Lv100第四十四話
「シランパカムイ ーつぐみと五つの苗木ー」
登場古生物解説(別窓)
 ハボロハナカセキの苗木につぼみが付いているのを見付けたのは、温室の外に見える木々がまだ青々としていた晩夏だった。
 遠く北海道で発見された白亜紀の花の化石、ハボロハナカセキ。
 その化石を甦らせたのならそのまま北海道の施設で育てるのが普通だが、今の北海道ではハボロハナカセキが冬を越すのは難しいだろう。
 まずは関東にあるこの植物園で育て、上手くいけば北海道でも挑戦する、という長期計画なのだ。
 芽生えまで三年かかったが、非公開の簡易温室に置かれた鉢に植えてからは一年でここまで辿り着いた。
 簡易温室といっても、頑丈なビニールハウスにすぎない。その中に並べられた五つの鉢全てのハボロハナカセキの木に、ほんの米粒ほどのつぼみが認められた。
 そのときはハボロハナカセキだけでなく他の植物の水やりや点検、それに移動にも追われていたもので、業務用携帯で事務所に一言伝えて、一枚写真を撮っておくことぐらいしかできなかった。
 しかし午前の作業が済んで事務所のドアを開けるなり、主任園芸士の蒲生さんが立ち上がって歌うように喜びの声を上げた。
「おめでとう〜!」
 居合わせた皆も蒲生さんにつられるように喜んで、両手を上げてハイタッチした。
 そしてこうなったら部屋にこもってなどいられない。昼食そっちのけで、園内の他の職員も呼び寄せて温室に集まった。
 ビニールハウスの中はハイタッチの続きやら万歳三唱やら大騒ぎである。
 そうしてしばらく騒ぎが収まらず、三十分は経ったところでようやく建設的な話に移れた。
 必要な記録を付け、元の化石を研究している博物館にもメールで知らせること。公式サイトや市に広報を出すこと。手入れは現状維持。
 それから最後に蒲生さんが付け加えた。
「花言葉も決めましょう」
「花言葉?」
「ちゃんと規定があるのよ。「古植物を初めて開花またはそれに準ずる段階まで育て上げた施設は花言葉を付けることができる」ってね。アルカエフルクトゥスはなんだったっけ?」
「王者の誕生、です」
 同僚の友梨香が答えた。ずいぶん大仰な花言葉である。
「うんうん。花言葉のことも博物館に連絡しておきましょうね。私達だけで決めたら不公平だから」
 それで今後の話がまとまり、皆昼食や業務に戻っていった。

 博物館の館長である中川先生は、報せを受けるととても喜んでくれて、つぼみもきちんと見ておきたいと北海道から訪ねてきてくれた。
「しかし、花言葉とは考えたこともなかったですなあ」
 ひととおり観察や話し合いが終わったところで先生はこう漏らした。
「モクレン目の祖先に近いと考えられておりますからモクレンを参考にしてはどうでしょう」
「モクレンの花言葉は「自然への愛」です」
 友梨香がまた素早く答えた。学者寄りだと思っていたが、こんな方面にも勉強熱心である。
 中川先生はそれを聞いてうなづいていたが、それも止めて少し考え込んでしまったかと思うと、ぱっと顔を明るくして言った。
「いい機会ですから、公募を行ってはいかがですか。こちらの地域と私達の地域の両方で行えば、ハボロハナカセキに親しんでいただくきっかけになるのでは」
「いいですね!」
「咲きそうになったら是非そうしましょう」

 植物園の季節は街の中よりずっと豊かに細やかに、めまぐるしく進んでいく。
 たくさんの草木を世話する中に埋もれそうになっていたが、ハボロハナカセキのつぼみは順調に膨らんでいった。
 温室の外に見えるソシンロウバイの花が盛りを迎える冬の終わりには、つぼみは筆の穂ほどの大きさと形になり、真上を向いて立ち並ぶ姿がずいぶん頼もしくなった。
 温室の中であるから白亜紀とは違うだろうが、仲間のモクレンのように三月に咲くだろうと目星がついた。
 順調にいけば咲くのは確実ということで、花言葉の募集が始まった。
 結局私達の手間が増えるということではあったのだが、友梨香は自分からすすんで、送られてきた用紙やメールの内容をエクセルにまとめていった。
「そもそもさあ」
 話しかけても友梨香は作業の手を止めなかった。
「なんで花言葉っていうのがあるのかも私知らないんだけど」
「なるほど、そこから」
 友梨香はデスクに並んだ本から素早く一冊抜き取り、画面を向いたままそれをこちらに突き出した。
 花言葉の事典である。
「その本の序章にあるとおり、十七世紀のコンスタンチノープルで花に意味を持たせて人に贈る風習があったのが起源」
 友梨香は説明しながらも作業を再開していた。
「それで花束を贈るときに気にするんだ。レタスの花言葉が牛乳とかいうけど」
「新しい花言葉が付け加えられることもある。でもそういう変なのはたいてい誤解か法螺話でできたもの」
 手渡された事典には付箋やドッグイヤーがいくつもあった。来園者からの質問や公式サイトでの話題に備えたのに違いない。
「そんなにふざけた花言葉っていうのは本来はない」
「そうなんだ」
「だからこの……、「飲むヨーグルト」とか「かがくのちからってすげー!」とか、「純ケチーフ」とかはしまっちゃおうね」
「フリージアのが混ざってる」
 受け狙いの応募を淡々とふるい分けていく。
「まだどんな花かは分からないけど、ハボロハナカセキの面白いところをずばりと言い当てたようなのがいい」

 暖かい南風、いわゆる春の嵐が吹くと予報された日の前日。ビニールハウスの整備を行った。
 フィルムのたるみや止め具、扉などの不具合を点検し、問題があれば修繕。補強用のパイプも追加する。周囲に風で飛びそうなものがあれば片付けておく。
 ハボロハナカセキのハウスは古代植物エリアのすぐそばにある。
 古代植物といえばここでも一際高いイチョウやメタセコイアだが、身近な木々の中にも意外と古い特徴を残しているものがあるのだ。
 ソシンロウバイは甘い香りももう一段落して、満開を過ぎようとしている。クスノキは葉を落とさないので、緑を保ったまま冬を越している。
 コブシ、シデコブシ、シモクレン、ハクモクレン、タイサンボク、ホオノキ、ユリノキ。これらはハボロハナカセキの親戚とされるモクレンの仲間だ。
 コブシとモクレンは早いうちに、低いところにも咲くので、すでにつぼみを見ることができる。
 これらのつぼみを覆う苞葉には短い毛がびっしりと生えそろっている。寒さや霜から身を守るためだろうか。
 暖かい時代のハボロハナカセキの苞葉にはそんなものはない。
 私達が守らなくては、この花は凍えてしまうのだ。
 そのつるりとした苞葉がもう裂け始めていた。
 隙間から覗いているのは真っ白いモクレンとは違う、緑色の花びらだった。

 花言葉の募集期間が終わり、友梨香は選別を最終段階に進めていた。
 応募作品は選考の段階ごとにエクセルのシートに収められ、すでに「最終候補」というシートに五つを残すのみとなっていた。
「私はこれがいいと思ってる。つぐみから意見がなければこれに決定」
 友梨香は黄色く色を付けたセルを指差した。
 「愛の目覚め」とある。
 その文言に私はどきりとした。真面目な友梨香が自信を持って進めるものにしては、なんだか……、
「エロい」
「え?」
「なんか、エロくない?」
 友梨香は画面からこちらに振り向いて目を丸くしてみせた。そんなことを言われるとは思ってもみなかったようだ。
「ハボロハナカセキがモクレン目の祖先に近いとされてることから、モクレンの花言葉の「自然への愛」が始まるところだっていう意味が込められてるのだけど」
「ああ……。それを聞いたら、いい花言葉だって思うけどね」
「聞かなかったら」
「これだけバーンと見せられたら、ちょっと」
 私の言葉に友梨香はそれ以上言い返さず、小刻みにうなづいた。その仕草はちょっと中川先生に似ていた。
「地域の……、花に詳しくない人にも親しんでもらう目的から離れてた。ちょっとつぐみの目で選んでみてほしい」
 友梨香は椅子から立ち上がり、私に座るよううながした。
 最終候補に残った五つの中では、「夜明け」がちょっと良さそうだが。
 いや、モクレン目以外の植物にとってはハボロハナカセキは別に「夜明け」ではないし。もっと古い花の化石もあったはずだ。
 最終候補の隣の「第二候補」のシートを開いてみた。

 数日後。
 業務は全て済んで辺りは暗くなっていたが、私はどうしてもハボロハナカセキが気になって温室に入っていた。
 一番早く育っているつぼみの苞葉はすでに取れ、花びらがあらわになっている。
 先に開き始めた葉っぱとそっくりな緑色だ。
 この状態から色が薄くなってモクレンみたいな真っ白になったりはしないだろう。特に異常があるようにも見えない。
 このつぼみはもう数日もすれば無事咲くことだろう。葉っぱと同じ色のままで。
 花言葉はもう決まっている。
 「春がまた来る」だ。
 友梨香は文章になっているのは収まりが良くないと思って一旦候補から外していたのだが、化石から再生されて再び三月に咲く花にぴったりだということでこれに決まった。
 しかしハボロハナカセキは満開になっても全体が緑一色なのだ。この苗木だけではなく、大木に成長してもだ。
 あまり目立たない花では、私の選んだ花言葉は結局友梨香の選んだ「愛の目覚め」と同じくらい分かりづらいのではないだろうか。
 温室に誰かが向かってきて扉を開けた。蒲生さんだった。
「もう事務所閉めちゃいたいんだけど。どうしたの?」
「そのー、花言葉を選び直しておいたほうがいいかなって」
「なんだ、そんなこと。ちょっと待っててね」
 蒲生さんは一旦引っ込んで、五分くらいしてから戻ってきた。
 手には紙を持っている。蒲生さんはそれを広げて、自信満々の顔をして胸の前に掲げた。
「読んでみ」
「地味ならば そういう種類の 花ですよ 蒲生」
「よろしい」
 筆ペンの綺麗な字で書かれたそれを、蒲生さんは温室の奥の面に貼り出した。
 なるほど、地味だったとしてもハボロハナカセキの非ではない。花言葉まで地味にしてしまういわれはないわけだ。
 春を待っていることに変わりないのだし。
 温室を出るときに何か甘い香りがしたような気がした。
 ソシンロウバイはもうすっかり盛りを過ぎてしまっていた。ジンチョウゲが生えているところも遠いはずだ。

 とうとう、つぼみのうち一つが開ききった。
 正式に発表して地域の広報や科学雑誌の編集部などに伝え、簡単な記者会見を温室で開くまでの二、三日の間にもまたさらに四つのつぼみが開いた。
 十二枚の分厚い花びらはやっぱり緑色だ。
 一枚ずつの大きさは五百円玉ほどで、モクレンよりはだいぶ小さい。
 ただし、緑色は緑色でも、柔らかさと鮮やかさを併せ持つ翡翠色である。真上に向いた杯となり、降り注ぐ光を受け止めて透ける。
 そこに深いエメラルドの脈が、力強く伸び上がっていく本筋から細やかに枝分かれして、生命の躍動を感じさせる。
 中心から、たくさんの黄色い雄しべに囲まれた雌しべの太い束が生えている。この雌しべの一つひとつが膨らんで実になれば、中川先生に見せてもらった化石にそっくりの玉ねぎ型になるだろう。
 確かに、子孫のモクレンと比べて目立つことに優れてはいないかもしれない。しかし、これは確かに、春の訪れを知らせるものだ。
 化石を遺したハボロハナカセキの木にとって、再び咲くなど全く思いがけないことだっただろう。
 八千五百万年の時を越えて、春がまた来た。
 中川先生も満足そうに微笑んでいる。
 私達は自信を持って、ハボロハナカセキのことやこれまでの取り組みとともに花言葉を発表した。
「確かに、春を感じさせる香りですね」
「決まったときはこんな強い香りだとは分からなかったんです。でも咲いてみたらぴったりでしたね」
 そう、温室はまだ五輪しか咲いていないはずの花から発する、バニラに似た濃厚な香りに満たされていた。
 静謐な冬の空気を破って目を覚まさせるほどの、賑やかな祭りのような芳香。満開になったらきっと温室内は大騒ぎだ。
 まだハボロハナカセキにとっては甦ってから初めての春だ。もっときちんとした施設を用意したり、鉢から植え替えて大きく育てたり、先はずっと長い。
 それらができたとき、この香りが白亜紀以来再び春の風物となるだろう。
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