Lv100第三十一話
「ノーム -真央とメロ、リク、リト-」
登場古生物解説(別窓)
 小さなこども動物園の中はすっかり緑に包まれる季節だった。
 ここは本当にささやかな動物園である。ライオンやキリンやゾウなんていない。いるのは、ウサギ、タヌキ、ヤギ、アヒル、ニワトリ、ペンギン、カメ、等々。
 それと一種類だけ恐竜がいる。ヤギと同じくらいの大きさしかない、角も牙もない、ちょっと頼りない感じの恐竜だけど。
 オリクトドロメウス。二本足で走り回る身軽な植物食恐竜。
 でも今はあんまり姿が見られない。しょっちゅう隠れてしまうのだ。
 土手になった広い運動場のふもとに餌箱がある。ニワトリの餌と同じような、穀類や青菜を混ぜ合わせたものを大きなバケツで運び込み、餌箱に流し込む。
 そして運動場から出て、正面のアクリルガラスの端に張り付く。
 じっと見ていると、私の足元に小さな女の子が駆け寄ってきた。そして同じようにガラスに張り付いた。
 何を見ているのか興味を持ってくれたに違いない。
 その子のお母さんらしき女性が、すみませんと言いながらその子を引っ張ろうとした。しかし私はそれを制した。
「大丈夫ですよ、ご一緒にあそこをご覧ください。恐竜の巣穴がありますよ」
 運動場の上のほう、斜面の途中にぽっかりと穴が開いている。これこそ、オリクトドロメウスが自力で掘った巣穴である。
 餌が新しくなって私もその場を離れたのを察して、黄緑と黄土色の丸っこい頭がひょっこりと出てくる。少し尖ったクチバシと丸く大きな目。
「わっ、あれが恐竜ですか?」
「はい」
「きょうりゅうさん!」
 続いてすらりとした全身、短い腕と畳んでいた長い脚、長い尾を現わす。鹿を思わせる優雅な姿は巣穴を掘った本人、メロである。
 メロはすぐに餌箱に向かわず、立ち止まって辺りを見回し、それから巣穴の中に振り返った。
 すると少し小さな頭が二つ現れる。
 メロの子供達、リクとリトだ。二頭ともオス。
 この二頭をひっそりと育てるためにメロは巣穴を掘ったのだ。
 危険がないことが伝わったのか、やがてリクとリトも穴から出てきた。
「子育て中なんです。餌を食べに出てきましたよ」
 親子三頭揃って餌箱に駆け寄り、餌をついばみ始める。
「この種類の恐竜がこうして親子揃っているところを見られるのはここだけなんですよ」
 普通オリクトドロメウスには巣穴を掘らせず、巣箱の中で産ませた卵を人の手で管理する。
 しかしオリクトドロメウスが巣穴を掘るなんてことは化石の時点で分かっていた。オリクトドロメウスとは、「掘ったり走ったりするもの」という意味だ。
 子育てをオリクトドロメウス自身に任せるという、これは挑戦なのである。
 と大袈裟に言っても、リクもリトももうすっかり心配いらなさそうな段階まで育っていた。

 さてその挑戦が続いて数か月後の夕方。
 餌はとっくに食べ終わっていたが、メロは巣穴の外の日なたで過ごしていた。
 リクとリトはメロとあまり変わらない大きさまで育ち、やはり巣穴の外で追いかけあうようにして走り回っていた。
 しばらく前から、三頭ともこんな風に巣穴の外で過ごすようになっていた。
 もう間もなく閉園の時間だが、メロ達は夜になっても巣穴ではなく獣舎で寝るだろう。
 獣舎の掃除も済ませて飼育記録ノートを見直していた私は、重大なことに気付いた。
「ねえ、メロ達、一週間巣穴に入ってないよね!」
「あっ、ホントだ!」
 一緒に確認してくれたのは同僚の久美だ。
 すなわち、どうやらリクとリトはもう巣立ったと見なせるようなのだ。
「お祝いしよう!あっスタッフブログに書こう!」
「別に何も特別なことする必要ないと思うけど……、それよりほら、あの巣穴をさ」
 もぬけの空となった巣穴は未だぽっかりと斜面に口を開けていた。これもメロが残した重要な記録であり、オリクトドロメウスのことを理解するのに役に立つ。研究という意味だけでなく、この動物園のお客さんにとってもだ。
 そこで、巣穴での子育てが終わったら巣穴の中を調べたり展示に活用したりしようという話になっていた。
 閉園を知らせる電子オルガンの曲が流れると、メロ達は獣舎の扉の前に集まってきた。
 私はいそいそと扉を開け、三頭を中に入れてやった。
 三頭は並んでしゃがみ、頭をこすり合わせたり尻尾を触れ合ったりとお互いを確認し合っている。
 そんな仲の良い様子の観察もそこそこに、私は誰もいなくなった運動場に足を踏み入れた。
「もう巣穴見るの?」
「久美だって見たいでしょ?」
 斜面を駆け上がると、巣穴は西日の中で暗闇をたたえて開いていた。
 しゃがんで入り口を覗き込むと、小柄な私なら入れそうなくらい幅があった。メロが頑張って掘ったことを思うと頬がゆるむ。
 私は穴の中に手をつき、かがんで頭を突っ込んだ。
 中は暗くて何も見えない。でも、もうちょっと進んでみようか。
 メロがたった一人で作り上げ、二頭を大事に育てた巣穴だ。
 私はほとんど寝そべる姿勢になっていた。こんなところで親子三頭過ごしていたのか。
 ほぼ全身穴に突っ込んだところで、穴の奥は右上に曲がっていた。
 そっちに向かって頭を上げてしまったとき私は気付いた。
 これは。腕が動かせない。肩も腰も曲がらない。
 つまり。
「抜けね――――!!」
 棒のようになりながら私は叫んだ。叫んだつもりだったが、外に聞こえるかは怪しい。
「久美ー、久美ー!助けて久美ー!」
 気付いてくれると祈って足をばたばたさせながら久美を呼び続けるしかなかった。
 外から声が聞こえる。多分久美が「何やってんの!」とか叫んでいるのだ。
 すぐに足首が誰か、おそらく久美に掴まれた。
 それで引っ張られたのだが、何しろ曲がった穴に体が引っかかっている。
「痛い痛い!鼻、鼻が!土入った!」
「うるさい!黙って引っ張られろ馬鹿!」
「首に虫がいる!虫動いてる!」
 騒ぎながらも、久美の声が聞こえるようになったので内心ほっとしていた。
 顔面をしたたかこすりつけながらも、何とか取り返しのつかない状態は免れていて、久美の手だけで私は無事助け出された。
 横座りのまま振り返ると、私を見下ろしていたのは久美一人ではなかった。
「え、園長……」
「まったく、何かと思ったら」
 園長の表情は逆光で上手く読めない。私は思わず正座に座り直した。
「あなたも巣穴も傷付いてないですか?」
「あ、はい。あの、すみませんでした」
 確かに貴重な巣穴を壊したら元も子もないところだった。
 園長の声色は意外にも柔らかかった。
「今回は何事もなかったのでいいですけどね」
「気をつけます」
「ある意味、メロ達のことを真剣に考えるあまりのことなのでしょう。それだけは良いことですよ」
 そう言って園長は立ち去った。
 振り向く瞬間、笑顔に見えたような気がした。
 久美が何か言ったので振り返って見つめたが、
「馬ー鹿、って言ったんだよ」
 と吐き捨てた。
 いや、「無事でよかった」って言ったと思うんだけどな。

 その後、巣穴に囲いが出来て、動物園や水族館の設備を作る業者の人が巣穴の型を取る作業を始めた。
 唯一中の様子を探った私がその作業に立ち会うことになった。こうなると私の軽率な行動も無駄ではなかったみたいだ。
 ノズルで樹脂を中に吹き付けるのだが、作業員の人がぐいぐい腕を突っ込んでいくものだから一度はまった私は落ち着いて見ていられない。
「ホントに気を付けてくださいよ!奥で曲がってるところに突っかかったら抜けないですからね!」
 立ち会っている間ずっとそんなことを言い続けていた。
 その甲斐あってか何事もなく巣穴の型が掘り出され、メロ達の運動場の前にある広場に展示された。
 全体は三メートルほどもあり、途中でクランク状に曲がっている。そこが私の引っかかった角だ。
 その角のところまで行ってもまだ一メートルはあるのにはちょっとがっくりしてしまった。あんなに深いと思ったのに。
「まあ私が一度中を確かめたおかげで無事完成したんだよね」
「あんたは気を付けろ気を付けろって騒いで邪魔してただけでしょうが」
「巣穴の形は化石から予想できてましたから」
「園長」
「でもあなたの失敗があったからより安全に作業できたのは確かです」
 すっかり大人になったリクとリトは相変わらず運動場を軽やかに駆け回っていた。
 この二頭もいずれ繁殖のために他の動物園にお婿に行くことがあるだろう。
 そのとき、メロが一人で立派に巣穴を作り上げたことが役に立つだろうか。この巣穴の型があればどんな巣穴が作れるようにしておけばいいかが分かる。
 それにしても、こんなに大きな巣穴だったなんて。小さなメロが作ったとは信じがたい。今メロは静かに寝そべっているばかりだ。
 ここは小さなこども動物園だ。しかし動物達はそれぞれ驚異を隠し持っている。何食わぬ顔で過ごしながら。
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