Lv100第三十六話
「アスピドケロン -悠とサンちゃん、伊豆ガイアパーク(カメ館)-」
登場古生物解説(別窓)
 高校から帰ってきて真っ先に向かうのは自分の部屋ではない。
 カタン、コトン、部屋中の衣装ケースから音が鳴る。
 家の一室、「カメ部屋」に集められたカメ達がケースの中を歩き回ってたてる音だ。
 イシガメ、クサガメ、アカミミガメ、大半はペットでおなじみのごく普通のカメ達。室内飼いなので冬眠はしない。
 餌をくれるであろう私の気配を察知して動き出す姿を見ると、気持ちがほっと落ち着く。
 一匹だけ、他とは違ったカメがいる。
 なみなみと水をたくわえた水槽の中で、オレンジ色に胡麻斑模様のカメが岩につかまっている。
 大きさこそ他と変わらないが、手足が鰭になっている。手の鰭からは二本の爪が生えている。甲羅はなめらかな楕円形。
 サンタナケリスの「サンちゃん」はウミガメ、しかも一億年前のウミガメである。
 カメを飼うのが趣味の父が思い切って飼い始めた、うちで唯一の大昔のカメだ。
 私は小魚をつまみ、サンちゃんに見せつけた。
 カメは餌のことならよく覚えるもの、左手で水をかいてこちらに振り向き近付いてきた。
 水槽の中に小魚を落とす。
 沈んでいくそれを追って、サンちゃんも底へと潜った。羽ばたくような泳ぎはうちにいる他のカメと比べてずっと上手い。が、今のウミガメほどではない。
 そのうちに私は急いでスマホを構える。
 ちょうど魚をくわえる瞬間を写真に収めることができた。かっちりとした甲羅からぴょこんと出た手足だけで泳ぐ動きは、なんと楽しい気分にさせてくれるのだろう。
 さっそく短文SNSに写真をアップロードする。
 SNSのメイン画面には私以外にもカメを飼っている人の様子が流れてくる。今のカメを飼っている人も大昔のカメを飼っている人も。
 特に目立つのが「ばるごん」さんの飼っているシネミス・ガメラだ。
 全体は今のイシガメとちょっと似ているが、甲羅の後ろのほうに飛行機の翼のような棘が生えた姿はカメとは思えないほどシャープだ。
 写真には「今日も最高にかっこいい!」と一言添えてある。
 カメ自体のインパクトももちろんだが、ばるごんさん本人が連日連夜かっこいいと言い続けて写真を上げるものだから、大昔のカメに詳しくない私でもシネミス・ガメラのことはすっかり覚えてしまった。
 画面を眺めているうちにさっきのサンちゃんの写真に反応があった。
「右手の後ろにニコちゃんマークがありますね!」
 やはり同じようにカメを飼っている「ヤグチ」さんからだ。言われてみれば目と笑った口のような模様がある。こういうことがあるから仲間がいると楽しい。
 もう一つ、サンちゃんの写真とは無関係に反応があった。これもカメ仲間の、「くっしぃ」さんからだ。
「次の週末、カメ好きで集まって伊豆ガイアパークに行こうって話してたんですけどどうですか?ばるごんさんが解説してくれますよ!」
 伊豆ガイアパーク。カメ関係でもたびたび名前を聞く施設だった。
 伊豆の温泉を利用してたくさんのカメやワニを飼っていて、一年中元気な姿が見られるという。
 前から行ってみたいと思ってはいてもまだ高校生の身、一人ではそこまでの行動力はないのだった。
 でも案内してくれる人がいるのなら。
「行きます!」

 そして当日の昼前。
 ガイアパークの入園ゲート前には、私を含めて五人が集まっていた。私にとっては全員初対面である。
「揃ったみたいなんで軽く自己紹介しましょうか」
 父と同じくらいの年齢の太った男性がにっかりと笑いながら言った。
「どうも、ばるごんです。シネミス・ガメラでおなじみのばるごんです。ここは慣れてるんで今回案内させてもらいます。じゃ次、時計回りで」
 ばるごんさんの左隣には二十代くらいのすらりとした大人しそうな女の人が立っていた。
「は、はい。今回呼びかけさせていただいた、くっしぃといいます。曲頸類のアラリペミスを飼ってます。よろしくお願いします」
 くっしぃさんがぺこりと頭を下げるとばるごんさんを中心に拍手が起こった。
 この人がくっしぃさんだったのか。皆に集まりを呼びかけるくらいだから活発な感じの人かと思っていた。
 続いて四十代くらいの女性。
「ヤグチです、カメは何匹か飼ってますけど素人の趣味ですので〜。今回はお話聞かせてもらえたらと思います〜」
「今回研究とかしてるのってヤマピカリャーくんだけでしょ?」
 再び拍手しながら、ばるごんさんが次の若い男性に話を振った。
「あ、はい。大学でカメの研究してます、ネットではヤマピカリャーって名前でやってます。よろしくお願いします」
 最後に残ったのが私だった。
「ゆう、っていう名前でやってます。カメは父が飼ってるんですけど、いつもはサンタナケリスの写真とか上げてます」
「よし、それじゃ行きましょう!」
 入園前からすでにばるごんさんが引っ張る雰囲気が出来上がっていた。

 ガイアパークは温泉にちなんで建てられた地学と古生物のテーマパークである。
 中央通りの両脇には色々な種類の巨大な岩石が並び、恐竜やワニを飼っている施設、それに博物館もある。あちらこちらから温泉の湯気が立ちのぼっている。
 しかし私達の目的ははっきりしている。カメ館に向かってまっしぐらだ。
 目指すカメ館は、カメの甲羅のようなドーム形の温室が二つ並んだ施設だった。手前の一つにはカメの頭のような小屋がくっついていて、そこが入り口になっていた。
 ばるごんさんが重そうな扉を押し開けると、暖かく湿った空気が流れ出してきた。
 そして柵の向こうから出迎えてくれたのは、まさに私が初めて見るようなカメだった。
「プロガノケリスは二億年前のカメですよ」
 ちょっとした段ボール箱ほどの大きさがあり、棘だらけの手足でしっかりと立っていた。首や尻尾まで棘で覆われている。
 胴体をすっぽり覆う甲羅があるからカメには違いないが、首も手足も引っ込められなさそうだし、顔付きも見慣れたカメとはなにか異質に感じられた。左右の鼻の穴が離れている。
「今のカメと違ってますね」
 私がそう言うとばるごんさんは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「あっ、分かる?やっぱりカメを見慣れてる人に見せると分かるんすね、これ見てもただのカメじゃんなんて言う人も多いもんでねえ」
「カメには違いないですけどね」
「もっとカメらしくなかった頃のカメも見てみたいよね」
「オドントケリスの飼育は中国で研究中らしいですね」
 ヤマピカリャーさんが乗っかった。
「中国は遠いな〜」
 カメ好き同士で集まっているという感じがしてきた。
 プロガノケリスのいる小部屋からさらに進むと、たっぷりと緑が生い茂る温室だった。
 植えられているのはほとんどシダで、花は咲いていない。カメが増えていった恐竜時代の風景か。
「この部屋には中生代のカメがいます。中生代分かんない人いない?」
 ばるごんさんが問いかけたが誰も手を挙げない。
 植え込みの間には水槽やプール、柵が並んでいて、水族館と動物園の中間のような感じだ。
 一番手前の水槽に、ちょっと見覚えのある首の長いカメがいた。
「ほら、アラリペミスですよ!」
 くっしぃさんがさっきまでとは打って変わって高い声を出した。くっしぃさんはアラリペミスを飼っているのだ。
 アラリペミスは甲羅と同じ長さがある首をくねくねと左右に曲げながら、手足をぱたぱたとかいて泳ぐ。
「かっこよくないですか!?」
 くっしぃさんはアラリペミスを生で見せられて嬉しそうだ。
「首長竜みたいですよね」
「それがですね!」
 くっしぃさんの声にますます力が入っている。
「首長竜ってほとんど首を伸ばしっぱなしなんですよ、フタバスズキリュウ見たことあります?アラリペミスは首をすごい早く曲げたり伸ばしたりできるんです!こんな風に!そこがかっこいいんです!」
 そう言いながらくっしぃさんは肘を素早く横に曲げたり伸ばしたりして、アラリペミスの首の動きを腕で再現してみせた。まるで中国拳法である。
「帰ったら動画上げますから!」
「は、はい」
 SNSと違って大人しそうに見えていたくっしぃさんだったが、アラリペミスのことを語るテンションはやはり本人だった。私は納得した。
 アラリペミスの次に、背が低く上から覗き込める水槽が二つ並んでいた。
 そこには一見スッポンのように見える小さなカメと、明らかにスッポンだと分かるカメがそれぞれ横たわっていた。
「ああー、カッパケリスがいましたね」
 ヤグチさんがスッポンらしくないほうの水槽に取り付いた。ヤグチさんはカッパケリスを飼っている。
 今のスッポンと並んでいるからどこがすでにスッポンと同じでどこがまだ違っているか見比べることができる。
 どちらも甲羅は鱗ではなく柔らかい皮で覆われている。手足の水かきは大きく、鼻は豚のように突き出している。
 しかしカッパケリスの甲羅にはスッポンと違って柔らかい縁取りはない。鼻もごく短い。
 なにより、今のスッポンのほうが三倍近く大きいのだ。カッパケリスは手のひらに乗るほどの大きさしかない。
「カッパケリスってこんなに可愛いんですね。写真だと大きさが分からなかったから」
「そうなの。でもね……、スッポンの子供はこれよりもっと可愛いのね。つい飼いたくなっちゃうんだけど……」
「子供のとき可愛いからっていうのはまずいですよ〜」
 ばるごんさんが突っ込みを入れた。一度飼い始めたら大きくなってからもずっと責任を持って飼わなくては。
「そうなんです、だからスッポンは私にとっては目の毒!」
 ヤグチさんはそう叫んで、オーバーな動きでスッポンから目をそらした。生き物を飼っていると誘惑が多い。
 シダに囲まれた中を進むと、人の頭よりずっと大きな陸ガメがひょこひょことこちらに歩いてきた。その後ろから青年の飼育員さんがついてくる。
「アノマロケリスだ」
 すかさずばるごんさんの解説。
「どうぞ、甲羅に触ってみてください」
 飼育員さんがうながす。
 正面にしゃがんでみるとアノマロケリスは意外と変わったカメだった。
 黒っぽい甲羅の肩口から前に向かって、太く黄色い棘が生えている。頭は大きく、引っ込められなさそうだ。
 こんなに立派な棘が生えたカメなんて珍しい。左右両方ともつかもうと手を伸ばしたが、
「あっ、頭の近くには手を近付けないほうがいいですよ。噛む力が強いですから」
「頭デカいからねー、その分強いよ」
 そういうことなら棘にはさわれない。もったいないが、大人しく甲羅の上をみんなでなでた。
 さてアノマロケリスの現れた角を過ぎると、広い池が足元に横たわっていた。
 ばるごんさんが前に出て、池の中を覗き込んで見回す。
「ほら、ガメラ!」
 指差す方向に、ばるごんさんの大好きなカメであるシネミス・ガメラの姿があった。
 飴色をした、人の顔面ほどの平たい甲羅が水中をすべる。その甲羅の後ろ側左右から、ジェット戦闘機を思わせる鋭利な翼状の棘が伸びているのだ。
 手足で水をかく泳ぎ方自体はカメそのものなのだが、体は全くと言っていいほど揺れることがない。翼を広げて飛ぶように真っ直ぐ突き進む動きは、淡水のカメのものとは思えないほど洗練されていた。
 おお、と、皆で嘆息を漏らす。
「いいよねえ、こうやって広いところで泳ぐの」
 ばるごんさんがしみじみと言い、皆揃って同意した。
「ここは日本で初めてシネミス・ガメラを飼い始めて、そのときすごく話題になったんだ。今は僕みたいに一般でも飼えるけど、ここのは年齢もいってる分特に立派に見えるよ」
 最初に見付かったのとは別の、もう一匹のシネミス・ガメラも現れた。
 真っ直ぐ泳いで壁に当たると、壁に取り付いてやや平べったい頭を水面から出し、一呼吸したらまた水中へすべり降りていく。
 突然、ばるごんさんが歌い出した。
「ガッメラ〜♪ガッメラ〜♪」
 するとヤマピカリャーさんまでそれに乗っかり、子供向けの唱歌のような調子で歌を続けた。
「シネミス・ガメラを称える歌?ですか?」
「名前の元ネタのほうを称える歌だよ!」
 つまり、昔の怪獣映画の歌か。ばるごんさんはともかく若いヤマピカリャーさんがよく知っていたなと思う。
 ふとプールの向こう岸を見ると、テーブルが置いてあるのかと一瞬思った。
 もちろんそうではなく、大きなカメがいるのである。
 甲羅はとても平たく小判型をしていて、長さは一メートル近くもあった。
「あのカメ、すごく大きくないですか?」
「あれはモンゴロケリスね」
 ヤグチさんが答えてくれた。ばるごんさんはまだ歌っている。
 モンゴロケリスはさっきまでに見たプロガノケリスやアノマロケリスよりさらに大きい。あれだと相当長く生きているはずだ。
 歌い終わったばるごんさんが語り始めた。
「カメは昔からあんまり変わってないから生態を推定するのが楽だっていってね、古生物の再生技術が始まってすぐに再生されたんだよ。あのモンゴロケリスも何十年も前に再生されたやつだね」
「古生物が飼われ始めたときからの歴史を見てきたカメなんですね」
「まあ、あの大きさでもまだまだ驚いてはいられないかな……」
 そう言ってばるごんさんはにやりと笑った。
 二つある温室の一つが終わり、次の温室に行くには外を通らないといけなかった。
 暖かい温室から出ると寒さが襲ってくる。
 道の途中、木でできた小さな小屋のようなものが立っていた。一抱えほどの幅しかなく、水槽がはめ込んである。
 その上には、「ニホンハナガメ冬眠中」と書いてあった。
 ヤマピカリャーさんが前に出て水槽を覗き込んだ。中にはなみなみと水が張ってあり、底には落ち葉に紛れて黒とオレンジの甲羅をしたカメが眠っている。
 カメラとスマホ両方で写真を撮ったり、ヤマピカリャーさんはとても熱心だった。
「うちでは冬眠させずに飼ってるんです。現生のハナガメは亜熱帯性で冬眠しないから」
 そこにちょうど初老の飼育員さんがやって来て、水槽の中の水温を確認してメモに書き込んだ。
「水温は何度ですか?」
 ヤマピカリャーさんが飼育員さんに質問した。
「五度から十度です。水温を安定させることが大事です」
 それから飼育員さんは全員のほうに振り返って続けた。
「今のハナガメは日本よりずっと暖かいところに生息していますが、このニホンハナガメは寒いところの植物と一緒に発掘されました。それで自然に生息していた頃もこんな風に冬眠していたと言われているんです。冬眠させたもののほうが繁殖力が良くなりますから、実際に冬眠していたんだと考えています」
 ヤマピカリャーさんは嬉しそうに、今聞いた話をスマホにメモした。
 飼育員さんにお礼を言って、次の温室に入った。
「わっ、花がすごいですね」
「恐竜が絶滅した後の温室だからね」
 真っ赤なハイビスカスや鮮やかな黄色の極楽鳥花、ピンクのブーゲンビレアなど、いかにも熱帯の温室という感じの花々が咲き乱れていた。道の両脇に立ち並ぶ木はバナナとパパイヤだ。
 突き当たりにある丸い柵の中に、最初に見たプロガノケリスに似たカメが三匹いた。そのうちの一匹はとても大きい。
「メイオラニアだよ」
 しっかりした四肢、鬼の金棒のような尾。さらに頭にまで鬼のような角がある。
 一番大きいものの甲羅はさっきのモンゴロケリスと同じく一メートル近くあり、丸く膨らんでいてモンゴロケリスよりずっと高さがある。
「すごい。さっきモンゴロケリスで驚くなって言ってたのはこのことなんですね」
「いや、それはどうかな。まあこれもすごく大きいし何十年も生きてるけど、まだまだ……」
 ばるごんさんはまたにやりと笑った。
 しかし温室はメイオラニアのいる柵の向こうにある池で終わりのようだった。
 学校のプールほどもありそうな丸い池で、湯気が立っているので温泉が使われているのがよく分かる。
 お湯の中にも、池の縁や、中に置かれたコンクリートブロックの上にも、馴染み深いカメの姿が見える。
 ほとんどはミドリガメの成長したもの、ミシシッピアカミミガメだった。日本のイシガメやクサガメも混じっている。
「捨てられたカメや飼えなくなったカメを引き取ってるんだ。アカミミガメを捕まえて持ってきたら入園無料になるよ」
 ミシシッピアカミミガメはそのくらい熱心に日本の自然界から取り除かれてもおかしくないほど強すぎる外来種だ。
 変わったカメや巨大なカメばかり見てきたから、家のカメ部屋にもたくさんいるような顔ぶれに囲まれると落ち着いた気分になった。
 しかし、眺めているうちにくっしぃさんが声を上げた。
「大きいナガクビガメがいますよ!」
 池には確かに首の長いカメが、水底を這うように泳いでいた。首は緩くS字に曲がっていて、さっき見たアラリペミスと同じ仲間であることを示している。
 ただし、アラリペミスと比べると倍ほどもあった。
 育ちすぎて飼いきれなくなり、ここに預けられたのだろうか。
「そのカメの化石、そこにあるよ」
 ばるごんさんがそう言って壁のほうを指差した。
 しかし私にはどこに化石が置いてあるのか、しばらく分からなかった。
 それは、その化石があまりにも大きいせいだった。
 人の背丈の倍ほどもある楕円の物体が巨岩のように直立していて、もはや展示物というより建物の一部に見えていたのだ。
「えっ、これ、これ甲羅なんですか!」
 甲羅の化石は圧倒的な高さで見下ろしてくる。
「史上最大のカメ、ストゥペンデミスの甲羅だよ!」
「じゃあ、池にいるのは……!」
「まだ子供だけど、あと五十年とかすればあの化石みたいになるだろうね」
 私は池の中のストゥペンデミスをもう一度見て、それからまた化石のストゥペンデミスを見た。そしてそれらを何度も見比べた。
 確かに甲羅の形がどちらも同じだ。楕円形で、首の付け根がめくれている。
 目の前にいるのは間違いなく史上最大のカメなのだ。今はそうでなくても、私がお年寄りになる頃にはそうなるのだ。そういう可能性を秘めた存在が、今ここに泳いでいる。
 足腰から力が抜け、私はその場にしゃがみ込まずにいられなかった。膝を抱える手が震えている。
「あれ?おーい、しょうがないなあ。この後ワニも見るのに」
 ばるごんさんが笑うのが聞こえた。

 家に帰ると、父が先にカメ部屋でカメの世話をしていた。
「おう、おかえり。カメ見てきたんだろ?いいなあ、お前だけ……」
「大人なんだから自分で行きなよ」
「そうだけどさ」
 父は娘に対するうらやましさを隠そうともしなかった。
 うちにいるたくさんのカメ達、これらも皆今日見てきたカメの歴史の一番先にいる。
 そして、サンタナケリスのサンちゃんはカメの歴史の途中から抜けてきてうちに来てくれたのだ。
 ガイアパークにはウミガメはいなかった。
 岩につかまっているサンちゃんの背中を、私はじっと見つめた。
 ストゥペンデミスは何十年もかけて巨大に育つということだったが、サンちゃんだってカメには変わりない。まだまだ長生きするだろう。
「ねえ」
「ん?」
「私が家出るときにさ」
「お、うん」
「サンちゃん連れて行っていい?」
 私がそう言うと父は露骨に渋面を作った。
「えーっ、サンちゃん俺のカメなんだけどー!」
「何、私が出て行くよりサンちゃんが出るほうが嫌なわけ!?」
「お前はちょっと覚悟してるけどサンちゃんはさあ!」
「もう!」
 本当にしょうがない父親である。だが今日一日を過ごした私にとってはそんなに嫌ではなかった。
 大好きなカメと、カメが大好きな人達に囲まれている。こんなにありがたいことはないと分かったのだ。
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