Lv100第二十一話
「ボロゴーヴ -真理とドドちゃん-」
登場古生物解説(別窓)
 それは私が六歳のときのクリスマスだった。
 枕元にはよくあるプレゼントの箱ではなく、一通の赤い封筒が置いてあった。
 中の便せんにはこう書かれていた。
「パパの勤めている絶滅陸生鳥類研究所に行ってごらん。プレゼントが待っているよ」
 ママに連れられて研究所に向かうと、パパは私を、しっかりした造りの扉に通した。
 その先にはガラス窓で仕切られた部屋が見えて、たくさんの卵が綿の上でオレンジの灯りに照らされていた。
 そのうち、手前の一つが割れ始めた。
 何がなんだか分からないままに、私は雛のクチバシが卵を割っていくのを見つめていた。
 まだ羽もなく目も開いていない、ピンク色の雛が現れてきた。怖くはなかった。パパに見せてもらった本に出てきたとおりの鳥の雛だったから。
 もちろん、その子が私へのクリスマスプレゼントだった。

 それから五年後のある日。
 夏休みが始まってもうしばらく経ち、あんまりはしゃいで外に出るのもちょっとどうかなと思うようになってきた。午前九時だが、外はもう眩しい。
 もし出かけるのだったらクーラーの利いた図書館にでも行きたいところだ。大好きな画家の画集が見たいな。
 けれど庭先から響く声はそれを許さない。
「ポーゥ!ポーゥ!」
 ラッパのような声であの子が呼んでいる。今日は散歩に行かないといけない日だ。緑地公園なら木陰もあるし風も吹いてるから、それで良しとしよう。
 お気に入りの日傘と、三番目くらいのワンピース。これでOK。公園の林に入るなら靴はスニーカーしかないか。
 ドドちゃんがドードーだとはいっても、実際のドードーを連れてアリスを気取ってもしょうがないわけで。
「はいはーい、お待たせ!」
 私の姿を見るなりドドちゃんはその大きなクチバシを閉じた。
 フードを被ったような頭の羽毛、まん丸い体、小さな翼、ふわふわの尾羽。
 そう、絵本に出てくるあのドードー、モーリシャスドードーだ。
 ただし、本物はもうちょっとだけスマートで、きちんと首を上げていて、なんというか普通の鳥みたいだ。特に重要なのは、ステッキを持つ手がないこと。
 庭の半分はドドちゃんが自由に歩き回れるケージにしてある。小屋にトイレ、砂風呂も完備。水鳥ではないので水風呂はない。食べられる草はドドちゃんが食べ尽くし、食べられない草は私がむしった。
 胴体にハーネスを装着して、ドドちゃんもお出かけの準備完了だ。
 こうしておいて歩き出すと私の後からついて来る。カモの子供みたいに、私やパパ、ママを親だと思っているのだ。犬みたいにしつけてできるようになったわけではない。
 首を前後に揺らしながら、落ち着いた足取りでドドちゃんは歩く。ハトとダチョウの中間といった感じだ。首の羽がハトみたいに紫に光って、思いがけず優雅に見えることさえある。
 黄色い目は私をじっと見ていて、私を信用して歩いているのが分かる。でも何か変なものが近付いてきたら自分から威嚇してしまうつもりなのだ。
 犬を追い払おうとしたときなど逆に自分が噛みつかれそうになって、本当に危ないところだった。
 真夏の日差しに照らされた平日の公園は、親子連れか子供の集団が少しいるだけだ。
 ドードーは今でもペットとして普及してはいないが、この公園によく来る人はドドちゃんと私のことを覚えてしまっていた。
 低学年の男子が遠まきにこちらを見つめていた。ドドちゃんに興味はあるものの、以前激しく鳴きたてられたので近付けないのだ。
 芝生の横を通り過ぎて林に辿り着いた。セミの大群はやかましいけど、思ったとおり日傘がいらないくらい涼しい。
 ドドちゃんの足取りもアスファルトの道より明らかに軽くなり、早足で落ち葉を鳴らす。この林も自分のなわばりだと思っているのだ。
 天敵などいなかった頃のモーリシャス島さながらに、小さな王様は我が物顔で歩く。
 ここでは人や犬よりも地面に落ちているものに気を付けなければ。
 幸い夏ならどんぐりはほとんど落ちていない。あっても去年の残り物なんて美味しくないのでドドちゃんは手を付けないだろう。どんぐりはちょうどいいおやつかと思いきや、食べ過ぎるとおなかを壊してしまうのだ。
 キノコも言うまでもなく要注意だ。まれにしかないけど、全部毒だというつもりで絶対に食べさせないようにしなくては。
 そう思っている間にもドドちゃんはミミズを見付けてしまった。これはまあ別にいいかな。いやホントは嫌だけど。
 そしてドドちゃんが獲物を飲み込むのと同時くらいに、私は林の王国に侵入者がいるのに気付いた。
 男子らしき姿が向こうの木の下に見えた。
「ガーッ!」
 すぐさまドドちゃんが吠え声を浴びせた。
 その拍子に何かが男子めがけて木から落ちてきた。背中に止まったみたいだ。
 落ち着かせるためにドドちゃんに抱きついてから、驚かせたことを謝ろうと男子を見たが、よく見れば知っている相手だった。
「なんだ、山田か」
「有沢さん、こんにちは」
 こんにちはとか実際に同級生に使う奴初めて見た。おはようならあるだろうが。
 山田はとにかく地味な男子だ。坊ちゃん刈りにダサい銀縁丸眼鏡。半袖半ズボンなのはまあいいとしても、釣りにでも行くみたいな痛んだベストは何だ。
 そのベストの背中に、さっき落ちてきたものが掴まっているのだった。
「それ恐竜?」
「そうだよ。シノルニトサウルスっていう種類なんだ」
 小さな恐竜は山田の肩によじ登った。頭も手足も尻尾も細長く、ごわごわの茶色い毛や短い羽が生えている。物に掴まる手がある以外は大体鳥に見える。
 こういうのは肉食だったと思うけど、ドドちゃんよりずっと華奢で臆病そうだった。こっちのほうがかえって世話が楽かもしれない。実際、標本から再生しやすかったはずのドードーよりずっと早く普及してるし。
 山田が恐竜について何か話し始めるんじゃないかと思ったが、何も言わず中腰になってドドちゃんをじっと見てばかりいた。
「何よ。また吠えられたいの」
「ごめんなさい、ドードーは動物園でも珍しいからつい。有沢さんがドードーを飼っているって本当だったんだね」
「誰に聞いたの」
「理科の上田先生だよ。有沢さんのお父さんの研究所を見学されたんだって」
 理科教師と個人的に話したりするのかこいつ。
「ねえ、やっぱり先生でもなければ見学はできないのかな」
「別に、そういう決まりじゃないと思うけど」
「本当!」
 山田が急に大声を出したのでドドちゃんは再び山田を睨みつけた。
「ああ、でもやっぱり子供が行くには有沢さんの紹介が必要かなあ……、確か研究所って公立の施設じゃなくて会社みたいなものなんだよね」
「連れてけっての?」
「駄目かな」
 わざわざ山田なんか連れて研究所に行くなんて嫌に決まっている。
 でも断ったらそのことを上田先生に話すかもしれないな。パパは、少しでも動物や鳥に興味ある子がいたらどんどん連れてきてほしい、と言っていたし。
 なのにもう何年も友達を研究所に連れて行っていないのだった。
 パパを喜ばせるためだ。山田のためではない。
「分かった」
「やった!ありがとう!」
「ガッ」
 山田がまた騒ぐのでドドちゃんが警戒している。
「止めよっかな」
「ごめんなさい。それで、いつがいいかな。明日は土曜だからお休みかな」
「所全体が休みの日はないわよ。でも、確かに土日はパパが休みかも。早く行きたいなら今日の午後しかないわね」
「今日の午後だね、すぐ準備するよ!何時にどこで待ち合わせる?」
 山田と待ち合わせか……。
「この公園の北口に一時」
「一時だね!」
 山田はそう言いながら、恐竜を背中に止まらせたままさっさと駆けていってしまった。

 研究所は公園から歩いてすぐのところにある。やや殺風景な柵の向こうに、飼育場を囲む植木が覗いている。
 健康診断もついでに済ませてしまったほうがいいので、再びドドちゃんを連れ出していた。ドドちゃんを連れていたほうが守衛さんもすんなり門に入れてくれるし。
 山田はパパを待っている間も落ち着きなく当たりを見回していた。
「すごい。これみんな絶滅した鳥の飼育場なんだ」
 所内には南向きに傾いた屋根のある温室や、鉄の柵で仕切られた運動場、倉庫のような鳥舎が並んでいて、農場のようにも見える。ときどき何かの鳴き声が聞こえてくるけど。
「あそこにいるのはジャイアントモアかな。あれはリョコウバトの小屋かあ。ねえ、リョコウバトって絶滅する前と違って食べるのは禁止なんだってね」
「パパが来るまで勝手に動くんじゃないわよ」
「分かってるさ。あっ、あの人かい?」
 パパが倉庫のほうから歩いてきていた。灰色のつなぎ姿だ。
 後ろからは同じ格好の男の人が猫車を押しながらついてくる。パパの部下でドドちゃんの健康管理をしている高島さんだ。
 高島さんの前でもかまわずパパは満面の笑みで手を振っていた。
「いやあ、ようこそ!嬉しいなあ、真理がお友達を連れてくるなんて何年ぶりだろうね」
「あのときみんな泣いちゃったもんね」
 山田はパパに深々と頭を下げた。
「有村さんのお父さん、こんにちは。今日はお邪魔させて下さってありがとうございます」
「うん、今日は来てくれたからにはたっぷり見ていってもらうよ!」
 喜々とした二人の横で、高島さんは慣れた手付きでドドちゃんを猫車に載せた。
「主任、私とお嬢さんは検診に行きますから」
「うん。じゃあ僕らもそっちの道から見ていこうか。そっちにはフォルスラコスがいるね」
 しかしそっちは私一人のときにはいつも避けている道だ。
 フォルスラコスこそ、一年生だった私の友達を全員泣かせた犯人だ。だというのに山田は名前を聞いただけでますます目を輝かせた。
 四人と一羽で歩きだすとすぐに高さ三メートルはある金網の前に出た。
 広い運動場の奥で、痩せて背の高い怪鳥がこちらを向いた。
 全身が黒く、目の周りだけ赤い。上下に幅広いクチバシの先にはナイフのように鋭い突起があり、大きな頭が長い首で高々と支えられている。後ろ脚は不釣り合いなほど細長い。
 そいつはぎろりとこちらを睨むと、大股でこちらに駆けてきた。
 その間に、パパは手の届くところにあった竹竿を立てた。てっぺんには大きな鳥の頭の模型が付いている。
 自分そっくりのそれが目に入った途端フォルスラコスは立ち止まり、小さな翼を二、三回広げてみせると、視線を逸らしてその場に留まった。
「この模型を仲間だと思ってるんですか?」
 山田が楽しそうに聞いた。
「そうだね、フォルスラコスは自分よりずっと背の低いものしか襲わないんだ。人間くらいだと脅かしてくることもあるけど、同類の顔らしきものを見るとたじろいでしまうんだね。痩せていて身軽な分、余計な喧嘩で怪我をすることは避けているんだ」
「飛ぶ鳥みたいに軽そうですもんね」
「一メートル程度の柵は跳び越えてしまうからね」
 四年前はフォルスラコスをひるませる方法が見付かっていなかったばかりに、友達を怖い目に合わせてしまったのだ。
 山田はそんなことは知る由もなく、呑気にフォルスラコスに興奮している。
「逆に安全に襲われる体験もできるよ」
 そう言ってパパは金網の端を指差した。
 金網の一部が内側に張り出している。張り出し部分の高さは一メートルもない。
「そこに入ればちょうどフォルスラコスが襲いたくなる高さに見えるんだ。もちろん金網ごと踏まれても噛まれてもなんともない」
「なるほど!」
「実験して動物園の展示として提案してるところだよ」
 あんな出来事があったのにそんなものを……、もしかして、むしろあんなことがあったからこそ思い付いたのか。
 どっちにしろやっぱりフォルスラコスは苦手だ。
「高島さん、行きましょう」
「あっ、うん」

 問診の後は血液検査の結果を待つだけで、一時間以上は暇がある。
 応接室はクーラーが利いていて、見たかった画集も一冊だけあるが、それほど時間はつぶせなかった。
 テーブルにはやりかけのジェンガが置いてあった。
 これはわざと常にこのままにしておいてあるのだ。
 タワーのそばに置かれたブロックをつまみ、タワーの上ではなく、途中の隙間にあてがった。
 一見、隙間はブロックと丁度同じ大きさに見える。なのに私はブロックを隙間に押し込めない。
 押し込んだらタワーが倒れてしまうことが指先に伝わってくる。
 これが現在のドードーを取り巻く状況。タワーがドードーの抜けてから何百年も経った今のモーリシャス島の生態系で、ブロックが標本から再生されたドードー。
 ドードーをモーリシャス島に返さないことを不思議に思う人がいると、パパはそのように説明する。
 しかしその直後、いつかきっとぴったり元に戻す方法を見付けてみせると目を輝かせるのだ。
 もし見付かったらドドちゃんはモーリシャス島に帰ってしまうだろうか。あのフォルスラコスを大人しくさせる方法さえ見付けてしまったくらいだし……。
 私はソファーを離れ建物を出た。ドードーの飼育場はすぐそこにある。
 うちの庭にあるケージより一回り大きい飼育場が五つあり、その一つひとつに一羽ずつドードーが住んでいる。飼育場の間は植え込みできっちり仕切られているし、中にもドードーが隠れられる低い木がたくさん植えてある。
 一羽が木の下からひょっこり顔を出し、私を睨みつけて一声吠えた。
 そして何事もなかったように木の間を歩き出した。
 ドドちゃんよりここにいるドードー達のほうがモーリシャス島でも暮らしていけそうに思える。
 後ろから猫車を押す音が聞こえてきて振り向くと、高島さんがドドちゃんを連れてきていた。
「やっぱりここにいた。健康そのものだったよ」
「高島さん、ドードーをモーリシャス島に帰す研究って進んでるんですか」
 質問が口をついて出た。高島さんは苦笑いして頭をかく。
「進んではいる……けど、まだまだ大分先のことだね」
 私はそれを聞いて少しほっとしてしまった。それが顔に出たみたいで、高島さんにこう聞き返された。
「ドドちゃんがモーリシャスに帰っちゃうかも、って思った?」
「あ、はい」
「ドドちゃんは君の家で暮らすのが役目だから。モーリシャスで暮らすことはないよ」
「よかった」
 しかし、私はドドちゃんがモーリシャス島に帰ってしまうのも、ここで自然に近い暮らしをしているドードーが帰ってドドちゃんだけがおいていかれるのも、嫌だと思った。
 パパの研究が終わるまでに整理がつくだろうか。それとも、それがまだ先のことだとしたら、その頃にはドドちゃんは……、
「二人を探してみようか」
 高島さんが猫車を押し始めて、私は我に返った。
 ドードーの飼育場のある道には二人の姿はなかったので、一旦建物の前に戻った。
 するとすぐに、フォルスラコスのいるほうから金網を叩くような音が聞こえてきた。柵を鳴らしているのはきっと、曲がった大きなクチバシ、素早く突き出る鉤爪……。
 フォルスラコスの飼育場の前には父が立っていた。あのデコイの竿は持っていない。
 山田の姿がない。
 と思ったが、山田の笑い声は聞こえていた。
 山田は、柵の端に作られた張り出し部分にしゃがんで入っているのだった。
 そして張り出しの天井をフォルスラコスが踏みつけていた。金網を壊せないことは分かっているのか、どうも真剣味に欠ける攻撃だった。
 それにしてもこの状況で笑っている山田の、異様というか滑稽というか。
「パパ……、なにこれ」
「一通り廻って最後にもう一度これをやりたいって言うからね。肉食動物に安全に襲われるなんてなかなかできないからね」
 貴重な体験というより恐怖体験だと思うのだが。
 そういえば、ものすごい動物好きで有名な人の本で「透明な卵のカプセルに入って、大蛇に丸呑みされてみたい」という発言があった。
 山田が今まさにそれ、みたいだった。
 フォルスラコスが飽きて立ち去ると、山田は立ち上がって振り向いた。
 その笑顔のなんとすっきりとしたことか。
 おそらくこの先、私はフォルスラコスといったら泣き叫ぶ幼い友達ではなく山田のこの顔を思い出すだろう。
 こいつならそのうち、欠けたジェンガをすぽすぽと埋めてしまうんじゃないだろうか。
「本当に来てよかった。ありがとう!」
「そ。ならよかった」
 私も連れてきてよかったとほんの少しだけ思った。
 フォルスラコスが落ち着いたので、離れたところにいた高島さんがドドちゃんの乗った猫車を押してきた。ドドちゃんだって慣れない人には乱暴になることもあるけど、顔を見ればお互い安心する私の家族だ。
 パパや山田のような人達がいればドードーもフォルスラコスも悪いようにはならないだろう。多分ね。
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