Lv100第四十九話
「ドッペルゲンガー、またはスワンプマン -静香とネアンデル・タル子-」
登場古生物解説(別窓)
 本格的な飼育施設を持たない博物館でも小さな古生物は飼育できるし、大きな古生物を飼育する動物園や水族館からの恩恵にあずかることもある。
 私が学芸員として所属する館は主に後者だ。
 破砕機のような顎のティラノサウルス。長く精巧な背骨と古代建築を思わせる四肢のディプロドクス。顔面に破城槌、後頭部にフリルを持つパキリノサウルス。歯の一本一本が包丁になったケラトサウルス。
 どれもスポットライトの下で白く輝いている。化石の色ではない。
 これらの大型恐竜の骨格は生きていた個体の完全な骨から作られたレプリカだ。化石のような灰色や褐色に塗られることはなく、骨らしいごく淡いクリーム色をしている。
 ガリミムスやカスモサウルス、パラサウロロフスなど、牧場で育てられる恐竜は実物の骨である。ヴェロキラプトルやオリクトドロメウスなど小型の恐竜は、生前の姿を正確に留めた剥製が展示されている。
 大型恐竜のものでも抜けた歯や皮膚の一部、固い毛のような羽毛、そして脳などは実物がケースの中に並んでいる。
 現生種の標本と何ら変わることはない。非常に生き生きとしたものだ。恐竜が現実の動物であることをまざまざと見せつける。
 生体を再生する技術は今や古生物学の要である。
 しかし一つ上の、私が担当する分野のフロアに移ると、全く違った古生物学の世界が開ける。
 暗い部屋の床に、腰ほどの高さのガラスケースがずらりと並んでいる。
 ちょうど今、フロアの入り口から入ってきた老婦人三人連れが、すぐ手前の一つを覗き込んだ。
「ひゃっ」
 短い悲鳴。中の人と不用意に目が合ったのだろう。
 アウストラロピテクス・アフリカヌス、ミセス・プレスと呼ばれる個体の頭骨だ。
「あ、これ本当の骨じゃなくて化石ね」
「原始人の本当の骨ってないんじゃないの」
「動物園にもいないもんねえ」
 そう、先程恐竜のフロアに並んでいた生骨然としたレプリカとは全く違う、黒い石の色をしている。歯は抜け、右の頬から上顎にかけてと左側頭部の欠けた部分が補修され、下顎はない。
 実物は貴重なのでもちろんレプリカだが、実物以上に生骨に似せて作られることはなかった。
 他のケースも同様だ。貴重な古人類の化石がレプリカとなってこのフロアに集まっている。
 ほぼ見付かった姿のままの断片もあれば、全身を推定した骨格もある。恐竜のものに負けないよう技術を凝らした復元骨格だ。
 化石の入ったケースの背面には、ACGT四種のアルファベットが羅列されている。もちろん、元の化石から得られた遺伝子配列だ。
 三人連れの婦人は展示を進んでいく。彼女達は人類の進化をたどっているのだ。
 その道は決して単調な進歩ではない。
 同じアウストラロピテクスでもほっそりとした種もいれば、がっしりとした、草を食べるのに専念した種もいた。そのひとつ、ボイセイの前で「うちの旦那だわ」と婦人が笑っている。
 続いてホモ・ハビリス、確実に直立歩行をしていたと分かっている、いっそう現代人に近縁な人類だ。
 このあたりからは化石だけでなく石器なども登場してくる。
 ホモ・エレクトゥス、ホモ・ハイデルベルゲンシスと種類が増えていく。骨格も現代人に近付き、どれがどれに進化したという一本道が見分けられなくなっていく。
 とうとう現代人とほとんど変わらなくなる。が、一種類に絞り込まれたわけではない。
 我々現代人と、もう一つの人間、ネアンデルタール人。
 二体の骨格を中心に、それぞれの化石や遺物のケースが大きな二つの群れを作っている。
 先程の三人の婦人も自分達につながる実感を得たのか、冗談で笑う回数が減って神妙に標本を見ていた。
「石器ってこんなに色々あるのね」
「すっごい鋭い」
「あんまり原始的だって馬鹿にしちゃいけないわね」
 埋葬されたネアンデルタール人を再現する棺のようなケースの前でなど、少し頭を下げたように見えた。
 そのうち、展示室の奥からその音が聞こえてくる。ネアンデルタール人のエリアの端だ。
 カンカンカン。カンカンカン。
 とても規則正しい渇いた音。
 大きな石と透明なプラスチックのついたてに囲まれたブースの中からだ。
 その人物はシカの毛皮をまとってあぐらをかき、右腿に載せた石と向き合っている。
 カンカンカン。薄い石の端をシカの角で叩いては裏を覗き、また叩く。
 もちろん、石器を作っているのにほかならない。
 波打った髪の向こうに目鼻立ちが垣間見える。隆起した眉、高く幅広い鼻。白っぽい肌。
 すぐそばにあるネアンデルタール人の復元図と合致する。
「あれって、もしかして」
「動物園の恐竜みたいな……」
「本物の?」
 注目されているのに気付いたその人物は顔を上げて微笑した。
 婦人達はぎょっとしたが、すぐに、なあんだ、と言ってくすくすと笑い出した。
 正面を向いてみると、付け鼻と付け眉をした、現代日本人の少女であることが明らかだったからだ。
 少女はさらに立ち上がる。たくましい体つきはわずかにネアンデルタール人を連想させるが、毛皮のマントと腰巻きの下には黒いタンクトップとホットパンツを着ている。
 彼女があまり羽目を外したことを言わないうちに、私は婦人達に近付いて説明を始めた。
「こんにちはー、こちら当館でボランティアとして石器作りの実演を行っている高校生なんですよ」
「あら、そうなの」
「どうも、ルヴァロワ技法の石器職人、ネアンデル・タル子っす」
 彼女はこの姿のとき本名の内田未央を名乗ろうとしない。
「るばろわ?」
「打製石器を計画的に量産するための技法なんです。あちらに彼女がこれまでに作った石器の一部がありますよ」
「これで一部なの!」
 石器作成ブースの隣にある高いケースを見て、婦人達は驚きの声を上げた。
 手でしっかりと握りしめるくらいの大きさの水滴型をしたハンドアックス。一方の端が直線的なスクレーパー。ナイフに槍の穂先。
 きちんと目的別に作り分けられた石器がケースの棚板いっぱいに並んでいる。出来映えは本物のネアンデルタール人が作ったのと遜色ない。
 大半の石器は灰色のチャートで出来ていて、刃の部分は鋭く、より濃い色を見せている。黒曜石やガラスのものもいくつかある。
「一度使ったのとかは別にとってあるっす」
 タル子がいつの間にかブースから出て説明に加わっていた。
「使った?」
「石器は他の道具とか食べ物を作る道具っすから。作ったら使ってみないと」
「こちらに石器以外のものもありますよ」
 木を削って作った槍、さらに先端に石器の穂先を付けた改良版の槍。
 シカの毛皮を加工したマント、同じくシカの角や大腿骨のハンマー。
 シカ肉を焼いた様子の写真。
 どれも実験として行って記録を付け、それをファイルに収めて閲覧できるようにしてある。
「これ全部あなたが?」
「最初のほうとかはそうでもないっすけど、そうっすね。実作業はだいたいあたしです」
 婦人達は孫娘の頑張りを尊ぶのと、変人の珍偉業に唖然とするのの中間のような顔でタル子を見た。
 タル子は満足げな顔をしていたが、次の一言を受けて眉間にしわを寄せた。
「ねえ、土器はないの?」
 これは実はタル子にとってかなりの地雷なのだ。
 奴が槍を取ってくる前に私が割って入った。
「とてもいい質問です!一見縄文人や弥生人といった国内の古代人の作ったものに似ていますが、あくまでそれよりさらに前のネアンデルタール人の作ったものを再現しているので、土器はないんですよ」
「まあ、そうなの」
「土器なしでどこまで豊かな食事ができるのかを突き詰めるのも、大きな課題なんです。ね、タル子」
 そうやってつないでやるとタル子は自分の活動を語ることにすぐ戻ってこれた。
「そうっす。基本直火とか石焼きになるんで、煮るとか炒めるとかしないでどうやって山菜とか貝とかを食べるかが今後のポイントになるっす。ゴボウを灰に埋めたりっすね。とにかく、土器はなしでやってきます!」
 今後の展望など語ってみせるとますます立派そうに見えるもので、婦人達ももはや感心するばかりであった。

 閉館後に後片付けをしている途中。
「槍使ってみたいっすね〜、取手さん」
 タル子は槍を構えながらこんな不穏なことを口走った。私に同意を求めないでほしい。
「争いまで実践してみせなくていいんだぞ……しかも白髪のおばさん相手に……」
「違うっすよ、人を刺しゃしないっすよ。ばあさん達は面白がってくれたじゃないっすか」
「ああ、地雷踏まれてムカついてんのかと思って。狩りね」
 実際のところ人に危害を加えたりしないと信頼しているから自由に刃物を作らせているわけで。
 柄の先に石器の刃を組み合わせた槍も、飛び道具をあまり使わない接近戦の狩りも、ネアンデルタール人の特徴である。
 すなわち、槍を使った狩りはタル子の悲願なのだ。
 さっきは直火での調理の幅を広げるなどと言っていたが、タル子の意識は明らかに狩りに向いている。
「こうきたらこう!こうきたらこう!」
 タル子はそれっぽく突きや払いの練習をしているが、何がどう来ると思っているのだろう。
 その辺あんまり話していなかったな。今後どう進めていく気なのかを。
「なんか具体的に狩りたいものでもあんの?」
「やっぱシカっすねえ。山で増えちゃってるし、何度か解体させてもらったし」
「マジでやるんだったら色々許可とか取らないと。知らんけど」
 いきなりシカを狩りたいというのも大胆ではあるのだが。
「あれ?シカだと縄文人と変わんないんじゃない?」
 そう言ってやるとタル子はびくりと動きを止めた。
 振り返った顔はこちらがちょっと驚くほど愕然としている。
「ネアンデルタール人は、もっとデカいのに挑んでたんじゃないの」
 縄文人との差別化こそタル子にとって最大の問題なのだそうだ。
 日本で打製石器を作っているとどうしても縄文人がテーマだと勘違いされてしまう。石器作りの仲間を作ろうとしても出会うのは縄文人に憧れている人ばかりだ。
 しかしタル子の心にあるのはあくまでネアンデルタール人であって縄文人は眼中にないのだ。
 タル子は羽織っているシカ皮のマントをつまんでうつむき始めた。これも縄文人と変わらないのだろうかと思ってしょげているに違いない。
 と思ったら再びこちらに振り向いて、
「闘牛って借りられないっすかね」
「返せなくする気でしょ」
 もっと大胆なほうに踏み込みやがった。
「あたしがしくじれば返せますよ」
「帰らぬ人になる気か!」
「帰らぬ人と言えば、取手さん死んだら埋葬させてもらっていいっすかね。お花めっちゃ詰むんで」
「私はならないよ!!」
 本当にネアンデルタール式の葬儀をやったら死体損壊遺棄である。それでもやりたいのだろうか。タル子が言うと冗談に聞こえないのが恐ろしい。
 それにしても縄文人との差別化がタル子にとって半ば命を懸けるほどの重大事だったとは。
「そこまでネアンデルタール人にこだわるのって、そもそもなんでなんだっけ」
 私が問うとタル子は何かを思い出そうと上を見た。
「えーっと、ライオンはパンテラ・レオでトラはパンテラ・ティグリスっすよね」
「え?うん」
「ヒグマはウルルス・アルクトゥス、ツキノワグマはウルスス・チベタヌス、キツネのヴルペス属もニホンジカのケルヴス属も海外には別種がいて」
「うん」
 意外にも哺乳類に詳しい。しかし何の話だろうか。
「ヒトはホモ・サピエンス・サピエンス一種じゃないっすか」
「ああ、そっか」
 かつて複数種が同時に生きていた人類のうち、今ではサピエンスしか生き残っていないのだ。
「なんか寂しいなって思ってたんすよ」
「うんうん」
「そしたら、ヒトの遺伝子の数パーセントはネアンデルタール人だっていうのを知って、嬉しくなっちゃって」

 それから、他の職員に帰り支度をうながされるまで色々なことを話してもらった。
 体つきをネアンデルタール人に近付けようと中学ではバレーボール部に入部したこと。筋肉が付いて腕のコントロールも良くなったのはよかったが身長がネアンデルタール人女性の範囲をやや越えてしまったのを惜しく思っていること。縄文人ファンだらけの中で我慢しながら石器作りを習得したこと。ネアンデルタール人の白っぽい肌に近付けるために日焼けを徹底的に避けていること。
 帰る前に展示室を点検しながら、それらの言葉が、声の調子が、活き活きとした表情が頭をめぐる。
 タル子のネアンデルタール人への想いは強く深い。
 それをよく理解した上でネアンデルタール人の展示を見ると、胸に痛みが走る。
 ネアンデルタール人の化石からは他の古生物以上に綿密に遺伝子配列が読み取られている。発見されている化石のほとんど全てが解析され、復元像にも詳細に反映されている。
 他の古生物の基準でいえば、再生されたら盤石な繁殖個体群を築けそうな遺伝子プールが出来上がっている。
 しかし。
 展示室の奥にひっそりと解説された文面がそれを阻む。
 「化石から得られた遺伝情報に基づく生物の再生・飼養・研究・利用に関する条約」。通称「ゾルンホーフェン条約」。
 この条約ではヒト科を全て、三十メートルを超える超巨大恐竜と同じカテゴリー1に分類している。
 「カテゴリー1:化石から得られた遺伝情報からの再生を禁ずる」。
 下の階にいるティラノサウルスやディプロドクスですらカテゴリー2に過ぎない。ケラトサウルスやパキリノサウルス、パラサウロロフスは二つも下のカテゴリー4だ。その他はもはや覚えてもいないほど低い。
 六千六百万年以上前の大型恐竜より、隣人のはずのネアンデルタール人のほうが遠い存在だとすら言える。
 ネアンデルタール人の骨格が立っている。
 遺伝情報を現代人と比較し、相違の意味を解明し、化石の形状をふんだんに取り込みつつ繊細な補正を行い、3Dプリンターで造形された骨格だ。
 現代の古生物学の粋を集めて作られた最高の復元骨格……ただし、生きた個体を再生することなしに。
 骨格の周りを取り囲む化石のケースには遺伝子配列が掲げられている。
 自分達を蘇らせよという懇願がしたためられているかのようだ。
 それらの祈りが形となり、骨格が生前の陰をまとうのを夢想する。
 しかし幻影の隣人はこちらとそちらを隔てる壁を越えることができない。
 タル子がそれをどう思っているか、聞いておかないと。

「いやー……、再生してもあんまり意味ないんじゃないっすかね」
 翌日のタル子の答えは意外にも淡白なものだった。
「だって現代人として暮らすのが一人増えるだけっすよ」
 種としての隣人を求めているのではなかったのだろうか。
 私はついそそのかすようなことを口走ってしまう。
「タル子がネアンデルタール人の生活を教えてあげるっていうんだったら?」
「や!不完全なネアンデルタール人の生活を他人に押し付ける責任なんて持ちきれないっす!」
 なんとすがすがしい返事。
「うん。うん……、そのとおりだわ」
 寂しいと思っていたのは自分のほうだったようだ。いや、恐竜とネアンデルタール人を比べる浅い考えにはまっていただけだ。
「自分一人でもネアンデルタール人であり続けるっすよ!」
 タル子はそう言い放って胸を張った。
 やはり、タル子の想いは本物だ。
「変なこと聞いてごめん」
「いいっすよ」
 タル子はサピエンスの他に人類の種がいたことだけでなく、サピエンスの隣に他の人類の生活があったこと全体を尊んでいるのだ。
 その手は連日の石器作成に耐えて分厚く傷付いている。女子高生の手にはとても見えない。
 私にはそれがとてもまぶしい。
 たとえ現代人の遺伝子のうち二パーセント程度しかネアンデルタール人のものでなくても。
 タル子こそが活きたネアンデルタール人だ。
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