Lv100第二十四話
「カトブレパス -蘭とヒデヨシ-」
登場古生物解説(別窓)
 店長がケーキの用意をしている背後で私はひたすら野菜を切り刻み続けている。
 お客さんの食べるサラダにするのではない。小松菜、ニンジン、トマト、リンゴ、サツマイモ、みんな一センチ角の賽の目切りだ。
[アルバイト募集中。高校生可、大昔の動物の世話を学びたい方大歓迎。爬虫類みたいなのが苦手な方ゴメンナサイ。ペルム紀カフェ「ウラル」]
 そんな広告が出ていたのでペルム紀が何億年前かも分かっていないままにこの店の門を叩いて数ヶ月。
 包丁の扱いと古生物の知識は大分身に付いたように思う。
 野菜を大小各種の皿に分け、魚やキャットフードやコオロギも用意すれば動物達の餌の準備は完了だ。
「あげてきますね」
「うん、お願い」
 店長は冷蔵庫から出したブラウニーを切り分けている。アラフォーのおじさんだが、細い体に可愛いエプロンを好んで着けている。
 キッチンから、落ち着いた色調の広い店内に出た。
 床と一続きのテラスが庭に向かって突き出ている。その庭全体を温室のようなガラスの壁が覆っているが、北向きでむしろ涼しいくらいに保たれている。
 庭の外は観葉植物と植え込みで二重に隠され、このカフェが森の中に建っているかのようだ。
 そして室内中央の放し飼いスペースと庭に、動物達、三億年近く昔の動物達が待っている。
 平日の半端な時間でお客さんは二人しかいない。
「現生屋があんまり両爬、両爬って、単弓類を抜かすからさ」
「言っても一般向けの単弓類なんてあんまいないじゃん」
「でもうちの子が無視されてるみたいでなんかさ」
 女性二人連れだが生き物の飼育について熱く語っているところだった。
 一番大きな皿を、庭にいる一番大きな「ヒデヨシ」にあげるため奥に向かったときのことだ。
 入口の扉に付けられたベルが鳴り響き、すぐにそれをかき消すような声が店内に飛び込んできた。
「こんにちは〜!あ、蘭ちゃんホントにウェイトレスしてる〜!」
「は!?」
 振り向いた先には、なんと私の母の姿があった。
 わずらわしいところのある母親だとは思っていたが、年頃の娘のバイト先に乗り込んでくるほどとは。
「いらっしゃいませ。ええっと……?」
 キッチンからひょっこりと出て来た店長もきょとんとしていた。
「あっ店長さんです?ここで働かせてもらってる北上蘭の母です〜」
「あらま!これはどうも、ごゆっくりなさっていってください!北上さん、ひとまずお母さんを席にご案内してさしあげて」
 店長ならそうするだろうなとは思ったがあっさり受け入れてしまった。
 こうなっては仕方がない。母をテラスの席に案内しながらヒデヨシに餌をあげることにした。
「こっち」
「わー、すごい!なんか恐竜みたいのがいる!」
「恐竜じゃないんだけど」
「そうなの?」
「うちにいるのは恐竜よりもっと大昔の動物なんですよ」
 店長が補足しながらキッチンに戻っていった。
「ねえ、あのおっきいのはゾウガメ?」
 母がそう尋ねたが、一瞬どれのことか分からなかった。店内に甲羅のあるものは特にいない。
 ほかならぬヒデヨシのことをカメと言っているのだった。
「コティロリンクス」
 私はそれだけ答えて皿をテラスの端にある台に置いた。
 言われてみれば甲羅のないゾウガメに見えなくもない。
 灰褐色の地肌。左右に丸々と膨らんだ、子供の二、三人も乗せられそうな胴体。それと反対に手の平ほどしかない頭。その先に鼻が出っ張っている。
 なんとアンバランスな姿だろう。この店で一番の貫禄のはずなのにどうしても滑稽で、慣れれば愛着の湧く姿に見える。
 ヒデヨシは観葉植物の鉢植えの下で、大きな手と太く短い腕を使って穴を掘っていた。お腹が空いて根っこでも食べようとしているのだ。
 こちらの様子に気付くと芋掘りに労力を費やすのを止め、胴体を短い四肢で持ち上げて、細長い尾を揺らしながら向かってきた。
「きゃー、こっち来た!すごい!」
 何がすごいやら、母は騒がしくしている。
 ヒデヨシは皿に辿り着くと、肩に力を込めて中まで首を伸ばした。
 そして三角の口で野菜の粒を次々と掬い取り、かじり始めた。
「ねえ、触ってもいいの?」
「いいけど、あんまり脅かさないように静かにしててくんない?」
 母は一旦黙ってそっとヒデヨシの頭に触れたが、すぐに、わあ、とか、うわあ、と声が漏れた。
 バッグの肩紐を引っ張って受け取り、すぐ後ろの席に置いて、私は勝手に次の餌やりに向かうことにした。
 テラスの脇には睡蓮の花が咲く四角い池がある。ただし睡蓮は池の端に寄っている。中央は池の主が泳ぐ空間だからだ。
 小魚を箸でつまんで、先をそっと水面に付けた。
 ピンク色をした「く」の字形のものが、池の底から浮かび上がってきた。池の主、ディプロカウルスの「椿」の頭だ。
 翼のような角の生えた頭や平べったい胴体を進めるのは弱々しい四肢ではなく、長い鰭状の尾だ。慌てると魚が逃げると思っているのだろう、下からゆっくり泳いで近付いてくる。
「矢印が自分の指してるほうに進んでる」
 いきなり横から母の声がして驚かされた。いつの間にヒデヨシのほうからこっちに来たのだ。
 椿はこちらまで来ると魚の真下に口を重ねた。
 ガボッ、という音が短く鳴った瞬間、魚は椿の小さな口の中に吸い込まれてなくなっていた。
 母は椿の早業に拍手している。
「ねえ、注文しないの?」
 どうやら母はここが喫茶店だと忘れていたらしい。慌ててメニューを手に取った。
「あ、じゃあ、カフェオレ」

 母は大人しく座ってヒデヨシを眺めながらカップを受け取ったが、放し飼いスペースをちらちらと気にしていた。
「別に立って中見てもいいんだけど……」
「あ、そうなの!」
 私が声をかけると母は嬉々として立ち上がった。
 母は割と動物が好きなほうではあったが、犬猫ウサギ程度までかと勝手に思っていた。
 コティロリンクスのような単弓類、爬虫類と似て非なる哺乳類の祖先、だとか、大型両生類であるディプロカウルスも気に入ったようだ。
 気持ち悪いと騒がれずに済んだのは良かった。
「ねえ、これって親子?」
 放し飼いスペースの柵の中を覗き込みながら母が尋ねた。
 大きなトカゲに似た、背中に帆のある動物が大小二匹いる。
「それは別々の種類。大きいほうがエダフォサウルスで、小さいほうがテウトニス」
 エダフォサウルスの「テンプラ」は二メートル近くあり、薄緑の帆は団扇のように広がって表面にいぼがたくさんある。頭は小さく手足は短い。
 テウトニス、正確にはディメトロドン・テウトニスの「ツキミ」は猫くらいで、赤褐色の帆は釣り鐘型をしている。頭は大きい。エダフォサウルスと同じくらいの大きさになるディメトロドン・リンバトゥスなどと違って大きくならない種類だ。
 テンプラはお気に入りの赤外線ライトの前に陣取って帆を暖めている。
 ツキミもそのライトに当たりたくて周りをうろうろしているのだが、テンプラは場所を空ける気配もなく鬱陶しそうにしている。
 それどころか、テンプラは帆を打ち震わせ、尾も床に叩き付けてツキミを跳び退かせた。
「ホントだ、仲悪い」
 その様子を母が笑った。
 ツキミには大きな顎や立派な牙があるのだが、ずっと人の手で育っていては巨大なテンプラに噛み付くなど思いもよらない。
 仕方なくツキミは新しいほうの赤外線ライトに歩み寄った。最初からそっちに行けばいいのに、二匹とも元からあったほうのライトしか頭にないようだ。
 二匹が落ち着いたところで、テンプラにはヒデヨシと同じ野菜の皿を、ツキミにはキャットフードの皿を与えた。
 さて、この二匹が終わったら次は上だ。
 放し飼いスペースの柵からは上に向かって柱が何本か伸びている。
 柱の上のほうには丸い棚状の部品が取り付けられている。一番奥の柱に、黄緑色の頭が見えた。
「あっち、見てて」
 私はそこを指差して母に呼びかけた。
 そしてコオロギの入った皿を頭上に掲げると、コエルロサウラヴスの「テマリ」は身を乗り出した。
 小さな尖った頭には大きな目とフリル。棚の縁にかかった手の指は細い。キノボリトカゲによく似ているが、大きな特徴が一つある。
 テマリは棚からこちらに飛び出した。
 レモン色が目に飛び込む。
 脇腹の翼を広げて空中をふわりと滑ったのだ。
 次の瞬間にはもう鰭のような翼を畳んで私の腕にしがみつき、餌の皿を覗き込んでいた。
 母はテマリの滑空をしっかり目撃したようで、また楽しそうに拍手している。
「すごーい、鷹匠さんみたい!」
「大袈裟な」
「飛ぶところが見れるなんてラッキーじゃないですか」
 レジから店長も嬉しそうに言った。
 柱の上から他にも降りてくるものがいた。猿とイグアナの中間のような単弓類のスミニアが、ひょこひょこと手足を動かして柱を伝う。
 一番積極的な「ぶち丸」が私の肩に移ろうと体を伸ばしてきた。「茶々丸」と「カツラ」は上のほうで様子を見ている。
 手に乗せてやると尻尾だけ手の平から余る。丸い頭に丸く黒い目、口はにっこり笑ったような形のままになっている。
 餌を手の上で食べさせてやっていると母がぶち丸の頭をなで始めたが、スミニアは元々スキンシップを好む動物ではない。
 そのままにしているとこっちの腕も疲れてくるので、餌の皿と一緒に棚の上に戻してやった。
「あー、意地悪」
 母はまだ撫で足りなかったようだが。
「水槽の中でも見てなよ」
 壁には水槽で飼われているものもいる。
 母は口を尖らせながらその中の一つに歩み寄った。
 が、きゃっ、と叫んで、すぐに戻ってきてしまった。
「どしたの」
「カエルいた!カエル無理!」
「は?」
 そんな「今風」の生き物ここにはいないのだが。
 しかしカエルと見間違えるような生き物ならすぐに思い当たった。
 カエルの祖先、ゲロバトラクスだ。顔はカエルそっくりで両目が出っ張っているが、胴体は長く後ろ足は短い。そのせいで飛び跳ねることはできない。
 そして、母がカエルを苦手なのはいきなり顔に跳び付かれたからだと言っていたはずだ。
「飛び跳ねないから大丈夫」
「ホントに?」
「ホントに」
 再び母は水槽を覗き込んだ。ゲロバトラクスの「パンツ」がひょこひょこと歩いてはアマガエルのように喉を振るわせケロケロと鳴いているところだった。
「あ、可愛いかも」
 やはり跳ねなければいいようだ。慣らしていけば本物のカエルも平気になるかもしれない。

 一通り見終えて、母は元の席でブラウニーをつついていた。
 なぜか店長と一緒に私も同じテーブルを囲まされている。
「動物の状態にもよく気付いてくれるし、北上さんにはホントに助かってるんですよ〜」
「まあ、そうなんですか。家のことは全然してくれないのに」
 二人は意気投合して私や動物のことを話している。何だろう、この三者面談。
 まかない用に出涸らしで淹れたジャスミンティーをすすりながらやり過ごしていたとき。
 再び入り口のベルが鳴り、恰幅のいい男性が現れた。
「やあやあウラル屋、たまにはヒデヨシの様子を見にきてやったぞう!」
「ヤマちゃん!何今日は、特別なお客さんばっかり来て」
 私が接客に立つのもかまわず男性と店長は気さくに言葉を交わし合う。
 そして店長にあだ名で呼ばれた男性はずんずんとテラスに進み、手すりから身を乗り出した。
 ヒデヨシは庭の真ん中で食休みを取っている。
「おお、おお、聞いてたとおりだ。ここに来る前とは見違えるような肌艶!鼻の調子も良さそうだ。栄養のバランスが良いんだなあ」
 男性はヒデヨシを見つめて深くうなずきながら、満足そうに言った。ここに来る前?
 メニューを手に男性に近寄ろうとしたが、店長に呼び止められた。
「北上さん、注文は大丈夫。私が淹れてくるから。その人は山菅(やますげ)アニマルズの社長さん」
 山菅アニマルズとは、たまに連絡を取るペットショップの名前であった。確かにこの男性の声は電話で聞き覚えがあった。
 山菅さんはこちらに振り返り、目が線になった笑顔を見せた。
「アルバイトの子かね。どうだいここでの飼育は。設備も動物園に近いし、ウラル屋は几帳面だから動物の状態が良いだろう」
「はい、それはもう。あの、ヒデヨシがここに来る前って……?」
 私はさっき山菅さんが言ったことを尋ねてみた。
「おっ、もしやヒデヨシがここで飼われる前のことを知らない?」
「はい」
「ウラル屋の奴、話すと自慢みたいで嫌だとでも思ってるんだな。ようし、ちょっとおっさんの昔話に付き合ってもらおうか。座りなさい」
 私は元の席に座り、隣のテーブルについた山菅さんと向かい合った。母も聞く姿勢である。
「ヒデヨシを育てたのはウラル屋じゃあないんだなあ。何年か前、別の店で買ったコティロリンクスのことでお客さんから相談を受けたんだが、大きくなりすぎて飼えなくなったと」
「あっ、ヤマちゃん何照れくさい話聞かせてんの」
 緑茶を持ってきた店長が顔をしかめた。さっき私は照れくさいどころじゃなかったんですが。
「お前さんがちゃんと店の成り立ちを教えてないからさ」
「私は付き合いませんからね」
 店長は店の奥に引っ込んでしまった。
「やれやれ。さて続きだ。育ちすぎで飼えないなんて、おいらはそりゃあ無責任だと思ったさ。コティロリンクスっていったらペルム紀最大の動物の一つだ。最初から大きくなるのは決まってたじゃないか。それなりの設備がなきゃ買っちゃいけないし、そんなところに売ってもいけないんだ」
「その人がちゃんと飼いきれるって、元々売ったお店は確認しなかったんですか?」
「もしくは、店の反対を押し切って買ったか、だなあ」
 山菅さんは眉間に皺を寄せた。
「とにかく状態を見てみたら、これがひどいもんでなあ。明らかに栄養失調で肌はガサガサ、鼻炎まで患ってる節があった。かといってうちだって成長しきったコティロなんて滅多に扱ったりしないよ。預かろうにも預かれないどころか、運ぶだけでも大騒ぎだ。何百キロとあるもんな。どうしようどうしようって言ってたところに出て来たのが、あいつさ」
 そう言って山菅さんは店長のいる奥を指差した。
「その頃この店はこんなに大きくなかったんだ。雑居ビルの中に入ったこじんまりとしたところで、テウトニスのツキミが一番大きい動物だった。あんまりペルム紀にこだわってもいなかったな。でもコティロのこと話してみたら、あいついきなり店を建て直すって言い出してなあ」
 山菅さんの表情はそこでぱっと緩んだ。
「じゃあこのお店って」
「そう、あいつがコティロも飼えるような立派な店にしてやろうって、そのときに大急ぎで建てたんだ。おいらも驚きはしたが面白がって手伝ったね。完成したのはもう問題のコティロをあと一週間で処分しなきゃならないっていう瀬戸際だった」
 あと一歩のところでヒデヨシの命がないところだったなんて。
「それはもう大仕事になったが、なんとか問題のコティロをこの店に運び込むことができた。その直後からもう土を掘っててなあ。店の設計が間違ってなかったと思えて安心したよ」
 山菅さんはお茶を一口啜ってから続けた。
「そのときまで前の飼い主の付けた名前で呼んでたんだが、おいらもあいつもあんまりその名前で呼ぶのは気が進まなかったな。次に様子を見に来たときには、あいつがヒデヨシって名前を付けてたんだ」
「はいはい、その辺にしといてもらえる?」
 店長がジャスミンティーのマグカップを手に割って入った。
「おいおい、まだテンプラが来たときの話が残ってるよ」
「どうせ似たようなもんでしょ。ヤマちゃんは美談だか武勇伝だかのつもりかもしんないけどね……」
 山菅さんと対照的に店長はしんみりとした顔をしていた。
「北上さん。ヒデヨシとテンプラは私がたまたま助けられたけど、長いことこの界隈にいると、助けられなかった動物もたくさん見たり聞いたりしてきたの。その都度私が店をなんとかしてやれるわけじゃないし……、正直ツキミにもちょっと無理させてるくらいだしね」
 話からするとテンプラはこの店ができてからさらに後に来たことになる。それまでツキミ一匹でのびのびと暮らしていたのか。
「このお店がまともにやってるところを見てもらえれば、動物を悲しい目に合わせる人も減るかもしれない。せっかくこの話を聞いた北上さんには、そういうつもりでお手伝いしてほしいの」
「はい、もちろん。……でも、それならテンプラとツキミが喧嘩せずに済むようにしないと」
「確かに」
「ははっ、ウラル屋より頼もしいな」
 店長は苦笑い、山菅さんは声を上げて笑った。
 私はちらりと庭に目をやった。日が傾いて薄暗くなってきた。
 ヒデヨシは早々に眠りつつあるようで、尾を丸めてまぶたを落としていた。
 本当に、ヒデヨシが生きてくれていてよかった。
 庭の中であまりヒデヨシの踏み込まない、向かって右側をテンプラに与えたらどうか。改装の案がおぼろげに私の頭に浮かんでいた。
「良い職場で安心したわ」
 母がささやいた。
inserted by FC2 system