Lv100第五十三話
「毛見浦の海坊主 -鈴音とツバサとジェード、アクアサファリわかやま(クレタシアスオーシャン)-」
登場古生物解説(別窓)
 私がアクアサファリの解説員になってから初めての夏が来た。
 七月となれば人手が足りなくもなってくる。私もイベントガイドを一人で行うぐらいのことはしなければならない。
 ジュラシック・アイランドの中から水面上に出ると、そこは再び明るい砂浜だ。
 こっちの砂はトライアシックビーチと違い、淡いベージュ色をしていて眩しい。ところどころアンモナイトの殻が落ちている。
 真っ直ぐ進めば左に飲食店、右には広い浅瀬が横たわるビーチだが、その前に目を引くものがある。
「船だー!」
「ここ本物の海じゃないよね!?」
「水族館の中なのに、船がある!」
 空色のラインが走る真っ白い船体が、砂浜に接岸している。
 私はデッキの上から、砂浜で驚く子供達に呼びかけた。
「自由研究応援ガイドツアーにご参加の皆さんは、時空遊覧船「いずみ」にご乗船くださーい!」
 我ながらちょっと芝居がかった節回しだったと思う。
 もちろん、ここは屋内なので、「いずみ」も本物の船ではない。
 しかし小芝居の甲斐あって、低学年の子達が、嬌声とともに駆け足でタラップを登ってくる。私達解説員の、紺色をした船員風の制服は「いずみ」にぴったりだ。
 高学年の子は半笑いであったが、デッキに上がればちょっと感心してしまうのが分かった。
 本物の船そっくりのエンジン音が聞こえてくる。
 左舷の浅瀬では、たくさんの翼竜が群れ飛んでいる。目線の高さを、ヨットの帆のように薄く流麗な翼が横切っていく。
 右舷には、岩の向こうにこれから出航するべき大海原が広がっている。
 もちろん水槽なのだが、外の本物の海とつながっているようにも見える。
「今の見た!?」
「見た見た!」
 右舷の手すりに張り付いている子達が、この海の主を見付けたようだ。
「また来た!」
 黒いものがざばりと現れる。
 鼻先のほうからぷしゅうと音を立て、長い背中が続く。最後に、尾の先の鰭が少しだけ覗いて、水中に去っていく。
 白亜紀後期のモササウルス類、プラテカルプスである。
 このように、「いずみ」のデッキ上でも生き物が観察できる。そしてそれは爬虫類だけではない。
 前方から何か喧嘩じみた声が聞こえてきた。
「だぁから、お前らは食わなけりゃいいだろって!」
「う、まあ、そうかもしれないけど」
「認めちゃ駄目だよ長谷川くん!自由研究のために来てるのに買い食いは良くないよ」
「そうなんだけど、加藤を止められるわけでもないし」
 高学年の男の子が三人、デッキ上に据えられた屋台で食べるかどうかもめているようだ。
 屋台には「アンモナイト唐揚げ」の文字。これはとても興味を引き付ける。
 普通なら来館者同士のもめ事は解説員の関与することではない。しかし今回の内容は展示に関わることだ。
 なぜなら、屋台も実は展示の一部だからだ。
 私は躊躇なく三人に声をかけた。
「アンモナイトの体の構造を学ぶ機会だとしたら、どうでしょう?」
「体の構造……?」
「この唐揚げを注文されたかたには、アンモナイトを焼く前に殻を剥いてさばくところをご覧いただいています。アンモナイトの体の特徴がよく分かりますよ。もちろん、お一つのご注文でも皆さんともご覧になれます」
 特に強く止めようとしていた一人は答えをためらったが、
「そういうことでしたら」
 と言っている途中にもう、止められていた一人がお金を払ってしまっていた。
 それで二人も、急いで屋台の横の流し場に集まることになった。
 調理スタッフの衛藤さんはすぐにペリスフィンクテスを一つ、冷蔵庫から取り出してきた。
 殻は巻きの回数が多く、火がうねるような紅色の模様が鮮やかだ。身はイカによく似て、腕に並んだ爪の黒が肉の透明感を引き立てる。
「食用として一般的で、養殖が進められている種類です」
 続いて衛藤さんは、細長いゴムチューブを手にした。
 そしてその先端を、ペリスフィンクテスの身と殻の間にねじ込んだ。衛藤さんは手を動かしながら、何をしているか説明する。
「アンモナイトは中に空気を送り込まないと殻から抜けないんだ。今からいくからよく見てて。三……二……一……はい!」
 チューブの途中にある金具を握ると、ポンという小気味良い音とともに身が飛び出した。
 ボウルに横たわっているのは殻から見えていたとおりイカのような肉体だ。ただし胴体の部分がだいぶ違って見える。
 長い腹には張りがなくてしわが寄っているだけでなく、先の方から木の枝のように分岐した突起がいくつも生えているのだ。
「うわっ、何だこれ!」
 食べたがっていた子は予想外の姿に後ずさるが、彼を止めようとしていた子は逆に身を乗り出した。
「どうしてこんな形なんですか!?」
 私は今剥けたばかりの殻と、チューブを彼に手渡した。
「この殻の中にチューブを挿してみてください」
「途中でつっかえます」
 彼の言うとおり、アンモナイトの殻の奥までチューブを通すことはできない。
「中が壁で仕切られているんです。この壁は体の後ろのほうを型にして作られます」
 説明用のパネルでは、殻に収まった身の様子が透視図と標本の写真で示されている。
「殻と身がかみ合ってるから外れないんですね!」
「はい、それで圧縮空気で押し出して剥くんです。捕食者に襲われたときにも役に立ったのかもしれません」
 腕には吸盤の代わりに尖った爪が並び、顎器、いわゆるカラストンビは厚く固い。食べる邪魔なので手際良く取り除かれる。眼球はイカと同じで、これも取っておかないと食べづらい。
 アンモナイトの構造に感心している彼の一方で、元々アンモナイトを食べたがっていた子は落ち着かない様子であった。
 すぐに唐揚げが完成して手渡されたが、
「お前食えよ……、興味あんだろ」
 どうもあまりにも独特な外見で食べ物だと思えなくなってしまったようだ。
 最初に買い食いをとがめていた彼はためらったが、
「無駄にするよりはね」
 と言って食べ始めると、その表情が難しくなった。
「なんだろう、多分こういうのを、大人はお酒に合うって言うんだと思う……」
 的確な評価である。

 予定時刻になると、「いずみ」のデッキには十二人の小学生が集まっていた。多くは来館が優待されている地元の子供達だ。
「それではお時間になりました。自由研究応援ガイドツアーにご参加の皆さん、準備はよろしいでしょうか?」
 腰のスピーカーをオンにして呼びかけると、はーい、という声がややまばらに聞こえてきた。
「これから皆さんに、恐竜時代の後半、白亜紀には、ここ和歌山の海にどんな生き物がいたか、ご案内していきたいと思います。それでは、出発します!」
 小さな旗を立てて歩き出すと、デッキにいた子供達はきちんとついてきてくれた。
 コクピット後方の薄暗い階段室の壁には、小さな光が無数に投影されている。
 その光は一つひとつ様々な形をしている。串団子、雪だるま、オナモミの実……。
「最初のところで見たやつ!」
 覚えていてくれた子もいるようだ。私は踊り場で振り向き、この展示の解説を始めた。
「ここに映っているのは、最初のホールで上映していた映像と同じ、放散虫というとても小さな生き物の形です」
 ひとつが壁を漂うのを、指でなぞっている子がいた。追いかけられているのは雪だるまの形をしたバルプスだ。それは踊り場の中央にさしかかると、急に向きを変えて戻っていった。
「放散虫は、時代によって違った種類が暮らしていました。ジュラ紀特有の種類が進めるのはここまでです。ここから先が、白亜紀です」
 おお、と子供達がどよめく。
 ジュラ紀と白亜紀の境目を抜けられるサイトウムやパンタネリウムとともに、ウィスキー壜のようなタナーラや綺麗な真ん丸のホロクリプトカニウムの出迎えを受け、第二デッキ……、白亜紀のラボの二階に降りる。
 そこはニスの艶が鮮やかな板張りの、広い船室である。
 整然と並ぶ円柱状の水槽には、手にすっぽり収まりそうな生き物が漂っている。
 そして壁にはまるで海図のように和歌山の地図が掲げられている。陸地はほぼ横縞に塗り分けられ、いつの時代にできた地層かを示している。
「今和歌山になっている場所では、大昔に海岸の位置が大きく変わったり、裂け目ができてずれたりと色々な変化があったため、和歌山の大地は様々な部分からできています。ここにいる生き物の化石が見付かったのは、白亜紀にできた部分の地層です」
「この化石!?」
 低学年の子がそう叫んで指差すのは、船の左舷側の壁にかかった標本箱だ。
「そのとおりです。ここでは主に和歌山で発掘されたアンモナイトを見ることができます。ここまでにあった水槽でもご覧になったかと思いますが、アンモナイトはカタツムリのような殻がありますがイカのような体をしていました。ただし、ここには……」
 私は手前の水槽に近付き、シャスティクリオセラスの位置を見定め、殻の中心に開いた穴から水槽の反対側にいる子の頭を覗いた。
「和歌山の少し変わったアンモナイトが揃っています」
「穴が開いてる!」
 巻き始めがあまりにも緩いので中心が抜けているのだ。
「白亜紀にはアンモナイトの種類がますます増えて、変わった形のものが現れました。和歌山の地層からも特に面白い種類がいくつも見付かっています」
 クリオセラティテスもほどけたぜんまいのように緩い上に、表面が波打って棘が生えている。アナハムリナにいたっては巻きが緩いどころか、殻が一部しか曲がらないので「つ」の字になってしまっている。
 携帯ゲーム機で写真を撮ったり、緩く巻いた殻の隙間から反対側を覗いたり、子供達はアンモナイトをじっくりと見つめた。
 大人と一緒ではこうした小さな生き物のところは早足に通り過ぎてしまいがちだが、今回は和歌山ならではのものをゆっくり見る良い機会になっただろう。
 すると、きちんと形を見てくれている証拠か、親がいてはとがめられるであろう下品な例えで奥の生き物を呼ぶのが聞こえた。
 なんて安易なんだろうかと笑いをこらえきれない顔のままそちらに向かうと、賑やかだった男の子はばつが悪そうに口をつぐんだ。先程アンモナイトの唐揚げを食べようとしていた子のグループだ。
「面白い形のアンモナイトですよね」
「いや、まあ」
 ディディモセラスの殻は、一旦逆U字に曲がった後、男の子の笑いのターゲットにされたように円錐形に巻き、それから急に下を向いて曲がり、Uターンして上向きになる。口から細長い腕を垂らし、円錐部分にぶら下がるようにして浮かんでいる。
「こう見えてディディモセラスは和歌山近辺の白亜紀後期を代表するアンモナイトなんですよ。淡路島にはディディモセラスの大きな銅像が立っています」
「そんなすごいものなの……」
「しかも和歌山ではもっと珍しいものも見付かっています。ディディモセラスと他のアンモナイトの中間らしきアンモナイトです」
 隣の水槽にいるのは、ディディモセラスの円錐を潰して円盤にしたようなものだ。学名はまだない。さらにその隣には、円盤部分が垂直に立って、全体がS字になったプラビトセラスがいる。
「なんか、順番になってる気がする」
「進化の順番に並んでるんですか?」
「ディディモセラスがプラビトセラスの祖先かもしれないと言われていますが、確実にそう言い切るにはこれからも研究を進める必要がありますね」
 研究という言葉が子供達の琴線に触れたのか、目の輝きが変わった。
 こうして、不名誉な呼び名をいただいてしまったディディモセラスとその一族は、一転、化石と進化の神秘を語る証人として子供達のまなざしを集めることに成功したのだ。
 やはり和歌山の古生物といえばアンモナイトが一番目立つ存在だ。
 その一方で数人の子がこちらを余所に、船室左舷側の窓から見えるものに盛り上がっていた。
 もちろん、甲板からも見えていたプラテカルプスの、水中での様子が見えるのだ。
 私はそちらに手を向けて、さらに声を大きくした。
「窓から見えているのと同じモササウルス類の仲間も、和歌山の地層から見付かっているんです。それではこれから、そのモササウルス類について見に行ってみましょう!」
 次の展示室への階段は船尾側にある。
 再び放散虫が壁に映し出されている。
「上半分に映っているのは白亜紀前期の放散虫です。……ここから、白亜紀後期の、モササウルスの仲間と同じ地層の放散虫です」
 タナーラやパンタネリウムは踊り場で弾き返される。代わって現れたのは、丸いスポンジのようなプレグモスファエラ、米粒に似たアンフィピンダックス、ひょうたん形のディアカントカプサ。
 そして、アルケロンと同じ地層にもいた、築道さんが飼育を成功させようと苦闘している、円錐形のディクティオミトラ・ムルティコスタータ。
 「いずみ」第三デッキは、丸ごとモササウルス類の展示である。
 全長六メートルほどある二体の骨格が、下からの灯りに浮かび上がり、尖った牙の並んだ顎をこちらに突き出す。子供達はおののき、あるいは興奮する。
「では、この骨格の正面の広場に集まってください。このフロアでは皆さん全員に解説を聞いていただきたいと思います」
 とはいえ抜けた子がいてもとがめるつもりはない。単にここを自由研究の題材にする子が多かろうというだけだ。
「右の黒い骨格が、和歌山で発見されたモササウルス類の復元骨格です。左の白い骨格は、この先にいるプラテカルプスという種類の骨格です」
 プラテカルプスは「カンちゃん」と呼ばれていた、アクアサファリで最初に飼われていたオスの実物骨格だ。
 二体は透明なアクリル板で隔てられ、そこにシルエットが描かれている。
「和歌山のモササウルス類とプラテカルプスは同じくらいの大きさで、全体の姿はとてもよく似ています。尖った歯の生えた三角の口と、長い体、手足の鰭、そして下側が大きい尾鰭を持っています。ですが……」
 シルエットの頭部と四肢は赤い楕円で囲まれている。
「和歌山のモササウルス類のほうがプラテカルプスと比べて口と、手足の鰭が長くなっています。この違いを覚えて、この先でプラテカルプスを見るときに、和歌山のモササウルス類はどんな顔でどんな鰭なのかなあって想像してみてください」
「はい!質問でーす!」
 低学年の子がにぎやかに手を挙げたので、どうぞと促してみた。
「ここには和歌山のは生きてないんですかー?」
「いいところに気が付きましたね。和歌山のモササウルス類はまだ発掘されたばかりで研究の途中なんです。大きな生き物は化石から蘇らせる前にきちんと研究しないといけません」
 ああ、そうか、と残念そうな声が上がる。
「研究が進んだら、生きている和歌山のモササウルス類に会えるかもしれません。皆さんも応援してくださいね。もちろん、皆さんが勉強して将来モササウルス類の研究を手伝ってくれるのも大歓迎です!」
 今度は、おお、という歓声だった。
 こうして、この後の展示も皆素直についてきてくれた。
 発掘された化石ひとつずつのレプリカもある。前半身のみで、骨は揃っているが表面は微生物に穴を開けられている。周りにはサメの歯が散らばっている。
 鋭い歯で魚を食べるだけでなく、最後は食べられていたのだ。
 さらには発見されたときの地層の再現。草木で覆われた硬い岩の中から柔らかい化石を掘り出す、特別に難しい発掘であったという。
 他のモササウルス類との頭や歯、鰭の比較。和歌山のモササウルス類よりも、顎や鰭が短いプラテカルプスのほうがむしろ異端であると分かる。
 展示室の船尾側にはベンチしかない広い空間がある。左舷の壁、次の水槽に続くゲートの上に映像が映し出されるのである。
 映像が一巡してまた始まる前に、背の低い子から順に前のほうに座らせた。
 第一デッキでも聞こえていたエンジン音が再び響き、映像が始まる。
 白亜紀前期。海には首長竜と、数は減ったとはいえ魚竜が生息していた。しかし海の環境に大きな変化があり、酸素と、餌となる生物が大きく失われると、首長竜の一部と魚竜が姿を消した。
 海の環境が回復したとき、それらに代わって、オオトカゲの仲間から遊泳に適応したモササウルス類が生まれた。
 初めは単に泳げるトカゲにすぎなかったモササウルス類の祖先だが、陸に上がらなくても卵ではなく子供が産めるという、海で有利な特徴を備えていた。
 ちょうどその頃、北米大陸には中央西寄りを南北に貫く浅い海、ウェスタン・インテリア・シーが広がっていた。
 立派な鰭を手に入れたモササウルス類は北米の海に入り込んで多様化し、他の海にも広まる。対岸の東アジア沿岸にも。
 後に日本になる海にも数々のモササウルス類が現れた。モササウルス・ホベツエンシス。エゾミカサリュウことタニファサウルス。夜行性のフォスフォロサウルス。貝塚市のモササウルス。泉南市の大型種「灘標本」。御所浦のプリオプラテカルプス亜科。
 白亜紀後期の太平洋は、モササウルス類の世界だ。
 エンジン音が止まり、スクリーンの下のゲートが開く。
 「いずみ」を待ち構えていたのは暗い青の道。
 国内最大級の一万三千トンを誇る「クレタシアス・オーシャン」の底を行くトンネルである。
「ゆっくり歩いて進んでくださいね」
 そう私に言われる前から、子供達の歩みは慎重であった。
 なにしろこのトンネルの床には、水底との区切り目がない。
 わずかに波打ちながら沖まで下っていく底と同じ面上、同じ砂粒状の表面である。湿った空気が、潮の香りと泡の音を運んでくる。
「え、ここ、砂にトンネル乗っけただけ?」
 そう見えていれば設計者の狙いどおりだ。
「きちんと建てられたトンネルですから安全ですよ」
 本当に驚いてほしいものはトンネルではないのだ。
 そしてそれはすぐ現れてくれた。
 私達の頭上を、ぞろりと長く黒い影が三つも通り過ぎていく。
 ここで最年長かつ最大のプラテカルプスであるツバサと、彼女の息子達だ。
 皆が指差し、声を上げ、惹かれて近付くか、おののいて退く。
「モササウルス類の中ではそんなに大きくないですし、顔も鰭も丸っこいですから、とても可愛いですね」
 私はわざと明るく言い放ってみせた。
「どこが!」
「大迫力ですよ!」
 これでプラテカルプスの特徴と実際の印象が余計はっきり脳裏に刻まれたに違いない。
 モササウルス類の中では小さいが、再生飼育されているモササウルス類としては最大級である。ここまでの順路でも一番大きい。
 ツバサは二頭の子供を連れて右手の浅いほうに昇っていく。
「泳ぎ方はどんなでしょうか?」
「魚とおんなじ感じ」
 その答えのとおり、長い尾を左右に打ちふるって進んでいる。
 ツバサが彼女のつがいであるジェードと合流したと思ったら、子供の片方が距離を取り、別の集まりを作っていた二頭に寄っていった。
 子供だけの群れがターンしてこちらに戻ってくる。それを真横から見るのと同時に、手前にもタイミングのいい生き物が通りかかった。古いタイプのサメ、メリストドノイデスだ。
「わ、でかいサメ」
 全長一メートルほど、頭が丸くてボリュームがある。
「モササウルス類の泳ぎ方は基本的には魚、特にサメによく似ていますが、ちょっと違うところがありますよ」
「尾鰭が逆?」
「そのとおりです!サメの尾鰭は上向きに曲がった背骨に支えられていますが、モササウルス類の尾鰭の骨は下向きです」
 そのせいなのかメリストドノイデスは水底で、プラテカルプスは水面でよく休んでいる。
 メリストドノイデスは近くを通り過ぎようとしていたが、岩のようなものに当たって動きを止めた。
 それは岩ではなく、両腕で抱えるほどの大きさがある、黒くて分厚いアンモナイトだった。
「あっ、こっちのアンモナイトは大きい!」
「さっきのはこんなだったのに」
 一人が指で小型アンモナイトの大きさを表し、大きなアンモナイトに添えた。それをその子の連れが撮影する。
「ゴードリセラス・インターメディウムです。和歌山では最大級のアンモナイトですね。さっきの小さなものより体が観察しやすいですので、よく見てみてください」
 ゴードリセラスは体を殻の中に引っ込めていたが、そろりと腕を覗かせ始めた。
 重厚な殻に似合わず、肉体は白く透け、淡い褐色の斑点が並ぶ。しかし腕に生え揃った爪は大きさに見合った太い鉤だ。
 半開きの黒い目がぎょろりと殻口から現れる。
 殻が浮いて体が下がり、さらに全体が浮かび上がっていく。なかば寄りかかっていたメリストドノイデスは泳ぎ去った。
「体の下にパイプのようなものがありますね。あれは漏斗といって、水や墨などの吹き出し口です。漏斗を曲げて泳ぐ方向を変えることができます。あっ、今向きを変えましたね」
 漏斗が下向きに曲がっていたのが殻口から真っ直ぐ出るように変わり、ゴードリセラスは殻を先にしてゆっくり進んでいった。
 アンモナイトの体の作りや動きを余すことなく披露してくれている。しかし沖では新たな動きが始まっていた。私はそれをわざと看過した。
 子供達が熱心に観察しているゴードリセラスの脇から、突然ジェードが突き出てきた。
 油断していた子供達はすくみ上がる。
「ゴードリセラスが動き出したので、気になって見に来たみたいですね」
「アンモナイトを食べちゃうかと思った」
「モササウルス類がアンモナイトを食べていた証拠らしきものもあるんですけど、プラテカルプスは魚を食べている限りはアンモナイトを食べようとは思わないみたいです」
 しかしゴードリセラスにそんなことが分かるはずもなく、ますます懸命に水を吹き出し、殻を激しく前後に揺さぶり去っていく。
 トンネルの中程には、岩やゴードリセラスをかたどったベンチや腰掛けが並んでいる。せっかくの長く大きなトンネルなのでゆっくり見ていられるようにしてあるのだ。
 水底にアンモナイトの殻が縦に突き刺さっている。しかしこれは作り物だ。
「プラテカルプスの食べる物はここから出てきますよ。普段はランダムに動きますが、ちょっと裏に頼んで今やってもらいましょう」
 私はタブレットをさっと操作して、制御装置に依頼を送信した。
 三十秒ほどで、銀色をしたものがいくつもアンモナイトから吹き出す。
「アジの切り身です」
 なるほどと子供達が納得した瞬間。
 目の前が黒くなった。
 突進してきたツバサの脇腹である。
 突然のことに子供達は言葉を失う。今回は何度もありがとう、ツバサ。
 続いて娘の一匹、トピカが迫る。ツバサに気を取られてばかりではいられない。ツバサの一突きでは半分くらいしか捕らえられなかったようだ。
 トピカは顎を大きく開いた。それは上下だけでなく、左右にも顎そのものの幅が広がるのである。
 かくしてトピカは散らばった切り身のほとんどを吸い込んでしまった。
「口の大きさが見えましたか?」
 見えた、見えたと子供達は熱を込める。
「あれで口が短いほうなの!?」
 本当に巨大で顎も長いティロサウルスが蘇ったらどれだけの大口を披露するだろうか。
 ほんのわずかな残りを、遅れて来た弟のウィチタが拾い上げていた。今度はゆっくり見ていられる。
 流線型の体の先頭は、爪ほどの鱗に覆われた頭。黒い鱗の中に水色のものが紛れ込んで鮮やかだ。
 そして丸く黒い瞳は朱色の虹彩に細く縁取られる。
 ぎょろりと動いて、射抜くような視線をこちらに放つ。
 これだけ大きな水槽でも、私達の都合でプラテカルプスにいてもらっていることに変わりない。私達それぞれの役目を精一杯こなしているか、厳しく審査されていると思わなくては。
 私は解説を続けた。
「どのプラテカルプスがどれだけの魚を食べたか、カメラで確認しています。水上のカメラでどのプラテカルプスがどこにいるか常に追い続け、水中のカメラで何個の切り身が食べられたか撮影しています」
「カメラってあれですか?」
 握り拳ほどの大きさの丸い二枚貝が、砂の上にいくつか立っている。
 餌の吹き出し口のすぐそばにあるものだけは口の開き方が大きい。
「そうです。あの中に広い視野のカメラが入っていて、映像がコンピューターに送られます」
「あの貝の種類は何ですか?」
 続けてこう問うのは、甲板でアンモナイトの軟体部を熱心に見ていた子だった。
「イノセラムス・バルティクスです。イノセラムスの仲間はジュラ紀から白亜紀にかけてたくさんの種類が入れ替わり現れました。バルティクスは和歌山のモササウルス類とほぼ同じ時代の種類です」
 カメラが入ってるの以外は生きてますよと生体を示す。二枚貝に興味を示す来館者は珍しい。
「白亜紀までのグループなんですね」
「はい」
「じゃあ、あっちのサメもそうなんですか?」
 メリストドノイデスのことだった。
「あのサメ自体は白亜紀の種類なんですけど、近い仲間はその後にも生き残っていたそうです」
「こっちも今はいないグループなんですね」
 そう言って彼は深く納得した様子だった。
 六頭のプラテカルプスは離合集散を繰り返し、変化のある動きで子供達を惹きつけ続けている。
 呼吸をしようと海面上に鼻先を上げれば、乱れた波に光が崩れ、プラテカルプスは点滅する光の核になる。
 さっきのとは別の、奥にある吹き出し口から餌が出て、ジェードが突撃していった。
 少し離れて見る分には勢いの良い動きにも驚かずに済む。
「あっ、さっきの」
 そう声を上げ水中を指差す子がいた。
 水底に寝かされた、モササウルス類の骨のオブジェである。

 トンネルを抜けた先は、博物館としても一級の展示を行っている第二白亜紀ラボだ。
 まずはクレタシアス・オーシャンにいなかった首長竜の展示。福島から送られてくるフタバスズキリュウのライブ映像が壁に大映しになる。
 クレタシアス・オーシャンと比べれば小さいとはいえ充分大きな水槽で、三頭のトリナクロメルムが駆け巡る。フタバスズキリュウとは対照的に首が短く、ジュラ紀のペロネウステスにも似た流線型をしている。
 もちろんこれらの骨格もある。
 さらに奥に進むと、巨大な黒い雛壇に向き合う。
 白亜紀の大型海洋爬虫類の骨格が、段ごとにずらりと並んでいる。
 大きな頭のクロノサウルス、最後の魚竜のひとつプラティプテリギウス。
 フタバスズキリュウを倍にしたようなタラソメドン。
 そして、プラテカルプスよりはるかに大きなモササウルス類、ティロサウルス。
 一つひとつ詳しく語っては子供達に覚えてもらい段を進む。
 最後の段にあるのは整然と積み重なった地層の標本。
 矢印で示された層こそ、白亜紀の終わりの瞬間だ。
 天井を見上げると隕石の模型が覆いかぶさっている。
 白亜紀第二ラボの終わり、そして「ルーラーズサファリ」の終わりには、館全体の入り口、ラディオリウムホールに戻る通路が見える。
 私と子供達は互いにお礼を言って、質問があれば受け付けると言って、そこで解散した。
 簡単な質問にいくつか答え、それも終わるとき。
 最後まで残っていたのは、アンモナイトの軟体部に目を見張り、イノセラムスやメリストドノイデスを見逃さなかった彼であった。
「質問、いいでしょうか」
「はい」
「ここまでで見た生き物は、全部絶滅したグループのものでした。生き残ったものはいないんですか?」
 これこそこのイベントで私達解説員が待ち受けるべき質問であった。
「おめでとうございます。お客様は「自由研究応援ガイドツアー・上級編」の資格試験に合格なさいました」
 彼は思いもよらない答えに目を丸くしている。
「上級編はこちらの「サバイバルロード」で、生き残ったもの達のお話を行います。参加されますか?」
 ラディオリウムホールへの道は分岐して新たな順路を示す。
 ルーラーズサファリの始まりとは全く異なる、水槽が電車の窓のように並んだ黒い空間が見えている。

(第五十四話へ続く)
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