デニムスカイ第二十話
「百家争鳴 -Attack-」
 チケットの示すとおりの席まで通路を辿ると、発着場が目と鼻の先に見える最前列だった。
 最初のチーム、三機のスティレットが左を向いて並ぶ。白地に赤い翼端が、すっきりしたスタイリングによく映える。
 古典的なエレキギターの音色が響き、前半の課題シークエンスが開始。
 軽やかに離陸、上昇。
 出力の余裕を見せつける。
 腹側を見せて隊列全体が傾く。
 棒で繋がったような一体のバンク。
 右へターン。
 一旦水平飛行へ。
 編隊を結ぶ三角が上を向き、
 ループ。中天に貼り付く。
 滑り降り再び旋回、
 歪まず裏返って、
 綺麗に翼を立てる。
 滑らかなスナップロール。
 空戦中ほど激しくはない、ゆったりとした機動。
 しかし各機の軸と半径は完璧に一致してぶれない。
 争いではなく、見られるために磨かれた動作だった。
 スライスターン、フォーポイントロール、
 頑丈な三角形が円弧と直線を次々と描く。
 やがて拍手とともに曲が入れ替わり、
 右の一機が後退、左が中央に寄る。
 精密な距離の把握、自然な変形。
 後半の自由演技へ。
 背の小さな装備から発煙、
 加速。
 ロール、別々に。
 互いの軌跡が折り重なり、
 三つ編みのスモークが残る。
 隊形はさらに真っ直ぐに変わり、
 前から順に頭上げ、ループに入る。
 輪の中に三等分に並び、
 同時に発煙。
 一繋がりの円が出来た。
 そこで三機はターン。
 上の二機は奥から左に、
 下の一機は手前から右に。
 真っ直ぐ駆け出して離れる。
 視界から消えないうちに振り返り、
 同一直線上に機首を向ける。
 翼を立て、ナイフエッジの姿勢。
 空戦なら射程圏、まだ三機は近付く。
 左の二機が間を詰める。
 右の一機は反れない。
 回避不能な距離、
 鼻先が重なる。
 飛び散る煙。
 会場が悲鳴に包まれ、
 三機は、何事もなくすれ違っていった。
「そんなビビったか?」
 ワタルの苦笑混じりの声とともにネオンの右手が持ち上がる。
 自分でも知らぬ間に、ネオンはワタルの左腕を握り締めていた。
「ご、ごめんなさいっ」
 ぱっと手を離す
 三機は再び隊列を組み、次の技に移ろうとしていた。

 幕間の短い出し物で描かれた「Welcome To TACHIKAWA」の煙文字も消え、ごくうっすらとした雲だけが残った。
 発着場には黄緑色のレイヴンが五機並ぶ。
 鋭く離陸、猛加速。
 頭上げ、速度が死なない。
 一息に駆け上がり、
 大きな半円。
 さらに急降下、
 高速で大半径のループ。
 横転、上下動、勢いを保つ。
 やや大回りではあるが、力強い演技。
 レイヴンの性能バランスが活きている。
 スライスターン、右から突進。
 その最中。
 隊列がごくわずかに、こちらに傾く。
 ネオンには見えた。
「今、小松田さんが」
「ああ。手前の奴のミスを上手く隠したな」
 小松田は試合では勝てないが、相手の動きはよく見えている。
 空戦に慣れたら手強くなりそうだ。しかしこのチームワークも保っていてほしい。両方を充分に練習することはできないだろう。
 ギターが止み、自律発生した旋律が頭蓋に直接響き始める。
 小松田が駆け出す。
 他の四人は順に追尾。
 真正面で急アップ。
 強引な垂直上昇、
 スモークオン。
 失速、奥に傾く。
 落下。ハンマーヘッド。
 順に四機も同じ軸を登り、
 別々の向きにハンマーヘッド。
 空中にスモークの白百合が咲いた。
 降りたメンバーは順に並び、
 前から浮かび上がる。
 滑らかに横転。
 リボンをなぞるような連続インメルマンターン。
 続けて小松田は奥に消える。
 ペアが二組、左右に上昇。
 赤いスモークを吐く。
 さらに頭を上げ、
 ループが変形。
 巨大なハートマーク。
 その右上に小松田がいた。
 ダイブ、白いスモーク。
 ハートに迫っていく。
 輪郭でスモークオフ、
 中心で再びオン。
 四人が矢尻と尾羽を加え、
 ハートは真っ直ぐ射抜かれた。

 二組の演技で午前の部が終了し、ワタルは席を立って伸びをする。
「飯にするか」
「あっ、私この後のショーも見たいです」
 プログラムによると、昼の間は64ビーツによる空戦ショーが予定されていた。
 売店に行かずショーを見る観客のために、円筒形の頭と胴体を持つ物売りロボットが弁当のラックを背負って歩く。次々に観客に呼び止められ、呼びかけの声を上げる間もないようだ。
 ワタルは少し眉を下げ、一瞬後ろの観客席に目を向けた。
 口に手を当てて屈み込む。
「空戦っつっても、芝居だよ。勝敗も筋立ても決まってて、面白い試合じゃないぞ」
「そう、ですか」
「昼は目をリセットしておいたほうが午後のを新鮮に見れていいよ」
 プロ同士の試合を生で見せるのに、真剣勝負を行わないのか。残念ではあったが、それならそれで午後の分をより楽しく見られるよう努めたほうがよさそうだった。
「じゃあ、行きます。」
 席を立ち、ワタルについて通路の段を上がる。
 その間、耳、足の裏、背中の順に妙な感覚があった。
 自分達の後ろのほうが、通路が混んでいるようだ。

 午後の四チームのうち、前半二つの演技が終了。
 ワタルの言うとおり、リセットされた目で午前と変わらない新鮮な気持ちで楽しむことができた。
 満足のうちに再び長めの幕間。昼より立席する観客が目立つ。
「あ、お菓子か何か買ってきますね」
「ん……、ああ」
 出店のあるエリアはやや混雑し、軽食・甘味のブースには短い列、機体の展示には人垣ができていた。
 普段なら人の目を気にして近寄れなかっただろう。今はもう一度目を休めて最後まで楽しみ尽くしたい気持ちが勝り、全くためらわない。
 昼食のときから気になっていたクレープのブース。
 甘く香ばしい香りに誘われ、列に並ぼうとしたとき。
「そこの白女ぁ!!」
 背後から、女性の乱暴な声が響く。
 該当するのが自分しかいないことがすぐ分かり、振り返る。
 声の主は、髪を後ろで一つにまとめた藤色の飛行服の女性。釣り上がった目を突き刺さんばかりにこちらに向けている。
「私(わたくし)のことかと思いますが、どんなご用でしょうか」
 彼女は自分の体の色しか見ていない。以前母親に会わされてきた人々と同じ。
 こちらも表面のみで対応すれば充分だ。
「あんた、ヒムカイ・ワタルの連れだよね」
「はい。私は彼と二人でここに参りましたが、彼がいかがいたしましたか?」
 女はやりづらそうに眉間を歪める。
「昼にあんたら二人で席を立っただろ。つまらない芝居だとか何とか言って」
「ええ。確かにあのときはショーを見続けることより、目を休めてまた午後からの分に備えることを優先いたしました。それが何か?」
「何かってことないだろ」
「はあ、そうおっしゃられましても……」
 痺れを切らした女の右手が伸び、ネオンの上腕を掴む。
「ヒムカイみたいな名が知れてる奴が、あの人たちのショーを大勢の前でけなして観客を他所にやった!それがどういうことか、分かんない訳!?」
 ここに来たとき、確かにワタルは目立っていた。自分達の後に席を立った観客が多いと思ったのも、ワタルに倣ってついてきたためか。
 しかしネオンはワタルがショーをけなしたと認める気はなかった。
 大勢に見せると決まっているものなら筋書き通りにやるのは仕方のないことだろう。そして、それはネオン達が空戦に求める物とは違うから見ないほうを選んだ。ただそれだけのことだ。
 それに、手を出してしまったこの女に対して聞く耳を持つ必要はもはやない。
 女はネオンの腕を振り回しながらまだ何かわめいているが、それを聞き取る気ももうネオンにはなかった。
 本格的に打撃を食らう前に警備員か何か来ないものか、と考えたとき。
 女の動きが止まった。
「蜘蛛を背負ったまま、そういう真似をするのはご勘弁願いたいね」
 女が首を向けるほうには、同じような飛行服の男性が二人立っている。
 女の肩に手を置くのは女と似た髪型でやや小柄な男。その脇にはドレッドヘアーの大柄な男がいた。
 藤色の飛行服には蜘蛛の巣の網目。
 本日のラストを飾る曲技チーム「64ビーツ」の、丹羽青児と出黒沢(でくろざわ)銀である。
 女はネオンの腕から手を離し体ごと振り返った。
「ごめんなさい!でもこいつヒムカイの連れで」
「昼のことは聞いてるよ。でもその子に乱暴していいことにはならないんじゃないかな」
「ムカついたんならヒムカイに直接言えばいいんだぜ」
 出黒沢が女の背後を指差す。
 客席の段を登ってこちらに来るワタルの姿があった。
 女は空気が抜けたようにしおらしくなり、後ずさり気味に人ごみに消えていった。
「遅かったみたいだな」
「ヒムカイさん」
「出黒沢の言う通り、俺の責任だ」
 ワタルに対して丹羽も出黒沢も非難する構えには見えない。
「気にすることはないよ、僕らのファンのほうこそ失礼したね」
「本物の試合じゃないのは確かだしなー」
 そう言うと出黒沢はネオンのほうに目を向けた。
「お前かあ、最近ヒムカイが面倒見てる女って」
「は、はい」
 視線と口許に、嘲笑の色が浮かぶ。
「なんか、あのヒムカイが気張って育てるにしちゃあ……なあ」
「ん、そうかい?」
「勝負には厳しいって聞いてたけど、女には甘めえみてえだな、ヒムカイ?」
 ワタルは答えない。
 ネオンの毛細血管が、再び冷え始める。
「でも一度に五人連続で倒したりしたって聞いたね」
「調布のヌルい連中だろ?横浜の奴らも鬼塚っての以外大体やられたっていうけど、案外大したことねえんじゃねえの?」
 ネオンの中に何かが積み上がり、
 次の一言ずつが雪崩を呼んだ。
「まっ、僕だったら彼女には勝たせてあげるかもね」
「ああ、なるほど。皆さんお優しいこって。
 ……、あ?」
 一歩踏み出し、出黒沢の前に。
 ワタルはパイロットとしての自分と向き合ってくれているし、今まで戦った人々とも真剣に決着を付けてきた。
 この二人は何も知らずに気楽な言葉を繋げている。
 ワタルも鬼塚も、調布の皆だって、
「あなた達みたいな人に……、絶対負けない」
 出黒沢の顔が妙な具合に歪んだ後、
「へえ?」
 むき出しになった歯を伴って眼前に突き出る。
「んなこと言って大丈夫かい、嬢ちゃん?俺は丹羽みてえに優しくねえぞ?」
 首から下はただの重り。以前ワタルはそう言った。
「では、来週試合ということでいいですね。場所はここでかまいません」
「上等!ヒムカイ、てめえはどうすんだ!?」
 指差されたワタルは平静な様子。
「丹羽がやるなら相手する。別々でいいな?」
「ああ、そうしようか」
 知らぬ間に人ごみは店の前から自分達の周囲に移っており、本日の主役が決めた試合の約束にどよめいていた。
 観客席の向こうで四機のクロスファイアが飛び立つ。
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