Lv100第四十六話
「ワイバーン -さつきと黒赤、赤紫、白緑-」
登場古生物解説(別窓)
 ゴールデンウィークが終わって最初の、科学動物園の休園日だった。
 木々の葉はとっくに若葉を通り越して深い緑になっている。日差しは強いが風まではまだ熱くない。
 分園まで真っ直ぐ行けばアマルガサウルスがいるが、科学動物園にいる古生物はそれだけではない。
 ジャングルエリアの奥には小川が流れていて、それを渡ると少し大きな建物がある。
 側面は黄土色の地層を模した縞模様、手前の面から天井にかけてはガラス張りのドームになっている。
 ブラジルはサンタナ州、アラリペ盆地にある化石の大産出地、サンタナ層群の生き物が集まったサンタナ館である。
 その主役、私の主に世話する生き物の姿が、すでにガラスの向こうに見えている。
 黒く横に長い影が、ドームの中の宙にふわりと弧を描く。
 タペヤラ・ウェルンホフェリ。一億年前のブラジルの空を舞っていた小柄な翼竜である。
 ガラスを支える鉄筋の横筋に接したかと思うと、翼をW字に折り畳んだ。
 Wの中心近くに赤いものが見える。クチバシの先から上下に飛び出たトサカだ。クチバシは歯がなく、黄色いくさび形をしていて、途中がへの字に曲がっている。
 クチバシの後ろに、水色の皮膚に縁取られた小さな目がある。その後ろに向かって角状の部分が突き出す。浮かれた色合いだが精悍な顔付き。
 ひょろりとした首をたどると、頭より小さい胴体が翼の間にかすかに見える。首から後ろは真っ黒だ。
 ガラスの外からではよく見えないが、ここにいる二十羽のうちトサカが真っ赤になるまで成熟したオス、中でも年長の「黒赤(くろあか)」に違いなかった。この呼び名は足首に付けられた識別用カラーバンドにちなむ。
 黒赤は鉄筋に長居せず、すぐに振り向いて飛び立った。年長とはいえ活発な奴だ。
 その活発さを見込んで、黒赤をはじめ数羽はちょっと特別な観察を行っている。そのおかげでこのゴールデンウィークに新しい展示が始められたのだ。
 今日はその成果を振り返る日だ。
 私の手にはそれを確認するための品を入れた、しっかりした鞄が下がっている。
 他の飼育員との約束の時間が迫っていたが、生き物の様子を少しでも見ておくためには順路どおりに行きたい。
 サンタナ館の側面に周り込み、来園者用順路の扉を開いた。
 最初は小さな博物館のような小部屋である。黒い壁に並んだ掲示と化石展示が、照らされて浮かび上がっている。
 一億年前のブラジル沿岸部。湖だったところが一度海に沈み、再び浅くなって汽水の入り江に変わった。その記録がサンタナ層群だ。
 流れ込んだ植物や昆虫も、死んで沈んだ魚や翼竜も、形を保ったまま化学的な作用で素早く化石化したのだ。ごく最近押し葉になったとしか思えない植物の化石や、生きた魚を精巧な木彫りでかたどったかのような化石がずらりと並んでいる。
 角を曲がれば、中でも最も荒々しいものがそこにいる。
 大口に並んだ牙と、一メートルに達する砲弾状の体を併せ持つ肉食魚、カラモプレウルスの水槽だ。
 かなり立派な水槽に四尾が泳ぐ。共食いを防ぐために飽食気味ではあるものの、緑がかった金属光沢を放って、なかなかスマートで力強い。油断していた子供達は皆こいつらに泣かされるのだ。
 続く水槽には、黄色い円盤の体と硬いクチバシを持つイエマンジャ。エイにサメの尾を継いだようなイアンサン。
 魚だけではなくカメも泳ぐ。甲羅と同じ長さの首を左右にくねらせるアラリペミス、その仲間だがもっとずっと泳ぎの上手いセアラケリス、ミニチュアのようなウミガメのサンタナケリス。
 やがてカラモプレウルスのいた水槽よりはるかに大きな水槽が現れる。
 太陽の光が降り注ぐ、ずっと海原遠くまで続くように見える入り江の大水槽だ。
 銀色のうねりが押し寄せてくる。ごく小さなダスティルベの大群である。イワシに似るが、それほど素早くはない。
 その後からサバほどの大きさのラコレピスが、大きな口を開けて十尾ほど集まってついてくる。
 それらが過ぎ去ると、入り江の主が姿を見せる。
 上を向いた口にはカラモプレウルスに劣らない牙が並んでピラニアの面相、長い体もカラモプレウルスと互角以上だ。尾鰭はマグロにも似たV字型。
 鯉のぼりの怪物にも見えるクラドキクルスは黒々とした背中を見せつけながら悠々と泳ぎ回る。
 鎧を着込んでクラドキクルスの牙に備えるものもいた。鼻先が尖ったヴィンクティフェルの長い脇腹には、縦長の分厚い鱗が蛇腹状にずらりと並ぶ。
 今生き残っているシーラカンスによく似た親戚のアクセルロディクティスも、大きなしっかりした青緑の鱗を持つ。体格も相当なものだ。
 この水槽でもまだ、サンタナ層群から見付かっている魚達の一部にとどまるのだという。
 大水槽に沿って右へと進むと、二重のガラス扉がある。ここを抜けるとドームの中、水面上を表現する温室である。
 視界は一気に明るくなる。
 左手にはさっきの大水槽がまだ続いている。日差しの中でダスティルベもラコレピスも、もちろん他の魚達もますます強く輝いている。自然の水中に飛び込んだようだ。
 水面より上に目を向ければ、こちらが沖で向こうが砂浜だと分かる。
 砂浜のさらに向こうにはシュロとナンヨウスギの茂みが見える。丸い大水槽を陸地が三日月マークのように取り囲んでいるのだ。
 そして三日月の向かって左の端から、一羽のタペヤラが飛び立つ。
 トサカの黄色い、若いメスの「赤紫」だ。巣立ちの後バックヤードでの飛行訓練を済ませ、この温室に出てきて間もない。
 赤紫も黒赤と同じく特別な観察を行っている。
 赤紫の角には、ハンコほどの円筒形の物体が左右一対貼り付けられている。
 野生動物の詳細な観察を行うのに使う、超軽量カメラだ。
 これにより黒赤や赤紫が空中で見ている視界が記録されるのだ。
 赤紫は風のない温室をゆっくりと進んでいく。断続的に羽ばたく以外は紐で引かれた凧のようだ。
 実際、翼の構造は鳥とはほど遠く、むしろゲイラカイトに近い。黒い皮でできた翼面がわずかに透けている。
 同じ翼竜でも例えばアンハングエラやタラッソドロメウスであれば真下を泳ぐダスティルベにとって脅威になっただろう。
 しかし赤紫は魚には見向きもせず、ナンヨウスギの間を通り抜けていった。
 そしてシュロの向こうに植えられた木に降り、翼の途中とつま先にある爪を枝に引っかけてぶら下がった。
 その木に新鮮な食べ物が生る季節になっていた。私もそちらに向かわないと。
 何羽ものタペヤラが頭上を行き交うのを見届けながら、水槽と壁の間の通路を通って反対側に出ると、陸側に登るスロープに続く。
 そこには八メートルもある恐竜の骨格が、牙の生え揃った長い口を開けて待ち構えている。これも最初のカラモプレウルス以上に子供達を怖がらせるが、恐竜の狙いは肉ではなく魚だ。
 魚食恐竜イリタトルの骨格。ここが建ったときに本場ブラジルから寄贈された模型である。
 見上げればシュロやナンヨウスギの枝でも、タペヤラが何羽か羽を休めている。
 穴をあけられた竹筒がいくつかぶら下げてあり、それをつついたりくわえて振ったりしているタペヤラもいる。
 タペヤラの主食となる、松の実やクルミといった木の実が竹筒に入っているのだ。しかし全ての竹筒にではない。
 今日は何も入れなかった竹筒を振っていたタペヤラが、「はずれ」であることを悟って飛び立った。
 こうしてタペヤラ達は「当たり」の竹筒を求めて飛び回り、適切に運動を取る。確実に餌が食べられるという気のゆるみも避けられる。
 ナンヨウスギより奥にたくさん植えられた木では、竹筒の木の実よりもっとランダムで見付け甲斐のある食べ物が取れる。
 ごつごつとした節のある幹とつややかな丸っこい葉。
 いかにも太古の雰囲気だが、白亜紀のブラジルにあった木にかなり近いとはいえこれはあくまで現在の木だ。
 東南アジア原産のグネツム・グネモン、現地名メリンジョ。
 このグネモン畑に小さな赤い実が生る季節なのだ。さっきここに降りた赤紫も、グネモン狩りに余念がない。
 熟した実をつまみ取ると、クチバシの途中にある少し曲がった部分に挟んで力を込める。
 ベリーのような見た目に反してごく薄い果肉ごと、中にある大きな種の殻が割れる。赤紫のお目当てはメリンジョナッツとも呼ばれる種の中身だ。実全体の構造は銀杏に近い。
 グネモン畑をハエが飛び回っている。これは不衛生なわけでは断じてない。
 緑色の光沢を放つハエが、グネモンの枝から下がったこれまた緑色の紐のようなものに止まる。
 グネモンの地味な花を、人工的に、また衛生的に育てられたヒロズキンバエが受粉させているのだ。こうしないと実が生らない。であるからには、元気に飛んでいてくれるハエに感謝すべきだ。
 タペヤラがナッツ狩りを楽しみヒロズキンバエが舞うグネモン畑を行くと、温室を見下ろすテラスの入り口に黒い水盆が備えられている。
 ジュンサイに似た水草のプルリカルペラティアが、レンゲをさらに一回り小さくしたような花を咲かせている。
 しかしのんびり眺めてはいられないようだった。
「遅いよー」
 テラスのテーブルから呼ぶ声がする。私と同年代の女の子、植物担当のみつばだ。その隣の中年男性は水生動物担当の八潮さんである。
 テーブルにはぼってりしたいびつなポテトチップスのようなスナックが置かれ、二人はウーロン茶を飲みながらそれをつまんでいる。
 しかしこれはのどかなお茶会ではない。そうとしか見えないが。
「これを子供らに試食させたのかあ」
「やっぱりあんまり美味しくないって言われましたよー」
「俺にはこの苦味がじんわりくるのがちょうどいいけど……、お茶よりビールかなあ」
「苦味苦味で苦味挟みじゃないですかー」
 二人は今タペヤラと同じものを食べているのだ。メリンジョナッツだけを使って作られたインドネシアのスナック、ウンピンである。
「これは本場のを買ってきたやつだけど、ここで採れたメリンジョナッツでも作ってみたいよねー」
 みつばの言葉は一瞬魅力的に響いたが、すぐにとんでもないことだと気付いた。
「ダメダメ!タペヤラの分だから!」
「えー、松の実やっときゃいいじゃーん」
「エンリッチメントとは」
 タペヤラの暮らしを豊かにする、環境エンリッチメントのために餌を工夫し続けているのだ。タペヤラからメリンジョナッツを奪うわけにはいかない。
 ウンピンが好評なら園内の売店に置いてほしいとみつばは言っていたのだが、
「ゴールデンウィーク中の反応見ると売るのはあんまりかなー」
「こういう食べ物があるっていうのは面白いけど、売るほどではねえ」
「袋のままの製品をこれと並べて説明するだけで充分ですかねー」
 みつばはウンピンの隣に置いてあった標本箱を指差した。
 松ぼっくりと松の実、クルミの殻と実、メリンジョナッツ、ミールワームやコオロギの標本……。タペヤラの食べているものの展示である。
 これもこのゴールデンウィークをきっかけに増やした展示だ。
「じゃあこれは常設にってことで」
「あって当然のやつですよ」
「それよりハエに怖がる人をどうにかしたいなーってねー」
 グネモンを受粉させるのにどうしても必要なヒロズキンバエだが、不衛生だと勘違いする来園者も当然出てくる。
 ハエの多さに狼狽する来園者を見付けては解説していくのも、ゴールデンウィークの賑わいでは一苦労だった。苦情対応に発展したこともある。
「現地でもハエが受粉させてんの?」
「現地ではガですねー」
「どっこいどっこいか……」
 そもそも白亜紀にガはあまりいないから、白亜紀のブラジルを再現するためにハエに受粉させているのだ。
 今は無味乾燥な注意書きしかないが、それでは積極性が足りない。
「ハエにやらせてるのも白亜紀を再現するためなんだから、展示の一部なんじゃないの?」
「あっ、言えてるー」
「つうことは、このハエは白亜紀だからいるんですよ、白亜紀の森はこうなんですよっていう目立つ掲示をすれば」
「今よりいいものだと思ってもらえるんじゃないですかね」
「おー」
 この案は満場一致で採用となった。
 みつばの取り組みを洗い直したところで、次は八潮さんの番である。
 八潮さんは手元にあった紙をそれぞれに配った。
 「カメ三種観察シート」と名付けられたそれは、アラリペミス、セアラケリス、サンタナケリスの三種に対して、首の動き、泳ぐときの手の動き、その他気が付いたことを書き込むようになっていた。
 要するに、セアラケリスがアラリペミスと同じ首を引っ込められず横に曲げるカメの仲間であるにも関わらず、ウミガメであるサンタナケリスと同じ高度な遊泳能力に近付いていることが言いたいものなのだが。
「マニアックですよねえ」
「ゴールデンウィークっぽくないかもー」
「まあ子供にやらせるのはどうかなって気もしたけどさ。中学以上くらいで興味がある子が面白がってくれてたからさ」
 元々そのつもりだったようで、観察シートの文面は漢字が多く、あまり子供向けではない。
 実際私もセアラケリスのようなものがいるとはここで働くまで知らず、かなり面白いものだとは思っている。
「分かる人向けの掲示にしたほうがいいかなとは思ってる。興味があったら読んでねっていう」
「あ、それがいいですね」
「賛成ー」
 これもすんなりと今後の扱いが決まった。
 問題は私のである。
 私は鞄の中身を取り出した。簡易のVRゴーグルが二セット。
 みつばと八潮さんは神妙にゴーグルを顔に押し当て、映像を起動した。
 映るのはもちろん、黒赤や赤紫達に撮影してもらったタペヤラの視界だ。
 ナンヨウスギの枝から飛び立ち、入り江の大水槽を見下ろして宙を滑る。グネモンの梢に舞い降りて実を見付ける。タペヤラの気分になれる夢のようなコンテンツである。
 少なくとも私はそう思っている。
 みつばも、おー、などと言って感心しているのだが、すぐに、
「あ、きっつ」
 ゴーグルを外してしまった。
 八潮さんも苦笑し始めた。
「これは離着陸で酔うよなあ」
「やっぱり……」
 タペヤラはかなり頻繁に離着陸をする。撮影で確かめられた重要な観察結果だ。
 そんなフライトをつなぎ合わせたこの映像は、空中を漂ったのもつかの間、すぐに大きく揺さぶられるのを繰り返す、新手の絶叫マシンと化してしまった。
 小さい子供にはそもそもVR自体見せられないし、小学生でも完走できる子は多くなかった。
「ずっと飛んでればいいのにー」
「それじゃ観察結果と違うもん」
「VRじゃなくしたら普通に見れると思うよ」
「それしかないですね」
 みつばはいつの間にか席を立ち、テラスの縁に備え付けられた双眼鏡のようなものを覗いている。
「アンハングエラだったらずっと見てられるんだけどねー」
「ね……」
 ここではそれは無い物ねだりである。私もついつられて双眼鏡を覗き込んでしまう。
 双眼鏡はガラス壁に描かれた翼竜のシルエットに向けられている。
 長いクチバシの先が上下に膨らんだアンハングエラ。クチバシがやや高く、後頭部に丸いトサカが付いたトゥプクスアラ。長いトサカのタラッソドロメウス。
 双眼鏡にはそれが映ると見せかけて、映るのは生きたアンハングエラの映像である。
 アンハングエラはタペヤラと比べるとだいぶ大きく、翼はもっとずっと細長い。最大の個体は左右の幅が五メートル近くなるという。
 そんな大きな翼竜がいるのは、アメリカの、こことは比べ物にならないほど大きい温室だ。
 真っ白いアンハングエラが、本物の海原と見間違えるような広い水槽の上空を、羽ばたいては滑って進んでいく。ぴんと張られた翼が空気を捉え、優雅に空中を行き交う。
 そして水面に近付いて、さっと魚をすくい取る。上下に水切り用のフィンを備え、細い牙がずらりと並んだ象牙色のクチバシは、水槽に放たれたダスティルベを決して逃がさない。
 胴体は翼と首をつなぐジョイントのように小さくまとまり、後ろ脚は翼の根元に隠れている。飛び立つときも翼にある手で体を押し上げるだけで、後ろ脚にはあまり頼らない。
 海の上を飛ぶ暮らしに適応しきった体が上手く働く様子は本当に見事だ。
 ものすごい規模の施設だからこそこんな暮らしをアンハングエラに与えられるのだ。ここでアンハングエラに撮影してもらえばきっと滑らかなフライトが見られるだろうに。
「直接見せるだけが目的の撮影じゃないっしょ?」
 アンハングエラに見とれていた私は八潮さんの言葉に振り向いた。
「そうなんですよ!」
 私はVRゴーグルが入っていた鞄からタブレットを取り出し、映像を再生した。
 内容はさっきのVRと似たり寄ったりのタペヤラの視界だ。がさがさと飛び立っては宙を進み、またがさがさと枝に降りることの繰り返し。
 しかし、こっちは温室の中が真っ暗である。
「タペヤラが夜も飛んでるのは前にも監視カメラで分かってたんですけど、この映像を整理してて昼と同じくらい活発だってことが分かったんです。月の光が強いときは特に」
「おお、なるほど」
「問題はここからなんですよ。今流してるのは年長の黒赤の映像です」
 私は映像を止めて、赤紫のものに切り替えた。
 VRやさっきの黒赤の映像と比べると揺れ続ける時間が多い。飛び立ったと思ったらすぐ近くに降りるのを繰り返しているのだ。
「若いのは夜になるとあまり長く飛べなくなるんです」
「暗闇が怖いからかな」
「温室に出す前の飛行訓練は明るいときにしてますからね。暗い中で飛ぶのに慣れてないみたいです」
 すると余所見をしていたみつばが急に振り返り、妙なポーズで私を指差した。
「ならば、暗いときにも訓練をしてやるのがエンリッチメントではないのかねー!」
「エンリッチメント用の餌を奪おうとしてた奴がなんか言ってる!」
 実際そのとおりのことを考えてはいたのだが。
「幼体の夜の様子だとか、色々観察しないといけないことが残ってて」
「やるとしてもそれからなんだね」
「そういうわけです」

 話し合いが終わって、作業のためバックヤードへ。
 表もなかなか立派な施設だが、それを支えるバックヤードにはさらに大規模な空間と設備が用意されている。
 植物チームは、様々な種類と大きさの苗を無数に育てる植物工場を持っている。種などの状態で保管する冷蔵庫もずらりと設置されている。
 展示に出ている植物はまだ大半が現在のものだが、タペヤラやダスティルベと同じサンタナ層群の植物も研究次第でもっと展示できる。
 惜しいのがマオウ、漢方に使う麻黄である。緑色をした枝だけのように見える植物だが、そっくりなものがサンタナ層群から見付かっている。
 せっかく当時と変わらないものが比較的容易に栽培できるのに、これは湿気に弱くて設備が整うまで展示できないのだ。
 水生動物チームのバックヤードは水族館の設備そのものだ。ポンプ、配管、濾過タンク、プロテインスキマー。
 そして予備水槽。実はこちらにいる魚のほうがはるかに多い。
 ダスティルベにいたっては大きな群の展示を維持するために成長段階ごとに違った水槽にストックされている。
 漁獲されている現生魚類と違ってほとんど自力で殖やすしかない。高度な技術と大変な労力が注がれている。
 そして私をはじめとする陸上動物チームのスペース。
 陸上動物はタペヤラしかいないので、つまりはタペヤラの控え室と、餌の保管と調理を行う部屋だ。
 控え室も天井はガラス張りで日光が当たる。
 幸いにして療養中の個体はいないので、ここには巣立ってから温室に出るまで訓練中の個体しかいない。
 広い部屋には止まり木が五本立ち、床には天井と正面のない木箱がいくつか置かれている。
 その中に敷かれた布の上には、両手の上に乗せられるほど小さな幼体が、翼を畳んで四つん這いになっている。
 クチバシの段差は浅く、トサカの影も形もない。
 もしタペヤラが鳥だったら、巣立ちはまだまだずっと先だっただろう。しかし翼竜は驚くほど小さなうちから、湿った土と苔とシダでできた巣を飛び立ってしまう。
 放っておけば成体につつかれたり、入り江で溺れたり、来園者にちょっかいを出されたりしてしまうだろう。
 またナッツを砕くのも弱いクチバシでは難しい。それより動物性タンパク質を摂らないといけない。
 そこで、充分大きくなるまでここで昆虫を与え、飛行訓練を行い、また世話のための約束事も覚えさせるのだ。
 幼体のうちの一羽が飛び出してきた。白緑(しろみどり)と呼ばれるメスだ。訓練を始めて虫を食べさせろというつもりらしい。
 私は白緑から離れて、床にミールワームの入った皿を置き、クリッカーという道具でカチカチと音を鳴らした。
 白緑は幼体ならではの素早さで振り向き、飛び上がった。
 すぐに皿まで到着。
「偉いね」
 もう低く水平に飛ぶのはお手のものだ。ここが野外なら肉食恐竜が襲ってきても逃げられるかもしれない。
 タペヤラとして生きていくためには、さらに止まり木を使った訓練や、天井まで上昇する訓練、メリンジョナッツを噛み割る訓練が待ち受けている。
 そこに暗闇で飛ぶ訓練も付け加えてやれれば。
 日差しの降り注ぐここでは、夜勤になってしまうだろうか。秋冬の夕方ならなんとかなるかもしれないが。
 サンタナ館の飼育展示は挑戦の連続だ。
inserted by FC2 system