Lv100第十六話
「ホムンクルス -桐恵と小さな化石の博物喫茶-」
登場古生物解説(別窓)
 今や動物園に行けば馬やら鶏やらと変わらない大きさの恐竜が色々見られるし、水族館に行けば手の平サイズの古生物もざらにいる。太古の生き物が皆巨大だったというイメージは過去のものだろう。
 さらに本当に小さな、ルーペが必要なほど小さな古生物に会えるのは?
 アクアリスト向けの専門店か、そんな店を冷やかすのは気が引けるなら、私の勤めるこの喫茶店だ。
「いらっしゃいませ、小さな化石の博物喫茶「パレオスコープ」へようこそ!」
 入り口でまっさらな白衣姿の二人が声を上げた。
 後輩の「職員」が「見学者」のかたを出迎えたのだ。
「見学手帳はお持ちですか?……初めてのご見学ですね、それでは見学手帳をどうぞ!」
 私と同じ大学生くらいのカップルが、二つ折りになった縦長の厚紙を受け取った。「見学」に来るごとに認め印を押すのである。
 特殊な喫茶店はそれらしい制服と符丁を使わなければならないというわけだ。
 カップルは笑顔を見せ合いながらも、店内の様子に唖然とした。
 やや薄暗い室内にカウンターとテーブルがあるのは普通の喫茶店に似ている。が、あとは丸っきり別物だ。
 スポットライトを浴びる棚には、化石の実物やレプリカ、三葉虫の生体から作った標本や復元模型に、懐かしい図鑑から古生物ファン向けの雑誌、学会のパンフレット、専門的な論文まで。壁にかかっている絵も論文から抜き出した図版だ。観葉植物の代わりに、発掘に使うハンマーとタガネが立ててある。
 黒いテーブルには水槽が陣取り、アンモナイトや少し大きめの三葉虫が見られる。しかしこっちの水槽ははっきり言ってありきたりだ。
 カップルの見学者は私の正面のカウンター席に通された。
 私と見学者の間には、大きめのビーカーがずらりと並んで下から照らされている。人工海水が満たされ、一対ずつチューブが刺してある。
「ようこそご見学にいらっしゃいました。メニューとルーペをどうぞ」
 メモボードに挟まれたメニューには、両手の指で足りる程度の品しか載っていない。コーヒーと紅茶、ささやかなお菓子。コーヒー二杯の注文を受けて後輩が用意に動いた。
 見学者の二人はやや緊張した様子だ。私の切りそろえた黒髪と眼鏡は、白衣と調和するものの威圧的に見えるようだ。
 私は、手元のビーカーを一つ前に置いた。
「こちら、初めてのご見学でも親しみやすい種類かと思います」
「何?」
「ダンゴムシ?」
「あ、三葉虫!」
「はい、ゲラストスという種類の三葉虫です」
 丸っこい姿は確かにダンゴムシに似ているが、倍近く大きい。それに、甲羅は乳白色をしている。細かいガラスビーズが敷かれた上を、三匹がちょこちょこと歩く。
「ルーペでよくご覧になっていてください」
 二人が先程渡したルーペを構えているうちに、私は引き出しからガラス棒を取り出した。
 そして注目を浴びている一匹の頭に、こつりと触れた。
 ゲラストスは即座に体を二つ折りにした。
「丸まった!」
「うわ、完全にダンゴムシだ!」
「ダンゴムシと三葉虫は遠い間柄なんですけど、そっくりな身の守り方を進化させたんです。ほら、戻りますよ」
 ぴったり閉じていた頭と尾の合わせ目が開き、細い触角が飛び出した。
 さらに腹側が現れる。たくさんの肢の他にも動くものが見えるはずだ。
「なんか、ひらひらしたのがある」
「三葉虫の鰓です」
「水から出すとどうなるんすか?」
「鰓が乾き次第、もう駄目ですね」
「へー、やっぱダンゴムシと違うんだ」
 二人が感心しているうちに後輩がコーヒーの入ったマグカップを持ってきた。
 このカップはアメリカの有名な博物館の公式グッズで、ティラノサウルスの骨格があしらわれたロゴの入った重厚なものだ。
「あ、ビーカーとかじゃないんだ」
「実験の結果、ビーカーでのんびりとコーヒーを楽しむことは難しいと分かりましたので」
「実験!」
「試したんだ!」
 鉄板のネタで二人とも笑ってくれた。本当は食品衛生法だとかの影響が大きい。
「それではごゆっくりお過ごしください。他の種類を観察されるときは職員にお申し付けくださいね。お席を移動してもかまいませんので」
 そう言いながら、ビーカーを一つカウンターから下げた。調子の悪そうなのが見えたからだ。
「あ、じゃあ今いいっすか。そこの、なんか速いやつ」
 男性のほうが指差したのは、元気に泳ぎ回るものが入ったビーカーだった。
 ゲラストスと同じくらいの大きさだが、平たい流線型をしていて身軽そうだ。ビーカーの壁に沿って滑らかに進み続けている。
「こちらですね。これも三葉虫の一種で、ヒポディクラノトゥスといいます」
「えー、さっきのと全然違う」
「三葉虫は海底を歩く種類が普通なんですけど、こういう身軽な体つきで、泳ぎ回る種類もいたんです」
「かっけえ」
 真珠光沢で銀色に光りながら、鰓で水を押し出して素早く泳ぐ姿は、小さいながらも流麗だ。
 ヒポディクラノトゥスの隣にあったビーカーも、続けて前に出した。
「こちらも泳ぐ三葉虫の、キクロピゲです」
「また違うの出てきた」
 丸い頭の両側が大きな複眼になっていて、昆虫にいそうな顔付きだ。胴体は小さくて二頭身、鰓がはみ出している。
 形が違えば泳ぎ方も違う。大きな尾鰭を上下に反らして、少し進むたびに向きを変える。
「可愛い、ゆるキャラみたい」
 この言葉が出れば一安心だ。
「ごゆっくりご観察ください」
 私はカップルから離れ、カウンターに向かう別の見学者さんに近付いた。ロリータ風に着飾った、とても若い女の子二人。
 さっきからスマホのシャッター音が何度も聞こえていた。撮影が上手くいかなくて撮り直しているようだ。
「難しいですか」
「ええ。この子達、とっても綺麗だから友達にも見せてあげたいの。でも、どうしてもブレてしまって」
 白い服の子の手元にあるビーカーの中で、淡い虹のかけらがいくつか漂っていた。
 光っているのは、マルレラの角だ。これも二センチ程度の虫のような生き物だが、分厚い甲羅はない。
 ただ頭からは大きな角が二対、横から後ろに曲がって生えている。そのうち前にある角は、表面の微細構造により虹色に輝くのだ。薄暗い店内で光るものを撮影するのは難しい。
「では、これを使いましょう」
 私は白いプラスチックの帯を取り出し、泳いでいたマルレラの前に差し入れた。マルレラは帯に突き当たると、その上にしがみついて休んでしまった。
「それと、このスマホ用の三脚をお貸しします。これで固定してタイマーで撮れば、ブレずに済みますよ」
 こういう場合に備えて用意した、どんなスマホでも固定できるやつだ。
「まあ、ありがとう」
「その三脚、次は私に貸してちょうだいね。この子達は最初から動かないけど、手ではブレるから」
 黒い服の子が見ていたビーカーでは、雪の結晶そっくりのものが水面に浮かんで煌めいていた。
 これはマルレラの仲間、ミメタスターだ。枝分かれした六本の角に表面張力を働かせ、体はその下にぶら下がって腕を左右に伸ばしたままじっとしている。こうやって流れてくる餌を待ち構えているのだ。
 このロリータ風の二人組は今日が二度目の見学で、学問的なことを深く知ろうという気配はない。それでも再び見学に来てくれたということは、二人の興味にかなったということだろう。
 二人が手元に集中しているうちに、餌の溶液が入った試験管の蓋を取り、ピペットで別のマルレラに与えた。
「ねえ、私もこの子達を飼ってみたいわ」
 唐突に声をかけられた。黒い服の子だった。
「泳ぐわけではないようだし、こんな入れ物でも飼えるんでしょう?」
 ミメタスターが六本の角で浮かんでいるだけなのは確かだが。
「ええっと……。このビーカーは展示用の一時的なものでして、長く飼い続けるにはもっと大がかりな設備と専門的な知識が必要になってしまいます」
「まあ、そうなの」
 やはり簡単そうに見えるのだろう。こういった質問が時々出てくる。
「三葉虫でしたら綺麗な種類でも飼いやすいですよ」
「そう。この子達はこのお店に見に来ることにするわ」
「それがいいわ。雪なんですもの、珍しいから綺麗と思えるのよ」
 白い服の子の言葉に、黒い服の子が深くうなずいた。
 素直に納得してくれてよかった。
 また別の見学者さんが訪れた。地味な服装の男性一人。ロリータ風の二人とは対照的に、かなり詳しい常連のかただ。
「いらっしゃいませ」
「何か現生種につながる系統のはいますか?今日はそういうのが見たくて」
「はい、ちょうど入ってますよ」
 こういった質問にもすぐ答えられないと。
 私は丸い頭の生き物が歩いているビーカーを差し出した。
「こちらはディバステリウム、シルル紀のカブトガニ類です」
「ああ、これは初めて見ます!」
 彼は愛用の少し大きなカメラを向けてシャッターを切った。
「机の上にカブトガニがいるなんて、いいですね。腹部に体節がありますね」
「共剣尾類といって、今のカブトガニのグループより原始的ということになってます」
「断言できない?」
「体節がないもののほうが古い層から見つかってまして」
「なるほど。まあ、きっとまだ古い共剣尾類が見つかってないだけでしょうね。鳥と羽毛恐竜がそうだったみたいに」
「ディバステリウムは他にも原始的な特徴がありますからね。……ちょっと失礼します」
 私は長いピンセットを使って、ディバステリウムを傷付けないようにそっとひっくり返した。
 ルーペで凝視していた彼はすぐに気付いた。
「肢が多い!しかも密集して生えてる」
「二肢型なんです」
「両方とも歩脚?」
「はい」
 手足は枝分かれしたりしないのが私達脊椎動物の常識だが、節足動物ではそうでもない。ありふれたミジンコでさえ肢が二又に分かれて片方が鰓になっている。三葉虫やマルレラもそうだ。
 ディバステリウムの場合は、肢のペアを両方とも歩くのに使うのが特徴だ。
 彼は夢中でカメラに持ち替え、撮影を再開した。肢が動くから難しくないだろうか。あまり逆さまの姿勢が長引くとディバステリウムの負担になる。
「なんとか撮れました。戻していいですよ」
「お気遣いありがとうございます」
 ディバステリウムの姿勢を戻した後も、彼は甲羅の縁から覗く肢の様子に注目していた。
「あっ、現生種につながるといえば、ちょっと変わったのが入ってますよ」
 三つだけ透明な板で蓋をされたビーカーがある。蓋をしないと、飛んでいってしまう恐れがあるのだ。
 そのうちの一つを彼の前に出した。
 ヒマワリの種ほどの虫が、長く平たい後肢を動かして水中に躍り上がる。
「白亜紀の昆虫、イベロネパです」
「ああ、いかにも今いそうな感じですね。マツモムシにそっくりです」
「分類はタガメに近いらしいんですよ」
「平行進化ですね。小学生の頃、自由研究でマツモムシを調べたことがありますよ。たまたまたくさんいる場所が見つかって……。懐かしいな」
 そう言ったきり、彼は黙ってイベロネパとディバステリウムに集中し始めた。
 私はカウンターの中を移動し、もう一つの部屋に向かった。店内は喫煙室のように仕切られているがカウンターは繋がっている。
 こちらの顕微鏡観察室にはビーカーは少なく、代わりに双眼実体顕微鏡が四台ある。一台は右のレンズにカメラアダプターが付いている。
 カメラから送られた映像はカウンターの上に掲げられたディスプレイに映り、向かい合ったソファーからよく見える。
 今はソファーに一人、高校生の女の子がうたた寝をしているだけだった。彼女も常連だ。
 テーブルにはいくつかの化石と、まだ温かい紅茶が乗っている。
 サブのディスプレイにはアグノストゥスが行き来する様子が映っていた。8の字形をした、三葉虫のようでそうでない、小指の爪ほどの生き物だ。
 顕微鏡を使うには大きすぎるせいか、顕微鏡観察室の中では盛り上がらない。少しこちらが寂しくなるが、アグノストゥスは一般観察室に移してしまおう。
 シャーレをステージから下げ、指先に乗るようなカップに、もっと小さい生き物のいる水をピペットで注いだ。
「カフェインが利かない」
 その声に振り向くと、女の子が目を覚ましていた。
「すみません、起こしてしまいましたか」
「私こそすいません。……何を映すんですか?」
「カンブロパキコーペと、ゴチカリスです」
「やった」
 彼女は半開きの目で微笑んだ。
 ピント調整が済み、ディスプレイに泳ぐものの姿が現れた。
 アリに似ているが、顔面には大きな複眼が一つあるだけだ。針金のような肢ではなく、ブラシ状の肢と丸い鰭がある。
 大小二組の鰭で水を蹴るのは、カンブロパキコーペ。ミジンコさながらに、進んでは止まりを繰り返す。大きさもミジンコと同じくらいだ。
 一回り大きいゴチカリスは四対の鰭を波打たせ、一定の速度でうろつく。
 女の子は紅茶をすすり、半分寝ぼけたままの表情でディスプレイを見上げていた。
 小さなカップの中でくるくると向きを変えながら、カンブリア紀のプランクトン達は進む。
 混乱するような複雑な姿だが、これをほぼそのままの形で五億年も化石として残した岩石があるというのだからますます驚きだ。
 ビーカーに残ったほうの世話をしていると先程のカップルが入ってきた。
「顕微鏡だ、すげー」
「こちらにどうぞ。使い方をご説明します」
 女の子は完全に目が覚めたようだ。

 夜九時、閉店直後。
 お店のほうは後輩の職員に任せて、私は急いでワゴンを押して裏の廊下を進んだ。
 突き当たりのドアを開けた。
 藻臭い。
 綺麗とは言い難い川の河口で水の匂いを嗅いだことがあるだろうか。あんな感じの、藻と潮の混ざった匂いだ。
 煌々と灯った蛍光灯の下に水槽がひしめき合う。
 いくつかはさらにスポットライトを浴び、緑色の水には大量の空気が送り込まれている。これが臭気の主な原因だ。
 餌となる微生物等もここで培養しているのだ。店内でビーカー内に補給するときも匂いにはかなりの注意を要する。
 奥の方に小さな白衣の背中が見えた。飼育設備の手入れ中か。
 小綺麗な制服の白衣ではない。汚れてしわの寄った実用品だ。
 長い髪もぼさぼさと波打ち、なんとなく彼女の行く末を案じてしまう、そんな背中である。
「博士」
「お、おう、キリか。……博士って呼ぶなよう、嫌味かよう」
 この店の店長に当たる「博士」、私の先輩が振り向いた。
「博士が決めたんでしょうが」
「所長とかにすればよかった」
 声音は弱々しく、肩が落ちていた。博士は背中を丸めたまま、ふらふらとワゴンに近付いた。
「いじったのは?」
「これひっくり返しました」
 常連の男性に見せたディバステリウムを指差した。
「うん、だいぶお疲れだね」
 博士はディバステリウムのビーカーを取ると、中の水ごと水槽に戻し、付箋に日付を書き込んで水槽に貼り付けた。このディバステリウムはしばらく観察室に出さない。
 他のビーカーも弱っているものから先に水槽に戻していった。
 ごく一部、もう観察室に出せる見込みがないものもいた。設備の無駄だからといってわざと殺すことはできない。
 さらにごく一部は、標本にするため冷蔵庫行きになった。
「で、また嫌なメールでももらったんですか?」
「ううん、電話」
 博士は入り口近くにわずかに確保された休憩スペースの、侘びしいソファーに身を預けた。
「もうあいつらと話すのやだ」
 私はコーヒーを入れ、ほぼ同量の牛乳と、スティックシュガーを三つ注いで混ぜた。
「どうぞ」
「うん」
 ティラノサウルスのカップは疲れた博士の小さな手には重そうだ。
「博士課程まで行っておいて、やることはコスプレカフェ〜かよ、だってさ」
「柳さんしかできませんよ、このお店は」
 私は例の符丁を避け本名で呼んだ。
「このお店には柳さんぐらいしか知らないようなことがみっしり詰まってるんですから」
 柳さんは甘いコーヒー牛乳をすすりながら聞いていた。
「ありがと。ごめんね」
「いつものことですから」
 せっかくのコーヒーの良い香りも、この部屋に満ちた生命の吐息と争ってしまう。
「こっちの部屋で見学会を開く計画ですけどね」
「うん」
「やっぱり難しいですよ。お店を通らずに裏から出入りするようにしないといけないみたいですし……、」
「幻滅されるかも」
「はい」
 綺麗に見えるようにと整えた観察室とこっちの部屋とではギャップが凄まじい。
 あのロリータ風の二人が、マルレラやミメタスターが緑色の水から餌を濾し取るところを見たらどう思うだろう。
「私はたまに、人に嘘を教えてるような気がするよ」
 柳さんはそうつぶやいてコーヒー牛乳を飲み干した。
「嘘なんかではないですよ。ただいっぺんに全ては教えきれないだけで」
 ごく一部だけでさえ、うまく人に伝えれば驚かせ面白がらせるのに充分なのだ。受け止めきれず拒絶されることのないよう、小出しにしているのがこの喫茶店だ。
 柳さんは深めることより広めることを選んだ。それでもまだ、世間の人達にはちょっと深い。
 柳さんは席を立ってミメタスターの水槽を覗き込んでいた。水面に浮かんでいて見やすいので、ミメタスターを眺めることが自然と多くなった。
 この間、雪の結晶の写真集を見て、ミメタスターみたいだと思った。
「先は長いね」
「ついて行きますよ」
 やっと今日初めて柳さんが笑った。
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