Lv100第二十五話
「リントヴルム -睦美とディーゼル-」
登場古生物解説(別窓)
 開園前の動物園は冷たい風に洗われ、枯色に染まりきったわずかな木の葉が横から透かされる。
 この時間、アウカサウルスの運動場に餌を置きに行く手順は私に緊張を強いる。
 アウカサウルスの全長は乗用車くらい、頭の高さは人間と同じ。肉食恐竜としてはたいして大きくないとはいえ、立派な猛獣の仲間入りだ。
 手に持つ餌は食用恐竜であるパラサウロロフスの骨付き肉。
 鉄格子の向こうにアウカサウルスの「ディーゼル」が寝ているのが見える。
 オレンジ色をした鼻面はやや短く角張っていて頑丈そうだ。胴体から真っ直ぐ続く尾と、引き縮められた後ろ脚は太い筋肉の束である。前脚は反対に、肘も指もないに等しいただの小さな棒きれのよう。
 ディーゼルの運動場への出口が閉まっているのを確実に確認して、私は従業員口から運動場に出る。もし間違って出口が開いていたら……。
 場内には丸太や植え込みなどの障害物がいくつかあって、餌を置く場所は日ごとに変えるようになっている。今日は丸太の裏側に餌を隠した。
 そこからふと、運動場の外を見上げた。
 そうしたときに私の感じるのは緊張ではなく若干のみじめさであった。
 コンクリートの壕と柵の向こうには、道を挟んで密に植えられた木々が見える。ナンヨウスギの姿が特に目立つ。
 さらにその奥には様々な草やシダに覆われた丘がある。植物食恐竜ボニタサウラの暮らす丘だ。
 新しく作り上げられたその施設では、木々の間を縫う小径を分け入ると、目の前でゾウほどの体格を持つ三頭のボニタサウラが、少し長い首と横に広い口を使って草をはんだり、尻尾を振って互いに連絡を取ったり、きっと白亜紀の世界でもこうだっただろうと思える姿を見せるのだ。
 それに比べてこのアウカサウルスの運動場はどうだろう。
 クマの運動場を流用した、昔ながらのコンクリート造りの施設だ。
 のっぺりとした床は壕と柵でお客さんと隔てられ、アウカサウルスのディーゼルは見下ろされる立場にある。
 本当はこっちも、ボニタサウラの丘と一緒に再整備されるはずだったのだ。
 そうすれば時代も地域も同じ恐竜同士で一つの生態系が表現できる。なのに予算の都合で再整備計画が縮小されたとき、こちらは計画から外れたのだった。
 柵の向こうを、ボニタサウラの係である同僚の香奈が猫車を押しながら通り過ぎていく。
 香奈がわざわざ私を見下ろして、ディーゼルの普段受けている視線を再現してきた。私は歯を食いしばって見せた。
 この運動場の背景となるコンクリートの壁には灰色と褐色で地層のような縞模様が付けられ、アウカサウルスの骨格も描かれている。
 しかし、この運動場自体が化石のようなものになりつつあるのだ。

 開園とともに鉄格子が開くと、ディーゼルはその姿を現す。私は見張り窓から様子をうかがう。
 頭から胴体、尾まで一繋がりの体幹からほとんど後ろ脚だけが生えているように見える。
 ディーゼルは鳥のようにすたすたと歩き回り、今日はどこに餌が隠されているのか、あちこちに鼻を突き出して探していく。
 柵の向こうに、カメラを構えたお客さんが三人見える。朝が一番ディーゼルがよく動くことを知っているのだ。
 ほどなくディーゼルは肉塊を見つけ出し、鋸のように綺麗に並んだ牙でしっかりと咥え上げた。
 そして平らな床に肉塊を下ろし、後ろ脚で押さえつけて首を器用に使い、骨から肉をはぎ取っては飲み込んでいく。
 歩き方もそうだが、食事の様子も鳥に近いことがよく分かる優雅な仕草だ。お客さん達が一部始終をファインダー越しに見届けている。
 ディーゼルがこうしている間はボニタサウラとの展示の差など忘れていられる。
 ひとしきり肉をつついてもう取れるものがなくなると、ディーゼルは骨をその場に打ち捨て、顔を上げて歩き出した。食後の運動のつもりらしい。
 次第にカメラを構えたお客さん達の姿も減っていく。
 しばらくしてディーゼルが散歩を済ませて日当たりの良い場所に伏せるに至って、柵に取り付いたお客さんは一人もいなくなった。
 それからはもう、寝ているだけのディーゼルに長く足を止める人は現れない。
 寝そべっているアウカサウルスを見下ろしても「大して大きくもない恐竜」という感じにしか見えないだろう。丘の上から反対に見下ろしてくるボニタサウラとは迫力が違いすぎる。
 お客さんが皆ちらりと見ては通り過ぎていく。以前に来園者の動向をきちんと調査した結果でも、ここは通り過ぎボニタサウラの丘には長く留まるという傾向がはっきりと出た。
 しばらく見張っていると、遠足の幼稚園児達が集まってくるのが見えた。小さな子供なら新鮮な目で見てくれるかもしれない。
 数十人くらいの子供がディーゼルの前に集まってきた。声はほとんど聞こえないが、賑やかな雰囲気は読み取れる。
 と思っていたら子供達が不意に動きを合わせ、そしてこちらまで届く声を発した。
「きょーりゅーさーん!」
 かなりの音量になったようだ。が、ディーゼルはぴくりとも動かなかった。
 ちゃんと起きているときに私が名前を呼んでも、あまり振り向かないくらいだ。人の声にリアクションを示すことはまずない。
 それに大声で起こされたらそれはそれで困る。昼寝を邪魔されてストレスにならない生き物がいるだろうか。引率の先生はもっとちゃんと考えてほしい。
 その一団が去って別のクラスらしき園児達がまた来たのだが、前の子達が起こせなかったのを見ているせいかほとんど立ち止まらなかった。
 展示が立派でなくても、あまり大きくなくても、せめてもう少し生き生きとした姿を朝以外にも見せられたらいいのだが。
 向こうの木からカラスが一羽、運動場の中に降りてきた。
 こんなことはそうは起こらないのだが、何度もここに来ているカラスだったとしたら日中のディーゼルがあまり動かないと覚えてしまったのかもしれない。
 カラスはディーゼルの数メートル前で食べ散らかされた骨をつついている。肉のかけらが目当てか。
 あんな小さな眷属にもすっかり甘く見られている。
 そんな風に思ってしまった、次の瞬間。

 ディーゼルが、そこに立っていた。

 目にも止まらぬ速さとはその動きに使うべき言葉だった。
 カラスが骨をついばんでいたはずの位置に、いつの間にかディーゼルの体が突き出ていたのだ。
 ディーゼルの左脚は動作の余韻を残すように伸びきり、口にはカラスの羽が一枚咥えられていた。
 調子に乗りすぎたカラスはすんでのところでディーゼルの牙を逃れた。本当に捕まったら悲惨ではあっただろうが……。
 カラスは全速力で飛び去っていく。
 その場面を目撃したお客さんと、見張り窓の内側の私は、再び伏せるディーゼルを見つめていた。

「っていうのを再現できれば良い展示になると思うんですよ!」
 閉園後の小ミーティングで早速今日の出来事を恐竜班に共有した私であった。
「何、毎日カラスを追っかけさせんの?」
「アホか」
 香奈がすっとぼけた事を言う。
 小型恐竜全般を担当している矢沢さんは静かに微笑んでいるだけだ。
「餌を追っかける動きを見せられればいいって言ってんの」
「どうやって?」
「だからそれを一緒に考えてよ」
 言い出しっぺの私がまず思い付いたのは、
「そうだな……、肉をラジコンカーに乗っけて……」
「そのラジコンが思いっきり突進を食らうわけだ」
 香奈が横槍を入れた。
「そんな速い突進を食らってさ、平気なわけ?そのラジコンは。大体ラジコンなんかで肉を運べんの」
 そう言われればそのとおりなのだが腹が立つ。
「うるさいな。じゃあ香奈はなんか良い案あるわけ」
「シンプルに紐で引っ張る」
「あんたディーゼルを馬鹿にしてるよね」
 香奈には全く悪びれた様子がない。
「呼んでも来ないくらいだし?」
「餌を取るときはちゃんと考えてんの!前の日に置いたところは見なかったりすんの!」
「じゃあ餌を紐で引っ張ったらどうなるわけ?」
「壁で止まってから食べる」
 私がそう言うと香奈は納得して小刻みにうなずいた。
 結局それっきり良い案は出なかった。たった一つを除いて。
「生きた七面鳥っていくらすんのかな」
「猟奇!」
 そこで今までただ黙っていた矢沢さんがくすくすと笑いだした。
「ふふ、ごめんなさい。あなた達を見てるとつい」
「矢沢さんは何かないですか?」
「そうね、ただディーゼルの生き生きしたところがもっと見られるようにっていうのだったら、餌を三等分くらいにして別々に隠せばいいと思うけど」
 それならディーゼルは餌を探すために今より長く歩き、開園直後よりもっと後まで食事が続くだろう。
「それやります!なんで今までやらなかったんだろう!」
「でね、ちょっと見てほしいんだけど……」
 矢沢さんは事務机に振り返ってパソコンを操作した。
 メールからリンクを開いてネット上の動画が出てきた。
 動画のタイトルも説明文も英語だが、アメリカのある大型動物園にいるカルノタウルスの動画なのが分かった。アウカサウルスの二倍はある大型肉食恐竜だ。
 カルノタウルスの手前には火星探査車のような物体が映っていた。ゴムボールのような大きなタイヤが四つあり、上向きのアームで肉を掲げている。
「あっ、もしかして!」
 私がそう叫んだ直後、その物体の動きに反応してカルノタウルスが突撃してきた。
 次の瞬間にはカルノタウルスは肉を咥え、車のようなもの本体は無事に逃げていった。
 続いてスローモーションでその瞬間が繰り返された。車のようなものは肉に噛みつかれる寸前にアームを離して衝撃を逃がしていた。
 さらに、この一部始終が実際の展示で行われたことを示す引きの映像。
 私が見せたいものを本当に見せている動物園がもうあるなんて。最後にアメリカ人の飼育員が英語で解説するのはよく聞き取れなかったが、目は離せなかった。
「あっちではもう餌やりロボットを実用化してしまったんですって」
「じゃあ最初に睦美が言ったラジコンっていうのもあながち無茶じゃなかったんですね」
「工業大学と連携して開発したらしいの」
 矢沢さんと香奈の声を背に、私は机に手を突き俯いた。
「おい、どした」
「やられた……」
 あの突進は私が発見したと思っていたのに、知らないうちにとっくに展示になっていた。
 これじゃあディーゼルの運動場が本当に遅れているみたいじゃないか。
 私は振り向いて叫んだ。
「うちでもいつかできるよね!?」
 香奈は目を丸くして飛び退き、矢沢さんは笑顔を崩さなかった。
「そ、そうね。こっちでも工業大学と相談してみたら、もしかしたら」
「大学ですね!ここから近いのってどこですか!?」
「Y大だと思うけど……、連絡するにしても今日はちょっと遅いから、明日ね」
「はい!明日きっと!」
 アウカサウルスはだらりと寝そべっているだけではない、本当はすごい生き物なのだ。
 そのことを知らしめ、ディーゼルが活発に暮らせる日はきっと近い。
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