Lv100第二十二話
「百頭 -葵とラッテ、メリー、シーラカンス館-」
登場古生物解説(別窓)
「うわー、ホントに魚だらけ」
 大学の同じ環境学科で出来た親友のももを初めて部屋に上げてみたが、部屋を見た感想はちょっと不満を誘った。
「ただの魚じゃないし、シーラカンスだし」
「全部?」
 私は棚の上から実物大のぬいぐるみを抱え上げ、その太い柄のある右胸鰭を動かしてみせた。
「当然!この脚っぽい鰭が目に入らぬか!」
「よくシーラカンスシーラカンス言ってたけど、ここまでとはね」
 一番目を引いたのがこのぬいぐるみだろうけど、壁には写真のポスターやポストカード、棚にはもっと小さいぬいぐるみやフィギュア、ガラス細工、書籍、その他……、シーラカンス以外の生き物もあるけど大半はシーラカンスだ。それに紺色に白のまだら、つまりシーラカンスと同じ柄のカーテン。
「で、この水槽にいるのもシーラカンス?」
「もちろん」
 ちょっと大きめの水槽には七分目くらいまで海水が満たされ、手の平ほどのものが二尾泳いでいる。
 部屋中にある現生シーラカンス、ラティメリアの姿とはちょっと違っている。胴体は少し上下に幅広いが、口は逆に細長い。
「派手ー」
 何より、深海魚であるラティメリアと違って、大きな鱗はつややかな赤紫をしている。
「ワイテイア、リピートアフターミー、ワイテイア」
「わいていあ」
「グッド。二億五千万年前のシーラカンスだよ。色の薄いほうがラッテで、濃いほうがメリー」
「水足りないんじゃない」
 ももはラッテが水面に口を付けて空気を吸っているのに気付いた。
「お分かりいただけただろうか……、実は化石種のシーラカンスは、肺で空気呼吸をするのである……」
「ふーん」
 なんたるリアクションの薄さか。
「なに、もー、超神秘ポイントじゃん!今のシーラカンスは深海魚なのにだよ?化石種は空気吸うんだよ?どうなってんのってならない?」
「まあ変わってるなとは思うけど」
「しょうがないなあ〜、じゃあ泳ぎ方!泳ぎ方見て!」
 ラッテもメリーも尾鰭、のように見えるけど実はすごく後ろに寄った背鰭と尻鰭、は大きいのにそれを使わず、手足のような胸鰭と腹鰭を、四足の動物が歩くように動かして泳ぐ。
「なんかじれったい」
「えー!陸上動物の足運びとの関連を感じさせる超重要ポイントなのに!じゃあ……じゃあ……」
「あと何ヶ所ポイントがあるわけ」
 それはもうシーラカンスなのだから、
「数え切れないね。いくらでもあるね」
「これだから生き物好きは」
「だってシーラカンスだよ!?萌えないの!?」
 つい熱くなる私を抑えるように、ももは手の平を見せた。
「シーラカンスが興味深いものだっていうのはなんとなく分かってるよ。まだなんとなくしか分かってないだけで」
 いける。これは引きずり込める。仲間を増やすチャンスだ。
「じゃあ、なんとなく以上に分かろう!私もシーラカンス好きになったきっかけの水族館があるから、そこ行こう!」
「は、今から?」

 うちで食べることになっていたお昼も簡単に済ませ、電車で数駅の港町にある水族館に直行した。
 水族館にしてはかなり小さな建物が二つ並んでいるが、シーラカンスがいるのは新しく増築されたほうだけだ。
「今回はシーラカンス館しか見ないよ」
 そう言い切って入館すると、コンクリート打ちっぱなしに木を組み合わせた、落ち着いた展示空間に出た。
 そしてそこでまず出迎えたのは、ラッテやメリーと同じワイテイアだ。上の開いた立方体の水槽に、薄いピンクから赤黒いのまで、二十尾近くがひらひらと舞っている。
「金魚みたい」
「ワイテイアは淡水性のほどじゃないけど飼いやすいし、飼う人が多いっていう意味では金魚っぽいかもね」
 水槽の上に掲げられた「シーラカンスの基本形」という解説板でもラティメリアとワイテイアを比較している。
「何ニヤニヤしてんの、家にもいるやつでしょ」
「へへー」
 これだけ集まっていると嬉しくなって頬がゆるんでしまう。赤紫のつやめきに飛び込みたくなる。
 その水槽の向こうに進むと反時計回りの回廊で、右側の壁に水槽が埋め込まれて並んでいる。左の壁には扉のない入り口がいくつかあり、隣の明るい展示室が見える。ほぼ全体が二重丸になっていて、回廊が外側の円、隣の展示室が真ん中の円に当たる。
「シーラカンスの歴史を最初から辿っていくからね」
「最初は何年前?」
「四億年前!」
 そう宣言して最初の水槽を指差した。子供の目線の高さにある水槽を、ももは中腰で覗き込む。
 ワイテイアの倍はある丸い頭の魚が、流木の模型に乗っていた。体を支えている胸鰭や腹鰭はワイテイアと同じで手足のような柄があるが、尾部の鰭は下側だけ大きくなっている。最古のシーラカンス、ミグアシャイアだ。
「この水槽、なんか川っぽいね」
「そうそう、ミグアシャイアは淡水性だったんだよ。でもシーラカンスが川と海どっちで生まれたかは分かんないの」
「ずっと深海魚だったわけじゃないんだ」
「こっちは海のだよ」
 すぐ隣の水槽にいる、つまりすぐ後のものであるホロプテリギウスは、白い砂地に置かれた石灰岩のくぼみにはまっていた。前半身はミグアシャイアと大体似ているが、尾鰭は長く、ウナギのようだ。
「これはシーラカンスじゃないんじゃない?」
「ううん、最初は色んなのがいたから。ほらこっちなんかバラバラ」
 私がそう言うのに応えるように、次の少し大きい水槽には三種類の違ったシーラカンスがいる。
 盛り上がった背中と尻すぼみな尾のアレニプテルスは、鰭を微妙に動かしながらその場に浮いて留まる。
 丸っこい形のハドロネクトルは、底の細かい砂の上を調べるように少し下を向いて通り過ぎていく。
 スマートなカリドスクトルは水面近くをずっと泳ぎ続けている。
「ね」
「シーラカンスって何なのか分かんなくなってくるんだけど……」
「でもほら、色々いなきゃこうやってシーラカンスだけで水族館ができたりしないし」
「じゃあこっちのもシーラカンス?」
 黒い枠の水槽には再び流木の模型が立てかけてあり、円筒形の魚がその上に横たわっていた。エウステノプテロンだ。
 手足のような鰭はシーラカンスと同じだが、解説は「シーラカンスと袂を分かち陸へ」と題されている。
「あ、シーラカンスじゃないのもいたんだった。これは陸の動物の祖先に近いやつだよ」
「えーっ、もう何が違うか全然分かんない!さっきのウナギみたいのよりよっぽどシーラカンスっぽいじゃん」
 改めて考えるとももの疑問も当然ではあった。
「見た目じゃ分かんないとこだから……」
 あれだけシーラカンスが好きだって言っているのに、すっと納得させられないのはちょっと自分でも情けない。
 そこに、制服を着た青年の飼育員さんが台車を押してきた。
「化石をご覧になればシーラカンスとそうでない魚の違いはよく分かると思いますよ」
「あっ、清水さん」
 何度も通ううちに顔見知りになった飼育員さんだった。しかもちょうど台車には化石や骨格図のパネルが乗っていた。真ん中の部屋にいるものに餌を与えるついでに来館者に解説をするのだ。
 清水さんはまずエウステノプテロンの骨格図を見せた。
「これはこの魚の骨格図です。焼き魚を食べた後のような、しっかりした背骨がありますね。実際にこの魚は鰭を脚の代わりにして浅いところに立つこともできるほどしっかりした骨格を持っています」
 次に清水さんが見せたのは、三十センチほどのシーラカンスの化石だ。
「ところがシーラカンスには、固い背骨はないんです。ほらここ、骨がありませんよね」
 清水さんは普通なら背骨があるところを指でなぞった。両脇に小骨が並んでいるばかりで、中心は空白だ。
「えっ、背骨ないんですか?」
「本当に何もないわけではないですよ。これはこの化石と同じくらいのシーラカンスから取り出した脊柱です」
 そう言って清水さんが取り上げた大きな試験管には、溶液の中にうどんのような管が一本浮かんでいた。
「こんなのでよく体が保てますね」
「シーラカンスは大抵ゆっくりとしか動かないですし、骨が柔らかい分他の部分で体を保っていますからね」
「私シーラカンスが陸の動物の祖先なのかと思ってました。だから生きた化石って言われてるのかなって」
「それがそうじゃないところが面白いんだよ!」
 私はももが清水さんのお話を素直に聞いて知識を吸収しているのが嬉しかった。
 気付けば話しているうちに解説を聞こうと他のお客さんも集まっていたので、清水さんはよく聞こえるように顔を上げて解説を続けた。
「改めてこちらのコエラカントゥスをご覧ください。シーラカンスの中では活発ですが、くねくねと柔らかそうな動きですよね」
 ここから先の水槽は覗き込むような小さなものから天井まである大きなものに変わっている。
 コエラカントゥスは円筒形で尾部の鰭が大きく、後半身をしならせるようにして進む。
「シーラカンスとは、元々コエラカントゥスの仲間という意味なんです。それはシーラカンスの仲間で一番最初に化石が見付かったのがコエラカントゥスだったからなんですね」
 今いるシーラカンスであるラティメリアと比べてずいぶん身軽そうなコエラカントゥスの前で、他のお客さん達も感心してお話を聞いていた。
 ガイドツアーのようになった一行は次の水槽へと向かう。
 そこでは他のシーラカンスよりずっと精悍な、カツオを思わせるものが、水槽の幅いっぱいに旋回している。胴体は黒と白の流線形で、尾部の鰭は三日月形だ。
「こちらは最も遊泳に適したシーラカンスであるレベラトリクスです。先程シーラカンスはゆっくり動くとお話ししましたが、レベラトリクスだけは早く泳ぎ続けることが分かっています」
「これも背骨はさっき見たような柔らかいのなんですか?」
 そう聞いたのはももだった。ももが積極的に見学している!
「とても良いところに気付いてくださいました。レベラトリクスはしっかりとした泳ぎ方をしますが、脊柱は他のシーラカンスと同じ柔らかいものなんです。固い背骨がないのに力強い泳ぎができるのはなぜなのか、研究を進めています」
 清水さんの解説はすでに私の頭に入っている内容で、私はそれよりももの顔を覗き込んでいた。
「何、変な顔して」
「だって自分からいくと思わなくて」
「いいじゃん、ちょっと気になるところ聞いただけだよ」
 ついさっきまでももはシーラカンスに対してあんなに淡白だったのだ。ちょっと気になる程度でも、ものすごい進歩に違いない。
 解説はレベラトリクスの次の水槽、今のラティメリアに近いウンディナに進んだ。楕円形の体はラティメリアによく似ていて、なんとなく安心感がある。
「一億五千万年前のジュラ紀には、このウンディナのような今のシーラカンスに特に近いものが海の中に現れ、深海で生き残っていきました。しかし一方では淡水の中にも現れたシーラカンスが大型化していました。この建物の真ん中にある水槽が、そういった大きな淡水のシーラカンスの水槽です」
 二重丸の内側の円に当たる壁を抜けると、中央の明るい展示室に出た。
 展示室いっぱいに浅く大きな円筒形の水槽が陣取っている。高くなった天井には、イルカほどもあるシーラカンスの骨格模型が吊り下げてある。
 粗い砂の上を、明るい青緑色と少し細い口をした数十センチのシーラカンスが何尾も泳いでいる。手前の一尾が空気を吸おうと浮かび上がったとき。
 奥から、骨格模型の元である巨大なシーラカンスが現れた。
「小さいほうはブラジルのアクセルロディクティス、大きいほうはモロッコのマウソニアといって、どちらも白亜紀のシーラカンスです。マウソニアは四メートル近くまで成長することもあった最大のシーラカンスですが、この水槽にいる三尾の中で一番大きいのは二メートルと少しです。それでは早速餌を与えてみましょう」
 清水さんは台車の下の段からバケツとトングをつかみ、中から餌を取り出してみせた。
 まるまる一尾のサバだった。
「先にマウソニアに餌を与えていきます。どのように餌を取るか、よくご覧になっていてくださいね」
 水槽の中にいるマウソニアは清水さんの前に集まってきていた。私はももを私より前に出してかがませ、カメラを用意した。連写に設定してピントを合わせる。
 清水さんが水槽の上にサバを垂らすと、一番前に出ていたマウソニアが上を向いて口先を近づけてきた。
 そして清水さんがサバを放した瞬間。
 ボッ、という音とともに水面が崩れた。
 マウソニアが水や空気ごとサバを吸い込んだのだ。サバの姿は消え去り、飲み込んだマウソニアは底に沈んでもう動かなくなった。
「シーラカンスは上顎も動くようになっていて、餌を勢いよく吸い込むことができます」
 続けて他の二尾にもサバを与えていく。そのたびに水面が破裂する音が立ち、お客さんの間から歓声が上がった。
「また上手く撮れなかったっぽい……」
 私は少し落ち込む羽目になったが。
 続いてアクセルロディクティス達のために小さなアジの切り身を撒いていくときには、館内にはすっかり落ち着いた雰囲気が戻っていた。
 私とももは清水さんにお礼を言ってから、マウソニアの水槽より奥に進んだ。そこが最後の展示室だ。
 その展示室の中は一転して暗く、かすかな青い照明の中に、擬岩で飾られた水槽が一つだけある。
 ここは恐竜と一緒にほとんどのシーラカンスが絶滅した後の深海を表す展示室。水槽の中にいるのは、たった二種残ったシーラカンスの一つ、ラティメリア・メナドエンシスだ。
 五十センチほどのそれはまだ幼く、大きく丸みのある鰭をひらひらとはためかせて水中に留まっていた。
「生け捕りはできないけど、化石から再生する技術を使えば標本からクローンが作れるんだよ」
「それって、絶滅しそうな生き物を増やすのに使えない?」
「そういう研究もあるね。……一通り見終わって、どうだった?」
 そう聞いてみるとももは顎に手を当てて少し考え、それからこう答えた。
「シーラカンスが面白いってことはあんたが言うようになんとなく以上に分かったと思うんだけど……、それより、シーラカンスシーラカンス言ってるのがあんただけじゃないんだって分かったのが面白かったかも」
「ああっ、惜しい!そっちか!」
 今回一度だけではももをシーラカンス好きに変えることはできなかったみたいだ。でも焦ることはない。だいぶ見込みがあるみたいだから……。

 でも最後の展示室を出たところにあるグッズコーナーでのことだ。
 ももはラティメリアのマスコットを手に取り、黙ってレジに持って行った。
 電車で帰る間中、ニヤニヤしながらこっちを見るなとうっとおしがられることになったのだった。
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