デニムスカイ第十九話
「The Gates Of Delirium -Encounter-」
 草紅葉で真鍮色に染まりつつある芝生を、はるか眼下に見渡す。
 ネオンは上昇姿勢を一分のずれもなく保ち、シルフィードを駆け上がらせていた。
 東寄りに風防で減光されて見える太陽の中に、影はない。タワーから迫りくるワタルの全速急降下を、ネオンは防ぐことができているようだ。
 週末の貴重な直接指導。ネオンの胸は高鳴ったが、思考にはさざ波一つ響かず落ち着いていた。
 大回りして忍び寄ってくるだろうか。視線は地平線をなぞる。
 その視線とぶつかり合う、
 黒い十字。
 左後方。
 高度は大差ない。
 やはり回り込んできた。
 左横転、上昇を緩め加速。
 迎え撃ちにかかる。
 ワタルが高速で接近。
 やや右に寄りつつある。
 フェイントをかけてくるか。
 以前見たのと同じではあるまい。
 互いの射程圏が近づき、
 右横転。
 ネオンは旋回するが、
 ワタルは振り抜き、
 背面に入り直進、
 腹側を抜ける。
 ネオンはさらに横転、
 内側に向かって落ちる。
 背後でワタルが半ループ。
 水平なままでは後下方から刺されていた。
 同じ高度のほうが対応できる。
 すぐに間合いが詰まる。
 そのまま右に急旋回。
 ワタルは倒れ込み、
 内側に巻き込む。
 目は離さずに、
 外に跳ね、
 逆転を返す。
 振りほどける。
 そう思ったとき、
 唐突にブザー。
 ロールを終えても何が起こったのか分からなかった。
 どちらもバレルロールの最中だったのにワタルがこちらを狙えたとは信じられず、思わずログを開く。
 風防の表示は正真正銘、ワタルが正確にネオンの軌道上を狙い撃ちしたことを示していた。
 ワタルは以前より一つ、本気を出してくれるようになった。一緒に降下するワタルが、近くなったようでもまだまだ遠いようでもあり、一人ヘルメットの奥で息だけの笑いを短く漏らす。

「見つけてから姿勢変えたところ、あれは良く考えないとな」
 ヘルメット部分から顔を出すなり、ワタルは指摘を始めた。
「レイヴンと上昇力で競っても仕方ないけど、相手が何か分かるとは限らないし……、見えないよな?」
「あ、はい。あの距離だと」
「だよな。まあ、例えばレイヴンだと分かってたとしてだな……」
 機体を曳いて芝生を歩きながらワタルは話し続けた。声音は生き生きと弾んで心地良く、不満より期待を感じさせる。
 カフェに着いてもさらに話し合いは続く。そのうちテーブルの上のログは、本来の軌跡に加え別の手を打った場合の仮想的なパターンまで補遺に備える充実したものになっていった。
「よっし、午後と明日は別の手を試そう」
「はい。あの、このログなんですけど」
「ん?」
 日下氏にもまとめの腕を認められたネオンだが、一つ気掛かりなことがあった。
「協会が発表してるログって、やっぱりみんな一人でまとめるんですよね」
「特別なの以外はな」
「私一人だと、こんなにきちんとまとめるには時間がかかっちゃって仕事になるかどうか……」
 ワタルが以前勧めた、フリヴァー協会が保管・発表するログを編集する仕事についてである。
「ああ、あの話か。考えてくれてたんだな。お前一人でも協会のよりうまくできるだろ?」
「そうなんですけど、一人だと時間がかかっちゃって」
「実際始めてみりゃなんとかなるよ。俺なんかそのバイトで始めてやったんだしな」
「ヒムカイさんもやってたんですか?」
 勧めてもらったときには聞いていなかった。ネオンが高い声を出すと、ワタルの目がほんの少しだけ逸れた。
「あ、ああ。まあ、少しな。小遣い程度に」
「そうかい?随分頑張っていたと聞いたけれどね」
 低い声が割って入る。
 日下氏が椅子を引いて同じテーブルに着いた。深緑のコート姿もそろそろ季節相応に見えてくる。ワタルの眉間には皺。
「始めの頃に作った分がまだ公開されているから恥ずかしいのかい?」
「余計な事を……」
「ははは、誰にでも未熟な頃はあるものさ。君は口頭で伝えるほうが得意だしね」
「日下さん、今日はどうしたんですか?」
 新型機の開発が始まって数ヶ月、週末でも日下氏がカフェに訪れるのは珍しくなっていた。
「うん、お二人にこれを差し上げようと思ってね」
「送ればいいのに」
 唇を突き出すワタルを余所に、日下氏の両手の上にはきらびやかな立体映像が一つずつ浮かび上がった。
 抽象化された三羽の白い鳥が一糸乱れぬ隊形を保ち、雲を後ろに曳きながら滑らかな輪を描き続ける。
 その中心には、丸いロゴマーク。「立川飛行場エアロバティックス大会 特別観覧席招待券」と記されている。
「綺麗」
「ああ、立川もう来週か」
「カブラギさんは曲技大会を見たことはなかったかな。我がレイヴンを使うチームも出場することだしね。しっかり見てきなさい」
「ありがとうございます」
 日下氏は二人の手の平に手を重ね、それを渡した。早速出場チーム一覧を開き、使用機種欄からレイヴンの名を探す。
 後ろのほうに見つけた横には、見覚えのあるチーム名があった。
「あ、そっか小松田さん……」
 曲技チーム「カラミティーズ」のリーダー、小松田は、ネオンの知っているだけで三度この飛行場に訪れ、自分を含めこの飛行場の大半のパイロットに敗北を喫してしまっていた。
「あんまり上手くなさそうだと思ってるか?」
「あ、はい、まあ」
「空戦じゃ小松田が素直すぎてすぐ騙されるけどな、アクロはかなり上手くやるよ」
 以前ワタルは、半端なチームにレイヴンは貸せないと言っていた。カラミティーズは半端ではないからレイヴンを使わせてもらえたということか。
 他に知っているチームがあるわけではないが、出場チーム一覧を眺め続ける。
 使用機体はレイヴン以外に、スピアゲイル製作委員会製「スティレット」、日本個人航空学会製「クロスファイア」、ジェネラルナノテック製「バズビー」、等。
「空警隊のお下がりばっかりだな」
 皆レイヴンと同じときに空警隊の採用審査を受けて惜しくも不採用となった、発売間もない高性能機である。採用された五栗工業製「王鷹」はまだ市販が解禁されていない。
「主役もだ」
 ワタルが指差すのは、中間と最後のエキシビジョンを勤める地元のチーム「64ビーツ」。機種は「タランテラD」とあった。
「タランテラBの改良ですよね」
「ああ、パワーアップ版だな。スピードもシルフィード並だぞ」
 最終演技の予定時刻は日没を過ぎていた。

 薄い絹雲がかかる下、色とりどりの翼で賑わう空中を、白と黒の二機が進む。
 大会当日、立川飛行場周辺は朝早くから続々と観客が集まっていた。管制システムはせわしなく働き、各機とも行儀良く順に降りるしかない。
 導かれるまま白いシルフィードが降りたのは、雛壇になった観客席の真正面にある発着場だった。
 機体を外すにも気後れするくらい席からよく見える位置だが、後がつかえている。仕方なくヘルメット部分から白い髪を露にし、急いで機体を畳む。
 ワタルが降りるのはまだ何機分も後らしい。ちらちらと振り返りながら駐機場に向かう間もネオンは多くの視線を周囲から感じていた。
 その視線も黒いレイヴンが降下してくるとそちらに逸れ、さらに多くの目が向くことになった。
 低いざわめきが聞こえてくる中、ワタルは普段通り手早く機体を畳んでこちらに追いついてくる。ワタルの周囲だけ道が空いていて、すっと背筋の伸びて凛としたシルエットが際立っている。
 大傑作「レイヴン」を初仕事で作り上げたワタルの顔と、背中の「満月を追うカラス」は知れ渡っているようだ。
 自分は彼と、あの一際目立つ堂々とした男性と、二人だけでここに来ているのか。
 振り向いたまま固まっていたネオンの肩をワタルは空いているほうの手で軽く叩いた。
「ほら、行くぞ」
「はっ、はい!」
「やっぱりここはユーロが多いな」
「え?」
「タランテラばっかりだろ。スカイギャロップも多いし、あれなんかテレポーターだな。珍しい」
 確かに、細長いカナードと垂直尾翼を持つタランテラが特に目につき、ユーロフリヴァー製の機体が優勢だった。
「本当ですね、海外の機種自体余所では少ないのに」
「64ビーツは前からタランテラだからな」
 地元立川での、64ビーツの人気をうかがわせるものである。
 駐機場の傍、観客席の裏手には賑やかな屋台の出店に加えて様々な機体の立体映像が展示されていた。
 フリヴァーパイロットのための祭だと実感させてくれるが、やはりタランテラDが奥の正面に目だって大きく陣取っている。
「使ってるチームの人気にあからさまに比例してるよなあ、ウチはそこそこか」
「あっ、レイヴンのチームって一つだけで」
「お前らああ!!」
 管制でなら聞き覚えのある、雑な声が響く。
 振り返ると、黄緑の飛行服を着た五人の男が立っていた。
 他の四人を置いて駆け寄ってくる小松田は、太い眉を吊り上げながらも鰓の張った頬に笑みを浮かべている。
「空戦じゃやられたけど競技じゃ違うからな!俺らの活躍しっかり見とけよ!」
「分かってる分かってる、日下さんにもよろしく言っておいてやるから」
 小松田は高笑いを上げ、ワタルは柔らかな苦笑いを見せた。
 大切に作り上げた機体を使わせるワタルと日下氏は彼らの腕を信用し、高性能だが運動性に重きを置いていないレイヴンを使う彼らは機体のクオリティを信用しているのだろう。
 置いていかれた四人の中から小松田と対称的に淡泊な顔付きの男が歩み寄ってきた。
 小松田の肩に手を置き、軽く会釈。
「うちのリーダーが失礼」
「いや。頑張って」
「ありがとう!」
 相手は和やかな雰囲気だったが、ワタルの声がやや硬く何かに警戒しているのがネオンには分かった。
 そっと首を回す。
 こちらから視線を外し、選手席の奥に去る男がいた。
 一瞬見えた肩は、藤色の飛行服。
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