Lv100第七十四話
「オロチ編その4 コアトリクエ」
登場古生物解説(別窓)
「どう?使えそう?」
「特に問題ないようですね」
 ディプロドクスのオンライン見学から二日後には、園長が再びオンラインで事を進めていた。
 ゾルンホーフェン条約に基づいた審査に向け、タンバティタニスの飼育展示計画に関して関係者が自由に意見を出してまとめられるオンラインチャットの開設である。
 飼育、展示、設備がすでに主なスレッド(話題)として設置されていて、スレッドに沿った発言を書き込むことも、新たに別のスレッドを設立することもできる。
 ひとまず、私が調べた論文や資料を保存した共有フォルダのアドレスを飼育のスレッドに書き込み、論文の読み込みに戻った。

 昼過ぎになると、展示と設備のスレッドにいくつか書き込みがあった。
 まず展示のスレッドから見てみると、地図のような画像が目についた。画像も直接掲載できるのだ。
 展示課から投稿されたものである。やはり口火を切るのは担当部署か。
 場内の地図に出来る限り広い範囲の放飼場と竜舎、バックヤードを重ね書きしたレイアウト図である。現時点では非常にざっくりとしていてなんとも言えないが……、
 一つ見逃せないことがあった。
 放飼場の中にタンバティタニスだけでなく別の小さな恐竜のシルエットも書き込まれ、「混合展示」と下線付きで添えられていることだ。
 混合展示とは、別種だが同じ地域に生息する動物同士で生活空間を共有させ、生態系を幅広く表現すること。
 タンバティタニスとプロバクトロサウルスを同じ放飼場で過ごさせようというのである。
 確かに、タンバティタニスの化石のごく近くからプロバクトロサウルスに近縁な恐竜の歯が発見されていて、両者は生息地を共にしていたようなのである。
 当時の生態系を表現するのに効果的だと、投稿した飼育課長も他の課員も自信を持っているようだが……、
 そうすべきでない理由に心当たりがあった。
 私は共有フォルダの中に、プロバクトロサウルスが発見された地層の環境についての論文のファイルを置いた。
 そしてそのファイルのアドレスとともに、展示スレッドに「混合展示は避けたほうがよいかと」と書き込んだ。
 続いて設備のスレッド。
 こちらにもざっくりとした図が投稿されていた。竜舎の大まかな寸法推定である。
 内部空間の幅と奥行きは米国立自然史動物園のディプロドクス舎の半分、八十メートルほど。
 ひとまずたたき台としてはそんなもので、タンバティタニスがどんな動作をするか検証して決めていくことになるだろう。
 しかし高さ八メートルというのだけは引っかかった。ディプロドクス舎はその三倍はあるが。
 書き込みには続きがあった。
「高さに関しては、ないとは思うんですが、念のため首を付け根から完全に垂直に立てたときの高さから余裕を持たせてます」
 そのような姿勢を取ったタンバティタニスの骨格の3DCGも付いていた。
 しっかり立ったまま首だけ真上に一直線というのはなんとも奇妙なものである。ただ、一見不自然でも一応想定しておくというのは正しい。
 それに、この骨格の復元が綿密に行われた妥当なものであるということは調べが付いている。
 しかし、である。そこまでの無理はなくて、なおかつもっと高くなってしまう姿勢が、一つありえた。
「無理のある姿勢も想定しておくのは賛成ですが、後ろ脚だけで立ってさらに高い姿勢を取るかもしれません」
 このように書き込んでおいた。

 その日は結局、両スレッドとも夕方まで新しい書き込みはなかった。

 翌朝。
 展示のスレッドを見てみると、最新の書き込みは大林さんのものになっていた。
「もしかしてタンバティタニスとプロバクトロって環境がけっこう違う?」
 論文で示してはあるのだが、まとまった英文を読むには時間もそれなりにかかるだろう。
「篠山層群は砂漠とまではいかないもののかなり乾燥したサバンナでしたが、プロバクトロサウルスが発見された大水溝組は雨季と乾季がはっきり分かれているとはいえもっと湿潤でした」
 こう書き込んだ。
 次は設備のスレッドだが、こちらも最新は大林さんの書き込み、しかも写真だった。
 エウロパサウルスの、メスのライネのはずだ。前脚を浮かせて体を起こし、首を上に伸ばして杉の樹皮をくわえて引っ張っている姿だった。
 以前、大林さんが目撃してスマホで撮り、広報用の短文SNSのアカウントで使われた写真だった。
 大林さんからの「これ?」との書き込みに、設備課からの書き込みが続いている。
「これだと確かに首だけ立てるより高いですね」
「エウロパが小さくて身軽だからというのはあるかも」
 そこで私は、タンバティタニスの骨格図の画像を用意し、編集ソフトで尾の付け根の下側に丸を付けた。
 タンバティタニスの大きな特徴の一つ、異様に長い血道弓……尾の下側の小骨がある位置だ。
「私もタンバティタニスにはきついと思いますが、尻尾の付け根がこれだけ太いということは、後ろ脚だけで重心を支えるのが得意かもしれません」
 と書き添えて貼っておく。

 返事を待っていないでどんどん調べものを進めないといけない。
 飼料に関しては大筋でエウロパサウルスやディプロドクスに利用される人工飼料が通じるだろうが、篠山層群の植物を調べて飼料が妥当だという裏付けを取りたい。
 篠山層群の植物かそれに近い現生種そのものの生の葉も、飼料として与えられるかどうか検討しておくべきだ。エウロパサウルスには杉の葉を与えることがあるし、ディプロドクスには松の実が与えられている。
 西宮の古環境復元センターで当時の植物、ブラキフィルムやオトザミテスのサンプルが手に入るはずだが栄養の分析は行われているだろうか。それそのものでなくても近縁種の分析例はいくつかある。
 まずは手近な……しかしおそらくチャットやメールがあまり通じないところへ。
 圃場の道を林の奥へと進んでいくと、木々から払った枝を積んだトラクターが見えた。
 運転している作業服姿のお年寄りは、元々ここで林業を営んでいて今は植栽課の一員として活躍している今井さんである。
 ひとまず作業の邪魔になってはと林道の脇に立ったが、今井さんは通り過ぎずに目の前で止まった。
「おお、来た来た」
 私が来ることを予見していたようなことを言いながら降りてくる。
「ほれあの、大林っちゅうたかね、なんかにぎやかな子が、相談に来るだろうからそんときよろしくって」
「ええ……」
 どうも今朝から大林さんに面倒を見られている気がする。
「で、あれやろ。丹波竜の計画のこと」
「あっ、はい。では、今も杉の葉を一部恐竜の餌に分けていただいていますけれど、分けていただく量を大幅に増やすことは可能でしょうか」
「そらもう、今と比べたらどんだけでも」
 今井さんは荷台にこんもりと積まれた枝を指差した。
「なるほど……今の五倍は確保できそうですね」
「いけるいける」
 ひとまず荷台の枝の写真を撮っておいた。審査用の書類にはきちんと重量を書くことになるだろうが、今はだいたいの感覚を掴めばよい。
「ところで、入り口近くに植わっているナンヨウスギですが」
 実はこちらのほうが気になっていた。当時の針葉樹に近いのでもし葉が収穫できればと思ったのだが、
「ああ、あれ俺よう知らんのよ。分かる連中に任しとる」
 当てが外れてしまったようだ。
「針葉樹っちゅうても色々でな。あれなんかけったいな木でなあ。ま、木のことも面白がって調べたらええわ」
 今井さんはそう言って屈託のない笑みを見せた。水の中の小さな生き物を見せてくれたときの大林さんの表情に通じるものがある。
「ありがとうございました。またたびたびご相談に伺うと思います」
 私は頭を下げ、今井さんは片手を上げてみせながらまたトラクターに乗り込んだ。

「あ、ナラちゃんも今昼かい」
「ええ」
 作業をしていた大林さんが事務所に戻ってきて、休憩用のテーブルでお弁当を食べ始めた。
 私は朝買ってきたパンをかじりながら、パソコンの画面に骨格の3Dモデルを映していた。
 さっき「立ち上がれるかもしれない」ということを書き込んだが、これからもっと詳細な骨格や筋肉の検討が必要になる。この方面の専門家に連絡を付けねば。まずは博物館に聞くか。
 自分で眺めるぶんには、大まかなスタイルはおおむねエウロパサウルスの大型版といってよい。ただし真横から向きを変えてみると腹部がとても幅広い。
 全身のうち三割だけ見付かったなかでも尾が独特だからと新種として命名されたのだから当然だが、気になる点はやはり尾にある。
 さっき挙げた下側はただ血道弓の骨が長いだけだが、上側に突き出るほうの小骨、棘突起は、ぐにゃりと曲がった異様な形をしている。
 これがどんな筋肉を支えていたのか解剖学の専門家でもない私には見当もつかないが、もし尾を振る力に関連するなら同じように尾をよく振る恐竜のことが参考になるかもしれない。
 尾を振ることに注意が必要といえば……鎧竜、ガストニアだ。防御のために棘の生えた尾を振り回すので、周囲に当たって事故を起こすのを防止しなければならないという。
 ガストニアを飼育している動物園にも観察のコツや安全上の注意を聞いてみよう。
「メール書くかパン食べるかどっちかにしなよぉ」
 後ろから大林さんに突っ込まれた。つい左手でパンを持って右手でキーボードを打ち始めてしまったのだ。
「む……、ではメールを」
 袋を下敷きにしてかじりかけのパンを置く。
「どちらにー?」
「博物館と福井の動物園に……、大林さんにもメーリスで届きますので」
「うーい」

 メールを送ってパンを片付けてから見てみると、展示スレッドの状況は一変していた。
「つまり、一緒に住まわせるとどちらかにとって不利な環境になってしまうと」
 まずこのことを展示課のメンバーも察していた。
「せっかくすでにプロバクトロがいるわけだけど、プロバクトロはあくまでプロバクトロであって、タンバティタニスと一緒にいた鳥脚類ではなく」
 単純に飼育だけでいえば分かってほしかったのはそこまでだったが、流れはまだ続いていた。
「いかにしてタンバティタニスの周りにいた恐竜を、それそのものでない恐竜で表現していくべきかという」
「展示上の課題と向き合わないといけない」
「やっぱり全体の配置をもっと工夫しないと」
 そう、展示の面からいえばそういうことになってしまう。そして、
「どうせ全面リニューアルでしょ」
「混合展示じゃ安直すぎたんだ」
「そうでなくてもあんな大型の初めての飼育なんだし」
 と体制を立て直して、スレッドはまだまだ続く。
「仕切られてはいるけど一緒に見える配置とか」
「パノラマ展示かあ」
「水場と植栽で仕切る?」
「よく見てる人にはプロバクトロは違う種類だって気づいてもらえるといいよね」
 具体的な代替案がいくつも出て、活発な議論がまだまだ行われていた。

 設備スレッドはもう少し静かなものだったが、
「確かにこうすると高さ十メートルくらいですね」
 との書き込みとともに、先程のエウロパサウルスの写真と同じポーズを取ったタンバティタニスの骨格CGが貼られていた。
 わざわざ骨格の3Dモデルを動かして検証してくれたのである。
「検証ありがとうございます。大きくて腹部が幅広いタンバティタニスにはつらい体勢だとは思いますが、動物に絶対はありませんから」
 そう書き込んでおいた。
 竜舎内部の高さはすんなり決まりそうだ。

 どうやらチャットは上手く働くようだ。これなら、私は気を付けるべきだと思ったことをどんどん書き込んでいけばよい。
 もしタンバティタニスを本当に飼育するなら、必要なことは何なのか。条件を洗い出し、その条件を実現する方法が飼育員である私の守備範囲外に出るなら、しかるべき部署に渡す。他の部署からも同じような動きが起こる。
 この過程を経て審査に必要な項目を埋めていくのだ。
 放飼場や竜舎の面積が確保されても、そこにタンバティタニスにとって良い環境を整えなければならない。
 例えば、乾燥した環境に近付けるよう水はけがよく、また足に負担をかけない柔らかい砂が必要だ。
 それから、放飼場も竜舎の中も、タンバティタニスが長い首と尾を自由に振り回しながら突っかからずに歩ける配置でなければならない。これは骨格と筋肉の検討、それに当時はおそらく木がまばらだったことを反映する必要がある。
 いつでもタンバティタニスが要求する気温や湿度、日照を確保できること、しかもタンバティタニス自身で選べることも重要だ。そうすると、穏やかな気候の三田市でも湿気は大敵だし、冬は暖かい竜舎で過ごせなくてはならない。
 こうして飼育環境の基本的な要件が決まれば、それを実現するのに必要なものが検討できる。
 その一方で、施設を整備しても在来の生き物をなるべく排除しないことも大事だ。
 この指摘を受けて、当時いなかった生き物が見えてしまうのをどうするか、と展示分野の新しい課題が起こる。優先的ではないが忘れてはいけないと、新しいスレッドが立つ。
 植栽課が西宮の古環境復元センターから当時の植物の成分分析表を受け取った。針葉樹のブラキフィルムとシュードファネロプシス、当時独特のグループであり現在代替品のないオトザミテス。
 どれも栄養価が低く食物繊維が多いことが分かった。ならばやはりそのような飼料を用意しなくてはならない。エウロパサウルスと同じもの、圃場の管理や地域の森林管理計画と関わってくる杉やヒノキの葉。ナンヨウスギのほうが当時の植物に近いが、まとまった量の葉を収穫できるほど速くは育たない。

 このようにして、活発な検討が半月も続くと、初めはうっすらと気になり、そのうちはっきりと気にかかることがあった。
 一つは、展示課も設備課もすっかり、タンバティタニスを本当に飼育展示する気になっていること。
 私はいつでも引き返せるようにするべきだと思っているが、皆のモチベーションは本気でなければありえないものになっていた。
 それは元からそういうものだと分かっていたが、それにもう一つ。
 チャットの開設当初から大林さんが私の世話を焼いてくれている。
 私の書き込みでスレッドの流れが詰まると、大林さんがそれをフォローするような書き込みをして流れを取り戻す。
 このようなことがたびたびあって、私の意見がとても通りやすくなっているという実感があった。
 もし最初のときに大林さんの書き込みがなかったら……。チャットに書き込むとき、私はそのことを意識せずにいられなくなった。

 梅雨真っ只中の雨の中を、複数あるエウロパサウルスの竜舎の中で最も静かな一つへと歩いた。
 最近は自分のシフトではない日にも、竜舎に引きこもっている老齢のザックスの様子を見に行くようにしているが、今日は大林さんと共にターゲットトレーニングを行うシフトだった。
 竜舎に入ると、ザックスがまるで寝起きのゾウガメのように遅い動きで振り向いた。
 ほんの一、二ヶ月程度の間に、ザックスの動きはずいぶんゆっくりになってしまった。
 大林さんはザックスに向かって、細い竹竿にペットボトルを取り付けたターゲットを掲げる。しかしあんまり反応が悪いので、ターゲットをあまり高々と揚げることができない。
 近いうちにターゲットに反応できなくなりそうな気さえする。
 なんとかトレーニングを終えて大林さんが振り向いた。
「ボケてターゲットのこと忘れてなくてよかったー」
「ええ」
 竜脚類に認知症があるとは考えづらいが、確かに、ザックスがちゃんと反応して動けるのは何よりだ。
「他に病気でも何でもないし、とにかくのんびり過ごしてもらいたいよね」
「そのとおりです」
 ザックスについて私のほうから積極的に話さないのに気付いて、大林さんは私のほうに真っすぐ向き直し、小さく首を傾けた。
「チャットのことでお話がありまして」
「あぇ、なんか私変なこと書いちゃったかね」
「変というか」
 大林さんがあまりにも普通にしているので、急に自分が自意識過剰な気がしてきて次の言葉が出なくなってしまった。
 確かに大林さんは私の書き込みにフォローを入れてくれていたが、他の人にもそうしていなかったか私は確かめていない。
 頬をかいて視線をそらしたりしていると、
「よくさー、ナラちゃんで流れ止まっちゃってて、もったいないなーって思ってー」
「いえ、いえいえ。とても助かっています」
 考えすぎだった上に、よく流れを止めているとまで思われていたではないか。
「心配をかけてしまってすみません」
「いーっていーって。私が勝手にやってるだけっていうか、」
 すると今度は大林さんのほうが頭をかいたりはにかんだりし始めた。
「私が一方的に、ナラちゃんのファンなだけだから」
「ファン?」
「ナラちゃんって、恐竜のことをすごく真面目に考えてるじゃん。何が恐竜のためになるのかって。私は恐竜すごいってキャーキャー言ってるだけなのよ」
「それは……」
 モシリュウのショックを引きずっているから。
「私が、恐竜に対してそういう捉えかたをしてしまうだけなので」
「それでいいんだよ。だって、世の中の人は私よりもっとキャーキャー言ってるだけかもしれない。それじゃあ恐竜にとっていいことなんてできないから」
 大林さんはターゲットの竹竿を両手で立てて持って歩き出し、私の顔を見ずに話し続ける。
「だから私がナラちゃんを推していかないといけない、って思ってさ!」
 そう言い終わる前に、大林さんは足早に竜舎から出て行った。
「ほら、雨やんでるうちに戻ろ!」
「そうですね」
 大林さんは決して恐竜の魅力に騒いでいるだけの人ではない。本当にそんな風では飼育員は務まらない。
 正直かなり騒がしくはあるが、思ったよりずっと頼もしい人だと分かってきた。

*****

 事務所に戻って温かいお茶を用意していると、園長が悪戯っぽい笑みを浮かべながら近付いてきた。
「楢崎さん、他の施設にも頑張ってメールしてるよね」
「ええまあ」
「チャット見てみてよ」
 マグカップを持ったままパソコンの画面を見ると、チャットに「自己紹介」とのスレッドが増えていた。
 そこには見慣れない名前の書き込みがいくつもあった。
 組織名はこの「きょうりゅうの国」の部署ではない。古環境復元センター、科学動物園、ひらまきパーク、福井県立勝山動物公園、メガロサファリ、それに博物館や大学……。
 検証のために情報をもらっている施設を中心に、外部の施設の名がずらりと並んでいるではないか。
「外部の施設も参加できるようにしたんですか!?」
「タンバティタニスの参考のために研究してた施設も多いからね。元々こうなるはずだったんだよ」
 こうなれば検証の早さも公正さも今までとは比べ物にならない。と同時に、責任の重さも、外部を巻き込む分相当増すのだが。
 皆めいめいに自己紹介を書き込んでいる。私も彼ら向けの自己紹介を書き込まなければ。
「あ、それから」
 園長が話を続ける。
「地域メインでやってることに他の地域の人を巻き込んでるのもあって、この辺で一度地域の人達に挨拶する機会が欲しくって、今度半分オンラインの交流会をすることになったんだ」
「半分オンライン?」

 翌週、「きょうりゅうの国」の事務所ではなく、三田市の博物館近くにある市民センター。
 視聴覚室には長机が四角く並べられ、奥のスクリーンを見る形で大勢の人々が椅子についていた。
 三田市、丹波市、丹波篠山市、それから神戸市の、観光利用に関わる商工議会所、土地利用や飼料の供給に関わる農協や林業関係、そして教育委員会など、利害関係者である様々な組織から代表が集まっていた。
 以前オンライン会議をした三つの市の教育委員会の代表の姿もある。
 スクリーンにはオンライン会議の画面が映し出され、先日からチャットに参加している飼育施設や研究施設の面々が参加しているのが分かる。
 一方、「こちら」からは園長と展示課や設備課の課長、学芸員をはじめとして博物館の数名、それからなぜか私と大林さんがさも飼育課の課長であるかのように並べられていた。その席は園長が兼ねているはずだが。
 半袖のワイシャツ姿の――普段私たち飼育員と同じように作業着を着ているので珍しい――園長が立ち上がり、周囲を見回して挨拶を始めた。
「皆様、お集まりくださいまして大変ありがとうございます。「兵庫きょうりゅうの国」の園長です。今回ですね、私達が兵庫を代表する恐竜であるタンバティタニス、通称「丹波竜」の飼育について検討を進めているということで。特に関係の深い地域の皆様に、どんな団体がどんな考えで進めておりますよということをご承知おきいただきたいと思いまして、このような場を儲けさせていただきました」
 そして園長が手元の小さなパソコンを操作すると、スクリーンの表示はタンバティタニスを紹介するスライドショーに移り変わった。
「まあ多くのかたはご存知かと思いますけど、ここで一旦タンバティタニスってどういう恐竜だろう、それを飼うために「きょうりゅうの国」はどう変わろうとしてるんだろう、ということをお話しておこうと思います」
 それから、私達にとってはとっくによく知っていたり今まさにチャットで話し合ったりしている最中だったりする内容の話が続いた。
 そんな話でも地域から集められた恐竜と無縁な人達は驚いたり怪訝な顔をしてみせたりするので、私はむしろそちらをよく見てタンバティタニスがどう思われているか知っておこうとした。
 大林さんは、園長の話が続いているのをよそに、すでにテーブルの上に置かれたお菓子などつまんでいる。
「おおごとになってきたねえ」
「ひとごとのように言わないでくださいよ」
 よく見るとこのお菓子がまた、癖のある品揃えだった。
 ピーナッツほどの大きさの涙滴型をしたナッツと、なんだか丸っこい感じのポップコーン。それと一見ポテトチップスのようだが妙に平板なスナック菓子。
「さて、今テーブルに並んでいるお菓子はみんな恐竜に関係あるお土産ものなんです」
 スライドショーが終わって、まさにそのお菓子について園長が話し始めた。
「ナッツはアメリカの動物園で売っている、恐竜が当時食べていたものに近い種類の木の実です。ポップコーンは中国の動物園で売っている、恐竜の餌に人間用に味付けしたものです。それからポテトチップスみたいなものは、国内で先にタンバティタニスと同じくらい大きな恐竜を飼っている動物園から届きまして、ちょっと変わった植物の実でできています」
「なんか苦い……」
 大林さんはスナックをかじって首をかしげている。
 私は私で、ポップコーンを手に取って何か違和感を覚えていた。
 濃厚飼料、つまりタンパク質や脂肪の供給源としては優れていそうだ。だが、私が指でつまんでいるそれと同じものをマメンチサウルスが食べていることが、感慨があるというのではなく不自然に感じた。なぜだかは分からない。
「いずれこのようなお土産物を兵庫でも作って売ることになりますけど、どうでしょう、植栽担当としては」
 今井さんが「ナンヨウスギを任せている」と言った植栽課の学芸員に話が振られた。
「うーん、これそのものは日本では厳しいですけど、五葉松の実ならなんとか」
 やはりナンヨウスギの収穫は日本では難しいのだ。
「お土産ゆうたら丹波竜まんじゅうみたいなんを想像してましたわ、ベタすぎやったかなあ」
 と丹波市の商工議会所の代表が苦笑いし、園長が応えた。
「もちろん、本当に飼育が始まりましたらそういったシンプルなものも大歓迎です。それはそれとして、ですね」
 背筋を伸ばし、会場の皆を見据えて、園長ははっきりした声で続けた。
「こちらの会場にお集まりの皆さんの多くは、新たな観光資源としてのタンバティタニスに期待していらっしゃると思います」
 何人かが、話のトーンが変わったのに気付いて目付きを変えた。
「もちろんそういう面はありますが、ご留意いただきたいのは、もしタンバティタニスを蘇らせたら、それは今立っているモニュメントとは違って、私達人間が責任を持たなければならない新しい命になる、ということです」
 私達にとっては大前提だ。だからこそゾルンホーフェン条約に基づく審査というものがあるのだ。
 観光関係の人は目を丸くし、農林関係や教育関係の人は細かくうなずいた。
「そんな責任を取ってまで飼育する第一の目的は、タンバティタニスがどんな生き物か、この兵庫がかつてどんな世界だったかを明らかにすることです。なので、それを知りたい、ということを尊重していただきたいと、こう考えております」
 皆居住まいを正したり、視線をそわそわと動かしたりしている。
「とはいってもですね、根っからそういう風に意識を変えるのも難しいでしょうから。小さなことでもお気軽にこちらにご相談いただくとか、あるいは、ご苦労をおかけしますが、教育委員会の皆さんに舵を取っていただくとか、していただければ、それが何よりです」
 園長が頭を下げ、教育委員会の人の拍手に皆が続いた。

「さて、私達「きょうりゅうの国」以外にもタンバティタニスや白亜紀の兵庫の世界について知りたいということで全国から協力してくれている皆さんと通話が繋がっておりますので、順に自己紹介いただこうと思います」
 そう言って園長が席に着き、パソコンを操作すると、スクリーンにはオンライン会議の参加者のひとりが大きく映った。
 赤っぽい砂の敷かれた大きな放飼場を背にしたスーツの女性だった。
「科学動物園からご挨拶いたします。こちらではタンバティタニスに近い大きさで、タンバティタニスと同じような環境に暮らしていた恐竜をすでに飼っています。日本はすでに大きくて首が長い恐竜の実績がある国です。全面的にサポートさせていただきます」
 頼もしい言葉、そして遠くに見えるアマルガサウルスの姿に大きな拍手が上がった。
 次に映ったのは、水槽でいっぱいになったスチールラックの前に立った大柄な男性。
「こちら西宮の古環境復元センターです。ここでは当時の環境をカエルや植物から探ってますので、タンバティタニスを飼育する大きなヒントが提供できます。皆さん、恐竜の足元のカエルもよろしく!」
 そう言って彼はカエルの入った小さなプラケースを持ち上げ、和やかな拍手を受け取った。
 その次は作業服の女性、そしてその頭上の餌台から野菜をかじり取る、二足の植物食恐竜。
「私は岐阜県のひらまきパークという動物園の獣医です。こちらではタンバティタニスの遠い親戚にあたる恐竜を飼育研究しています。私達にアドバイスできることでしたらなんなりと協力させていただきます」
 あの恐竜はルーフェンゴサウルス、確かにタンバティタニスとはやや遠縁だ。しかし本物の迫力には会場から歓声が上がった。
 続いて、緑の広大な放飼場を見下ろす展望台に立っている、作業服というより探検家風の衣装の女性。
「はーい、こちらメガロサファリです!ここではかなり大きめの恐竜を群れで飼育しているので、大規模な恐竜飼育のノウハウが提供できたらと思いまーす!」
 そう言って彼女が画面右にずれてカメラが進むと、放飼場に散らばって過ごす大小何種もの恐竜が見えて説得力を醸し出した。
 今度は広い野外とは打って変わって、研究室風の部屋に座った白衣の男性が現れた。
「皆さんはじめまして、仙台の大学から参加しております、卵の研究をしている者です。恐竜を蘇らせる技術に関わっていますので、いざ挑戦というとき、それと、将来タンバティタニスが自力で産卵するときに、お手伝いさせていただきますね」
 遠大な計画が飛び出して一同はどよめき拍手した。本当はタンバティタニス以外の恐竜についても相談させてもらうのだが。
 再び野外だが、ナンヨウスギらしき木に囲まれた建物の前に立つ飼育員風の女性が映る。
「福井県立勝山動物公園からお邪魔します。タンバティタニス、素敵なお名前ですけど日本では二番目だと思います!」
 唐突によく分からない強気な発言が飛び出した。
「一番はね、福井とつながってる地層が誇る、アルバロフォサウルスなんですよー!ということで、似た種類もちらほら出ているので、色んな種類の恐竜のことがお手伝いできたらと思います!」
 これは分かる人しか分からないジョークではないだろうか。とりあえずの拍手が起こり、画面はどこかの博物館の収蔵庫に集まった三人組に切り替わる。
「はい、こちらは北海道の博物館です。ではカムイサウルスは日本で三番目にいい名前ということにさせていただきたいですねっていうことで、北海道でも兵庫に似た恐竜が色々発見されているんですが、寒い北海道だとなかなか恐竜が飼えないので、研究のほうで関わらせていただいておりまーす」
 博物館ではもうとっくにあちらと連携があるはずだった。なにしろそのカムイサウルスと淡路島で見付かったヤマトサウルスの比較が行われている。
 これで今回オンラインで集まった協力施設からの自己紹介は全て終わり、会場はひときわ盛大な拍手に包まれた。

「はい、全国色々な地域の皆さんが手を貸してくださっていることをご紹介いたしました。あ、そういえば私とこちらに出席している飼育担当の二人も、実は兵庫ではなくってまた別の、たまたまなんですが恐竜にゆかりのある土地の出身なんですよ」
 へえ、と皆の声が上がるが、私も園長や大林さんが兵庫出身でないことをはっきりとは知らなかった。確かに二人とも関西訛りではないが。
 しかし……、私の場合はあまりよくない因縁かもしれない。
「なのでね、皆さんのふるさとの恐竜をお預かりさせていただく立場なのを、しっかりと受け止めております」
「あ、じゃあ、はい」
 手を挙げたのは、子供達が描いた恐竜の絵のことで以前話した、教育委員会の代表だった。
「オンラインの皆さんにも色々お話しいただいたことですし、お三方にも、それぞれご地元の恐竜のお話や恐竜への思いをお聞かせいただけたらなと」
 園長が、そうしましょうか、など確認を取るまでもなく会場は拍手や歓声など賛成一色に包まれてしまった。その中で私だけが、指先の冷える思いをしていた。
 大林さんの恐竜への思いが聞けるなら、それは賛成だった。しかし私の、モシリュウの話をこんな和やかで明るい場で披露するのは……、
 ……大林さんにだってどんな過去があるのか知らない。知らないから聞きたがっている以上、私も話さないわけにいかない。
「では、そうしましょう。いいかな二人」
「はい!」
「はい」
 私も大林さんと同時に合意した。
「では私から。私は三重県の鳥羽という、海っぺりの生まれでして」
 鳥羽と聞いただけで真っ先にある恐竜が思い浮かんだ。
「親しみがあったのは海の生き物のほうだったんですけど、私が二十歳の頃ですね、名古屋で漠然と大学生やってたんですが、鳥羽の海岸で恐竜が見付かったっていうんですね。タンバティタニスと似た感じの大きな恐竜なんです」
 鳥羽竜。全身揃えばタンバティタニスよりやや大きいと思われる竜脚類である。モシリュウよりは多くの部位が発見されているが、それでも詳細な分類や命名、実像の解明には程遠い。
 私が国内の竜脚類に対する失望を固めることになった材料の一つであった。
「そのときは、すごいことではあるけどこれは飼育するところまでいかないだろうな、なんて斜に構えてたんですね。当時は恐竜の飼育が東京の動物園でも始まって、これからは恐竜飼育だ、って大騒ぎになってましたから、恐竜はみんな飼えるか飼えないかで判断されてたんです」
 モシリュウも飼えるかどうかという目で見る空気がうっすらとあった。しかし園長は鳥羽竜を冷静に見ていたわけだ。
「まあ、それでも何か深いところにガツンと来てたんでしょうね。気付いたらこうやって恐竜の動物園の園長になっておりました。なので、こうやって飼えるかもというところまで来ているタンバティタニスは本当に大事な恐竜だなと思っております」
 園長は改めて頭を下げ、列席者は園長を、地元の財産を預かる者として受け入れた。
「では次、大林さん」
「はいっ。私はですね、熊本の御船町というところの出身なんですけど」
 大型肉食恐竜、ミフネリュウの発掘地だ。歯のみが知られ、飼える飼えないという俎上に載ることはない。
「実は地元の恐竜がすごいって気付いたのはほんと最近のことで、それまでは地元の恐竜に全然興味なくって」
 悪戯っぽく笑って言っているが、私を含め誰もがぎょっとして大林さんを見た。まさかこの場で「地元の恐竜に興味がない」というフレーズを聞くとは思わなかった。
「なんでかって言うと、山とか田んぼで生きてる鳥を見たり、ちっちゃい生き物を捕まえるほうが、骨とか歯のかけら見るより面白かったからなんですけど」
 ああー、という声も聞こえてくる。現生動物や再生された古生物が好きな人はどうしてもそうなってしまう。
 しかし確かに、御船町の生き物とのふれあいが、今のビオトープを世話し野鳥に心奪われる大林さんの礎になっているのではないか。
「ほんとに夢中になって鳥を見てたんですよ。でも、あるとき父がさっき出てきたメガロサファリさんに連れてってくれて」
 大林さんの声に熱がこもり始める。
「ゴルゴサウルス、日本にいる中では一番大きい肉食なんですけど、見たら、鳥だっ!って思って」
 十メートル近い恐るべき肉食恐竜ゴルゴサウルスを一目見て鳥と断ずるとは。
 しかも大林さんは一気に早口になり、手振りまで加わっている。
「スッスッスッていう歩きかたとか、毛の感じとか、目つきとか、恐竜は鳥なんだ、鳥の仲間のもう一つの可能性だったんだ、って思ったら、そのときから恐竜のことがすごく面白く感じて」
 鳥が恐竜から派生したという事実の話ではない。大林さんが自分の目で開いた、新たな視座の話であった。
「今も面白がりながら飼育員してますけど、地元から色んな恐竜が出てるのが面白いって分かったのは、丹波からも色んな恐竜が出てるって、知ってからなんです」
 大林さんはそう一気に話し終え、大きな息をついた。
「えーっと……、こっちのナラちゃ、楢崎からは、私はあんまり地元の恐竜の話を聞いたことがないんですけど、すっごい真面目に恐竜のこと考えてる頼もしい人なので、なんでそんな真面目なのか聞かせてくれると思います」
 そう言って大林さんが私にマイクを手渡すと、押し流されるように話を聞いていた皆は糸が切れたように小さく笑いを漏らした。
 大林さんはこちらに視線を向けて微笑んでいる。
 そうか、私がなぜ恐竜のことを真剣に考えているのか、それを話していいというのか。大林さんが、私のことを推してくれるから。
「二人の話でもお分かりかもしれませんが、国内の恐竜はごく断片的なことが多く、なかなか詳しく分かることはありません」
 先程の大林さんとは全く違うトーンになってしまったので、会場は静まり返った。
「私が生まれた岩手で発見された……モシリュウも、そんな情報の少ない国産恐竜のひとつです」
 その名前を実に十年ぶりに、ためらいながら口に出した。
「小さい頃はイラストや参考用の別の恐竜の骨格を見て、モシリュウを地元の偉大なヒーローのように感じていました。しかしあるとき、それらがたった一つの不完全な骨と数十年前の推定を基にしたもので、実際はそんなはっきりしたイメージは描けないことを急に知らされました」
 この顛末をこんなにまとめて話すのは初めてだ。地域の恐竜への愛着が壊れた話など、この場にはそぐわないのかもしれない。
 しかし今の私がエウロパサウルスの飼育法をまとめ、タンバティタニスの検証に力を注いでいることの礎にあるのは間違いなくこれなのだ。
「それは大変なショックでした。しかし、全体像が詳しく分かる種類がどれほどありがたいかも理解しました。化石や生体から得られる恐竜の情報はとても貴重なもので、人間の判断で生き返らせてしまったならなおさら、その情報を大事にしなくてはなりません」
 これに対して細かくうなずいている人もいるが、
「タンバティタニスも非常に詳しく分かるという域には達していません」
 そう告げておかなくてはならない。
「全身の骨格のうち三割が発見されていますが、国産の恐竜としては充分多いものの、飼育しようとしている恐竜としてはやや少ない数字です」
 我知らず、マイクを握る手に力がこもった。
「幸い、タンバティタニスは体の特徴や生息環境を推測する材料が比較的よく揃っています。骨格だけでなく、地層や近縁種全てから得られる限られた情報を、生まれてくる命のために最大限生かせるよう、多くのかたのご協力が必要です」
 そう言い終えながら、私は自然に頭を下げていた。
 大林さんが背中をポンポンと叩くと同時に、会場からもオンラインの各所からも拍手が上がった。
 マイクは大林さんを経て再び園長へ。
「今話してもらった楢崎はうちの中で特に慎重、というか、たまに悲観的ですらあるんですけれど、それで助かっていることがたくさんありまして」
 やはり買いかぶりだと感じはするが、それにしては園長の話しぶりには自信があった。
「楢崎の厳しさと大林の明るさ、こういう各々の持ち味があるからこそ、計画をベストな方向に持っていってくれると、確信しておりますので、どうぞこのチームにご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします」
 交流会は成功に終わったようだ。園長は胸を張り、大林さんは満面の笑みを浮かべている。
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