Lv100第五十九話
「鎌鼬と牛岩・馬岩 -紗奈と佳澄とスギヒコ、サツキ、キュウ、ナミ-」
登場古生物解説(別窓)
 野山に囲まれた動物園、快晴。
 園路の途中には休憩にちょうどいい広場がある。周りの花壇にはコスモスが見事に咲いて、優しい風に揺れている。
 私の職場はこの広場でお客さんを待ち受ける屋台のひとつ……、正確には、ここに屋台を開いている福井市内のベーカリーなのだが。
 今私は、広場の真ん中でエプロン姿のまま飼育員の吉田さんと並び立ち、ビデオカメラを向けられている。
 カメラを持っているのは広報部長さんだ。もう撮り始めるという合図の声を上げる。
「それじゃ、五、四、三、二、一、スタート!」
「はぁい、動画をご覧の皆さんこんにちは!若干お久しぶりですね!」
 吉田さんが勢い良く話し出す。
「今回から四回の配信では、勝山の恐竜コーナーをご案内しますが〜……、新鮮な目線で見てくれるゲストをお呼びしております!」
 そう言ってこちらを手で示したが、私の話す番だと気付くのにワンテンポ遅れてしまった。
「ど、どうも。この広場でパンを売っております、村岡紗奈です。よろしくお願いします」
「パンはパンでも〜、ただのパンじゃないんですよねっ」
 吉田さんの言葉に合わせ、広報部長さんがカメラ越しにパンの載ったバスケットを渡してきた。
「は、はい。こちらのパンは、恐竜の卵そっくりのパンです。長いほうがフクイラプトル、丸いほうがフクイサウルスの卵です」
 私はバスケットの中身をカメラのほうに向けた。なめらかな皮にしっかりと焼き色のついた、楕円と丸の二つのパンだ。
「では試しに一つ、いただきます!」
 吉田さんは長いフクイラプトルの卵のパンを取り、豪快にかじりついて噛み締めた。
 目を見開いてしきりにうなづいている。その間私がパンの説明を続ける。
「えっと、フクイラプトルのほうはお食事パンでフクイサウルスのほうは菓子パン、中身は二種類ずつです。今吉田さんが食べてるのは……」
「ハムとチーズとジャガイモですね!」
「あ、はい」
「皮がすごくパリッとしてますね。それで生地がサクサクで、あっ、これサクサク動画だからじゃないですよユースクリーンにも上げますからね、サクッと噛み切れて小麦の味がすごくして、中身はたっぷりでパンに合ってて美味しいです。まさに卵って感じですね!」
 吉田さんは素早く感想を述べながらパンの皮をちぎって見せ、また切り口をカメラに向けた。
 台本もほぼないのに、飼育員さんとはこんなに話が上手いものなのだろうか。
「ご丁寧な食レポありがとうございます」
「えー、パンのモデルになってるとおり、この広場からすぐのところに今回のお目当て、フクイラプトルとフクイサウルスがいます。村岡さんはこの二種類の恐竜、ご覧になったことはありますかっ?」
「休憩の合間に眺めたことは何度かあるんですけど、あんまり詳しく知らなくって」
 広報部長さんにも聞かれて同じように答えたとき、かえってぴったりだと言われたのだった。
「勝山の皆さんでも、そういうかたいっぱいいると思います。そこで村岡さんと一緒に画面の向こうの皆さんもまとめてご案内しちゃおうというのが今回のシリーズです。第一回の今回は、まずとにかく見に行っちゃいましょう!」
 そう言って吉田さんはいきなり小走りになり、私と広報部長さんは慌ててついていった。
 コスモス畑のような広場を抜けると、道は堀と小川、そして針葉樹に挟まれる。
 右手の林の奥から、がさがさと音が聞こえてくる。
「さっそく出てきてくれましたね。フクイラプトルのスギヒコくんです!」
 何か動くものが見えるが、木陰によく溶け込む緑と茶色のまだらで、あまり形が分からない。
 しかしすぐ、人間の背丈より少し高さのある、細長い感じの動物が出てくる。
 長く突き出た口、すらりとした後ろ脚、尾も長く続く。胴体は丸くまとまって、腕はその前のほうに引き縮められている。
 素早く土手に進み出て、小川の前でかがんだと思ったら、またすぐにすたすた歩き出した。
 フクイラプトルは毛が少ないのに、見ているといつも大きな鳥を見ているような気分になる。
「ラプトルって鳥みたいな恐竜に付ける名前なんですか?」
「あっ、さっそくいい質問ですねえ」
 私のなんの気無しの問いに吉田さんはやたら嬉しそうな顔をした。
 広報部長さんが何かファイルを開いて吉田さんに手渡した。この用意の良さにも驚く。
 開いたところにあるのは、毛と羽に覆われた恐竜の写真だった。
「これはうちの別のところにいるユタラプトルです。普通ラプトルっていったらこういう鳥そのものみたいな恐竜のことなんですけど……」
 ファイルを一枚めくると、今度は文字だけのページが出てきた。
 「ユタラプトル」と振り仮名をされた綴りに下線が引かれ、さらにその下に「ユタ州」「略奪者、猛禽」とある。
「ラプトルっていうのは元々、略奪者とか猛禽っていう意味です。いきなり出てきて獲物を持っていっちゃうっていうことですね」
「じゃあ、そういうことをする恐竜なら」
「しそうな恐竜の仲間ならラプトルって付けてOKです。フクイラプトルは、福井で獲物を持っていっちゃってたやつ、っていうことですね!」
 ちゃんとどういう動物か表現しようとして付けた名前だったのか。
 そのことを思ったままフクイラプトルのスギヒコくんを見直してみると、鼻先を下げて、やはりすたすたと歩き回っていた。
「あれも獲物を探して持っていこうとしてるんですか?」
「そうですね、運動場にはちょっとずつお肉が隠してあります。狩りをするみたいにちゃんと探さないとご飯が食べられないので、生活に張りが出るんです」
 動物園にいる動物の生活に張りを出すとか、あまり考えたことがなかった。囲いの中にも木が植えてあるのだから、それは気を遣われているのだろう。
 そういえば意識していなかったことがもう一つ。
「肉食なんですね」
「はい。口開けたらすーっごく鋭い歯が生えてますよー」
「こう、鳥みたいに何か食べられそうなものはなんでも食べるのかと思ってました」
 私がそう言うと吉田さんは、あー、と言って一瞬宙を見上げた。私があまりに初歩的なことも知らないので困らせてしまったのだろうか。
「肉食恐竜っていったらティラノサウルスとかみたいな、ものすごいのを想像しちゃいますよね」
 吉田さんの言葉に私は素早くうなづいた。
「ティラノがライオンだとしたらフクイラプトルはキツネって感じですねー。油揚げは食べないですけどね!」
「あっ、さっき言ってたみたいに獲物をさっと持っていくんですね」
「あの長い口と手の爪で小さい獲物を捕まえてたみたいですね。キツネも「ラプトル」ってことになりますね」
 そう言って笑っているうちに、スギヒコくんがシダの奥から肉をくわえ上げた。
「おやつ探し成功ですねー」
 しかしそのおやつは人間の食べるステーキほどはある。
「あれでおやつっていうことは、さっき言ってた小さい獲物っていうのも」
「人間くらいの大きさは普通に含むと思います」
「わあ……」
 恐竜の世界ではキツネでも、人間にとっては猛獣なのだ。
「スギヒコくんも狩りに成功したところで、反対側のフクイサウルスも見ていきましょう」
 道を挟んで左側にも似たような木の植わった運動場がある。こちらのほうがカーブの外側にあって幅広い。
 その中央の川辺に、私がたまに眺めては癒やされる親子の姿がある。そちらに向かって、今度は私のほうが小走りになってしまう。
「私、実はこっちが好みなんです」
「子供もまだちっちゃいですからねー。人気ありますよ、やっぱり」
 母親のナミちゃんは寝そべってはいるが、もみじのような手を地面に付き、首を上げて、子供達や周りの様子に気を配っている。
 さっきのスギヒコくんと比べると、長さでは心なしか小さいくらいだが、体はがっしりしている。顔付きは丸っこい。手が短くて二本足の、緑色をした牛という感じだ。
 しかし子供達は子牛よりだいぶ小さい。まだレトリーバー犬ほどしかないようだ。
 それが三頭、杉やシダの落ち葉を集めた山に突っ込んで、葉を撒き散らしたり互いに突き飛ばし合ったりしているのだから、尻尾の大きな犬みたいに見える。母親と比べてますます顔が丸く、手も短い。
「この可愛さですもんねえ」
「皆さんそう言ってくださいますー」
 広場の屋台で働くようになるまで、恐竜の子供が可愛いものだとは知らなかった。
 子供のうち一頭が、急に起き上がって走り出した。二頭もそれを追う。
「美味しそうな枝を見付けたみたいですね」
「枝?」
「落ち葉の中に隠してあるんです。緑のままの美味しい枝を食べたくて遊びながら探すんですけど、一頭が見付けると取り合いになっちゃいますねー」
 三頭の子供達は奥側の木々の間を駆け回った。確かによく見ると先頭の一頭は何かくわえている。
 ふと、追っていた二頭が立ち止まった。
「あ、お父さんのキュウくんですね」
 特に緑の濃いそこには、ナミちゃんとはまた別の、大人のフクイサウルスがいた。あんなに奥にいるのをちゃんと見たのは初めてだ。
 立ち上がって体をやや起こし、頭を上に向け、木からぶら下がっている何かを口で引っ張っている。
 子供達はその真下で、地面をつつき始めた。
「お父さんは何してるんですか?」
「餌入れを揺らして松の実を出そうとしてますねー。フクイラプトルのときと同じでこっちもおやつ探しができるようになってます」
 林で動くキュウくんと子供達を見ていると思い出すものがある。
「フクイサウルスって、昔フクイリュウって呼ばれてませんでしたか?」
「ああーっ、懐かしいですね!今もありますもんねフクイリュウの像!」
 吉田さんがフクイリュウという名前のことをすぐに分かってくれて、私は嬉しくなって話し続けた。
「やっぱりそうですよね?小さい頃フクイリュウが出てくる絵本を読んだなーって思って」
「化石が見付かったときにフクイリュウっていう呼び名がついて、その後フクイサウルスっていう学問上正式な名前が付いたんです」
「学問上正式!?」
 私は重大な思い違いに気が付いた。
「福井の町おこしで勝手に福井サウルスとか福井ラプトルって言ってるのかと思ってました……」
 吉田さんは苦笑する。
「まあ町おこしにもなってますけど、アルファベットの綴りで書けば世界中で通じるんですよ」
「漢字で書いちゃってたことがあるので……、気を付けます」
 そんなことを話して目をそらした隙に、林の奥にいるキュウくんの姿が分からなくなっていた。
 きちんと見ればキュウくんは元の場所にちゃんといたのだが、足元にいたはずの子供達は完全に見失ってしまった。
「けっこう難しいかくれんぼですよね」
「あー、そうかもしれないですね。こんなに色々生えてたら見づらいじゃないかっていう人もいるんですけど」
 私が休憩中に眺めていても、ここでのかくれんぼに「負ける」お客さんを見かけることがある。
「当時の環境になるべく近いほうが健康に暮らしてもらえるっていうのと、もう一つ、実は見る側にもいいことがありまして」
「見る側に?」
「動物のいるところのほうが人間のいるところより人工的だと、寂しいじゃないですか。それで周りの山に負けないようにしてるっていうのもあります」
 これは実感としてまったくそのとおりだった。
「それで見てて落ち着くんですね!」
「それが何よりです」
 吉田さんは本当に満足そうに笑った。
 ここで動画が予定の時間だけ撮れたようで、カメラを持った広報部長さんが合図をした。
「それではそろそろお時間ですね。次回は別のルートからフクイラプトルを見てみます。それではー」
 撮影が止まり、私は大きく息をついた。

 翌日、第二回の収録。
 吉田さんは最初からパンを持っている。
「はいっ、勝山の恐竜編第二回も広場からお届けしてまいりまーす。このパンは前回と同じフクイラプトルの卵の形をしたパンですけども、前回と違って中身が……」
「あ、カレーフランクです」
「はい、では早速いただきます!」
 吉田さんは再び豪快にかじりついた。
「カレーといってもすごく辛いっていうわけではないですね。スパイシーなミートソースっていう感じです。フランクフルトもほどよい張りで、お昼に大満足の一品です!」
「ありがとうございます」
 残りを広報部長さんに渡すなり、吉田さんは昨日とは違うほうへ歩き出した。
「前回はすぐ恐竜が見られる道に行きましたけど、今回はもっとお勧めの、郷土の動物エリアを通って研究センターに向かう道を通ります」
「郷土……あー、もう、どう見ても勝山ですね」
 道の左手には、収穫の終わった田んぼや白い花が満開のソバ畑がこれ見よがしに横たわり、その向こうには杉林まで見える。
 右は雑木林で、その中にタヌキやカモシカのコーナーがある。
「村岡さんはこっち側に来たことはありますかっ」
「実はほとんど……、動物園に来た人がみんなここを見るのかと思うと、地元民としては落ち着かなくって」
「はいっ、勝山市民の村岡さんから地元そっくりとお墨付きをいただきました!」
 私達は互いに苦笑してみせた。
「フクイラプトルとフクイサウルスも郷土の動物ですからね!あっ、恐竜時代の生き物が飛んでますよ」
「えっ?」
 吉田さんは空中を指差しているが、その先にはトンボしかいなかった。
「あ、何かが勝手に外を飛んでるのかと思いました。トンボが何か?」
「トンボって恐竜時代から今とそっくりなのがいたんですよ。田んぼのおかげでここにもいっぱいいますしね」
 その田んぼのせいで見慣れた光景にしか見えず、実感のわかない話ではあった。
 道は水田の中へ曲がり、小川を渡って、杉林へ入っていく。
 そこの風景も見覚えがあったが、恥ずかしがるようなものではなかった。
 幅広く浅いスロープになった石畳が奥に続き、両脇の林床は黄緑の苔になめらかに覆われている。
 農村というより、ひっそりと厳かな雰囲気だ。
「白山神社そっくりですね」
「一瞬でもそう見えればありがたいですねえ」
「一瞬?」
「入口は神社に似せてあるんですけど、すぐ違っちゃうので」
 そう吉田さんが言うとおり、数メートルほど歩いたところでシダが生えてきた。小川の流れる音もする。
 進むほどシダはどんどん増えて、苔に代わって地面を覆っていく。そのうち杉の幹にまで生えてきた。
 さらに円錐形の杉だけでなく、ソテツや、何かもじゃもじゃした枝葉の木まで現れてきて、杉の作る規則正しい風景が乱れる。
「ホントだ、神社っていうより大昔の世界ですね」
「はい。神社じゃなくて研究センターに到着です!」
 林の中に、とても幅の広い建物が待ち構えていた。
 コンクリートの稜線は鋭く、いかにも近代的だ。しかし屋根にはシダや苔がこんもりと植え込んであり、周りに溶け込む。
「こんなに大きい建物だったんですか!」
「ここで研究を行ってるおかげで、フクイラプトルやフクイサウルスを飼えるようになってるんです。この中からもフクイラプトルが見えますから、行ってみましょう!」
 重いガラス扉を押し開ける。
 そこは、暗く静かで、博物館を思わせる広間だった。
 天井から二振りの織物が下がっている。どちらも横縞で、一方はパステルカラー、もう一方は灰色だ。
「福井名産の羽二重……ではないですけど、織物で作った年代表と地層の図です」
「あっ、赤いところが勝山の恐竜の時代ですか?」
「そうです。約一億二千五百万年前、恐竜時代の中頃です」
 恐竜があんまり身近になっていたせいで、そんな気の遠くなるような大昔の生き物だということを忘れそうになっていた。
 呆然と織物を見上げる私を、吉田さんが大きなガラス窓の前で呼ぶ。しかしそこはまだフクイラプトルのいるところではなかった。
「ちょうど研究員が作業中ですよー」
 窓は二つあって、一方の奥は白い部屋、もう一方は緑の温室だった。
 研究員の人が作業しているのは、白いほうだった。
 棚面が黒い雛壇に数十個のビーカーがずらりと並び、それら全てに水が満たされてチューブが刺さっている。
「わっ」
 もしかして化石から恐竜を蘇らせる作業か、と身構えた。しかし水底には砂が敷かれている。
「ここでは恐竜と同じ地層から出る貝の実験をしています」
「貝?」
 砂をよく見ると、何か塊が顔を出している。料理に入っていてもおかしくなさそうな二枚貝だった。
「貝はたくさん化石が出るので、地層ができた当時の環境を調べるのに便利なんです。恐竜が健康に暮らせる飲み水のことも分かりますよ」
「このビーカー全部貝なんですねえ……」
 水族館でも貝ばかりこんなにたくさん見たことはない。
「温室も、フクイサウルスにぴったりの食べ物を探すのに活用されてます」
「こっちの役目は分かりやすいですね」
 シンプルに鉢植えの植物がひしめき合っている。針葉樹、シダ、ソテツ。さっき外で見たものによく似ている。壁沿いの棚には試験管がいくつも立ててある。
「こういう勝山の地層から見付かった生き物の化石が恐竜の暮らしを教えてくれるんです。フクイラプトルとフクイサウルスは、やっぱり郷土の動物なんですね!」
 そして、広間の奥は全面ガラス張りで、中央には温室と同じ植物がたくさん生えているのが見える。
 しかしこちらは温室にはなっていないみたいだ。
 木の間を、フクイラプトルのスギヒコくんが歩いている。昨日見た運動場の裏だったのだ。
「スギヒコくん、慎重ですね。昨日みたいにおやつ探しですか?」
「今日は別の目当てがあるみたいですよ……」
 スギヒコくんの鼻は探し物のありそうな地面や木ではなく、空中を向いていた。
「右のほうです」
 鼻が指し示すほうにはよく見ると金網の仕切りがある。
 さらにその先、ガラス窓の右端のあたり、屋根のある部屋の中。
 スギヒコくんと同じ大きさのものがうずくまっていた。もう一頭のフクイラプトルだ。
「お嫁さん候補のサツキちゃんです」
「わっ、すごい」
 硬そうな毛がまばらに生えた背筋が、目の前にある。脇腹には、とても細かい鱗がきれいに敷き詰められている。
 長い頭が下を向き、突発的に上下する。鳥みたいな真ん丸い瞳をしているが、口には鱗の並ぶ唇と三角の歯がある。
 何をしているのか口先を見ると、白い肉の塊があった。丸鶏だ。
 丸太にくくりつけられた丸鶏を両手の大きな爪でつかみ、また牙の並んだ口で引っ張ってむしり取ろうとしているのだ。
「普段は日曜しか鶏まるごとはあげないんですけど、今回特別にあげてます」
「紐を切ろうとしてますけど、切れるんですか?」
 そう言っている間に鶏を縛っていた紐はあっさり切れ、サツキちゃんは鶏を拾い上げた。
「フランクフルトの皮なんです。食べても大丈夫ですよ」
「ああ、すごく安全な素材ですね。獲物をしっかり手で持ってますね」
「大きい肉食恐竜って手が不器用なのが多いんですけど、フクイラプトルは両手の爪ではさむのが上手いんです」
 サツキちゃんの三本指のうち、大きい二本の爪が鶏の皮にぐいっと食い込んでいる。
 まるで焼き芋でも食べるかのように軽々と、サツキちゃんは鶏を噛み切っていく。
「本当に……、ものすごいですねえ」
「肉食恐竜らしいところが見れましたね!」
 ふと、サツキちゃんは肉から顔を上げて、ジャッ、と短く叫んだ。
「あ、これは」
 吉田さんは左に振り返る。
 スギヒコくんが金網の向こうでサツキちゃんの食事を見ていたのだ。
 ククウ、ククウと喉を鳴らしている。
「スギヒコくん、サツキちゃんの食事が気になるみたいですね」
「お嫁さんを怒らせちゃって嫌われないですか?」
「サツキちゃんも前に比べると全然真剣に怒ってないんですよ。スギヒコくんのことをだいぶ受け入れてるみたいで」
 吉田さんはとても嬉しそうに頬を緩めている。
「来年にはフクイラプトルの赤ちゃんも見られるかもしれませんよ」
「楽しみですね」
「あ、もう時間ですね。では次回も研究センターの中からです。それではー」
 こうして第二回の収録も無事終わったが、少しだけそのまま二頭のフクイラプトルの様子を見ていった。

 第三回。
「はいっ、勝山の恐竜編第三回ですが、先に断っておきますと研究センターの中は普段は飲食禁止ですよ!今回特別に、このフクイサウルスの卵のパンを食べさせてもらっています」
 今回も吉田さんがうちのパンをかじるところから始まった。
「こっちも皮はサクッとしてますけど、中はふわふわですね。どうやって作るんでしょうね。小麦の味は控えめで、カスタードの優しい甘みとぴったりです!」
「毎回素敵な食レポありがとうございます」
「で、今回はこの……ああ、かじる前に映せばよかったですね。このパンの原形になった、フクイサウルスの卵も見ていきますよっ」
 研究センターの中には昨日見なかったものがまだまだたくさんある。
 入り口からホールを右手に進むと、化石みたいに黒い骨格が四体、尖った砂利の敷かれた区画に立っていた。壁の展示ケースにも標本や資料がずらりと並んでいる。
「このエリアにいる恐竜は二種類ですが、骨格模型は四体あります。実はこれ、同じ種類でも古いのと新しいのが二つあるんですね」
「ああっ、作り直し騒動ですね!」
「おー、覚えていらっしゃいますか」
「子供の頃でしたけど、勝山中大騒ぎでしたもんね」
 スギヒコくんやサツキちゃんにそっくりな長い顔の骨格の隣には、三角の歯が同じなもののごつい顔をしていて、一回り小さい骨格がある。
 この四角い顔にも見覚えがあるのだ。
 吉田さんは広報部長さんのカメラに向かって、二体のフクイラプトルの頭を指し示す。
「フクイラプトルの名前が付いた頃に作られたのが、手前の頭が短いほうですね。地域と時代が近い恐竜を参考にしています」
 前にラプトルという名前を説明したときのファイルも出てきた。開いたところには、二頭の肉食恐竜が描かれている。
「その後フクイラプトルを勝山で飼えるようになったらいいねっていうことで研究が進んだんですが……、なんと、もっと違う種類を参考にしたほうがいいと分かってしまいました!」
 ファイルに載っているのは前に参考にされた種類「シンラプトル」と、後から参考にしたほうがいいと分かった種類「メガラプトル」のイラストだった。
「飼育の許可を得るにはきちんと研究していないといけませんし、そのことを示すために大人の大きさを想定していて研究の成果も織り込んだ復元骨格を作り直さないといけなかったんですが……、この古いほうの骨格、その頃にはもう町のシンボルになっていました!そうでしたね、村岡さん?」
「マンホールにも橋の欄干にもこの顔のフクイラプトルが描かれてました」
 お土産のクッキー、バスの車体、モニュメント、なんでもかんでもこの顔だった。
「町のシンボルの顔を変えないと生きてる状態でお迎えできない!ということで、けっこうな騒ぎになったんですが……」
「結局、骨格を新しくするのには賛成、ということになったんでしたよね?」
「そうです。生きたフクイラプトルに会いたいと町の人が思って、協力してくれたんです!こっちのフクイサウルスも一緒です」
 顔がやや丸っこい骨格も二体あり、こちらはそれほど違いがはっきりしないが、新しいほうは古いほうより背筋が低くてすらっとしている。
「ここは勝山だから恐竜がいて当然、って普段は思っちゃいますけど、たくさんの人が恐竜にいてほしいって思ったからいるんですよね」
「そうですね、そのとおりです」
 ふと、四体の骨格の足元にある展示ケースの中身が目に留まった。
「あっ、この小さい骨格……」
 可愛い、と言いかけて、そう言ってはいけないことに気付いた。
 この二体の骨格は、化石やそれを元にした模型ではない。
 ほんのり黄色がかった白。生きていた脂の色だ。
「町の人の協力が得られても、それだけで全てうまくいくわけではなかったんです。この骨格はスギヒコくんのお兄さんのカツくんと、ナミちゃんのお姉さんのフクちゃんのものです」
「そういえば、一回失敗したって聞いたような……」
「カツくんとフクちゃん自身は、生きているうちに一般に公開されたことはなかったんですけどね」
 勝山の恐竜が死んでしまったと聞いてがっかりした記憶は、うっすらとある。
 ベーカリーに就職してから動物園の屋台に来てみれば、やっぱりフクイと付いた恐竜がいるので不思議に思っていたのだが、死んだというのは記憶違いだと思って勝手に納得していた。
 ここにしかいないのだから簡単なはずがないのだ。
「勝山ならではの恐竜を飼うって、大変なことなんですね」
「本当にそのとおりです。この二頭を飼育していて分かったことも、ここできちんと生かされています」
 吉田さんは順路の先を示す。壁は全て展示ケースになっている。
 データ表や日誌。
 恐竜達の過去の映像。
 食べさせてもよいものやよくないものの調査結果。
 運動場に設置してうまく利用してもらえた設備、そうでもない設備、直さないといけなくなった地形。
 恐竜達の健康で快適な暮らしを成り立たせるために、ここの人達が調べ上げたことがずらりと並んでいる。
 そしてケースの最後にあったのは、卵の殻らしきもの。ただし、片面が茶色くて、破片の数がとても多い。
「ナミちゃんが生んだ卵の殻です。今いる子供達が生まれてきたときのですね」
「すごい、こんなものまで」
 割れる前の卵の姿は、幸い、私が屋台で売っているパンによく似ていた。
 フクイラプトルの卵は、まだないようだった。パンのほうもまだ想像図に過ぎない。
「展示が終わったところで、お時間ちょうどいいみたいです。次回はこっち側から運動場の恐竜達を見に行きますよ。それでは!」
 第三回の収録が終わった。
 しかし広報部長さんが、カメラを下ろして吉田さんを手招きしている。
「明日第四回の収録予定でしたけどね、どうも天気マズそうなんすよね。かといってこの流れで来週まで延期にするのもなーって」
「あー確かに。じゃあ……」
 吉田さんは私のほうに振り返った。
「村岡さん。第四回も続けて撮りたいんですけど、この後十五分くらい大丈夫ですか?」
「あ、はい。そんなにきっちりしてる約束でもなかったので」
「じゃあすいませんけどすぐ行きましょう!あと二十分弱で逆側から遠足の子達が来ちゃいますから!」
「え!?あっ、は、はい!」
 広報部長さんが元のとおりにカメラを構え、私達も並んで立つ。

「はいっ、では勝山の恐竜編も今回で最終回となります!第一回と逆に研究センターのほうから恐竜を見に行く今回のルートが、断然おすすめですからね!」
「断然ですか!」
「はい!行きましょう!」
 今回は始めからパンを食べているわけにいかないようだ。
 廊下を出ると、右手にはフクイサウルスのための寝部屋がガラス越しに見える。今は砂の上に杉の落ち葉がこんもり敷かれているのが見えるばかりだ。
 天井がなくなり、道は明るくなる。
 左側の壁が、縞模様のついた岩に変わる。恐竜の眠っていた地層のようだ。
 そこを抜けて左に曲がると、私達は曇天の下、針葉樹林の谷底に出た。
 研究センターの前と同じく、杉にもじゃもじゃの木とソテツが混ざる。
「白亜紀の森です!」
「恐竜探しですね」
 真っ直ぐな幹に囲まれた薄暗い木陰に、目を凝らして進む。
 見通しは効かず、どうも霧が立ち込めているようにさえ見える。森の中の様子が私にはよく分からない。
 かえってそのせいだろう。
 ぎらりと光る目が急に現れ、私はすくみ上がった。
「おっ、見つけましたね」
 吉田さんの声で我に返った。あれはフクイサウルスのキュウくんだ。
「ちょっと、びっくりしました。山でシカが出たときみたいで」
「野生みたいに見えましたか?」
 吉田さんはそう言って微笑むが、あたりはまだ作り物になど感じられない。
 フクイサウルスの子供達が、あちこちつついてまわっては、良いものを見付けた一頭を他の二頭で追いかける。
 母親、ナミちゃんは、そんな子供達と開けた岸辺を隔てるように立って顔を上げ、周囲を警戒している。
 何せ谷を挟んで反対側には、突然出てきて子供達をさらいかねない、ラプトルがいる。
 そのフクイラプトルの一頭、メスのサツキちゃんも、親のフクイサウルスと谷や川に阻まれて、子供が獲物になりえないことをよく知っているようだ。
 フクイラプトルの子供達がいくらはしゃいで落ち葉を散らし声を上げようと、サツキちゃんは我関せずと探し物に集中している。
 オスのスギヒコくんも、自分の足元や木々に隠れた獲物と、サツキちゃんの様子に目を光らせている。
 さっきまで私達がいた研究センターがあるはずだが、木々の奥にひそんでいてよほどよく見ないと分からなさそうだった。
 研究センターが縮こまっているのも無理はない。ここでは、恐竜のほうが偉いのだ。
「恐竜の国ですね……」
「今回はあんまり色々喋らないほうがいいかなって思ったんですけど、よかったです」
 吉田さんが顔をくしゃくしゃにして笑った。
 広報部長さんは、私のすぐ後ろから、私の見ていたとおりのものを撮っていたようだ。そのカメラに吉田さんが向かい合う。
「村岡さんが恐竜の国と言ってくれたとおり、ここはフクイラプトルとフクイサウルスが最大限暮らしやすいようにしてあります。それから、恐竜時代の勝山に見えるようにですね」
 そこで広報部長さんが吉田さんに腕時計を見せた。
「あっ、そろそろこっちに遠足の子達が向かってくるみたいです!とりあえず広場に出ましょう!」
「はっ、はい!」
 私達は恐竜達の息づく太古の勝山から、現実の時間に追われて駆け出した。
 みんな、ここにいてくれてありがとう。またじっくり会わせてね。
 広場に入ってくる道にはすでに保育士さんと子供達が見える。私達は逃げるようにして隅のベンチに走っていった。
 背もたれに体を預けて、ほっと一息。追いついた広報部長さんが、私達をねぎらうように最後のパンをくれた。
「二種類目のフクイサウルスのパンですね。いただきます」
 軽快に割れる皮とふんわりとした生地から現れたのは、
「小倉あんですね!」
「園内を歩き疲れたお客さんに特におすすめです」
 このパンの味と形には、皆の願いと喜びが詰まっている。
「勝山の恐竜編は今回でおしまいとなりますが、画面の前の皆さんもぜひこの森で恐竜に会いに来てくださいね。それでは!」
 カメラに手を振って収録が終わった後も、私達はベンチに並んでパンを頬張っていた。

inserted by FC2 system