方でまた光り始める。
一方が緩く右旋回、スモーク。
もう一方がその周りをバレルロール、
上下に小さな花火をばら撒く。
一横転で役割を交代。
入れ代わりながら回り続け、
ネオンの目を閃光でいたぶる。
二人は何の苦もなく互いを認識、
光の軌跡に全く歪みはない。
会場を大きく一周。
茨の冠が頭上にのしかかる。

地平線に余っていた橙の陽光ももうなく、帰路へと飛び立つ観客達の、来たときと逆に流れる列ができた。
翼端を光らせて、一機、また一機。列の先から季節外れの蛍を放つように、それぞれのタワーへと夜空の八方に散っていく。
あと三人でワタルと、続いてネオンの順番。ネオンは黒い背中に向け、声を搾り出した。
「私の家の階に、一緒に降りてくれませんか?」
賑わいの中にかき消えるかとも思ったが、
「分かった。四百二十八階だったな」
ワタルに限って聞き逃すことなどなかった。

二列の灯がテラスに並び、人工土壌の芝生とともに二人を受け止めた。
先に降りたネオンにワタルが近付く。
「さっきの、良かったぞ。よくビビらずにはっきり言えたな」
「そ、そのことで……、あの……」
振り返るが言葉が続かない。
小鼻につんとしたものが溜まる。
詰まっていたものを押し流すように、目からあふれ出す。
あの女に突っかかられたときから、本当は怖くて一人ではどうにもならないと分かっていた。
ワタルがついていなければ、64ビーツのファンだらけの中で出黒沢に反駁するなどできるはずがなかった。
彼らの空中感覚には一分の隙もなく、花火に目が晒されてもぶれないほどだ。それを知りもせず発した自分の言葉が、今は重荷にすら感じる。
せっかく勇気を誉めてくれたのにこんなところを見られたくない。両手で顔を押さえても、もう止まらない。
「ごめんなさい……」
わざわざ来てもらっておいてがっかりさせただろうか。そう思ったが、
頭を覆う柔らかな感覚がかき消した。
顔から手を下げると、黒い飛行服の胸と、深く曲がった肘が見える。
「清水達のときと比べてみろよ」
あのときはワタルと日下氏が全て仕込み、ネオンは自分では何も言えなかった。
「お前はちゃんと強くなってるよ」
「……はい」
あの無敵の黒いレイヴンの操縦把を握っている手とは思えない、優しい動き。
「少し、こうしてもらってていいですか?」
「ああ」
ワタルの手が、頭の中に立ちこめていた暗雲を散らしていく。
地上八百メートルの晩秋の夜風から守ってくれる。
目の前の胸にしがみつきたいと欲張る気持ちが芽生え、手が上がりかけたが、
「あの、私に勝ち目って」
真面目な質問ですぐに抑えた。
「いつもどおりだよ。相手のログを調べて、タランテラDの情報も集める。特別なことをする必要もない。シルフィードを使うなら勝ち筋はいつもこれだ」
ワタルの語調もいつもと変わらず、特別強い相手に向かわせる風ではない。
そしてワタルは、フリヴァーに関する見立てを誤らない。
「それなら、自信あります」
もう顔を上げて明るい声が出せた。
「おっ、頼もしいな」
ワタルも笑顔を返してくれる。
そのワタルの顔がとても近い。
頭を上げたためワタルの手が後ろ側にまわり、ネオンを抱き寄せる形になっていた。
それに気が付いて痺れたように胸から全身が振るえた。どうしたらいいのか、どうされてしまうのか、ワタルを見上げたまま動けなくなる。
ワタルはネオンの頭を改めて一撫ですると、
「家まで送るよ」
振り返ってタワー内に歩き出した。
変に高望みしていた、自分が可笑しい。充分すぎることをしてもらったのだからと、ネオンは満足し直すことにした。

短い芝生の道を行く間、並んだ二人は何も喋らなかった。
玩具のような家、母親の好みがそのまま出た家に着いてしまう。ワタルが見たら何と思うだろうか。
しかし、クリーム色の壁にはめ込まれた赤い玄関の前で振り返っても、ワタルは顔色一つ変えていなかった。
安心して、ぺこりと頭を下げる。
「今日は、ありがとうございましたっ」
ワタルは微笑んで片手を上げ、それからふっと、真剣な眼差しに戻る。
「最後の演技中、あいつらは風防に強すぎる光だけを抑えるフィルターを追加してた。目が眩まずにお互いが見えたのはそのおかげだ」
全く考えが及ばなかった。
あの光を直視すれば何も見えなくなって当然、彼らも決して特別鋭い目を持っているわけではないということだ。ハードルが一段下がっていく。
薄明かりの並ぶ道を去っていく黒い背中を、消えるまで見つめる。
頭を撫でて落ち着かせてくれたのは師匠としてだろうか、もっと別の気持ちがあったのだろうか。確かめるには、約束を果たしてからでないといけない気がする。
それには勝ち続けるのが一番の近道だ。

全く人気のないエレベーターの駅にワタルの足音が響く。
乗り口から反れて壁に背を預け、右の手の甲を見る。
すぐに日下氏の白衣姿が浮かび上がり、通話が始まった。
「おや、今日は随分収穫があったらしいじゃないか」
今日の騒ぎをすっかり聞きつけているらしい。それが日下氏の意図したとおりなのだから、当然だ。
「喧嘩を買いに行かせといてよく言うよ、俺達が立川に行ってああならない訳がなかったんだ」
「いやいや、あの子が戦うことになるとは及びも付かなかったよ。君一人で彼らに勝ってユーロフリヴァーの日本における根城を崩してくれれば……、とね」
「あいつが戦ったらまずいのかよ」
「それは僕の思惑としてはね、レイヴン使いである君が二人に勝ってくれるのが一番いいさ。だけどそんな細かい根回しできるわけがないだろう?」
ワタルは少し黙り、
「分かった。じゃあ久しぶりに本気を出すよ」
「君の本気かい?それは少々下味いな、レイヴンの優位を示すどころではないもの」
「俺にかかってくる奴もしばらく減るだろうな」
今度は日下氏が黙る番だった。
「ふむ……。まあ、好きにしなさい。君の戦い方こそ、僕がどうこうするわけにいかないさ」
「ああ、そうする」
通話終了。

<丹羽青児(タランテラD) 対 出黒沢銀(タランテラD) 勝者:丹羽青児>
ほとんど全てがそれで占められた検索結果を前に、唖然としたネオンの作業は立ち止まっていた。
遡ってもD型がB型になるだけで、どれを開いても丹羽が圧倒的に上ということしか分からない。
ふるい分けて、出黒沢の勝った試合のみにする。
表示されたのはたったの二件、いずれも相手がほとんど抵抗できておらず出黒沢の得意な手を探ることもできない。それなりの量がある非公開のログが参考にできないのがもどかしい。
とにかく、得られるログからなんとか情報を搾り出すしかない。
丹羽との直近の三つと、二つの勝ち試合を一度に開く。
ネオンがそれに気付くのに、時間はかからなかった。
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