Lv100第四十七話
「リザードマン -有子とパル-」
登場古生物解説(別窓)
 私が高校受験を迎えた頃に父のグリーンイグアナが天寿を全うし、私が入学すると父はとうとう古生物に手を出した。それから一年弱経って。
 土曜の夜。夕食が済むと父は二階の自室から、そのオオトカゲに少し似た爬虫類を抱えて降りてきた。
 用心のため父は革の長手袋をしているものの、エウパルケリアの「パル」は特に暴れたりすることもない。
 パルは両脇の下で抱きかかえられ、うっすらと緑がかった地に黒の斑点が細かく並んだ、長い胴体と、さらに長い尾を床近くまで垂らしている。
 父の腕の上から出た黄色い長方形の顔には、一文字に結んだ大きな口。大きく黒い目は輝いている。庭に出してもらえるという期待がパルにもあるのだろうか。
 父はリビングを縦断して窓を開け、パルの体を庭に降ろした。
 エウパルケリアはほぼ夜行性である。初夏だというのにすでに夏日が続く今のような季節、運動させるなら断然夜だ。
 立たせるとオオトカゲとはまた違った姿になる。
 四本の脚は少しだけがに股とはいえ、胴体を高く持ち上げる。歩き回るつもりになったエウパルケリアは大抵の爬虫類と比べてかなり軽快に見える。
 背筋に沿って大きな鱗が並んでいる。スタイルや飼い方はオオトカゲに例えられることが多いが、エウパルケリアの分類はどちらかというとワニに近い。
 パルは胴体をわずかにくねらせ、軽やかに庭へ歩み出す。
 しっかりした足取りは爬虫類よりむしろ哺乳類や恐竜にも似ている。姿は爬虫類そのものなので慣れないと違和感が強い。
 庭の隅に植えられたツツジの根元に向かっていく。
 そのどこかに父が隠した餌があるはずだ。
 パルはツツジの列に沿って鼻先を突っ込み、餌を探していく。犬に例えるには無表情だ。父はしきりに小さくうなずきながらそれを見ている。
 今回は見付かるまできちんと続けるだろうかと思った途端、パルは急に振り向いてしまった。
 そして庭の真ん中に立った明かりを見上げ始めた。周りを飛んでいる虫を捕まえるでもなく眺めている。
「やっぱダメかあ」
「動物園の真似なんでしょ?動物園でやり方を見てくればいいじゃん」
「一回行ってみたけどその日じゃなかった」
 父はツツジの下から餌を回収しようと立ち上がった。
 するとすぐにパルは振り返り、父のそばに素早く近付いた。
 もちろん主人になついているのではない。餌が出てくるもののほうに近寄っただけだ。
 父は羽毛を抜いた冷凍ウズラを拾い上げるとパルに見せたが、すぐには与えず歩き出した。パルもそれについていく。
 そのまま庭を一周弱ほど歩き回ったところで、父はパルが飛びつかないうちにウズラを落とした。
 パルはそれをすかさず捕らえる。
 狩りに近い体験や運動をさせようとして動物園を参考に餌探しをやらせているが、父とパルの距離が近すぎるのか、上手くいった試しがない。
 運動だけは取らせられているから問題はないようだった。

 餌を食べたらもうあまり動かないので、父と私はパルを再び抱え上げて部屋に戻した。
 父の部屋には他にも水槽やケージがあるが、パルのケージは破格の大きさだ。何しろ父の部屋の半分を占めている。
 ケージの床に敷かれたボロボロのカーペットに降ろされると、パルは隅のほうまで移動してから長い体を伏せて休み始めた。こうしているとただの爬虫類にしか見えない。
「今夜はもう静かにしてるはずだな」
「お父さんよくこの部屋で眠れるよね……」
「そんなうるさいかなあ」
「冬とか雨の日とか、夜中けっこうバタバタしてるよ」
 エウパルケリアは寒さや湿気には強くないので庭に出せないことも多い。そうなるとケージの中をうろつくしかなくなる。
 しかもオオトカゲほど胴体や尾がくねくね曲がらない。この広いケージでもそこら中に当たったりぶつかったりしてしまう。
 加えて、父の布団はケージに追いやられている。飼い主もペットも体を伸ばしづらい夜を過ごしているはずだ。
 それにしては父も寝不足の様子はない。
「まあ、エウパルケリアが立ててる音だと思えばむしろ幸せっていうか」
「そのエウパルケリアのおっさん人気みたいなのよく分かんないんだけど」
「ええ?人気あるのおっさんにだけかなあ」
 おっさんにだけである。
 私も爬虫類や古生物は好きなので短文SNSで他の飼い主の投稿をよく見ているが、エウパルケリアの写真を嬉しそうに上げるのはのきなみ中高年の男性だ。
「若い人は恐竜だって」
「パル恐竜っぽいじゃん。恐竜より恐竜っぽいじゃん」
「どこが」
 ペットの恐竜といえばシノルニトサウルスやアンキオルニスといった、翼を持ち羽毛に覆われたものが主流だ。いずれも猛禽やカラスに似ている。爬虫類然としたエウパルケリアとはファン層がかぶらない。
「あれー、これ見せたことなかったっけ」
 そう言って父は机のブックスタンドから分厚い本を取った。何十年も前の図鑑らしいが、ずいぶん傷んでいる。
「学校の図書室から盗んだのかと思うくらいボロいね」
「そんなことするかよー。昔お前のじいさんが買ってくれたやつだよ」
 ケージに圧迫された部屋に置いたなけなしの机にわざわざ並べるほど愛読して、祖父も喜ぶか呆れるかであろう。
 父が開いたページには、油絵のようなタッチのイラストが見開きで大きく載っていた。
 描かれているのは、エウパルケリアを無理矢理後ろ脚だけで直立させ、全身まんべんなく粒々イチゴジャムを塗りたくったような生き物。
 一体これはなんだろう。
 よく見ると前脚はやたら小さく、指は二本しかない。ここだけは見覚えがある。
 それに、見出しにはティラノサウルスとある。この絵がそうだと言っているのだろうか。
 ティラノサウルスといえば、絶大なパワーを秘めた肉体を鳥のように優雅に動かす、あのティラノサウルスである。
 それを名乗るイチゴジャム漬けの爬虫類。
「どこがティラノサウルスだ!」
「ティラノサウルスっていったらこうだろー」
「だってこれ、図鑑に載せる絵なのに、描いた人は実物……、」
 そこで気が付いた。
「実物いなかったんだ……」
「今の図鑑は写真もいっぱい載ってるもんなあ」
 父が子供の頃まで遡れば、世界的にも古生物はほんのわずかしか飼われていなかった。ようやくファヤンゴサウルスが国内に初めてやってきた頃か、それより前だ。
 その頃売られていた図鑑の内容が古いままでも、仕方のないことだろう。
 絵の中でティラノサウルスと対面している自称トリケラトプスも、前脚を妙に左右に踏ん張り、尾をだらりと垂らしている。
 父は続けてページをめくっていく。
 パラサウロロフスをはじめとするハドロサウルス類も頭の形以外ティラノサウルスと似たり寄ったりで、実物の壁のような背中とシカのような脚付きとは比べるべくもない。
 ディプロドクスの名を騙るやけに脚の太い生き物が池からにじり上がってくる。
 ゴルゴサウルスのたてがみどころか、ストルティオミムスやオヴィラプトルにすら羽毛がない。出荷された丸鶏のごとし。
 何より大型肉食恐竜である。アロサウルスもケラトサウルスもメガロサウルスも、揃いも揃って皆まるで立たされたエウパルケリアだ。スピノサウルスですら立ち上がったディメトロドンのように見える。ジロホサウルスって誰だ。
 なるほど、これが恐竜なのだという段階の図鑑で育てばエウパルケリアが恐竜に見えても仕方ないだろう。
「エウパルケリア載ってるぞ」
「え」
 父は最初のほうまでページをさかのぼっていった。シーロファイシスとかいうにょろっとしたものが一瞬見えたが何だろうか。
 たどり着いたページの見出しは「ユーパルケリア」となっていた。
 案の定、見慣れた姿とは似ても似つかない。
 美しい黒と黄緑の模様はなく、全身くすんだ緑色。顔付きも違う。
 そして、エウパルケリアでさえ二本脚で立たされ、実物よりさらに軽快に走っている。
 さっきまで肉食恐竜のことを立たされたエウパルケリアみたいだと思っていたら、エウパルケリア本人までもが。
「なんで二本脚」
「昔は二本脚でしか描かれなかったな」
 この図鑑の中ではエウパルケリアと肉食恐竜の間の距離は今思われているよりずっと近いようだ。
 ここに描かれた生き物の様子と、エウパルケリアのおっさん人気の関係。
「もしかして模様が少ないのが人気あるのって」
「模様がないほうがノスタルジー!」
 父はそう言い切った。
 この数十年で恐竜の研究は劇的に進んだ。化石だけでなく実物まで現れるに及んで、一部の種類は姿を直接知ることさえ可能になった。
 尾を持ち上げ、背中を水平に保ち、四肢をスリムアップしてぴしっと伸ばし、模様を付け、羽毛を生やし……。
 そんな中で、せいぜい四足歩行になって模様が付いただけのエウパルケリアは、父の言うとおり、恐竜より恐竜っぽいのかもしれない。
 しかし、綺麗な模様のあるパルの前で模様がないほうがいいと言い切るとは。
「二足歩行は別に間違ってないぞ」
「え」
 父はタブレットを取り、何か打ち込んでこちらに見せた。
 細い竹竿を持った作業服の人と大柄なエウパルケリアが砂地で向かい合っている。どこかの動物園だ。
 竿の先から紐がぶら下がり、その先には鶏肉が結び付けられている。エウパルケリアは届かないところにあるその肉をじっと見ている。
 飼育員は後ろ向きに走り出し、竿を降ろした。引きずられ始めた肉をエウパルケリアが追う。
 飼育員が前に向き直って加速すると、それは起こった。
 エウパルケリアが前脚を浮かせ、二本脚で走ったのだ。
 五歩ほどそのまま突進すると、エウパルケリアは肉をくわえ取った。
「な?」
 エウパルケリアが二本脚で走れるとは、たった今まで知らなかった。飼い主の一員としては明確な落ち度だ。
 しかし父が得意気な顔を見せ付けてくるのに対しては反論したい。
「図鑑の絵と違うじゃん!」
「お?」
 私は動画のシークバーを戻し、エウパルケリアにもう一度走らせた。
 両足の間が広く、蹴り出すたびに体が左右に揺れる。
「ほら!ダバダバしてる!」
 私がそう言い放つと、父は急に肩を落とした。
「そりゃな……、昔の図鑑どおりのままなわけないよな」
 父はうなだれがちになって図鑑を閉じ、あくまで大事そうにブックスタンドに戻した。
「でもやっぱ初めて生きたエウパルケリアを見たときは感動したさ」
 父は拳を握り締め、声に静かに力を込めた。
「ああーっ、こういうやつだったんだーっ、やっと会えたんだーってな」
 エウパルケリアは大抵の恐竜より早いうちに再生され、飼育が普及したはずだ。父の年代にとってはほぼ初めて目にした「恐竜っぽいもの」だっただろう。
 思いがけずエウパルケリアのおっさん人気に理解の深まる夜になってしまった。
「でもさあ」
 まだ気になることがひとつ。
「パルは走らなくていいわけ?」
 私がそう口にすると父は顎に手を当て、眉間にしわを作った。
 パルはおそらくすっかり成長して今の体格になるまで、一度も二本脚で全力疾走したことがないだろう。
「一生走ったことがないって」
「不健康そうだと思うよなあ」
 体重も体型も適切な範囲に収まってはいる。鱗の艶は健康優良児と言ってもいい。しかし。
「体重とかの基準自体、走ったことないエウパルケリアのやつなんじゃあ」
「かといって野生のエウパルケリアなんて誰も見たことないしな」
 私達はエウパルケリアの本当の姿を見たことがあるのかないのか。
「古生物は分からんことだらけだ」
「結局それ」
 こんなに謎に包まれているのに、よく無事で暮らせているものだとパルに目をやった。
 パルはそんな若い生物種の心配などどこ吹く風でのんびり伏せているばかりだ。
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