Lv100第六十三話
「河童(河太郎、猿猴、ガラッパ、水虎、メドツ……) -智とサスケ、ベンケイ、ゴエモン-」
登場古生物解説(別窓)
 九月のことであった。
 豊かな流れの傍らにたたずむ、緑に囲まれた淡水水族館であっても、会議室は普通のオフィスにさも似たりである。
 その白い壁に研究発表などで使うプロジェクターが向けられ、私達職員は皆そちらにじっと注目していた。
 映っているのは、広島の動物園の飼育技師である大島さん。オオサンショウウオの飼育と研究で大活躍しているかただ。向こうとネット会議を開いているのだ。
 明るい顔で、画像をこちらに共有しようと操作しているところだった。こちらの私達はそれとは対称的に、かたずを呑んで見つめていた。
「サスケがよく成長してるおかげで、バッチリ写りましたよ!あれ……ああ、こうか」
 画面は大島さんの顔から、白黒のざらついた画像に切り替わる。
 二千万年も前の種であるにも関わらず今のオオサンショウウオとほぼ何も変わらない、アンドリアス・ショイヒツェリの、日本にいる二個体のうち一方。私達が育てている、サスケのCT画像である。
 中央やや右下寄りには、丸い粒らしきものがポコポコと並んでいた。
 それに気付いた私達は、おお、と声を漏らした。
「卵……」
「はい、メスでした」
 嘆息は、おおーっという明確な歓声に変わる。
 ドイツで化石から再生されたショイヒツェリから、卵としてサスケ達が生まれて二十年弱。
 性別がほぼ分からないという特徴まで今のオオサンショウウオのとおりで、隠れるのが上手いから忍者のサスケだなどと言って今まで皆育ててきたのだ。
 そのサスケに隠された重大な秘密を、今やっと知ることができた。
「いやあ、ありがとうございます大島さん。うちじゃ絶対分からなかったですよ」
 館長が満面の笑みでお礼を述べた。
「まあまあ、こちらにも重要なデータですからね」
「あ、でも」
 心配そうな声を出したのは同僚の優だ。
「ミッチーもメスでしたよね」
「あっ」
 ミッチーとは大島さんのところにいるもう一頭のショイヒツェリ、サスケの姉だ。
「日本にいるショイヒツェリは両方メスだったわけで」
「繁殖ができないことに」
 古生物班長や保全部の部長も、この日本でショイヒツェリを育てるに当たって看過できない、重大な事態を指摘した。
「ドイツから精子をもらって人工受精することは?」
 他の古生物、特に魚でならありえるのだが、
「いやー難しいですねえ。オオサンショウウオの子育ては父親が重要なもんで」
 なんとも残念な知らせである。と、私や優は思っていたのだが、大島さんは特に気にしてもいない様子だった。
「まあサスケもミッチーもまだ若いですし、その辺の心配はこれからということで」
「大島さんがそうおっしゃるなら……」
 オオサンショウウオのことに関して大島さんが悲観していないなら、私達がそれ以上心配できることは何もないのだった。
「図鑑にもこの写真はメスのだとはっきり書けるわけです」
「図鑑!」
 つい声に出して復唱してしまうほど、その言葉でまた明るい気分が戻ってきた。
 動物園の恐竜や水族館の首長竜の写真が図鑑に登場するようになり、古生物図鑑は他の様々な図鑑と同じように生々しいものとなっている。
 しかし化石両生類だけの図鑑というのは未だに存在しなかった。
 何しろ、化石両生類ばかりまとめて飼っている施設もあまりなければ、全国の施設に数種ずつしかいない化石両生類のことを一つにまとめようという出版社もなかったのだ。
 つまり、我々脊椎動物の水から陸への足取りを、一冊の本で追うことができなかった、ということだ。
 それを、比較的出版にも強い大島さんのところで一気にまとめようというのだ。
「サスケとミッチーのページもぐっと説得力が出ますよ」
「よかった。イクチオステガのことも、また何かあれば何でもおっしゃってください」
 ショイヒツェリの他にも、うちには化石両生類がいる。ひとつは三億六千万年前に初めて陸ににじり上がりつつあったものの一種、イクチオステガだ。
「そうですねえ、浅いところで動いてる写真があれば」
 そこですかさず私が叫んだ。
「絶対撮りますんで!」
「頼もしいですね」
 その後は、CT撮影を済ませたサスケがこちらに帰るに当たっていくつか連絡事項があって、何事もなく電話会議が終わった。
 皆席を立つ中、私がぽつりと
「性別さえ忍ぶとはさすがサスケ……いや、サス子」
 とつぶやくと、優が突っ込んできた。
「漢字でどう書く気だ」
「さ、佐に……助の半分の……目……で、子」
「サメ子か」

 その少し後、宿直の夜。
 夜行性であるサスケへの餌は月曜の宿直の役目だ。タッパーに水と、生きたドジョウを入れる。
 サスケのいる水槽の上面は展示室に開いていてバックヤードから手が出せないので、展示側の見回りのときに餌をやることになる。
 メインの順路は主に今の川の生き物を紹介している。上流から下流へ、地元から全国、そして世界へ。
 さらに、過去へ。
 終盤の脇にある「上陸ミュージアム」というプレートを掲げた短い廊下が、化石両生類の展示の入り口だ。
 壁には肺魚やシーラカンス、さらにもっと両生類に近い魚の化石が並ぶ。
 その終わりには、平たい台形の骨が出てくる。両生類の頭である。
 順路は広い半円形の部屋を見渡す角に続く。
 入ってすぐのここが一番高く、床は右側の弧へと下がる緩い坂になっている。
 そして、私のすぐ左手の水槽でサスケが待っている。
 半円の直径に沿って長く続く水槽にはごろごろと石が積まれている。渓流の風景だ。
 いつもだったらサスケは夜になると寝床にしている石の下から出てきて、もっと狩りにちょうどいいくぼみに収まっているはずだ。
 しかし、もしサスケが広島への長旅で疲れていたら、いつもの習慣と違うことをしているかもしれない。
 水槽の向かって左寄りにかがみ、暗がりにそっと目をこらす。
 砂利のくぼみに、サスケの体が横たわっていた。
 つい単にオオサンショウウオと呼びたくなるほど、今のオオサンショウウオそっくりだ。平たい頭、いぼより小さい目、ひだのある脇腹。
 割と明るい色をしているが、今のオオサンショウウオの範囲に収まる。
 二千万年このままなのだからオオサンショウウオが生きた化石と呼ばれるわけである。
 サスケの全長は五十センチほど、大島さんの言うとおりまだ若くて、身軽だ。
 今回はドジョウを与える前に、水槽の外に三脚でカメラを立てた。サスケの頭が真ん中に映るように調整。うまく映ればいいが。
 そして、ドジョウをサスケの頭のそばにそっと放つ。ドジョウは急いで潜っていったが、底に達するとちょっと進んだだけで落ち着いてしまった。
 ありがたいことに、本人にとっては運の悪いことに、そこはサスケの口から大して離れていなかった。
 瞬間、白い菱形が現れ、ドジョウもろとも消える。
 サスケの口が一瞬にしてドジョウを吸い込んだのだ。
 旅の疲れを感じさせない見事な動き。少しすれば定期検査もあるが、問題なく行えるだろう。
 カメラを確認したところ、私の目と同じく白い菱形を一瞬捉えただけだった。これは惜しい。
 失敗しても損や危険でもないしとにかく撮ってやろうと思っていたのだが、成功させるには本格的に撮影が上手い人の判断を仰がなくては。
 さて、もう一方もよろしく頼まれているのだったが。
 坂を下ると、壁一面の窓を挟んで水と緑に囲まれる。窓の向こうは温室になっているのだ。
 夜闇の中、浅い沼地に立ち並ぶのは、鱗状の木肌をした真っ直ぐな幹ばかり。地球史上初めて森林を作った木を模した擬木だ。
 その合間で、イクチオステガの「ベンケイ」が半分水に浸かっている。
 こちらもまだ若く、全長はサスケとそこまで変わらないのだが、ずっと大きく見える。どっしりと分厚い体型のせいだ。
 サンショウウオというより怪魚といった趣の、高さのある頭、円筒形の頑丈な胴体、脇腹に並ぶ濃い縞模様。
 尻尾はオオサンショウウオと比べると心なしか短い。尾の背側が薄黄色をしているのは、ひと目でオスと分かる特徴だ。
 小さな目にはまぶたもなく、こちらを向いたまま微動だにしない。最小限の灯りしかなく薄暗い中、これはなかなか怪奇呼ばわりされそうな迫力だ。
 サスケと違って隠れたりしないということで付いた名前だが、水中の獲物に警戒されず狩りをするには問題ないらしい。
 手足はごく短いものの、前足でしっかりと浅瀬の底を踏みしめ、体をとどめている。
 後ろ足は前足と比べると弱く、地面を踏むこともできず魚の鰭のように後ろを向いている。指が七本もあるところも鰭っぽい。
 しかし、今夜はちょっと面白いポーズになっていた。左足が擬木に引っかかったままなのである。
 地面を踏めない後ろ足でも、狭いところを動くときに物を押して体を進める補助をするくらいはできる。
 這い回っているうちに半端なポーズで止まり、そのまま寝てしまったのではないだろうか。ベンケイはそういうお茶目な奴である。
 こういうところを逃さず撮れるところにも飼育員の醍醐味があるわけだが、このシーンの写真だけだとなにがなんだかという感じだ。
 やはりフィーディングタイムに、活発な姿を撮るのが一番だろう。明るいとはいえまた素早さに対応できないかもしれないが。
 自分だけで撮影するのはいかにも徒手空拳だった。図鑑の写真が揃うにはもうしばらくかかりそうだ。

 それから半年以上、サスケの性別が分かって初めてのゴールデンウィーク。
 ベンケイのフィーディングタイムで解説を行うために出てくると、「上陸ミュージアム」には思ったとおりの光景があった。
 部屋のスロープがベンケイのほうを向いて座った親子連れでいっぱいになっていたのだ。
 そして、サスケの水槽を覗くお客さんは一人もいなかった。サスケとのかくれんぼに誰も勝てなかったらしい。
 そうなるだろうと思って用意したものもあるので気は楽だったが……。
 展示室の隅には小さな丸テーブルが置かれ、ポケット式のリングファイルが載っている。
 化石両生類図鑑の試作品である。
 解説のときに役立て、図鑑への反応を見て改良点を探るため、すぐに直せるファイルの形にしてあるのだ。
 フィーディングタイム後の質問に備え、私はファイルを手に持っておいた。
 予定時刻が来た。
 インカムのスイッチをオンに。バックヤードからの音声も通じている。
 私はガラスの前、解説員が通るスペースの中央に立った。
「はーい、本日たくさんのかたにお集まりいただき、ありがとうございまーす!それではこちらの、三億六千万年前、陸に上がり始めたばかりの頃の動物、イクチオステガのフィーディングタイム始めていきたいと思いまーす」
 ちょうど天気が良く、温室に日の光がよく差し込んで、ベンケイの体が温まって身軽になっているようだった。
 つやつやした抹茶色の体を前足で引きずり、ぐいぐいと進む。
 ベンケイは向かって左にずれていく。正面の池のどこにドジョウが落ちてくるのかと待ちかねているのだ。
「変な魚ー!」
「魚が歩いてる!」
 ベンケイを魚と呼ぶのは、実はあながち的外れでない。
「はい、魚みたいな動物が歩いているのが皆さんからもよく見えると思います。この動物が、始めて陸を歩き始めた動物、イクチオステガのベンケイ君です!」
 魚じゃないのかあ、と子供達が声を上げる。
 ベンケイは池の縁に突っ込み、水中に入ってしまったようだ。
 尾をぴこぴこ動かして泳ぐ影が見える。
「今から四億年くらい前、地球には色んな魚がいました。干上がりそうな浅い池にも魚がいたので、そのうち本当に干上がっても、息が吸えたり、体を支えることができたりするものが出てきました。イクチオステガは、その中でもちゃんとした足のある、両生類のひとつです」
 ここで、へえ、と感心する人もいれば、そんなに歩くの上手くないよねなどと言う人もいる。
「私達の遠いご先祖様にあたる両生類も、その頃はちょっと陸に出られる変わった魚、といった感じだったんですね」
 ベンケイはターンして、再び浅い岸の中央を這い始めた。
 バックヤードにいる優と密かに合図を交わし、そちらの状況を把握する。
「準備ができたようです。今からベンケイ君のご飯が水中に落ちてきますが、前に来たら、ベンケイ君、一瞬で!飲み込んでしまいます!お写真撮られるかたはカメラをご用意して、しっかり注目してくださいね!」
 そう宣言して私はガラスの前から退く。
 それが最後の合図となって、池の右端にぽちゃりとドジョウが落ちてきた。
 ドジョウはその場を右往左往、やがて左に向かって駆け出す。
 そして、周りと比べて粗い砂利の溜まったところで立ち止まる。しかしそれは罠だ。
 ベンケイの口がしぶきを上げて覆いかぶさる。
 次の瞬間には、ほぼ水に浸かったベンケイが頭をやや持ち上げ、喉を揺らしてドジョウを呑み込んでいるだけだった。
 大人は低い歓声を上げ、子供達は叫んだり怯えたりしていた。
「ご覧になれましたでしょうかー?前足の力で飛び出して、獲物を逃さずキャッチするんですねー。あと何回かチャンスがありますよ!」
 さらにもう一尾、今度は左から。
 ドジョウは少し深いところでぐるぐる回っていたが、そこにベンケイが突っ込んできた。
 ベンケイの起こした渦に押しやられ、ドジョウは浅いところに引っかかる。
 一度はベンケイの攻撃を避けたかに見えたが、そこまでだった。
 ドジョウがもがけば、そこから細かい波が起こり続ける。
 それはすぐに水面に浮くベンケイの顎に達し、ベンケイは尾を打ち払う力で振り向く。
 そして再び突進。
 今度の狙いは正確だった。ベンケイは二匹目を腹に収めた。
 しかし、それが済むとベンケイはその場で顎を水底に付け、前足からも力を抜いて、完全に休む体勢になってしまった。
 暖かくて活発になっているにも関わらずこれだ。しばらく経たないと食事する気にならないだろう。
「えー、ベンケイ君どうやらもうお腹いっぱいのようです」
 笑い声と、もう一度見たかった子の不平の声が上がる。
「フィーディングタイムはこれでおしまいなんですが、私はしばらくここにおりますので、ご質問のあるかたはどうぞお尋ねください。ご覧いただきましてどうもありがとうございました!」
 大半のお客さんはなんとなく見に来ただけなので、なんとなく他の展示へと離れていくだけなのだが、大抵一人か二人は何かたずねに来る。
 今回も、小学校中学年くらいの女の子が母親の手を引いて近寄ってきた。
「あのー、両生類ってカエルの仲間のことですよね」
「そのとおりです」
「これって本当にカエルの仲間なんですか?」
 前足の力で体を押し出し、尾の力で泳ぐイクチオステガは、後ろ足で身軽に跳ねるカエルとは似ても似つかない。
「いいご質問です!」
 私は、女の子の後ろで何か不安そうにしているお母さんにもよく聞こえるように、大きめの声で言った。お母さーん、お子さんが飼育員に質問するのは良いことですよー。
「イクチオステガは両生類といっても、陸の動物の歴史ではすごく最初のほうの動物なんです。それで、イクチオステガよりずっと後に出てきたカエルは、イクチオステガの持っていない特徴をたくさん持っているんです」
 普通ならこれで充分な説明だが、女の子はもっと話してほしいと言わんばかりにこちらを見つめ続けていた。
 思ったより良い質問だったのかもしれない。
「ちょっとこちらに」
 この展示室には、サスケの水槽とベンケイの温室以外に、もう一つ水槽がある。
 壁に埋め込まれた、少し大きめ程度の水槽。水が数十センチほどの深さに満たされ、奥の方は苔の敷かれた陸場になっている。
 女の子が覗き込んでもちゃんと見える高さだ。
「これは、イクチオステガから見るとずっと未来の両生類です」
 現在の両生類につながる系統の最初のメンバー、アンフィバムスのゴエモンが、水面に浮かんでいる。
 平たい頭、飛び出した目、ほっそりと軽そうな胴体、長めの四肢、短い尾。
 何より、手の平に乗りそうな大きさと、足で蹴って泳ぐ動作。
「だいぶカエルっぽく見えますよね」
 女の子は深くうなずいた。
「でも、さっきのにも似てます」
「そうですね。アンフィバムスはカエルみたいに後ろ足で陸を跳ねるようにはなっていないんです。後ろ足で跳ねるのは……」
 図鑑を役立てるチャンスだ。
 ページをめくってアンフィバムスに辿り着き、女の子に見せる。
「さらに先の、恐竜の時代のことです」
 女の子が真剣に見てくれているのを確かめ、ページをめくる。
 アンフィバムスの次は、カエルとサンショウウオの共通祖先、ゲロバトラクス。アンフィバムスよりさらに身軽な体をしているが、まだ跳ねない。
 横浜の古生物カフェが出してくれた写真だ。
 その次はトリアドバトラクス、尾がほとんどない。これは伊豆のカエル専門の水族館が育てている。
 さらにその次のものも。
「あっ、カエルになった!」
「恐竜時代真っ只中のものです。これはよく跳ねますよ」
 やっと完全にカエルらしくなったプロサリルスに辿り着いたのだ。
「今研究されているのが日本の恐竜時代のカエルです」
 今の田んぼにいても何もおかしくなさそうな、タンババトラクスとヒョウゴバトラクス。名前のとおり、兵庫の博物館にいる。
 気付けば女の子の他にも、周りを囲んで図鑑を見ている子が何人かいた。
「その図鑑どこに売ってるんですかー!?」
 元気そうな男の子が食い付いてきた。なんと、試作の段階で面白い図鑑と認めてくれるとは!
「発売前の図鑑なんです。皆さん、発売前の図鑑が読める貴重なチャンスですよ!」
 何の図鑑か分かっているのかどうか、ともかく子供達が沸き立つ。
「では、カエルに近付いていくほうを見たので、今度はカエルから遡ってイクチオステガのほうに戻ってみましょう」
 アンフィバムスに戻り、さらに前のページへ。
 イクチオステガに一見似ているのに陸をすたすた歩いているのはエリオプスだ。
 鱗があってイグアナのような姿のセイムリア。これらは愛知県の動物園にいる。
「セイムリアは今の両生類ではなく、他の動物、爬虫類や恐竜や、私達哺乳類の祖先に近い種類です」
「ご先祖様……」
「ご先祖様ー!」
 女の子のつぶやきに元気な男の子が乗っかった。
 さらにめくると、全然別の方向性で両生類の進化を見せつけるものがいる。
「なんか海にいる!」
「薄い海水なら平気な種類ですねー。両生類の歴史の中でも珍しいです」
 アファネランマ、なんと汽水に生息していた種類だ。その姿は口の長いワニを思わせ、背景は海の水色と砂浜である。もちろん水族館、福島の水族館にいる個体だ。
 突飛なものはまだ続く。
 ブーメランのような頭のディプロカウルス、ひたすら平べったくて頭が短いゲロトラックス、オタマジャクシのまま大きく育ったようなクラッシギリヌス……。
 彼らが姿を現すごとに、子供達は驚き、わめく。最初の女の子は静かにページを見つめている。どちらも目を輝かせていることには変わりなかった。
 ごく最初のほうのページに達して、ベンケイことイクチオステガと、もう一種類の両生類が出てくる。
 イクチオステガと同じ時代、同じ地域にいながらあまり似ていない、細身で泳ぎが得意なアカントステガだ。成長すると歩けるようになるかもしれないという。
「この頃にはすでに何種類か両生類がいたみたいです」
 最初のページには、手足ではなく鰭を持つ魚、ティクタアリクやユーステノプテロンがいる。
「あー、これがさっき言ってた」
「干上がるようなところに住んでた魚ですねー。さて、」
 さっきはタンババトラクスとヒョウゴバトラクスで止めていたが、この図鑑の最後にはもう一種類載っている。
 もちろん、サスケとミッチー。今のオオサンショウウオとそっくりなアンドリアス・ショイヒツェリだ。
 試作のファイルなのをいいことに、サスケの写真を大幅に追加してある。卵が写っているCTもだ。
「あっちの水槽で、こういう風に隠れているんですけれど」
 私はサスケが石の下からわずかに鼻を覗かせる写真を指差した。
「どうでしょう、皆さん見付けられますでしょうか!」
「ぜってー見付けるー!」
 男の子が意気揚々と駆け出し、他の子も続いた。
 最初の女の子は、まだ図鑑をじっと見ていた。
「これ、最初からまた見てもいいですか?」
「どうぞ。ゆっくりご覧ください」
 元々ファイルが置いてあったテーブルに案内して、そこに置いて見てもらうようにした。
「すみません、ありがとうございます」
 女の子のお母さんが申し訳なさそうに言う。
「こちらこそ、ご興味をお持ちいただけて何よりです」
 図鑑のおかげで、サスケやベンケイにも、さらに他の施設の両生類にも、興味を持ってもらえる。
「やっぱりカエルが一番変わってる……」
 女の子がつぶやくのが聞こえた。
 彼女の頭の中に両生類全体のマップが出来つつある。図鑑がすでにその役目を果たしているのだ。
 今日のことを早く広島の大島さんにも伝えたい。この図鑑は、きっといいものになるはずだ。
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