Lv100第六十五話
「マナイアと青鷺火 -美晴と右青としらす(九州ペンギンミュージアム歴史館その二)-」
登場古生物解説(別窓)
 ペンギンミュージアム歴史館の水槽にはドームがかぶさっていて、水族館としては珍しく朝日がたっぷりと差し込んでくる。
 開館一時間前。ここで暮らす世界最古級のペンギン、ムリワイマヌ達にとって重要なひとときだ。
 正確には、ムリワイマヌをお客さんにも早く見せたい私達にとってかもしれないが……。
 順路は大きな円筒を囲んで左に曲がりながら登るスロープで、右には高い水槽がそびえ立って並んでいる。最後まで進むと円筒の上のテラスに出て、水槽の陸上部分が見えるのだ。
 しかしムリワイマヌの水槽にだけは、上から下までしっかりとカーテンがかかっている。
 その端を錘に結んでいる紐を獣医の長岡さんがほどいて、そっとカーテンを開く。
 スロープの始まりにはミュージアム中の従業員が集まっている。解説員のブレザーを着ているのは私だけ、大半の人は作業用のつなぎ、事務作業の格好の人もいる。皆、長岡さんと水槽をじっと見つめて待っていた。
 五羽のムリワイマヌは今まさに、深く潜っては水中を行き交い、餌のアジをつまみ取っているところだ。
 ペンギンとしては比較的大きい。細長い首とクチバシ、それにすらりとした顔付きは、ペンギンというよりサギか何かを思わせる。背中の色も真っ黒でなく薄い。フリッパーの関節は普通の鳥のように曲がり、左右でM字を作る。
 ごく初期のペンギンとはいえ、泳ぎは決して下手でない。すいすいと見事なものだ。
 皆が潜っている今のうちだ。
 私達は水槽の前に歩き出し口を開く。一転、館内には開館中のようなざわめきが起こる。
「最近出た論文で……」
「子供の名前の公募なんですけどね……」
「ハロウィンの飾り付け……」
「卵焼き味のアイス……」
 わざとはっきりした声で雑談し、足音をしっかり立てて。
 一瞬、ムリワイマヌ達の間にそわりとした動きが広がる。
 しかし彼らはすぐにこちらから気をそらし、食後の運動とでもいうべき優雅な泳ぎを続けた。
 急いで水面に戻ってしまった一羽、「右青」を除いて……。
「右青、上がりましたー」
 テラスから見張っていた飼育課長が告げて、あーっ、という声が広がった。
 公開展示に慣らすための訓練が、右青だけうまくいかないままもう一ヶ月。
 いつもどおりの展開にこっちがすっかり慣れてしまい、皆ばらばらと持ち場に戻っていく。
 私は、そのまま順路のスロープを進んでテラスまで上がってみた。
 ムリワイマヌ達がここに来て一年以上。展示に慣れる訓練を初めて半年近く。その間、研究が進んで分類が変わり、ワイマヌという名前だったのがムリワイマヌに改名された。
 生体が見られなくても掲示は更新される。
「見るのが無理だから「ムリ」ワイマヌなの?」
 そんな言い方もされてしまった。
 テラスの上では、飼育課長がまだ右青を見つめていた。
 周りは廊下の上の吹き抜けを挟んで水面、さらに外側は岩肌と草木。
 そこに過ごす海鳥達の鳴き声と波のさざめきまで響いて、まるで海鳥が暮らす島にボートで近付いているかのようだ。
 ガラスの向こうの音声を潮騒に合わせて流す装置がすでに動いているのだ。
 右青は平たい岩の上に短い脚で真っ直ぐ、まるでペンギン然として立っている。
 一方、関節で畳んだ翼とぐっと曲げた首はペンギンではない水鳥を思わせる。
 右の翼の腋に識別のための青いカラーバンドを巻いているのが呼び名の由来だ。公開するとき愛称を付けるかどうかはまだ決まっていない。
「右青は、他より一年年上なんだがね」
「はい」
「その分、元の施設の環境に馴染んでいてここに慣れないのかもしれない」
 五羽のムリワイマヌは全て、水槽に大きな窓はなく、来館者もまばらな、ニュージーランドの研究施設からやってきた。
 成鳥になってから未知の存在に直面した右青の様子は、ただの臆病ではないのだ。
「元々陸に敵がいないから、陸が安全だと思ってるのかと」
「それもあるだろうね」
 ムリワイマヌの時代、恐竜はいなくなりキツネやヤマネコもまだおらず、海の中のサメのほうがよほどムリワイマヌにとって脅威だっただろう。
 どちらにしろ右青の警戒心の根は深い。
「四羽を先に公開する決断がいるかもしれないよなあ……」
 飼育課長がつぶやきながら、テラスの隅に据えられた特別な解説板をちらりと見た。
 しっかり補強されたファイルが取り付けられている。その中に収まっているのは、地元の小学校の子が手作りしてくれた絵本のページだ。
 ムリワイマヌがここに来ることになった経緯と、ムリワイマヌを歓迎し公開を楽しみにする気持ちが描かれている。
 四羽に先に出てもらうのか、五羽揃うまで来館者の皆さんに待ってもらうのか。
 右青にストレスを強いる選択肢はないが、孤立させるのもまた際どい。かといっていつまでも来館者から引き離していては、ニュージーランドからここに来た意味がない。
 ムリワイマヌを託されたことは、この水族館の価値が正当に認められた証でもあるのだ。それにふさわしい決定でなければ……。
 私達がどう判断するにしても、根拠をもって皆に納得してもらわなければならない。

 午前の海鳥達のフィーディングガイドを行う時間が近付く。
 私は再び、全体を見渡せるテラスの上に出た。すでに来館者さん達が集まってきていた。
 人混みの真ん中には見覚えのある姿が固まっている。年代や服装にまとまりのない、おおむね大人の集団……、熱心なペンギンファンの常連さん達だった。
 ただ、見慣れた常連の集まりといっても、今回は違った。
 いつもなら鳥が潜っている姿を狙うかたまで、水中がよく見えるスロープではなくテラスにいる。
 何やら会話が盛り上がっているようだが……。
 話の中心になっているのは人の輪の中にいる男性だ。三十代後半くらい、やせていて眼鏡をかけている。
 彼もまた見慣れた顔に違いなかったが、常連の来館者とは別だ。まさか一般の観覧エリアにいるとは。
「野見先生。ようこそお越しくださいました」
「あっ、どうもどうも」
 私が呼ぶと、彼はぺこぺこと素早くおじぎをした。
 遠く北海道でペンギンならぬペンギンモドキをはじめとする海の古生物を研究している野見先生だ。来るという連絡自体はあったのだが。
「お声がけいただけばバックヤードにご案内しますのに」
「ああっ、それはまた午後に。むしろこっちから見て学ぶことがね、色々ありましたよ」
 野見先生も周りの常連さん達も皆ほほを緩ませている。
 パラエオスフェニスクスの一羽ずつの性格をよく把握しているご婦人、イカディプテスやコペプテリクスの水中での動きを知り尽くしているカメラマニアの男性、パラヘスペロルニスを愛してやまずグッズを手作りする女性……。
 なるほど、海鳥が好きな者同士話し込めば収穫がありそうだ。
「ではまた、後ほどお声がけしますね」
「はい」
 野見先生と常連の皆さんが一堂に会してフィーディングガイドをお聞きになるとは、手強い回になりそうだ……、
 などとは考えない。
 すでに詳しい人達に採点してもらうのではなく、大昔のペンギンや海鳥なんて初めて見たという来館者さんに覚えてもらってこそのガイドなのだ。
 むしろ、海鳥達に特に好意的な人達が集まっているのは心強い。他の来館者さんのために手すりから離れて真ん中に寄ってさえいる。
 イヤホンとマイクでバックヤードと連絡を取る。ガイド開始の時刻。
「ご来館の皆様、本日は九州ペンギンミュージアムにお越しくださいましてありがとうございます。ただいまより、この歴史館にいる五種類の海鳥達のフィーディングガイドを始めたいと思います」
 音声はテラスだけでなく水槽を正面から見られるスロープにも流れる。
「順路の最初のほうは昔の海鳥、後のほうは新しい海鳥と並んでいます。最初の二種類は白亜紀、ホールの大水槽にいる首長竜と同じく恐竜の時代にいた鳥達です」
 カモメさながらの白く尖った翼が十二対、ドームの下の区画を舞う。ひらりひらりと自在にターンを繰り返し、八の字飛行を繰り返す者さえいる。
 水面に降りようとしているが、そこにはガチョウほどもある大きな鳥が三羽も浮かんでいる。
 鳴き声とクチバシで空からのライバルを阻む。どっしりとした黒い体、長い首と白い眉。
「わあ、何あの鳥」
「アザラシ鳥だー!」
「飛んでいるほうはイクチオルニス、浮かんでいるほうはパラヘスペロルニスといいます。白亜紀は陸には恐竜、海には首長竜やモササウルス、そして空には翼竜がいる時代でしたが、それらより小さな鳥も色々工夫して海に暮らすようになっていたんです」
 話す早さを調節してバックヤードからの合図に合わせる。
「例えば、パラヘスペロルニスですが……」
 裏の作業場から水面に向かって、三つの物体が投げ込まれる。
 パラヘスペロルニスも三羽とも、頭から水中に消える。
 テラスのお客さんは急にパラヘスペロルニスを見失って戸惑う。
 一本ずつがオールのようになった足指が、パラヘスペロルニスの体の一番後ろで水を切り、体を深みに推し進めていく。スロープから見ていたお客さんが感嘆の声を上げる。
 目指すは水底に沈んだ餌かご。
 一つずつにパラヘスペロルニスが取り付き、イカゲソをつまみ出す作業に取りかかった。
「パラヘスペロルニスは足の力であっと言う間に潜って、水底の餌を探すことができます」
 その間にも水面にはアジの切り身がいくつもばら撒かれ、イクチオルニス達が騒ぎ出している。
 今度はテラスのお客さんが驚く番だ。
 イクチオルニスは一旦浮かび上がってから、急降下。
 加速を付けて水面をかすめ通り、切り身をさらっていく。
 尖ったクチバシには細かい歯まであり、獲物を水中から軽々とつまんで離さない。
「イクチオルニスはペンギンミュージアムにいる鳥の中で唯一、空を飛べる鳥です。水面近くの魚に向かって急降下して、素早く捕まえることができます」
 パラヘスペロルニスが餌かごにじっくり取り組んでいるおかげで、イクチオルニスもこうして本来に近い食事ができる……というようなことを、常連さんの一人、グッズ作りの名人の女性が野見先生に説明しているらしき姿が見えた。
「このように、恐竜が絶滅する前から様々な海鳥が現れて色々な暮らしをしていました。ペンギンの祖先も恐竜が絶滅する前に現れていたようです」
 ペンギンがそんなに古くからいたと知らなかったお客さんが感心して声を漏らす。
 この解説の後に恐竜絶滅から間もないペンギンであるムリワイマヌを登場させることができたら、とてもスムーズなのだが……。
「恐竜や海の爬虫類が絶滅してしばらくすると、とても大きなペンギン、ジャイアントペンギン達の時代がやってきました」
 私が手で指し示す水槽では、小柄な人間ほどもある巨体が二つ、泡の筋を引いて突き進んでいる。
 そのペンギンらしからぬ威容は、目にした誰もを圧倒する。
「当館のジャイアントペンギンはイカディプテスといって、クチバシがとても長いのが特徴です」
 急に二羽の片方、サラが下へ加速する。
 サラが次に速度を緩めたときには、クチバシにサバが突き刺さっていた。餌用の配管から飛び出したのを見逃さなかったのだ。
「このように、鋭いクチバシが魚やイカを捕まえる武器になります。当館の飼育員もイカディプテスのことを猛獣として注意深くお世話しているんですよ」
 お客さんの間に、うわあっ、という声が広がる。
「さて、ジャイアントペンギンの時代になってペンギンが栄えても、今と同じでペンギンは南半球にしかいませんでした。しかし、北太平洋にはペンギンと同じような姿で、同じような暮らしをする鳥が現れました」
 ペンギンモドキ!という子供の声が上がった。
「はい、それがペンギンモドキです。こちらはその中でもこの九州で暮らしていた、コペプテリクスです」
 実際にはコペプテリクスはそこまでペンギンそっくりというわけではない。
 一羽が流木の上に大きな水かきで立って、羽づくろいをしているところだった。左の翼に水色のカラーバンドをした、「しらす」である。
 イカディプテスの後に見るとまるで子供のようだが、コウテイペンギンよりも背が高い。
 こげ茶色の背中は前に傾き、顔付きや曲がった長い首はウにも見える。翼や尾には短いがはっきりとした風切羽と尾羽がある。ムリワイマヌ同様、翼を畳むことができる。
 とはいえ、この日本、しかもここ九州に暮らしていたペンギンみたいな鳥は、お客さんにはとりわけ人気がある。
 恐ろしいともいえるイカディプテスに驚いていたお客さん達の空気が、一変して和やかになった。
「コペプテリクスの泳ぎ方にはペンギンとちょっと違うところがあります。お気付きでしょうか」
 水面にいる四羽がすでにそれを行っている。皆、翼を縮めたまま前に進んでいる。テラスからではなくスロープからだったらどうやっているかよく見えるだろう。
 水中の餌用配管からアジが吹き出す。
 すると四羽は、一瞬逆立ちになって、水中に潜っていく。しらすも流木から降りて続く。
「バタフライだ!」
「ホントだ、足も蹴ってる」
「ご覧になれたでしょうか。コペプテリクスは足の水かきの力で水面を進んだり、潜るときに逆立ちになったりしているんです。そして……」
 アジを目がけて進む動きは、まさに「ペンギンもどき」だ。
「水中を進むのに翼の力を使っています。これはペンギンと同じですね」
 コペプテリクスのときはいつも、何かお客さんの視線が熱いような気がする。九州で見付かったということがこんなに九州の人々を惹きつけるのだろう。
 そもそもなぜここにペンギンミュージアムというものがあるのか。
 戦後の捕鯨船が、南極海からここにペンギンを連れ帰ったからだ。
 今はもう国内で繁殖したペンギンしかいないが、それでも今だったら絶対に真似できないような行為が、ここの礎になっているのだ。
 コペプテリクスは皆が胸を張って「ここのペンギンっぽい鳥」といえるものなのかもしれない。
「さて皆様、このお時間は鳥達のフィーディングガイドですが、一つだけ生きた鳥ではないものをご紹介いたします。あちらの天井をご覧ください」
 アジを狙うコペプテリクス達を、水槽の外、テラスの上から見つめるものがいる。
 尖った歯がずらりと並んだ顎に来館者がおののく。三角の頭骨だけが天井から潜ってくるかのように突き出ている。
 子供達が、または子供の父親が、恐竜だ、と叫ぶ。
「ごく初期のイルカ、スクアロドンです。直接コペプテリクスを食べていたわけではありませんが、ジャイアントペンギンやペンギンモドキの後からこのような新しいクジラの仲間や、アシカ、アザラシなどの海の動物が現れました。ペンギンはまた首長竜がいた頃のような小さな立場に逆戻りして、ペンギンモドキのほうは絶滅してしまいました」
 残念そうな嘆息が低く響く。
「あまり大きくないペンギンが生き残って、皆様お馴染みの今のペンギンになっていきました。こちらにたくさんいるのは今のペンギンにごく近い、パラエオスフェニスクスです」
 横長の水槽の陸地部分は起伏の浅い草地になっている。
 いかにもペンギンらしいペンギンが二十羽、多くは水面に浮かんでいるが、ただ立ち尽くしたり歩いたりしているものもいて、思い思いに過ごしている。
 ペンギンファンがその模様を見れば、今いるどのペンギンでもないことがすぐに分かるだろう。クチバシのすぐ後ろから目の上、後頭部にかけて白くくっきりした眉が走っている。
 他に変わったところといえば、段差を飛び越えるのが今のペンギンほど得意でないことぐらいだ。お客さん達も「見慣れた可愛いペンギン」の登場をシンプルに喜んでいる。
 配管からアジが吹き出され、二十羽が色めき立つ。
「今のペンギンと変わらない泳ぎが見られると思います。本館にいる今のペンギン達とぜひ比べてみてくださいね」
 水中のパラエオスフェニスクス達は、ときに華麗にターンし、ときに荒々しく突き進んで、アジを捕えて飲み込む。
 まるで無秩序な騒ぎに見えるが、飼育員はどの個体がどれだけ食べたかきちんと見ている。
 飼育員だけではなく、パラエオスフェニスクスのことを知り尽くした常連のかたも、一羽一羽の行動を区別して捉え、野見さんや他の常連さんに指し示して、楽しそうに語っている。
「このようなペンギンから生まれた新しいペンギンの仲間は、南極を一周する海流に乗って、改めて南極の周りや南米、アフリカへと広がっていきました」
 やがてパラエオスフェニスクス達も皆充分なだけのアジを食べ、動きが緩やかになって何羽か水から上がり始める。
 テラスに背を向け、体を振るわせて水を落とす。
「可愛いーっ!」
 ひときわ大きな歓声が上がったのは、三羽が揃って短い尻尾をぷるぷると振ってみせたからだった。
 尾羽の大きいムリワイマヌやコペプテリクスではお尻を振っているようには見えないだろう。愛らしく見える動作にも海鳥の歴史が隠れている。
「以上で、ペンギンのフィーディングガイド午前の部を終わりたいと思います。お聞きくださった皆様、大変ありがとうございました」

 ガイド後にお客さんからの質問をいくつか受け終わると、テラスの上に残るお客さんの姿はすでにまばらになっていた。
 野見先生の姿は、まだそこにあった。
 据え付けられたファイルに収まった絵本をじっくり眺めているのだった。地元の子が描いた、ムリワイマヌを歓迎する絵本である──

 今もペンギンにとって大切な住処であるニュージーランドで、世界で最も古いペンギンの化石が発見された。
 ワイマヌと名付けられたその二種のペンギンの一方、化石がよく揃っていたほうは、化石から蘇ると大事に育てられ、数年で順調に殖えていった。
 そしてペンギンの歴史を世界の人々に伝えるため、ワイマヌを何羽かニュージーランドの外に旅立たせることが決まった。
 研究所の人達は、大事なワイマヌを預けるのにふさわしい水族館を世界中から探し回った。
 そうして見付かったうちの一つが、ここ九州ペンギンミュージアムだった。
 姿も飼いかたもワイマヌとよく似た地元の海鳥、コペプテリクスを育てている。ここなら、ワイマヌも元気に暮らせるだろう。
 そうしてワイマヌはペンギンミュージアムにやって来た。絵本を描いた子達はワイマヌに会えるのを待っている。
 ファイルには解説として、再生されたほうのワイマヌの種が絵本の執筆後にムリワイマヌと改名された経緯、なぜ子供達を待たせてムリワイマヌの公開を遅らせているかの説明が記されている。

 ──野見先生は絵本を読み終えてすぐにこちらに振り向いた。
 なにか晴れやかな顔をしているように見える。ここに協力している研究者として、地元の子供に成果を認めてもらえているからか。
「お待たせしました。ご案内をお願いします」
「はい。ではこちらへどうぞ」

 そして閉館後。
 出口近くのアンケートボックスから用紙を回収してみると、そう多くもない用紙の中で、自由欄に大きな文字で記入されたものが目立った。
 川柳であることが一目で分かる文字の並び。

 ムリワイマヌ 早く見せろと 無理は言わぬ

 「お住まいの地域」には県内とだけある。野見先生の作ではないのは確実だった。むしろ、野見先生とお話をしていた来館者のかたによるのではないだろうか。
 どちらにしろ、ムリワイマヌを迎えてもう一年半になる今、このような理解にあふれた言葉をいただくとは。
 清書してあのファイルに付け足したいくらいありがたい一首である。展示課に回せば実際にそういうことになるだろう。
 しかし今は展示課より先に見せるべき人がいる。
 ここの指導者のひとりとして、自信を持って判断してもらうために。
 私は飼育課長がいるはずのバックヤードへ急いだ。
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