Lv100第四十二話
「つばくらめの子安貝 -仁奈とナマ太郎ともっと渋いもの達-」
登場古生物解説(別窓)
 高校生活を帰宅部で通すつもりだったが、こんなものに出会ってしまっては仕方がない。
 生物部の部室の一角は大小の水槽で占められている。その三分の一は我々古生物班の受け持ちだ。
 最も大きな水槽で丁重な扱いを受けているのが、アノマロカリス……、の仲間の、もっと小さい種類、ペイトイアだ。
 ふっくらとした楕円形の体は手のひらほどの大きさ。脇腹に並ぶ鰭を波打たせて底砂の上に浮かんでいる。尾鰭はない。
 淡いベージュ色をしていて、かすかに光を透かしている。
 体の途中からは大きな頭で、胴体との分かれ目近くに丸く黒い目がある。虫のような複眼だが、多少の愛嬌が感じられる。
 一番前には一対の腕が生えている。
 ペイトイアの食事は、まず腕の先のほうで砂をすくい、腕を折り曲げてブラシ状の根元に砂を持っていく。
 そのブラシでふるいにかけて残った粒状の餌を、また腕の先のほうで顔面にある丸い口に送る
 正直に言って変な生き物である。
 変ではあるけれど、不快ではない。それどころか、何か私を惹きつけるところがある。
 可愛いとさえ言ってしまってもいいと、今の私は思っている。
 半月ほど前、学園祭で当てもなくぶらついていたら、生物部が展示していたこのペイトイアに出くわし、目が離せなくなっているうちに生物部に引っ張り込まれたのだった。
 今も私のあげた餌を拾い集める姿を、つい眺め込んでしまっていた。
 そこに、背中から両肩を引っ張られた。私は思わず倒れかけてたたらを踏む。
「ナマ太郎ばっか見てんなよー」
 跳ねまくった短い髪。同級生の「しじみ」だ。
 ペイトイアを見つめる私を丸め込んで生物部に引きずり入れた張本人である。
「その呼び方なんとかならないの」
「いーやこいつはナマ太郎だね。ナマコだと思われてたナマ太郎」
 ペイトイアのことを、しじみはそんな間抜けな名前で呼んで聞かない。先に部にいてペイトイアを世話していたのはしじみなのだから仕方がないが、ナマコだと思われていたというのはややこしい話になる。
 なんでも、最初に化石が見付かったとき、あまりにも変すぎてそういう形の生き物だと思われず、胴体はナマコ、口はクラゲ、腕はエビの尻尾だと思われたのだとか。
「大体ね、ペイトイアみたいなもんで喜ぶなんてのはチャラいんだよ。もっと他の生き物に目を向けたまえ」
 生き物にチャラいとかあるのか。いや絶対チャラくないだろこれ。
 私はしじみが面倒を見ていた水槽を指差して言った。
「あんたのはそもそも生き物にすら見えないんだけど」
 砂の上に何かイチョウの葉のようなものが五つほど並んでいる。硬そうな二枚の殻で覆われているから多分貝だろう。真ん中は指で押したように片方に向かって曲がっている。
 他の水槽と比べて設備が少し仰々しく見えた。短く切ったストローを束ねて作られた網状の壁が左右にあり、イチョウの葉に似た貝はその間にいる。
「ってか生き物なの?動くところ見たことないんだけど」
「ちょろっと覗いただけでキルトスピリファーが動くところなんか見れるわけないじゃん」
 しじみはいかにも私を素人扱いする態度で言った。素人だが。
「動くとこ見たの?」
「二ヶ月前にバラバラの向きにしておいたけどまだバラバラのままになってる」
「ヒマワリでももっと動くわ!」
「嘘々、ホントは殻が閉じたり開いたりするのも見てる」
「そんだけでしょ?貝なんか見てて面白いわけ?」
 私が貝と言った瞬間、しじみは怪獣の真似をするようにぐわっと指を曲げ、歯をむき出してみせた。
「貝とな」
「貝でしょ」
 そこで、机の前で作業していたもう一人が立ち上がった。
「しじみ、小川さんは来て間もない」
「そっか……」
 彼女も古生物班の一員、葉上(はのうえ)麻衣さんだ。
 葉上さんの口調自体はごく柔らかかったのだがしじみは急に大人しくなり、葉上さんは棚から円筒形のびんを二つ取り出した。
 机に並べられたびんの中身は標本であった。
「これは腕足動物。キルトスピリファー。しじみが今世話してた種類」
 なんとか動物のところは全く知らない言葉だったので、よく聞き取れなかった。
 葉上さんが押し出したびんの中では、さっき砂の上に立っていたイチョウの葉のようなものが、殻を二枚に分けられ、黒い板に固定されて液体に浸かっていた。
 殻が分かれるところなどはやはり二枚貝に似て見えるのだが、二つの殻のうち内側が見えるほうの様子がおかしい。
 中身が入ったままになっているのだが、その中身はアサリのむき身とかホタテの貝柱みたいなものにはほど遠かった。
「バネが入ってる」
 正確には、バネのようなものしか入っていない。円錐形のバネの形をしたものが二つ、殻の形に合わせて一対収まっていて、あとはほとんど空洞なのだ。
「これは二枚貝。プテロトリゴニア」
 もう片方のびんに入っていたのは、小ぶりなみかんをむいて房一つにしたような大きさと形の貝だった。
 こちらには味噌汁の具になってもおかしくないような身が詰まっていた。
「キルトスピリファーが二枚貝と違うのは分かる?」
「えっ、貝かどうかって中身で決まるの?」
 質問返しをした私を葉上さんはきょとんとして見つめ返した。
「その、中身は変わってるけど、貝殻があるんなら貝じゃないかと思って」
 私がそう付け足すと葉上さんは小さく首を振った。
「殻を作るのは中身だから、中身が違ったら違う生き物。腕足動物と二枚貝はたまたま殻が似てるだけ」
 葉上さんは葉上さんなりに丁寧に説明してくれているのだが、私はいまひとつ腑に落ちないでいた。
「実験してやるからどう違うのか見てみなよ」
 しじみはビーカーとピペットを用意していた。濁った溶液が入っている。
「まずこっちがキルトスピリファー」
 しじみはピペットをさっきの水槽に差し入れ、イチョウの葉に似た生き物に左から近付けた。
 そして、溶液が煙のようにふわりと広がった。
 しかしそれだけで、イチョウの葉に似た生き物……キルトスピリファーは特に何もしない。
「ん?」
「ここでポンプのスイッチを入れる」
 ブーンという低い音がして、水面がわずかに揺れた。
 溶液の煙も動き出したかと思うと、煙はキルトスピリファーの殻の隙間にするすると吸い込まれていった。
「吸い込んだ!」
「自力で吸い込んだんじゃないよ」
「ああ、バネしか入ってないから」
 水を吸い込むような力があるとは考えられない。
「腕足動物の殻はどんなに弱い水流でも中に引き込めるトラップなのだ」
「それで動かなくても、」
「細かい餌が流れてくれば中のバネみたいなフィルターでキャッチできる。こいつはそれさえ待ってれば暮らせるんだ」
 なんと楽で怠惰な暮らし。ヒマワリほども動かなくていいのだ。
 しじみはビーカーを持ったまま隣の水槽に移った。
「さて、こっちは二枚貝。さっきの標本と同じプテロトリゴニアだよ」
「何もいなくない?」
 その水槽の中にはただ砂が厚めに敷かれているだけに見えた。
「いやいや、こいつは砂に埋まってる二枚貝にしてはオープンなほうだよ。ここ見てみ」
 しじみがピペットを入れた先には、貝殻の端らしきものが砂からほんの少し見えていた。
「こいつは殻を完全に砂に隠すことができないんだ。さてこいつの場合は」
 溶液が吹き付けられると、今度はすぐに殻の間に吸い込まれていった。
「これは自力で吸い込んでる?」
「二枚貝の筋力をもってすれば水を自力で出し入れするのはたやすいのだよ」
 力強く水を吸い込む様子はキルトスピリファーより積極的に見えた。
「分かったかね、腕足動物と二枚貝の違いが」
「それはまあ、うん」
 キルトスピリファーやプテロトリゴニアが何をして暮らしている生き物なのか分かれば、観察のしがいがないわけでもないと思える。
 しかし、そのこと以上に、手を動かして説明していたしじみの明るいこと。
「渋い趣味してるよね」
「何が」
「あんたがよ」
 そう言われて、しじみは眉間にしわを寄せて首をひねった。
「い、や〜〜〜〜キルトスピリファーはまだチャラいね」
「ええ?」
 チャラいって何なのか分からなくなってきた。
「だって腕足動物で一番かっこいいやつだよ」
「わんそく動物にしてはでしょ?」
「もっとずっと地味〜なやつがいくらでもいるんだよ。それにさあ」
 しじみはいつの間にか机に戻っていた葉上さんを見た。
「麻衣ちゃんのほうがよっぽどストイックだよ。見てみなよ、あの人の世話してるものを」
 葉上さんの向かっている机にも小さな水槽があり、葉上さんはその手前に置かれた顕微鏡を覗いていた。
 顕微鏡は覗くレンズが二つあり、台にはプレパラートではなくシャーレが置けるようになっていた。少し大きめの生き物も観察できるだろう。
 葉上さんはレンズから顔を上げ、シャーレを取って中のものを見せてくれた。
「わっ、虫!」
 私は思わず後ずさった。葉上さんは小さくうなずいた。
「三葉虫」
 砂の色をしたその虫はほんの小指の先ほどの大きさで、頭が大きく、体はたくさんの節に分かれていた。
「最後まで生き残ってた三葉虫、シュードフィリップシアだよ。しかも県内で見付かった種類」
 口数の少ない葉上さんに代わってしじみが説明した。葉上さんは振り返って作業に戻ってしまった。
「あ、水槽の中もか……」
 机の上にある水槽の底には砂利が敷かれ、小さな三葉虫がいくつも歩き回っているのが見えた。その様子はフナムシを思わせ、あまり見つめている気になれない。
「麻衣ちゃんはもっと金魚みたいにかわいい種類の三葉虫を育てるのも上手いんだけどさ」
 しじみは早口で語り始めた。かわいい三葉虫ってあるのか。
「博物館からシュードフィリップシア育ててみませんかって声をかけてもらってからずっとシュードフィリップシア一筋なんだよ。シュードフィリップシアは最後の三葉虫だから三葉虫が絶滅した理由の鍵になるかもしれないんだけど、麻衣ちゃんは品評会でもすごくいい成績出してたんだよ。そこから三葉虫の秘密を暴くためにって、なかなかできることじゃないよねー」
「しじみ」
「いやー、麻衣ちゃんみたいな人がいてくれるのホントありがたいわー、尊い存在だわー」
「しじみ」
 私としじみが気付くと、葉上さんはこっちを向いて頬を染めていた。
「あんまり……」
「うん」
 私もちょっと本人の前で盛り上がりすぎだとは思った。
 葉上さんは椅子ごとこっちに向き直った。
「そういうのは、本職にはかなわない。博物館に行かないと」
「おっ、そうだ!」
 しじみはすごい勢いでスマホを取り出し何かを確認した。
「よし!土曜に博物館に行こう!」
「小川さんは行ったことは?」
「えっ、市内の?小さい頃にしかないかな」
「よし決定!」
 しじみは勝手にカレンダーに丸を付けた。
 後に葉上さんからきちんと予定を確認する連絡が来た。

 十年ぶりくらいに訪れた博物館は思っていたよりずっと立派だった。
 恐竜などの骨格もあるというのだが、しじみが
「ここじゃあー!!」
 と叫んで立ち止まったのは、それよりずっと手前の、展示内容が地球の成り立ちから生命の歴史に移ってすぐのところにある水槽であった。
 一辺五十センチほどの四角い水槽が、手を触れられないようガラスケースで守られている。水槽にはなみなみと水が満たされ、強いライトが当てられている。
 底には泥が敷かれ、よく目を凝らしてみれば真ん中の小指の爪ほどの範囲だけがわずかに盛り上がっている。
 そこに何か隠れているのだろうか。しかしプテロトリゴニアのときと違って本当に何も顔を出していない。
 静まり返った水槽の中は、とても何かがいるようには見えなかった。
「何これ?」
「ストロマトライト!」
 しじみと葉上さんは声を合わせた。
「スト……何って?」
「光合成をするバクテリアが作る岩石だよ。そこに化石のがあるから」
 壁際に置かれたそれは、ただの岩にしか見えなかった。
 敷き詰めて焼いたらくっついてしまったパンのように、ふっくらとした形が連なっていて、切り落とされて磨かれた面には、全体が何重にも重なってできたことが分かる縞模様が見えた。
「二十億年前の」
 葉上さんがぼそりと気の遠くなるようなことをつぶやいた。ペイトイアでさえその四分の一程度しか遡らない。
 しじみはうっとりとした顔をしている。
「まだ単細胞生物しかいなかった頃、こういうストロマトライトが世界中の浜辺にあって、酸素をボコボコ作り出してたんだよ。酸素のない環境に適応してた単細胞生物はピンチになったけど、結局は酸素を呼吸する生き物が繁栄する前触れになったんだ」
「はるかな太古……何も見当たらない海……」
「怖いけど憧れるよねーそういう世界!」
 二人は異様に盛り上がっていたが、私は水槽の中身が具体的に何なのかまだ理解していなかった。
「結局これはその二十億年前の岩と何の関係があるわけ?」
 私がそう聞くとしじみは我に返り、そして得意げな笑みを浮かべた。
「本物のストロマトライトを作る壮大な実験なのだよ。この二十億年前のストロマトライトを作ったのと似たようなバクテリアを育ててれば、いつか化石のと変わらない岩石になるはず」
「はあ」
「この泥の上をバクテリアが覆ってて、バクテリアが増えては砂が積もって石灰化してまたバクテリアが育ってを繰り返してデカくなる」
 聞くだに気の長い話なのだが。
 恐ろしい答えが返ってきそうだと予想はついたが、私は聞かずにいられなかった。
「どのくらい経つと、岩になるの?」
「さて……、今真ん中にある出っ張りができるのに一年かかってるから」
「二十年で厚さ一センチ」
 再び、葉上さんが気の遠くなることを言う。
「枯山水かなんかかよ!」
「小川さん、それを言うなら養石」
「知らんわ!」
 しじみはすでにこちらにかまわず、いつか岩になる泥を見つめていた。こいつがペイトイアやキルトスピリファーをチャラいと言ったわけが今は分かる。
 この実験が徒労だとも、なんだか思いきれず。
 とんでもない世界に足を突っ込んでしまったものである。
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