Lv100第九話
「赤マント -琉奈と移動博物館-」
登場古生物解説(別窓)
 それは、恐竜や古生物を飼っている人や施設がまだとても珍しかった頃。
 小学校の朝のホームルームで、私達は変わった知らせを受けた。
 「移動博物館」が体育館にやってきて今準備をしているから、興味があったら放課後見に行くように、と。
 後から知ったことだが、普通は移動博物館と言ったら学芸員さんがいくつか標本を持ってきて理科や社会科の特別授業を行うことを指す場合が多いらしい。
 しかし、私が何となく、せっかくだからと入ってみた体育館には、確かに「博物館」が「移動」してきていた。私の地域は博物館から遠いから、博物館がどんな風か知らなかったけど。
 低くて低学年の子でも覗き込めるテーブルが、いくつも並べられていた。
 それは天板がとても分厚く、標本箱になっているのだ。
 並べられているのは巻き貝や二枚貝、アンモナイトや魚やシダ植物、全て化石だった。あるものはアクリルの蓋が付いて、またあるものは蓋がなくワイヤーがくくりつけられていた。
 初めて見る、本物の化石。でもそれよりももっと目を引くのが、奥の方に立っている男の人だった。
 いくら本物の博物館を知らなくても、多分こういう人が働いていたりはしないだろうと分かった。なにせ燕尾服に蝶ネクタイを締めてマントを羽織り、シルクハットにステッキまで揃って、古風な手品師さながらだったのだから。
「さて、お集まりの皆さん」
 意外と若々しい声で話し始めた。
「今日は私の移動博物館へようこそ!私がこの移動博物館の館長です。今日皆さんにご紹介するのは、恐竜の時代が始まる頃、二億年以上も前の三畳紀の生き物です」
「ここに書いてある」
 一人の子がラベルを指して言うように、確かにどの化石のラベルにも三畳紀と書いてあった。
「そう、化石も全部三畳紀だよ。みんなの住んでるここと関係あるものを持ってこようと思ったけどね、この辺りの地層はほとんど火山灰。化石が出て来ないんだ。それで、僕の得意な時代を選ばせてもらったよ」
 館長は抑揚をたっぷり付け、白い手袋をした手をオーバーに動かしている。
「リストロサウルスだ!」
 さっきとは別の子が、何か四角い頭蓋骨を持ち上げて叫んだ。
 言っては悪いが地味めな化石が多い中で、動物の骨は立派に見えて、一瞬で注目を集めた。
 すかさず館長が解説を始める。
「そう、それがリストロサウルス!三畳紀が始まる前からいた、僕達哺乳類の祖先に近い生き物だよ!」
「本物?」
「ううん、残念ながらレプリカなんだ。でも、本物そっくりに型を取った立派な標本だよ。気をつけて、もし壊れたら僕はしばらく夕飯がジャガイモ一個になっちゃうから」
 また大仰な手振りと表情で皆の笑いを誘った。
 しかし、なんだ偽物か、と誰かが言ったのを館長は聞き逃さなかった。
「本物が見てみたいかな?」
 一転して低く響く声が、視線をレプリカから奪い返した。
 実物化石があるなら、蓋付きでも最初から展示していないのはおかしい。実物を後から出しても、レプリカと同じ形でしかないはずなのに。
 本物とは何だろう。
「本物は、今ここで待っているよ」
 白手袋の指が示す床には、赤い布が敷かれていた。
 館長はかがんで、布の端を摘む。
「さあ皆さん、ご覧あれ!これが二億五千万年の時を越えてやってきた、単弓類リストロサウルス!」
 やっぱり館長は手品師だった。
 素早くめくられた布の下から、ウサギを入れるような上の抜けた檻が現れた。
 中身はもちろん、レプリカと同じ四角い頭をしていた。
 深緑の丸い胴体、這いつくばった太い四肢が続く。
 跳び退くように離れる子と前に乗り出してくる子の間で、私は棒立ちのまま動けなかった。
「大丈夫、大人しい生き物だから、慌てないで!今からリストロサウルスの背中に触りたい子は、こっちに並んでね」
 その場に立ち尽くしたまま、気が付けば私もその列に混ざってしまっていた。
 リストロサウルスは先頭の方にいた子に背中をさらさらと撫でられながら、まぶたを半開きにしてじっと伏せている。
「床が硬そう」
 ある子が言うように、檻の下に敷かれているのは白く塗られた硬そうな板だった。心配して言ったのだろうが、館長は「良く気付いたね」と嬉しそうに声を上げた。
「実はリストロサウルスは穴掘りの名人なんだ。この写真を見てごらん」
 館長は白板に貼られた写真パネルをステッキで指した。数人の人がシャベルを持って、渦巻き状の穴を掘り出したところが写っていた。その横には別のリストロサウルスがいる。
「これはある施設で自由に巣穴を掘らせてできたものだよ。柔らかい床だとこんな風に、頑丈な口と牙で掘り抜いてしまうんだ」
 館長がレプリカを手に持って動かしながら説明している間に、列の先まで来た。
 リストロサウルスは依然じっとして、まぶたの向こうから真ん丸の瞳で見上げてくる。
 背中にそっと触れると、まずひんやりとした鱗の感触があった。その奥に、背骨と肋骨の丸み、呼吸で収縮する動き。
 息を呑んだのも一瞬のことで、後に続く子が気になってすぐ離れてしまった。少し離れて見ている間も、リストロサウルスは大人しく触られ続けていた。
 列が片付いたところで館長が再び前に出てきた。
「さあ、続いてご紹介するのはもう少し哺乳類に近くなった生き物だよ!」
 標本棚を挟んで反対側を館長がステッキで示す。いつの間にか、布のかかった檻がもう一つ置かれていた。
 その布が、ひとりでにはらりと落ちた。
「哺乳類の祖先の一つ、トリナクソドン!」
 そう呼ばれた生き物は檻の中にうずくまっていた。
 明るい褐色の毛に覆われた背筋は柔らかく曲がり、鼻もひげも尻尾も猫そっくりに見える。
 ただし、耳たぶはなく、脚はさっきのリストロサウルスと同じように左右に這いつくばっていた。哺乳類のようで哺乳類でないもの。
 リストロサウルスのときとは違って、静かな歓声がその場に満ちた。
 こちらの檻は上が開いていない。トリナクソドンは天井に向けて頭をもたげ、カアア、と声を立てて大あくびした。露わになった鋭い牙が光る。
 その後上を向いたまま、鼻をひくつかせた。檻の外を探ろうとしているように見えた。
「彼女はお腹が空いているみたいだね。今からご飯をあげるけど、トリナクソドンは肉食動物。ちょっと怖いものを見るかもしれないから、注意してね」
 そう言って館長は、胸のポケットから白いハンカチを引き出した。
 一振りすると、それは死んだハツカネズミに変わった。
 また何人かの子が跳び退いた。そうやって死んだネズミの尻尾をぶら下げていると、館長が手品師というより吸血鬼に見える。
「血が苦手な子は後ろに下がって目をつぶってね」
 そう言って自分も左手で目を覆う。
 きゃあきゃあ言いながら目をつぶる子もつぶらない子もいたし、私や他の子は黙ってじっと見ていた。
 館長は檻の蓋を少し開け、ネズミを落とす。
 トリナクソドンは素早くくわえ取り、早速音を立てて骨を噛み折った。
 ネズミを牙で真っ二つに千切ると、口の中に残った方をゆっくり噛み砕いていく。それを飲み込むと、今度は残りに取りかかった。
「口の中や胴体が、今の犬や猫とそっくりにできているんだ」
 館長はさっきまで棚になかった化石のレプリカを手に持って説明している。
 確かに、二億年以上前の生き物が猫そっくりの食事をしていた。
 残った尻尾からトリナクソドンは関心を失い、口の中のものも飲み込んで再び首を下げた。
 館長のシルクハットがごそごそと音を立てて揺れたのは、それと同時だった。
 皆気付いて、帽子を見上げた。館長もかがみ込む。
「もう一匹、食事の催促をしているよ」
 帽子は二度三度と、中から揺さぶられる。
 皆が固唾を呑んで見守る中、音と動きがますます大きく長く続き、止まらなくなる。
 ついには中身がひょっこりと顔を出した。
 一対の曲がった鉤爪と尖った頭、ぎょろりとした眼が、帽子を持ち上げて館長の額に這い出してきた。
「これは三畳紀のジャングルで木に登って暮らしていた爬虫類、名前はドレパノサウルス!」
 トカゲに似た胴体が館長の肩の上に現れると、尻尾も帽子の中からずるりと出てきた。今度は素直に笑い声の混じった歓声が上がった。
 ドレパノサウルスは肩で向きを変えて、帽子の上を目指した。人差し指のだけ大きくなった爪を縁にひっかけ、ぺたりと動かした後ろ足で鍔をつかんで登っていく。
 黄緑と灰色と水色の縞模様が太い尻尾でますます目立ち、染め上げたポニーテールのように館長の首筋に垂れ下がった。
 それに触ろうと一人の子が手を伸ばすと、館長は立ち上がってパネル状の化石を手に取り、それとなく避けた。
 尻尾の先には鉤爪があって、うっかり刺されたら痛そうに見えた。登頂したドレパノサウルスは尻尾を曲げ、爪を鍔に掛けた。
 化石を端の子に渡して順に回すように言うと、館長は両手をくるくると動かした。
 右手の中に出てきたのは紙で蓋をした広口壜。
 手を伸ばして見せてきた中身は、何匹もの茶色く細長い芋虫だ。本気の絶叫と半笑いの悲鳴が上がる。
 館長がそれを掲げるとドレパノサウルスは身を乗り出して壜の口に取り付き、蓋を爪で破いて虫をくわえ込んでいく。
 正直に言うと、私も周りで騒いでいる子と同じく、ネズミがバラバラになるより虫の方が嫌なはずだった。でもこのときは、元気良く食べる様子が先立って気にならなかったのだ。
 また壜が空になったタイミングに合わせて、頭上からしわがれた高い声が響いた。
 見ると、二階の手すりに何か複雑な形のものが掴まっている。
「ああ、あれはこの博物館で一番のいたずら者、翼竜のエウディモルフォドンだ!また勝手に出歩いて、あんなところまで行ってしまったんだ」
 これは流石に冗談だと私も皆も分かったが。
 畳まれた左右の翼は、背後の窓から差し込む光に透けて薄いオレンジ色をしていた。
 館長は手早くステッキの取っ手を回して外し、中から棒を引き出して取り付け直した。一瞬でステッキは片寄ったT字になった。
「この笛で呼んでみよう」
 と言って、余った取っ手を口に当てる。
 キョロロロロロ、とおかしな音が鳴った。
 エウディモルフォドンは体を押し出しながら翼を広げて、手すりから離れた。
 先に鰭の付いた長い尾が続いて現れ、十字のシルエットが体育館の空間を滑った。
 ごく短い羽ばたきを織り交ぜながら、壁面すれすれまで広がった円を描いて、ゆっくりと滑空する。
 館長がもう一度笛を吹くと、エウディモルフォドンは翼をすぼめて旋回を早め、館長の背後に突っ込む。
 再び翼を広げてブレーキをかけ、上体を起こす。館長が上に伸ばしたステッキの横枝に手の爪で引っかかり、さっきと同じW字のポーズで止まった。
 自然に拍手が沸き起こり、館長はカマボコの切れ端をエウディモルフォドンにあげてから深々と一礼した。
 スタンドにステッキを繋いで立てると、まだ帽子の上にいたドレパノサウルスもそちらに移って昇っていった。
 気が付けば館長の周りに集まっている人数はだいぶ減り、他はやや遠巻きに見ているか体育館から出て行ってしまったようだった。私はいつの間にか最前列になっていた。
「さあ、次が最後の生き物だよ。ここまで残ったみんなに、本物の恐竜を見せてあげよう」
 それを聞いて皆がざわめく。
「今までのは?」
「今までのは、恐竜とは別の生き物なんだ。最初に言ったことを覚えているかな?今日みんなに見せたのは、いつの時代の生き物だった?」
「三畳紀!」
「そう、三畳紀。恐竜の時代の始まった頃だ。現れ始めたばかりの恐竜が、その前からいた生き物に代わって地球を支配するチャンスを今か今かと待ち構えていたんだ」
 館長は声のトーンをぐっと抑えた。
「恐竜はそれから、生まれたばかりの哺乳類を夜と日影の世界に閉じ込めて、我が物顔でのし歩くことになる。そんな恐竜の一つが、もうすぐ近くで息を潜めて出番を待っているんだ」
 傾きかけた日の差し込む体育館で、館長の声はますます低くおどろおどろしくなり、私達は息を詰まらせた。
「さて、その恐竜に餌をあげてみたいという勇敢な子はいないかな?」
 その呼びかけに、すぐさま飛びつく子はいなかった。
 皆トリナクソドンがネズミを引き裂き、ドレパノサウルスが芋虫を踊り食いするところを見せつけられている。恐竜ともなれば今度こそものすごく凶暴な捕食者が登場するのではないかと、身構えてしまう。
 でも、恐竜を早く見てみたい。それは皆も同じ気持ちだっただろう。
 それで、一番前にいた私の右手が、おずおずと持ち上がることになった。
 すると館長は表情をふっと緩めた。
「うん、君はとても熱心に優しく見てくれていたね」
 またどこからか取り出して、一株の小松菜を手渡してきた。
「さあ、決して驚かさないようにお気をつけて!最も古い恐竜の一つ、エオラプトルの登場だよ!」
 ささやき声とともに、大袈裟に身をかがめて指を立てる。
 それから、マントの前を開いた。
 中から跳び出したのは、ほっそりして芯の通った感じの生き物だった。
 真っ黒い大きな瞳と黄緑色の毛を光らせて、小首を傾げ長い尾を揺らし、細い後ろ脚で踏み出す。仕草は鳥、それも臆病なチャボによく似ていた。
「エオラプトルから二千万年後の子孫は十メートルにもなる大きな植物食恐竜だけど、最初はこんなに小さくて、びくびく隠れながら暮らしていたんだ」
 後ろの方から妙なため息が聞こえてきた。思ったよりずっと小さかったので拍子抜けしたり、怖がって手を挙げなかったことを後悔したりしているらしかった。しかしここまで最前列に残った多くの子が、エオラプトルに見とれていた。
 小松菜を差し出すと、エオラプトルは少し疑わしげに首を伸ばして口先を葉に触れ、それからぱくりと一口くわえた。
 しっかり持っているとエオラプトルは次々と葉を千切り取って、飲み込んでいった。やはり飼育小屋のチャボそっくりだ。やがて茎だけ残ると、安心してその場にしゃがみ込んでしまった。
 私はついエオラプトルの頭の上に手を伸ばしてしまったが、館長も手の平を差し向けて促してくれた。
 そっと頭を撫でると、滑らかな毛の感触と体温が伝わってきた。

 それから十数年。
 私はキャップをかぶり、つなぎを着て、トラックのハンドルを握っていた。
 目的の小学校に着くと校庭まで乗り入れ、助手席にいた同僚と一緒に荷室の扉を開いた。
 そこには、あの日見たのと同じような種類の古生物達がひしめいている。エオラプトルが一番多く、十頭以上。
「お疲れ様」
 声をかけてやると皆こちらを向いた。子供に触られるのが役目のようなもので、皆人に慣れている。
 私達のように古生物を扱う移動動物園も全国にいくつか出来、同業者と交流することも多い。
 しかし、あの日体育館を幻の館に変えたマントの館長は、自分自身をかき消してしまったかのごとく、誰に聞いても手がかりすら掴めなかった。

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