Lv100第二十六話
「衣蛸 -果歩と食用アンモナイト-」
登場古生物解説(別窓)
 頭足類、つまりイカやタコの仲間は養殖できない。
 餌や環境に煩く、とても採算が取れないからだ。
 というのも化石の生き物が普及する前までの話。今やそれも覆って、人間の手で殖やされたイカ、……のようなもの、が食べられるようになりつつある。
 例えばこの、父が営む養殖場で。
 体育館ほどの空間は薄暗く、また生暖かく保たれている。
 青い強化樹脂製の水槽が何十と並ぶ。そこには温められ成分を整えられた海水が絶えず送り込まれる。
 薄暗がりの中にパソコンのモニターが放つ光が浮かんだ。
 亜硝酸濃度、塩分、その他のミネラル分、酸性度、水温、全て問題なし。水質さえクリアしていれば八割は満足させたも同然だ。
 水音の間に、ほんのかすかに、乾いた音が混じる。
 カツン、カツン。
 イカもタコももし水槽に押し込めても、こんな音は立てないだろう。
 これは、数千に及ぶアンモナイト達が、ゆっくりと泳ぎ殻をぶつけ合う音だ。
 生き物としての名前はペリスフィンクテスとダクティリオセラス。食材としての呼び名は「ペリ」と「ダクチリ」。
 向こうに強い光が動いているのが見える。父がペリとダクチリを選び出しているのだ。
 父の挑戦を手伝い始めてから一年。
 ペリの水槽から一杯――貝殻の中身はイカみたいだから一杯だ――すくい上げてみれば、丸いベージュの貝殻は手の平いっぱいまで育っている。ダクチリは半分くらいの大きさだ。
 少しずつ、出荷が始まっていた。
「おおい、頼む」
「分かった」
 父から声をかけられ、私は餌やりを始めることにした。
 混合飼料を一キロずつ量っては、水槽一つひとつに投入していった。
 イカやタコではこんな飼料には見向きもしないし、水槽で密集して暮らすこともできない。
 養殖できないそれらにアンモナイトが取って代わるかもしれないのだ。
 飼料を与えていくたびに、水槽のアンモナイト達は沸き立ち、殻のぶつかる音が増していく。

 夕方。選び出したアンモナイトを箱に詰めて軽トラックの荷台に載せ、父と私は出かけていった。
 市場に行くなら朝早くにもっとたくさんの箱を乗せて父一人で行くところだ。
 今日はうちから直接アンモナイトを買うことにした料理屋さんに呼ばれたのだ。
 養殖場から出たところの海沿いの道を進んで町に出ると、可愛らしい店構えが見えてくる。
 創作料理店「潮路」のシェフは、父がアンモナイトの養殖を始めるより前からの付き合いだ。わざわざ店先に出て迎えてくれていた。
「いやあ、寒いっすね!例の新メニューにぴったり!」
「そのメニューって結局何だっけ?教えてもらってないような」
「へへ、鍋っすよ!アンモナイト鍋!」

 さて、ここでそのアンモナイト鍋の作り方を見てみよう。

 まず、新鮮なペリの身と殻の間にチューブを止まるまで押し込んでいく。アンモナイトの身は殻の途中にある壁までしかないから、チューブが入るのもそこまでだ。
 そうしてチューブに息を吹き込むと、円筒形の身が全部押し出されてくる。
 出てきた身は足も目もあって小さめのイカのようだが、鰭はなく、王冠のようなひらひらした部分がある。
 このひらひらが壁と噛み合うせいで息を吹き込まないと出てこないのだ。もし手で引っ張り出せたら、そのアンモナイトは新鮮でない。
 それから身を胴と頭に分ける。これはイカと同じで、胴の中のわたと周りの身の間に指を突っ込む。
 墨袋を丁寧に切り離さないといけないのもイカと同じだ。
 足には吸盤ではなく細い爪が並んで生えている。足を一本ずつ切り落としたら根元のほうに切れ込みを入れ、皮をむく要領で爪を全部はがす。
 わたも頭から切り離したら、残った頭を上下真っ二つに切り分けて目とクチバシを取り除く。クチバシは固く、取るのに少しコツがいる。
 ここまでがアンモナイトの一般的なさばき方だ。
 シェフは解体した身のうち、わたをすり潰し、足と頭をミンチになる寸前まで刻んだ。
 そしてそれらを卵白、塩、柚子胡椒、玉葱のみじん切りと混ぜ合わせる。
 胴の袋にそれを詰め込むと、ぱんぱんに膨れ上がる。
 口をようじで止めて蒸し上げれば、ペリの旨味と食感を封じ込めたシュウマイ風の具の出来上がりだ。
 ダクチリは目、爪、カラストンビを取り除きそのまま具とする。ちょうどホタルイカくらいの大きさだ。
 しめじ、白菜、豆腐などとともに鍋へ。
 これだけではアンモナイトの利点が生かしきれていない。
 最後に、よく洗ったペリの殻を三つ、三つ巴に並べて落とし蓋にするのだ。燃える炎のような模様が食欲をそそる。
 風味と食感を生かした、見た目も楽しいアンモナイト鍋がこうして完成する。

 ペリのシュウマイに一口噛みつけば、皮になっている胴の身はぷちんと小気味良い歯応えを返した。さらに中から、わたと身の味わいがあふれ出してきた。ひらひらの部分にも出汁がよく絡んでいる。
 丸ごと煮られたダクチリも、足と胴で違う食感と味を楽しめる。
 アンモナイトを使ったメニューの開発は上手くいったようだ。
「完成を祝して乾杯!」
「乾杯!」
 父とシェフは鍋の出来映えに祝杯を上げた。
 って、トラックを運転してきた人が日本酒飲んでるのだが。
「どうやって帰んの!」
「あれ?果歩、お前運転できなかったっけ?」
「私はまだ高校生だってば!農家か!」
「泊まっていけばいいんすよー」
 シェフまで呑気なことを言っている。
「明日市場に出らんなくなるよ……」
「だって海鮮の鍋だよ。地酒との相性を見とかないとさ」
「実際どうすか?」
「抜群だね!」
 そう言って二人とも大笑いする。出来上がるのが早すぎやしないか。
「でね、冬は鍋でいいんすけど、春になってからはどうしよっかなあってまだ決まってないんすよね」
 シェフのもっともな心配。
「そうだなあ、まあただ一つ明らかなのは……」
 父と私は声を揃えた。
「寿司は無しで」
「えーっ!」
 シェフは寿司を出すつもりだったんだろうか。しかし前例があるのだ。
「板前が洒落のつもりで殻に乗っけて出してきたのを食べたらさ、イカと違って肉が薄いし、肉よりわたのほうが旨いのに捨てちゃうしであんまり良くなかったんだよね。しかもお前さんが握るんでしょ」
「う……、確かに本職がダメなら僕もダメっす」
 父はペリのシュウマイを一つ箸でつまみ上げた。
「これなんか逆に肉が薄いのとわたの味両方生かしてていいよね。鍋じゃなくてもこれを揚げるとかいいんじゃない」
「あ、それいいっすね!あと揚げ物ならこういうもんがあって」
 そう言ってシェフは立ち上がり、厨房からお盆を持ってきた。
 いつの間に用意していたのか、ダクチリの天ぷらだった。小さな殻を、わさび塩を載せる小皿にしている。
 父は一つつまんで噛みしめるなり、もう一つ食べてからお酒をあおった。
「うん、いいね!一年中出せるし、そばに乗っけてもよさそうだし」
 シェフは小さくガッツポーズ。
「まあ寿司と同じで専門家には劣るってのはあるけどね」
「海辺っぽくていいかなーって思って壺焼きにしたときは、肉の端だけ先に焦げてわたが生のままになっちゃったんすよ」
「構造上しょうがないよね。殻のまま食べるのは無理かな」
「殻につめてグラタンにしたらすごい食べづらかったっす」
「グラタン自体は美味そうだけど、どうやって殻を生かしたらいいかね」
 シェフと父の議論は続く。
 私はそれを聞いているのにも飽きて机に突っ伏し、窓際に置かれた水槽を見た。
 水槽の中には生きたペリとダクチリが浮いている。
 どちらもすでにペット用に流通しているし、うちでも注文があれば生かして出荷する用意がある。
 水底にはダクチリの殻が横たわっている、と思ったらそれが動き出した。白亜紀のヤドカリ、パラエオパグルスが住みついていたのだ。
 横から見ると、ペリの目はまぶたが下がっているような形をしている。ダクチリは殻の螺旋に沿った矢絣状の模様だ。
 普段は薄暗い中で生け簀に入ったのを上から見ているだけだが、こうして横からちゃんと見るとなかなか綺麗で可愛いかもしれない。生体や殻だけを買っていく人の気持ちも分かる。
 父とシェフの話し声は聞こえ続けている。鍋を食べたお腹は温まっている。
 ゆらゆらと揺れるペリとダクチリを見ているうちに、思考がぼんやりと無軌道になってきた。
 鍋も美味しかったし、冬が終わったときのことまで二人とも真剣に考えている。これだけ充分対策しているならアンモナイト料理は人気が出そうだ。
 それでここが繁盛すれば、うちの養殖場への注文も増えて儲けられる。大きな家が建てられるくらい儲かるだろうか。
 アンモナイトで儲かって出来た家ならアンモナイトの殻の形にすべきか。殻の中はたくさんの部屋に分かれているわけだから拡大すればそのまま家になりそうだ。
 アンモナイトの殻に住むなんてパラエオパグルスになったみたいだ。家を引きずって歩くなんて私にはできない。
「果歩、果歩」
 と、そこで肩を揺すって起こされた。というか自分のまぶたが下がっていたのに気付かなかった。
 鍋はすでに片付けられ、テーブルの上には全く違う料理が出されていた。
「ペリの和風カルパッチョっす!わたを出汁で溶いてソースにしました」
「冷たいけど鍋食ってあったまった後だから大丈夫だろ」
 皿の上に殻が乗り、身がその上に盛ってある。足は生きているときのように殻口から並べられ、全体に黄土色のソースがかかっている。
 一口、ぱくり。コリコリとした噛み応えにソースが良く絡んで、ずっと噛んでいたくなる。
「これならアンモナイト御殿が建つかもね」
 まだぼんやりしかけた頭でそう言ったら父が大きな笑い声を上げた。
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