Lv100第五十一話
「ネーレーイデス -鈴音とめぐみとスカイ、アクアサファリわかやま(トライアシックビーチ)-」
登場古生物解説(別窓)
   アクアサファリわかやまにあるいくつかの水槽は、一面がガラス張りの作業場から陽光をいっぱいに取り入れている。
 ガラスから南の、太平洋の水平線が見える。
 それに比べたら水槽はどうしても小さく見えてしまう。幅二十メートル、奥行きも十メートル近くあるからかなり大型なのだが。
 揺れながら光る水面の下、砂が敷かれた灰色のプールの中に、人間大の動物の影がいくつか見える。
 細い三角形の頭から続く円筒形の胴体。腹から尾の付け根にかけて白っぽい色の帯が体を一周している。
 尾の先には前後に長い三角形の尾鰭がある。控えめな大きさの胸鰭と腹鰭。普通の魚の鰭より、どちらかというとサメのものに似た肉の板だ。背鰭はない。
 といってもこれはサメでも魚でもない。
 一頭が浮かんできた。
 そして暗い青灰色の頭が水面から出るなり、ブシュウという音とともにしぶきが上がる。空気を呼吸しているのだ。
 ウタツサウルス。ウミガメどころかカメ自体、そして恐竜もまだいなかったという頃に、もう海に進出していた爬虫類、魚竜である。そのなかでも特に古い種類だ。
 CMに出ているステノプテリギウスほどの敏速ではないとはいえ、魚竜というとおり魚と見紛うほど巧みに泳ぐ。
 大変見応えのある背中だ。しかし、別の生き物が水からこちらに上がってきたので、すぐそちらに振り向く必要があった。
 それはヒト、つまり飼育員である。
 黒いウェットスーツと空気ボンベで身を固め、腰から吸水ホースを下げた短い白髪の男性、小滝さんは、私に声をかけながらはしごを上がった。
「おう、終わった終わったあ。しっかり掃除さしてもらったよう」
「お疲れ様です。ありがとうございます」
「スカイも元気いっぱいだよう。いい写真が撮れるといいねえ」
 小滝さんはぺたぺたと用具棚の奥に歩き去っていった。
 掃除が終わった直後の今がベストコンディションのはずだ。
 私は先輩解説員から渡された一眼レフカメラを、最も小さなウタツサウルスの背中に向けて構えた。
 数ヶ月前にここで生まれた子供のウタツサウルス、「スカイ」である。
 遊泳力は成体に及ばないが、それでもぐんぐん成長していて、両親や兄姉の五頭から離れることがない。
 水槽の中でも大人のそばに留まって敵から身を守る習性を失っていないようだ。
 懸命に生きるスカイの姿、そしてスカイの暮らす水槽を、私は写真に収めていった。

「いいねー、スカイが元気に泳いでるのが伝わるよ」
 バックヤード屋内の事務室。
 ディスプレイに映った写真を、私にカメラを貸した本人である先輩、静川めぐみさんが楽しそうに誉めてくれた。
 写真を撮るのも解説員としての研修の一部だったのだ。上手く撮れれば実際に使うことになる。
 学生の頃はウミガメの研究に関して広報も担当していたのだから、水中にいる生き物を撮影するのには自信があった。
「年パス会員のメルマガに載せてもいい?」
「はい、もちろんです」
 静川さんは私の写真を認めてくれたようだ。私は誇らしい気持ちで、静川さんが写真を保存するのを眺めていた。
 しかし、静川さんがそれを終えて発した言葉は全く思ってもみないものだった。
「それじゃあ、SNSに載せる用のも撮ってみようか」
「えっ」
 メルマガに載せるくらいだから成功ではなかったのだろうか。メルマガと同じ写真をSNSには載せないのか。
「これじゃダメなのって顔してるねー」
「どういうことなんでしょうか」
「んー、そうだなあ……上手く説明するのは難しいけど」
 静川さんはブラウザを開いてアクアサファリの公式SNSを表示した。
「うん、やっぱりそうだ」
 静川さんの考えがまとまったらしい。
「スカイを知ってる人が明石さんの写真を見たらすっごく喜ぶと思うのね。あー、あの子元気なんだなーって。だからメルマガに載せたいって思ったんだけどね」
 画面上でSNSに載せた画像と私の写真が並ぶ。
「SNSにはこう、スカイがどうっていうより、来たことない人にここ行きたいなーって思ってもらえる写真もあるといいと思って」
 バックヤードから撮った私の写真は、水槽がコンクリートで出来た限られた空間であることを如実に示している。
 しかし来館者はこれと同じ目線で水槽を見ることはない。
 それに対して、SNSの投稿に使われている写真は、CMの映像にも似た外洋を思わせる情景が中心だった。
「見学ルートからの写真が必要なんですね?」
「そうそう。ここに来たらこんな楽しいことがあるよーっていう写真ね」
「じゃあ、さっそく行ってきます」
 私はカメラを手に立ち上がったが、静川さんは手を伸ばして引き止めるそぶりを見せた。
「おっ、今どっからルートに出ようとした?」
「えっ、そこの」
 そう言いながら壁の向こうにある通用口を指差したが、静川さんは少し渋い表情を見せた。
「まあそこから行ったらすぐだけどねー、写真以外のことも教えたいから」
 静川さんはちらりとカレンダーを見ると、再び私の予想外のことを口にした。
「明日休館日じゃないけど、お客さん少ないはずだし……、私服で表口に来てくれる?」

 翌日はちょうど出かけるには最適であろうという好天だった。
 私が駐車場に着くのと同時に静川さんの車もやって来た。
 慣れた職場だから時刻どおりに着くのは当然だなと思っていたら、降りてきた静川さんの格好はまったく職場らしからぬものだった。
 長めのスカートにふわりとしたトップス、ヒールの高い靴、明らかにデートに着ていく服装である。髪もまとめていない。
「野外調査かな!?」
 逆に私の履き慣れたジーンズとスニーカーに突っ込まれてしまった。
「まあ男の子役だと思えばいいか。行こ行こ」
「あの、これって一体」
「お客さんとして館内を見るの。お客さんにとってどんな楽しいことがあるか写真に撮れるようにね。だから、バックヤードのことは今日は忘れて!」
 明るくそう言って入館口に向かっていく。
 さすがに入館料は取られないが、黒い石の廊下を通ってラディオリウムホールに着き、椅子に座り放散虫の映像を眺め、というふうに、すっかり周りの来館者と同じことをしている。
 来館者に対して会釈したり荷物を引いたり、つい恐縮した動きを取ってしまう。制服でない私がそうしているのは、ただの気の弱い人にしか見えないだろう。
 映像の途中で静川さんは席を立ち、壁に据えられたお店でソフトクリームを買ってきた。
「ほらこれ、映ってるのと同じのが載ってる!かわいい!」
「はあ……」
 放散虫をイメージしてソフトクリームにあしらわれた、赤や黄色の金平糖のことである。
「確かにウヌマにちょっと似てますけど」
「明石さん、種類分かるんだ!すごい!」
 はしゃぎ気味の静川さんだが、本人もここに映る放散虫のことは分かるはずだ。
 つまり、静川さんは今普通の来館者らしくしているのだ。
 私もソフトクリームの味に集中すればそんな気分になるだろうか。金平糖とバランスを取るためか、甘味よりミルクの風味が強かった。
 二人とも食べ終わると映像の区切り目を気にせず席を立ち、制服を着ている別の先輩解説員から冊子を受け取って、順路に進んだ。
 メインの観覧ルート、「ルーラーズサファリ」。
 その入り口には、円錐形をした三畳紀の放散虫トリアッソカンペの透明な拡大模型が立っている。
 バックヤードから直接ルートに出るのと違って、トリアッソカンペの門柱を通るという手順を今回はきちんと踏んでいる。
 つまり、三畳紀の世界にきちんと足を踏み入れたということだ。
 暗い廊下を抜けるとすぐに、そのことが五感で感じられる。
 足元には柔らかいウッドチップが敷かれている。
 肌には蒸し暑い空気が触れる。
 鼻には湿った土の匂いと潮の香りが、耳には潮騒が届く。
 周りは黒一色から様々な緑を散りばめたトンネルに入れ替わる。
「ほら原始の世界!」
「はい。確かに」
 ここは二億五千万年前の海辺に茂る森だ。道の先には浜辺がある。
 高くそびえるナンヨウスギの姿は、一瞬よくある松の防風林を思わせる。
 鱗のような模様が並んだ幹は木生シダのマルハチだ。頂上から放射状に葉を伸ばしている。
 ヤブレガサウラボシは膝ほどの高さで、名前どおり布地の破れた傘のような姿をしている。
 花の咲いた植物は見当たらない。
 シダの中にまぎれて、よく見ると白いカードの貼り付けられた木がある。カードには「これは何? イチョウの祖先・バイエラ」と見出しがあり、QRコードが載っている。
「これ読んでみて!」
 うながされるまま、私はスマホの解説用アプリでQRコードを読み込んだ。
 解説ページはバイエラの葉や幹、化石の写真を交えた、見やすく整理されたものだった。
 バイエラの葉は一見松に似た細い葉に見えるが、基本的には今のイチョウと同じ構造をしている。
 古いタイプの現生植物にまぎれて、バイエラ以外にも化石から再生された植物がいくつかあるとのことだった。
 目の前の原野を案内する情報が、自分の手の中にやってくる。スマホがゲームに出てくるモンスター図鑑になったかのようだ。
 私はバイエラ達が息づく三畳紀の森を写真に収めた。
 カメラのディスプレイを見て、静川さんも微笑んでくれた。
 森を抜けると黒っぽい海岸に出た。向こうのほうに小さな入り江が見える。
 空はさすがに鉄骨の入ったガラスのドームだが、もはや気にならない。
 何しろ砂利の上に転がっているのはただの貝殻ではなく、アンモナイト、しかも三畳紀に特有のセラタイト類だ。
 殻の横にさっきのバイエラ同様のカードが刺さっている。
 そのカードのQRコードも読んでみると、「内部を仕切る壁はアンモナイトとしてはややシンプルな折れ曲がりかたをしています。割れたセラタイトを見付けて中を見てみましょう」との解説。
「探そう!」
「はい!」
 意気込む静川さんと私だったが、割れたセラタイトは順路に沿って入り江に近付いたところにいくつもあった。
 カラコロロカララララ。
 カラコロロカララララ。
 波に揺られて黒く丸い小石が鳴っている。
 ここは熱帯だが、珊瑚が作った石灰岩の領地ではない。整然とした縞の走る角ばった岩がそびえる、泥岩の国なのだ。
 入り江の口は両岸から突き出た二つの岩で閉ざされ、その間から水平線がちらりと見える。
 館外のさらにずっと沖にある本物の水平線のはずだが、館内の海と組み合わさって見えた。
 この入り江の水に手を触れることはできない。トリアッソカンペを模したコーンが波打ち際をぐるりと取り囲んでいるからだ。
 こちらのは透明な模型ではない。普通の三角コーンに穴をたくさん開けた厚紙を巻いて網目状の段を付け、スプレーで白く塗った簡易型である。QRコードもきちんと付いている。
 単細胞のはずの放散虫が巨大化した、不条理の世界の光景に見える。
 すると、そんな場所にふさわしい、おかしな住人が入江に現れた。
「静川さん、あれ」
「あっ、フーペイスクス!」
 ウタツサウルスの親戚筋に当たる海生爬虫類だ。
 ぎょろりとした大きな目が水面から突き出ている。その前に伸びる口は形こそシロナガスクジラそっくりだが、色はクリーム色で、大きさは手の平ほどしかない。
 続く首と肩には、背筋に沿って一列だけ大きな鱗が並んでいる。水面下には冬瓜のような胴体と水かきになった手足が見える。少しも怖くなくなったワニ、毛のないカモノハシといった姿。
 プフーという鼻息が目のすぐ前の鼻孔から聞こえ、水しぶきまで見えた。私も今同じ空気を吸っている。
 私は片膝をつき、自分の目線とレンズの軸が重なるよう注意してカメラを構え、シャッターを押した。
 私は彼らを、裏から見たままの単なる水槽で暮らしていると思っていた。しかし実際はそうでもないようだ。
 いや、本当に三畳紀の世界で暮らしていると思っていたほうがよさそうだ。
 ここに来ると得られる楽しいことというのは、それを体験することだから。
 フーペイスクスが再び潜ると、私達はトリアッソカンペのコーンに導かれて左手に進んだ。
 岩に囲まれた浅瀬では、水面の下に細長いものが動いているのが見えた。あたりに何十匹も住んでいるようだ。
 首長竜の祖先に近いケイチョウサウルスである。
 長い首と尾、小さな楕円形の頭と胴体。手足、特に前脚は水を切るスマートな水かきだ。フーペイスクスと比べるとだいぶ小さい。
 岩に取り付いて休んでいるものや、体のくねりと水かきの動きを組み合わせて泳いでいるもの、底砂を口先で探っているもの、貝殻をいじくるもの、思い思いに過ごしている。
 変化に富んだこの環境では、やることがたくさんある。
「こっちこっち!」
 静川さんが岩陰に開いた地下への入り口を示して、楽しそうに呼ぶ。
 その中は岩肌に沿って潜っていく海中トンネルのようだ。
 潜っていくと空気は少しひんやりとして、潮騒は水中マイクからのくぐもった音に代わる。
 右側に、さっきのケイチョウサウルスやフーペイスクスが住んでいる浅瀬の中が見えた。
 底には細かい砂と二枚貝の殻が敷かれている。なかには粉々に砕けた殻もある。
 しかし、最初に水中で迎えるのは爬虫類ではない。浜辺に殻を転がしていたセラタイトだ。
 生きたセラタイトは、殻の口からイカそっくりの目と腕を覗かせ、水中を漂っている。殻の中のガスで浮力を得ているのだ。
「綺麗」
 静川さんがつぶやくとおり、小はピンポン玉ほどから大はバレーボールほど、縞模様や水玉模様、とても華やかだ。
 あまりに様々なので惜しくも名前を覚えきれていない。
 コルンビテスだけはなんとかアプリなしで見分けることができる。少し大きいほうで、なめらかな放射状のしわに合わせて白と薄紫の細い縞がある。上品で美しいセラタイトだ。
 セラタイトの群れ泳ぐ向こうを、ケイチョウサウルスやフーペイスクスが横切っていく。
 ケイチョウサウルスが一頭、揺れながら進むセラタイトを見ている。しかし途中で阻まれて、直接セラタイトに触れることはできない。
 水槽の中がアクリルガラスで仕切られているのだが、その壁はこちらからだと見分けられないのだ。
 最奥にあるはずの壁も同様にこちらからはよく見えず、水が終わりなくずっと続いているようにしか見えない。
 ならばやはり、ここは本物の海に見える場所だという風に写真を撮らなくては。
 私は慎重に風景を切り取り、光の加減を決めた。
 この通路は岬を形作る岩の横腹に掘られた道というイメージらしい。進行方向は沖に向かっている。
「もうすぐウタツサウルスだね」
 静川さんの声が固そうな壁に響かない。さらに、他の来館者もいるはずなのに気配が感じられない。
 壁は斜めに積み重なった地層に見えるが、その正体は柔らかいウレタン素材を塗りつけたものだ。薄暗い中では岩にしか見えない。
 おかげで、目で見るだけでなく音でも、自分が今水中にいると感じられる。
 それにもうひとつ、ウレタンの地層やさっきからの擬岩に素晴らしい点があったことに、ようやく気付いた。
「この地層、ウタツサウルスが見付かったところにそっくりです」
「そうだね!設備課の力作!」
 私も写真で見ただけではあったが。
 飼育員の小滝さんも南三陸の出身だったのを思い出した。宮城の水族館でステノプテリギウスを手がけてから、ここができるときにウタツサウルスを含む魚竜を扱うことになって助っ人に来たのだ。
 せっかく小滝さんが綺麗にしてくれた水槽だから、魅力的に撮らなくては。
 私はウタツサウルスの住処へ急いだ。
 といっても、壁から振り向いて数メートルで遭遇することができた。
 静かな沖合い、海底はとてもきめ細かな砂。
 白い日光と碧い波のちりばめられた海面。
 大きな影が五つ、小さな影が一つ、胴体の白い帯を光らせながら、ゆっくりと滑っている。
 後の時代のステノプテリギウスと比べて洗練されていないとされるが、今はとてもそんなことは考えられなかった。
 鋭く伸びた口先から、大きな丸い目を備えた頭、流線型の胴体、そして尾鰭へ。とてもなめらかな姿をしている。
 その体全体が水のきらめきの中でゆったりと左右に波打ち、波が尾鰭まで伝わって水を切る。
 尾鰭の上側はごく低い三角形、下側は後ろに向かって斜めに伸びる鋭い三角形。
 小さなスカイの姿が群れの後ろのほうにちらりと見える。
 横から見ると、まだ尾鰭の幅が狭いことや、大人より目が大きいこともよく見える。口が少し開くと、櫛のようにずらりと並んだ鋭く小さな歯が分かる。
 不意にスカイが大きく尾を振り、群れから離れて潜った。
 口先の向くほうを見ると、もう一種の住人がそこにいた。掃除中の飼育員ではなく、爬虫類である。
 ウミイグアナを人間大に大きくしたような体つきのプラコドゥスだ。
 丸い頭から突き出た幅広い口で砂をかいている。唇の裏には平たい歯が柵のように生えていて、貝を拾ったりはがしたりするのに都合がいい。
 水底の砂地には、さらさらの粒に混ざって薄く尖った形のものがある。小滝さん達が置いてプラコドゥスが噛み砕いた貝の殻だ。
 私はスカイが何かし始めるのではと、注意深くカメラを構えていた。
 スカイはプラコドゥスに対して好奇心があるのか、プラコドゥスのすぐ前を通り過ぎた。プラコドゥスは作業を中断して頭を伏せる。
 もう一度プラコドゥスに近付こうとスカイはターンしたが、周りを大人のウタツサウルス達に囲まれていた。
 群れは再び水面へと戻っていく。
 プラコドゥスが掘ったり小滝さん達が作業したりした跡で、砂泥の海底はゆるやかに波打つ。それは水と一緒にずっと奥まで続いていて、スカイ達はこの海を見てまわりながら暮らしている。
 この水族館が「アクアサファリ」と名乗っているのは、この水の中の原野が見られるからに違いない。
 私はそれを、写真を見た人に伝えるために、海とその住人達を撮った。
 ウタツサウルスの群れが何周かした頃、プラコドゥスはここでの貝探しを止め、順路の先の岩へと泳ぎだした。
 そして指のある水かきで岩にしがみついて、頭が見えなくなった。休むときはウタツサウルスと違って陸が必要なのだ。
 岬の突端に近いようだ。向こうに見える水の奥はますます青みを深める。
 その中に、棒のように真っ直ぐなものが二つ見えた。前半分は首、後ろ半分は少し膨らんだ胴体。厳密には首長竜の祖先だが、ほぼ首長竜そのものに見える。
 ユングイサウルスのつがい、ユイユイとグングンだ。翼のようになった前脚と後ろ脚を、ゆったりとしたリズムで振り下ろして進む。
 メスのユイユイがこちらを、というか手前にある砂地のほうを向いた。さっきのプラコドゥスのように餌を探すつもりだ。
 口は園芸用スコップの縁に熊手を付けたような形で、小さな餌を砂からすくい取るのに良い。
 その後からついてきたオスのグングンは、砂には興味を示さずユイユイの体ばかりつついている。ユイユイはうっとうしそうに身をよじる。
 スカイが生まれたのと同じように上手くいけばいいのだが、今はその行動のおかしみを撮るばかりだ。
「ここまでいっぱい歩いたねえ」
 静川さんが疲れ気味の声を出した。これまでの順路が、陸のサファリパークなら自動車を使いそうなボリュームのある道のりに感じられた。
 ちょうど岩のトンネルはすぐそこで途切れ、人工的な空間がその先に見えた。
「そこの建物で休みましょう」
「建物?」
 つい口を出た言葉に静川さんも小首をかしげた。私はここが建物の中であることを忘れていたのだ。
「そうだね、ここが最初のラボだって」
 静川さんはくすりと笑って言った。

 ルーラーズサファリには時代ごとにラボと呼ばれる展示室が設けられている。海の中に建てられた生物研究所というわけだ。
 黒い廊下の壁に、また放散虫のシンボルが登場した。網目状の球体の両極から長い角が生えたパンタネリウムだ。三畳紀から現れ始めたものである。
 丸い部屋の中央には大きな頭骨の化石が置かれている。静川さんは壁沿いのベンチに座っていたが、私はそれらの、三畳紀の時点でもう現れていた海の大型動物達を見つめた。
 細いクチバシと大きな目があるショニサウルスは、今のヒゲクジラと変わらない大きさで、プランクトンを濾し取っていたという。
 その隣にある、全体ががっしりとしたくさび形でナイフのような歯が生えているのはタラットアルコンである。大きさも性質もシャチのような捕食者だったとされる。
 三畳紀の海はここで見られるよりもさらに広く豊かだったようだ。こんな大きなものの生きた姿を見ることはないのだろうが。
 腰の高さの展示棚を覗くと、こうした巨大魚竜もウタツサウルスやフーペイスクス、そしてもっと原始的な、カルトリンクスという数十センチばかりの浜辺の爬虫類などから生まれた系統だという。
 カルトリンクスも飼育できるよう研究が進められている。充分な環境で多彩な行動を選べるように。
 展示を見ているうちに静川さんが席を立って、天井を見上げていた。
 天井の丸い窓と壁の縦長の窓から、ラボ唯一の水槽が見える。これを見るとやはり、ここが海の底にある建物のように思える。
「静川さんの専門ってカメだったよねえ」
「はい、ウミガメです」
「プセフォデルマってやっぱりカメとは全然違う?」
 頭上には丸い胴体と三角の頭を持ち、四肢で水をかいて進むシルエットがいくつかある。一見大きめのイシガメか何かに見えるかもしれないが、
「そうですね、丸っきり別物に見えます」
 完全にカプセルになって肩まですっぽり収めたカメの甲羅と違い、プセフォデルマは皿状の甲羅を背中に貼り付けているだけだ。さらになぜか腰にも別の小さい甲羅がある。尾はとても細長い。
 この頃本物のカメは生まれたばかり、リクガメのような姿のものが圧倒的多数で、泳ぐものも今のウミガメには程遠かったそうだ。
 そうは言っても甲羅を背負ったものはやはりなにか愛おしい。私はプセフォデルマの甲羅が丸い窓の中心に重なるよう粘ってシャッターを押した。
「さてっと」
 静川さんが休憩を終えて立ち上がった。
「どうする?」
「進みましょうか」
「そう?練習は充分だと思ったけど」
「こういう機会はあんまりないですから」
 ラボからもっと沖に向かって、真っ青に塗られた門が開いている。
 門の内壁では二つの放散虫のシンボルが先端をくっつけて向き合っている。三畳紀のトリアッソカンペと、オナモミの実によく似たジュラ紀のウヌマ。
 三方を水に囲まれた道を行くとジュラ紀の島に着くのだ。
 私達は次の時代へと踏み出した。
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