Lv100第三十九話
「ダイダラボッチ -梓とれんげ子-」
登場古生物解説(別窓)
 アブラゼミとミンミンゼミが競い合って鳴いている。
 山の斜面にほどほどに隙間を開けて立ち並ぶ、コナラの葉はそよ風に揺れ、アカマツの葉は鋭い艶を放ち、夏の日差しを緑の波に変えて放っている。
 その波間をかき分けるものがある。
 私と、ふもとの街から来た市の広報係さんは、日本の野山にかつて暮らし、そして今再び現れたその巨獣を見つめていた。
 長い鼻でコナラの枝先を折り取り、白い牙の間にある口に運ぶ。
 それらから連想されるはずの耳は小さく、ごわごわの茶色い毛になかば埋もれている。頭は角張って、額にベレー帽のような出っ張りがある。
「これが、ナウマンゾウですか」
「はい。若いメスで、名前をれんげ子といいます」
 ここは「日本エレファントセンター」。国内で最も早く脊椎動物の化石を蘇らせ、研究と展示を行っている施設だ。ナウマンゾウだけの動物園だと人からは思われている。
 れんげ子はコナラの枝を食べ終わると固い部分を捨て、それから鼻先をもたげてこちらに向けた。
 黒い小さな瞳も、こちらを見つめている。
 私と広報係さんに気付いているのだ。
 私は一歩前に出て、れんげ子と広報係さんの間に立った。
 れんげ子と私はすっかり見知った仲だし、私がれんげ子の知らない人を連れていることなどしょっちゅうなのでれんげ子は気にしないだろう。下の象舎や運動場では自信を持ってそう言える。
 しかしここは山の放牧場だ。のびのびと過ごしていたところに私達が現れて、れんげ子がどう思うか。まだ確かなことは言えない。だから私のような飼育員の引率なしでこの観察通路に人を入れることはないのだ。
 私が手のひらを見せると、れんげ子はすぐに鼻を下ろし、私だけに注目した。
 それから特に何の合図も出さないまま私が手を下ろしたので、れんげ子は振り返って自分の散歩に戻っていった。
「大丈夫ですか?」
 広報係さんが恐る恐る声をかけてきた。
「ええ。れんげ子はこっちがちょっと気になっただけみたいです。観察を続けましょう」
 れんげ子が進もうとしている道は、ちょうどこちらの観察通路と平行である。
 悠々と林を行くれんげ子の姿を見つめながら、広報係さんが聞いた。
「こんな林の中をあんな大きなゾウがよく進めますね」
「あっちの道は大きなオスでも楽に進めるくらい広いんです。二十年以上かけてナウマンゾウ達が切り開いてきた道ですから」
「ゾウが作ったんですか?」
「特大の獣道です」
 ほんの数分進んだところでれんげ子は立ち止まった。
 そして今度は上の枝ではなく下生えのほうに鼻を伸ばし、植物一つひとつの匂いをかぐようになぞっていった。
 そしてその鼻を一ヶ所で止め、下生えの中に突っ込んだ。
 再び鼻を引き上げるのにつれて、草の株が抜けるのではなく、長いつるが現れて鼻と地面の間に三角形を作った。
 よく目をこらせば、つるには小さな赤い実がいくつか集まったところがある。
「ナワシロイチゴです。どの季節に何が食べれるか把握してるんです」
 れんげ子は鼻の一番先にある出っ張りでつるをたぐり寄せ、器用に鼻の穴の後ろに折り畳んでいった。そうしてまとめたナワシロイチゴのつるを、れんげ子はすぐには食べず、鼻に持ったまましばらく見つめていた。
「食べるんじゃないんですか?」
「食べ頃かどうか見極めてるのかもしれません」
 もしくは、ナワシロイチゴが見付かった喜びを噛みしめているのかも。
 れんげ子はまとめたつるや葉ごとイチゴを口の中に突っ込み、その場でゆっくりと味わった。
 人間にとってはナワシロイチゴの実はちょっと酸っぱいが、エレファントセンターのナウマンゾウは普段高カロリーな果物を食べさせてもらっていない。自分で見付けたそれは格別の味わいだろう。
 れんげ子はまたコナラの枝に鼻を伸ばして折り取った。
 しかし今度は食べはせず、葉が付いたままの枝を振り上げて肩に当てることを繰り返した。
 それから、枝を取った木に向かって牙と額の出っ張りを押し当て始めた。木をへし折ってしまうつもりか。
 しかし大きなオスならまだしも、れんげ子は肩の高さが二メートルいくかいかないかぐらいの小柄なメスである。相手の木も立派すぎて、ちょっと押しただけで折れないと分かったようだ。れんげ子はあっさりとあきらめた。
 それからまた歩き出す。
 曲がり道や分岐を過ぎてだいぶ奥まったところまで行ってしまったが、れんげ子がつまみ食いをしながら歩いているところは双眼鏡を使って見ることができた。
 やがて進む向きは上りから下りへと変わる。
「もう満足したみたいですね。運動場に帰ろうとしてますよ」
 そこからはもう寄り道せず真っ直ぐである。
 ほどなくして林は開け、むき出しの土の上に鉄柱が並んでいる。柵の向こうは短い芝とオオバコに覆われた運動場である。
 れんげ子が運動場に現れるとすぐに、牛ほどの大きさの小さなナウマンゾウが駆け寄った。
 あじさい子と違って頭が丸っこく、毛が少し柔らかそうだ。
「わあ…!」
 広報係さんが感激のため息をもらす。
「れんげ子の姪に当たる子供のナウマンゾウで、あじさい子といいます」
 あじさい子はまだ細く短い鼻を上げ、れんげ子にすり寄って顔をぺたぺたと触った。その表情は微笑んでいるようにも見える。
 れんげ子はあじさい子に鼻で触れつつも歩みを止めず、そのままあじさい子を連れて運動場の中心まで歩いていった。
 そこに待ちかまえていたのは、れんげ子と変わらない体格のナウマンゾウ二頭である。
「手前がれんげ子の姉の菊子、奥がれんげ子の義理の姉であじさい子の母のつつじ子です」
「見分けがつくんですか?」
「ええ、それはもう。顔つきや毛の黒いところが違いますから」
 広報係さんは感心してうなずいた。
 三頭の大人と一頭の子供は、鼻をからませてお互いを確かめ合っていた。
 そして、さらにもう一頭がゆっくりとその場に現れた。
「あれはれんげ子と菊子の母であじさい子の祖母の、桜子です。エレファントセンターに最初からいたナウマンゾウです」
「すごい貫禄ですね」
 桜子は体そのものもやや大きいが、牙は太く積年の傷に覆われ、毛には白いものが混じっている。
 これで大人のナウマンゾウが四頭。
「ゾウが一度にこんなにいるなんて……、圧巻ですね」
「ナウマンゾウに限らずゾウの仲間はこうして群れで飼育するほうがいいんです」
「僕が昔見た動物園では、ゾウは一頭でぽつんと立っていましたよ」
「そういう状況は改められてきていますね。それにナウマンゾウはアジアゾウやサバンナゾウより日本の気候に合っていますから、より健康に日本で飼育できるんです」

 取材を終えた広報係さんは麓の役場に帰っていった。
 午後二時半、ナウマンゾウ達は全員運動場で過ごしている時間だった。
 メスの集まっている中央の広場から、オスが個別に暮らしている運動場へ。
 柵よりも高く、メス達よりはるかに大きな背中が見える。
 れんげ子と菊子の兄であじさい子の父、梅太郎である。
 体格ももちろんだが、その牙の太さと長さはメスとは比べものにならない。鼻と変わらない太さの牙がハの字に突き出て、前に向かって反り上がっている。これでも先のほうを切断してあるのだ。牙の土台となっている顔面もごつい。
 柵に近付く前にもう一人の飼育員と合流した。柵の間から鼻や牙、脚は出せる。決して一人で柵に近付いてはいけない。
 そして今やってきたのはただの飼育員ではない。
 服装こそ私と同じつなぎとキャップだが、浅黒い肌をした小柄な少女である。腰にはつるはしを小さくしたような鉤を下げている。
 タイでゾウ使いの技術を身に付けつつもその腕を日本でふるうことになった、ウライちゃんだ。
 私達の姿を見るなり梅太郎は軽やかにこちらに歩み寄り、柵に体の左側を沿わせた。
「全体、問題無しね」
「はい」
「行こう」
 私は梅太郎の正面にまわり込んで近付き、梅太郎が伸ばしてきた鼻に薄切りのサツマイモを掴ませた。
 その間にウライちゃんは梅太郎の顔の真横に立ち、鼻や牙、口や目に怪我やおかしなところがないか詳しく観察する。
 幸いにして特に何もなかった。
 それから梅太郎の横につき、手振りと号令で左の前脚を上げさせた。重い体を支える大事な足の裏のチェックである。
 続いて後ろ足。振り向かせて右の足。体の右側全体のチェック。
 ウライちゃんの腰に下げている鉤は、タイではアジアゾウに指示を出すために使われている。
 しかし梅太郎の体をチェックしている間、この鉤はもちろん、直接手を触れることすらなかった。
 続いて桜子の夫で最長老の桜太郎、れんげ子の婿候補としてやってきた百合太郎のチェックを進めていく。
 いずれも手を触れることはなく、手振りと号令のみでの指示である。
 柵などを隔ててナウマンゾウと対峙し、直接触らないで飼育する「間接飼育」への移行が進んでいるのだ。すでにオスではそれがほぼ徹底している。
 チェックが終わったら記録用紙の整理のために事務所に入る。
 ウライちゃんは運動場のほうに戻ろうとしたが、私はちょっと聞いてみたいことがあった。
「ねえ、ウライちゃん」
 すでにドアを開けていたウライちゃんは、一瞬外のメス達に視線を注ぎ、それから振り返ってこちらまで戻ってきた。
「タイではみんな直接飼育でアジアゾウを世話してるのよね?」
「はい。タイで間接飼育しようという人いません。みんなゾウに乗ったりして世話します。町も出ます」
「うん」
 それで疑問なのは、本当にウライちゃんの腕前がきちんと生かされているのかどうかということだ。
「ナウマンゾウにも触れたほうがいいって思うことはある?」
 そう聞くと、ウライちゃんは記録用紙に目を落とした。
「そうですね、タイにいたときゾウのこともっと詳しく見れました。考えてること分かるみたいでした。でも」
 ウライちゃんは顔を上げ、少し悲しそうな目を見せた。
「分かるみたいだけです。ホントは分かりません。ゾウが怖いこといくつかありました」
「事故を見たの?」
「はい」
 正直に言って、その事故の内容にすごく興味が出た。ゾウに関わる者として、防ぐべき事故のことは少しでも知りたいと思ってしまう。
 しかし、当事者ならつらい経験でもあるかもしれない。今焦って話させることもないか……。
 そう思ったが、ウライちゃんは平然と話し始めた。
「マストのオスが暴れたこと何度か見ました。怪我する人、残念な人いました」
 マストとは、要するにオスのゾウの発情期である。高度な社会性を持つはずのゾウがマストに入ると他のゾウや見知った人への配慮を失い、ときには暴れ出す。現代のゾウにごく近縁なナウマンゾウも例外ではない。
 そのため、マストに入ったオスを隔離しておくことはゾウを飼う上では全く常識である。マストでなくてもオスは扱いづらいため、ここでもまずオスから先に間接飼育への移行を進めた。
「やっぱりオスはそうだよね」
「はい。でも、私が一番怖い思ったのはメスがした事故でした」
 オスよりメスが怖い?ますます興味を抱かずにいられなかった。
 それが顔に出ていたのかもしれない。ウライちゃんは少しだけ微笑んだ。
「ホントになんともないときでした。知り合いのゾウ使いの子供、ほんの四歳くらい子供がメスに近付いて、止める前、鼻で倒されました。ゾウの考え分かりませんでした」
「その子は」
「無事でした。倒したメスが後で死にました」
 殺処分。
 先進国でも決して起こらないことではない。だがそういったことを減らすため、ナウマンゾウのためを考えての間接飼育である。
「ウライちゃんは、日本での飼い方がいいと思う?」
「比べられません。アジアゾウとナウマンゾウ違います」
 そうか、ウライちゃんは二種類のゾウに接していることになるのだ。それは貴重な経験だ。
「聞かせて」
「はい。一番はナウマンゾウ乗れないことです」
 タイではゾウ使いがアジアゾウの背中に乗るのはごく普通のことだ。しかし日本で飼育員がナウマンゾウに乗ることはほぼない。
「ナウマンゾウ、人を載せる練習してません。乗っても耳が小さくて、毛が邪魔で耳蹴れません」
「そっか、アジアゾウに乗るときは耳の裏を軽く蹴って命令を出すのよね」
「そうです」
 機会の問題だけでなく体の造りからいってもナウマンゾウに乗るのは難しいのか。
 他にもタイのアジアゾウと違って日本のナウマンゾウがやらないことがある。
「タイではアジアゾウに芸もさせてたの?」
「はい。立たせたり、人持ち上げたり。でも、ナウマンゾウは芸知りませんし、教えても覚えない思います」
「覚えない?」
「ナウマンゾウはたまに馬鹿なことあります」
 ナウマンゾウの含まれるパラエオロクソドン属の脳容量はアジアゾウに及ばないという。そうは言ってもナウマンゾウにも家族を形作ったり、林で食べられる植物を覚えて適切な季節と場所で採ったりする知能はある。
 タイでゾウ使いの娘として長くアジアゾウと暮らしてきたウライちゃんには、私に読み取れないものがナウマンゾウから読み取れているのか。
 乗ることもできない、細やかな芸もさせられない。ウライちゃんが身につけた技術は、ここでは発揮できないのだろうか。
「様子見てきますね」
 ウライちゃんは事務所を出て行こうとしたが、私は呼び止めた。
「ウライちゃん。……今の話、できればみんなにも改めて話してほしいんだけど……」
「はい。役に立つ思いますから」

 翌日、林の中。
 私の隣には少し背の高い女性がいる。植物学者の能戸さんである。
 能戸さんのような植物学者がこの林の中でどの植物に毒があり、どの植物が食べられるのかを見分けて、飼育員とナウマンゾウに教えてくれたのだ。
 今歩いているのは観察通路ではなく象道だ。二人とも手には鎌、背中には籠。
 そして、林の中にはササとシダが手付かずで残されている。
 シダには毒があるので、ナウマンゾウには食べてはいけないと教えてある。ササはむしろ刈ったものを与えているくらいなのだが、ナウマンゾウにとってわざわざ林に入ってまで食べるものではないようだ。
 放っておくと見通しが悪くなり、ナウマンゾウの様子が分からなくなる。そこでこれらを手で刈らなくてはならないのだ。
 ササは私の籠に、シダは能戸さんの籠に入れていく。
「ここは元々、放棄された雑木林だったのですけど」
 能戸さんがゆっくりと話し始めた。
「はい」
「人の手だけで管理されている雑木林とは、ずいぶん違いが出ています。象道と、そうでないところの差が大きいです」
「ああ、普通林の中ってもっとのっぺりしてますよね」
 ここはメリハリが付きすぎている。人が手入れしている林なら道でないところもなんとか歩けるだろうが、ここでは広い象道をそれてササ藪に入るのは難しい。
「放棄された雑木林を維持する方法を、模索するという狙いもこの林にはありますけど、ゾウにだけ任せるなら、もっと狭いところに入れて、ササも食べられるゾウでないといけないみたいです」
「それならファルコナーゾウがそうですね」
 ファルコナーゾウはゴールデンレトリバーほどの大きさしかないゾウで、すでに家庭で飼う場合さえある。ササと同じイネ科の牧草もよく食べる。
「狭いところに届かないといっても、ナウマンゾウが植物に与える影響は、とても大きいです」
「こんな広い道を作っちゃうくらいですからね」
「そうです。ナウマンゾウは木を倒し、枝を折り、下生えを摘み取ることで、樹種の遷移を抑制します」
「じゅしゅのせんい……」
「林は放っておくと、限られた種類の木しか生えなくなる、ということです」
 なるほど、この雑木林は原生林とは異なる。
「樹種の遷移を抑制するという点では、ナウマンゾウの放牧も、人による手入れも、よく似ています」
「それでこの林が保たれてるんですね」
 私がそう言うと、能戸さんはきちんと立ってこちらに向き直った。
「今からお話しすることは、あくまで私の勝手な想像です。学問ではないことに、気を付けてください。私がこう言ったと、よそで言わないでくださいね」
「え?あ、はい」
「それでは」
 能戸さんは一度息を深く吸い込んだ。
「ヒトが日本列島に現れる前は、ナウマンゾウが雑木林を作っていたのかもしれません」
「それは……、樹種の遷移を抑えて多様性を高める役割を、ナウマンゾウが担っていたということですね?」
「そのとおりです」
 もしそれを確かめたかったら、ナウマンゾウそのものから植物の花粉までたくさんの化石を調べなければならないだろう。きっと人生の中で学者として過ごせる時間の大半を費やす大仕事になる。それに取りかかっていないという意味で、今この話は学問ではない。
 しかし私には心当たりがあった。
「現生のゾウも環境に大きな影響を与えていて、生態系エンジニアって呼ばれてます」
「生態系エンジニア、ですか」
「ゾウの作り出した環境のおかげで暮らしていける生き物がたくさんいるということです。ナウマンゾウもそうだったかもしれませんよ」
 私がそう言うと、能戸さんは顔を伏せて少し黙り込み、それからまた顔を上げた。
「この林の生物相に関する調査を、もっと進めましょう」
「そうしましょう」
「できれば、この林のことは、できるだけナウマンゾウに任せるようにしたいですね」
「そうすればもっと当時の環境に近付けるっていうことですね」
「そう思います」
 結局、間接飼育への移行をより進めていくということでもあった。
 昨日のウライちゃんの微笑みが脳裏に浮かぶ。

 また翌日。猛暑日の予報。
 れんげ子と小さなあじさい子は水浴びに向かっているところだった。ウライちゃんと私はそれに気付き、あとをついていって見守ることにした。
 運動場から林に行く道を右にそれると、四角く掘り抜かれた池に出る。周りは木々に囲まれ、閉じた空間になっている。
 農業用水を確保するのに使われていたため池だが、林と同じように放棄されたものだ。
 セミの声が四方から響き渡り、水面では何種類ものトンボがささやかな制空権を猛烈に争っていた。
 ふわふわとしたネムノキの花が濃い緑に浮き立ち、空の雲までつながるようだ。
 れんげ子は岸辺に立つと、まずはかがんで鼻を水に入れ、左右にかき混ぜ始めた。水温を確かめているのか、安全確認か、水に入る前にはよく見られる行動だ。
 あじさい子も真似して鼻を水につけるが、まだ短く細い鼻では水面をなでるしかできなかった。
 れんげ子は水をかき混ぜながら、池の中に進んでいった。あじさい子はれんげ子の真似をやめ、れんげ子の尻尾をつかんで後に続く。
 水に入れば、巨獣は重力から解放される。
 四肢を巧みに動かして進んでいく。
 体を左右に力強く揺さぶり、大波を続けざまに立てる。
 鼻を持ち上げて息継ぎ、鼻を沈めてリラックス。
 向こう岸にたどり着くと、鼻をめいっぱい伸ばして岸辺のヤナギの葉を取ろうとする。水浴びの最中でも食べることを忘れていない。
 すると、その木の上から白いものが浮かび上がった。
 アオサギだ。
 首をたたみ、足を後ろに流し、大きな翼を広げて、木々の梢をかすめるように旋回する。
 れんげ子はぽかんとそれを見上げていたが、すぐに木の葉を取る試みに戻った。
 アオサギはナウマンゾウの時代にいただろうか。
 私は瞬時に考えをめぐらし、アオサギは分からないがよく似た体型のコウノトリならいたはずだという記憶に達した。コウノトリらしき足跡の化石が、ナウマンゾウの足跡と一緒に見付かっているのだ。
 それによってこの光景が、まるで現代の日本ではないかのような錯覚が起こってきた。
 かといって氷河期の日本とも違う。ネムノキ。四角い池。
 そしてウライちゃんが、泳ぐ二頭を見守っている。
 私はそっとウライちゃんの横に立ち、顔を覗き見た。
 ウライちゃんは微笑んでいる。一昨日の悲しげな微笑みではない。家族として暮らすれんげ子とあじさい子に真っ直ぐ優しく注がれる眼差しだ。
 氷河期でもタイでもない。今このエレファントセンターで、新しいものが作られているのだ。
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